第6話『結局、厨二病ってなんなのさ?』


 次の日から、マキの厨二病特訓が始まった。


「つまりだね。厨二病ってのはもともと、病気を指す言葉じゃなかったんだよ」

「ふむふむ」


 部長スグリによる、座学。


「その始まりは数十年前にやっていたとあるラジオ番組。その番組内で用いられた造語が『中二病』だったんだ。ただ初めはボクたちが使っている意味とは少し違っていて、中学二年生辺りの思春期にありがちな『大人びた言動』や『世間を見下した態度』などを指して使われていたんだ。わかりやすい例で言うと、味もわからない珈琲をわざわざブラックで飲んだりとか、意味もわからないのに経済新聞を読んで政治批判したりとかね」


 厨二病の語源である『中二病』。

 その始まりこそあまり知られてはいないが、新しい言葉が作られる過程というのは、何気ない小さな場所から始まるものなのかもしれない。


「しかしインターネットの普及とともにその意味は少しずつ変化していき、今では『夢みがちな青少年の奇妙な言動』を揶揄する言葉へと移り変わったんだ。同時に、それらを表す言葉も『中二病』から『厨二病』へと変化した。よりこき下ろす意味を込めてね」


 「ここまでで何か質問はないかな?」と、話のひと段落にスグリが問いかける。

 意外にもメモまでとってスグリの授業を受けるマキの姿に、アキハルは心底驚いていた。

 不良というレッテルこそ貼られいるものの、どうもそれはあくまで見た目だけの評価だったようで。当の本人はむしろ真面目でマメな性格らしい。

 その証拠に、マキはスグリの質問に挙手をする。


「はい、部長」

「なにかな、マキくん。ボクのことは親愛を込めてスグリ先生と呼んでくれて構わないよ」

「スグリ、気になることがあるのだけど」

「うーん、マジメだけど反抗的なその態度、キライじゃないぜ☆」


 何やら勝手に納得してウインクまでしてみせるスグリを、マキは気にしない。


「言葉の意味と語源はとりあえず理解しました。恥ずかしいヤツらの恥ずかしい行動ってのはね。だけど、その『厨二病』ってのとあんたたちがやってることが同じとはとても思えないのだけど?」

「ふむ。いい質問だね」


 マキの疑問に、スグリは首を縦に振る。


「その答えは簡単さ。近年、また新たに言葉の意味が更新されたからさ」

「更新?」


 言葉の意味を測りかねて、マキは首を傾げる。


「そう。『中二病』の意味が『厨二病』へと移り変わってから数年、これまでまったく関わりのなかった分野からその声が上がったのさ。その分野とは、医学界。それは何年も前から報告されていたとある奇妙な病。身体への害はほとんどないものの、身体の一部から靄のような発光現象を生むという奇怪極まりない症状を持つその病は、長年名のある名医たちを悩ます奇病の一種だった。しかし十年ほど前、とある精神科医がその病気が特定の年齢にだけ発症するものであり、その患者たちはネットを中心に知られたあるネットスラングと酷似していることに気が付いたんだ」

「それが」

「そう。ボクたちの言うところの『厨二病』さ。医者たちが言う発光現象を、ボクたち厨二病患者は靄としてではなく実態を持って視ることができた。視るどころか、触れることもさえも、ね。病状が進行しているものほどそれは顕著であったため、視認能力のある者を厨二病予備軍として認定することもできた。それによってさらに多くのこともわかった。視認能力のある者はある年齢以上からぱったりといなくなること。厨二病とされる者たちは皆ある一定の『想い』を抱いていること」

「想い?」

「うん。彼ら――厨二病とされる者たちは皆一様に、現実以上の何かに焦がれていたんだ。それは幼い頃に読んだおとぎ話だったり、昨日観たアニメだったり、今流行りの漫画だったり。内容は問われない。皆この現実の世界では決して不可能な超常な何かに憧れを持っていた。それは奇しくも、数年前より定義付けされた言語『厨二病』と内容が酷似していたのさ。だからこそ、これを発見した精神科医は、これら現象を思春期特有の情動がもたらした精神病と位置づけたのさ。実際、思春期を過ぎ、ある一定の落ち着きを取り戻した者から二度と発光現象を確認されなくなった」


