163 すれ違い
プロダハウンへ向かうユウは、嬉しさを抑えきれず、いつの間にか両手を大きく振りながら全速力で駆けていた。
「はぁはぁ、ロ、ロスさーん!」
大きな声でロスの名を口にしたが返事は無い。それもそのはずで、誰も来ていなかったのだ。
「今何時?」
7時45分。そろそろ来てもいい頃だと思うけど……
入口を少し入った所に腰を下ろし、ユウはロスたちを待っていた。だが、8時を過ぎてもロスたちは現れない。いつもならすでに何人か来ていてもおかしくないはずなのに。
もしかして、昨日ナナちゃんたちが戻って来たから、今日は休みにしたのかも……
そう思って立ち上がったユウは、仕切られているロスたちの工房に入ってゆく。すると、真っ先に目に飛び込んで来たのは……
「うわ~、魔法機かっこいい~」
整然と並ぶ服飾の魔法機であった。その光景を見て、ユウの胸が躍る。
何回見てもすごーい。座ってみたいけど、壊しでもしたら大変だから見るだけにしよう。でも…… 少し触るぐらいならいいよね。
ユウはまるで、仔犬を撫でるかのように、優しく魔法機に触れる。
うわー、つるつるしてる。しかしこれって本当、どういう仕組みになっているのかな? 凄いなー。
魔法機に手を伸ばしていると、視界の隅に懐かしさを感じるシルエットが飛び込んできた。
「えっ…… あ、あれは……」
視線の先のトルソーには、自分がデザインしたファーストアイドルの衣装が息づいていた。その7つすべてが、夢に描き続けた理想そのままに、今、目の前で命を得たように輝いている。
「なんて、なんて美しいんだ……」
息を呑むほどの出来栄えに見入っているユウの耳に、背後から柔らかな声が届く。
「まだ仮の段階だがの、よく出来ていると思うがの」
「ロ、ロスさん!」
返事はしたものの、ユウの目は衣装から一瞬も離れず、完全に釘付けになっていた。見つめる先の衣装は、輝くような生地と繊細な刺繍の一つ一つに、魔法職人の技が息づいている。
「こ、これは間違いなく、思い描いていた…… いえ、それ以上の素晴らしさです! 本当に、本当に凄いです! これでまだ、仮の段階だなんて」
ロスの目には、自らが仕立てた衣装を前に、無邪気に喜ぶユウの姿が映っていた。
「うわー、すごーい! いいなー、かわいいなー。これ絶対似合いますよ! これを見てみんなの喜ぶ顔が浮かびます! あー、早く明日にならないかな~。今すぐにでも見せたいなー」
ロスが静かな眼差しで見つめていたそのとき、入り口の方から音が聞こえた。ルスクでも来たのだろうと気に留めていなかったが、振り向いたその先には、思いもよらぬ人物の姿があった。
「あ……」
衣装に心を奪われていたユウだが、何かを感じて振り返る。するとそこには……
「え…… ガ、ガーシュウィンさん」
現れたガーシュウィンの視線は、驚いているユウとロスではなく、ファーストアイドルの衣装に向けられていた。
「……」
だが、ガーシュウィンは何の反応も示さず、ユウに視線を向けた。
「あ、おはようございます」
「……おはよう。俳優はまだ来てないのか?」
その質問に、ロスが答える。
「昨日セッティモから戻ったばかりでの、今日は休みだと思うのですけど」
「そうですか…… ロスさん」
「は、はいの」
「宜しければ、ラペスの自宅を教えて頂けますか?」
何があったか知らんがの、より一層やる気を出しておるみたいだの……
「案内するでの」
「お願いします」
そう口にした後、ガーシュウィンは再びユウを見つめる。
「もしよろければ、一緒にどうかね?」
「えっ!? ぼ、僕ですか?」
ガーシュウィンは頷く。
「は、はい。行きます」
ガーシュウィンの突然の誘いに、ユウは戸惑いを隠せずにいた。
その頃シンは、役場でレティシアにセッティモでの成功を報告した後、シャリィと会っていた。
「
「……」
「ここにはシャリィにバリィ、そしてあの二人もいる。だけど、村人を全員に目が行き届いている訳じゃない。10月20日までまだ時間あるけど、変わらず安全を最優先にして、出来るだけ引きこもる」
「奴はもう教会と関係がない。脅威に感じるのなら、打って出るという手もあるが……」
「そうだな。だけど、それは俺たちがしなくても、教会なり他の者がするだろう」
「……」
「セッティモに残った広報も引き上げ、協力してくれる各ギルドや服飾組合には、悪いけどイドエに出向いてもらう」
「……」
「戻って来る広報の護衛を頼む」
「分かった。それはバリィに頼んで、代わりに私が村の周辺を警戒する」
「頼むよ」
離れてゆくシャリィをシンは見ていた。
俺が感情に振り回されずに、あのままセッティモに残ってロルガレの件を聞いていれば、広報も一緒に戻ってきたはずだ。それなのに、予定通り残ってしまった。その結果、危険にさらされ、バリィまでも一時的に失うことになる。もしこの間に、外に出ている村人が、シャリィの目の届かない場所でロルガレに襲われでもしたら……
シンは、自分の突発的な判断を悔やんでいた。
セッティモでの成功は、十分な宣伝効果をもたらしたはずだ。何より、
だが、まだまだ問題は山積みだ。ロルガレは勿論のこと、教会内部の争い。それに関しては、俺たちは手を出せない。それに、今なお動きを見せていない領主や貴族たち、様々なギルド。それと、俺たちの一挙手一投足を監視し続けているに違いない、ザルフ・スーリン……
「……」
それは…… ユウ、お前が……
この後、シンは門へ向かい、夜遅くまで門番を務めた。
先頭を歩くロスの後ろを、ガーシュウィンとユウが並んで歩いている。ユウは時折、不安げな眼差しをガーシュウィンに向けるが、ガーシュウィンは無表情のまま、ただひたすらに前を向き続けていた。二人の間には、重たい空気だけが漂っている。
ガーシュウィンさん、どうして僕を誘ったのかな?
