第20話『過去と理由』


 灰色の雨が窓を叩く、立夏の放課後。

 昨日の昼から降り始めた雨は丸一日経っても止むことを知らず、未だどんよりとした空気を雲の下に閉じ込めていた。


「……そうかい」


 そんな陽の光差さぬ部室棟の廊下で、スグリとアキハルが神妙な面持ちで話をしていた。


「すみません、部長」


 申し訳なさげというよりも、どこか疲れたような面持ちでアキハルは頭を下げる。

 そんな様子のアキハルを見ても、いつもの柔和な口元を崩さずスグリは尋ねる。


「もう一度聞くけど、本当にいいのかい? これを受け取ってしまって」


 念を押すスグリが手に持っているのは、さきほどアキハルから手渡されたばかりの一枚の書類。その一番上には『退部届』の三文字が書かれていた。


「はい。もともと、厨二病は中学のときに卒業したんです。それを高校ここで再開したのはただの気まぐれで。部長に誘われてなければ、たぶん今はもう厨二病には関わっていなかったと思います」


 淡々と、いつもと変わらぬ調子で話すアキハル。まるで、そう言うと最初から決めていたかのように。


「きっかけはどうあれ、こんなすぐに辞めてしまって、部長には申し訳ないですけど……」

「ボクはいいさ。キミを誘ったのも、部の存続っていう自分本位な理由なんだから。ボクのことなんかよりも、サヤくんのことはいいのかい?」


 スグリにとって、一番の気がかりはそこだ。サヤを最も近くで見ていたアキハルが、サヤを全く気にしていないなんてことはありえない。

 だがアキハルは、スグリが想定していた動揺の色など毛ほども見せず、答える。


「はい。アイツはもう、一人でも大丈夫です。俺なんかがいなくても」


 そんなことはない。当然スグリはそう返そうとしたが、言ったアキハルは別に自らを卑下したわけでも、自重したわけでもないと気付く。

 諦め。何を言っても、何をしてももう変わらない。そういう諦めの色が、アキハルの言葉にはあった。

 だからスグリは、その先の言葉を見失う。


「それでは部長。短い間でしたが、お世話になりました」


 そう言って一礼すると、アキハルは背を向けて行ってしまう。

 スグリが何を言っても拒絶されてしまうのだと、そう悟らせる背中で。


「……だ、そうだよ。サヤくん」


 ガラリと引き戸を開いて、サヤがすぐそこの空き部室から姿を現す。


「…………」

「追い掛けなくていいのかい?」

「……今は、いい」


 そう答えるサヤだが、踏み出た足は部室とは違う方を向いている。


「行くのかい?」

「うん。行く」

「そうかい。場所は教えた通りさ。それで何が変わるのかはわからないけど」

「ううん、大丈夫。あとはこっちで、なんとかしてみる」

「そうかい……。ごめんね。本当なら、部長のボクがなんとかするところなんだけど」

「ううん、いい。スグリは部長らしく、部室で待ってて」


 その言葉を聞いてスグリは少しポカンと口を開いていたが、すぐに口元をいつも通りに戻す。


「本当にキミは、ボクの予想よりも早く成長してしまうんだね。……すまないね。こんな、頼りない部長で」


 珍しく自責の念などを漏らすスグリに、サヤは首を振る。


「ううん、違う。スグリは、頼りなくなんかない。悪いのは師匠。だからわたしが、目を覚まさなきゃいけない」

「ふふ……、そうかい。後輩くんも、大変な弟子を持ってしまったものだね」

「ううん。それは違うよ、スグリ」

「うん?」

「師匠はわたしの師匠だけど、あたしは師匠の弟子じゃない。師匠は魔王。だからあたしは、魔王を倒す者」


 それだけを言うとサヤは長い黒髪を揺らして、校舎の階段を一人降りていく。




   ***




 改装されたばかりらしい駅舎を抜けて、サヤは外に出る。

 さっきまで降っていた雨は少し前に降り止み、今は雲間から覗く陽光が虹色のアーチを街にかけていた。


 しかしサヤはそんな自然の神秘に目もくれず、入っていったのは駅から徒歩数分の大きな建物。

 初めて来た場所ではあるが、スグリのおかげで迷うことなく進む。そして、幾度か階段を上った末、一枚の扉の前へと辿り着く。

 その扉には『同好会』とだけ書かれた名札が傾いて付けられていた。


「……」


 その扉を、何の躊躇もなしにサヤは開く。




「燦々と降り積もる真夏の雪華、魔法少女キュアトーカ!!」




 ラジカセ音源という時代錯誤にもほどがあるBGMを後ろに受けて、見覚えのある少女が見たことのない笑顔で絶賛変身しているところだった。



「ッ~~~~~~~~~~~~~~~~……」


 声にならない声というものを生まれて初めて聞いて、サヤはとりあえず扉を閉める。


「大丈夫。続けて」


 促すように手を添えて、サヤはとりあえず手近なパイプ椅子へと腰掛ける。

