第四幕『後悔』

第18話『日常』


 出場制限、というものがある。


『こちら、スグリ。調子はどうだい、サヤくん?』


 例外を除き、一人の選手は一つの試合までしか出場できないという、ギルド対抗戦においてのルールだ。


『問題ない』


 つまり、例外である『総力戦』の三試合目を除き、一人の選手は一つの試合までしか出ることができないという、一人の選手だけで勝ち進むことがないよう配慮された上で設けられたルールである。


『おいおいサヤくん。そこは「こちらサヤ」とちゃんと乗ってくれないと。オーバー』


 いくら一人だけが無双を誇る強さを持とうとも、団体戦である以上チームで勝たなければならない。


『ん、……こちらサヤ。目標値点に着いた』


 そのような至極当たり前の制限なのだが。


『上出来だ。もちろん、タイミングもね』


 一回戦全五試合中、三試合先取で勝利。というギルド対抗戦においての勝利条件において、全部員四人、厨二病ではないオトミを除けば計三人という厨二部の現状を考えれば、かなり大きな足枷となってくる。

 つまり三人しか戦えない厨二部は総力戦を含めた計四試合しか最大で参加することができないということ。

 だからこそ、厨二部にとって新入部員加入は急務なのだが。


『じゃあ、始めようか!』


 付け慣れない無線機の奥で、声の主である我が部の部長が笑った気がした。

 既に慣れた焔の翼で滞空しながら、相手を見つめる。

 試合形式は『ゲリラ戦』。既に一試合先取しているこちらに不利な複数人参加型の試合形式だ。

 一試合目で楽々勝利したアキハルは参加することができず、注目を集めるのは一回戦目で猛威を振るったサヤ。新人ながら他ギルドからの警戒度は既に高く、この試合では執拗なまでのマークが行われていた。

 その上試合会場は『廃ビル』。狭く見通しの悪い空間ではサヤの翼を思う存分発揮することができず、その上どこにいるかもわからない『ターゲット』を捕縛ないし撃退しなければならない。試合開始からまもなく十分というところだが、すでに劣勢に立たされていると言っていいだろう。


『では、ポチっとな』


 どう対処すればよいかわからぬ状況で、無線の向こうからコミカルなスイッチ音が聞こえた。

 作戦開始の合図である。

 サヤは言われたとおり、囮として飛び回っていた階を急速に脱し、窓を突き破って外に出る。

 それと同時に上の階からスグリが飛び出し、ビルが揺れる。


「な、なんだ……!?」


 飛び出した二人を追い掛けていた相手チームが異変にうろたえる。

 次の瞬間一階が派手に爆発し、廃ビルが崩れていく。


「ははっ」


 崩れていくビルと共に階下へと落ちていく相手ギルドの面々を眺めつつ、翼を持たないスグリがふわりと落下する。


「おっと。あちちちち……。ありがと、サヤくん」


 焔で編まれた腕をサヤが出現させ、その手のひらでスグリを掴まえる。

 後には跡形もなくなった廃ビルと、それを空から見下ろす二人の少女の姿だけが残っていた。



 第二回戦第二試合、勝利。



 ***



「「「「かんぱ~~~~い!!!!」」」」



 夕空の下で、四つの少年少女の声が揃って木霊する。


「と言っても、ただのジュースなんだけどね」


 誰に説明しているのか、スグリは自嘲気味にそう言うが、その顔は実に楽しそうだ。

 コンビニ前でささやかな祝杯。あまり褒められた行為ではないのかもしれないが、少し間くらい勝利に酔いしれてもバチは当たらないだろう。


「それじゃあ改めて、第二試合お疲れ様だ。そして何より五連勝おめでとう! ボクも部長として鼻が高いよ」


 デンと胸を張るスグリのご満悦そうな笑みは、本当に鼻が伸びているんじゃないかと思わせる。


「何言ってんですか。戦ったのも勝ったのも部長とコイツでしょう」


 そう言ってコンビニで買ったクリームどら焼きをリスの如くほむほむ食べるサヤを、アキハルは見る。

 事実、アキハルは第一試合を一人で完封、勝利したため、第二試合にはほぼほぼ関わっていない。もちろん支援協力なりはしたが、今日の試合におけるアキハルの貢献はほとんどないと言える。


