第3話『別にいい』
入学式から一週間。少女とアキハルの攻防は全校生徒が知るところとなっていた。
「逃げるな、魔王ーーーーーーーーっ!」
「魔王じゃねぇって言ってるだろうが!」
朝の通学路から――、
「あたしと、戦えーーーーーーーーっ!」
「お断り、だぁーーーーーーーーーっ!」
休み時間――、
「メロンパン!!」
「一日十個限定ソース味噌カツ焼きそばパン!!」
昼食時にまで、その攻防は一日中続けられた。
「疲れた」
「だっはははは、そりゃそうだ。朝も昼もあんだけ全力で逃げ回ってりゃな」
満月の笑い声が、暖かい木陰の中に木霊する。
昼休み。普段は教室で昼食を摂る二人だけが、今日はいつもとは趣向を変えたのか、春の陽気差し込む中庭へと足を延ばしていた。
この学校の中庭は広く、園芸部が運営する花壇や中心に聳え立つ大樹などがある他、生徒が過ごしやすいようにといくつかベンチやテーブルなどが設けられている。そのためか昼時になると昼食をここで摂ろうとする生徒が多くやってくる。無論食事意外にも読書や勉強でここを利用する者も少なくない。
そんな人気スポットの一つでもある中庭に物見遊山感覚で訪れた二人は、とりあえず購買部で買ってきたパンを広げ、つまらぬ駄弁に花咲かせていた。ちなみに話題は当然、あの少女のこと。
「陽乃下紗弥」
とある理由で朝から走りっぱなしのアキハルは、急に出た誰かの名前に怪訝な視線を送る。
「誰だ」
「お前にゾッコンな例の女子だ」
ゾッコンて。
「名前は
「明桜?」
明桜付属中学は県内では有名な私立校だ。エスカレーター式の学校で、付属中学の生徒はそのまま本校へ進学する者がほとんどだと聞く。
「ああ、それについてだが、どうも彼女、中学では剣道部に所属していたらしくてな。その筋ではかなり有名な選手だったらしい。それこそ全国優勝も経験していると聞く」
「全国優勝?!」
それがどれほどスゴいことなのか、言われるまでもなく理解できる。
「なんでそんな子がこの学校に……」
ここ高天原高校もそれなりに部活動に力を入れている学校ではあるが、剣道が強いという話は聞いたことがない。そもそも存在するのかもわからない。
「それがどうも、彼女は今年すぐの正月大会――つまり、中学最後の大会を前に部を退部している」
「剣道部を……退部? 何で?」
「さぁな。それは本人に聞いてみないとなんとも。だが、何かがあって全国優勝まで成し遂げた剣道を突如引退。そしてそのまま明桜への進学を辞退しこの学校へ来た。ってことらしい」
らしいと言うが、事実あの子はこの学校へと来ている。それも厨二病なんぞに掛かってだ。
「ちなみにうちの剣道部は弱小だ。万年地区予選止まりで、部員数すらも危うい状況らしい」
「ますますこの学校に来る理由がない、か……」
「理由ならあるぞ」
「え」
予想だにしない答えに、アキハルは顔を上げる。
「あの子がこの学校に来た理由だ。毎日自分で言ってるじゃねえか。【魔王】ってな」
ニヤ、と満月は意地の悪い顔で笑みを浮かべる。
それを見て不服そうに、アキハルは机に頬杖をついて視線を逸らす。
【魔王】。確かに、入学時からあの子が言っていることではある。中学で何があったのかは知らないが、【魔王】という存在にあの子が執着するような何かがあり、あの子はこの学校への進学を決めた。長年やってきた剣道を捨ててまで。
彼女が言う【魔王】が本当にアキハルのことを指すのかはわからないが、あの子にとって特別なことなのはまず間違いないのだろう。だが、アキハルにはその心当たりがない。では一体……。
「…………謎だ」
「ホント、謎よね……」
「……………………………………………………………………………………っ!!」
気が付けば、いつの間にか少女がアキハルの隣に鎮座し、美味しそうに購買部販売のメロンパンをその小さな口で豪快にかぶりついていた。
「お、お前、いつの間に……っ」
「ん、食事中は、お静かに」
「あ、はい。……じゃなくてっ!」
突如現れた件の少女、否、陽乃下紗弥に動揺の色を隠せず、アキハルはサヤの空気に流される。
「お前っ、何しにここに!」