 これが、現在の『厨二病』の成り立ちだ。

 厨二病がいかに病気としての言葉へと変わっていったのか。その成り立ち。


「でも、これだけじゃ話は終わりじゃあないのさ。ね? 後輩くん」


 匙を向けられ、アキハルはサヤと行っていた組手の手を一旦止める。


「はい。それだけじゃ、『厨二病』はただの病気のままですから」


 肩でする息を整えながら、問われた言葉を答える。

 そう。厨二病は、ただの憐れまれるだけの病気じゃない。

 アキハルの答えに、スグリは満足げに再び話し始める。


「医者たちによって『厨二病』が精神病だと断定されたのとほぼ同時期に、厨二病患者とされる者たちによってある試みが行われたんだ。それは厨二病による発光現象を用いた対戦――戦いを始めたんだ」


「た、戦い……」


 少し離れたところで聞いていたオトミが震えた声をあげる。


「大丈夫だよ、ボクの乙女。戦いって言っても、何も戦争をしようってわけじゃない。見た目は派手だけど、これは決して人を傷つけるものじゃあない」


 そう。これはあくまで発光現象――光でそう見えているだけの、偽りのものなのだから。


「ボクらの厨二病は発光現象によって実際にそこに在るかのように想像したものが形作られる。炎をイメージしたのなら熱い炎を、剣をイメージしたのなら勇者が持つ剣を、ボクらは形作ることができる。しかしこれらは決して現実には影響を及ぼさない。光に触れても多少暖かい程度で、他には特に何も影響がないのと同じでね」


 これが、厨二病が特に害がないと言われる要因だ。

 だが、多少の例外はある。


「だが厨二病患者、特に具現化にまで至った者にとってはそうではない。ボクらはボクらが創った炎を浴びれば熱いと感じ、ボクらが創った剣で斬られれば痛いと感じる。だが、決して火傷は負わない。斬り傷もできない。現実に影響を及ぼさないからね。多少傷を負ったという精神的負荷は生じるが、これもあくまで多少であり、今まで酷い被害が出た例は一切存在しない。そしてそれがこの話の肝さ」


「それはつまり、いくら漫画のような戦いを繰り広げようとも、決して誰にも迷惑は掛からないというコトっっ!!」


 「ですぞッ!」と大仰な身振り手振りで話に割って入るヨリアキ。それを見て迷惑そうな視線を飛ばすマキを、困ったように笑いながらスグリは話を続ける。

 

「確かにその通りさ。ボクたちの力は誰にも迷惑はかからない。物を破壊する心配も、誰かを傷つけてしまう心配もない。デメリットというデメリットはほとんど存在しない。なぜならこれは、ただの『ごっこ遊び』だからね」

「ご、ごっこ遊び?」


 出てきた言葉に、マキは動揺を隠せない。


「そう。結局ボクたちのできることってのは、スーパーマンのように空を飛ぶことも、蜘蛛のように街を駆け回ることも、機械スーツを纏って悪を倒すことも、そんなこと出来やしないんだ。ただ出来るのは、本当に目の前にあるかのように妄想の中で遊ぶことだけ」


 妄想。それだけを言われれば、ここにいる奴らはみんなただの痛いやつらに成り下がってしまう。実際、厨二病というのは痛いヤツらの集まりなのだから、あながち間違いではないが。


「だけどボクたちが子供のごっこ遊びと違うのは、その妄想が思いのままに、思うままの戦いができるということさ。こんな風にね――ッ」


 突如として、話を聞いていたアキハルにサヤの刃が襲い来る。アキハルは既のところでそれを止めるが、サヤの背には緋色の翼も生えている。本気のようだ。


「師匠! まだ終わりじゃないよ!」

「わかったからちょっと待てって!」


 止まらぬサヤを、授業の邪魔をせぬよう遠くへと引き連れていく。


「ははは。相変わらず元気だねえ後輩くんたちは。まぁつまり、病気というレッテルに反発した一部の厨二病患者によって、厨二病はある種のスポーツとしてのていを成したというわけさ」


 それが『セカンド・イルネス』と呼ばれる、厨二病を用いた新しい文化の成り立ち。

 厨二病をただの病気とせず、一種の個性とした者たちの集いであり、今しかできない何かを求めた結果なのかもしれない。

 何より、自分たちのこう在りたいという願いの詰まったものだと思っている。


「まぁ話が長くなったけどさ。つまり何が言いたいのかと言うと、ボクたちは病気だと呼ばれているけど、決して単純な病床患者なんかじゃなくてだね。ボクたちはこれをある種の天恵だと考えているわけさ。今しかできない何かを、本当はできないはずの何かをするためのものだとね。もちろん最後には消えてなくってしまうものかもしれないけど、それでも今を精一杯楽しむためのものなんだと、ボクは考えているのさ」


