第15話『星空に架かる』


 深夜一歩手前の、コンビニエンスストア。

 来客を伝える軽い効果音を耳にしながら、俺は店内へと入る。

 ところ狭しと並ぶ商品棚を無視して、俺は一直線にレジへと向かう。

 相手が誰だかわかっていたのか、はたまた普段からテンションが低いのか。店員は何も商品を持たない俺を不審がる様子もなく、


「よぉ」

「…………いらっしゃいませ」


 そう、不満そうに呟いた。






 夜の帰り道。

 先週マキとこのコンビニで出会ってから、数日の間だけだが送り迎えのようなことをしていた。

 俺にとっては夜のランニングのついでで、マキにとっては女の子一人で夜道を帰る不安の解消。一石二鳥。なにより、マキと話す漫画やゲームの話は素直に楽しい。


 中学から厨二病仲間は数多くいたが、趣味の合う人間というのはそれほど多くはなかった。厨二病ってのは多趣味な連中が多いわけで、純粋に漫画やゲームが好きなやつもいれば、歴史上の人物に憧れたやつ、神話などが好きなやつなどなど、それぞれ多種多様だった。だからこそ、厨二病であれど同じ趣味の人間というのは、それはそれで貴重なのだ。

 そしてマキの厨二病のモデルとなっているキャラも、何を隠そう俺もプレイしているスマホゲーム『フェアリーテイル・オブザーバー』通称『FTO』のキャラクターで。


 わずか十数分という短い帰り道ではあるが、それでも趣味を共有できるひと時としてそれなりに楽しみになりつつあった。

 そしてそれは、マキの方もそうなのだと思っていた。

 三日前の、アオの来訪があるまでは。


 あれから三日。マキが部活に来なくなってからの二日間、俺は当然ランニングの途中コンビニに立ち寄るようにしていた。無断欠席の理由を知るために。しかしちょうどコンビニバイトの休みと重なっていたらしく、俺はマキとは会えずじまいで。教室でも、マキはいつも以上に話しかけてくるなオーラを醸し出していた。だからこそ、俺はなぜか今日を逃せばもう会えないんじゃなかという錯覚にさえ、陥っていた。


「…………」

「…………」


 数日前までは普通に話していたはずの帰り道。

 なのに今は、何と会話を切り出せばいいのかわからない。


 ふと空を見上げる。空には相変わらず満点の星空が輝いていて、今だけは街灯の頼りなさに感謝する。つい先日まではマキが星空を見上げていたというのに、今のマキに星空など見えておらず、地面に溜まる暗がりへと視線を這わせるばかり。

 あのときとは、逆になってしまっている。

 ならば、話しかける方も逆であるべきなのだろう。


「なぁマキ」


 意を決し、俺は声をかける。

 聞きたいことは、とっくに決まっている。

 のに、言い出しづらいのはなぜだろうか。


「何で、部活に来ないんだ?」


 原因は、なんとなくわかっている。でも、それが何故マキの部活欠席につながるのかが、ついぞわからないでいた。

 俺が尋ねるとマキは不意に立ち止まり、ようやく視線を上げる。しかしその瞳には、いつもの覇気は見られない。


「……言ったからしら。うちが貧乏だって、話」

「ああ」


 それは最初にコンビニで会った日に聞いた。

 母親がシングルマザーで、家計を助けるためにバイトを掛け持ちしてるって。


「やっぱりね、バイトに専念しようと思ったのよ、あたし」


 夜空を見上げながら、マキは話し始める。


「バイトも今より増やそうと思ってる。もともと、そのつもりだったし。今のバイトもそこそこ余裕が出てきたし、なれたらまた一つ増やして、二つ増やして、長期休みには短期バイトなんかも入れたりしてね。そしたらさ、高校生でもそれなりには稼げるようになるでしょ」


 ニッ、と。マキは笑う。まるで充実していると、言いたげに。


「なんで」


 だからこそ、訊きたかった。


「なんでそんなこと、急に。部活、やりたかったんじゃないかったのかよ。頑張りたいって、言ってたじゃねえか。母親が喜んでくれるからって。なのに――」

「いいのよ」


 堰き止めていた言葉が一言を皮切りに溢れ出す。しかしその感情を、マキが蓋をする。


「もういいの。確かに、部活はお母さんが喜んでくれるからって始めたこと。だけど、それはあたしが本当にしたかったことじゃなかった。あたしのしたいことはもっと別にあった。ただ、それだけ」