「もちろん、お昼ご飯。どこで食べるか決め倦ねてたら、ちょうど【魔王】の姿が見えたから寄ってみた」
「だから俺は魔王なんかじゃ……、って聞いてねぇし」
そんな気軽に来られても困るというものだ。いや、気軽じゃいけない理由も特にないのだが。
「俺はてっきり、また戦えって言いに来たのかと」
「戦ってくれるの!」
「戦わん。座ってろ」
そう言うとサヤは少し不満げにポフンと椅子に座る。
黙ってはむはむとメロンパンを囓っているその姿は可愛らしい少女そのもので、ともすれば小動物のような愛らしさすらも感じられる。
こんな子が本当に全国一位の剣道娘? にわかには信じがたい話だ。
アキハルが観察している合間にも、サヤは菓子パンを食べては新しいの開け食べては開けを繰り返し、次第に菓子パンの袋の山を形成していく。この小動物そうな胃袋のどこにそれほど入るのか甚だ疑問だったが、十個ほどをあっという間に平らげた辺りで。
「食べた。ごちそうさま。さあそれじゃあ魔王、勝負!」
と意気揚々と立ち上がる。
「何が勝負だ」
「あぅっ」
ポンッと。立ち上がった少女の額を軽く小突き、勢いそのままに座らせる。
体勢の崩れた少女の体は大きく揺れ、その所為か、何か水滴のようなものが飛びアキハルの頬へと触れる。
「ん……、水?」
ただの水。だが今は雨どころか雲も高いよい天気だ。
ならばと出所を探ってみれば、今し方座らされた少女の髪が、僅かながらに濡れていることに気付く。よく見れば、座っている気の椅子もしっとりと濡れて色が濃くなっている。
「お前……、なんで、濡れて――」
「落ち着けよ」
満月に制されて、自分が咄嗟に立ち上がっていたことに気が付く。
「ん、これ?」
二人を他所に、少女は軽い調子で濡れた髪を指で弄る。
「わたしはよく雨に降られるらしい。
急に来た厨二語りに半分呆れつつ、しかしあからさま過ぎる事の事態にアキハルの熱は納まらない。
これは、明らかなイジメだ。
「お前、それどこで」
「厠。水気の多い場所ほど、この現象は発生しやすい」
「なるほど。ありきたりだな」
そう思い教室の方角を睨む。だがさすがに犯人の目処は立たない。なにせまだ入学してから一週間しか経っていないのだ。クラスの人となりなど、まだそこまで理解してはいない。そもそも自分は休み時間は勉強にかかりきりだったし、そもそもこの少女は別のクラスだ。
「ていうか、よく降られるって言ったよな。つまり初めてじゃないってことか」
「うん。経験済み。以前の戦場でもよく発生していた」
戦場。なるほど。つまり中学からってことか。ていうかよく高校上がったばかりでこんな目に遭うものだ。悪目立ち……は、まぁめちゃめちゃしてるか。
にしても、落ち着き過ぎやしてないか、この子。
「お前、妙に落ち着いてるが、それで――」
「いい」
言おうとしていたことを先に言われ、言葉を呑む。
「別にいい。この体質のこととか、周りの影響だとか、そんなことはわたしにとってどうでもいい」
パンを食べていたときとは別人のような強い口調。それに何よりこの瞳。入学式のときに見せた、あの焔を思わせる強い瞳だ。
「ただわたしは戦いたい。アナタと。【魔王】と、戦いたい」
「っ……、どうして、お前そこまで……」
「強く、なりたいから。誰よりも強く。それが、わたしの望み。誰よりも強い存在である【魔王】を倒して、あたしは強くなる」
傍から見れば、それは厨二病が呟いた世迷い言にしか聞こえないだろう。だが、今目の前で――その瞳に見つめられて語られるアキハルにとっては、その言葉は全て真実にしか聞こえない。紛うことなき本心の言葉。そう断言できるだけの強さが、その子の声にはあった。
「それに、こんなのすぐに乾くし」
そう言って再び座った少女は、十一個目のパンを開けて食べ始める。
アキハルの胸中は未だ釈然とはしないが、これほど
そのまますぐに次の授業の予鈴が鳴り響き、この妙な集まりは解散となった。
そしてその頃には、少女の体はあっという間に乾き、ついでに十三個目のパンを平らげていた。
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