第2章第四幕『道標』

第14話『曇天に晴れ』


 あれから三日。


「ああああああああああ――――!!!!」


 思った通り、サヤは調子を崩していた。

 練習量は今までの倍は増え、休憩一つろくに取ろうとしない。


「スグリ、次!」


 スグリお手製のサンドバッグ人形『ただのカカシくん』百体との連戦を終えるも、すぐさま次を所望する。


「さ、サヤちゃん……、少し休憩した方が……」

「そうですぞ、サヤ殿。鍛錬ももちろん大切ですが、どんなものでも詰め込み過ぎては体に毒。ここはオトミ殿の言う通り、少し休憩を――」


「そんな暇はないっ! 休んでる時間があるのなら、少しでも鍛錬に費やさないとわたしは……、追いつけない……ッ」


 オトミとヨリアキの言葉にも、サヤは一向に耳を貸そうとしない。それどころか、奥歯を噛み締め、あの日の出来事を思い返しているかのようだ。

 あの日の――圧倒的な敗北を。


「スグリッ!」


 それでもサヤは叫ぶ。まるで何かに駆られているかのように。


「……ごめんねサヤくん。ボクの人形は今ので品切れになってしまったみたいなんだ。それにボクも、キミは少し休んだ方がいいと思うよ」

「っ…………」


 それが嘘なのは俺でもわかる。スグリが今まで俺たちの要求を断ったことは一度もない。ただの一度も。そんなスグリが、嘘を吐いてまでサヤの要求を断っているのだ。スグリもまた、サヤの今の状態を案じているということ。


「……もういい」


 そう言うとサヤは刀を仕舞い、部室の戸に手を掛ける。


「サヤくん、どこへ行くんだい」

「帰る。鍛錬ができないんじゃ、ここにいても仕方ない。少し……、頭を冷やしてくる」


 サヤはそれだけを言うと、スグリの静止も聞かずに出て行ってしまう。



「…………」


 昨日まで楽しかったはずの部の空気は一変、今はどんよりとした空気が今日の天気を倣ったかのように部室内を埋め尽くしていた。


 それと、もう一つ。


「そういえば今日も……、来てないね」


 そうオトミが心配気に呟く。その視線にあるのは、いくつかの机と椅子が並べられた団欒スペース。

 いつの間にか決まっていた、部室内でのそれぞれの定位置。

 いつもは全て埋まっていたはずの机が、今は二つ空席のまま空いている。

 一つは俺の左隣、サヤの席。そしてもう一つもまた、サヤとは反対側の、俺の隣の席。

 その席には今日も、マキの鞄は置かれていなかった。


 あれから三日。サヤが調子を崩したの同様に、マキもまた、あれから一度も部室を訪れていない。


「後輩くん……」


 自然と、部内の視線は俺に集まる。

 二人と一番関わっていた俺に、みんなの目は向けられる。


「大丈夫ですよ、部長。サヤも今は少し調子を崩しているだけで、またすぐに元通りになりますよ」


 気休めだ。崩れた調子が元に戻るかなんてわからない。現実、俺も少し前までは調子を崩して、厨二病から離れていたのだから。

 だからと言って、他の部員たちまで調子を崩す理由はない。


「ほら、よくあるじゃないですか。ゲームで負けが重なると、その日はどんなに頑張っても勝てなくなるやつ。それと同じですよ」

「あー……、それはなんとなくわかるでござる」


 テキトーな理由をつけてると、外からヨリアキが乗ってくる。


「そうそう。そういうときは、もういっそ何もしないに限るんですよ」

「……そういうものかい?」

「そういうものですよ。何もしないでさっさと寝て、次の日になったら自然とまたできるようになってるものなんですから」

「でも、サヤくんはまだ帰ったわけじゃ……」

「要は、時間が解決してくれるってやつですよ。こういうのは考えすぎてもダメなんですから、あえて放っておくのがプロなんですよ。……もちろんそれは、俺たちにも言えることですよ」

