166 カンス・グラッドショー



 昨夜、女性たちから散々おもちゃにされたシンとユウの二人は、その疲れのせいからなのか、普段なら目を覚ましている時間なのに、未だベッドから出られずにいた。

 そんな中、先に目を覚ましたユウは、ゆっくりと上半身を起こして、まだ眠っているシンを見つめる。


 シン…… たぶんリンちゃんから聞いて、僕とナナちゃんたちの間を取り持ってくれたんだよね。

 まさか衣装を着せられるなんて思ってもなかったけど、押し付けられる気持ちが凄く分かったよ、本当にね。それにしても……


「フッ、フフ」


 昨晩の、アイドルの衣装を着たシンの姿を思い出して、ユウは笑ってしまった。


 まぁ、僕も着てたからシンの事は笑えないけど……


 ユウは改めてシンを見つめる。


 ……ありがとう、シン。


 そう心で思ったその時、シンが目を覚ました。


「ううーん。あ、おはよう」


「うん、おはよう」


「あーー、昨日はまいったな~」


「ご、ごめんよ、僕のせいで」


「いいよ。ったく、ただでさえ異世界に来てるのに、さらに新しい世界に目覚めちまうのかと思ったよ」


 寝起きで下ネタ……


「はー、けど良かったよ。仲直りできて」


「う、うん」


「女性にな、ふぁーー」


 シンは何かを言いかけて、途中で大きなあくびをした。


「女性になに?」 


 ユウはベッドから出て身を乗り出す。  


「ふにゃー、本気で嫌われたら、取り返しがつかない」 


「そ、そうなの?」


「あぁ、どう謝ろうが、何をしても修復は不可能だ」


 ……そうなんだ。


「そうなりたくなかったら、男がそうなる前に気付かないといけない」


 だからシンは……


「……うん、分かった。ごめんね本当に」


「ぜんぜん。さてと、バニしてメシ食って、ピカワンみんなのことろに行かないと」


「うん」


「ユウは今日なにするの?」


「僕はみんなの意見を聞いて、あの衣装のデザインを直さないと」


「そっかぁ。しかしシャリィの奴~」


「……」


「見てろよ~。いつかあの乳を鷲掴みにしてやる」


 その台詞、前にも聞いた気がするけど、シャリィさんはこの世界に数人しかいないSランク冒険者だから無理だよシン。


 この後、シンは馬の世話を済ませてから、ユウと朝食をともにし、二人で一緒に出かけた。


「うぅ、今日は風が強いね」

「だな」


 プロダハウンと野外劇場に向かう途中、風を切り裂く様な声が聞こえてきた。


「おらぁ!」


「はぁはぁはぁ」


「馬鹿が! 今のをなぜ剣で受けた!? 避けた方が次に繋がるだろ!」 


「ぜぇぜぇ」


「まだこの程度も見極められないのか!?」


 ヘルとカンスは昨日と同じように、手合わせをしていた。


「あらら、かなり激しいな」

「……うん」

 