「何だよ、お前のしたかったことって……」

「……親孝行……、かな?」


 俺の質問に、マキはほぼ即答で返す。


「あたしがしたいのは、お母さんのためになること。お母さんが少しでも楽に暮らせるようになるんなら、あたしはなんだってやる。もちろん、お母さんに胸を張れる範囲で。……でも、ただ残念なのは」


 不意に、夜空を蓄えた瞳で、俺に向け、


「その中に、アンタたちとの部活が入ってなかったことだけ」


 そんなことを、言ってくる。

 笑顔だった。初対面ときからは考えられない、優しい笑顔。

 こうして夜話すようになってから、マキの笑顔は何度か目にするようになった。好きな漫画の話をしているとき。新しいゲームの話をしているとき。サヤの愚痴を言っているとき。ヨリアキのキモさを語っているとき。スグリの奇行に呆れているとき。オトミの愛らしさに参っているとき。

 たった数日だが、マキの笑顔は何度か見てきた。しかし今のは、そのどれとも違う。

 諦め。そこにあるのは笑顔を、何故か俺は、どうしようもない諦めなのだと、そう感じてしまった。


「あたしが部活をやっても、お母さんを楽させてあげられないから」


 変わらぬ笑顔のまま、マキは続ける。

 だからって、納得できない。


「っ急すぎるだろ、いくらなんでも……」


 この前まで、みんなあんなに、楽しそうだったのに。


「やっぱり、サヤ……なのか」


 それ以外に、理由が思いつかない。マキが部活に来なくなったのはサヤがアオに負けた次の日から。関係ないと思う方がおかしい。


「きっかけは……たしかにそうね」


 今度は俯いて、ぽつりと呟く。


「あたしね、あの子のことはあんまり好きじゃないの」


 それは……知ってる。


「ちっこいくせに見栄っ張りで、強情で、何かにつけて突っかかってくる。そのくせ無駄にまっすぐで、子供っぽくて、ホント……イヤになる」


 後半は心底嫌そうに、マキは項垂れため息をつく。

 サヤとマキが何かにつけて争っていたのは知っている。ときにサヤが煽り、マキがそれにノリ。そこに割って入れば自分が痛い目を見るのが火を見るよりも明らかなのだと理解できる、まさに犬猿の仲。

 だが。


「でもあたしは、あいつが誰よりも努力してて、誰よりも厨二病ってのを楽しんでて、誰よりもあの場所を好きいてで、誰よりも勝ちたがってるってことも、ちゃんと知ってんの」


 それは、厨二部のメンバーなら誰もが知っていること。

 サヤがマキへ突っかかるのは、同性同級の部員ができたことを不器用ながらも喜んでいることの表現なのだということを。

 サヤがマキを煽るのは、マキに早く強くなってほしいと望んでいるからこそなのだと。

 サヤがマキの前でひたすら鍛錬しているのは、マキに厨二病とはどんなものかを示していることを。

 厨二部のメンバーなら、誰もが知っていることだ。


 そしてそれは、厨二部に入ったばかりのマキも例外ではない。

 マキは賢い。不器用なサヤのこともしっかりと理解し、その上で憎まれ口を叩いている。

 口では嫌っていても、お互いがお互いを認めている。

 だからこそ俺は、今サヤにもっとも必要な『同じ速度で歩んでいける好敵手ライバル』ができたのだと、心の底から安心していた。

 していた、つもりだった。


「そんなアイツが、あんなにもあっさりと敗けちゃうなんて、思わなかった」


 それは一見すると、非情にも聴こえる言葉。


「アイツが努力していることも知ってた。アイツがあの部を大好きなことも知ってた。アイツには才能があって、アイツにはアンタみたいな師匠がいて、アイツにはあたしの知らない大きな目的まであるだってことも、なんとなくわかってた。まるで、本物の漫画の主人公みたいだって、そう思ってた


