167 重なる足音


 強い風が吹きすさぶ中、3人の女性は馬でウースを目指して進んでいた。


「シュシュ~」


 グレースが落ち着いた声で呼びかけても、シュシュは何も答えない。憤りを隠そうともせず、前だけを見つめている。


「カカカカカカァ。そろそろ返事しないと、グレースが本気になるぞ。カカカカァ」


 バイオレットが笑みを浮かべながらそう言うと、シュシュはやっと渋々返事をした。


「……なに?」


「だからぁ、機嫌を直しなさいって言ってるのよ」


「……」


 シュシュの沈黙は、反抗の意思表示だった。


「仕方ないでしょ。ご指示待ちだったのだから」


 その言葉で、シュシュは手綱を乱暴に引いて馬を止めた。


「こんな、こんな何もないところで、いったいどれだけ無駄な時間を過ごしたと思っている!? 1日や2日じゃないのよ!」


「あなた一人じゃないでしょ。私たちも一緒よ」


「カカカカカカァ」


 バイオレットの笑い声が癇に障ったのか、シュシュは睨みつけている。


「止めないでね」


「何をかしら?」


「とぼけないで。この鬱憤うっぷんは、ウースの奴らに受けてもらう。そうなっても、止めないでね」


 その言葉を聞いたグレースは笑い始めた。


「……フフ、ウフフ」

  

「カカァ……」


 一緒に笑い始めたバイオレットは、グレースから何かを感じて、直ぐに口を閉じた。


「そろそろ本当にいい加減にしなさい。すべては、あの方がお決めになること。私たちに決める権利などないの。分からないなんて言わせないわよ」


 グレースの声と視線には、絶対的な威圧感が漂っていた。


「……」


「いいわね、シュシュ」


 そう問われても、シュシュは返事をしない。


「どうしても分からないのなら、今から分からせてあげても宜しくてよ」


「……チッ」


 舌打ちをしたシュシュは、馬の手綱を動かして前に進み始めた。グレースとシュシュのやり取りを黙って見ていたバイオレットは、前方の不気味な道を見つめながら、重苦しい空気を和らげるように口を開いた。


「カカカカァ。しかしこの辺りは臭いな」


「硫黄の匂いね。見てみなさい、左側の植物を」


 シュシュとバイオレットは左に目を向ける。


「……ふん、気持ちの悪い」


 シュシュは吐き捨てるようにそう呟いた。


「そうね。ここの植物は火山地帯の硫黄泉近くのみに自生する多年草よ」


「流石物知りだ。カカカカァ」


「熱に強い根をもち、毒を栄養として育つのよ」


「へぇー」


「あの木なんか、根から吸い上げた毒をそのまま実にするの」


「ふーん、あの色。見たまんまだ」

 

 歪んだ枝から垂れ下がる実は、黒と紫、灰色が混ざり合い、まだらな模様を描いていた。表面には火山灰のような粗い皮があり、実の大きさはリンゴほどである。実を見ていたバイオレットの視界に、その先に道が二つに分岐する地点が映った。


「あ~ん、あそこか?」


「そうみたい」


 それまでの一本道とは打って変わり、左右に伸びる道は対照的な様相を見せていた。右へと続く道は比較的平坦で、直線ではなく右にカーブしているが遠くまで見通すことができ、植物もよく目にするものが大半であった。

 一方、左の道は狭く緩やかな上り坂となっており、道の両脇にはさらに異様な形の植物が生い茂っていた。ねじれた幹を持つ樹木が空を覆い、地面のあちこちの亀裂から硫黄の匂いを漂わせる白い湯気が立ち昇っている。まるでそれらを隠すかのように太く歪んだ根が幾重にも重なり、毒を含んだ白い煙は、枝や葉や実の間を縫うように空へと消えていく。漏れる光は地面に歪な影を落とし、噴き出す蒸気の音が、さらに不気味な雰囲気を漂わせていた。


