第4話『戦いたい』


 放課後、


「魔王、勝――――」

「悪い。放課後は勉強して帰るから」

「あ、……………………そう」



「ふぅ……」


 一息吐いて、ノートを閉じる。

 日課となっていた図書室での自習を終え、アキハルは帰り支度を始め動き出す。

 外の景色は既に茜色で、いくら日が長くなってきたとは言えど遅くなってしまったことを後悔しつつ、それでも思った以上に勉強に集中できたことに満足感も感じていた。


 ちなみに、満月はとうの昔に帰っていた。

 アイツはあれでそれなりに成績がいい。勉強は好きな方ではないが、自分がこれと決めた目標は必ず達成する器用さを持っていて、それなりにレベルの高いはずこの学園にもすんなりと合格していたほどだ。羨ましい限りである。


 図書室にはアキハルと同様自習目的で利用している者が多く、新学期も始まったばかりとは言え、それなりの生徒がここを訪れていた。

 だが、さすがにこの時間にもなると図書委員以外の生徒は数える程度しかいない。

 アキハルも日が完全に沈む前に帰ろうとそそくさと図書室を後にし、校門を出る。


 と――、


「…………」



 校門の前に、身に覚えのあるシルエットが体育座りで座り込んでいた。



「……………………、……はぁ」


 さすがに無視することも出来ず、振り返る。

 今朝、そして昼に見た少女の姿がそこにはあった。

 目元を少し、赤く染めて。


「うぅ……。ま、魔王~~~~」


 少女の方もこちらに気付いて、アキハルは仕方なしと息を吐く。


「魔王じゃないって、言ってんだろ」



   *



 カラカラと、タイヤが回る。

 慣れない二人乗りなどをしながら、アキハルは後ろを気にする。

 ヒシと自分の腰にしがみつくのは、厨二病の少女・サヤ。今朝と違い、その様子はイヤに静かだ。

 それもまぁ、仕方なしかと思ってしまう。


 アキハルを見つけて第一声、泣き声で魔王と叫んだ少女は「財布な゛くじた~~」と初対面時に受けた印象とはほど遠い情けのない声で自白した。あまりにもポンコツだ。

 水を掛けられるなんてイジメには全く動じないというのに、自分が犯したポカにはこれほど動揺するとは。スゴいと思えばいいのかどうなのか。


 ちなみに、財布はすぐに見つかった。とりあえず学校の事務所に聞いてみたところ、普通に落とし物として届けられていたらしく、中身も一切の紛失なく戻ってきた。財布は蛙の形をした蝦蟇口ガマクチだった。


 そこでさっさと退散していればよかったのかもしれないが、さすがに意気消沈した女の子をこのまま放り出すことはできない。送っていってあげな、と自転車まで貸してくれた粋な事務員のおばちゃんに後押しされて、アキハルは今時どうか思われる二人乗りで帰り道を駆けていた。


 日はとうの昔に暮れており、灯りと言えば頼りない自転車の自家発電ライトのみ。他の灯り切れかけに点滅する街灯と、時折過ぎ去る車のヘッドライトくらいで。田舎道の不安さを感じさせられる。


 しかしながら、そうも言ってはいられない。何の因果かは知らないが、腰に巻き付くこの小さな手が必死にしがみついているのだから。



「ねえ、魔王」

「魔王じゃないが、なんだ?」

「魔王は、なんで『魔王』じゃないの?」

「…………」


 なんて返すべきなのか少し悩んで、しかしゆっくりと返す。


「これは、俺の話とは違うけど」


 と前置きをして、


「昔、厨二病だったやつがいた。厨二病ってわかるか? 自分を魔王だとか正義のヒーローだとか、漫画やアニメの世界の住人だと思い込んでなりきる痛いヤツのこと。そいつは中学になってから厨二病になって、そして調子に乗った。それまで頑張ってた勉強もスポーツも全部辞めて、そのありもしない空想の世界にのめり込んでいった。それをスゴいと褒めてくれる仲間もできた。認めてくれる場所もあった。だからそいつはそれを誇って、それが自分の生きる道だと、世界だと信じていた」

「……そうじゃ、なかったの?」


 話を切ったアキハルに、少女は問う。


「ああ。そうじゃなかった。俺が信じていた世界はあくまで妄想。空想の世界で、現実の世界なんかじゃない。人生の糧になんて、絶対になりはしないんだ。そのことはわかっていたはずなのに、そいつは見てぬフリをした。だから学校の成績も落ちた。親にも先生にも怒られた。それでもそいつはいいと思っていたけど、ついに気付くときがきた」


 夜の静けさに耳を澄まして、話を続ける。


「ずっと、ずっと憧れてくれていた妹に嫌われたんだ。「気持ち悪い」って。それが決め手だった。今までなにも気にしなかったそいつは、今まで自分の味方だった妹に嫌われて、見限られて、ようやく気付いた。今の自分には何もないって」


 そこでアキハルは立ち止まる。灯りがないおかげでよく見える夏の大三角形が、二人を見下ろしていた。


「だからそいつは『魔王』を辞めたんだ。魔王じゃあ、いい学校にも、いい会社にも入れない。何にもなれないって気付いて」


 そこで車が一台、通り過ぎる。二人の表情を眩いヘッドライトが白く照らす。


「なあ、聞いていいか?」

「なに?」

「何で、魔王なんだ?」

「?」

「何でそんなに、魔王と戦いんだ?」


 それは純粋に疑問だった。厨二病にもいろいろある。自分の思い描いた強さを誇示したい者。物語の主人公になりたい者。戦いの中に身を置きたい者。しかしこの少女はそのどれとも取れない。戦いを望んではいるが、戦いというよりも【魔王】という存在に対して強い執着心があるように思える。だからこそ気になる。なぜ【魔王】なのか。この子にとって【魔王】とは何なのか。


「……」


 見つめるアキハルに対して、少女は少し下を向いて口を開く。


「強く、ならなくちゃいけないから。あたしは誰よりも強くいなくちゃいけない。だからそのためにも、あたしは【魔王】と戦いたい。戦って、勝ちたい」


 思っていた答えとは少し違う答え。だが、そこには確固とした信念が確かにあった。

 厨二病だろうとなんだろうと、決して生半可なものではない、確固たる決意がそこにはあった。

 だから、


「ねえ、魔王」


 続いて出てくる言葉を、アキハルを予想できた。



「一度だけ。一度だけでいいから、わたしと戦って」



 それは、これまで以上に真っ直ぐな、願いだった。



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