 でもあの日、ボロボロに敗けたアイツを見て思ったの。――あたしはきっと、ああいう風にはなれないんだろうな――――って。


 努力して、才能もあって、仲間にも恵まれて、それでも敗けて。普通なら諦める。コイツには勝てないんだって、どこかで自分を納得させて。でも、アイツは認めなかった。あの女の実力がはるかに上なんて、そんなのわかってたはずなのに。それでもアイツは、絶対に諦めなかった。何度も何度も立ち向かって、気絶させられるまで、何度も。……それを見て思ったの。ああ、あたしはきっと、こんな風にはなれない――できない、って」

「――――――――」


 あの日のアオとの戦いは鬼気迫るものだった。たとえ戦闘の内容を理解できなくても、それでも圧倒的なアオの実力と、決死の思いで挑むサヤの覚悟は理解できたはずだ。

 でも。だからこそ、なのだろう。

 そんなものをみせられたからこそ、マキは躊躇ためらってしまったのだ。

 サヤの隣で、戦うことを。


「あたしね、どうも人より運動神経はいらしいの。中学のときはいろんな部活に誘われたことがあったわ。……その度に、後悔してた。あたしよりも長く一生懸命やってる子が、あたしよりも弱い相手に敗けて泣いてるのを見て。その度に思うの。あたしにはそんな風にできない。あたしはそこまで必死になれない。部活も、勉強も、今まで何一つ必死になれたことがないあたしが、あたしよりも才能もあって努力もしているやつと一緒に頑張るなんて、あたしにはきっと……できない……」


 そこまで言って、マキは顔を伏せる。

 表情は見てなくても、その震える拳が、彼女が今どんな顔をしているのかを語っている。


「……だからもう、いいの」


 フッと拳を解いて、マキが呟く。


「所詮部活は部活だったってこと。やっぱりあたしに必要なのは、青春なんかじゃなくて明日を生きるためのお金。お母さんに少しでも楽させてあげるために、あたしはやっぱりバイトを頑張ることをしたの。その方が、あたしには合ってるんだと思う」


 あっけらかんとマキは言い放つ。

 その表情は、さっきと同じ笑顔で塗り固められていて。

 その表情が何故かとても悲しくて。どうにかしてやりたいと、そう思ってしまう。


「でもお前……、あの時あんなに楽しいって――」


 そんな言葉しか出ない自分に苛立って。


「でも、じゃないわよ」


 だからこそ、何の覚悟もない言葉を、マキは簡単に否定する。


「楽しかったのは、本当。あの場所が居心地が良かったのも本当。でも、部活でお金は稼げない。楽しいだけじゃ、お母さんを助けてあげられないの。最初にも言ったけど、あの子のことはきっかけにすぎない。もともと、バイトと部活の掛け持ちなんて無理があったんだし。いずれいつかはこうなってた。ただ少し、それが早かっただけ、それだけのことよ。それに、バイトを辞める覚悟もないあたしが、あの子の覚悟に付き合うことなんて到底できやない」


 それはそれで、マキの覚悟なんだろう。母親のために自分を切り捨てるという、そういう覚悟。

 だからこそ、止めたかった。自分を犠牲にして母親を助けるなんて、そんな悲しいこと……アイツが認めるはずがないから。


「ねぇ、アキハル」

「……なんだ」

「アンタってさ、実は結構すごいやつなんでしょ?」


 藪から棒な質問に、俺がすぐ返答できないでいると。マキは返事を待たずして話を続ける。


「ぶっちゃけ、うちの部って結構弱小なんでしょ? そのくらいは、あたしでもなんとなくわかるわ。そんなうちの部に、あんな偉そうな男がわざわざアンタに会うためにヘリで飛んで来たり、あんな強そうな女がアンタの昔の知り合いだったり。きっとアンタも、スゴイ側の人間なんだろうなーって、なんとなく、そう思ってたの」


 マキの質問の意図を俺が計りかねていると、


「だからこそ、アンタが何であの【社長】とかいうやつの申し出を断ったのか、それがわからなかった」


 ようやく、本当の問いにたどり着く。

 奇しくもそれは、昼間のサヤと同じ質問。


「アンタはきっと、こんなところにいていいような人間じゃないはず。あたしは素人だけど、それくらいのことはわかるつもり。そんなアンタが、あの男の申し出を断る理由なんてないはずよ。ねぇアキハル、どうして? どうしてアンタは、あれを断ったの?」


