165 アイドルの試練


 

 森の中から微かに洩れる殺しの息吹を、カンスと門番を交代したヘルは感じ取っていた。


「姉貴、どうしたんですか?」


 ヘルはたった1、2日で、門番の者たちから慕われ、いや、恐れられ、姉貴と呼ばれるようになっていた。


 ウケケケケ、気のせいじゃない。あたしのあそこから疼きが全身に広がっていきやがる。森にいる奴は、いったい誰を殺しやがったんだ。今すぐにでも駆けつけたいけど我慢だ。シャリィ様の指示なしで、勝手に動いて嫌われでもしたら困るからな。それに、そのうちあたしの出番もあるはず。ですよね、シャリィ様……


「いや、なんでもない」


 そう、今は、なんでもない…… こい。早く来い。あたしの出番。




 ベッドで横になっていたユウは、知らぬ間に眠ってしまった。目を覚ますと、窓の外はすっかり暗くなっていた。


「ううーん、今何時?」


 19時過ぎ…… いつ眠ってしまったのかな……


 体を起こしてベッドに座っても、まるで立ち上がるのを拒否しているかのようにそこから動けない。 


「はぁー、まさかあんなに怒るなんて……」


 だけど、だけどあの衣装は、僕の夢を描いた衣装なんだ。みんなの態度や、ロスさんに面と向かって言われて流石に落ち込んじゃったけど、出来る事なら直したくない。絶対、絶対みんなに似合うはずなんだ。 


「あー、もう!」


 ユウが枕に顔を埋めて肩を震わせていたのは、悲しみからではなかった。

 

 この世界のみんなに、いくら口で説明しても、アイドルを見た事もないから理解できないんだ。だから、しょうがないかもしれないけど…… 

 本当のアイドルを知っているのは、違う世界から来た僕とシンだけ。シンだって、見たことあるだけで、アイドルの知識は、僕の足元にも及ばない。だからこそ、シンは僕にアイドルのプロデューサーになってくれって頼んだ。つまり、アイドルに関してはこの世界で僕が唯一無二なんだ。それなのに、みんなで僕の衣装を否定して…… 


「どうすればいいのかな……」


 ここは心を鬼にして、僕の言う事を聞いて貰うべきじゃないのかな…… 


「はぁー、バニでもしてこよう」


 ユウがバニ室に入ったタイミングで、シンが部屋に戻ってきた。


「おーい、ユウ」


 部屋に入ったシンは、バニ室からの音に気付く。


 風呂・・か。


 椅子に腰かけようとしたちょうどその時、ドアがノックされる。


「ドンドン」


 ん? シャリィとはノックの音が違うな。誰だ?


 そう思っていると、再びドアがノックされる。


「ドンドンドン」


 シンが何気なしにドアを開けた瞬間、目前に鋭いパンチが飛んできた! が、シンはスウェーで簡単にかわす。


「あっ!?」


 驚いて声を出したのは、シンではなく、パンチをしたリンであった。


「シッ!? い、いたっぺーかぁ!?」


「え? あぁ、今戻ってきたところだよ」


 ……どうやら、俺を狙ったのとは違うみたいだな。


 リンはシンの背後を覗き込む。


 いないみたいっぺぇね…… ユウ君が一人で部屋にいるってオスオさんから聞いたぺぇのに、シンと間違っていたっペぇかぁ。


 この時シンは、バニ室から聞こえていた音が止まっているのに気付いていた。


「ところでどうしたの?」


 そう聞かれたリンは一度目を伏せた後、再びシンと視線を合わせた。


「どっ、どうしたもこうしたもねぇっぺぇ!」 


「……」


「あたしはまだしも、ナナがかわいそうっペぇ!」


「……」


「怒ってるあたしや、呆れたキャロたちとは違うっぺぇ! ナナは…… ナナはユウ君の事を心から信用してたっペぇ! それなのに、それなのに、あんな脚も胸元も丸出しにした衣装を見せられて!」 

    