「……後輩くん」


 どうやら、意図は伝わったらしい。


「そうだね。サヤくんが調子悪いからといって、ボクたちまでそれにつられてちゃ本末転倒だもんね。ボクたちはボクたちで、ボクたちにできることをしないとね」

「そういうことです。先輩もあんまり考え過ぎないで、サヤとはいつも通り接してやってください。それが、俺たちにできることでもありますから」


 ぎこちないけど、ひとまず笑顔でそう言ってみせる。こういうときはたぶん、その方がいいから。


「うん……、うん、そうだね。解決しないことを悩んでいてもお腹減るだけだもんね。うん、ありがと。それじゃあ今日はちょっと早いけど、このままお開きにしちゃおっか」


 スグリは元気にそう言うと、部員たちに下校を促す。


「ありがとね、後輩くん」


 帰り支度をしていると、スグリが徐にそう呟く。


「後輩くんがいなかったら、きっと他のみんなも調子を崩してた」

「俺は別に……」

「ううん」


 大したことはしていない。そう思いそう言おうとするが、先んじてスグリが否定する。


「そんなことないよ。この部はきっと、キミがいないと成り立たないんだ。みんなが興味を持って集まってくれたけど、きっとそれは、キミがいてくれたからなんだ。キミという魔王がいてくれたから、今も昔も、キミのところに人は集まってくる」

「…………先輩」

「ありがとね、後輩くん」


 スグリは笑って、オトミと共に部室を後にする。

 その笑顔が、俺にはどこか悲しんでいるようにも見えて。それでも俺は何も言わずに背を向ける。

 とりあえず、頼まれたことくらいはしておかなくちゃいけないから。




*****




「やっぱ、ここにいたのか」

「……師匠」


 通学路から少し外れた河川敷、その高架下にサヤはいた。

 ここは以前、厨二病になるかかる前の俺が使っていた秘密基地だとサヤに紹介した場所だ。所詮小学生が作ったものなため、今となっては実践的な訓練には物足りない場所なのだが。俺もサヤも、特に用もないのに何故か足を運んでしまう。そんな場所に今ではなっていた。

 そして今日もおそらく、そうなのだろう。


「…………ごめん、なさい」


 サヤは俺の顔を見るや否や、そう頭を下げる。

 しかし俺は頭を振る。


「……謝る相手、違うだろ」

「……うん。明日ちゃんとスグリに謝る」

「ああ」


 サヤもすぐに理解して、すべきことをちゃんと口にする。

 こいつはどこまで行っても素直な良い子なのだ。努力もできればちゃんと反省もできる。教えたことを飲み込めもするし、敗けて人一倍焦りも感じてしまう。受けた刺激に対して常に全力になってしまう。ただそれだけの、純粋なやつなんだ。


「ねえ師匠」

「ん?」


 サヤの素直さに感心していると、そのサヤが声をかけてくる。


「わたし、強くなれるのかな……」

「当たり前だ」


 即答する。そんなこと、わざわざ答えることすらもおこがましい。サヤを知る人間ならそんなこと百も承知の事実で。この前の敗北はただ時期が悪かっただけの話だ。いずれコイツは、俺やキミヒロ、それにアオすらも超える存在になる。その確信がある。