 カンス君、色々なところから血を流して、特に頭からの出血が酷い。いくら僕たちの世界よりも怪我が治りやすいからといっても……


「あっ!?」


 見物していたユウが思わず声を上げるほどの一撃が、カンスの肩に食い込んだ。

 その瞬間、二人の目には、ヘルの剣がカンスの体を真っ二つに割るような錯覚が見えた。


「おい!」


 シンが声を上げ、素早く止めに入る。


「んあ? なんだよわっちぃ君か。何の用だ?」


「今のはやばいだろ? 死んでんじゃねーのか!?」


「ったくよー、これだから素人・・は。カンス! さっさと起きろ!」


 ヘルが声をかけると、地面に倒れ込んでいたカンスが起き上がろうと、ゆっくり身体を動かし始めた。


「カンス君、大丈夫?」


 ユウの言葉に、カンスはなんとか返事をする。


「う、うぅぅ、だ、大丈夫です」


 そう答えるカンスを、ヘルは冷淡な目で見下ろしている。


「カンス、前から言ってるだろ。そんな大剣、お前には無理なんだよ」


「はぁはぁはぁ」


 必死で起き上がろうとするが、カンスの膝が崩れてゆく。


「チッ、邪魔が入ったからしらけちまった。今日はおしまいだ」


 そう言って背を向け、剣を鞘に納めたヘルに向かって、カンスが声を絞り出した。


「ま…… 待ってよ」


 去ろうとしたヘルの足が止まる。


「ま、まだ、まだまだ出来るよ」


 カンスは地面に刺した剣に体重を預けながら立ち上がると、震える手でヘルに大剣を向けた。

 その必死な姿を、シンとユウは息を呑んで見守っている。


 カンス君……


 振り返りながら剣を抜いたヘルは、最後の一撃を加える為に剣を振り下ろした。


「ごらぁ!」


 そのあまりの迫力に、ユウは思わず後退りをして尻もちをついてしまう。

 カンスが全く反応を示さないのを見て、ヘルは寸前で剣をピタリと止めた。


 ほう……


 すぐ隣で見ていたシンは、その止め方に感心していた。


 あのスピードで振り下ろしたのに、数ミリのところでピタリと止めるなんて…… 凄いな……


「はい、終わり終わり。イモテンでも食ってくるかぁ」


 剣を納めたヘルが食堂へ向かう様子を見つめていたシンは、倒れかけたカンスを素早く受け止める。


「カンス、大丈夫か?」


 ヘルが剣を止めた時から、カンスはすでに気を失っていたのだ。


「あ~あ、邪魔しやがって」


 そう口にして食堂に向かうヘルは、シンの事を考えていた。


 ……あの野郎。チビは腰を抜かしたのに、あたしのイフトに一切動じることなく、瞬き一つせず見ていた。鈍感なだけか、それとも…… 


「どうやら、ただのよわっちぃ君じゃないみたいだな。シャリィ様の許可と暇があれば、あいつにも稽古つけてやるか…… 勿論別料金だけどな」


 ヘルは薄っすらと笑みを浮かべていた。





 その頃プロダハウンでは、ナナたちがユウの到着を待っていた。

 

「遅いっペぇーねユウ君?」


「そうっぺぇね」


「まさか衣装を直すのがいやで、足がここに進んでないっぺぇ?」


「クルクル~。クルはこのままでいいよー」


「駄目! クルがこんなの着たら、お姉ちゃん泣いちゃうからね」


「クルクル……」


 クルはションボリとしてしまう。


「けど、お姉ちゃんの前だけならいいよ」


「クルクルー」


 プルの言葉が嬉しくて、クルはぴょんぴょんと飛び跳ねている。


「喜んでるクル可愛いっぺぇ~」


「待ってる間、振付けの練習でもしてようか?」 


「そうっぺぇね~。しかし昨日は楽しかったっペぇ」

「プププッ。シンさんの脚見た?」

「見たっぺぇ見たっペぇ。毛も無くて綺麗だったっぺぇ」

「そうそう、それね。まんま女の子の脚だったよね」

「あれ卑怯だっペぇ」

  

 この時、ナナだけは会話に入らず、ユウの心配をしていた。


 いったいどうしたっぺぇ。呼びに行こうかな…… 





「あいててて」


「大丈夫カンス君?」


「うん、大丈夫」


「まだ血が止まらないね」


 ユウが心配して傷口を確認していたその時、シンが走って来た。


「おまたせ。これが血止めの薬草をすりつぶしたのだって」


 シンの手には、木製の容器が握られていた。


「傷口にそのまま塗ればいいらしいぞ」

 

 そう言って、シンが容器の蓋を開けた瞬間。


「うぉ! くっ~~~さぁー」 


 その顔……

 凄い顔……


 ユウとカンスは同じ事を思っていた。


「なんだこのにおい? 目というか、顔全体にしみるな」


 顔全体にしみた結果さっきの顔に……

 顔全体しみたんだ……


「ユウ、嗅いでみろよこれ」

 

