第8話『覚めやらぬ』
それは、思いがけず訪れた大会初戦を初勝利で飾った帰り道の出来事だった。
「…………」
サヤが思わぬ強さを見せ、来襲した強敵、巨大ロボ使いの金剛寺絲音に辛くも勝利した。
結果破壊されたように見えていた部室も校舎も綺麗に元通りとなり、サヤによって斬り崩された巨大な鉄くずも姿を消した。
勝利に喜ぶ先輩スグリと、自分のしでかした事態を理解していない様子のサヤ。そして終始あわあわと困り顔をしていた乙女。敗れた
最後にサヤに向かって、「この借りはいずれ返して差し上げますわ!」と言っていた。どこか楽しそうだったのは、言うまでもない。
そしてもう日も傾いていたため、一同は勝利の喜びも覚めやらぬまま、早々に解散と相成った。
そんな、逢魔が時の帰り道。
ト、ト、ト、ト、ト、と、何かがアキハルの背中へと突き刺さる。
「……」
それはナイフだった。それも一本や二本ではない。十数本からなるナイフが、アキハルの背中へと、まるで十字架のように突き立っていた。
「『虚栄の黒衣』。まさか、こんなところで発動するとはな」
しかし、バサッと翻したその背中は漆黒のマントで覆われており、そのマントには一本たりとナイフは貫通していなかった。
アキハルがマントを払うとマントは腕に絡まるように小さく縮まり、カランカランと無機質な高音を立ててナイフが地面へと落ちていく。
「「誰だ」とか、そんな厨二くさいセリフ、言った方がいいか?」
アキハルは足を止め、振り向かずに声をかける。
相手は、すぐに現れた。
まるで執事を思わせる燕尾服を着た、年若い少年だった。
少年は路地の暗がりから現れると、どこか不満げな表情でアキハルを睨む。
「まさか、防がれるとは思わなかった」
その発言に、アキハルは笑う。
「そんな殺気の篭もった視線で見られたら、どんな馬鹿でも気付くだろうさ。あっ……と、このセリフも厨二くさいよなw」
小馬鹿にしたようにそう言うアキハルの態度に、少年の眉間の皺はさらに深さを増す。
「気付かれたのは予想外だったが、まぁいい。お前をここで倒させてもらう」
「よくわからんのだが、それに何の意味がある?」
「お前たち、お嬢さまを倒しただろ」
「お嬢さま?」
言われて思い当たるのは、さっきサヤが戦ったばかりの金髪縦ロールのお嬢さま。
「金剛寺絲音の身内か?」
「ああ。お嬢さまはああいう性格の人だ。初戦は一人で行くと言って聞かなくてな。まさか、負けるとは思わなかったが」
なるほど。とアキハルは納得する。執事なんてものがこの日本に存在することには驚いたが、何でもありの
「それで報復か」
「ああ。おあつらえ向きの舞台も用意されたことだしな」
と少年執事はスマホの画面をアキハルに向ける。
「次の試合。試合方式は奇襲戦。開催日時は任意。つまり、今僕がお前を倒してしまっても構わないということだ」
それが事実なのか今のアキハルには確認のとりようがないが、おそらく嘘偽りはないのだろうと直感で理解する。
「はぁ……。ホント、あの先輩には困ったものだ」
まぁ、まさか試合がこんなにも自由極まりないルールだとは思ってもみなかったが。
「新人、それも高校に入学したての新入生。素人を狙ったみたいで後味が悪いが、これもお嬢さまのため。主人の失態は仕える身である僕の失態。この借りは、第二試合勝利という形で返させてもらう」
その上相手は乗り気。これはもう、逃げることはできないのだろう。
「いくぞ――」
「ああ……」
それに、
「俺も、ちょうど戦いたい気分だったんだ」
瞬間、夜が来る。
***
「え」
執事の少年は立ち尽くす。得物であるナイフをいくつも構えたまま、何が起こったのかわからずに動きを止める。
確かに、さっきまで夕方だったはずだ。決して明るい時間帯ではなかったが、それでも急に陽の光がなくなるほどではなかったはずだ。
なのに――、
「なぜ急に日が暮れたのか?」
声のした方へ執事は振り向く。そこにはぽっかりと空いた空白のように浮かぶ満月と、その横に並ぶようにして浮遊するアキハルの姿があった。
