第9話『掛け持ち 〜マキの特訓②』
ピピピピピ――
部室内に、無機質なタイマー音が鳴り響く。
「あぁ〜〜もう! このタイミングで!!」
その音を聞いて、イラついたようにマキが口にする。
「ごめん、今日はもう帰るわ」
しかしすぐに平静さを取り戻すと、小走りで自分のカバンの方へと駆け寄っていく。取り出したスマホにはちびキャラのストラップが二つついていて、俺も知っている有名ゲームのキャラクターだ。
それを見て俺は「おっ」とオタク心が刺激されるが、マキはそそくさと帰り支度を始めてしまう。
「今日もバイトかい?」
スグリが尋ねる。「今日も」という言葉通り、このやりとりは既に昨日も一昨日も経験している。
「そ。ごめんねスグリ」
「ううん。こんな毎日アルバイトなんて、マキくんはホント頑張り屋さんなんだね。それじゃ、気をつけてね」
スグリが手を振り快くマキを見送りする。
行きかけにオトミにも小さく挨拶すると、マキは部室の戸に手を掛ける。
「それと、アンタ。明日にはもっとちゃんと教えてもらいますからね」
最後にズビっとアキハルへ指を指して出ていってしまう。
出ていくとき一瞬「フンッ」とサヤの方を一瞥することも忘れない。
なんだかんだと言って、案外この部活のことを気に入ってくれているようだ。
だが……。
「それじゃあ、ボクたちも今日は終わろうか」
スグリが読んでいた書物を閉じると、部室に響く声でそう切り出した。
言われて確認すると、マキが帰ってから二時間以上が経過していた。考え事をしながらサヤとの組手に付き合っている間に、もうそんな時間が経っていたらしい。見れば既に陽はすっかり傾き、茜色の日差しを部室へ注ぎ込んでいる。
帰り支度を始める面々。アキハルも帰り支度を始めると、サヤが組手のときとはまた違ったテンションで駆け寄ってくる。
「ねえ、ねえ! 師匠! これ、行こう!」
刀を構えてたときの研がれた雰囲気はどこへやら、普通の女の子の声で見せてきたのは一枚の――、
「ちらし?」
それはリニューアルオープンと銘打って描かれたおしゃれなカフェのチラシ。そこには色とりどりのケーキやらデザートやらが描かれていて、いかにも甘いものが好きな女の子が好みそうなお店だった。
「行きたいのか?」
尋ねるまでもなく、サヤはフンフンッと大きく首肯する。
サヤは普段戦いのこと以外にあまり興味を示さない。しかし例外もあって、その数少ない例外が『甘いもの』だ。サヤは菓子パンからお菓子、甘味類、フルーツにデザートと、甘いものならば何でも目がない。普段流行り物になど惹かれることはないサヤも、たまたま見掛けたこのチラシの煌びやかなラインナップに居ても立ってもいられなかったらしい。
目を輝かせてこちらの返事を待つサヤを見て、餌をまだかまだかと心待つ子犬を想起してしまう。
「仕方ないな」
言いながら満更でもないと思ってしまう自分を驚きつつ、目の輝きを顔一面に広げるサヤについ自分の顔も綻ばせてしまう。
「♪〜〜」
普段にない鼻歌など歌いながら、サヤは上機嫌でアキハルと二人帰り道を歩く。
チラシには店の場所も書いてあり、学校からは少し離れるが二人の帰り道からはそう遠い場所ではなかった。
当然スグリとオトミも誘ったが、オトミの家は門限に厳しいらしく、店の場所も二人の帰り道とは反対方向なため今回は断念せざるを得なかった。
オトミは申し訳なさそうにしていたが、また後日部活メンバーで行くことを約束したので問題はないだろう。
ヨリアキはノリノリでついてこようとしていたが、何故かスグリが引っ張って帰っていった。別に同情はしない。
「楽しそうだな」
やけに上機嫌なサヤを見て、何故かそんなことを聞いてしまう。
「うん。楽しい」
短い返事だが、声色が弾んでいるのがよくわかる。
「あたし今、とても楽しいよ、師匠」
サヤはブロックの上に飛び乗って、後ろ歩きでこちらを振り向く。
「師匠もいて、スグリもいて、オトミがいる。新しい二人も、ヨリアキはへんたいで、あいつはウルサイけど。でも、その全部がたぶん、あたしを強くする気がする。今までのわたしになかったもの。今までのわたしに足りなかったもの。それをくれたのが師匠」
暮れなずむ夕日を背に、サヤがこちらに笑顔を向ける。
「……そっか」
眩しいと思った。眩しくて、尊い。
サヤはそう言ってくれるが、俺がサヤのためにしてやれていることなんて、本のわずかなことしかない。
コイツは一人でも強くなれる。その歩幅が少し大きくなるだけで、俺がいなくともサヤはいずれその高みへとたどり着くはずだ。
それを思うたびに不安になる。
――俺はいつまで、コイツについていけるのだろうか
と。
