第2章第二幕『己を知らぬは己ばかり』

第5話『鬼ごっこ』


「ルールは簡単だ」


 よく通る声でスグリの声が響く。


「後輩くんが逃げる。二人は後輩くんを捕まえる。捕まえたら二人の勝ち。三分間逃げ切ったら後輩くんの勝ちだ」


 場所は、運動部の掛け声木霊する放課後の屋上。

 空はほどよい晴れ。空気も暖かく、運動日和の午後三時。


「要は、鬼二人、魔王一人の鬼ごっこ、というわけさ」


 ね、簡単だろ? とでも言いたげに、スグリこちらに目配せをしてくる。

 たしかに、わかりやすい。

 相手方も理解したようで、二人は各々のタイミングで首を小さく縦に振る。


 そう、二人。先月入部したばかりだが既にエースとしての実力を持つ最強の新人、陽乃下ひのもとサヤと。昨日の入部したばかりの期待の新人、飛山とびやまヨリアキ。

 両雄並び立つ、と言うには些かチグハグなコンビだが、今は勝利云々は二の次三の次。


 急遽設けられたこの模擬戦は、要は入部希望の新人三号・マキのためのデモンストレーションだ。

 自分たちの活動がどういうものなのか、それをはっきりと見てもらおうというもの。

 であるならば、あまり勝ちに拘らず、見栄え重視の戦法をとるのがベストだと思うのだが。

 そうは問屋が卸しても、コイツだけは許さない。


 手合わせ程度だというのに、その瞳を炎に変えてこちらを見やる一人の少女。

 春だというのに質素な黒の外套を羽織り、刀は抜かず泰然自若という様を保っているのは、相手方筆頭サヤ。見た目静寂そのものという感じだが、その内心は今にも飛び出したくてウズウズしているのが手に取るようにわかる。


 そんな彼女を見て心の中でため息を吐く半面、それなりに嬉しくも思う自分がいる。

 きっとコイツは、手は抜けないんだろうな、と。

 手を抜かないのではない。抜けないのだ。

 コイツは孤高の強さゆえ決して止まることができない。もし一時でも止まってしまえば、自らと他との乖離に一歩も進めなくなってしまう。……俺のように。だからこそ、こいつはこんな練習試合にも満たない戦いでも、決して手を抜かない。――全力で、来る。


「それじゃ、うずうずしている子もいるみたいだし、早速始めちゃおうか」


 静かに睨み合う三人を一瞥して、スグリが手を上げる。


「それじゃあ、試合開始!」


 途端、ヨリアキの隣にいたサヤが消える。

 そして次の瞬間には、アキハルの首元に刃が迫る。


「っ――――!」


 しかし刃は何物をも掠らず、ただ虚空を通り過ぎる。


「そう来ると思ったよ!」


 アキハルは既のところで後方へと飛び退き、来るとわかりきっていた斬撃を躱していた。


「昨日もそうだが、お前のその速攻は読まれやすい。対策するべきだな」

「っ……」


 しかし、それで止まるサヤではない。すぐに足へと体重を乗せ、縮地すら思わせる跳躍で飛び退いたアキハルの元へと押し迫る。

 だが、


「そしてもう一つだ。飛山も言ってたが、お前の攻撃は遠距離性能に欠ける。近づきさえしなければ脅威にはなり得ない」


 言いながら、アキハルはマントを自ら浮遊させ、空へと浮かび上がっていく。

 遠距離攻撃の威力に難のあるサヤでは、制空権を確保した相手への手立てが極端に狭まってしまう。無論サヤにも『焔の翼』という飛行手段があるにはあるのだが、先に宙へと飛び、器用さの高い『嫉妬の黒衣』による攻撃手段を持つアキハルの方が幾分にも優位な状況だ。それに今回、アキハルは何も無理に攻めなくてもいいのだ。アキハルの勝利条件は三分間逃げ切ること。この優位な状況を保っているだけで勝利が訪れるのだ。何も問題はない。


(ま。それじゃあ少し面白みに欠けるが)


 これはあくまでデモンストレーション。マキに厨二病の戦いとはどういうものかを伝えるための場だ。

 その場で逃げの一手を打つのはあまりにも面白みに欠けるというもの。


(はてさて。どうしたものか――)


