第一幕『出逢いは焔のように鮮烈に』

第1話『焔の瞳』


 よく見る、光景ではある。


 学生が単語カードに目を落とし、朝の通学路をひたすら邁進している姿は。


 ただ、それが入学式早々の光景ともなれば話は違ってくる。


 桜舞い散り、春まっさかりと言える四月の前半。歩む青少年の装いは真っさら新品そのもので、その姿はどこか希望に満ちている。春。その単語そのものが放つ奇妙な高揚感と共に、浮かれているでもなく、しかし期待に胸を膨らまし新たな生活へと歩んでいく。そんな若々しさこそがこの時期の醍醐味というものだ。


 であるが、そこを歩く少年には満ち満ちた高揚感も浮き足だった青さも見えはしない。

 そこにあるのは、どちらかと言えば焦り。まるで未だ受験生であるかのような、何かに迫られているかのような焦燥感をその身に内包していた。


 その真新しい制服を見るに、彼もまた新入生のはずなのだが。

 ただ当の本人はその実感も何も持たぬまま、ただ黙々と単語カードにだけ目を走らせているのだが。


 だからなのだろう――



「ほら、降りてきなさい」



 校門で行われていた、そのちょっとした騒動に、気付いていないのは。



「っあだ」


 単語カードに齧り付いていたばかりに、前方不注意となっていた少年は校門を素通りスルーすることこそなかったものの、校門内すぐに立っていた筋肉にぶつかり尻餅をついてしまう。


「お、悪い」


 おそらく体育教師だろうその筋肉にぶつかった少年にそれだけ声を掛けると、筋肉はまたすぐにどこか別の場所へと視線を移してしまう。

 少年がまだ気付かない、騒動の発端へと。


「痛つつ……」


 打った尻を擦りながら身体を起こす。低くなった視線は自然と上を向く形に復帰し、




 少年は、焔と視線が合う――――。




 校門傍に立つ大樹も、背景に見える青空さえも、その全てが大火へと変じ、辺り一帯は闇色の焔へと姿を変える。そしてその中心に立つのは、少年を睥睨するかのように見下ろす一人の少女。焔そのものと言っても過言ではない、鮮烈なまでの印象を世界へと振りまく一人の少女が、校門の上に立っていた。

 一瞬で幻視なのだとわかる。これは現実ではないのだと、頭では理解できている。だが、それでも。そこに立つ圧倒的なまでの存在感に、少年は目を離せないでいた。


 しかしそれも束の間。


「ほら、さっさと降りなさい!」


 体育教師の声に、少年は焔の中から現実へと引き戻される。


「……ふーん」


 困惑する少年に何を思ったのか、少女は呼びかける体育教師を見向きもせず、腰のものへと手を伸ばす。

 と――――、



「ねえ、――もしかして、アンタが【魔王】?」



 腰の鞘から刀を引き抜き、少年へと突きつける。


 ゴクリと――、生唾を呑む。

 朝日を浴び白銀に光る、その本物のような刀身に対して。――ではない。

 彼女の小さな唇から語られた、その名前に対して、だ。


 何で。どうして。何故その言葉を知っている?

 本当に知っているのか? その言葉の意味を――――。


えてるってことは、そういうことでいいのよね?」


 しかし少女は少年の焦りとは裏腹に、どこか楽しげに白化アルビノのように赤い紅玉の瞳を光らせる。


 その表情、その仕草。少女のあらゆる部分に既視感を感じ、少年は今一度少女を観察する。


 赤い瞳に長い黒髪、そして黒の外套。赤い瞳はおそらくカラコンだろう。

 黒髪は腰まで掛かるほどの長さだというのに、ハネ一つない。手入れを欠かしていない証拠だ。

 そして問題は制服の上から羽織った黒の外套。あからさまに目立っている。春になったばっかりで朝は多少冷えるとは言え、学校に着てくるには少々場違いだ。というか、普通に校則違反のはずだ。それを何のおくびもなく、どころか堂々と纏っている。普通では考えられない。

 そしてその腰には、立派なこしらえの鞘が堂々と曝け出されている。その無駄にごつい外套で隠すこと可能だろうに、そんな様子一切なく、堂々と腰に提げられているのは黒塗りの鞘。そしてそこへ仕舞うはずの刀は、今その主が持ち、少年の前へと突き立てられていた。


 異常だ。異常である。晴れの日とも言える入学式当日に、校則違反の外套にカラコン、果ては刀を提げてやってくる。もうどこからツッコんでいいのかわからない。


 その少女の様子に、姿に、少年は自分の中にある一つの単語と合致する。

 そう、即ち――




(厨二病だああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――!!!!)




 厨二病。一般的に、思春期の青少年が過度な妄想を拗らせ、他人が見るに耐えない言動、またはその存在そのもののことである。


 つまり、この少女はまさに、痛々しいまでに厨二病的存在なのだった。


(魔王とか言う単語をこんな公衆の面前で言うのがその良い証拠だ)


 口元を引きつらせながら少年はそそくさと立ち上がり、


「あ、人違いです~」


 そう言ってニヒルな笑顔(当社比)を作りその場を後にする。


「ち、ちょっと」


 だがしかし、まわりこまれてしまった!

 自然な流れで立ち去ろうとした少年の前に、少女は異様な速度で追いかける。


「おいお前、逃げるな! ねえ、ねえ魔王! 魔王なんでしょお前? お前魔王なんでしょ???? ねえ!!!!」


 怖い怖い怖い怖い。

 早歩きを通り越してもはや競歩で校庭を歩き去ろうとする俺の真横にぴったりついてき、なにやら同じ内容を質問攻めしてくる。怖い。


「違う。違います。人違いです。わたしはちかってまおーじゃありませーん」

「うそ、嘘っぽい。ひらがななのが何か異様に嘘っぽい!」

「うそじゃないです。ほんとうです」

「ほらまた嘘! ねえ魔王なんでしょ? 魔王なら聞いてよ魔王!」

「魔王じゃないから聞きません聞きません」

「でも魔王なんでしょ!」


 無視しようとする俺の前に回り込んで下から睨み込んでくる。よく見るとなかなか可愛い顔をしている。中学一年生くらいだろうか? 見たことのない制服だが、あと四、五年すれば美人さんになると思われる綺麗な顔立ちの子だ。


「ま、魔王じゃ……ねえよ」


 そこでつい、言い淀んでしまう。


「ほら、今目ェ逸らした!」

「逸らしていない!」


 いや確かに逸らしたが、それはまた別の理由でだ。


「嘘。魔王はすぐ嘘吐く!」

「嘘じゃない」

「嘘。どうしてもって言うんなら、アタシと――」


 そこで少女の身体がグイっと持ち上げられる。


「ほらそこまでだ」


 見れば背後には、さっきまで校門で少女を降ろそうと声を掛けていた体育教師が、少女の首根っこを猫が如く持って立っていた。


「は、放せーーーー!」


 ぱたぱたと暴れる少女を何のそのと、体育教師は慣れた手つきで少女はさっさと連行してしまう。


「ほれ。お前もさっさと教室へ行け。入学式、もう始まるぞ」


 呆気にとられた少年が見守る中、暴れる少女の姿は校舎の中へと消えていく。


「……何だったんだよ、今のは」


 ため息と共に立ち上がった時には、すでに周りの新入生も疎らで。

 高校新一年生、新入生の黒鉄くろがね晶玄あきはるは急いで指定された教室へと向かうのだった。




「あ。単語カード、なくした」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る