「……」


「ナナはずっとずっと、みんなを励ましてユウ君に協力してきたっぺぇ! それなのに、あんな衣装で舞台に立てって、それってナナを顔も潰してるっぺぇーよ! あたしらを、ナナの心を何だと思ってるっぺぇ!?」


 リンの声は、当然バニ室にいるユウの耳にも届いていた。


「いつまでたっても謝りにもこないっぺーし」


「……」


「だから裏切られたショックでずっと泣いているナナの代わりに、あたしが殴りに来たっペぇ!!」


「……」


「フゥフゥフゥ」


 興奮して息の荒いリンを、シンは見つめている。


「……そうなんだね。だけど、今ユウはいない・・・んだ」


「み、見たらわかるっぺぇ」


 怒りをぶちまけたリンは、シンに対しても荒い口調で答えた。


「ユウに用事があるのなら、俺も一緒に探すよ」


「見つけたら飛び掛かってボコボコにしてやるっぺぇから、止めるでねぇっぺーよ!」


 閉まるドアの音が響くと、ユウはバニ室からゆっくりと出て来た。


「なんだよ…… どうして僕が殴られないといけないんだよ。そりゃ、泣かせたのは悪いと思ってるけど、僕だってショックなのに…… イプリモには、スカートが短い人もけっこういたし、ガーシュウィンさんだって、僕を軽蔑してるのかもしれないけど、アイドルのことは、僕にはかないっこないんだ! あの衣装は、制服と同じなんだ! だからみんなは、言う事聞いてくれなきゃ駄目だよ。そうじゃないと、10月20日は成功しないんだ。どうすれば分かってくれるのかな……」 


 ベッドに倒れ込んだユウは、再び天井を見つめていた。



 宿から出たシンは、ユウを探すリンと一緒に外を歩いていた。


「絶対邪魔するでねぇっぺーよ」


「あぁ……」


「ったく、いったいどこに行ったっぺぇ? 全然いないっぺぇ」


「衣装って、そんなに酷かったの?」


「さっき説明した通りっペぇ、脚も胸も。あんなの…… 一度自分で着てみれば良いっペぇ」


「……そうだね」 


 シンは、ユウと女の子の間に何が起きたのか、すべてリンから聞いた。




 数十分後、再びドアがノックされる。 


「コンコン」


 そのノックは、前回とは違い遠慮がちであったが、開けるべきかユウは悩んでいた。


「……はい」


 細く震える声で応えると、扉の外から予想だにしない人の名が告げられた。


「あの、キャミィです」


 キャミィちゃん……


 ドアをノックしたのは、つい最近までヨコキの宿で働いていたキャミィであった。


「ユウさんとお話がしたくて」


 一瞬俯いたユウは、ためらうように顔を上げ、静かにドアを開いた。そこに佇むキャミィと視線が交わった瞬間、思わず目を逸らしてしまう。


「すみません、突然」


「……いえ。入って」


 キャミィを部屋に迎え入れ、ユウは向かいの椅子を示した。小さなテーブルを挟んで二人が座ると、ユウは俯いたまま動かなかった。


「あの……」


「……」


「衣装のことで話をしたくて……」


 やっぱり……

 

「わ、私はその…… ヨコキママのところで働いていたから、あの衣装には、ナナちゃんたちほど抵抗がなかった…… かも……」


「……」


「けど、ユウさんも……」


 そう口にすると、キャミィは黙ってしまった。


「……僕が、なに?」


 キャミィは意を決して口を開く。


「ユウさんも…… 同じなのかなって、思ってしまって……」


「……な、なにが同じなの?」


「女性を、物扱いする人なのかなって」


 その言葉に、ユウはゆっくりと顔を上げ、キャミィの瞳をまっすぐに見つめた。


「どういうこと?」


 口調の変わったユウを見て、今度はキャミィが俯いて目を逸らした。


「……ママは、私たちに良くしてくれて、物扱いはしないし、シンさんも」


 シンの名前が出た瞬間、ユウが言葉を遮る。


「シンとヨコキさん、二人と僕の何が違うって言うの!?」 

 