 下方のサヤを眺めながら頭を悩ませるアキハル――。

 その背後――ただしくは、上空が猛烈に白い光で包まれる。


「っく――――!!」


 途端、怒号と共にアキハルを衝撃が襲う。

 天気は晴れ。雨雲どころか普通の雲すらまばらな春空に、突如して雷鳴が轟き落ちる。それもこんな広大な空を、アキハルというたった一点の目標を目掛け幾本ものいかづちがアキハルを刺し穿たんと押し迫る。

 たまらずアキハルは屋上へと堕ちていく。


「はーーーーっはっはっは!!!! そう来ると思っていたのは吾輩の方も同じですぞ! アキハル氏!」


 堕ちた地面から視線を移せば、そこには天へとその掌を翳す白衣の姿――ヨリアキが立っていた。


「アキハル氏にとって逃げれば勝ちのこのルール。フィールドに制限があるとは言え、それは縦横に限った話。高さまでは指定されていないっ! その穴をついた良い策でしたが、天空はこの吾輩、雷を我が物とする天才【雷鳴らいめいまといし白衣はくい】の支配領域ですぞッッ! 考えが甘すぎるのではありませんかなァ??!!」


 さっきまで静かだったのが嘘のように、雷鳴に負けないうるさい声で口上を捲し立てる。

 しかしながら、言うだけの威力はある。

 サヤは軽く避けていたが、当たれば威力は相当なものだ。『嫉妬の黒衣』のおかげでダメージは通らないが、この場から一切抜け出せない。一本一本が必殺級の威力。重さだけなら先の試合で戦った【白銀の騎士王】の一撃に匹敵するかもしれない。


「さぁさぁさぁ! このまま方を付けさせてもらいましょうかッ!!」

「……少し、舐めてたよ……飛山」

「なんですかッ? 今更命乞いでも始めようと言うのですか?」

「いや……。ただ、知ってるのかなと思ってな」

「……何をですかな?」

「どんな強者でも……、攻撃しているときが……一番の隙になるって――」

「――ッッ?!」


 途端、ヨリアキの足元から影が伸びる。

 否、影ではない。それは地面を突き破って伸ばしたアキハルの黒衣。

 今は地面に伏している上、雷による派手な攻撃ゆえヨリアキは黒衣の侵攻をまったく察知できていなかった。


「なんですとーーーーッッッッ!!!!」


 ヨリアキはそのまま伸びてきた黒衣によって飲み込まれ、丸っとボール上に包まれてしまう。


(――マズイッ……)


 雷が無効化されたのを確認するとアキハルは仰向けの状態から跳ね起き、すぐさま戦闘体勢を――


「さっき師匠が言ってたこと、自分にも有効だよね」


 見計らってたように飛んできた斬撃を、アキハルなんとか弾き返す。


「このタイミングで来るとは思っていたけど、なんでヨリアキが攻めてるときに追撃しなかった?」

「だって、卑怯じゃない。横取りするみたいで」


 横取り……。誰よりも勝ちたいと思っているはずなのに、どこまでも正々堂々というか、律儀というか……。


「その所為で勝つチャンスを失ったのにか」

「失ってない。だって、今から勝つから」

「そうかよ」

「うん」


 刀をこちらに向け、どこか嬉しそうに口角を上げるサヤ。

 粋がっては見たが、所詮は虚勢だ。

 ヨリアキを無効化するのに結構な量の黒衣を使ってしまっている。今サヤの攻撃を防いだのだってギリギリだ。不意打ちではなく本気の一撃を貰えば、防げるかどうか……。


「正直、二対一なのは納得いってないけど」


 なんとなく予想がついてたことを口にしながら。


「それでも、敗けるつもりも当然ないから」


 ヨリアキがうーうー唸る音だけが雑音として場を支配して。

 空気は次の一騎打ちを心待ちにする。


「それじゃ、行くね」

「……ああ」


 打つ手の少ないアキハルも心を決めて、サヤを迎え撃――――。



 ピピピピピピピピピピピピピピピピ――――



「はーい。そこまで〜」


 無機質なキッチンタイマー音が鳴ると同時に、お互い一歩を踏み出していた二人をスグリの声が止める。


「……………………はぁ」


 なんとなく、そうなるんじゃないかと思っていた。

 三分の制限時間を迎え、決着という決着はつかぬまま模擬戦はお開きとなってしまう。

 サヤは不完全燃焼といった具合に虚空を睨みつけているが、戦いにおいてはやはり真摯なため、律儀に刀を納めている。

 気持ちもわかる。いいところで止められるのは何にしても気分のいいものではない。アニメでも盛り上がり最高潮のところでまた次週!などされた日には一週間苦しむハメになるからよくわかる。だがそれもまた一つの楽しみと思い今は堪えてほしいものだ。


 さて――、サヤはひとまずいいとして。今日の本題は新入部員希望のマキだ。彼女の反応はいかほどなものか。あの子は目つきが少々悪い(オブラート)から視線を合わせるのが怖いんだよなぁ。ほら、こちらをめっちゃ睨んでる。腕を組みイライラとした様子で指を叩いてる。頬なんてあんなに赤らめて――赤らめて?

