第10話『入部の理由 〜マキの特訓③』
「はっ……、はっ……、はっ……」
一定の呼吸を意識して、街頭照らす夜道を走る。
夜のランニングは気分がいい。これも厨二病特有なのかもしれないが、よく知る道の誰もいない時間帯というのは、妙にテンションが上がってしまうものだ。
それは何度体験しても悪くはない。日常から少しハズレたという
これが朝方ならなお良しなのだが、生憎、人のいないくらいの早朝に起きれる自信などまったくないため、この時間帯に走るしか選択肢はない。
サヤに言えば何時だろうと起こしに来てくれるだろうが、さすがにそれは躊躇われる。師匠が弟子に起こしてくれと頼むのはなんというか、カッコ悪いからな。妙なところでプライドが先行してしまう。これも厨二病ゆえか。
そんなことを考えながら走っていると、いつもとは少し違う道に入ってしまっていた。
別にここがどこだかわからないわけではないが、こんな夜遅くに新しいランニング経路を開拓している時間はない。さっさと元の道に戻るとするか。
「と――、こんなとこにコンビニあったのか」
通学路でもないからさすがに知らなかった。
ちょうどいい。せっかくだしスポドリでも買って帰るか。
「いらっしゃいませ〜」
時間帯ゆえ、他の客もいないのだろう。少し緩んだ店員の声が店内に響く。
俺はさっさと棚から目当てのスポドリを選び、レジへと持っていく。
「レジ袋どーされますか――っ」
「あ、結構です」
適当に答えて電子決済アプリを起動する。こういうのは軽く出掛けたいときに便利だ。
しかし待っても店員が商品の値段を告げることはない。見ればバーコードスキャナーを持った手が完全に止まっている。
「あれ、どうかしまし――」
疑問に思って顔を上げると、そこにあったのは昨日の夜に続き今日の昼にも見た整った色白の顔。
マキが、よく見るコンビニの制服を着てそこに立っていた。
来たときとは一転、気不味い沈黙をまとって夜道を帰る。
ちらりと横を見れば、やはり綺麗な顔立ちをしたマキが何も言わず歩いている。幸いなのは、マキが特に不満そうではないことだろうか。普段なら悪態の一つや二つついてきそうなものだが、今のマキは夜の空気と同じで静寂そのもの。
マキはどうもコンビニでもアルバイトをしていたらしく、客が俺とわかった途端その動きを完全に止めてしまった。何がそこまで驚いたのかは知らないが、ちょうど店の裏から店長さんが顔を出さなければいつまで静止していたのかわからない。
様子のおかしいマキを見て俺がマキの知り合いだと察したらしい店長さんは、ちょうど退勤時間だからマキを家まで送ってあげてほしいと言ってきた。
無論やぶさかではないが、問題はマキだ。しかし意外にも、俺が店長の申し出を二つ返事でオーケーすると、マキは店長の言葉に素直に従い帰り支度を始めた。
さっきの反応といい、昨日メイド(?)のバイトをしていたときとはあきらかに違う反応だ。
今もそうだ。部活中はマジでうるさいくらい怒鳴ってくるというのに、今はまるでしおらしい女の子のようで。こうして見ると、見れくれは完璧ゆえに美少女に見えてしまう。いや、実際に美少女だとは思うのだが。
「ねぇ」
マキの顔を見ながらあれこれ勝手なことを考えていると、不意にマキが視線を逸らしたまま声を掛けてくる。
「こんな時間に何してたのよ、アンタ」
「あ……えっと、ら、ランニング……して、ました……はい……」
答えは尻すぼみに小さくなっていく。
なぜだろうか。マキと話していると、いけないことをしているわけではないのに怒られている気分になってしまう。
「……………………はぁ」
案の定クソデカため息。
もしこれが会社なら、俺はパワハラやらモラハラやらで訴えてもいいはずだ。そんなことはしないけど。
「ホント、アンタらって妙にストイックね」
運動部みたい。とマキは付け加える。
「た、体力作りはなんにでも基本だから……」
「あぁもう、わかってるわよそんなことくらい」
そんな話が聞きたいわけじゃないとでも言いたげに、マキは語気を少し強める。
が、またすぐに静かにさっきと同じことを口にする。
「ねぇ」
「…………はい」
「なんで、何も訊かないのよ」
何をかは、わかっている。
「……き、訊いてもよろしいので……?」
恐る恐る尋ねてみる。この感じなら、速攻で殴られることはないはずだ。
「気になんないわけ? その……高校生がこんな時間まで働いてる理由」
「気には……なる、けど、誰でも訊かれたくないことの一つや二つあるもんでしょ」
俺が過去のことを――家族や妹のことを訊かれたくないのと同じように。
しかしマキは、少しこちらを見ていたかと思えば、夏に近づいてきた星空を見上げる。
「あたしん家ね、貧乏なの」
「……そう、ですか」
今も昔も、貧乏なことなど珍しくもない。大半の人は大なり小なり、金銭の問題で悩みを抱えているものだ。
だから俺は、その告白に特別なものを感じないようにした。