 シンが差し出した容器に、ユウは鼻を近付ける。


「くうっ! うっわ、確かに臭いねこれ」


 ユウの隣で、カンスもくんくんと鼻を鳴らす。


「あー、これはケツクサ草ですよね」


「ケツクサグサ?」

「ケツクサグサ?」 


 傷口には塗りたくない名前だ……

 あまり使いたくない名前だ……


 二人とも知らないのかな…… 数ある血を止めの薬草の中でも、まっさきに思い浮かぶはずなんだけど……


「しかしくっせーな。カンスこんなの塗ってもいいのか? バニ嫌いだと思われるぞ」


「あはは、大丈夫です。匂いは血と混ぜる事で薄まりますので」


 どうやら、本当に知らないみたいだ……


 シンはものすごく嫌そうな顔して、薬を指につけてカンスの傷口に塗った。


 そんな顔しなくても…… カンス君苦笑いしているじゃん。

 

「よし、これで全部塗れたな」


「すみません、わざわざ」


「良いって事よ。シャリィを探せれば話が早かったんだけどな。しかしヘルの奴~」


 三人は道沿いに置いてある廃材の上に座って話をしている。


「やり過ぎだよな」


 シンがそう言うと、カンスは目を伏せた。


「確かに今日は、普段よりも激しい感じでしたけど……」


 もしや、昨晩の俺とユウに興奮して……

 まさか、アイドルの衣装を着た僕たちを見た事で……


「けど、これは僕が望んだことなので……」


「……望んだ?」


「はい」


 ふーん。何かわけありって感じだな……


「カンス」


「はい」


「ヘルとはどこで知り合ったの?」


「ヘルとは…… 僕は、この辺りの出身じゃなくて」


「……」


「知り合いもいなくて一人でしたので、それで入れてくれるパーティーを探していたんですけど……」


 パーティー!? うわ~、異世界って感じだー。


 ユウはうっとりとしてカンスの話に耳を傾けている。


「僕はランクも低くて、これといって何か優れたものがある訳ではないので、仲間に入れてくれるパーティーがぜんぜんなくて……」


 カンス君こんな良い人なのに相手にされなかったんだ…… つまり、人が良いだけじゃ駄目ってことか…… 厳しい世界なんだね。


「だから一人で薬草とか、珍しいハーブとかを集める依頼ばっかり受けてまして」


 フッ、スパ草を思い出したよ。

 そういえば、コレットちゃんもスパ草を……


「そんな折りに、依頼の希少なハーブを求めて森の深くに入った時、魔獣に襲われてしまって……」 


「もしかして、ヘルさんが助けてくれたんだ!?」


 ユウは興奮気味にそう口にした。


「え、えぇ。まあ結果的にはそうなんですけど……」


「どうしたの?」


「あの、僕が魔獣から逃げている途中に、森で寝ていたヘルに偶然つまずいて転んじゃって……」


 どんな偶然だよ!?

 凄い偶然!