いや。たしかにそこにいたのはさきほど執事が目にした男のはずだ。顔も、体躯も、さっきまで見ていたものと何の違いもない。
だが、そこにいるアキハルという名の男はさきほどまでとは何かが違っていた。さしあたって、さっきまで着ていなかった夜色のマントと、ベネチアンマスクのような片眼鏡をかけているはいるが。
まるで何かの仮装のような異質感。しかし、現状を鑑みると異質な方が常識なのか。そう錯覚してしまうほど、この急な夜に彼は溶け込んでいた。
否。この夜こそが、彼のチカラなのだろう。
「どうした? 急にダンマリか?」
指摘されて、汗が頬を伝う。この手の能力には経験がある。相手の認識を書き換えるほどの能力。そのどれもが共通して強力なチカラの使い手だ。単純な火力ではない。その世界に入った時点で、相手の勝利がほぼ確定しているのだ。
「悪いな、おしゃべりはあまり得意じゃなくてね――」
だが、それは自分も同じこと――。
「『時よ止まれ』――」
刹那、時間が止まる。
自分でも、単純なチカラだと思う。時間停止の能力。ありきたりで、誰しもが一度はほしいと願う力だ。だからこそ強力で、絶対の力。
執事はナイフを投げる。少年の指先から離れたナイフは少しの飛翔の後に停止し、時の止まった世界と同化する。それを十数本、アキハルを取り囲むようにして投げる。万が一逃げられたときのための保険。こうしておけば一、二本躱されたところでどうってことはない。彼の必勝法である。
そして指を鳴らすポーズをとる。必要はないと思うのだが、お嬢さまが勝利は派手にカッコ良く、と常々言っているため、やらざるを得ない。
心の中で軽くため息を吐き、そして指を――
「なるほどな。実にわかりやすい、単純な能力だ」
鳴らすよりも前に、懐のナイフを声の方へと投擲する。
しかし投擲したナイフはありえない速度で空に浮かぶ三日月へ吸い込まれていく。
「くっ……」
そしてそれは、自分もだ。咄嗟の判断で後方へ跳んだ自らの体はありえない速度で地面へ着地し、あまりの感覚のズレに後ろへよろけてしまう。
「おっと、悪い」
しかし今度の尻餅は、いつもと同じ普通に痛いアスファルトの感触だ。
なんだ、これは……。
そして気が付く。夜空に浮かんでいたはずの月が、今は半分の月へと変化していることに。
「気が付いたか?」
月を見上げる執事に、アキハルは言う。
「この夜は俺が形作った偽りの夜だ。時間、温度、天候、地形から何まで俺が自由に設定できる。お前の能力、時間停止の類いだろう?」
「……ああ」
「そうだろうなぁ。だが、時間停止系ってのは、大抵時間がほんのちょっぴり動いてるもんなんだ。そこを、俺の夜が加速させ、ほぼ通常の速度と同等にした」
言って、アキハルの背後に浮かぶ月の姿が満月から半月、三日月から新月へと、その姿を急速に変えていく。
「完全に時間を止められればこの力は意味をなさないが、それができるのは、限られたチカラの持ち主しかいない」
「……アンタが、それだってのか?」
挑発染みた物言い。だが相手は動じない。
「いいや? 俺がこの夜でできるのは、あくまで擬似的なものに過ぎない。時間を止める能力は、俺にはないさ」
自嘲気味に、アキハルは肩を竦める。
「だからこの夜も、抜けだし方はいくつかある。力業で抜けだしたやつも少なくはないし、正攻法での攻略も多くあった。そもそも、この能力はお前のような空間系能力者への対策が主だしな?」
そしてその対策にまんまと引っかかってしまったというわけだ。
「まぁいい。今は久方ぶりのチカラの解放に興が乗っている。冥土の土産だ。お前にとっておきを見せてやろう」
そう言うとアキハルは手のひらを上へと向ける。
「この世界で起こることは全て嘘偽りで、真実などありはしない。無論、これらは俺たち厨二病患者が抱く妄想に過ぎないのだからな」
そしてその手のひらには、次第に力が込められていく。