 

「――ちょっと!」


 とこちらの視線に気付いたのかマキがすごい形相でこちらへズカズカと歩いてくる。


「ねえ、アンタ!」


 そしてそのままの勢いで胸ぐらを掴まれる。

 ――ヒッ、殴られる!?


「う、わっ、ご、ごめんなさ――」

「アレ、あたしにもできるんでしょうねえ!?」


 殴られると思い咄嗟に目を硬く瞑ったアキハルに、意外な言葉が届く。

 恐る恐る開けたアキハルの目に映ったのは、相変わらず顔を赤らめ白い歯を剥き出しにしてこちらを睨む、不良にしておくにはもったいない端正な顔。端正だからこそ、怖いと思えてしまう顔。


「え、えっと――」

「刀出したり、空飛んだり、わけわかんないものいっぱい出したり!」

「拙者! 拙者の雷もありましたぞ!!」


 後ろで黒衣から解放されたばかりのヨリアキが重たい体をぴょんぴょん跳ねさせ自己主張するが、「うるさいっ!」とマキが一言一蹴する。


「あたしにも、アンタらと同じように漫画みたいなことができるようになるんでしょうね!」

 

 はたと、アキハルは気付く。

 マキのその顔の赤さは怒りというよりも、むしろ興奮といった色合いにアキハルは感じる。

 そう思うと、さっきまで美人すぎて怖かった顔もどこか可愛く思えて。

 まるでその姿は、厨二病になったばかりの自分と被って見えてくる。


「ど・お・な・の・よ!」


 歯切れの悪いアキハルを、マキはゆさゆさと揺らす。


「で、できる……できます……っ」


 その勢いに押されて、アキハルは苦し紛れに首肯する。

 しかし嘘は言っていない。マキにはその才能がある。専用の機器を使わずに能力を視認できているのがその証拠。それも誰が何をしたのかはっきりとわかるくらいには、鮮明に。


「そお。ならいいわ」


 アキハルの答えに満足したのか、マキはアキハルの胸ぐらをさっさと解放する。だが、


「師匠!」


 今度はサヤがアキハルの腰へと飛びついてくる。


「わたしはまだ満足してない。さっきの続き、やろう」


 とサヤが流れをぶった斬るように、自分の主張をぶつけてくる。


「いや、それは……」


 少し、驚いていた。さっきサヤは試合が終わり刀を納めていた。それは不完全燃焼ながらも試合の決着が付けられなかったことを納得したものなのだと思っていた。サヤは戦いにおいて潔い。自身の中で不満が残っていたとしても、結果は結果として受けとめることができる――年不相応とも取れる――度量が備わっている。