「それで、寝起きのヘルが機嫌悪くて怒っちゃって、その時のヘルの強さが、あまりにも常識外れと言いますか」


「はは、さっきのヘルを見た後だと容易に想像つくよ。それで魔獣はヘルが倒してくれたんだ?」


「ええ。……魔獣だけじゃなくて、僕も一緒にボコボコにされちゃって」


 かわいそうに……

 かわいそう……


「ヘルはどうして森の奥で寝てたんだ?」


「それが…… 何日も迷子になっていたらしくて……」


 ありえそう……

 ありそう……


「その後、駄目元でパーティーを申し出たら……」


 ボコボコにされたのによく申し込む気になったな……

 ボコボコにされたのに申し込むなんて……


 この日のシンとユウは、何度も同じ事を思っていた。



「あ~ん、組んでくれだぁ?」


「はい」


「ん~……」


「お願いします!」


 会釈するカンスを、ヘルは見ている。


「お前…… 弱いけど信用は出来そうだな」


「ど、どういう意味ですか?」


「あたしは計算と金の管理が苦手で」


「お金の管理……」


「けっこう稼いでいるのに、何故か借金だらけなんだ」


「……」


「素行が悪い評価を下されて、いつまでたってもランクが上がりやしねぇ。こんなのじゃ、憧れの人のお役に立てない」


 ……憧れの人。


「でよ、あたしに代わってお前が金の管理をきっちりとしてくれるというなら考えてやる。その代わり、1シロンでも誤魔化したら、分かってるだろうな!?」


「そ、そんなことしません」


 ヘルはカンスの顔を覗き込んでいる。


「ふ~ん。それで、お前にも条件があるんだろ?」


「え?」


「ボコボコにされたのに、仲間になろうっておかしいだろ? 言ってみろよ」


「……僕から申し込んだくせに、それなのに条件とかじゃないけど、出来れば、その強さを教えて欲しい」


 ヘルは俯いてそう口にするカンスを、ジッと見つめている。


「強く…… 強くなりたいんだ。1日でも早く、強く……」


 カンスはそう言いながら、ヘルの目を見つめた。


 へん、急に生意気なになりやがって。


「さっき見てたから分かるだろうけど、あたしは加減が苦手だ。それでもいいのか?」


「はい! お願いします!」


 良い瞳をしてやがる。やっと信用できそうな奴に巡り会えたかもな……


 

「へぇ~、そんな感じで」


「はい……」


 ヘルさんとは、そんな出会いだったんだ……


 そう思っていたユウはカンスに聞きたい事があったのだが、踏み込めないでいた。

 だが、躊躇するユウとは違い、シンはあっさりとそのことを口にする。


「どうしてそんなに強くなりたいんだ?」


 その言葉で、カンスはゆっくりと頭を下げて俯いてゆく。


 そう、僕も聞きたかったことだ。けど、何か触れてはいけないような気がして、それで聞けなかったけど……


「強くなりたいのは……」


 カンスはボソッと呟いた。


 この人たちは、シャリィ様のシューラでもあるわけだし、それに……


 カンスは顔を上げて、シンを見つめる。


 何より信用出来る。似ているんだ、シンさんたちは……


「僕は……」


 カンスはゆっくりと語り始めた。


「クンツ村の出身で」


「クンツ村?」


「えぇ。聞いた事ないですよね」


 シンは少し困った表情を浮かべる。


「いや、まぁ……」


「あ、いえ、当然なんです。開拓された辺境未開地と言いますか」


「へぇー」


「正確に言いますと、一度失敗して、捨てられた土地でして」


「捨てられた?」


「はい。僕が10歳の時に名主・・様がその捨てられたところに行くように命じられて」


「どうしてその名主は捨てられた土地に?」


「子供でしたので詳しくは知りませんが、たぶん権力闘争の煽りで」


 なるほど、飛ばされた訳か……


「そういうわけで、100人に満たない小さな村でして、警備の方もいないし、魔獣対策をはじめ、全て自分たちで賄わなければならなくて」


「……」


「一度捨てられた土地には当然の理由がありまして、魔獣が頻繁に出没する上に、整備された街道も無く不便で険しい場所ですし、最も深刻な問題は、農作物がほとんど育たないことだったのです」


 そんなところでカンス君は……


「ですけど、名主様を中心に、村人たちは必死に生活を築いていきました。名主様自らが率先して夜の魔獣対策として寝ずの番をし、農作物の育たない土地柄を補うため、経験を活かして少しずつ栽培を始めました。収穫は僅かですが、それでも確実に食料を得られるようになっていきました」


 命がけの毎日だったんだね。


 ユウはプロダハウンに行くのも忘れて、真剣な表情で頷いていた。


「でも、魔獣との戦いは素人の村人では荷が重すぎます。犠牲者は増えていき、その中には、僕の、父と母も……」


 その言葉を聞き、シンとユウは重い沈黙に包まれた。


「一人になった僕は、名主様の家でお世話になりました」


「……」


「せっかく育てた作物が、魔獣に何度も踏み荒らされ、いくら領主様に助けを要請しても無駄でした。領主様の耳に届いていたのかは分かりませんが……」


「……」


「せっかく収穫が増えたのに、やはり駄目なのかと諦めかけていた時、あの人が現れたんです」


「あの人?」


「はい。その人の名は、グリスンさん。アコーデン・グリスン」


「良い名前だね」


 シンの言葉に、カンスは懐かしむような笑みを浮かべた。


「えぇ。本当に良い名前です」


「もしかして、そのグリスンさんは冒険者?」


 ユウの問いかけに、カンスは笑みを浮かべて答えた。


「はい、その通りです」


 やっぱり! 