マキの視線はなおも、上を見上げたまま。
「父親が早くに死んで、お母さんが女で一つで育ててくれたの。いわゆるシングルマザーってやつ。でもやっぱお母さんの稼ぎだけじゃ生活キツくて、せっかく高校生になったんだからってバイト始めたわけ」
今は五月下旬。高校生活が始まってまだ一ヶ月半といったところ。だというのに既に二つのバイトを掛け持ちしているというのはそういうことだったのか。
「ホントは高校も行くかどうか迷ってたの。進学なんてしないで就職した方がお母さんの助けになるんじゃないかって、思ってたし」
それも一つの選択肢なのだろう。家庭を助けるため、金のかかる進学などせずさっさと社会に出て金銭を稼ぐ。
だが、その決断をできる人間はなかなか少ない。少なくとも、俺の周りにはいなかった。
マキは続ける。
「でもそしたらさ、高校だけはちゃんと行きなさい〜って、お母さんに怒られちゃって。あたしの学費のために、お父さんの貯金崩さずにとっといたって言うんだから、ビックリよね」
貯金に頼らず子供一人育て上げる。その大変さを、今の俺には想像もできない。
「それでも少しでも生活助けたくて見つけたのが、あの喫茶店とコンビニ」
マキは他にも三つほどバイトを掛け持ちしていると話す。
「喫茶店の方はお母さんの知り合いの店でね。人気に出てきたタイミングの募集だったから結構時給もよくて飛び付いてったの。コンビニの方は、少しでも深夜手当てが欲しいから人いないときだけでって条件であたしが無理矢理頼んだの。店長、気のいい人だからホントはいけないのに融通利かせてくれてんの」
ホントはダメなんだけどね、とマキ。
「でもそんな風にバイト漬けの毎日送ってたらさー、今度はせっかく高校行ったんだから部活くらい入ってみれば~って、お母さんが」
「それで、この時期に入部か」
さっきも言ったが今は五月下旬。部の入部は四月の勧誘期間に済ませるのがうちの学校の通例だ。マキが一ヶ月遅れのこの時期に入部を決めたのはどうやら、俺たちの試合を目にしたからだけではなかったらしい。
それほど、マキにとって母親の存在は大きいのだろう。
「ほんと、次から次へとうっさいのよね」
ふと、マキが小さく笑う。普段はキツいマキの目尻が、今は柔らかくなっているがわかる。
「お母さんのこと、好きなんだな」
「うん、好き」
俺の何気ない一言に、マキは即答する。
「めっちゃ好き。大好き。優しくて美人でがんばり屋な、あたしの自慢の母親だもん。誰よりも大切にしたいし、誰よりも愛してる」
一切の澱みもなくそう言ってしまえるマキを、俺は純粋にすごいと思った。
そして同時に、羨ましいとも思った。
少なくとも俺は、誰かのことをこんなにも真っ直ぐに「愛してる」なんて口に出して言うことができない。たとえ、本当にそう思っていても。
だからこそ、何の裏表もなくこう言えてしまうマキを羨ましいと思った。
誰かのために努力できることを。できてしまえることを。素直に、尊敬した。
その瞳に映る星空を、綺麗だと思ってしまっていた。
「正直なとこ、あたしはまだアンタらのやってることが何なのかよくわかってないの。でも、それでもアンタらのやってることがカッコいいことだって、そう思ったから。だからアンタらの部活に入った」
「だからさ、部活をすることでお母さんが喜んでくれるなら、あたしはアンタらとの部活動を全力で頑張りたい。それがあたしにできる、数少ない親孝行なんだから」
そこではたとマキは立ち止まり、こちらを向く。
「だからさ、あたしにちゃんと教えてほしいの」
星空を映したその瞳は、真剣そのもので。
「今まで勉強も何でも、本気でやったことなんてなかった。でも、やるからにはちゃんと結果残せるくらいになりたいの。お母さんに自慢できるくらいには」
不良やら不真面目やらと貼られているレッテルと無縁にも見える、ただ何かに真剣でありたいだけの女の子が、そこにはいた。
「ねぇ、
アンタたち。その言葉が心に響く。
ああ。あぁどうやらこの子は、こんな頼りのない自分にも、憧れを持って接してくれているらしい。
あの子と、何ら変わりない感情を。
ならば、応えないわけにはいかない。
こんな自分にも導けるものがあるのなら。
あの子の好敵手としてではなく、一人の厨二病として。
「この前言ったこと、覚えてますか?」
「この前言ったこと?」
「はい。『マキさんに、好きなキャラはいますか?』 たぶん今なら、その答えが聞けるような気がするんで」
「…………」
マキは少しだけ押し黙ると、再び顔を上げて、
「あたしね、黒鉄。ちゃんと、好きなキャラがいるわ」
しっかりとした星色の瞳で、そう答えてくれる。
「はい。それを、聞かせてもらえますか?」
マキを家に送るまでの短い時間。俺はマキの話を聞かせてもらった。
***
「――――――――」
怒号ののち、煙が晴れる。
様子を見守っていた四人のうち、二人は口をぽかんと開き、二人は笑みを浮かべ後方腕組み面を通している。