 そんなサヤが「さっきの続き」などと口にするとは。

 それにアキハルもまた、サヤと同じく不完全燃焼なのだ。今は経験者ゆえいろいろと教える立場にあるが、本来なら一日中戦い続けたいほどにアキハルも戦闘大好き人間なのだ。

 がしかし。


「スマン、サヤ。今はさすがに、新人の真城さんの方を優先にしたいから――」

「っ――」


 その瞬間――おそらく他の誰も気付かないが――、サヤの瞳が僅かに丸くなる。


「師匠、わたし――」


「そうよ、そこのちっさいの」


 サヤが何か言いかけた言葉を、マキが割って遮る。


「今はあたしの番なの。あんたはさっきまで十分楽しんでたでしょ。順番くらいきっちり守りなさいな」


 キリリと、腰に巻きつくサヤの腕に力が入る。


「うるさい。アナタこそ後から入ってきてでかい顔しないで。無駄にでかいのはその胸と足だけにして」

「な――っ」


 サヤの口から飛び出した暴言に、言われたマキのみならずその場の一同全員が凍りつく。


「わかっておりませんなサヤ氏。おっぱいと太ももが大きいのはステータスですぞ?」


 ただ一人を除いては。

 しかしそんなどうでもいい感想など、どうやらこの二人には聴こえていないらしい。


「あんたこそ、その薄っぺらい胸で張り付いても何のアピールにもなりゃしないのよ。わかったならさっさと離れなさいぃ〜〜」

「い〜〜や〜〜だぁ〜〜〜〜〜〜〜〜……」


 サヤの頭を持ってアキハルから引き剥がそうとするマキ。

 何としてでも離れまいと巻きつく腕をさらにキツく締め上げるサヤ。

 そしてその間に挟まれ、体から悲鳴を上げ始めているアキハル。

 意外な番外乱闘を外から「う、うらやましいですぞアキハル氏!!」と、ならお前が体を引き千切られろとでも言いたくなるようなことを喚くヨリアキ。

 そんな様子を見て涙目になりながらおろおろとするオトミ(かわいい)。

 しかしスグリだけは何故か顎に手を当てて、いかにも何かを考えているポーズで三人の様子を観察している。


「う〜〜ん……。ひょっとしてマキくんて後輩くんのこと好きなのかい?」


「は?」「は?」


 は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜?

 この状況を見て何を言っとりますかこの眼鏡先輩は??

 今まさに体引き千切られそうになっとりますんやが??


「いや、だってさぁ、サヤくんはわかるとしても、マキくんも相当後輩くんに執着しているように見えてね。ひょっとしたらマキくん、先日のボクらの試合見てたんじゃないかなぁ?」


 え、あ、そうなの? あ、今声出して尋ねたいところですけど、生憎あいにく息をするので精一杯なのです。はい。


「このタイミングでの入部ってことはそうなんじゃないかなぁって。ヨリアキくんも見てたんだろ、ボクらの試合」

「あぁ、見ていましたとも部長殿! 貴女方三者の勇姿はしっかとこのつぶらな瞳に焼き付けましたとも! 天の雷にすら耐えうる我が心臓すらも、あの戦いには痺れるものを感じずにはいられませんでしたとも!!」

「ほら。てことはだ。後輩くんのあの戦いっぷりに憧れて入部って来ててもおかしくないってわけだ」


 いや、その理屈はおかしい。

 そんな強引な理屈で通るのはアニメの中のツンデレ美少女だけだ。確かにマキは美少女だが、ツンを通り越してツンドラしかない女の子をツンデレと呼ぶには過去の偉大なツンデレキャラたちに失礼である。

 その証拠に見てみろ。そんなありもしないことを言われて真っ赤にする、マキの顔を。


「べ……、べべべべべべべべべべべべべべべべ別にそんなことあるわけないじゃない…………ッッ」


「「「「え」」」」


 空気が凍る。

 その、いかにも乙女チックなマキの反応に。

 まるで真実を言い当てられたアニメのキャラのような、そんな露骨な反応に。

 え???? じゃあなにか? さっきまで厨二病への期待に興奮していたと思っていた顔の紅潮は、恥ずかしくて俺の顔が見れなかっただけだっただけで?? さっき胸ぐら掴んできたのも全部ただの照れ隠しだった????

 そんな馬鹿な……。


「マキ……さん?」


 アキハルはいつの間にか緩んでいた二人の拘束から抜け、マキへと声をかける。

 そんなわけがない。マキはただ、厨二病に興味があっただけの不良なのだ。そんなご都合展開には騙されない。これはきっと、非モテ男子特有の「女の子にちょっと話しかけれただけで好かれてると勘違いしちゃう」例のアレな現象なのだ。騙されんぞ。

 なぁ、そうだろマキ?


「う……うるっさい!! こっち見んな!!」


 可愛らしい、女の子の照れ隠し。

 そんな風に見えたのも束の間、アキハル視界は急速に暗転する。

 あとから知ったことだが、このとき俺は照れ隠しをするマキにフリッカージャブをキメられ、見事顎を貫かれた俺は反応する間もなく一発KOと相成っていた。

 あまりにも速すぎるジャブ、俺でなくとも見逃しちゃうね☆

 やっぱりこわい。不良こわい。


「ふむ……。今の時代に暴力ヒロインはむしろ新しいやもしれないでござるなぁ……」


 わけのわからぬ意識の中、ヨリアキの間の抜けた台詞だけが頭に響いていた。



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