第4話 試練
「試練を、と」
隊長は驚きました。
…まさか人間の口から、「試練」という言葉が発せられるとは…
しかしすぐに冷静になり、構えていたヤスを引き、数人の兵士に命じました。
「すぐにも、近海にいる鯨の声を用いて、王にお伝えするのだ。姫様の姿を心に刻んだ人間より、試練の申し出がなされたと」
さらに隊長は青年に向き直って言いました。
「人間よ。陽が高く昇るまでに、王より下された試練の内容が届く。また、月が天の頂きにかかるまでには、王の代行、もしくは王ご自身がこちらにお出でになる。そこでお前は、成し遂げた試練を示すのだ」
青年にとっては、いきなりの兵士達との出逢いであり、訳のわからない宣告だったはずです。
しかし、身体を支えている姫の視線の奥に、自分を救おうとする深い祈りを読み込んだのか、抵抗することも疑問を口にすることもなく頷きました。
「人間よ。この小さな島は、我らの海に囲まれている。夢にも逃げおおせるなどとは考えるな。では、試練の到着をここで待つがよい」
隊長は、姫に「準備がありますので」と恭しく頭を下げ、紺色の波間に姿を消しました。
「あなたには何も罪はないのです。すべては私たちの世界の掟ごと」
濡れた岩に青年とともに腰かけた姫は、青年に申し出をさせたことについて説明しました。
試練・・
それは、死を宣告された総ての者に与えられる、ただ一度だけの生き伸びる機会。
試練を受けることを選んだ者は、王からの課題をやり遂げた時に限り、死を免れるのです。もちろん易しい課題ではありません。生きるよりも、はるかに辛い課題が与えられるのです。
「もし、僕が試練を受けることを放棄したら?」
青年はうなだれがちに話す姫に尋ねました。
「私があなたの命を奪うことになります。もし、私が拒めば、他の誰かの手に委ねられます」
「では、僕に選択の余地はなかったということだね」
青年は、海人の世界の掟の押しつけに、憤慨することもなく明るく笑いました。
「幾度も会っていたはずなのに、君についての記憶は、夢に浮かんだものだけ。きっと現実の君は、別れを告げ続けていたのだろう。でも、怪我人を治したいという僕の衝動は、それを聞かずに君の世界の掟を破り続けた。
命を失くすことは恐ろしい。けれど僕の医師としての誇りは満足している。試練、どのようなものかはわからないけど、チャンスがあるなら喜んで受けよう」
青年の声は穏やかでした。
しかし、そこには語られなかったことがありました。
『昨日まで、あなたは〈医師〉として通ってきてくれていた。ではなぜ、今朝はすっかり回復したはずの私の元にやってきたの。その身体を突き動かしたものは何であったの?』
語られなかった思いは、命を奪う責務をもつ者への配慮によって隠されていたのかもしれません。姫は尋ねることができませんでした。
やがて太陽は高く昇りました。
島はまだ眠っているかのように静まり返っていました。漁船は港に停泊したままで、外からやってきた船は、港に入ることもなく近海を漂っていました。
島とその周囲は、海人たちの歌声に包まれていました。兵士らに加え、数千人もの海人が集まっていました。
サクラ貝の首飾りをかけた青年を除き、島の人間は、各々の家で、道端で、ただぼうっとして時を過ごしていました。
課題はすでに青年に伝えられていました。
海人の隊長は、海底から引き上げた一抱えもあるシャコ貝を、青年の前において言ったのです。
「王から下された試練。それはお前の愛する者の舌を切り取って差し出すこと。お前は、愛する者が言葉をなくした痛みとともに、我らのことを吹聴しないと自戒し続けるのだ。
さあ、これより開けるこの貝をのぞけ。
貝は、お前の心に浮かんだ愛する者の姿を感受し、その柔らかい肉に刻みつける。必要があれば、王は貝を開き、刻みつけられた者の姿を月光の下に映し出す。決して嘘はつけない」
サスで開かれた巨大な貝の前に、青年は顔を寄せました。
すぐにも貝は閉じられ、一方で青年は一言も発することなく磯辺を去って行きました。
姫は小さくなっていく人影を、呆然と見送りました。
『なんて辛いこと。医師であるあの人が、誰か他の者の舌を切り取るはずがない。きっと 彼は私の前に命を投げ出す…
ああ、でも、もしも貝に閉じ込められた姿が、私であったら…この舌を差し出せば、彼は生きることができる。
否、なんと愚かな想像を。陸に住まう人間が、海人を愛するなど…ありえない』
姫は港の桟橋に腰をかけ、家々の屋根の1つから突き出た小さな
時に、海原に目を向ければ、おそらくは島の異変に気づいた人間が遣わしたものなのでしょう、厚い鉄板に覆われた巨大な船が、ぼつぼつと数を増やしていました。
『もしやあの船が、彼を助け出してくれるかも』
期待を向けることもありましたが、島に近づく途中で波間に漂いました。海は、やはり海人たちの領分でありました。
流れる時間は、夜の海中で大クラゲの触手に絡まれた時のように苦しみに満ちたものでした。何がしかの光が射したように見えて、そちらに浮かぼうとしても、すぐに光は消え、底知れぬ暗闇に引きずり込まれるのです。
太陽は、西の彼方に膨れあがりながら姿を消し、すでに東に昇っていた月が、黄白色に色づき始めました。
いつのまに集まったのやら、獣使いの乙女らが波間に顔を出し、海面をリズミカルに叩きはじめました。それに応じるように、無数の鯨たちが海中から浮き上がり、港や近海に漂っていた船を遠くに押しやりました。
姫は尾鰭を洗う波に微かな振動が混じっているのを感じました。紫雲の流れる空の下、南方に目を凝らせば、海原の一部が小島のように盛り上がっていました。何かしらが海中を凄まじい速さで接近してきていました。
「お父上…」
姫の口元からつぶやきが漏れました。
やがて、轟音とともに、港の前の海面が壁のように立ち上がって割れました。豪雨のように降り注ぐ潮と大波が、停泊中の漁船を激しく揺さぶりました。
波がおさまった時、港には不可思議なものが浮かんでいました。
大型の
それこそは、海人の王の舟籠(ふなかご)。音や光を屈折通過させる物質でできており、海水の素子を崩壊させながら潮を割って進む、人間には不可知の乗り物でした。
低い振動音とともに、舟籠の中央前方が静かに後ろに移動し、中の空洞部があらわになりました。
「
白銀色の座席に座る人物がゆったりと発しました。人間の伝説にも伝わる 三つ又の矛を携えた海人の王が姿を現しました。
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