 買い被り。そう言ってしまいたかったが、ここでそんな誤魔化しをしても何の意味もない。なにより、マキに対しては――サヤと同じく――誠実に答えたかった。


「……サヤにも同じこと訊かれたよ」

「そう。それは癪だけど、今はいいわ。それで、アンタはあの子になんて答えたの」


「……。今はここが、俺の居場所だから……だ」

「……そう」


 そしてその反応も、サヤと同じものだった。

 だからこそ、不意をつかれた。


「それって、嘘でしょ?」


 サヤのときにはなかった、思わぬ否定に。


「いや、嘘なんかじゃ――」

「いいえ、嘘ね。それとも、自覚がないだけなのかしら。ともかく、アンタはそんな理由であの【社長】だかなんだかの誘いを断ったんじゃないわ」

「なんで、お前にそんなこと――」

「わかるわよ」

「――っ」


 あまりにも突然すぎる勝手な言い分に、荒げそうになった声も思わず引っ込んでしまう。


「アンタ、あたしに言ったわよね。『好きなキャラはいるか』って。いるわ、いる。ちゃんとあたしにも、憧れたキャラがいたの。でもそれってつまり、アンタにも同じことってことなんでしょ?」

「っ……」

「アンタは言ったわね。『アニメの『魔王』に憧れた』って。アンタの好きなキャラは、その魔王ってのなんでしょ。……それで今のアンタは、ちゃんと魔王になれてんの?」


 ――――――――。


「アンタの好きな魔王ってのがどんなキャラかは知らないわ。でも、魔王って響きを聴いて、少なくとも大きなイベントがあんのに、何かと理由つけて辞退するようなキャラじゃないことくらい、あたしにもわかるわ。

 ……あたし、嬉しかったの。アンタがあの時、あたしにまだまだ教えたいことがあるって言ってくれたこと。教師とかはさ、あたしの見た目とか、態度とか、そういうのでさっさと見限るやつばっかだったけど。アンタはそんなあたしにも、熱心に付き合ってくれた。向き合ってくれた。それが素直に嬉しかったの。だからさ、もうあたしなんかのために時間を費やしてほしくない。アンタはあたしなんかと違って、もっと遠くまでいける人間のはずよ。あの子と同じで、ね。何があったのかは知らないけど、アンタはあたしなんかを理由に立ち止まってちゃ、いけないの」