「だが、真実だと信じた者、真実だと信じたい者たちにとって、これらは全て紛うことなき真実たり得る。貴様の目にもこれが見えているのならば、一秒先には消えるかもしれないそれらも、今この一瞬では真実に他ならないのだ」
そしてそれは、徐々に形を現していく。
「たとえ、どんなにあり得ぬことだろうと」
月が落ちてくるという、現実へとして。
「お前は、一体……」
「覚えておけ。俺は『魔王』。『魔王』を統べる魔王の中の王【
「……化け物め」
「褒め言葉として受け取るよ」
そして月は彼の
***
陽もほとんど暮れ、倒れた執事の体が影を伸ばす。
「くっ……」
そしてそのすぐ傍で、アキハルは住宅の塀へと体を預け、苦しそうに息を漏らす。
戦いには勝利した。それも、アキハルは傷一つ付くことない完封だ。だが、無傷のはずのアキハルは今にも倒れそうに息を乱す。
「久し振りに……、チカラを使いすぎたか……」
いつもはそんな台詞、厨二っぽいと嫌悪するところだが、今はそんな余裕すらない。
絞り出すような声は掠れ、青白くなった顔面上部には玉になった汗が噴き出している。
「相変わらず、無茶しているようだね」
「っ…………」
その声に反応して、夕日で伸びたアキハルの影が茨となって背後を襲う。しかし、そこにいた人物は片腕でそれらを払うと、何事もなかったかのようにアキハルへ歩み寄る。
「…………なんでっ、……お前がここにいる」
アキハルが声を絞り出すと、その人物はニヒルな笑顔で口を開く。
「久しぶりの再会だってのに、随分な物言いだねえ」
現れたのは、輝くような笑顔を放つ金髪の青年だ。
青年はふらつくアキハルを庇おうとするが、アキハルは拒絶するように振り払う。
「相変わらずのようだね。厨二病は辞めたって聞いたけど?」
「ああ、辞めた。辞めたさ。だからお前と同じ高校には進学しなかった」
「確かに、そうだね。これでも僕は結構ショックだったんだけど。一年前の誓いは嘘だったのかってね」
「知るか。お前が一方的に言ってきたことだろ。それに、それはアイツにも言えることだろ」
「まあ、彼女はああいう性格だからねえ。期待はしてなかったけど」
拒絶された青年は夕日に向かって少し歩く。
相変わらず、何を考えているのかよくわからないヤツだと、アキハルは息を整えながら一年ぶりに会った知人に思う。
「……もう一度聞くぞ。何をしにここに来た。シニア最強の剣士【白銀の騎士王】アーサー」
呼ばれた青年・アーサーはなおも変わらぬニヒルな笑顔を崩さず、アキハルへ振り向く。
「君にそう呼ばれるのは随分久しぶりだね。……なに。たまたま近くを通ったら、辞めたと聞いてた君の気配がしたもんだからね。ちょっと寄ってみただけさ。元気そうでよかったよ」
アーサーは暮れゆく夕日に顔を輝かせ、屈託なく笑う。
冗談なのか本気なのか、イマイチこの男の言葉は信用できない。
しかし、そう聞いたアキハルの背中は少しずつ震え出す。
「くっ……くっくっく……。元気? ああそうかもな。最近は碌に使えなかったチカラも久し振りに解放できた。元気……。そう、俺は元気だ。これまでにないくらいにな」
怪しく、卑しく、アキハルは笑う。
「それに、俺はようやく見つけたんだ。俺の乾きを潤すかもしれない相手を。可能性をっ! 俺はようやく見つけた!」
歓喜。いや、狂喜なのかもしれない。その見開かれた瞳には、暮れゆく夕日も、目の前にいる旧友すらも映ってはいない。そこに映るのはただ一つ。
「アイツが、アイツなら……っ、俺を、この俺を――――、
殺せるかもしれない」
夕日は暮れ、夜色の世界を反射する瞳には何が映っていたのか。出逢ったばかりの少女の姿か、はたまた別の何かか。
狂気に揺れる今のアキハルを、旧友は変わらぬ笑顔で小さく呼ぶ。
「ホント、君はいつも楽しそうだ。それでこそ僕が認めた好敵手の姿に相応しい。君もそう思うだろ、アキハル。いや……、【
二つの嗤いは、春の夜に木霊し吸い込まれていく。今の季節には少し早い、どんよりとした質感を伴って。
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