 しかしとても大丈夫には見えない朱に染まった顔で、


「の……――っ」

「の?」


「ノックくらいしてくださーーーーーーーーーーーーーーーーいッッ!!!!」


 魔法少女キュアトーカ――もとい、アキハルの妹・黒鉄くろがね燈華とうかは、突如現れた小さな来客に叫んでいた。




「取り乱しました。すみません」

「大丈夫。気にしない」

「…………」


 サヤの言い方にそこはかとない理不尽さを感じつつ、しかし話がこじれても困るのでトウカはとりあえずこの件に関しては泣く泣く目を瞑ろうと決意する。


「まぁ、そもそもちゃんと施錠していないこちらにも問題はあったわけですから、この事に関してはこれ以上は何も言いません。それよりも、あなたは一体どちら様でしょうか。その制服……、高天原たかまがはら学園の制服ですよね? ということは、兄の……」


 サヤの制服を見たトウカは学校をズバリと言い当てると、当然のようにその関係を考える。


「そう。わたしはサヤ。いずれ魔王を倒す者」

「あ、はい」


 なんとも言えない自己紹介。しかし自分も今はこんな格好なのだからあまり深くツッコめない。


「それで、魔法少女は――」

「トウカ、燈華です。黒鉄燈華」

「……トウカは、ここで何をしているの?」


 そう言って今度は、サヤがトウカの服装をマジマジと見る。

 その格好は、有り体に言って普通ではなかった。

 ひらひらとしたフリルがふんだんにあしらわれた、ドレスのようにも見える奇妙な服。しかし色合いはドレスのようにお淑やかというよりも派手そのもので。とても学生の制服のようには見えなかった。


「えっと、それは……」


 あからさまに目を逸らす。


「外の扉には同好会と書いてあった。何かの部活であることは明白。できれば正直に答えてほしい」


 チラリと、トウカはサヤを見る。真っ直ぐな瞳。そこには何の疑いも邪な想いもない。あるのは炎のような強い意志だけ。何かはわからないが、それだけは初対面のトウカにも感じられた。


「こ、コスプレ……」


 その純粋過ぎる瞳に、トウカは負けてしまう。


「こすぷれ?」

「コスプレ! ここのメンバーに協力してもらって、コスプレ衣装作ってるんです!」


 もはや逆ギレにも近い勢いでトウカはサヤにそう告白する。


「コスプレ……。聞いたことがある。以前スグリが話してた。漫画やアニメのキャラクターになりきって楽しむことだって……。つまりそれは、漫画かアニメのキャラクターのマネをしているということ?」


 トウカの着ている服を指差して、サヤは大変納得したように手を叩く。

 コスプレをしているはずだったのにいつの間に羞恥プレイに変わったのだろうか。


「わ、私のことはもういいでしょう! それよりもサヤさんの方です。サヤさんはどうしてわざわざうちの学校に? 高天原学園ということは、兄と関係があるんですよね?」


 話題を変えたトウカに、サヤは気にした様子もなく答える。


「そう。わたしも師匠と同じく『厨二部』に所属している」

「厨二部……。それは確か、兄が所属しているという……」


 そう言うとトウカの表情は、嫌なことを思い出したように徐々に曇っていく。

 かと思えば、急に表情はなくなり、ひどく冷たい視線をサヤへと投げかける。


「話はわかりました。つまり、兄へ言ったことを取り下げろということですね。……しかし残念ですが、それはできない相談です」


 一瞬間を置いたトウカは、続けてきっぱりとそう口にした。


「厨二病だかなんだかは知りませんが、兄があのようなふしだらなものに関わっていることは決していいことではありません。成績が落ちたのも、交友関係が大きく乱れたのも、全てあの病気が原因じゃありませんか。だというのにそんなものに関わり続けているから一向に治る気配が見られないんです。高校受験の時は心を入れ替えたと思ったのですが、目を離せばすぐこれです。悪いですが、あなたもそちらの関係者だというのであれば、これ以上兄には関わらないでください。兄は立派な人間なんです。勉強もスポーツもとても優秀で、誰からも尊敬される人間でした。もちろん私も兄を尊敬する人間の一人でした。しかし今の病気にかかってから兄は次第に堕落していき、今では見る影もありません。ですから妹の私がなんとかしなければいけないんです。高校一年である今ならまだ間に合います。良からぬ縁は全て絶ち、真っ当に生きればいずれその病気も治ることでしょう。そうすれば、以前ような立派な兄に戻れるはずなんです。だからどうか、兄とは関わらないでください」


 つらつらと、先日の時のように一息に捲し立てる。どう聞いても個人の理想を押しつけているようにしか思えないが、その真っ直ぐな瞳と最後の台詞は確かに真摯そのものだった。少なくとも、サヤにはそう聞こえていた。