 マキは一通り捲し立てると、一度深呼吸をしてから、また俺と向き合う。


「もう一度、ちゃんと訊くわ。アンタは本当に、ちゃんと自分の意思で辞退したの?」


 つまるところ、これがそうなのだろう。

 サヤが俺に、本当に訊きたかったことは――――。



「あたしに――アイツに、気を使ってんじゃないの」



 …………。

 違う。

 違う。気を使っていたわけじゃ、ない。

 自分の居場所がここだと、そう言えば辞退したのは自分の責任になるから。

 でも違う。それも違う。言い訳だ。二人に責任にしたくないと、そう思えば正当化できると、自分を騙せると思った吐いた嘘、デマカセだ。

 本当は、怖かったんだ。

 また、あの場所に行くことが。

 あの天辺の場所に行き、そしてまた落ちてしまうことが。

 怖かったんだ。

 だから二人を気遣っているフリを自分にして。いいやダメだと、自分の中でも二重否定を繰り返して。

 結果、自分に自分で嘘を重ねて、何も見えなくなっていた。

 たぶん、サヤも気付いていたのだろう。

 俺が、魔王として矛盾していることに。

 だがサヤはきっと、魔王である俺を信じてくれて。

 そしてマキは、自分に責任だと身を退こうとしている。

 母親。自信のなさ。部活を諦める多くの理由の中に、きっと、俺もいたんだろう。

 それなのに、俺はいったい何目線でマキを止めに来たっていうのか。


 そんなこと、許されていいはずがない。

 少なくとも、魔王には――――。

 俺が――アイツが憧れてくれた魔王には。許されていいはずが、ないッ。



「ありがとう、マキ」

「え?」


「今日俺はお前を諭しに来たはずなのに、何で俺がお前に諭されてんだろうな」

「……知らないわよ。でも、少しは気付けたんならよかったんじゃない」

「ああ。ありがとうな、マキ」

「そ」

「だからお礼は、ちゃんとする」


 スマホを取り出す。

 掛ける番号は、久々に目にする番号。

 わずかなコール音ののち、数秒と待たず電話はつながる。


「こんな夜分遅くにすみません【社長】。アキハルです」


 響いてきたのは、先日聞いた、厳かな声。


『かまわん。貴様からの連絡であれば、どのような時間であろうと出てやろう。だがそれは用件次第だ。こんな時間に連絡を寄越したということは、それなりの内容を期待してもよいのだろうな?』

「はい。…………この前のお話――碧海あおみ大祭たいさいのラスボス役、受けようと思います」

「っ……」

『そうか。貴様なら、そう言ってくれると期待していた。当然すぐにでも計らおう。貴様のための大舞台、このオレが最高の演出をもって彩ってやろう』

「それで、なんですが……」


 俺は少し躊躇うようにしてから、切り出す。


「一つ、条件があります」

『条件……?』

「っ……」


 少し声色を重くした社長の声に、俺は一瞬たじろいでしまう。

 だが、関係ない。


「……はい。毎年、大型イベントにはMVPが出ますよね?」

『ああ。特に活躍した者数名をMVPとして表彰している』

「その優秀選手に、報償金を出してもらえないですか!」

『ほう……』


 深夜だというのに、思わず声が大きくなってしまう。だが構うものか。


「俺への報酬はもちろんいりません! その代わり、活躍した選手には少しでも多くの報償金をあげてほしいんです! 考えて……もらえないですか……?」


 いつの間にか瞑っていた目を、恐る恐る開く。少しの沈黙が、これほど重たいと感じたこともない。少しの間待っていると、十代とは思えない渋い声がようやく返ってくる。


『…………ふむ。一つ訊かせろ。何故そのような提案をする?』

「……中二病の今後の発展とか、後進の育成とか、それらしい理由はたくさんありますけど……」


 いろいろと誤魔化し用の謳い文句を二十通りほど思いついたが、そんなもの意味はない。


「新しくできた仲間に中二病を続けてもらいたいから。理由は、ただそれだけです!」


 言いたいことは言い切った。あとは、なるようにしかならない。

 そう思い待っていると、


『クク……、クハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!』


 先日聞いたばかりの笑い声が爆発する。


『見事なまでに自分勝手な理由だな【漆黒の魔王神】ダークネス! よもや貴様が、このオレに金を要求するとはな……。クククク……、これが笑わずにはいられるか……』

「あ、あの……」

『いいだろう【漆黒の魔王神ダークネス】。貴様のその勝手な望み、このオレが聞き届けてやろう!』

「ほ、本当ですか!」

『ああ。このオレに二言はない。次回イベントで選ばれた上位十名の優秀者にはオレのポケットマネーから特別に報償金をくれてやる。審査方法は今後協議するが、このオレがくれてやるのだ。そんじょそこらのチャチな賞金と同じだと思うなよ。そして当然貴様にも報酬は支払おう。このオレが貴様一人程度の報酬をケチるような器の貧弱な男だと思わんことだ』

「……っ社長……」


『【漆黒の魔王神】、以前から思っていたが、貴様はもう少し魔王らしくするべきだ』

「っ……」

『自らを偽れと言っているとではない。もう少し、我が儘になってもよいと言っているのだ』


 どこか弾むように、社長は言う。


『中二病なぞ、所詮我が道を往く者共の集まり。少し我を通しても、バチは当たらん』

「……社長」

細々こまごまとした話は追って連絡する。今日のところは、さっさと家に帰り暖かい寝床で漫画本でも読んでおくことだな。淑女をこんな時間まで外につれ回すのは、紳士のすることではない故な』