 声を荒げたユウと、キャミィは視線を合わせた。


「じゃあ仮に僕が、女性を物扱いしていたとしても、シンとヨコキさんは良くて僕だけ駄目って、意味が分からないよ!」


 ロスにも同じことを言われていたが、その時も、そして今も、ユウの中の割り切れない思いは消えることはなかった。その気持ちが、キャミィに向けられていた。


「……私、勉強したことないし、頭も良くないからうまく説明できないけど、人は、一人一人違う心を持ってて、特に女の子は……」


「……そ、そんなこと、僕に言われても……」


 女の子と一度も付き合った事も無い僕が、分かる訳ないよ。


「シンさんとママは、相手の心を、気持ちを考えているというか……」


「僕は、考えてなかったって言いたいの」


 ユウがそう答えると、二人の会話が止まり、時間だけが流れていく。


 この人は、ナナちゃんの気持ちに気付いていない。それを私が匂わすのは、間違っていると思う。けど、何かを伝えないと、二人の関係が、このまま終わってしまうかもしれない……


 そう思ったキャミィは、再び口を開く。


「ナナちゃんは…・・・・」


「……」


「こんな私も迎え入れてくれて……」


「……」


「みんなの先頭に立って頑張ってて」


「……」


「この村を、イドエを復興させるために、本当に一生懸命で……」


「……僕だって! 村のことを本気で考えてるよ!」


「分かってます。けど、その結果があの衣装……」


「そんな言い方しなくてもいいじゃん!」


「……ごめんなさい」


「それは、みんなが分かってないんだって」


「……ユウさんが、どういうつもりで、あの衣装をデザインしたのか、正直分かりません」


「……」


「けど、ユウさんのことを信頼してたナナちゃんからすれば……」


「……僕の考えた衣装のせいで、その信頼を壊してしまったって言いたいんだよね」


「……」


「けど僕は…… ナナちゃんたちを物扱いなんて、そんなこと、一度も思ったことないよ!」


 テーブルの上に置いた両手を強く握りしめて、ぶるぶると震わしているユウをキャミィは見つめている。


「……ユウ君も一生懸命なのは、私も、みんなも知ってて、だから私、いてもたってもいられなくて、それでここに……」


 二人の間に、また、言葉が途絶えてしまった。しばらくの沈黙の後、キャミィが重い口を開く。


「前に、宿の子同士が喧嘩になった時、ママが言ってたことがあって」


「……」


「あの二人は、どっちも間違ったことを言ってないって。だからこそ、心がぶつかり合うんだって」


 その言葉を聞いて、ユウが被せるように口を開いた。


「……キャミィちゃん」


「はい……」


「言いたい事は分かるけど、その話は、今回の僕たちの事に当てはまらないと思う」


「……」


「仮に正しいことが前提になるなら、アイドルっていうのは、あの衣装が正しいんだ」


「……」


「みんなはそれを知らなくて、それならアイドルを知っている、僕の意見を聞いて欲しい」


「……」


「それに今回の事は、ただの喧嘩とかじゃなくて……」


 その時突如、キャミィの声が重なった。


「やめてぇ!」


 え……


「もうやめてください。ユウさんの口から、そんな押し付けを、これ以上聞きたくないです」


 押し付けって…… 僕は説明しているだけで、別に押し付けているつもりなんか……


「どうして……」


 そう口にしたキャミィの瞳から、涙が零れていた。


「どうして分からないんですか!? ナナちゃんの気持ちを!」


 キャミィはそう口にすると、部屋から出て行ってしまった。


「……」


 ユウは開けっ放しのドアを見つめたまま、しばらくの間、動くことができなかった。





 その頃シンとリンは、プロダハウンにいた。


「ユウ君どころか、もう誰もいないっぺぇーね」


「だね」


 ん!? ちょっと待つっペぇ。すると今ここには、シンとあたしの二人っきりっぺぇーか?


