第16話『俺たちはスポーツマンじゃない』
「はてさて」
キュッと、手袋を絞める。
久々に身を包んだこの衣装に若干の高揚を押し隠しながら、少し向こうから差し込む光を見る。
それは出口……否、入り口だ。このお金持ち学校が保有するいくつかの競技場。そのうち『
しかしその様子は、いつもとはまた違ったものだった。
雰囲気や面持ち、心境などももちろんそうなのだが、そうではなく、見た目が大きく違う。具体的に言えば、服装が大きく異なっている。
アキハルはいつもの制服をかなぐり捨て、黒のジャケットに黒のズボン、そして先日サヤとの模擬戦に見せた漆黒のマントでその身を覆っていた。ついでに指先がはだけた黒の革グローブをつけている。
スグリはシンプルだ。いつもの制服姿に大きめの白衣を一枚纏っているだけの、シンプルな衣装。ただ、大きめと一口に言ってもスグリの体躯が平均よりも多少小さめなため、その裾は余裕で地面に擦りつけられているのだが。
そしてサヤは、いつもと同じ。身体にフィットした黒のジャージに真夏だというのに分厚く重い革の外套。制服姿ではないのに見慣れすぎて逆に安心感が湧いてくる。
それぞれがそれぞれ、思い思いの衣装を着てその場に立っていた。
つまるところこれはアレだ。スポーツでいうところの、ユニフォームと同じ。戦うに当たって、自身が思い描くキャラクターを演じるための、言わば正装だ。
そんないつもとは一風違った雰囲気を醸す一同に向かって、普段と然程変わらぬスグリが白衣を翻し口を開く。
「なかなか引き締まった表情をしているね、後輩諸君。案外、緊張しているということかな?」
問われた三人とは対照的に、スグリはいつもの茶化した薄ら笑いをニヤニヤと浮かべている。わかっているのに聞いてくる辺り、さすがに意地の悪い先輩だ。
「ていうか後輩くん。キミはこういう大きな試合だとかには慣れていると思ったんだけど?」
「……何回やっても、こういうのは慣れないものですよ」
「ふむ。そんなものかな」
イマイチピンときていないスグリだが、アキハルは今にも腹を降しそうでしかたない。
そもそもこの前行った一回戦二回戦の試合や、サヤとの模擬戦とはわけが違う。この試合には大勢の観客が観ているのだ。もちろんこの前の模擬戦も多くの観客が観ていた。だが今回はその規模を遙かに超えている。
その証拠に――――、
ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――
聞こえるだろうか、この歓声が。
まだ試合が開始していないというにこの歓声の大きさ。数。どれもマイナースポーツの、それも弱小ギルドの一回戦のそれではない。
これはひとえに、マンモス校でもある金輪山学園が金と人数にものを言わせた故の所業である。金輪山学園はこうやって他スポーツでも相手チームに圧をかけ戦気を削ぐことで有名なのである。
そんな場所に連れてこられたのだ。いくら実戦経験があろうとも、魔王の皮を剥げばただの一般厨二病学生であるところのアキハルなんぞ、縮み上がって当然なのである。こんな状況でいつも通りあっけらかんとしていられるのはスグリくらいなものだ。あー、おなか痛い。
「ま、なにはともあれここまで来たんだ。全力を出して全力で勝つしか他に道はない。覚悟を決めて、バッチリ決めてきてくれ」
バチコン☆ 普段はしないウインクなどして士気を上げるスグリ。だが後ろの三人にはイマイチ利いてはいない様子で。
「う、うん、そうだね。ここまで来たんだもん。応援することしかできないけど、わたしも頑張るから!」
一人制服姿のオトミも拳を握って意気込むが、空元気感が否めない。
「……。後輩くん後輩くん」
スグリもそれがわかってか、電車の時のようにアキハルを小声で小突いてくる。
「なんですか先輩。トイレですか?」
「違う違う。キミ、本当に緊張しているんだね」
「そう言ったじゃないですか。泣きますよ」
「……なんかゴメン。まさか『魔王』とまで呼ばれるキミがそこまで小心者だったなんて思わなくて」
大きなお世話だ。なんか、ホント涙が出てきた。
「そんなのでよく今までまともに試合に勝ててきたね」
「試合が始まれば、もうなんもかんもどうでもよくなるんで吹っ切れるんですよ。ここで負けても漏らしても、もう全部同じだ、ってね」
「キミ、やっぱり緊張しているね?」