「なっ――、気づいて――」


 しかし俺が抗議しようとした途端、通話はブッ――という音を最後に切られてしまう。

 通話口の向こうで社長の高笑いが聞こえてくるような、気がした。

 まぁそんなことはひとまず置いておいてだ。



「まぁ……、というわけだ」

「何が、というわけよ」

「来月のイベント、俺はラスボス役を勤めることになった。その見返りに、成績上位者には賞金が出される」


 ただの口約束だが、あの社長が意見を違えることはないだろう。

 ふざけた人だが信頼は誰よりもできる人だ。


「額は知らんが、それでもあの【社長】のことだ。決して安くはないはず」

「……何が、言いたいのよ」

「これで、部活なんかでもちっとは稼げるようになったぞ」

「……」

「それでもバイト頑張ってた方が稼げるかもしれん。部活なんかやってるよりも、もっともっといい時間の過ごし方があるかもしれない。それでも、まだお前が部活をやる道筋はあるんだよ」


 別に、部活じゃなくてもいい。部活を続けることだけが、学生の楽しみなわけじゃない。部活動以外にも、勉学やら友達やら、なんなら学外でも楽しいことはたくさんあるはずだ。それこそ、バイトを頑張ることも高校生の楽しみの一つだろう。

 でも、違う。

 そうじゃないと、心が叫ぶ。


 バサリと、黒衣を纏う。表情を嗤いに変えて、月を背負い、俺は成る。魔王へと。


「さあ、道はつないだ! あとはお前次第だ。往くも往かぬも、選ぶはお前次第。ただ一つ、言うのであれば」


 一呼吸おき、俺は見る。彼女の瞳を。綺麗な星色の、瞳を。吸い込むように。


「俺はお前と一緒に戦いたい。お前と、アイツと、三人で」


 少し前まではそれでよかった。だが人間とは欲張りなもので、一度三人を夢見たのなら、もうそれ以外は考えられない。もう元には戻れないんだ。


「……なんで」


 ぽろりと、溢れるようにマキが漏らす。


「なんでアンタは、あたしなんかにこだわるのよ。あたしなんて、アンタたちからすればただの初心者もいいとこじゃない。なのに……」

「確かにお前は初心者だ。今年始めたばかりの新人なんて、他にもたくさんいると思う」

「だったら――」

「でもお前は既に、俺の仲間だ」

「――……っ」

「まだ一緒に何かしたことなんて、ほんのわずかしかない。一緒にいた時間も一週間とちょっとしかない。でも、それでも、お前はもう俺の弟子で、俺の同級生で、俺の大切な部の仲間だ。特別に思って、当たり前だろう」


 自分の声が夜空に響く。恥ずかしいことを言っている自覚は当然あるが、それでも言わずにはいられない。

 青春なんて魔王のガラではないが、魔王なら大切な仲間を見捨てるはずもない。


「……なによ、それ。結局依怙贔屓ってこと?」

「そういうことだ。俺が俺のために俺に頼ってくれたやつを贔屓する。魔王なんだ。それくらい悪は働くさ」


 魔王らしくないのかもしれない。昔の俺に比べたら、全然尖ってもいない生半可な人間だ。

 でも、それでも。俺の憧れた魔王なら、きっとコイツを見捨てないから。


「……はぁ。なによ、それ。それのどこが魔王なんだか。結局、魔王を口実にあたしを口説こうとしてるだけじゃない。あーホント、気持ちわる」

「え」


 突然罵倒されてさすがに困惑する。可愛い女の子に気持ち悪いなんて言われたら、さすがに傷ついてしまう。


「ホントに、もう……」


 マキは夜空に顔を向ける。しかし今の彼女は、星空なんて見ていないことはわかっている。


「最後に、俺からも一つ訊かせてくれ」


 だからこそ、俺は本当に訊きたかったことを問いかける。


「お前は本当に、もう部活をやりたくないのか」


 やらなくていい、じゃない。やりたいのなら。


「もしそうなら、俺の手を取れ。お前にはまだ、道はあるんだ」


 星空から目を落とし、マキは伸ばした手を見つめる。


「あたし……あたしは…………」




「あら〜?」


 急に聞こえてきたそののんびりとした声に、二人は急速に春の夜道へと引き戻される。


「セイヤちゃん〜、こんなところで何してるのかしら〜」

「お、お母さん!?」


 ロングスカートにつっかけというラフなスタイルで現れたのは、俺も何度か会ったことのある女性――マキの母親だった。

 マキのお母さんはとても高校生の子供がいるとは思えないほど若々しく……というか、下手をすればマキの妹ですら通りそうなほど童顔で、こんな夜遅くに一人で歩いていると、娘よりも先に補導されてしまいそうな女性だ。

