第12話『朝練』


「おはよう、師匠!」



 拝啓、皆々様。四月も終わりに近づき、初夏の様相を呈してきた今日この頃、どうお過ごしでしょうか。

 俺はと言いますと、自分のことを魔王だとか師匠だとかと言って慕ってくる同級生の女の子がが、平日の朝から自宅へとやってきました。


 いや、待ってくれ。落ち着いてくれ。だからまずはその握った拳を納めてほしい。

 平日の朝から可愛い同級生の女の子が迎えに来る。

 字面だけを見れば、なんと素晴らしい理想のシチュエーションだろうか。男ならば一度は憧れるシチュだろう。いや、一度や二度ではない。毎日そんな妄想を繰り返していると言っても過言ではない。

 そんな理想のシチュエーションだが、今一度待ってほしい。決して勘違いしてはいけない。素数を数えて待ってほしい。なにせ相手はあの『サヤ』なのだから。

 俺は一度深く深呼吸を頭の中でして、口を開く。


「で、なにしに来た」

「鍛錬、しよう!」


 ほれ見たことか。言っただろう。相手はあのサヤなのだ。俺に会いたくて来ただとか、そんな蜂すら卒倒しそうな甘々ハニーローストな展開は早々起こらない。

 なんてったって、相手は厨二病の痛い痛いヤツなのだから。


「お前なぁ……、今何時だと思ってるんだ」

「……六時?」


 何故そんな「何かおかしい?」って感じなんだよ。


「普通はな、学生は朝の六時なんて時間には起きないんだよ。ホームルームが始まんのも八時半からだろうが」

「でも師匠は起きてた」

「起きたんだ! どっかの誰かがチャイムを連打したからな。……さすがにこんな朝早くからチャイム鳴らしまくるのはやめてくれ。近所迷惑だろ」

「……ごめんなさい」


 と口をすぼめて下を向く。

 そう素直に謝られるとこっちの良心が痛むだろう。俺は決して間違っていないはずなのに。


「ま、せっかくだしちょっと待ってろ。着替えてくる」

「うん」

「……待ってろって言ったよな?」

「? 言ったけど?」

「じゃあなぜ家に入ろうとしている」

「…………家で――待つから?」


 特大にでかいため息を吐いて目元を覆う。

 まぁそうだろうなとは思ったけども。


「……言っとくが、あんま綺麗な部屋じゃないぞ」

「うん」

「……」


 その「うん」が、さっきよりも弾んでいるように聞こえたのは、気の所為ということにしておこう。




 女の子を家に上げる。その字面のなんと香ばしいことか。

 だが決して字面なんぞに流されてはいけない。なにせさっきから言っているように、相手はサヤなのだから。

 俺はなんとか平常心を保ちながら淡々と尋ねる。


「誰に聞いた」

「スグリ」


 問うた意味を一瞬で理解したサヤは実に明快に答えてくれる。

 あのおしゃべり眼鏡……。教えてもいない情報をペラペラと。これはマジでいつか復讐の計画を練っておかないといけなそうだ。

 俺が質問したからなのか、はたまたたまたま気になったからだけなのか、サヤは部屋の中をぐるっと見回す。


「師匠って、もしかして一人暮らしなの?」

「……ああ」


 それはスグリから聞いていないのか、とても不思議そうに部屋の中をちらちらと見ている。

 あんまり思春期の男子の部屋を見ないでほしいのだが。いや、別に何もやましい物はないのだが。決して何もないのだが。

 しかしサヤはそれ以上は何も聞かず、口を噤む。


「……なあ」

「なに?」

「あんまりこっちを見ないでほしいんだが」

「なんで?」

「着替えるから」


 俺の家は狭い。1LDKという実にシンプル極まりない家なので、寝室を除けば他に部屋がない。


「わたしは気にしない」

「俺が気にするの!」


 仕方なく俺はわざわざ脱衣所へ行って着替えることにした。

 自分の家なのに、なぜこんなに気を使わねばいけないんだ。


 早々に着替えを終えて寝室へ戻ってくると、サヤはちょこんと座布団に座って漫画を読んでいた。


「何読んでんだ?」

龍球ドラグーンボール

「ああ……」


 昨日読んで置きっぱなしにしていたのを手に取ったのか。


「これ、部室にもあった」


 そういえば、サヤは特訓以外で部室にいるときはいつも漫画を読んでいたな。それも齧り付くように。よもや漫画というものを読んだことがないのだろうか。


「それは読まなかったのか?」

「うん。まだ読んでない」


 今サヤが読んでいる『龍球』は随分と昔に流行った漫画だ。連載終了から数十年経った今でも評価が高く、世界規模で人気の漫画だ。漫画を嗜んだことのある人間なら一度は読んだことがあるはずだ。


