第19話『告白』
連休明けの放課後。
ガラリと、扉が開く。
「やあ、サヤくん。おつかれ」
まず声を掛けてきたのは部長のスグリ。
「おつかれスグリ」
サヤも簡単に挨拶を返すが、その視線は部室内をくまなく泳ぐ。
それを察して、スグリが答える。
「後輩くんだね。見ての通り、まだ、来てないよ」
「……そう」
「学校には、来ているはずなんだけどね」
まだ来ていない。スグリはそう言うが、サヤにはその言い方がなぜか、いずれ来るというより、今日はもう来ないという言い方に聞こえてならなかった。
そう思った瞬間、サヤは踵を返す。
「あれ? サヤちゃん?」
すれ違いにやってきたオトミが不思議そうにサヤに呼びかける。
「ごめん。今日は、部活休むね」
キョトンとしているオトミに対し、スグリはサヤを真っ直ぐ見つめる。
「心当たりはあるのかい?」
「うん。たぶん、あそこ」
「そうかい。……なら、キミに任せるよ。後輩くんをよろしくね」
「うん」
スグリは困ったように見送り、サヤは学校の外へと駆けていく。
目指す場所は、わかっている。
*****
「兄さん……?」
一昨日。駅を出た一同に掛けられたのは、見知らぬ声。
その声に一番反応を示したのは、この中で唯一「兄」という単語が当てはまる人物、アキハルだった。
「と、……トウカ……」
トウカ。聞き覚えのない名前だが、それが以前にアキハルの話していた妹の名前で、そして目の前の少女の名であることはこの場の誰もが容易に想像できた。
その当の少女は、声を震わす兄とは裏腹に、実に自然体でアキハルへと話しかける。
「兄さん。どうしてこんなところに? 今日学校は休みのはずでは?」
祝日の夕方に制服姿で駅にいれば当然の質問かもしれないが、どこか引っかかる質問だ。
「お、お前こそ、なんでこんなところにいるんだよ……」
「ここは私の通う学校の最寄り駅なんです。言ってませんでしたっけ?」
確かに、彼女が着ている制服はこの近くにある有名校のセーラ服だ。落ち着いた雰囲気の彼女によく似合っている。
しかしそんなことよりも気になるのは、話しかけられてからというもの、アキハルの態度が目に見えておかしいということだ。
とても、街中で偶然家族と出会った、などというありふれた雰囲気には見えない。
「それよりも兄さんはなぜここに? それにそちらの方たちは……」
チラリとこちらに視線が向かう。
男一人に女三人。端から見れば、女三人を侍らしているように見えるのだろうか?
「やぁ、初めまして。アキハルくんの妹さん……で、いいのかな?」
一向に答えられずにいるアキハルに、スグリが助け船とばかりに口を挟む。
「は、はい」
「そうかい。わたしは
「どうもご丁寧に……。私はトウカ……
丁寧な口調に綺麗なお辞儀をしてスグリに応対する、アキハルの妹トウカ。
その仕草は実に優等生然としたものを感じる。
「ふむ。実にできた妹さんだね。これは兄としても鼻が高いだろう」
「あ……、はい。そうですね……」
気を使ってアキハルに水を向けるスグリだが、当のアキハルのどうにも歯切れが悪い。
「あのぅ……。それで、皆さんは何の部活動をしていらっしゃるので……?」
「おや? アキハルくんから聞いていないのかい?」
妹トウカの素朴な質問に、スグリは笑顔で口を開く。
その変化にスグリは気付いていないが、すぐ側にいるサヤは見逃さない。
アキハルが声を掛けられた時と同じように、ビクリと、大きく震えたことに。
「私たちは『厨二部』。厨二病をこよなく愛する、『セカンド・イルネス』を中心に活動している部活動さ」
スグリがそう答えた途端、その場の雰囲気が大きく変わったことに、誰もが気が付いた。
特に、目の前に立つ可憐な少女の空気が、ガラリと。
「何ですか、それ」
その冷たい言葉が目の前の少女から発された言葉だと気が付くのに、数秒が掛かってしまった。
しかし間違いではないと気付かされる。目元を伏せた今の彼女を見れば。
「ち、違うんだトウカ。これにはわけが――」
「何も……違わないじゃないですか!!」
今度は打って変わって張り上げられた声に、周りの人間もこちらを振り返る。
「と、トウカ、落ち着――」