 ユウへの怒りから今まで気づかなかった状況に、リンの頬が赤く染まる。隣を歩くシンの横顔をチラ見すると、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。


 ふっ、二人きりって、ドッ、ドキドキしてきたっぺぇ…… 


「う~ん、ここでしようか」


 その言葉で、リンの心臓の鼓動はさらに激しくなる。


「え!? こっ、ここーこここーここで、今からっぺぇか!?」  


「あぁ、リンちゃん」


 シンはリンの名を口にしながら振り向いた。


 はあぁぁぁ、やっばぁ! めっちゃかっこいいっぺぇ~。シンが望むなら、どこでもいいっぺぇ~。


 この時シンは、何かを説明していたが、リンの耳には届いていなかった。

 そんなリンは、ゆっくりと目を閉じて、唇を尖らせてゆく。


 ん~~。さぁ、早くチューするっぺぇ。その後は……


「それでさ、落とし前として……」


 う~、まだっペぇか? じっ、じらすでねぇっぺぇ。


 その時、シンの声がやっと耳に届く。


「そういう訳で、みんなを」


 ……みんな? 


「へえあ?」


 リンは閉じていた目を開けた。


「呼んで来てくれるかな?」


 ふぇ? チュッ、チューじゃなかったぺぇーか? 


「わぁあ、分かったっぺぇー」


 勘違いに気付いて顔を真っ赤にしたリンは、急いでプロダハウンから出て行った。


 あれれ? みんなって、いったい誰の事だっペぇ?





「はぁー」


 キャミィちゃんまで、泣かしてしまった…… そんなに、そんなに嫌なのかな、あの衣装が…… 


 ユウがため息を付きながら横になっている部屋に、三度目のノックが響いた。


「コンコン」


 え、シンじゃないよね? 今度はいったい誰なの? どうしよう…… 開けたくないな。


 ユウが応えずにいると、ドアの向こう側から微かに声が聞こえてきた。


「……ユウ君」


 あっ! あの声は……


 ベッドから起き上がったユウは、ドアに向かって歩いてゆく。

 戸惑いながらドアを開けると、そこにはナナが立っていた。ナナは視線を泳がせ、ユウと目を合わせることを避けるように、床に目を落としている。


「あ、あの…… と、とりあえず、椅子に座る?」


「うん」


 ナナは小さく頷くと、静かに部屋に入ってきた。差し出された椅子に座るナナの仕草には、いつもの元気が見当たらない。ユウはテーブルを挟んで正面の椅子に腰を下ろし、重たく沈んだ空気の中、やわらかく声をかけた。


「ど、どうしたの?」


「……衣装のことで、話があって」


 そうだよね、それしかないよね。どうしよう。一応、謝った方がいいよね。その後は、なんとか僕の気持ちを分かってもらって……


 沈黙の後、先に口を開いたのは、ナナだった。


「あの衣装……」


「う、うん」


「どうしても必要って言うなら……」


「……えっ」


「どうしても必要なら、着るっペぇ」


 その言葉で、ユウは俯く。ナナの必死な表情に胸が締め付けられる思いになり、見ていられなくなったのだ。アイドルのスペすアリストとしての揺るぎない信念も、懸命に自分の想いを叶えようとするナナの姿に、静かに崩れていくのを感じていた。


「けど、他のみんなは、たぶん着れないと思うから」


 ……ナナちゃんも本当は着たくないのに、ぼ、僕の為に……


「特にクルは、まだ幼いし……」


 そうだ、クルちゃんはまだ歳が……

 元の世界では年齢関係なく、アイドルのみんなは僕がデザインしたような衣装を着ていた。……でも、ここは異世界なんだ。シンは…… シンはどうやって、見極めているんだろう…… 

「……」


 つまり結局は、僕が何も分かってないだけなのか……


 心からそう感じたユウは、ナナの名を口にする。

 