そんな四者二様な視線が向けられる先の、厨二部部室内練習エリア。
刀を振るったあとの残心ののち、サヤは静かに刀を下ろす。その表情はいつもの無感動なものとは違い、後ろの二人と同じく目を丸くして目の前の光景を見つめていた。
目の前の、晴れた煙の中から出てきた――マキの姿を。
「………………………………できた」
煙から出てきたマキは小さくそう呟いた。普段とは違う、自信と確信の持てない小さな呟き。
だがその呟きを皮切りに、驚きで口を開けていたヨリアキとオトミが走り出す。
「やった、やったよマキちゃん!!」
「やったでござるな、マキ氏!!」
オトミが抱きつき、それに続こうとしたヨリアキがノウルックで殴られる。
「あ、ありがとうオトミ……」
本人はまだ半信半疑、といったところだろうか。
まだ『変身』もできていない。ただ技を発動してみせただけの、未完成なもの。
だがそれでも、昨日までの『かめ◯め波』とは違う――彼女が好きだと言ったキャラ、その技を発動させてみせたのだ。
ちらりと、荷物の置かれた机を見る。
マキのスマホについた二つのストラップ。それはあらゆるおとぎ話を引用した人気スマホゲームのキャラクター。昨晩マキが好きだと語ったキャラクターこそ、そのストラップのキャラクターだった。
なんとなく、察してはいた。
彼女にはちゃんと好きなキャラクターがいることを。
少し疑問だった。マキは『かめは◯波』を「好き」でも、「大好き」とは違うんじゃないかと。
彼女は自分の感情に素直になりにくい。
それは俺たちの年頃にはよくあることだ。
好きなものを素直に「好き」と言うのは大変なこと。
その「好き」を抑えきれず、形を持って外へと溢れてしまうのが厨二病の本質だ。
マキもそうだった。好きをいろいろなもので押さえ込んでしまっていた。
しかし昨晩俺は、マキの素直な一面を知った。マキの「大好き」がいかに素直で、いかに愛情で溢れているのかを。
ならば、あとは簡単だ。
他人に素直になる必要はない。自分に素直になるだけでいい。
自分が何を好きなのか、自覚してくれるだけでいいんだ。
それだけで、あとは蓋を開いたように溢れてくる。
厨二病とは、そういうものだ。
彼女はストラップをつけるくらい、そのゲームのキャラが好きだった。
自分を貧乏だと言う彼女がそんなグッズを買ってまで身につけるキャラが愛していないわけ、ないのだから。
「黒鉄!」
始めて自分自身の『厨二病』を発揮してみせたマキは、見たことのない笑顔でこちらに走ってくる。
そしてあろうことか、俺へと飛びついてきた。
「できたわよ、あたし! 今のちゃんと見てた?」
「み、見てました! 見てましたから!」
「これであたしもアンタらの一員よ! もっとあたしを褒めなさい!」
「すごいですすごいです! マキさんすごいです!」
すごい。ホントすごい。ホントもういろいろと。具体的に言えば胸がめっちゃ押しつけられてくる。これはサヤにも妹にもなかった感覚。ヨリアキではないが、そういう気分になってしまう。
しかしそんな俺の内心に気付きもせず、マキはもっと強く俺を抱きしめる。
「もう他人行儀過ぎよ。あたしの秘密を知ったんだから、いい加減その鬱陶しい敬語を辞めなさいな。それと、さん付けも禁止」
「えぇ……。それはちょっといきなりハードル高過ぎで――」
「ん」
「わ、わかりま……わかったヨ、マキ」
「うん、まぁいいでしょう。まだ苗字呼びなのは気に食わないけど、今はそれでよしとするわ。それじゃああたしも今日からアンタのこと名前でアキハルって呼ぶから」
「え」
「アンタの苗字呼びにくいのよ。もっと呼びやすい苗字にするまでとりあえず名前で呼んであげる。感謝しなさい」
「えぇ……」
「それよりも、まだまだ特訓付き合いなさいよね。あたしはスタートラインで満足する気なんて、さらさらないんだから」
マキの満面の笑みを目の前で見せられて、これはこれでいいような気がした。
しかしすぐ後ろで、小さくも巨大なオーラが俺たちを睨んでいるような気がして、俺はなんとかニヤけた口元を引き締めた。
*****
熱気に歪むアスファルトの上を、一人少女が歩く。
動きやすさを重視したヘソ出しシャツとタイトなジーンズ、そして後ろで一つ括りにした長い髪が活発そうな印象をその少女に与えている。
しかしながら、昭和スターがかけていそうなものゴツいサングラスが、その少女の快活そうなイメージをものの見事にぶち壊していた。
そんな少女の肩には映画で旅人が提げているようなボンサックが一つ掛けられている。
もしこの子の背景に飛び立つ飛行機が見えなければ、この少女が今海外から帰国したばかりなのだということに誰も気が付きはしないだろう。
そんな、少々風変わりな少女は一旦足を止め、口にする。
「おうどん、食べたいな」
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