サヤの成長速度は凄まじい。元々剣術の腕はあったが、常識から逸脱したこの世界で強くなるには常識に縛られた力など取るに足らない。
だがサヤは剣術という名の常識を極めた上で、その常識という名の殻すらも破り捨て、異常とも言える速度で強くなっていっている。
一度高みに手をかけた俺でさえ、追い付けない速度で。
そんなサヤが俺を目標にしている。
目指し慕ってくれるのは嬉しくもあり、同時に今まで感じたことのない焦燥感に襲われる。そう、勉強に追われてた、一月前よりも。
見えぬほどの速度で成長するコイツを、俺は裏切らないでいられるのだろうか。
それが今は、気が気ではならない。
「あ、師匠! あれじゃない!」
日は沈みきる前に、目的のカフェに着くことができた。
広告の通りお洒落な外観の店は、まだ幸い閉店にはなっていないようだ。
逸るサヤを宥めながら、俺は木造の扉へと手を掛ける。
「いらっしゃいませ、珈琲とスイーツのお店『かへ・だるく』でーす」
「え?」
「へ?」
「え?」
出迎えてくれた店員の笑顔を見て、俺とサヤは疑問符が口から漏れる。
その店員の声の顔には確かに覚えがあったが、如何せんその妙な格好と笑顔にはついぞ覚えがなかった。もし覚えのある顔を照らし合わせても、その姿は想像できなかっただろう。
そこにいたのは間違いなく、つい数時間前まで部室で中二病の稽古をつけてたはずの人物――、
「ま、マキさん!?」「でか女?」
新入部員、
マキは黒と白を基調としたエプロンドレス――いわゆるメイド服を着て俺たちの来訪を迎えていた。
「な、なんでアンタたちが……」
あからさまに笑顔を引き攣らせて、マキが言う。
正直こっちのセリフだが、思えばマキはアルバイトを理由に部活を早退しているのだ。ここにいても何らおかしなことではないのだ。うん。
「どうしたんだいマキさん?」
「あっ……、い、いえなんでも〜……」
店長らしき男性がカウンターから声をかけられ、マキは慌てて姿勢を正す。
「そ、それじゃあお客様、お席へ案内しま〜す……」
引き攣った笑顔のマキに連れてこられたのは、店内の端の席。
なるほど。ここならば、カウンターからは見えにくい。
「……なんでアンタたちがここに来てんのよ」
予想通り、額の血管を浮き上がらせたマキはあからさまな怒りを乗せた小声でそう呟く。
「え、えーっとぉ……」
「ケーキ食べに来た」
言い淀む俺とは違い、サヤは要件を端的に話す。
「珍しい服。師匠、わたし知ってる。これ、メイド服って言うんでしょ。こすぷれっていうのでするやつ」
以前厨二病におけるコスプレの重要性を語ったことがあるが、まさかこんな形で知識が身を結ぶとは思わなかった。しかしよもやメイド服の知識まで身につけていたとは。
案の定俺が睨まれる。
「あー、はいはい。似合ってないのはわかってるから、さっさと――」
「? どうして?」
マキの言葉に、サヤはきょとんとする。
「ど、どうしてって何が――」
「お前のそれ、よく似合ってる」
「なっ――」
「お前はがさつだけど、見てくれはいい。そういう服はお前によく似合ってると思う。師匠もそう思うでしょ?」
「なっ、なっ……」
おそらくサヤの言葉が嘘偽りのないものだと理解したのだろう。純粋すぎるサヤの言葉を不意打ち気味に食らったマキは、みるみる顔を真っ赤にしてしまう。
一方俺はというと、マキのメイド服はサヤの言う通り、確かによく似合っている。もともと顔もスタイルもいいマキはこんな印象の強い服を着ても個性が潰されることはない。その上で色白のマキには黒地のメイド服がよく映える。とても似合った衣装だと思う。
……思うのだが、このメイド服は従来のメイド衣装ではなく、いわゆるコスプレ目的のメイド服なわけで。そのスカートの丈は異様に短い。ちょっと激しい動きをすれば下着が見えてしまうのではないかと思えるほどだ。
それゆえマキの白く長く、それでいて肉付きのよい足がこれでもとばかりに目に入る。座って視線の下がった今の状態ならなおさらだ。
ゆえに今の俺は視線の置き場に終始苦労している状態で。ふと気を抜けばマキの足へと視線が吸い寄せられてしまっている。
そんな俺が気の利いた返しなどできるわけもなく、
「あ、ああ」
ドギマギと相槌を打つ以上のことができないでいた。
「ふ、ふんっ。まあいいでしょう。称賛は素直に受け取っておくことにします。それよりも、せっかくこの店に来たのだから、さっさと注文なさいな」
ようやく冷静さを取り戻したマキはメニューを見せてくる。チラシにあったのと同じ、煌びやかなケーキ類が数多く描かれている。
「わ、わっ! 師匠師匠、どれにしようかどれにしようか!」
「落ち着け落ち着け」
