第15話『心は硝子の厨二病』


 四月某日。週末、土曜日。時間は、昼を少し過ぎた、午後一時。


 厨二部一向は準急電車に揺られながら、目的地である金輪寺学園を目指していた。

 週末の昼過ぎにも関わらず電車に乗る人は疎らで、全員揃って横並びに座ることができていた。ありがたいことこの上ない。


「というわけでだ。この『ギルド対抗戦』の第三試合は、その短い歴史ながらに伝統とも言うべき慣例が存在するわけだよ。それこそが『ギルド対抗戦』の花形、『セカンド・イルネス』の中でももっとも盛り上がる試合形式の一つ、『総力戦』というわけだ」


 そんな中、四人の真ん中に座るスグリは少し重い他三人の空気とは裏腹に、一人ペラペラと身振り手振りでご高説に明け暮れていた。


「へぇ~、そうなんだ~」


 おそらくよくわかっていないだろうに、スグリの話を一から十まできっちり聞いて、その上で相づちを打っているオトミにアキハルは感謝を禁じ得ない。

 おかげで、左隣で縮こまるように座る自称弟子に気を配れるのだから。


「ぅ……」


 サヤの表情は今日会ってからずっと変わっていないが、時折思い出したかのように声を漏らす。

 いつも着ているぶかぶかの外套に包まるようにして座る今日のサヤは、その小さな体の大きさ以上に小さく見える。


「大丈夫かよ」

「ん……、だいじょぶ」


 問いかけても、そう短く返すばかり。

 しかし、サヤの体調がよろしくないのは部の誰もが理解していた。

 体調と言うよりは、主に精神面の方だが。


 二日前、スグリに初戦の動画を見せられたサヤは、それ以来ずっとこの調子である。

 気にしていなければ気付かないのかもしれないが、あまり変わらぬ表情も確実にいつもと違う。体はカチコチで固いし、ピカイチだった集中力もどこかへ行ってしまっている。

 その所為でせっかく身につき始めた能力開発も停滞してしまった。昨日の特訓なんて目も当てられない。能力どころか、いつもの剣技にすらも錆びて見えていた。

 そんな本調子からほど遠いサヤをどうにか元気付けようとしたのだが、どれも上手くはいかなかった。

 今スグリが喋り続けているのもサヤを気にしてのことだろう。……たぶん。おそらく。


「後輩くん後輩くん」


 そんなことを思っていると、スグリが肘で小突いてくる。


「サヤくんの調子はどうだい?」


 スグリはなるたけ声を小さくしてアキハルに聞いてくる。どう見てもあからさまだが、サヤに気にした様子はない。


「まぁ、相変わらずですね」

「そうかい。一晩寝ればどうにかなると思っていたんだが、ボクの見立てが甘かったようだね。いつもは戦い一辺倒だった彼女が、こうも集中力を欠くほど乱されてしまうとは」

「そう、ですよね……」


 二人の視線は、サヤへと集まる。

 すぐ隣でこんな会話を繰り広げているというのに、当のサヤは心ここに在らずといった具合に、何もない床をただじっと見つめていた。

 他者の目を気にしないサヤがこうまで心を乱している理由は、つまるところ「照れ」である。


 照れなど、今更厨二病の人間が気にするものでもないと思うが、忘れがちになるがサヤは厨二病初心者、素人なのだ。

 サヤ自身が他者からの注目に慣れているかはわからない。ただ、今まで他者からの反応を気にしたことがなかったのは確かだろう。サヤの中にあるのは自分と相手の双方の存在のみで、第三者という存在を今まで気にしたことがなかったのだ。だからこそサヤは自由奔放に『魔王』であるアキハルに挑み、天衣無縫とも呼べる才で金剛寺こんごうじ絲音いとねを降したのだ。


 だが先日見た動画。サヤと金剛寺絲音の戦いを映した動画によって、初めて第三者視点で「自分」を視たのだ。それによって初めて、自分自身の行為が他者に視られているということを実感したのだろう。