 だが敗けて多少自信をなくすことも理解できる。だからこそもっと元気づけてやりたいが、どう励ませばいいのか、ただ強くあり続けただけの自分にはわからない。


「……うん。ありがと、師匠」

「…………ああ」


 だからこそ、自分を師と呼ぶこの小さな少女に対し、情けなく思う。


「ねぇ、師匠」

「ん?」


 また呼ばれ、少し暗くなっていたのを勘づかれたのかとも思ったが、どうやら違った。


「師匠はあの時、なんで断ったの?」


 『何を』かは言われなくても理解できた。

 それはアオ襲来からさらに数日前。

 【社長】に言われたとある申し出の件――。




   ***




「貴様に、大トリであるラスボスを務めてもらいたい」


 数日前の部室にて。厨二部一同を前にして、【社長】は俺に告げた。


「俺が……ラスボス?」


 あまりの突拍子のなさに、俺はついおうむ返しに聞き返す。


「ああ。年に二回行われる毎年恒例のビッグイベント。厨二病における上半期の総決算『碧海あおみ大祭たいさい』。例年通り、来月六月の末日近くでの開催が決定した。夏の『ギルド大祭』などのような、勝ち残ったものだけが挑めるイベントとは違い、『碧海大祭』は全ての厨二病にその門戸が開いている。実力の如何は問わん。むしろ厨二病に成り立ての新人にこそ参加が望まれるイベントだ。それこそが『碧海大祭』だ」

「それは知ってます。そんな大きなイベントに、復帰したばかりの俺がラスボスですか?」



 碧海あおみ大祭。厨二病――ひいては『セカンド・イルネス』を行う者なら全てのものが知っている恒例行事だ。『セカンド・イルネス』は月に一回、大なり小なり何かしらのイベントが催されている。以前厨二部が参加した『ギルド大祭』もその一つ。あれは中でももっとも規模のでかいイベントに部類されるが、碧海大祭もそのうちの一つ。なにせ『ギルド大祭』と違い、参加条件が[厨二病ならば誰でも]である。当然盛り上がること必至だ。

 そして当然イベントである以上、盛り上げ役となり運営側の厨二病も存在する。その筆頭として、俺に白羽の矢が立ったということらしい。大層な悪役で、だが。



「ラスボスって言えば聞こえは悪いかもしれないけど、要はそのイベントの顔、裏の主役みたいなものだね」


 スグリが注釈を入れてくれる。悪役、という部分に抵抗があるわけではないのだが。


「そんな大役を、復帰したての俺に務まるとはとても……」

「だからこそだ、【漆黒の魔王神ダークネス】」


 否定する俺の言葉を予見していたかのように、社長は大仰な身振りで話し始める。


「二年前、貴様は見事冬の大一番である『聖魔大祭』を盛り上げてみせた」


 聖魔大祭。碧海大祭が上半期の一大イベントならば、聖魔大祭は下半期の大一番であり、その年を締め括る厨二病の総決算となるビッグイベントだ。

 そして、俺が『魔王』として呼ばれるようになったイベントでもある。


「あれから一年半。忽然と姿を消した貴様が、この夏、満を持して復活を遂げる。ありきたりだがわかりやすい、王道的シナリオだ。人口の増えつつある厨二病界隈をさらに盛り上げる起爆剤になると、そうオレは睨んでいる」


 つらつらと、自分勝手に言ってくれる。

 満を持してなどと、燻っていた先月までを思うと、とてもじゃないが口が裂けても言えない。


「要は、客引きパンダってわけですか?」

「……ふむ。そう邪険にするな【漆黒の魔王神】。魔王である貴様を、名実ともに魔王にしてやろうと言っているのだ」


 大きなお世話だ。


「世間はそれを望んでいる。大戦時に英雄ヒーローが望まれるのと同様に、平時に望まれるは刺激的な敵役……つまり、悪の魔王だ」


 良いように言ったものだ。いや、悪の魔王は悪いのか?


「何より、オレがそれを見てみたい」


 出たよ。結局のとこそれだ。自分が面白そうだから、大枚を叩いてこんな企画を無理矢理にでも実現させようとする。この人の良いところでもあり、悪いところでもある。

 そしてそれで迷惑を被るのは、常に周りの人間だ。

 一年半前の俺がそうであったように。

 だが俺は、この人の言葉に嘘がないことも知っている。


「貴様はもっと高みへと登っていける存在だ。そんな男がこのようなところで燻り続けているのを見ているのは忍びない。そうでなくとも、我々は燃え尽きる星のごとく儚き存在。いつかは消えてなくなる運命にある。であるならば、燃え尽きるその瞬間までせいぜい輝き続けるのが筋というもの。違うとは言わせんぞ、【漆黒の魔王神】」