「トウカは、厨二病が嫌いなんだね」


 それはサヤの素直な感想だった。


「はい、嫌いです。大っ嫌い。兄をあんなにした病気なんですから当然じゃないですか」

「でも、トウカも厨二病でしょ?」

「っ…………」


 その一言に、トウカは総毛立つ。


「わ……、私のどこが厨二病だと言うんですか!」


 立ち上がり語気を強めるトウカ。しかしサヤは至って平静に返す。


「スグリが言っていた。厨二病の人間は、コスプレをして戦うことが多いって。師匠もそう。戦うとき、変な服着て戦ってる」

「あ、あなたがそれを言いますか……」


 女子高生とは思えない大きな黒の外套を着たサヤを見て、トウカは呆れたようにちょこんと座る。


「それで、わたしが厨二病だと、何か不都合でもあるんですか?」


 ため息交じりでのその一言に、サヤは首を振る。


「ううん。むしろ逆。トウカが厨二病なら、師匠を受け入れることができるはずだから」

「っ…………」


 確信を突くその言葉に、トウカは思わず唇を噛む。


「師匠はトウカの兄。兄妹なら、どんなことがあっても最後にはわかりあえるはず。師匠もきっと、それを望んでいる」

「あ……、あなたに、何がわかるんですかっ!」

「わかる。だってトウカは、師匠のことが好きでしょう?」


 再び、息を呑まされる。

 何故この少女は、こうも自分の確信にド直球で触れてくるのか。とても、度しがたい。


「そりゃあ、そうですよ……」


 トウカは観念するように俯くと、ぽつりと言葉を吐露し始める。


「世界でたった一人の兄さんなんです。嫌いなわけ、ないじゃないですか」

「じゃあどうして、あんなに邪険にするの。師匠はずっと、トウカのことで悩んでる」

「じゃ、邪険になんて……。私はただ、兄さんに元に戻って欲しくて……。昔のように何でもできて、かっこよかった兄さんに……」

「師匠は今でも頑張ってる。前に、妹のために勉強を頑張ったと言っていた」


 自転車の荷台に乗った夜のことを思い出す。あの時アキハルの顔は見えなかったが、どんな顔をしていたのかは容易に想像がつく。きっと、この前と同じ顔をしていたことだろう。


「……そう、なんですね」

「確かに師匠は厨二病。わたしにはまだ厨二病が何なのかまだよくわからないけど、それでも厨二病が悪いものなんて思えないし、厨二病になってよかったと思ってる」

「どうして、ですか……?」

「師匠や、スグリやオトミに出逢えた。あたしの知らなかった強い世界に出逢えた。それだけで、わたしには十分価値のあるもの。価値のある世界」

「…………」


 ここ数日間を思い出す。とても楽しかった。とても楽しい毎日だった。

 強者のいる世界は今までも見てきたけど、ここはそことはまた違う。強さに終わりがなく、また強さだけでは終わらない何かが存在している。


 そういうものは本来嫌っていたはずだが、今はそういう複雑さも純粋さも、受け入れられている気がする。

 だからサヤは、今の部室が好きだった。スグリと、オトミと、そしてアキハルのいる今の部が。


「師匠は今、トウカのために厨二病から距離を置いている。でもそれは、きっと師匠にとって辛いことのはず。部のためとか、わたしが嫌だからとかそんなことはどうでもいい。ただわたしは、師匠に辛い顔をしてほしくない」

「辛い、ですか……。兄さんが……」

「ただ、それだけ」


 そう言うとサヤは席を立つ。


「それじゃあ、わたしはもう行く。師匠のこと、よろしくね」

「あ……」


 ガチャリと扉を開けるサヤにトウカは何かを言いかけるが、何も言えないまま口を閉ざす。


「あ、それと。言い忘れてたけど」


 するとサヤは閉まりかけていた扉を手で押さえ、再びトウカの方を向く。



「師匠は、今もちゃんとカッコいいよ」



 それだけを言い残し、扉は静かに閉まる。





    *





「……これはまた。こういう言い方は好きじゃないけど、運命とでも言うべきなんだろうね」


 そう言うとタブレットを乱雑に放り出し、スグリは窓の外へと視線を移す。

 さっきは晴れたと思った空だが、再び暗雲が視界に立ちこめ、今にも降り出さんばかりに唸りを上げる。

 他に部員のいない部室には明かりが点いておらず、タブレットの液晶だけが薄暗い部屋を照らしていた。




 ――セカンド・イルネス『ギルド対抗戦』第三回戦における貴ギルドの対戦相手が決定いたしましたので、これをお知らせいたします。

 対戦相手『円卓の騎士団』――




 タブレットに書かれていたそのギルドの名前は、奇しくも、アキハルが中学時代共に活躍していた盟友【白銀の騎士王】アーサー——現在最強と評される騎士率いるギルドの名前だった。



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