 何事も初めての物事は付き物だ。初めてのことは上手くいかない場合が多いし、多少なりとも心に動揺があってもおかしなことではない。

 だが、まさかここまで影響があるとは動画を見せた本人であるスグリも、無論アキハルも思わなかった。それは当人であるサヤ自身もそうなのだろう。

 まるで初めて鏡を見た赤子だ。


 それはつまり、良くも悪くも純粋ということなのだろうが、いくらなんでもタイミングが悪すぎる。

 何も特訓が上手く回り始めた直後じゃなくても――一回戦通過を決める試合の直前でなくともよかっただろうに。


 しかしこれは誰が悪いとも言えない。動画を見せたスグリは部員の士気向上のためであるし、サヤも自分を百パーセントコントロールできるほど精神が熟達してはいない。何よりサヤは、なんとか調子を取り戻そうとより特訓に気合いを入れていた。空回りではあったが、それだけ自身も気にしているという証拠だ。

 そんなサヤを責める気はないし、誰も責める気はない。

 だからこそ、アキハルは自分がなんとかしたいと考える。


 正直、アキハルは自分であれば試合の勝利は容易だと考えている。否定してはいるが、これでも『魔王』と呼ばれた存在なのだ。イトネは強力な相手ではあるが、アキハルが本気を出せば相手にはならないだろう。以前剣を交えたのは数ヶ月も前だが、それでも確信が持てる程度の実力が、アキハルにはある。


 だが、おそらくそれではダメなのだろう。

 サヤを――『厨二部』を置いて試合に勝ったとしても、それは部の勝利とは言えない。先日のようにアキハルが一人で戦うことが必要ならば問題ないが、今日の試合においてはダメだ。それではきっといけない。サヤのためにはならない。何より、アキハルのためにも、なりはしないだろう。

 だからこそ、試合までにどうにかサヤの調子を取り戻したいのだが……。


『――金輪山学園前~、金輪山学園前~』


 停車駅を報せるアナウンスが、無情にもそう告げる。


「さぁ、降りようか」


 スグリがそう言うと、一行は荷物を持って下車の準備をする。

 三人がさっさと立ち上がる中、サヤだけが一人遅れて立ち上がる。



 ***



 聳え立つ荘厳な城を、見たことがあるだろうか。


 縦に伸びる白亜の堅牢なる壁。その重厚な存在感にも関わらず散りばめられた精緻な細工。訪れる者を映し出す大理石の床。見上げれば天を衝く数々の尖塔。

 まるで欧州からそのまま持ってきたような西洋建築の城に、訪れたアキハルたち厨二部一同はその巨大な姿に圧倒される。これがただの学校だというのだから驚きだ。さすがに周りの景観などを含めいろいろと無理があると思うのだが、そんな違和感すらも一種の趣と捉えさせられるほどに、その存在感は他を圧倒していた。


 そしてその傍若無人なまでの存在感を主張するように、ロンドンの大時鐘ビッグ・ベンを模したと思われる巨大時計台は、何も知らないアキハルたちに影を落としていた。大人一人ほどもある長針を一分刻みで動かして、試合開始という名の死刑執行時刻が迫っているのだと、見せつけてくるかのように。


「でっっ…………けぇ……」


 月並みの、ありきたりな感想しか喉から出てこないのは自分の語彙力が所為か。しかしそれでも褒められるに値する呟きだと言える。

 なにせその圧倒的存在感による圧から、体が解放されたのだから。

 呼吸すら忘れていた一同はアキハルの一言でようやく動きを開始する。


「す、すごいねぇ……。話には聞いてたけど、こんなにすごいお城だとは思わなかったよぉ~」


 のほほんと笑顔で話すオトミも、その頬には汗が一筋流れている。


「まったく。いつもながら、金にものを言わせた違法建築なことで。どう考えても日照権とか度外視な気がするが、それらをイチイチツッコミしてたらキリがないほどだね」


 一方スグリは相変わらずのようで、冷ややかに細めた目でアキハルも内心では思っていたことを口にする。


「さ。イチイチ呑まれてないで、さっさと中に入るよ。相手が金持ちなことと、ボクらより強いってことはイコールじゃないんだから」


 パンパンと手を叩き、部員らを促す。

 意外とまともなことを言っていて少々面食らってしまうが、ありがたい。

 今はそういう当たり前の空気でいられる人間と、まともな言葉が必要だ。

 だがそれも、今のサヤには通じないらしい。


「……………………」


 スグリの言葉も耳に入っていないように、城を見上げたままポカンと口を開けて突っ立っている。

 いつもなら数瞬後には顔を輝かせ、その燃えたぎる思いを瞳に宿しアキハルに訴えてくるところなのだが。

 今は本当に呑まれているのか、その顔は紅潮するどころか、少し白く青ざめているようにすら見える。


「……おぃ――」




「おーー⤴︎ーー⤴︎っっほっほっほっほ!!」




 アキハルがサヤを呼びかけたと同時に、黄金の高笑いがその場に響き渡る。


 城の圧倒的な威圧感にも負けない、爛々と輝くブロンドの縦巻ロールヘア。とても学生とは思えない蒼を基調とした豪奢なドレス。そしてなにより、黙っていれば超がつくほどの美人だというに、それを一切感じさせない自信に満ちた溢れた上から目線の笑顔。