「ここを左に行くとウースよ。風が強い日で良かったわ」


「カカカカカァ、地面からの毒を消し飛ばしてくれるからな」


 生い茂る木々のせいで、まるでトンネルね…… もしも風がない日なら、進むために魔力を消費しなければならなかったわね、否が応でも……


「ねぇグレース……」


 シュシュの声には、先ほどまでの反抗的な態度が消えていた。


「なにかしら?」


「仕掛けてきたら、その時は……」


 グレースはシュシュと視線を合わす。


 ほんと、戦う事しか考えてないのね。


「……えぇ、その時は」


 その言葉を合図に、シュシュの口元がゆっくりと歪む。


「やったー。早く行こうーよぉ」


 まるで別人のように、シュシュの声と話し方、そして雰囲気が一変する。


「カカカカァ、もう入っちまった・・・・か。シュシュのそういうところ好きだぜ」


 三人は迷うことなく、左の道を進んでゆく。


 この先に、あのシンとユウ二人の故郷が…… うふ、シュシュじゃないけど、何が待ち構えているか、胸が躍るわ。


 グレースの唇が、氷のような笑みを浮かべていた。




「あっ、いたっぺぇ」


 プロダハウンに現れないユウを案じて、ナナは探しに来ていた。


「あ、ナナちゃん。おは…… あっ! ごめんなさい」


 忘れてたわけじゃないけど、カンス君の話に聞き入ってしまってつい……


「いってきまーす」


「はいよ」


「ユウさん、ありがとうございました」


 ユウはカンスに大きく手を振って去っていった。


「俺も行くよ。じゃあ」


「はい。ありがとうございました」


 カンスは、自分に微笑みかけて歩いてゆくシンの背中を見つめていた。


 さて、僕も食事をして門に行かないと。


 そう思いカンスが立ち上がろうとした時、地面に長く伸びた人影が目に入り、ハッとして顔を上げる。するとそこには、シャリィが立っていた。


「シャ、シャリィ様……」


 シャリィは無言でカンスを見つめている。


「お、おはようございます」


 無言のシャリィは、ゆったりとした足取りでカンスの横を通り過ぎ、先ほどまでヘルと手合わせしていた空き地へと歩いていく。

 カンスが振り向いて見ていると、シャリィは穏やかな動作で剣を抜いた。


「えっ……」


「構えろ」


 その声には厳しさの中にも、どこか温かみが感じられた。


 シャリィ様……


「……はい!」


 カンスはあわててグリスンの剣に手を伸ばし、シャリィの元へ駆け寄り、静かに構えた。

 

魔法は無し基礎だ」


「はい! お願いします!」


 カンスは緊張で手が震えながらも、シャリィに剣を打ち込んだ。


「左足の踏み込みを意識しろ」


「はい!」


 二人の様子を、恨めしそうに隠れて見ている者がいた。


 ちきしょー、どういうことだ!? メシ食って外にでてみるとカンスの奴。どうしてシャリィ様に稽古をつけてもらってやがるんだ!? このあたしを差し置いて!


 ヘルはシャリィとカンスの様子をジッと見ている。


 あー!? シャリィ様がカンスに何かアドバイスしてる…… くっそー! 百年早いんだよカンス! あたしと代われや!!


 そう思いつつも、出て行くタイミングが掴めず、興奮したヘルの右手は、外だというのにあそこに伸びていた。


「あっ、あんぁー」


 シャリィ様、あんな弱い奴に…… なんて優しい人なんだ。しかもあの動き…… まるで、川の水が流れいくように自然な…… す、凄い……


「あっ、ああ、イッ、イクッ、イ……」



「クッ、鬱陶しい」


「ギィギィギィ!」


 同じ頃…… ウースへ向かう3人の女性は、襲撃に遭っていた。


「カカカカァ、こいつら女に飢えてやがる」


「そうね。あそこを起てて襲って来るなんて、健気で可愛いとは思うけどごめんね。好みの・・・じゃないの」


 バイオレットとグレースは、襲って来るゴブリンをいとも簡単に排除してゆく。


「シュシュ、楽しんでる?」


 グレースからそう問われたシュシュは、不機嫌な表情を浮かべる。


「楽しめるわけない! こんな虫けら相手じゃ……」


「カカカカカァ、また地に戻ってるぞシュシュ」


「ギヒィギヒィギヒィ」

「グギグギィ」

「ギギーギーギギィ」


 ゴブリンたちのうなり声と刃の音が響く中、捻じれた木の幹の影に潜む者がいた。硫黄の蒸気に紛れるその姿は、まるでこの異形な森が生み出した化身のように、どこか森と同化していた。