「落ち着けるわけないじゃないですか! あんなに……やめてって言ったのに……。あんな恥ずかしいこと、二度としないって言ったじゃないですかっ! だからお母さんもお父さんも兄さんを信じて家を出て行くことを許したんじゃないですか。それなのに性懲りもなく約束破ってまたそんなのを始めて……。恥ずかしくないんですかっ!!」
屋外だということも憚らず、トウカは怒りのままに捲し立てる。
その剣幕に、アキハルも誰も、スグリですら何も言えなくなってしまう。
「……もう、いいです。ご迷惑をお掛けしました、皆さん。どうか、私と兄さんのことはお気になさらないでください。……それでは」
一通り捲し立てて落ち着いたのか、トウカは挨拶もそこそこにして行ってしまう。
その表情は、目元を伏せていてわからない。
ただ、それを見ていたアキハルの表情だけは、背中からでもよくわかる。
冷や汗にまみれた真っ白な首筋を見ていれば、サヤには、アキハルがどんな表情をしているのかよくわかっていた。
*****
「やっぱり、ここにいた」
春の曇天が広がる午後の河川敷。
学校を出たサヤが目指したのは、アキハルの自宅ではなかった。
草原の生い茂る地面を踏んで、サヤは目的地である橋の下へとやってきていた。
秘密の特訓場。サヤが秘密基地と呼んだ、アキハルが小学校の頃より使っている訓練場所だ。
その障害物を想定して埋められたタイヤの上に、アキハルは一人座っていた。
「……お前か」
サヤの姿を認めると、アキハルは小さくそう呟く。
その姿は、この前まで試合で猛威を振るっていた『魔王』とはとても思えない。
「どうして昨日、試合に来なかったの」
直球かつ、シンプルな質問。
実のところ、サヤは今朝からずっとアキハルのことを探していた。それこそ入学直後のように、朝の通学路も、授業後の休み時間も、お昼休みも。ずっとアキハルのことを追っていた。しかしアキハルは捕まらなかった。入部以前も逃げられてはいたが、姿さえ見えないなんてことはこれまで一度もなかった。
つまるとこ、アキハルが本気を出せばサヤを撒く程度のこと、簡単に出来ていたということだ。
そして今回、以前はしなかったはずのそれを実行している。それはつまり、本気で部活メンバーに――サヤに見つかりたくなかったということに他ならない。
それを理解してなお、サヤは問う。
何故、そこまでするのか。
「別に……いいだろ。お前らだけでも十分に勝てる。そう思ったから、その……サボったんだよ……」
確かに、それは事実だ。実際、アキハルが欠席した昨日の『総力戦』も、サヤたちは難なく突破できた。
もはや今のサヤは少し厨二病を囓った程度のやつに相手は務まらない。
それは誰の目から見ても明らかな事実だった。
「うそ」
だけどサヤは、
「それはうそ」
一言で否定する。
「嘘じゃねえよ」
「うそ。自分が試合に出なくていいから見にも来ないなんて、師匠はそんな人間じゃない。師匠はそんなに厨二病に無関心には、なれない」
「っ…………」
図星を突かれて、アキハルは二の句を継げず閉口する。
「お前に、何がわかんだよ……」
辛うじて出てきたのは、そんな苦し紛れともとれる呟き。
「わかるよ」
しかしそれも、サヤは即答する。
「わかる。師匠もあたしと同じ、戦うことが好きな人間だから」
「…………」
「ねえ、師匠。なんで、昨日試合にこなかったの? この前まではあんなに楽しみにしてたのに」
さっきと同じ質問。だけどそこには、不器用なサヤなりに部を、そしてアキハルを心配しての言葉が含まれていた。
そんな想いの込められた言葉に、アキハルはようやく口を開く。
「……前にも言っただろ、妹のこと」
それは厨二部入部の前日、アキハルとサヤが公園で初の戦闘をした直前の話。
それを思い出して、サヤは頷く。
「うん。言ってた」
「その妹がアイツだ。見てわかっただろ? アイツは厨二病を心底嫌ってる。俺が目の前でおかしくなっていく様を見ていたから、厨二病が本当にヤバい病気だと思ってるんだ」
「でも、厨二病は――」
「ああ。ヤバいもんなんかじゃない。精神病なんて大層なこと言われるけど、何か体に害があるわけじゃない。当然感染ったりもしない。ただ少し、普通の人とは違ってしまうってだけの話だ」
「それを、説明は」
「した。したさ。何度も何度も。それでも、アイツは受け入れてはくれなかった……」