「グリスンさんはBランクの冒険者でした」


 Bランクの……


「僕たちの村が冒険者ギルドに依頼をだしたわけでもなくて、グリスンさんは何処からともなく噂話で困っている村があると聞いて探しにきてくれて」


「へぇー」


「食べていくだけがやっとの村なので、当然お金を支払うことも出来ない。報酬といえば、寝起きするだけのボロボロの家と粗末な食事だけなのに、それなのに、グリスンさんはこの村が気にいった、ここが好きだって言ってくれて……」


 うわー、かっこいいなその人。冒険者の鏡だよ。


 ユウは瞳を輝かせていた。


「僕の身の上を知ってなのか分かりませんが、、グリスンさんは僕を可愛がってくれて、剣を教えてくれたり……」


 カンスの瞳に懐かしい記憶が浮かぶ。


「いいか、カンス。剣はこう持つんだぞ」

「こう? グリスンさん」

「そうだ。好きに振ってみろ」

「えい! やあー!」

「おっ、こりゃなかなか筋が良いぞ」

「本当!?」

 

 グリスンは大きな手で、カンスの頭を優しく撫でる。


「あぁ、本当だとも」

「えへ、えへへ」 


 グリスンの優しい笑みが、懐かしい記憶が、まるで昨日のことのように鮮やかに蘇っていた。


「……狩りに連れて行ってくれた時も、獣の足跡の見方から、風の読み方まで、全部丁寧に教えてくれました」


「そっかぁ」


「僕はそんな優しいグリスンさんが、報酬に関係なく一人で魔獣を退治しているのを見て育ったので、ずっと憧れていて」


「うんうんうん」


「大きくなったら僕も冒険者になってグリスンさんと一緒に村の為に魔獣を退治しよう、いつも一生懸命なグリスンさんに楽してもらいたいって。自然とそういう夢を描く様になっていて」


 食い入るように話を聞いていたユウは、少し興奮気味に口を開く。


「そうか! だからカンス君は強くなりたいんだね!」


 あー、素敵な話だな~。


 そう思っていたユウであったが、カンスの表情は曇っていた。


「えぇ、村に居た頃は、そうでした」


 え…… どういう意味だろ?


「グリスンさんのお陰で、一度は捨てられた村が、その後順調に成長していきました。だけど、僕が14歳の時……」


 カンス君……


 ユウはカンスの表情から、何かに気付いていた。


「グリスンさんがいつもの様に見回りに行ったまま戻らなくて……」


 嫌な予感がする……


 この時、カンスは一度目を伏せ、歯を食いしばった。


「村の人たちも心配して、数人一組で別れて探しに行きました。僕は村に残るように言われていたけど、居ても立っても居られなくなって、みんなには黙って一人で探しに行きました」


 シンとユウは息を呑んで、沈痛な面持ちでカンスを見守っている。


「グリスンさんが狩りの時に使う、僕だけに教えてくれた秘密の獣道があって」


「……」


「そこに探しに行った僕は、地面に血が落ちているのを見つけました。それは…… まだ新しい血でした」


 カンスの声が震えた。


「その血は、獣道の奥へと続いていて、跡を辿っていくと、森の中で」


「……」


「グリスンさんは…… グリスンさんは木に……」


 そういうと、一度カンスの言葉が止まり、手が小刻みに震えている。


 カンス君……


「グリスンさんは…… 木に縛り付けられたまま亡くなっていました」


 なんとなくグリスンさんの身に何かあったのは分かっていたけど、そんな……


 ユウは慰めの言葉も思いつかず、ただただ俯いた。


「その時の光景は、今でも夢に見ることがあります。グリスンさんの遺体は全裸で、明らかに凄惨な拷問を受けた跡がありました。どうしてそんなことになったのか、犯人も、その理由も、未だに分かりません」