「それは――――」



 所詮、厨二病は病気だ。思春期の気の迷いから生じた束の間の蜃気楼のようなもの。少し気温が変われば消えてしまうように、厨二病である期間など人間の一生と比べればほんの一瞬に過ぎない。大人になれば、ああそんなことあったなぁ、なんてちょっと思い出す程度の、そんな意味のないものに過ぎない。


 それでも、今という一瞬に輝きたいと思う人間だからこそ、厨二病なんぞやっているわけだ。

 だからこそ、この界隈で「名をあげること」はそれだけで意味がある。いずれ消えてなくなる今を、誰かに覚えていてもらうことに、他ならないのだから。

 そしてそれは――、


「すみません、社長。それでも俺は」


 こいつらでも、いいわけだ。


「こいつらと楽しくやりたいんです。今は、そばで見ていたいやつがいるから」


 エリートばかり集まっていた以前とは違う。今は実力も経歴もチグハグで、まとまりなんてありはしない連中だけど。それでも、新しくできた居場所に違いはない。


「そうか」


 俺の顔を見て、社長は納得したように一言呟くと。


「ならばよかろう! 貴様の意見、このオレが無碍にするわけにもいかん! だが、その選択、せいぜい後悔せぬことだ!! ――とぉ!!」


 奇妙なポーズをとって捲し立て、唐突に背面から割れた窓の外へとダイブする。


「ちょ――!?」


 俺とスグリ以外の面々が慌てて窓へと駆け寄る中、バタバタと激しい回転音を鳴らしてヘリが浮上してくる。


「さらばだ【漆黒の魔王神】ダークネス! そして【叡智秘めたる錬金術師アイテムメイカー】! 貴様らがどこにいようと、オレが常に見ていることを、ゆめゆめ忘れるな!!」


 この人なら本当にやりかねないので本当にやめてほしい。

 俺たちの返事など待たずして、社長はヘリを旋回させてさっさと行ってしまう。

 ヘリが点になって見えなくなるまであの喧しい高笑いが聞こえていたのは、どんな最新技術を用いたのか。


「派手だねぇ、どうも……」


 さすがのスグリも、嵐のように過ぎ去った社長の姿に苦笑いを禁じ得ないらしい。


「師匠……」


 そんな中、サヤが俺を小さく呼ぶ。その表情は、どこか悲しげで。何か申し訳なさそうにしているように見えた。

 ホント、こいつは、顔に似合わず心配性な。


「いいんだよ。もともと、何を言われても受けるつもりはなかった」


 きっと、社長の申し出を受ければ以前の俺に近づけたのだろう。

 でも今は昔の自分なんかよりも、もっと面白いものが近くにあるから。


「それに……」

「なによ」

「まだまだ教えたいことがありますからね」


 貫禄だけが有り余ってる不出来な新人を見て、俺もスグリとともに苦笑する。


「アキハル氏……」

「あ、ごめんお前はない」

「し、しどい……ッ!」


 一同が笑う。

 そうだ。俺が今ここに残る理由なんて知れている。

 昔とは違う。今はここが……、




 ***




「……今はここが、俺の居場所だから、かな」


 【社長】が訪れたときのことを思い返して、俺はサヤに答えを返す。

 それが今の、俺の答えだから。


「……そう」


 だがそれを聞いたサヤの反応は予想していたものとは違って、どこか素っ気ないもの。

 ゲームの選択肢を間違ったときのような焦燥感がわずかに過るが、


「師匠」


 また、サヤは俺を呼ぶ。


「わたしね、いつかちゃんと師匠と戦ってみたい」

「……ああ、知ってる」


 それは、最初に会ったときから言っていたこと。


「それも練習試合なんかじゃない。ちゃんとした大舞台で、正面から師匠と……魔王と戦いたい」

「ああ、知ってる」


 その思いは、自分も同じ。


「そう」

「ああ」


 今度の答えは、満足してくれたようだ。

 それから少しサヤと話をして、日が暮れる前に別れた。

 これなら、サヤの方はある程度問題ないだろう。

 残る問題は――、


「さて、次は……」



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