そもそも厨二病は病気なんて呼べるものじゃない。精神病と呼ばれてはいるが、決して悪いものではない。誰にでもなりうる、ごくありふれたもののはずだ。
「それでも、俺がこれで成績を落としたのは事実で。妹はそれが痛くショックだったんだ。そりゃそうだろ。昔憧れてた兄が、病気で人生を狂わせた。そしてそれを治すどころか、自ら進んで深みに嵌まっていってんだから」
そう言われれば、そうなのかもしれない。しかしそれはどんな物事にも言えることだ。どんな良いものにも負の側面はあるし、悪いものにも正しい使い方は存在する。
アキハルはそれで成績が下がったのかもしれないが、アキハル自身はそれを受け入れ、勉強とは違う道を進みつつあった。そして頂点の一端も担ったのだ。
それは立派に誇れることだし、憧れを抱かれるべきことのはずだ。
サヤがそうであるように。
「でもそれは、師匠の妹には関係のないこと。師匠は師匠の道がある。家族がなんと言おうと、師匠は師匠の――」
「関係ないわけないだろ!」
「っ!」
「妹なんだぞ。関係がないわけ……、ない……」
その剣幕に、今度はサヤが押し黙る。
「俺は不出来で、どうしようもない兄かもしれないが、それでも妹は裏切れない。だからあれだけのめり込んでた厨二病も、進学を機に卒業したんだ」
そうだ。アキハルは一度厨二病を捨てた。厨二病を捨てて、今の学校へと進学している。己を変えるため。己が変わるために。
それを引き留めたのは――。
「あたし……」
ぼそりと口から出たその呟きは、背中越しに降ってきた雨に掻き消える。
「もういいだろ。お前らに付き合ってたのは一時の気の迷いで、部長にそそのかされただけの気まぐれだ。俺がいなくても、もうお前らは立派にやっていける。だからもう俺には――」
「――まだ」
立ち上がり去ろうとするアキハルに、サヤは咄嗟に口を開く。
「まだ……、わたしは、師匠に勝ってない。だから出て行くなら、あたしを倒してからに……して」
言いながら、自分でもおかしなことを言っていると思う。
それでも今、アキハルには行ってほしくなかった。
そんなサヤを見て、アキハルはため息混じりに立ち上がる。
「……前に、誓約の話はしたよな」
「誓、約……?」
『誓約』。能力に条件を課すことで強力な力を得るという、以前にアキハルが話していた厨二病の能力における概念の一つ。
「それが……なに?」
「俺が持つ全ての能力は、ある一つの『誓約』によって力を増幅している。なんだかわかるか?」
サヤは答えない。その答えには、何かとても嫌な予感がしたから。
「俺がかけた誓約、それは【全力を賭した戦いに敗北した場合、俺は厨二病を失う】だ」
「っ!!」
意味を理解できない。いや、アキハルの言っている意味は理解できる。だが、頭がその理解を拒否する。
なぜならそれはつまり、アキハルとの全力勝負でサヤが勝利した場合、アキハルは二度と……。
「……そういえば、なんで俺がお前の特訓に付き合ったのか、言ってなかったよな」
「え」
急に変わった話の流れに、サヤは狼狽する。
先週の試合前よりも動揺を見せるサヤに、アキハルは冷たい視線のまま近付く。
「お前が、俺を倒す可能性を持っていたからだ。お前なら『魔王』としての俺を殺し、俺を厨二病から永久に解放できる。その可能性があったから素人のお前に付き合ってやっていた。ただ、それだけだ」
今までにないアキハルの姿に、サヤは開いたままの口から言葉が出ない。
ただ、今のアキハルが――『魔王』じゃないアキハルが恐ろしくて、サヤはただの少女のように縮こまる。
「でももう、その必要ももうなくなった」
アキハルはそう呟くとサヤに背を向け、どこかへと歩き出す。
「……し、師――」
「くんな」
「っ…………」
「もう来んな。俺のとこには。もう俺には、関わらないでくれ……」
降り往く雨も気にせず、アキハルはそのまま何処かへと行ってしまう。
その見たことのない背中を見つめて、でも追い掛けることもできなくて。
ただサヤは春の雨に消えていくアキハルの背中を、見送ることしかできなかった。
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