 無論今日出場した二人はそうは思っていないし、出場どころか戦闘要員ですらないオトミの協力も感謝している。そもそも裏方のほとんどはオトミが管理しており、今日の昼食もオトミが作ってきた弁当だ。それも重箱の。アキハルも料理はできないでもないが、オトミにはとても適わないし、他二名の女子二人に料理スキルは期待できない。そんなわけで、『厨二部』の補給事情はオトミが一手に引き受けていると言っても過言ではない。

 だからこそ、スグリは否定する。


「それはそうかもしれないが、キミたちがいなかったらボクらは満足に戦うことすらできないんだ。当然感謝しているぜ?」

「スグリちゃん……」


 戯けてウインクをするスグリに、オトミは何故か涙ぐむ。


「お? 惚れ直したかい? ボクの乙女よ」

「もぉ~~。オトミだよぉ~」


 毎度の掛け合いに、一同は顔を綻ばせる。


 第一回戦を勝利で飾った『厨二部』の面々はその勢いのまま、第二回戦も第一試合第二試合と勝利し、明日行われる第三試合も勝てば第二回戦突破。晴れて第三回戦へと駒を進めることができるのだ。

 そしてこれまでの成績を鑑みるに、明日の第三試合『総力戦』の勝利も間違いはないだろう。


「さてさて。これでボクらは第二回戦勝利に王手をかけた。このまま明日の総力戦も勝利して、第三回戦進出を決めようじゃないか! 第二回戦へと送ってくれた彼らのためにも!」


 アキハルの考えを代弁するように、スグリが宣言する。

 先週の試合。第一回戦で戦ったギルド『黄金の劇場テアトル・オッロ』。そのギルド長・金剛寺こんごうじ絲音いとねに言われた一言を思い出す。




   ***




 ――一週間前。


『ギルド『高天原学園厨二部』! みごと『黄金の劇場』を降し、第二回戦進出を決めました!!』


 会場の観客が歓声に沸き、実況が一同の勝利を伝える。

 しかしアキハルたち『厨二部』にとって、そんな実況よりも目の前に空より舞い降りた紅蓮の少女の姿の方がよっぽど勝利を確信できていた。


「あ――」


 突然翼を失ったサヤが、アキハルの上へと落ちてくる。


「お、おっと!」


 思わず抱き留めるアキハル。サヤの体がちっこくと良かったと、このときばかりは思える。


「師匠!」

「お、おう」

「あたし、勝ったよ!」

「……おう。そうだな」


 普段はあまり表情の出さないサヤも、今ばかりは満面の笑みを浮かべてアキハルへと抱きつく。

 抱えているせいでサヤの顔がいつもよりも近く、幼いながらも整った相貌に思わず男子校生特有の恥ずかしさがこみ上げてくる。しかし心の底から喜ぶサヤにそんな想いは早々に吹っ飛び、今はただ勝利を納めた教え子を素直に讃えたかった。


 そんな二人の元に……。


「やってくれましたわね……」


 黄金色の少女がやってくる。


「イトネ……」


 金剛寺こんごうじ絲音いとね。対戦相手『黄金の劇場テアトル・オッロ』のギルド長にして【ブリキの人形遣いティンドールマスター】の二つ名を持つ厨二病選手だ。


 普段はハネ一つないイトネ自慢の髪はところどころ乱れ、蒼のドレスも腹部が大きく破れてしまっている。『セカンド・イルネス』による傷はほとんどが厨二病による妄想の産物なので、サヤにやられた腹部の傷は無論問題はない。だが、今のイトネの姿はあのあまりにも激しい戦いを如実に物語っていた。


