第4話『期待』
壁ドン。それは男女の違いに関わりなく、一度は経験してみたいトキメキのシチュエーションの一つなのだろう。
だがまさか、
壁ダァン。
自分がこれをされるなんて、思ってもいなかった。
「あんたらアレ、何やってんの?」
暑さ増してくこの時期に、吐息さえかかりそうな男女の距離。しかし決して恋愛漫画のようなシチュエーションなどではなく、一方は下から睨め付けるような三白眼で。一方は競泳1500メーターのごとく目を左右に泳がせて。
「え、えっと、その……、俺、今あんま持ってなくて……」
「? 何の話よ」
「こ、これで勘弁してくださいっ」
そっと、野口英世の肖像が描かれた銀行券を三枚差し出す。
「い、いらないわよこんなの! そうじゃなくて――」
無言のジャンプ。
「こ、これで……っ」
転げ落ちた小銭数枚を拾い差し出す。
「だからいらないって言ってるじゃない! そうじゃなくてあんたらあそこで――」
ス――
無言で上履きから取り出されたお札は、
_人人人人_
> 一万円 <
 ̄Y^Y^Y^Y ̄
「だからいらないって! ていうかなんでそんなに用意周到にお金隠してんのよ! 海外旅行? 今から治安の悪い地域にでも海外旅行にでも行くの!?」
「ち、治安は今最悪に悪い気が……」
「あ゛?」
「ひっ」
無言で財布を差し出す。
「だ・か・ら、いらないって言ってるでしょ! そうじゃなくて……あーもう聞け、ちゃんとあたしの眼ぇ見て!」
ダァン! と、再び壁に手をつき逃げられぬよう追い詰められる。
見惚れるような長いまつ毛と真っ赤なリップ、そして不良に詰められているという恐怖とのギャップに頭が混乱する。
「あたしは、あんたらの部活に興味があんの!」
「え」
そして出た言葉の意外さに一瞬理解が追いつかず、一拍置いてからやっとその単語を飲み込む。
「部活……?」
*****
「と、ということで、見学に来た
「一年に組の
あの後すぐ。半ば強制的に部室へと案内させられたアキハルは、申し訳なさと傷つけられた自らの尊厳に両手を顔で覆いながら、腕を組み不遜な態度で佇む不良クラスメイトを部活メンバーへと紹介していた。
そんな異様な光景に、メンバー一同は三者三様に仕草で固まっていた。
「これはビックリ。まさか後輩くんが女の子を連れ込んでくるとは……。わかってはいたけど、キミも意外と隅に置けないね☆」
「言い方。……一応、ただのクラスメイトですよ」
当然のように茶化すスグリ。
「え、えっと、
「なに??」
「ひぅ……」
意外にも友好的な態度を示したオトミだったが、やはりそこは不良。他を寄せ付けぬ圧倒的二文字で、愛くるしい大きな小動物にして部の癒しオトミすら跳ね除けてしまう。
「アキハル氏……」
「あ、アキハル氏?」
そしてさらに意外だったのは昨日入部したばかりの新人ヨリアキ。
昨日のやかましい態度から一変、感情を反射した眼鏡の奥に潜ませ静かにアキハルの名を呟く。
オトミにセクハラしていたからてっきり今回もセクハラるものかと思っていたのだが。
「ど、どうしたんだよ急に――」
「見損ないましたぞアキハル氏! 貴公は吾輩と同類……陰の者だと思っておりましたのに、なんですかなその雌は!」
前言撤回。昨日と同じセクハラデブ野郎だった。
「貴公も三次元に
阿鼻叫喚だった。
というか
神にでも祈るかのように手足を地につけ叫ぶヨリアキを呆れた目で見ていると、不意に服をがっつりが引っ張られる。
「ねえ」
「え、な、なんですか」
「自己紹介とかどうでもいいんだけど、それよりあ、アレ……、見せてほしいんだけど」
なんだろうか。さっきまで不遜な態度でふんぞり立っていたマキが、今は視線を逸らしながら少々控えめに聞いてくる。服が伸びるくらいひっぱられてはいるが。
「あれ、ですか?」
何のことだろうか。俺がわからないでいると。
「ほっほう〜〜?? アレとは何か、ちゃぁんと名前を言ってもらわないとぉ、吾輩、何のことかさぁっぱりわかりませんなぁ????」
マキさんの態度を見て何故か急に態度を一変させるヨリアキ。お前は何がしたいんだ何が。
「で、アレって?」
「だ、だからその……、この前の試合とかでしてたでしょ。ほ、炎、出したりとか」
あ。
「ああ」
理解して俺は手から黒い炎を出してみる。
「ええ、すっご! すごい! これどうなってるの! 触っても熱くないのかしら」