せっかく試合に臨む心得を教えているというのに、なぜそんな呆れた目をされなければならないのか。とても遺憾である。
「それよりも、今はサヤくんだ。さっきあの黄金ドリルに大見得切ってはいたが、やはり緊張が和らいだというわけではなさそうだね」
「まぁ、そうみたいですね」
スグリに言われ、アキハルは少し前にいるサヤへと視線を移す。サヤはただ一点、光漏れる闘技場への入り口を見つめていた。
どちらかといえば、むしろ悪化しているようにも見える。
絶対勝たなければ、という圧が自分でかけてしまったかのような。
「ちょっとキミ。魔王の力で彼女の緊張を解きほぐしてきてはくれまいかい?」
「またそんな無茶を……」
「頼むよ。今のサヤくんでも、キミの言葉なら素直に耳に入ると思うからさ」
お願いっ、と今回ばかりはマジメに頼んでくるスグリ。
「あんまり、期待しないでくださいよ」
「ああ。期待しないと言えば嘘になるが、信頼はしているとも」
期待も信頼も掛けられて、アキハルはサヤへと近付く。
アキハルもそうは言うが、やはりサヤのことは心配だ。才能のある教え子。サヤが勝手に呼び始めた『師匠』という言葉だが、やはり慕われて嫌な思いは決してしない。むしろ誰かに何かを教えるのがこれほど楽しいものかとも思うし、冷めていた厨二病への思いも日に日に増すばかり。だからこそ、そんな新たな感情を与えてくれた不出来な弟子をこんなところで挫折させたくはない。
だからこそアキハルは、少しだけ考えてからサヤに声をかける。
「よお。調子はどうだ?」
「……ん」
答えていない返事。予想はしていたが、やはり調子は戻ってはいないらしい。
「あんまり意気込み過ぎるなよ。気合いは大事だが、気を張りすぎてもいいことなんてあまりないからな」
「……ん」
やはり、イマイチ効果がない。
ならばもう、直球で聞いてみるか。
「なぁ」
「……なに」
「なんでお前は、緊張なんかしてんだ?」
そこで初めて、サヤはこちらを向く。
「お前はてっきり、人の目なんて気にしないやつだと思ってた。実際、入学式の日も、その後も、模擬戦のときだって他人のことなんて気にしてなかった。なのに、急に調子崩してさ。動画、観たときからだろ?」
動画という単語を聞いて、サヤの肩が少し跳ねる。
「先輩に試合の動画を見せられたときからずっとだ。なんかあるのか? こう、カメラに映ったらダメだとか、そんなの?」
「なにそれ」
「いや、ほら、あるじゃんか。写真に写ると魂が抜ける的な昔の迷信。そういうの信じてんのかと、思っただけで……」
自分でも何を言っているのかと思えてきて、後半声が小さくなってしまう。いろいろ考えたが、他に理由が思い浮かばなかったんだ。一応師匠だというのに、弟子のことをちゃんと理解してやれてなくて情けない。
しかし……
「……フフ。変なの」
少しだけサヤが笑い、あながち間違ってはいないのだと安心する。
「別に。別に、大した理由はない。ただ、初めて誰かの目で自分を見たから」
その意味を図りかねていると、サヤが言葉を続ける。
「師匠が言ったように、今までも何度も誰かの前で戦ったことがある。小さいときから、何度も」
小さい頃から何度も戦っている。サヤが厨二病に目覚めたのが最近のことらしいが、おそらくこれは満月が以前に言っていた剣道のことを言っているのだろう。
「だから人前に出ることは、慣れてるっていうよりも、気にしたことがなかった。周りに誰かがいるのも当たり前だし、誰もいないのも当たり前。だから気にしたところでしょうがない。そう、頭の隅で思ってた」
誰かがいるのも誰もいないのも当たり前。それはそうだ。試合大会となると周りには常に誰かがいる。しかし戦場では常に自分一人だけ。それは当たり前のことだ。それがスポーツであろうと厨二病であろうとも。
「でもスグリにあれを見せられて、今まで気にしなかったものが気になってきちゃった。誰かから見たあたしはこんなんなんだ、って。初めて、誰かから見た自分を見せられて、今の自分はこれでいいのかって、そんなことを思っちゃって」
それは、まるで初めて鏡の中の自分を見た子供のように。外から見た自分の在り様に疑問を抱いてしまったのだろう。サヤの場合、今の自分が正しいのか、そんなことを。
「変なのは、わかってる。それでもあたしは――わたしは、強く、在らないといけないから。勝たないと、いけないから」