今すぐにでも飛び跳ねんばかりの勢いで目を輝かすサヤ。頼むからマジで飛び出すのだけはやめてくれな。
しかしサヤの言う通り、これは悩みものだ。二十種類以上はあろうかというケーキはどれも美味そうで、眺めているだけでも口の中が糖分で満たされてしまいそうだ。
「え、えーっとね〜……、わたしはこれと……これと……」
試合の時並みの真剣さでケーキを選び出すサヤ。何事にも全力の姿勢は素晴らしいが、こういうときにもあの集中力を発揮されると少し怖くなってしまう。
「あ、ケーキたくさん注文したいならこっちのケーキセットがおすすめよ。3種類までなら単品で頼むよりもかなり安く済むし、コーヒーもついてくるわ」
サヤの注文を察したマキがすかさずお得なメニューを紹介してくれる。
「……なによ」
「お前、意外といいやつ」
「いいやつじゃないわよ。店員なんだから当たり前よ」
「そ、それじゃあね〜……」
「じゃあ俺はこれな」
「…………」
サヤは言われた通り気に入ったケーキを三つ注文し、俺もそれに倣って三つサヤとは違うケーキを注文した。
「美味しかった」
結局、ケーキを合計で10個(セットメニュー×3+俺の分1)も平らげたサヤは、満足そうに小さなお腹をさすりながら店を後にする。
「ああ、美味かったな」
いくらなんでも食べ過ぎだと言いたいところだったのだが、あんな美味そうにケーキを口に運ぶコイツの笑顔を見せられては、止められるものも止められなかったのだ。
うう……。コイツが嬉しそうにしていると、どうしても甘やかしてしまう。仮にも師匠と呼ばれている以上、それなりに厳しく当たらなくてはならないのだが。
「まったく、いくらなんでも食べすぎです」
そんな俺の考えが伝わったのか、緩んだ顔を嗜める声が後ろから響く。
振り返ると、制服姿のマキがそこに立っていた。
「よくそれで太らないわねぇ」
「デカ女」
「真城さん。もうバイトはいいんですか?」
「ええ。店長が気遣って早めにあげてくれました。余計なお世話と言いたいところですけど、好意は素直に受け取ります」
マキはそう言うとしれっと俺たちを追い抜いて歩き出す。
「? 何をしてるんです? もう陽も落ちてるんですから、さっさと帰りますよ」
普段と少々雰囲気の違うマキに戸惑いを感じつつも、ズンズン歩いて行くマキに俺もサヤもとりあえずついて帰ることにする。
「お前、なんか変」
脈絡もなく悪口を宣うサヤ。だがマキは声を荒げることなく返す。
「変じゃありません。普段はこっちの方が素です。あたし、こう見えても外面はいい方なんですから」
確かに、その発言には納得せざるを得ない。
実際接客をするマキの様子は至って穏やかなもので、俺たちの来店には多少動揺していたようだが、他の客への対応は完璧そのもの。あのような奇天烈な格好をしていても、風情のあるメイドとしての嗜みが現れていたような気がする。……まぁ、もしここにヨリアキがいたのなら反論の一つや二つあったのかもしれないが。
とにかく、マキの言うように、部活時の姿が普段とは違うだけで、普段のマキはもっと落ち着いた女性なのかもしれない。その派手な見てくれと人を寄せ付けない雰囲気があるだけで。
「何か今、失礼なことを考えました?」
「っ! い、いえ……別に……」
「ふーん……、そうですか」
マキはジト目で怪しむが、すぐに興味が失せたのか視線を外す。
それ以上特に会話のないまま進み、とある分かれ道に差し掛かったときマキは足を止める。
「それでは、あたしはこっちなので」
サッと言ってしまいそうになるマキを、俺は思わず引き止める。
「え、お、おいっ! もう日が暮れてるんだ。家まで送ってくぞ」
そんな俺の発言にマキは少し目を丸くすると、少しだけこちらを見て口を開く。
「別にいいわよ。アンタはその子をちゃんと送ってあげなさいな。いくら強くても、今はただの女の子なんだから」
ひらひらと手を振って歩いていくマキは、すっかり緑色に変わった桜並木を一人歩いていく。
その後ろ姿に俺と、おそらくサヤも少し距離を感じて。
「はぁ……」
マキは一度足を止めるとため息を一度吐いてから、
「それじゃあ、また明日」
そう言って再び歩き出す。
まだ入部したばかりの貴重な新入部員であるマキ。
今後のことを考えてもう少し距離を縮めたいところではあるが、クラスメイトととしてもイマイチ接点がなく、異性ゆえどう話しかければいいのかもよくわからない。
何かこれといったきっかけが掴めればよいのだが。
しかし図らずもその機会は、早々にやってきた。
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