「……ナナちゃん」


「な、なんだっぺぇ……」


「ご、ごめんなさい」


「……」


「実は、さっきまでずっと、どうすればみんながあの衣装を着てくれるかって悩んでいて……」


「……」


「僕しか、僕しかアイドルのことを知らないのに、どうしてみんな分かってくれないのかって思ってて」


「……」


「そうなんだ…… 僕はその答えに自分で行き着いてたのに、それに気付かずに、いや、それを無視して押し付けようとしてた……」


 そうなんだ。キャミィちゃんの言う通り、僕は押し付けようと……


 ナナは、項垂れてそう口にするユウを見つめている。


 今まで沢山、沢山頑張って僕に付いて来てくれたナナちゃんたちに、辛い思いをさせるなんて…… アイドルのプロデューサー以前に、人として失格だ。

 

「本当に、ごめんなさい」


 ナナは、項垂れて謝るユウの姿を、切なくも温かな眼差しで見つめていた。先ほどまでのナナは、本気であの衣装を着るつもりだった。それが、一人になってから考えた答えであったのだ。そして、愛しているユウの気持ちに応えたいという想いは、今でも変わっていない。


「あー、あ、あの衣装は、肌が沢山出るぺぇけど……」


 ……え?


「けど、可愛いっぺぇね」


 ナナのその言葉で、項垂れていたユウが顔を上げた。


「そっ、そうかな?」

 

「そ、そうっぺぇ。色使いとかも凄く綺麗で、それに……」


「そ、それに!?」


 前のめりになるユウを見て、ナナが優しく微笑む。


「それに~、みんなのイメージにあった色にしてるっぺぇ」


「え!? 気づいてくれてたの!」


 あまりにも前のめりになったユウの腰が、椅子から浮いてしまった。それに気づいたナナは、我慢出来ずに吹き出してしまう。


「ププッ」

 

「あ、ちょっと興奮しちゃって変なかっこうになってたね。ごめん」


「……ううん。うちのほうこそごめんっぺぇ」


「え?」


「いきなり突き飛ばして、ごめんなさい」


 ナナは謝った後、ゆっくりと俯いた。


「う、ううん。僕の方こそ、本当にごめんなさい。あの衣装は、僕がずっと考えていた夢の衣装で……」


 顔を上げたナナは、自分の夢を語り始めたユウを見つめる。


「いつか、自分のアイドルを作れる日が来たら、着てもらおうと思ってたんだ」


「……」


「だけど、この世界では……」


 ……この、世界…… また……


「違うようで似ている所は沢山あって、だからつい、僕の考えが至らなかったんだ……」


 ナナと視線を合わせたユウは、その表情に気づき、思わず漏らしてしまった言葉に慌てふためいてしまう。


 しまった!


「あーあの~、えーと、えーと」


「……」


「あー、そうだ! 今からもう一度衣装を見にいかない? ナナちゃんにあの衣装の何処を直せばいいか、教えて欲しいんだ」


「……うん、分かった。行くっペぇ」 


 ドアの向こう側には、しばらく前からシンが立っており、二人の会話に耳を傾けていた。  


 ふふ、ユウ。先に行っとくよ。


 ユウがドアを開ける前に、シンはその場を離れて行った。




            

 プロダハウンに着いたユウとナナの足が、同時に止まった。奥から漏れる明かりと、誰かが居ることを告げる微かな物音に、二人は思わず顔を見合わせる。


「誰かいるっペぇ?」 


「あ、ロスさんたちじゃないかな? たぶんシンに頼まれて」


 スタジオへと続く階段に足をかけた時、背後から声が響いた。

   

「待つっぺぇ」


 その声の主は、リンであった。


「あ、リッ、リンちゃん……」


 近づいてくるリンに怯えて、ユウは身を縮めた。だが……

 

「二人ともこっちに来るっぺぇ」


 殴られるかと思っていたユウは、思いがけない言葉に目を丸くした。訳が分からず呆然とするナナと共に、リンの後を追うように舞台まで歩を進めた。

 すると舞台には、キャミィをはじめとする少女たち全員が集まっていた。そして、スタジオに置いていた衣装も、そこに運び込まれていた。


 みんないる…… フ、フルさんまでも……


 ユウがキャミィを見つめると、目が合った瞬間、キャミィは俯いてしまった。


 キャミィちゃん……

 

