第5話『やまい』
二人が訪れたのは、近くにある小さな公園だった。
遊具も滑り台とブランコ、そして砂場だけの、少し寂しさもある公園。ただ広さだけはまあまああって、ここなら思う存分闘えるだろうと、二人が何も言わずに同意した場所だった。
荷物を滑り台の先に置いて、準備を整える。互いの距離は十メートル前後。遠くのようでもあって、目と鼻の先のようでもある絶妙な距離感。
その距離を互いに見つめ合って立つ。少女は真剣に、アキハルは迷いながら。
正直、どうすればいいのかわからない。自分はもう厨二病ではない。厨二病などという言葉は、中学に置いてきた。今更自分に何が出来るのか。いや、何も出来ないのかもしれない。ただ――、ただ何も出来ないにしても、この子の放って帰るという選択肢だけはどんな状況であってもあり得ない。それだけは確実にそう思えた。
「準備、いい?」
少女が静かに聞いてくる。
「ああ」
と言っても、荷物を置いたら準備など何もないのだけど。
「そう」
少女は短くそう返すと、外套の下にある何も入っていない鞘へと手を伸ばす。
途端、ゆっくりと刀が引き抜かれる。何も納められていなかったはずの、鞘から。
「――――実体化!?」
記憶にある現象を目にし、アキハルは驚きにむせぶ。
可能性は感じていた。だが、本当にそうだとは……っ。
「じゃあ、行くよ」
そう言った瞬間、少女が消える――――。
否、消えたわけではない。極度の低姿勢による接近により、一時的に視界から外れたに過ぎない。
だがそれでも、恐ろしく高速な動きだ。何せ一瞬で視界から脱したのだ。そして一秒もかからぬうちに、アキハルの身体は刀の間合い。
そして刀が横薙ぎに――、振り抜かれる。
「くっ――――」
予想外の――いや、予想以上の攻撃にアキハルは息を漏らす。だがアキハルもただでやられはしない。そのあからさまな一撃は後方に下がることで回避する。
だがそれで少女の動きは止まらない。横薙ぎが躱されると見るや、返す刀で逆袈裟斬り。
しかしそれも、アキハルは既のところで躱す。いや、躱せてはいない。僅かに首筋を掠め、血が滲み出る。
そこで一旦少女は動きを止め、アキハルも距離を空けて体勢を立て直す。
「…………」
首筋を押さえる。少しだけ流れる血が指先に触れる。斬れている。確実に。さっきまでなかったはずの刀はしかと少女の手に握られていて、その刃はアキハルの体を傷付けた。
現実だ。否、現実ではないことは理解している。だが、この体が――厨二病である自分自身の体が叫ぶ。これは、お前たちの現実なのだと。
それを、そのことを実感した瞬間、僅かに、身体が熱くなる。
「やっぱり」
アキハルがそんなことを考えていると、急に少女が声を出す。
「やっぱり、アナタは【魔王】だ」
静かに、しかし嬉しそうに少女はそう呟く。
少女の期待に応えられたことによしと思うべきか、やはり魔王と思われてしまったことを後悔すべきなのか。
判断はつかないが、今はこの状況をどうするか――。
と、そこまで考えて、異変に気付く。
ボッ、と。少女が持つ刀に火が灯る。
「だからわたしも……」
少女はそのことに気付いているのかいないのか、高揚した気持ちのまま顔を上げ、
「だからわたしも、本気で行かなくちゃ!」
そう言った瞬間、再び少女の姿が消える。それもさきほどを越える速度だ。これ、は……。
「ちょ――――」
躱す。右足狙い。体重の乗っていない右足を払うように落とす狙いか。
「ちょっと……」
躱す。右手狙い。さきほどの流れのまま、一瞬のふらつきを逃さぬよう細かい部位を狙う。
「ちょっと待――――」
躱――し、きれない。逃げた先にはブランコの柵があり、いつの間にか追い詰められていたらしい。
どうにか策を模索するが、そうしてる間にも少女は刀を振るい――――、
「ちょっと待てって!」
「っ――――――――」
アキハルは首筋に迫った刀を受け止め、少女の猛攻を防いでいた。
その手は漆黒色の何かで覆われており、刀を掴んでいるにも関わらず傷一つない。
「ちょっと待てって言ってんだろ。それに――――」
「こんれ、そこの坊主たち」
「っ!」
急な声に顔を上げると、公園のすぐ傍には腰の曲がった老人が一人立っていた。
「こんな時間にチャンバラごっこなんてしてねえで、さっさとうちけえんな」
老人はそれだけをぷるぷる震えた声で言うと、そのまま去って行く。
「あ、はい……。す、すみま、せん……」
興が削がれた、とでも言うべきなのか。どこかお開きの雰囲気の二人はそのまま体を離し、アキハルは鞄を取りに向かう。
「くそっ、また使っちまった……」
悔しがるその手から漆黒の何かは既に消えており、素肌の見える掌にはやはり切り傷らしいものは見当たらない。