 スグリはいつになく優しい視線で、マキを見る。


「だからもし、キミにも何かやりたいことがあるのなら、それを諦めずぶつけてほしいと思うんだ。きっと、ここでしかできないことがあるはずだからね。仮にもキミが『厨二部ここ』を選んでくれたのは、きっとそういうことだと思うから」

「スグリ」


 いつもの巫山戯ふざけた雰囲気は鳴りを潜め、今は珍しい部長モードのスグリ。そんなスグリにマキも少し感傷的になっているようだ。


「まぁそんなことはいいから、終わったならさっさと戦うわよ」


 バッサバッサと緋色の翼をはためかせ、アキハルとの打ち合いを終わらせたサヤが宙より降りて刃を向ける。


「はぁ……。お前はまったく……」

「もぉサヤくん! ボクのせっかくのいい台詞が台無しじゃないか!」


 保護者二人は呆れるが、サヤに気にした様子はない。

 だがまぁ、サヤも案外新入部員であるマキのことを気にしているようで安心した。


「うっさいわね。やり方も何もまだわかんないんだからアンタは隅っこの方で遊んでなさいなちびっ子」


 カッチーン。そんな音が、サヤの方向から聞こえた気がした。


「なに。まさか怖いってこと? なら確かにわたしが悪かった思う。怖いんじゃ、戦えないもの」


 プッチーン。そんな音が、マキの方向から聞こえた気がした。


「アンタこそ何? まさかそれってケンカ売ってんの? ごめんなさ〜い。幼稚すぎてちょっとわからなかったわ」

「別に売ってない。ただ事実を言ってるだけ」

「事実ってんなら初心者狩りしようとしてるアンタの見え透いた根性でしょお? すぐにボコボコにしてやるからちょっと待ってろって言ってんのよチビ」

「初心者狩りじゃない。闘う度胸の話。そのくらいのことがわからないからお前は胸も足もでかいの」

「足は関係ないでしょうが!」

「背も関係ない」


 上から見下ろすように、下から煽るように、両者が至近距離で睨み合う。

 あれ? なんで説明会からケンカになってるの? なんでこうなった?

 

「後輩くん、止めて!」

「え、俺ですか!?」


 秋月さんもヨリアキも俺の方に視線を向けていて、何故か俺が止める流れになっている。

 あ、そう。死にに行けということですか。そうですか。


「お、お〜い……。そろそろその辺で辞めといた方が――」


 と二人の間に割って入ろうとした俺が間違いでした。


「うっさい、アンタ!」

「師匠、黙ってて!!」


 と、止めに入った瞬間ノータイムで拳と刃が俺を襲う。

 あ――、またこのパターンですか。

 もう慣れてしまった理不尽な仕打ちに、アキハルは目を瞑って般若心経を唱え始める。

 しかしいくら待っても、衝撃は訪れない。


『♪〜〜〜〜』


 妙な音楽が耳に入り瞑った目を開くと、マキもサヤも、部室にいる厨二部の面々全員の視線が、そろってある一点へと注がれていた。

 それは窓の外。奇妙な音楽を鳴り響かせながらこちらに近づいてくる、ヘリコプターを見つめて。


「あれは……」


 アキハルには聞き覚えがあった。段々と近づいてくるこのポップな音楽と、窓を閉めていても聞こえてくる男の高笑いに。



「HA――ーーッHAッHAッHAッHAッHAッHAッHAッ!!!!」



 金持ち特有の育ちの良さと高慢さを同時に内包した胸焼けするような笑い声。

 そして十年以上前に流行ったカードアニメのオープニングテーマ曲。

 そんな組み合わせができるのは、世界広しと言えどもこの男しか思い浮かばない。


「なによあれ……」


 不意に、マキがヘリをよく見ようと窓を開く。


「「開けるな」ちゃダメだ!!」


 アキハルとスグリが同時に叫ぶが、時既に遅し。


「とぉ!」


 パリィン――と、開いた窓ではなく開いていない窓を蹴破って何者かが部室内へと侵入してくる。

 ……いや、何者かなどと言わなくとも、既にアキハル――とおそらくスグリ――にはわかりきっていた。

 男の高笑い。金を使ったド派手な登場に、カードアニメのオープニングソング。

 その答えは――


「……お久し振りですね、【社長】」



「飛んできたこのオレ、推参ッッ!!」



 どこに見えているのかわからない爆発エフェクトを背景に、

 【社長】こと、瀬戸内せとうち八城やしろが降臨したのだった。



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