 ユウが俯きそうになると、リンが口を開いた。


「ナナ、こっちに来るっペぇ」   


「え、いったい何なんだっペぇ?」


「いいから来るっぺぇ」


 ナナはユウと目を合わせた後、リンの元へ歩いて行った。


 この時一人残されたユウは、異常な雰囲気を感じ取っていた。

 

 みんな、僕に怒っているんだろうな。ここで今、みんなに謝罪しないと……


「あの…… みんな聞いてくれる」


 そう言いかけると、リンが遮るように話し始めた。


「ユウ!」


 リンは呼び捨てにした。


「は、はい」


「あたしたちは怒っているっぺぇ」


 その言葉で、ユウは目を伏せる。


「う、うん。今から、ちゃんとみんなに謝ります」


「謝っても、あたしたちの気は晴れないっペぇ」


 え、じゃあどうすれば……


 リンの言葉に驚いたナナが、口を開く。


「ちょ、ちょっとリン。何するつもりっぺぇ?」


「いいから、ナナは黙って見てるっぺぇ」


 この時ユウは、ナナとリンを見ていた。


 そういえば、リンちゃんは僕を殴るとか言ってたけど、まっ、まさか…… 


 ユウの視線は、フルを捉えていた。


 ま、まさか、フルさんに僕を殴らせる気では!?


 そう思っていると、フルと視線が合い、ニヤリと笑みを向けられた。


 お、終わった…… あの衣装をクルちゃんとプルちゃんに着せようとしたから、フルさんが怒っているのかもしれない。こ、これは下手をすると、僕は…… 僕は死んでしまうのでは!? 


 そう思っていると、リンがユウの名を呼んだ。


「ユウ君」


「はっ、はい!」


 慌てて返事をすると、リンの次の言葉に、ユウは思わず耳を疑った。


「着てみるっぺぇ」


「……え?」


「あたしたちに着せようとしたその衣装を、自分で着てみるっペぇ」


「……はぁ!?」


 ユウは呆然と口を開け、目を見開く。


「着てみるっペぇ。どれだけ肌が出るのか、自分で試してみるっペぇ」


 リンの言葉に驚いたのは、ユウだけではない。その場にいた全員が、リンを除いて目を丸くしていた。


「リ、リン」


 止めようとするナナを制止して、リンは続ける。


「デザインしたユウ君が最初に着るのが当たり前っぺぇ。それとも、自分で着れない衣装を、あたしたちに着ろと言ってたっペぇ!?」


 俯いていたユウは、フルをチラ見した。


 もしここで断ったら…… 


 観念したユウの首が、ガクリと折れ曲がった。


「その中から、好きななのを選ぶっペぇ」


「……」


「サイズは大丈夫っペぇ。ナナのじいちゃんたちが造った服は、かなり伸びるって聞いてるっペぇ」


 ユウは再びフルをチラ見した。


 従うしかない……


 ユウはトルソーからナナの衣装を取ると、舞台袖に消えて行った。

 集まっていた少女たちは、客席におりて口々に話し始めた。


「やっと決心したっぺぇ」

「クルクル~」

「クルは見ちゃ駄目だよ」

「やだ、クルも見る」

「あれを着たユウ君が、想像つかないんだけど」

「ねぇ」


 この時、ナナとキャミィの二人は、何も言わずただ黙っていた。


 しばらくして……


「着替えたっペぇかぁ?」


「……はい」


「それなら、さっさと出てくるっペぇ」


 舞台袖の暗闇から、ナナの衣装に着替えて歩いてきたユウを目にすると、少女たちから笑い声と悲鳴が上がる。舞台中央で照明に照らされたユウの姿を見て、さらに大騒ぎとなる。