 ギルド【黄金の劇場テアトル・オッロ】のギルド長にして、『セカンド・イルネス』界きっての厨二病お嬢さま、【ブリキの人形遣いティンドールマスター金剛寺こんごうじ絲音いとねだ。


「お久しぶりですわね、スグリさん。お元気そうでなによりですわ」


 ズイッと、背の低いスグリを見下ろすよう極限まで近付くイトネ。豪奢なドレスの上からでも隠しきれない豊満な胸が、スグリに突き刺さらんばかりの距離で威圧する。


「やぁイトネくん。そっちこそ、随分と元気そうじゃないか。相っっ変わらず主張の激しい下品な体をしているようだけどね。少しはダイエットでもした方がいいんじゃないかい?」


 しかしスグリも負けじと凄む。


「黄金比の如く美しいわたくしの体を理解できないとは、貴女もまだまだのようですわね。少し会わない間に背と同じで視力まで落ちたのではなくて? ああ。そういえば、背はもともと小さいんでしたわね。その貧相な体と同じで」


 くすくす笑いを隠すように、イトネは扇子を広げて口元を隠す。


「おやおや。どうやら体だけじゃなくオツムの方もダメなようだね。ボクの記憶がただしければ、一週間前に会ったばかりだと思うんだけど?」

「あら、そうでしたかしら? ごめんあそばせ。わたくし、貴女のように頭でっかちではないので記憶力にはあまり自信がございませんの。特に、美しくない方々への記憶は」


 ピクリと、スグリの眉が動く。だが、フフンと口元を卑しく歪める。


「まぁそうだろうねぇ。キミにとって先週の出来事は忘れたい出来事だったろうからねぇ。なにせ、ボクたちにあっさり敗北しているんだからさ。それも、二度も連続でね」


 ピキリと、今度はイトネの眉が動く。


「あらあら。あの戦いは挨拶代わり。弱小で貧相な貴女方を憐れに思い、勝ちを譲って差し上げたわたくしの心意気を理解できなくて? いくら一回戦での敗退が決まっているとはいえ、一勝もできずに大会を去るのはあまりにも可哀想というものですわ。ですから、手向けとして初戦を譲って差し上げたというのに」

「そうかい? それはすまなかったね、気を使わせてしまったようで。だが、それも無用だったようだ。なにせキミがたとえ本気で挑んでいたとしても、彼女には勝てはしなかっただろうけどね」


 言って、スグリは離れたところで見ていたサヤへとイトネを促す。

 途端、高慢だったイトネの視線が鋭く切り替わる。


「……そう、貴女でしたか。先日、わたくしに土をつけたのは」


 そう言って今度はサヤの方へ近付く。

 スグリと同じく背の低いサヤを、高圧的な視線で威圧する。


「あ…………」


 そんなイトネの視線に、あろうことかサヤは一歩後ろに退がり、フラフラとその身をたじろかしてしまう。


「フンっ。どうやら、見当違いだったようですわね。あの時は少し見所があるようにも感じましたが、所詮はビギナーズラック。たまたま勝ちを取った程度の器。やはり、わたくしの敵ではないようですわ」


 鼻を鳴らして、イトネはサヤに背を向ける。


「スグリさんも目が曇ったようですわね。そのようなことでは、本当にわたくしたちが勝ってしまいますわよ。せっかく手に入れた二勝のチャンス。貴女の弱小ギルドではもう二度と機会は来ないかもしれないというのに」

「心配、痛み入るよ。だが無用さ。キミを降したこのサヤくんはまだまだ強くなるし、もう一人の新入生はそれこそ期待の星さ」


 水を向けられたアキハルは「うっ……」とサヤよろしく後退る。


「そういえば、わたくしの大切な執事を可愛がってくれた方がいらっしゃいましたわね。いったいどのような――」


 スグリに言われたイトネは思い出したようにアキハルの方へと振り返る。

 そして――、


「ま――」

「……ま?」



「魔王様~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?!?」



 まるで華のように、イトネの顔がピンクに咲く。

 さっきまでとはあからさまに違うその反応に、やはりアキハルは顔を苦くする。


「ま、魔王様がどうしてこのようなところに?! い、いえ、今はそんなことよりも……オホン! お久しぶりですわ、魔王様。以前とお変わりなくご健勝のこと、たいへん慶ばしく存じます」