途端マキは出した炎に顔を近づけ、おっかなびっくり目を輝かせる。
「自分の耐性とか強度にもよるけど、俺自身でも調整できるから、今はそんなに熱くないと思うよ」
「ふーん?」
「なんなら触ってみる?」
「え! いいの? てかいけるの?!」
俺と炎を交互に見て確かめてくる。なんだろうか。尻尾を振って餌を待つ犬のように見えてきた。
「いけるいける」
「じゃ、じゃあ遠慮して……」
そう言うとマキは恐る恐る指先を炎に触れる。
「わ、わぁ。ほんとに熱くない……。というより、暖かい……。すごい、こんなことできるんだ」
さっきまでの態度が嘘だったかのようにマキはキラキラと目を輝かせ、つんつんと感触を確かめるように炎に触れては離れを繰り返している。
「これが、アンタたちのやってることなのね。これってもしかして、あたしも――」
とそこで、突然何かが飛びついてくる。
「おっと……サヤ?」
腰に飛びついてきたのは、さっきから一切絡まずにいたサヤ。
サヤは腰に抱きついてくると、いつもより硬い表情でこちらを見上げる。
「師匠、まだ今日のウォーミングアップやってない」
「あ。ああ、そうだったな。でも、今は見学が――」
「早く」
「お、おい、ちょっと――」
説明するよりも先に、サヤは特設の練習場へとアキハルを引っ張っていってしまう。
「おやおやおやおや~~~~?」
その様子を眺めていたスグリが、にまにまと口元を波立たせている。妙な勘ぐりをしているのは明白だ。
「ふむふむ……。これはどうやら、ジェラシーの香りだねぇ」
「じぇ、じぇらしー……。や、やっぱりそうなのかな? サヤちゃんてそうなのかな?」
「部に新しくやってきたツンデレ美少女に、今まで相棒ポジにいた自分の立ち位置が危ぶまれていることにいち早く察したようだねぇ。女の勘なのか戦闘民族の勘なのかは定かじゃないが……。どちらにせよ、サヤくんにとって、恋のライバル登場ということに違いはないッ!」
探していたのは恋のライバルではなく、中二病のライバルなのだが。
「おぉ……」
あちらこちらで様々な思いが錯綜する中、波紋をもたらした渦中の少女はというと。今や日課と化した、サヤとアキハルのウォーミングアップ代わりの近接戦闘を眺め、感嘆に声を漏らしていた。
不良と言われて納得の風貌とはうらはらに、二人の動きを見つめる瞳は真っ直ぐに輝いていて。今この場にいる誰よりも純粋に中二病を楽しんでいた。
「なんか、彼女を見ているとボクらが汚れているような錯覚を覚えてしまうよ」
そこはボクらじゃなくてボクで、汚れているのはその通りなんで反省してください。そうサヤと刃を交えながら思うのであった。
「ふ、ふん……。少しはやるようね」
オトミから受け取ったタオルで汗を拭っていると、上から目線(物理)なマキが話しかけてくる。
「お、おう。まぁな」
この手の輩はどう相手をすればいいのかわからなくて困る。
「そ、それで、その……、アンタに一つ聞きたいんだけど!」
「お、おう」
腕を組んで凄まれて、一体何を言われるというのだろうか。
「あ、あたしも……あんたたちみたいに……、あんな風に、できるのかしら……」
最後の方は消え入りそうになりながら、目を反らしてそんなことを呟く。
「…………」
一同が静まり返る。
「え、え?! な、なに、なによ、あたし何か変なこと言った……?!」
己を注目する十の瞳に困惑し、おろおろと辺りを見回すその姿はとてもさっきまでアキハルにカツアゲ()をしていた少女とは思えない。
「は、はははははははは」
「ええ、いきなりなに?!」
「いや、悪い。さっきまでの印象とだいぶ違うもんだからなぁ、ついな」
「そ、それはお互い様よ! さっきまであんなにビクビクしてたのに。間違って別人に話し掛けたんじゃないかと思っちゃったじゃない!」
「間違って?」
首を捻る。どういう意味だろうか。それではまるで、以前にどこかで見たことがあるような言い方ではないか。
「あーなるほど。キミも先の試合を見てここに来たクチかぁ」
「ああ、そういう」
納得がいった。あの試合以降やたら睨まれていたのはそういうわけか。結局大会には敗退したわけだが、良い宣伝材料にはなっていたわけか。
「やはりそうでしたか! マキ女史も、我輩と同じくあの鮮烈なる闘いに心打たれ、この約束された地へ足を踏み入れた同志! ならばこそ、我輩たちは手と手を取り合い、この熱き想いを共に享受せねば――」