「うわー」

「あははは、ユウ君似合ってるっぺーよ」

「クルクル!?」

「うわー、やっぱり脚出すぎ!」

「な、なんて表現すればいいんだろ……」


 集まっていた少女たちは、手で口を押さえたり、腹を抱えて笑ったり、目を見開いたりと、それぞれに賑やかな反応を示していた。


「下から覗いても、パンツは見えないっぺぇーね」


「はい…… こ、これはスカートに見えるけど、ズボンの様になってて」


「そんな事はどうでもいいっぺぇ。小さいけど、鏡も用意してるっぺぇーよ。見てみるっぺぇ」


 ユウは立てかけられている鏡の前に立ってみた。


 ……うっわ。僕が着ても気持ち悪すぎるし、全然似合ってない。そして確かにこれは、みんなの言う通り、肌が出過ぎてる……


「あははは、感想言うっペぇーよ」

「クルクル~」

「か、かわいそうだから、そろそろ許してやるっペぇ」

 

 ナナはそう口にしたその時、入り口から声が聞こえてきた。


「リンちゃん、どこー?」


 えっ! あの声は!?


 聞き覚えのある声に、ユウの挙動がおかしくなる。


「あー、こっちっぺぇ村長さーん!」


 やっぱり、レティシアさんだ!


 みんなを呼んで来てとシンに言われていたリンであったが、話を聞いていなかったため、誰を呼んでいいのか分からず、レティシアにまで声をかけていたのであった。

 

 何も聞いていないレティシァは、アイドルの衣装を着て舞台に立っているユウを見て絶句してしまう。


 うわー、レティシアさんにも見られちゃった……


「ど、ど、どうしたんですか、ユウさん……」


「いや、あのこれは……」


 リンから説明を受けたレティシアは、少女たちに同調する。


「ふーん、確かにそれなら、自分で着てみるのは当然ですよね~」


「そうだっぺねぇ、村長さーん」


 うっ、レティシアさんまでも……


 その時、入り口から新たな足音が聞こえてきた。それに気付いたリンが声を張り上げる。


「あー、こっちっぺぇ」


 え、次はいったい誰が来るの?


 現れたのは、なんとシャリィであった。


 シャ、シャリィさんまで……


 ユウは言葉も出ず、ただ俯くばかりだった。


「あのー、シャリィ様。実は……」


 ユウの姿を見て目を細めたシャリィに、レティシアが状況の説明をする。

 

「なるほど。ところで……」


「はい」


 レティシアが応じると、シャリィは舞台袖の方を見つめた。


「なぜシンはそこに隠れているんだ?」


「え?」


 シャリィの視線の先、ユウが着替えた反対側の舞台袖には、身を潜めているシンの姿があった。


 リ、リンちゃん! どうしてシャリィまで呼んだの……


「コホン」


 隠れたままでいられないと思ったシンは、咳ばらいをしながら姿を現した。


 シン!? 居たんだ。


「シ、シン!」


 ユウがシンの名を呼ぶ声は、明らかに助けを求めるものであった。


「あー、そろそろ。コホン、お開きにしましょうか? みんなの怒りも、ユウがこの衣装を着たことで収まったよね? じゃあ、仲直りという事で」


 シンの声に反応したのは、ナナだった。


「そ、そうっぺぇ。そろそろ許してやるっペぇ」

 

「ナナがそう言うなら、許してやるっペぇーか」

「クルクル~」

「そうね」


 だが、その意見に反する者がいた。それは……


「いや、まだだ」


 それは、シャリィだった。


 シャ、シャリィさん……


「え!? 何でシャリィが? みんなが許してやるって言ってるから、これで終りだよ。流石にユウがかわいそうじゃん」


 何かを感じ取ったシンは、この場を必死で収めようとしていた。しかし、シャリィが再び口を開いた瞬間、シンの予感は的中してしまう。


「お前がまだ着ていない」


「お、俺すか!?」


 シンは思わず、自分を指差した。


「な、なんで俺が着ないといけないの!? これはユウのみそぎであってだな、俺は関係ないだろ!?」


「……拒否するのなら、力ずくでも着てもらう」


「だ、だから何でだよ!? どうして俺まで?」


 その時、入り口から新たな足音が響き、ヘルが姿を現した。


 リンちゃん! どうしてヘルまで!?