「……」


「その後、グリスンさんを失った村は、他に無償で村を守ってくれる冒険者を見つけることが出来ず、灯りが一つずつ消えていくように、一人、また一人と村人は逃げていきました。名主様は亡くなったグリスンさんの役割を担おうと、それで無理をして魔獣に襲われてしまい、名主様まで亡くなってしまいました」


「……」


「それで今はもう、村は消えるようになくなってしまいました」


 カンスは剣に目を落とし、大切な人の手を取るように、そっと指を添えた。


「この剣は、グリスンさんの剣なんです」


 それで、ヘルさんにいくら言われても変えないんだね……


「僕は…… 犯人を捜す為とか、グリスンさんの仇を打ちたいとかじゃなくて、今もずっと憧れていて」


「……」


「シンさんのお陰で、まだ残っているヘルの借金の返済が予定よりも早く終わりそうなので、全て完済したら、ずっと夢だったグリスンさんみたいに優しくてお金に拘らない、そんな心を持った冒険者になりたくて それには、強く、強くならないといけないと思って。そうじゃないと、誰も僕を必要としてくれないし、信頼もしてもらえない」


 カンス君……


「この村に来た時、みんなを見ていたら、僕の村に似ているような気がして…… 特に村人たちが助け合って生きている雰囲気がそっくりでして」


 そう、事情を知ると、シンさんたちがまるでグリスンさんみたいに感じたんだ。


 この時、シンがカンスの名を口にした。


「カンス」


「は、はい」


「正直に言えよ」


「……」


「仇を打ちたいんだろ?」


 シン、どうしてそんな事を……


 カンスは何も答えず、シンを見つめている。


「グリスンさんの仇を打ちたいんだろ!?」


 シンの言葉を聞いて、カンスは剣を強く握りしめた。


「……はい! 本当は、グリスンさんの仇を打ちたいです!」


 シンの問いかけに、カンスは長い間押し殺してきた感情を初めて人前で吐き出した。その声は震え、涙が止めどなく流れ落ちていく。


 カンス君……


「隠す事なんかない。当たり前だよ」


「……はい」


「その感情を表に出したからいって、カンスの純粋な心が失われるわけじゃない。そして、グリスンさんようになれないわけでもない」


 シンさん……


「俺は、そう思う」

 

 ……シン。


「はい……」


 カンスは一度小さく答え、そして胸に秘めていた想いを全て解き放つように、力強く叫んだ。


「はい!」


 その声は、まるで長い闇を抜けて見つけた光のように、希望に満ちていた。


「それとな、カンス……」


「はい?」


「俺は、アコーデン・グリスン。この名前を一生忘れない」


「……」


「そんな冒険者がいたことを、俺は絶対に忘れない。なぁ、ユウ」


「うん! 僕も絶対に忘れない! グリスンさんは、僕の目標だよ。僕もそんな冒険者になりたいんだ!」


 ユウさん……


 止まりかけていた涙が、再び零れ落ちてゆく。シンの心遣いに感動し、ユウの純粋な決意に、あの頃の自分の姿を重ねていたのだ。


 やっぱりこの二人には、正直に話して良かった……


「カンス」


「はい」


「思い出させて悪いけど、犯人には心当たりが全くないのか?」


 シンがそう口にすると、カンスは一度目を伏せた。


「……関係があるのかは分かりませんが、村人の一人が、その日の朝に若い女性を見たって……」


「若い女性……」


「はい…… どうしてこんなところにと、心配して声をかけたけど、何も答えなくてそのままどこかに歩いていったらしいです」


「……」


「年齢は10代半ばぐらいの少女に見えたと、そう言ってたのを覚えてます」


「少女……」


 その時、まるで言葉を連れ去るかのように、強い風が吹き抜けていった。イドエから遠く遠く離れた地で、風は空を越え、馬に乗った三人の女性の髪を揺らす。彼女たちは目的の場所を目指し、蹄の音を響かせながらゆっくりと進んでいた。


「もうー、いい加減機嫌を直しなさい。シュシュ」

 

 グレースの呼びかけに応えないシュシュは、冷たい瞳で遠くを見つめていた。


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