 そんなイトネは『厨二部』一同が歓喜する場所へと一人赴き、静かにアキハルとサヤを見つめ、そして――


「ッ――――」


 二人を抱きしめるように飛び込んできた。


「素晴らしい戦いでしたわ! わたくしも久方ぶりに本気を出してしまいました。未だに興奮冷めやらぬとはまさにこのこと……。特に貴女! まだ厨二病になったばかりと窺いましたが、とてもそうは見えない強者の貫禄。わたくし、思わず昂ぶって自爆など試みてしまい、とても申し訳なく……。お恥ずかしい限りですわ」


 ぐりぐりと、その豪奢な蒼のドレスで隠された豊満な胸を二人に押しつけてくる興奮気味のイトネ。

 サヤがその急激な態度の変化に何も言えず目を丸くしていると、スグリがやってきて説明する。


「驚いたかい? これがイトネくんの本来の性格さ。お嬢さまなのは本当だが、高飛車なのはただのフリさ。本来はこの通り、自分の好きなものを見つけると突っ走らずにはいられない可愛げのある子なのさ」


「べ、別にいいじゃありませんか! 高慢で高飛車なのはわたくしが憧れたお嬢さま像ですの。自分ではそう慣れはしませんが、せめて厨二病でいるときくらいはそうでありたい。それが本来の厨二病の在るべき姿ではありませんか!」


 照れたように頬を染めるイトネ。さっきまでの冷ややかな態度とは正反対だ。


「まぁ驚くのは無理もない。俺も出会った当初は騙された」

「だ、騙していたわけではございませんわ、魔王様! 厨二病とは自分の思い描いた姿を演じるもの。だからこそ、わたくしは自らのギルドをそう名付けたのですから」


 黄金の劇場。なるほど。確かに、厨二病とは一種の劇団なのかもしれない。

 サヤが心の中で感心していると、イトネがこちらに向き直る。


「さきほどはごめんなさい。貴女が、魔王様に相応しくないなどと言ってしまって。実際、さきほどまでは本当にそうだと思っていましたわ。魔王様ほどの凄い方が肩を並べるには相応しくないと。でも今は、そうは思いません。まだまだ発展途上かと思いますが、貴女はいずれ、魔王様に並ぶ戦士になるのなど、そう思いますわ」


 アキハルから地面へ降ろされ、サヤもイトネと正面から向き直る。

 その真摯で真っ直ぐな言葉は、試合開始前から残っていた心の靄を、少しだけ晴らしてくれる。


「第二回戦進出おめでとうございます。これはわたくしからの、親愛の証ですわ」


 そう言ってイトネは、サヤの頬にキスをする。

 されたサヤも、それを見ていたアキハルとオトミも驚き顔を赤く染め。ただ唯一スグリだけが呆れた視線を投げていた。


「そして魔王様。わたくしもいずれ、貴方様に肩を並べられるよう努力を惜しみませんわ。そのときは改めて、魔王様から親愛の口づけを頂きたく存じます」


 その宣言は、傍から聞いても愛の告白のそれで。

 その場にいる誰もが、後ろで待機していた少年執事も口をあんぐりと開けて驚いていた。

 しかし真っ直ぐ見つめるイトネの視線は勇ましくもあり、どこか乙女のようにも見えていて。その宣言が本気であることを誰しもに窺わせている。

 しかしスグリすら驚きに口を開く中、今度はサヤだけが驚かず、試合前と同様に一歩アキハルの前に出る。


「師匠を――魔王を倒すのは、このわたし」


 そんな、明らかに脈絡のおかしな言葉で、宣戦布告する。


「……ええ。その時は、楽しみにしておきますわ」


 少女二人だけに伝わる会話を経て、イトネは背を向ける。


「では魔王様。そして皆さん。勝ってくださいませ」


 一礼をする執事を引き連れて、イトネは自らのギルドの元へと去って行く。

 こうして第一回戦は幕を閉じたのだった。




 ***




 そんな想いを馳せつつ帰りの電車。

 未だ勝利の余韻抜けぬ『厨二部』一同はローカル線の恩恵という名の空いた座席にすわりつつ、興奮冷めやらぬと雰囲気のまま、片や研究と日常の相づちを、片や新技開発の口論を繰り広げ、和気藹々と会話に華を咲かせていた。