「ふんッッーー!!」
学ランを脱ぎ捨て、体を飛び跳ねさせながら近づいてくるヨリアキに、マキは腹に拳を一発叩き込む。ぬぼぉ……、という声を上げて、ヨリアキは空気が抜けた人形のように地面へと崩れていく。
「何なのよもう!」
至って普通に怒りを露にするマキ。その姿に、アキハルはさっき満月から聞いた噂が尾ひれの一切ないものだと実感する。ヨリアキに同情の余地は全くないが。
「それで、話の続きなんだけど――」
「あ、はい。何でも聞いてくださいませ、はい」
「なんでアンタ急に敬語なのよ」
「さっきからずっとこうでしたますよ? 可笑しなマキさんだなぁ」
アキハルは笑って恐怖を誤魔化す。
やはり不良。不良は全てを解決する。暴力で。マキには逆らわないでおこう。そう心の中で誓うアキハルだった。
「それで本題なんだけど、あたしにも、アンタたちみたいにできる?」
それは、傍若無人な彼女には似つかわしくない、少し躊躇い気味な問い。恐る恐る、半信半疑、そんな不安な感情が彼女の言葉の端々から見てとれる。
その気持ちは自分にもわかる。きっと、この場にいる全員がそれを思ったことがあるはずだ。『本当に、自分にも戦えるのだろうか』ここにいる彼らみたいに、あそこで戦うみんなのように、自分にあんなことが本当に可能なのか。不安、そして期待。子供の頃、一度は憧れ、しかしそんなことできっこないと諦め、しかし捨てきれずに、この年までその思いを焦がし続けた。自分にも、きっと何かできるはずだと。
だから、アキハルははっきりと目を見て伝える。
「ああ、もちろん」
当然できると。誰でも、君と同じなんだと。
恥ずかしさを、照れ臭さを押し殺してここまで来てくれた彼女に、自分たちも仲間だと伝えたかった。
「漫画、アニメ、映画、特撮もの。何でもいい。何かに憧れを感じた、その想いがあるのなら、それが入り口だ。ボクたち、中二病のね!」
「いつもと違っていいこと言いますね、先輩」
「ぶ〜。いつもと違って、は余計だよ後輩くん~。ボクはいつでも、万能な名言製造器なんだぜ☆」
「そうですぞマキ氏! ここに集まりしは、同じ志を持って集った言わば同志! この場にいる時点で、吾らはすでに戦場を共にする仲間と言っても過言ではないでしょう」
「お前はまだビミョーなとこだけどな」
「なななな、連れないですぞアキハル氏! 既に同じ釜の飯を食べ、同じ布団を共にした仲ではありませんか!」
「え、キミたちってもうそこまで進んでたのかい……?」
「しとらんわ! 話しすらあんままともにしてないってのに何口からでまかせを……。先輩も、嘘だって気付いててからかうの止めてもらっていいですか!」
がやがやとスグリとヨリアキが騒ぎ、その様子をサヤとオトミが微笑ましそうに眺めている。
中二部の新しい輪が出来つつあった。
その小さな輪を、近くの場所から一歩引く彼女に、
「さぁ、マキくん」
部長が、手を伸ばす。
「少々騒がしいかもだけど、きっとキミも気に入ってくれるはずさ。なんせここは、想いを溢れた同志たちが集まる場所なんだから」
差し出された手と共に、一同の視線がマキへと注ぐ。押し付けはいけない。過度な期待も必要ない。ヨリアキが言ったように、ここが想いの集う場所ならば、無理強いは決してよくはない。ただ自分たちは、彼女の想いの行く先を望み、その可能性に手を差しのべるだけなのだから。
「…………」
不安か、期待か。その両方からか。マキの手は小さく震えている。しかし、確かにその手をゆっくりと伸ばされ――、
スグリの手へと、小さく触れる。
「よ、よろしくおねがぃしま……」
視線を反らして声も消え入りそうになりながら、しかしマキは確かにスグリの手をとった。
「ああ。よろしくね、マキくん! そしてようこそ、中二部へ!」
こうして2日続けて新たな部員を獲得した中二部は、心機一転、この六人によって再始動することとなった。
見えずにいた幸先に、僅な光明が差した。そんな気がした。
「そういえば一つ、聞きたいことがあったんだけど」
「? どうした?」
「中二病って、なに?」
「「「「「へ?」」」」」
そんな気がしたが、やっぱり、気のせいだったかもしれない。
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