 そんなマキの母親は二人の神妙な空気など気にした様子もなく、いつものふわふわとした調子でマキに絡んでいく。


「何でこんな時間に外出てるのよ!」

「え〜、だって〜、セイヤちゃんがあんまり遅いから心配になって〜。アキハルくんもこんばんわね〜。いつも送り迎えありがと〜」

「いえいえ。マ……セイヤさんといると僕も楽しいんで」

「なっ……」


 言った途端なぜかマキが爪先で小突いてくる。

 よし、楽しく話せたな。


「そう? よかったわ〜。セイヤちゃん、良い子だけど恥ずかしがり屋さんだから、あんまりお友達多くなくって〜。だからアキハルくんたちと部活できるが本当に楽しそうでね〜」

「……」

「今もまだアルバイトばっかりで迷惑かけちゃうかもだけど、仲良くしてもらえないかしら〜」

「……はい、もちろんですよ。こちらから、お願いしたいくらい」


 それからマキは特に話すこともなく、俺は二人を送り届けて家路に着いた。



   *



『お前は本当に、もう部活をやりたくないのか』


 さっき聞いた言葉が、あたしの頭の中で反芻する。


「……そんなの、決まってるじゃない」


 リビングに行くと、お母さんはパソコンに向かい座っていた。

 在宅の事務仕事。お母さんはいつも、夜遅くまでこういった仕事をしている。

 

「……ねぇ、お母さん」

「あらあら〜? 早くお風呂入らないと、朝起きられないわよ〜?」


 お母さんは天然だけど、勘は鋭い。たぶんきっと、気付いているんだと思う。

 それでも、気付いていない風を装ってくれるお母さんに、あたしはちゃんと言わなきゃいけない。


「あたしね、お母さんに謝らなくちゃいけないことがあるの」

「あらあら〜」


 改まるあたしを、お母さんはいつもの調子で話を聞いてくれる。

 だからあたしも、できるだけいつもの調子で話を始める。


「あたしね、やりたいことができたの。一緒に頑張りたいやつらができたの。今まで、何も続いてこなかったあたしだけど、今度は本気で頑張ってみたいの。だから……、だからね、ごめんなさい。お母さんを楽させてあげるって言ったのに、まだ、先になっちゃうかも……しれない……」