しかしそれでも具合を確かめるように手を開閉していると、
「……今の、何!」
戦闘中とは打って変わった雰囲気で、少女は爛々とした眼でアキハルを見つめていた。
「【魔王】……、ううん、師匠!」
「し、師匠?!」
「うん、師匠! 今の何? 今の、あたしにもできる?」
「い、いや、何って言われても……」
さっきまでのシリアスはどこへ行ったのか。少女に詰め寄られたアキハルはたじたじとした様子で答えを濁す。
アキハルがどうしたものかと答えあぐねていると、
「――――ぅっ……」
急に体を翻し、近くに見えた用水路へと向かう。
そして、
「お、おえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜……」
「え、ええーーーーーーーー!!」
突然のことに、少女は驚きを隠せない。
「ち、ちょっと、急にどうしたの!」
「ぅ、ぐ……、はぁ……、はぁ……」
「これ、お水」
少女から水を受け取り、ひとしきり胃の内容物を出し終えたのか、一度大きく嘔吐したアキハルは這いつくばった姿勢のまま今度は頭を地面へと打ち付ける。
「くっそ! やっぱりダメだった!」
「な、なに……、どうしたの……?」
「……どうもこうもない」
体を起こしたアキハルは、さっきまでとは打って変わって青い顔をしていた。
「……見ただろ。これが今の俺だ」
「……どういうこと?」
「っ……、今の俺は、
「でも、さっきは」
「でもじゃない。現に今の俺はこうなってる。……さっきのはたぶん、久々だったから少し使えただけだ。ただの……マグレだ……」
「そんな……っ」
「でも、これは俺が厨二病を辞めたこととは関係ない。この症状が出たのはたまたまで、俺は厨二病を辞めたかったから辞めたんだ」
ひとしきり捲し立てると、未だ体調は悪そうにアキハルは立ち上がる。
「だからもう、俺に付きまとわないでくれ。俺はもう【魔王】は……辞めたんだ……」
それだけを言うと、アキハルは鞄を引っ掴みおぼつかない足取りで去っていく。
「…………」
アキハルの去った公園にはどこか虚しい静寂と、何も言わず立ち尽くす少女だけが残された。
「ふーむ……」
ただ一人、その二人の様子を見ていた見知らぬ人影以外は。
***
次の日。
放課後の廊下を、二つの人影が歩く。
「えっと……ありがとね、陽乃下さん……」
「
「あ、うん。じゃ、じゃあサヤちゃん、ありがとね。来てくれて」
影の一つはいつもアキハルを付きまとう少女のもの。
そしてもう一つは少女と言うには少々大きな影。しかしその雰囲気は、学生の少女そのもの。
「ううん、大丈夫。わたしも、興味があったから」
「そ、そう?」
クラスメイトであるその二人はどこかたどたどしい雰囲気で、会話もあまり弾まない。
そうしているうちにも目的の場所に着いたようで。
「ここが、わたしたちの部室です」
「……なんか、思ったより普通……」
「あ……、うん。そうだよね」
やはり弾まぬ会話。徐々に重くなっていく空気の中。部室の扉が再び開かれる。
「やぁやぁ揃っているかね、諸君!」
先に来ていた二人とは大きく異なる明るい雰囲気の声を発し、入ってきたのは小さな女の子。平均よりも背の低いサヤよりももう一回り小さい、下手をすれば小学生とも思われかねない女の子だった。
「やあボクの乙女よ。お早いお着きで何よりだ」
「スグリちゃん、遅いよ~。それに、私の名前はオトミだよ~」
「すまないすまない。ちょっと手間取ってしまってね。それより、彼女が例の?」
「う、うん。うちのクラスの陽乃下さん」
「ど、どうも……」
借りてきた猫のように縮こまって挨拶するサヤ。
その様子を、スグリと呼ばれた女生徒は大げさな仕草でうんうんと頷く。
「どうもよろしくだ、陽乃下紗弥くん。優秀な人材と聞いて、ぜひとも我が部に勧誘したく来てもらったよ」
「我が部……?」
よくわかっていないようなサヤだが、先にオトメと呼ばれた少女が話しかける。
「それで、スグリちゃんの方はどうだったの? ダメだった?」
「ちっちっち。ボクを誰だと思っているんだい? 当然抜かりはないさ。これが、その証拠さっ!」
そう言って出されたのは、後ろ手でずっと握っていた鎖。その先には――、
「んーーーー!!!!」
鎖でぐるぐる巻きにされ、猿ぐつわをはめられた【魔王】ことアキハルの姿だった。
「魔王???」
「す、スグリちゃん!? なにしてるの?!」
困惑する二人を他所に、スグリと呼ばれた女の子は一人何かに納得したように頷くと、大げさな仕草で宣言する。
「これで準備は整った……。
ようこそ、厨二部へ!!」
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