だから、その後の練習に全部力が入ってしまったのか。今の自分は理想の自分とはほど遠いから。
なるほど。
「……なぁ。少し、話をするぞ」
「? ……うん」
「お前は、あれだよな。たぶん、高校に来るまでは何かスポーツやってた口だよな」
「……うん。そう」
「そうか。だったらさ、一つ勘違いがある」
「勘違い?」
「ああ、勘違いだ。それが今のお前が抱いている、大いなる考え違いだ」
サヤが静かに聞いていることを確かめて、話を続ける。
「まず、俺たちがやってるこれはスポーツなんかじゃない。スポーツなんて健康的で高尚な、誰にでも誇れる立派なものなんかじゃあない」
それを言われ、サヤは少し目を丸くする。
「スポーツなら運動をしているってだけで誇れるし、スポーツ選手になれたり、将来何かの役に立ったりもするだろう。でも、俺たちのやってるこの『セカンド・イルネス』って競技は何にもない。厨二病にプロなんて存在しないし、大会に少し勝ったところで履歴書になんて書けやしない。書いても、面接官のおっさんにハテナマークをされるだけ。今どんなに頑張ろうと、後にはほとんど何も残ることはない。それが俺たちのやっている競技だ」
哀しいかな。これは事実だ。厨二病は所詮一過性のもの。学生という時期を過ぎてしまえば自然と消える、儚いもの。現に今、厨二病で活躍している大人は一人としていない。
「だからこそ、俺たちは決してスポーツマンなんかじゃない。どこでもいる、ただの痛い痛い厨二病でしかない」
どこまで行こうと――たとえ『魔王』などと呼ばれようと、その事実は変わり得ない。立派な成績だと言われても、どれほど勝利に酔いしれようと、時間が経てば何も意味は成さない。
「厨二病の俺たちにスポーツマンシップだとか、強いとか弱いとか、勝っただの負けただの、ちゃんちゃらおかしな話だ。むしろ真逆にいるような生き物のはずだ。この業を背負った時点で、俺たちは人生半分敗けているようなもんだ」
時に人に馬鹿にされ、時に人に忌み嫌われ、時に見下される。それが厨二病の常日頃であり、当たり前だ。今こうして楽しいのは、内輪で盛り上がっているというだけの話。一歩外に出れば、誰からも評価なんてされはしない。ただ一時の妄想に縋る、可哀想な人間としか見られないのだ。
「だったら――」
だが、それでも、言いたいことはある。
「だったら、俺たちはここに何をしにきたのか。健全にスポーツをしに来たわけでも、勇ましく戦いに来たわけでも、ましてや勝ちに来たわけでもなんでもない。俺たちはここに————、証明しに来たんだ」
「――証明?」
アキハルが口にした言葉を、サヤが繰り返す。
「ああ。自分が――自分たちが思い描いた、このどうしようもない妄想こそが最強なのだと。そう世界に証明するために」
「――世界……」
「動画の比なんかじゃない。俺たちに見向きもしない奴らに、自分こそが最強なんだと証明するために、俺たちはここまで来たんだ。だったら、やることは明白だ。協力プレイ? チームワーク? 知るか。一朝一夕練習した程度の俺らに、そんなことできるわけがない。だからあれだ。勝つとか、負けるとか、部がどうとか上手くできるとか、仲間とか他人とか、ひとまずそんなことはどうでもいい。今考えるのは、自分自身が最強なのだと、そう世界に魅せびらかすこと。ただそれだけを考えればいい」
「自分が……自分自身が最強であること」
「そういうこと。難しいことは今は考えるな。できようができまいが、今はとにかく、できることやりたいことを全力でやってくればいい」
そう言ってアキハルは、目を丸くするサヤの頭を軽く撫でる。
サヤは撫でられた部位を少し触れ、決意の表情で顔を上げる。
「うん……、うん、わかった。わかった、師匠」
反芻するように何度かサヤは頷く。
「ただ自分が最強であることを証明する。それが、『
「ああ」
『さぁてそれでは、相手選手の入場ですっっ!!』
ちょうどよいタイミングで、闘技場の方から実況アナウンスが聞こえてくる。
「うん。それじゃあ、行こうか諸君!」
満足したような笑みで、スグリが一同に号令をかける。
「はい!」「うん」「うんっ!」
三者三様に返事をして、一同『厨二部』は光の向こうへと入場した。
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