「ソゥ~……」


 その者の目には、次々に倒されてゆくゴブリンが映っていた。


 あーあ、また集めてこないといけないソゥ~。それにしてもソゥ~……


 アリッシュは、地面に横たわるゴブリンたちを冷ややかな目で見ている。


 ゴブリンあいつら…… 


「ププププ」


 死んでもチンコ起ちすぎソゥ~。


「ププププゥ、もういいソゥ~」


 アリッシュが呟くと、動けるゴブリンたちは瞬く間に姿を消していった。


「あら、もうおしまい?」

「カカカカカァ、随分引き際が良いな」

「……最悪」


 3人の中で、シュシュだけは顔を歪めていた。


「どうしたの?」


「精子を飛ばされてた」


 シュシュの袖に付いたゴブリンの赤紫色の精子は、肉眼で捉えられるほどの異常な動きを見せていた。


「カカカカカァ、やられながらシコってる奴がいたのか!? そりゃ気持ち悪いな。カカカカァ」


「違うでしょう~。マゾなのよ、マゾ。斬られた瞬間イッちゃったのよ」


「カカカカァ、そういや腰を振りながら襲ってきてる奴もいたな」


「腰を? プゥフフ」


「あいつじゃないのか、シュシュに飛ばしたのは? カカカカァ」


 ちゃかす二人を睨みつけた後、シュシュは精子が付いた部分の袖を切り落とした。


「この服代は、ウースの奴らに払ってもらうから……」


「……それぐらいなら、好きにしなさい」


 3人は散乱するゴブリンの死骸を無造作に踏み越えながら、何事もなかったかのように再び馬の手綱を取り、森の奥へと歩を進めた。




 時刻が11時を過ぎた頃、セッティモで動きがあった。


 シンが釘を刺していたのにも関わらず、引換券の偽造事件が発生したのだ。偽造を行っていたのは、イドエでシンから直接引換券を受け取った人物の知人で、ゾンア会傘下の末端組織に所属する組員だった。偽造を行なった本人は、軽い小遣い稼ぎのつもりであったが、この事態を知ったサヴィーニ一家が偽造元に直接乗り込み、短い混乱の後、事態を収束させた。


「シン、僅かでもお前の邪魔をする者がいれば、俺が全て排除する」


 サヴィーニ一家組長となったルカソールのその言葉には、決して揺らぐことのない意志が込められていた。


 この一件は、サヴィーニ一家の影響力をさらに知らしめる結果となった。イドエに関することなら、どんなに些細なことでも彼らの監視の目を逃れられない。そんな噂が街に広がっていった。


 これ以前にも、同じブカゾ組若頭補佐の一人、ドンコー・ホスルの組、ミブネ会の若頭から、サヴィーニ一家に芋天のレシピを教えて欲しいという連絡が入った。ドンコー・ホスルは、コンクス亡き今、本家次期若頭の最有力候補と名高い人物であり、ルカソールの兄貴分にあたる。ミブネ会の若頭からの懇願こんがんとは、すなわちドンコー・ホスル本人からの要望を意味していた。しかし、ルカソールはこの指示を断ったのであった。たとえ相手がどれほどの大物であろうと、ルカソールはシンの利益を損なうような選択はしなかったのだ。それが、組織内で自分の首を絞める事になると分かっていても。

 

「へい、いらっしゃーい」

「その肉串を三本くれ」

「はいよ~」


 元々テキヤだったサヴィーニ一家の出店でみせは、今日も街を賑わせていた。出店はセッティモだけでなく、周辺の村や町、そして、ブガゾ組の一員になったことで、街道沿いで新たに展開しており、食事時ともなれば、香ばしい匂いに誘われた客たちが列を作っていた。そこで流れている音楽が、待つ者や通りの人々の耳を楽しませ、時の流れを緩やかなものにしていた。