「いいですねシャリィ様。その役目、あたしがやりますよ!」


「お、お前は関係ないだろ!」


「良いのかよわっちぃ君。あたしにそんな口聞いて?」


 ……くっ。


「どうするシン? 大人しく自分で着るか、それとも、ヘルに力ずくで着せてもらうか? どちらでも好きな方を選べ」


 その時、静まり返った場内に、微かな笑い声が聞こえた。


「フ、フフ」


 その笑い声の主は、隣に立っているユウであった。


 どうしてユウが笑ってるんだよ……


「わ、分かったよ! 自分で着てくるよ! 着りゃいいんだろうが!」


 トルソーから衣装を取ると、シンは舞台袖に消えて行った。


 なんで俺が? 沢山遊びはしたけどさ、こんなプレイはした事なんかねーよ! 


「おらー、早くしろ!」


 中々出てこないシンに、ヘルのヤジが飛ぶ。


 おそるおそる舞台袖から顔を覗かせたシンの姿に、場が大きく沸く。


「や、やっぱり無理だって!」


 シンが慌てて引っ込もうとした瞬間、ヘルの声が鋭く響く。


「よわっちぃ君。あたしから逃げられると思ってんの? 首根っこつまんで、引きずり出してやろうか!?」


「……はぁー」


 観念したシンは、ゆっくりと舞台に姿を現した。アイドルの衣装に身を包んだその姿に、少女たちから悲鳴と笑い声が一斉に上がる。


「ぎゃはは、似合ってるぞよわっちぃくーん。この村は楽しいなー」

「うんうん。シンさん、似合ってますよ。あははは」


 ヘルとレティシアは笑いすぎて、目尻に涙を浮かべていた。 


「シン、可愛いっペぇーよ!」

「えー、シンさんの脚、女の子みたーい」

「その恰好でズモウとってみる? うははは」


 その時、クルが舞台袖から現れて、シンの横に並んだ。


「ク、クルちゃん、どうしたの?」


 シンをじっと見つめていたクルは、両手でスカートを掴むと……


「えいっ!」


 と、声を上げて、スカートめくりをした。


「やだぁ!」


 シンは咄嗟に声を上げ、スカートを押さえた。その仕草に、女性たちの笑い声は更に大きくなった。

 

「やだぁだって。ぎゃははは」

「お腹、お腹痛い。シンさんもうやめてぇ」


 この時シャリィの口元にも、かすかな笑みが浮かんでいた。


「ただ立っているだけだと、踊った時に衣装がどのように動くのか分からない」


「あー! さすがシャリィ様だっぺぇ。その通りだっペぇ」


 ま、まさか……

 う、まさか……

 

 思わず顔を見合わせたシンとユウは、同じ事を思っていた。


「待ってて、スタジオからヴォーチェ持ってくるっペぇ」


 リンちゃん、余計な事を!


 リンが取りに行っている間、レティシアとヘルまでもが舞台に上がり、スカートを下から覗き込んでいた。


「へー、こんなになっているんですか~」

「なぁ、この衣装貸してくれよ。気にいった!」


 何に使う気だよ!?


「ヴォーチェ取ってきたっペぇ。さぁ踊るっペぇ」


 音楽が鳴り始めると、観念した二人は仕方なく踊り始めた。振り付けを知らないシンは、ユウの動きを追いながら、遅れて真似をする。

 二人のぎこちない踊りに、少女たちの笑い声は最高潮に達し、止めていたナナまでもが、ついに声を出して笑い始める。


「ンフ、ンフフフフ」


 無邪気に笑うナナを見て、今まで表情一つ変えなかったキャミィも、やっと柔らかな笑みを浮かべた。


「うふ、うふふ。シンさん、そこはもっと足を上げて下さい」


「こ、こうかな?」


「うふふふ。そうです、そうですよ。うふふふ」


 シャリィの思惑通り、シンにも衣装を着せたことで、少女たちとユウの間にあったわだかまりは、この笑い声と共に消え去っていった。

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