「師匠ん家、漫画がいっぱい」


 そう言ってサヤは本棚を見上げる。

 そこの本棚にはずっしりと漫画が詰まっている。少年漫画から青年漫画、ときには少女漫画がちらほらと。


「お気に入りのやつを持ってきたからな。これでも、随分厳選した方なんだぞ」

「そうなんだ」

「ああ。実家ならもっとあるぞ」


 言ってからしまったと思う。


「すごい。行ってみたい」


 本棚に圧倒された様子のサヤはそんなことを言う。


「いや、スマン。今のは忘れてくれ」


 そう言って失敗したことに気付く。

 微妙な沈黙が一瞬寝室を支配する。

 どうにもいけない。未だ実家のこととなると上手く反応ができない。


「でも、最近のはあまり買ってないの?」

「ん?」


 気を使ったのかそれとも天然なのか、特に気にした様子なく話を続けるサヤに救われる。


「これの最新刊、部室にあったのにここにはない」

「ああ……」


 言われた漫画を手に取る。確かにこの漫画雑誌は週刊で、単行本の出るペースも早い。でもここにあるのは数ヶ月前に買ったものが最後で、今はもう二、三巻は出ているはずだ。


「そうだな。早く買い揃えないとな。でも、そのためにはバイトでも始めないといけないしな。今はあんま余裕ないし」

「よくわかんないけど、仕送り? とかは?」


 本当によくわかっていなさそうに尋ねてくる。


「仕送り……は、あるけど手はつけてない。この部屋も、自分で借りたもんだし」


 言いながら俺はベッドに腰を下ろす。


「そもそも家を出るという案は自分で決めたもんだ。親には反対されたけど。でも、俺はあの家を……あの場所を離れたかったんだ」


 話し始めた俺の言葉を、サヤは大人しく聞いてくれる。


「前に言っただろ。中学の時、俺は調子に乗った厨二病だった。大会なんかもよく出て、優勝なんかもして、それで周りから『魔王』なんて言われて。調子に乗ってたんだ。舞い上がって浮かれて。そしたら妹に「きもちわるい」って拒否られて。それから俺は家にいるのが辛くなった。両親も妹もそれ以降は何も言わなくなったけど、逆に俺にはその空気が苦しかった。だから家を出たんだ。中学までのこと全部払拭するために。どこか別の地で、新しく自分を始めたかったんだ」


 息を吸うために一旦話を止め、サヤを見る。サヤはいつもと変わらぬ顔で俺の方をじっと見ている。聞き入っている風でも、興味がない風でもなく。


「幸い、大会での賞金もそれなりにあったからな。独り立ちにはそこまで苦労しなかったよ」


 一応大会の賞金にはまだまだ余裕があるが、高校一年生の無収入の状態では早々趣味のために手をつけるわけにはいかない。このご時世、何があるのかわからないのだから。


「まぁでも、部活始めたからな。まだまだバイトは始められそうにはないかな」


 そう言うと、少し張り詰めていた部屋の空気が僅かに緩まるのを感じる。


「うん。師匠にアルバイトなんて似合わない。師匠の仕事は『魔王』って決まってるんだから」

「それはさすがにちょっと困るな」


 職業『魔王』と書かれた名刺を差し出す将来の自分を想像する。

 さすがにいたたまれなさすぎて辛いものがある。フリーターの方が幾分かマシというものだろう。


「…………」


 だがそのすぐ後ろにサヤが控えているのを想像すると、何故かそれも悪くないかもと一瞬考えてしまう。


「? なに?」

「いいや、何にも。ただ、お前は将来ちゃんと就職できるのか心配になっただけだ」


 言ってぷんすかと怒るサヤを尻目に、俺はさっさと朝支度を済ませてしまう。

 顔が少し緩んでしまっているのも、気の所為ということにしておこう。



     ***



「師匠、どこ行くの?」

「いいとこ」

「いいとこ?」


 自転車を漕いで、俺とサヤは早朝の河川敷を駆ける。

 普段の二人乗りは働き者のお巡りさんが恐いが、今はまだ太陽がコンニチワしたばかりの早朝六時半。さすがにこんな時間にパトロールなんてしてるはずもないので、俺は存分に青春()を味わいながら自転車を漕いでいた。背中に当たる感触が存在しないのが、心許ないが。