「まいどあり~」



 一方、教会本部では、多数の司祭たちの願いに背き、ブラッズベリン司教が作成したヘルゴンの編制をすべて受け入れることを決定していた。これによって、セッティモ並びその周辺は、事実上ブラッズベリンが掌握する形となる。


 私の提案がこんなにもすんなりと全て受け入れられるとは…… いささか拍子抜けではあるが、これも想定の範囲内。真の想定外は、イドエでシン・ウースに見せてもらう。


「フフフハハハハハ」


 窓から差し込む陽光の中、不敵な笑い声が静かな部屋に響き渡った。




 同時刻、皮肉なことに、編制されるヘルゴンの元副隊長と隊員である二人、ロルガレとラスコは、セッティモから遠く離れた森の奥で、追っ手の気配に背中を押され逃げ続けていた。

 ゾンア会の若頭によって集められたソウ・ルークの中でも、1億シロンの懸賞金に最も強く反応した女性冒険者のビレイ・ニーラ、彼女は街道筋の宿場や村々に張り巡らせた独自の情報網と、ゾンア会からもたらされた情報を突き合わせ、ロルガレたちの足取りを追っていた。そして今、仲間たちと共にその気配を捉え、すでに間近まで迫っていたのだ。 

 パーティの一人、ルトパ・コットオルは森の中でさえ、わずかな痕跡から獲物の行方を読み解く達人だった。


「……二人だ」

「二人? じゃあ別人かぁ?」

「かもしれない。だが、3人で行動しているとも限らないだろう。どうするビレイ?」


 まだ獲物が三人から二人になったという情報は、彼女らに伝わっていなかった。


「……森の中をこそこそと逃げるような奴は、どのみちろくな者じゃない。仮に間違いでもいいわ、見つけたら狩っていきましょう」


「さすが無駄足は踏まないね~。経費になるぐらいの懸賞金がかかってればいいけど」  


「そうね。どちらにせよ確かめないといけないし、それに……」


「……」


「なんとなくだけど、当たりのような気がする」


 その言葉を聞いて、仲間たちは目を輝かせた。


「ビレイの勘は、当たりますよ~」

「だな。その勘で、いくどとなく助かった実績がある」

「つまり、1億シロンは目の前って事かー。一丁やりますかー」

「ルトパ、どれぐらい?」

「そうだな…… 2、いや、1時間前だな、ここを通ったのは……」

「それなら二手に分かれる。私とルトパはこのまま跡を追う。残りの3人はここに先回りして」

 

 ビレイは携帯していた地図を広げ、指で一点を示した。

 

「了解~」


「奴らはいざって時の為に魔力を温存しているはず」


「だな」


「私たちは強化魔法で距離を縮める。そして、こちらの気配をちらつかせ、絶妙な距離を保ちつつ、必ずそこに追いやってみせる」


「分かった」


「こちらは結果的に全員が魔力を消費する事になるけど、数の力、そして……」


 ビレイは仲間一人一人の目を見た

 

「私たちなら大丈夫」


 ビレイの落ち着いた声で、仲間たちは静かに頷いた。


「馬を乗り継いでここまで来た甲斐がありそうだ」

「おほほほー、1億シロンの使い道を、そろそろ考えておくか」

「お前はどうせ、いつものように女に使うんだろ」

「当ったり~」

「それなら考えなくていいじゃんかー」

「ポーズだよ、ポーズ。何かしてるってポーズは大切よ」

「それって典型的なさぼり魔の考え方だろ?」

「悪く言うな。俺たちゃ仲間だろ」


「はいはい、おしゃべりはそれぐらいにして、直ぐに出発して」


「あいよー」

「ビレイ、ルトパ、後でね~」

「行くか―」


 追跡者と逃亡者、その影が重なるまで、あとわずかな時間。深い森の中で、それぞれの思惑を胸に秘めた追跡劇が、今まさに佳境を迎えようとしていた。そして……


「見えた……」


「カカカカァ、あれか……」


 その光景を前に、グレースの眼差しが研ぎ澄まされた。


「えぇ。あれが、ウースね」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る