 いつもの調子で話し始めたはずなのに、いつの間にか、声が上擦ってしまう。


「でも……でも、あたし……あいつらと……頑張ってみたい……。だからあたしに、チャンスを……ください……」


「もう、セイヤちゃん。お母さんはね、セイヤちゃんのしたいことなら、何でも応援したのよ」


 そんなあたしを、お母さんはそっと抱き寄せる。


「セイヤちゃんはお母さんのためにたーくさん頑張ってくれてるわ〜。でもね、お母さんはもっと、セイヤちゃんに学生らしいこともしてほしいのよ〜」

「お母さん……」

「あの頑張り屋のセイヤちゃんが頑張りたいって言うんなら、わたしが反対する理由はなんだからね」

「うん……」

「せっかくできたお友達、大切にしなさいね」

「うん……。うん、ありがとう、お母さん。あたし、ちょっと行ってくる」

「はーい」


 お母さんは何も聞かず、あたしを笑顔で見送ってくれた。

 月は既に高く、春の夜はまだ少し冷える。

 でも今のあたしは、どこか熱さを感じていて。

 ガラにもなく、走ってしまう。

 走って、アイツの背中に追いつきたかった。


「――ねぇ」

「マキ……」


 そいつは振り返る。

 まるで来ることがわかっていたかのように、切らした息を整えるのを待ってくれている。

 だから、あたしも言わなくちゃ。

 今自分の、やりたいことを――。


「あたしやっぱりアンタたちと――――」


 春の星空が地面を濡らす。

 できることならこのまま、貴方たちのところにまで届きますようにと。






 *****






「やぁ、久しぶりだね、キミヒロ」

「……はぁ。まったく、君は……」


 そびえるような白塗りの壁面は、まるで一国の城壁を思わせる。

 そこは国とさえ称される国内最大級の学園都市『白桜はくおう学園』。その高等部第五運動場の、テラス席。

 階下で行われている試合の様子を荘厳な面持ちで見学していた青年、【白銀の騎士王】アーサーこと朝日奈あさひな王尋きみひろは急に掛けられた軽薄な声に眉をひそめる。


「久しぶりに会ったってのにいきなりため息はないんじゃないかなぁ」


 悪びれる様子など一切なく、むしろ予想してましたと言わんばかりの開き直り具合に、キミヒロは頭痛さえしてくるように感じる。


「何の挨拶もなく旅立った友人が、何の連絡もなく現れたらため息の一つや二つ吐きたくなるものさ」

「そうかなぁ? ぼくなら泣いて飛びつくと思うよ?」

「嗤いながら斬りかかるの間違いだろう」

「はは、言えてる」


 キミヒロは久々に会った友人・宮本みやもとあおいの方を向きもせず、しかしアオの方もそのことを気にもしない。この二人は中学の頃――アキハルと共に『ジュニア三強』と呼ばれていた頃からこのような感じだ。普通の友人というよりは戦友と言う方がしっくりとくる。それが彼と彼女との距離感だった。


「アキハルに会ってきたよ」

「……そうか」

「中学のときとはえらく変わってたけど、相変わらずだったね」

「……そうだな」


 キミヒロは階下の運動場から視線を逸らすことはなく、アオもまたそれに倣い運動場へと視線を向ける。


「今はキミもアキハルも、後進の育成にご執心のようだね」

「……」

「あーあ〜。二人がそんな風だと、ぼくも後輩の一人や二人欲しくなってきちゃうよ〜」

「作ればいいだろう。どうせ、まだどこの学校に編入するかも決めてないだろう。うちに来ればいい。本校と言わずとも、うちの分校の中から好きなのを選べば、お前の成績ならどこも余裕のはずだ」

「あ〜……、確かにそれもありだね〜」


 アオは口ではそう言うが、そんな気はさらさらないことをキミヒロは知っている。嘘をついているわけでも誤魔化しているわけでもない。本当に興味を持っているが、本当に興味がないだけなのだ。面白そうだと思っていても、自分の基準に達していないものには一切なびかない。この女の興味をひくものなど、この世界でもほんの一握りしかないことを、キミヒロはたった数年の付き合いで熟知していた。当然、後輩などにも興味がないことも。


「あ、そういえば、アキハルのとこに面白い娘がいたよ」


 だからこそ、アオがわざわざ言及するほどの相手は、キミヒロにとっても相応の価値のある相手だと言える。


「ほう……」


 だが、今回ばかりはあまり聞く気にはなれない。


「ぼくと同じ刀使いの女の子だったんだけどね! まぁすごいのなんのって!」


 語彙力が乏しい。この女は頭がいいくせに、全ての物事を感覚センスだけに任せているきらいがある。

 だが、誰のことかは理解できていた。


「あの子は多分昇ってくるよ。アキハルはホントいい子を見つけるの上手いよね」


 その意見には同意するが、御愁傷様と言う他ない。アオに目をつけられたのなら、トラウマの一つや二つ負っていても不思議ではない。この女は、そういう女だ。

 他人より自分の面白さを優先する女。天衣無縫、唯我独尊。この言葉がこれほど似合う者もそうはいないだろう。だからこそ、最強の頂に立ち続けているのだから。


「あ。でも、あの子も面白そうだね」


 そんなことを考えていると、不意にアオがちょうど今決着の着いた運動場を指し示す。

 練習試合の行われていた運動場には春先とは思えない異様な熱気が篭っており、そこにはただ一人の選手だけが立っていた。

 行われていた試合内容は『大乱闘バトルロイヤル』。百人が一人になるまで争い合うデスマッチ。今会場になっている勝者は、それをものの数分で制していた。

 奇しくもそれは、サヤやマキと同じく、今年から厨二病を始めた高校一年生であり。

 この白桜学園擁するギルド『円卓の騎士団』期待の新人。

 だが、一つ難があるとするならば、ここのところ試合に異様な感情が込められていること――――。


「…………魔王……」


 何かに対する、異様な怒りの感情が。

 その太陽のような灼熱の騎士からは溢れていた。



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