「今何か言った?」

「……いいや、何にも」


 そうして少し進むと、すぐに目的の場所へと着いた。


「ここだ」

「ここ?」


 そこは、一見して地味な場所だった。

 その場所は一言で言えば高架下。岸と岸を掛け渡す橋の下にできた日陰の空間。昼であっても影が差し、しかし決して暗くはなることのない、開けたからっとした空気とじとりと水の流れる質感が同居する、ある意味での異空間だ。

 そんな場所に、俺はサヤを連れて来ていた。


「変な場所」


 サヤの感想はもっともだろう。その場所が高架下というだけじゃない。その直径十メートルほどの狭き空間には、タイヤやらカカシやらが無作為に地面に突き刺さっていた。もしもこの場所を日が暮れてから訪れていたのならば、その不気味さに恐怖を感じていたかもしれない。実際、この辺りの小学生の間ではこの場所は肝試しの定番の場所となっていると聞く。

 サヤが傾いたカカシを奇妙そうに鞘で突っついていると。


「ここは、俺の秘密の特訓場だ」


 と俺は簡潔に答えを話す。

 途端、サヤの怪訝な瞳は急速にその光度を上げる。


「特訓場! 秘密基地ってこと?!」


 今日日秘密基地という単語でここまで目を輝かす女子高生がいただろうか。


「基地ってのはちょっと違うかもな。でも同じようなもんか。ここは俺が小学生のときから使ってるからな」

「小学生!?」


 もちろん、小学生のときから厨二病だったわけじゃない。小学生ガキの頃は文字通り秘密基地として、ここで自分の考えた技を撃つ練習をしていた。練習、なんて言ってもその当時は何にも出ることはない、本当にただの妄想のお遊びだった。かっこ悪い単純なビームを撃つ練習や、技名を叫んでの必殺技。でも子供ながらにもそれが恥ずかしいことだと理解してた俺は、こうして隠れ家の真似事をして過ごしていた。


 そして中学になってからは本格的に厨二病に目覚め、ここの架空の技を繰り返す場所から、本当に自分の技を磨く場へと変わっていった。


「だから年季は入ってるし、素人作りも同然の場所だが、俺お墨付きの場所だ」


 ニヤリと、戦闘態勢をとるカカシを揺らして笑う。

 それにつられて、サヤもニッと笑う。


「お前の戦い方は一対一を想定したものばかりだ。格闘系のスポーツならそれが当たり前だろうが、厨二病でそれじゃあ足りない。『セカンド・イルネス』は様々な形体の戦いがある。今俺たちがやってるチーム対チームから、ルール無用のバトルロイヤル。さらには一対多なんて理不尽なのも存在する。もちろん一対一もあるにはあるが、複数の敵を相手にする方が圧倒的に多いのが現状だ」


 実際、俺が過去に経験した戦いも一対一という場面はほとんどなかった。一対一は本当の最後の最後。大勢が混ざり合う戦いの終盤に、それも極稀にしか起こり得ない。

 しかもそれはどれも、互いの運命を左右する大きな戦いの中でだけだった。

 サヤが最も得意とするのは一対一。しかしその状況を作るためには乱戦での戦闘経験が必須だった。しかし人数の少ないうちの部活でそれは適わない。


「だからこそ、ここに連れてきた」


 俺は右手で左肩を払うと、どこからともなく漆黒のマントが現れる。『嫉妬の黒衣』だ。

 そしてそのまま、おもむろに右手を地面につける。

 ズ……、ドドドドドドド――

 すると黒衣が地面から迫り上がり、バラバラの場所に立つ七つのカカシを正確に突き穿つ。

 口を丸くするサヤに、俺はさらに告げる。


カカシが動かないのは難点だが、これならある程度の状況を想定した練習ができる。何より、俺たちの力は物を壊さないからこういうのは打って付けだ」


 言って俺は黒衣を翻す。そうするとカカシに伸びた黒衣は消える。


「ほれ。次はお前の番だ。やってみろ。まずは三人からだ」

「……うん!」


 光度の増した瞳は消えず、在り得ない刀を引き抜いてサヤは駆け出す。


 朝はまだ、始まったばかりだ。



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