 そんなとき、


「師匠。ありがとう」


 サヤが急に、そんなことを言ってくる。


「な、なんだよ急に」


 動揺するアキハルに、しかしサヤは首を横に振る。


「ううん。急じゃない。ずっと、そう思ってる。あの時、わたしと戦ってくれたこと」

「あの時……」


 思い当たるのは二週間前。もはや随分昔のようにさえ思える、入学式から一週間後の放課後のこと。


「あの時は、そうでもしないとお前が引き下がらないと思ったからな。一度現実を知れば、知ったかぶりのにわかは大抵引き下がる。ま、結果として、お前は引き下がるどころか、余計に食らい付いてきたんだけどな」


 思い出して少し笑う。

 アキハルが言う通り、諦めさせるためというのは確かにあった。でもあの時は、あのままサヤを放っておくと、いつの間にかどこかへ消え入ってしまいそうな、そんな不安があったから。轟々と燃え上がっていたロウソクが、ふとした瞬間に消えてしまっているような、そんな予感が。

 だからあの時アキハルは、サヤを見捨てることができなかった。


「それでも、戦いを受けてくれたことがわたしは嬉しかった」


 そのことを知ってか知らずか、サヤはアキハルへ感謝を述べる。


「だから今こうして、皆とここにいれる。皆とここで、戦える」


 たぶん、早かれ遅かれ、サヤはスグリの勧誘を受けて『厨二部』へと入っていたことだろう。だがおそらく、アキハルがあのときサヤを突っぱねていたならば、アキハルは『厨二部』へ入部していなかっただろう。そしてそうなれば、『厨二部』がこうして大会を勝ち進むこともなかったかもしれない。

 全てはあくまで予想だが、決して今と同じ未来にはなっていなかっただろう。

 少なくとも、アキハルにとっては。


「ああ、俺もそうだ」


 だからこそ、口にする。

 まだ感謝を言うには気恥ずかしいが。それでも、少しでも自分の思いを伝えたくて。


「俺もお前と出逢えて、ここにいれてよかった」


 アキハルはそう、口にする。

 スグリとオトミもいつの間にかおしゃべりを止めていて。

 すぐに電車は、地元の駅へと辿り着いた。




「そういえば」


 電車から降りてすぐ、ふとアキハルが口を開き、サヤがこちらを見つめる。


「なに?」

「どうしてお前は、俺を知ってたんだ?」


 それはふとした疑問。特に気にするほどでもないが、一度気にしてしまえば忘れられない類いのもの。

 しばらく厨二病を隠していたはずのアキハルを、サヤは魔王だと知っていた。

 その界隈では有名ではあるアキハルだが、一般人が知っているような人間ではない。

 では何処で?


「それは――」


 気になる答えに、アキハルもスグリもオトミも耳をそばだてる。





「兄さん……?」





 しかし聞こえてきたのは答えでも何でもなく、ついでにサヤの声でもない。

 そこにいる少女三人にとっては聞き覚えのない、よく通る綺麗な声。


 しかしアキハルにとっては誰よりも聞き慣れた声。


 声のした方に、四人は目を向ける。アキハルは少し、震えながら。

 そこにいたのは、またも少女だった。サヤたちとは違う学校のセーラー服に身を包んだ、清楚という単語がよく似合う黒髪の女の子。

 その少女を見てキョトンとした顔をする三人を他所に、アキハルはわなわなと震えた唇で名前を呼ぶ。




「トウ……カ……」




 ***




 次の日の試合に、アキハルは姿を現さなかった。



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