 予想だにしない魔王アキハルの登場に動揺した様子のイトネだったが、そこはさすがお嬢さま。すぐに身なりを整え、おとぎ話のお姫さまのようにスカートの裾を持ち上げ挨拶をする。

 かと思えば急に目尻に涙を浮かべ、アキハルをギョッとさせる。


「風の噂で、貴方様が一線を退いたと耳にしておりました。貴方様に何があったのか、いてもたってもいられませんでしたが、かつての同士たちから魔王様にも思うところがあるのだろうと言われ、駆けつけることを躊躇っておりました……」


 するとイトネは、トトトとアキハルに駈け寄り、あろうことかその胸に飛び込んでくる。


「心配、していましたのよ。どのような事情かは存じませんが、またわたくしの元へ戻ってきて頂き、とても嬉しく思います。もう、貴方様のような偉大な方を、失いたくはありません」


 傍から見ていても顔を赤らめてしまう、恋人のように頬を擦る熱い抱擁。現に、それを見たオトミは驚いたように口を手で覆い、顔を真っ赤に赤らめている。

 無論、他二人はそうではないが。

 一人は熱く、二人は冷めた視線を背中に感じて、アキハルは抱きつくイトネをゆっくり引き剥がす。


「い、イトネ、違うんだ。別に俺は戻ったわけじゃなく――」

「ええ……。ええ、そうですわね。こんなところで立ち話もなんですから、まずはお部屋をご用意しますわ。そこで紅茶でも飲みながらごゆるりと――」


 事情を説明しようにも、イトネは興奮のあまり聞いていない。

 しかしそれも、思わぬ形で遮られる。


「――!」


 離れようとしないイトネから、アキハルの体が強引に後ろに引っ張られる。

 小さな手の感触に、それをやったのが誰かすぐにわかった。



「……サヤ」



 サヤの小さな手がアキハルの体を傾かせ、笑顔のイトネからアキハルを引き剥がす。

 アキハルも思わずサヤへと振り向くが、伏せられた目元からは感情がよく読み取れない。


「貴女……」


 しかしそれとは対照的に、あからさまな感情の色を乗せた視線でもって、イトネはサヤを見つめる。その感情の色は当然、暗い不快の色。


「今魔王様はわたくしと大事なお話をしていますの。関係のない方は引っ込んでいてくださいまし」


 冷たくイトネは言い放つ。

 さすがにイトネを宥めようとアキハルも口を開きかけるが、


「関係ある」


 先に、サヤが口を開く。


「関係は、ある。師匠を……『魔王』を倒すのは、このわたし」


 それを聞いて、スゥーとイトネの目が細められる。


「吠えますわね。貴女、もしかして彼がどれほど偉大な方なのかご存じないのではなくて? 魔王様が如何にして『魔王』様と呼ばれているのか、その理由を。だというのにその程度の腕で魔王様を倒すなどと。大言壮語も甚だしいというものですわ」


 口元を扇子で覆い、イトネは大言を吐くサヤを嘲笑する。

 しかしそれでも、サヤはイトネから目を背けない。


「それでも、わたしは魔王を倒す。わたしがそう、決めたから」

「……そうですか」


 その真っ直ぐな物言いに何を思ったのか、イトネは嗤うのを止め冷ややかにそれだけを返すと一同に背を向ける。


「では魔王様。この辺りで一旦失礼いたしますわ。今は、試合の方に集中するといたしましょうか。積もる話は、わたくしたちが勝った後にでも。後ほど案内の者が寄越しますので、指示はその方にでも。それではご機嫌遊ばせ」


 そう言うとイトネは城の奥へと去って行く。

 あとには来たときと同じ高笑いが、消え入るように聞こえてきていた。


「さてそれじゃあ、ボクたちも準備をするとしようか」


 スグリがそう言ったすぐあとに、イトネの言っていた案内の人間が駆けてくる。


 説明を聞く間一同は終始黙っていたが、サヤだけがアキハルの袖を掴んだまま、何かを執拗に主張し続けていた。



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