そう思っていると、突然ガーシュウィンが口を開いた。
「先ほどの衣装は、アイドルのものなのか?」
「あ、は、はい。そうです」
「……そうか」
このまま会話が途切れてしまいそうだと感じたユウは、慌てて声を絞り出す。
「どっ、どうでしたかあの衣装? 凄く可愛くて、絶対みんなに似合うと思っているんですけど」
「……確かに、
「そ、そうですよね!」
ガーシュウィンに認めてもらえたと感じたユウは、素直に喜んでいた。
よーし、よーし!
歩きながら小さなガッツポーズを繰り返しているユウを、ガーシュウィンは見つめていた。
この若者が私を…… あの言葉の意味が、どうしても理解出来ない。
ガーシュウィンはシンの言葉を聞いて以来、ユウの事を考えていた。この日、偶然出会ったユウを誘ったのは、そういう経緯からであったのだが……
「ついたでの。あれがラペスの家ですの」
ロスの言葉で、ガーシュウィンはユウから視線を外した。
「ありがとうございます」
ガーシュウィンはロスに礼を述べると、わずかな間を置いて、ユウにも短く言葉を向けた。
「ユウ君も、ありがとう」
「え、いいえ」
ロスとユウは、ガーシュウィンをその場に残して、プロダハウンへと戻って行く。
ガーシュウィンさん、いったいなんだったのかな? 単純に見た事のない衣装だったから聞きたかったのかな? それならもっと詳しく教えたのに。
この後、ラペスと会ったガーシュウィンは、レティシアを訪ね、練習場をプロダハウンから変更してもらえないかと願い出た。それは、出来るだけユウとの接触を避け、演劇に集中するためだったが、その真意を知る者は誰もいなかった。
深い森の中、木々の影に佇むゼロアスの前に、シャリィが静かに姿を現した。
「あ、シャリィ! ねぇねぇ、見てよこの子」
シャリィは一匹の魔獣に目を向ける。
「ねっ! 前の子とは違うよ、この子にも肉が付いて来たんだ!」
「そうだな……」
「村にいたゴロツキどもに、この前のチンピラヤクザとか、短期間に沢山食べたからね~。もっと質の良いのをエサにしたいけど、贅沢は言えないよね。けど、この子はきっと良い子になるよ~」
「……」
「あとね、この子見て。この子はね……」
ゼロアスが別の魔獣の説明をしようとしたとき、シャリィはその言葉を遮る。
「ゼロアス」
「な、なに?」
「
「もうー、分かってるよそれぐらい~。けど、あのでかい女は気付いているみたいだけど良いの?」
「接触はするな」
「はーい」
「それと、ロルガレはもうヘルゴンではない」
その言葉を聞いて、ゼロアスはもふもふの耳をピクリと動かした。
「ロルガレ?」
ヘルゴン……
思い出そうとしているゼロアスの尻尾が、弧を描くように動く。
「あー、ここに来てたあの気色悪い奴」
「もし現れたら、殺しておけ」
その二つを伝えると、シャリィは一瞬でその場から去って行った。
「りょうかーい」
……あの
プロダハウンに戻ったユウは、最高の衣装に仕上げるため、ロスたちと細部の確認を繰り返していた。
うわー、あー、魔法機って凄いな~。
目を輝かせながら、ユウは出来上がっていく衣装に見入っていた。
「これでどうかの?」
「はい、凄くいいです!」
衣装の完成へ向けて、丁寧な作業は夜遅くまで続いた。
日が暮れるころには、広報の一行も無事にイドエへ戻り、この日は大きな出来事もなく終わりを迎えた。
次の日の朝……
「シンお先に」
「あぁ」
ナナたちに一刻でも早く衣装を見せたいユウは、はやる気持ちを抑えきれず、この日も朝早くからプロダハウンへ向かっていた。
その途中、聞きなれない音が耳に飛び込んでくる。
え? 何の音?
不思議に思ったユウが音の方へ目をやると、ヘルとカンスが剣を交えていた。鋭く閃く刃が朝日に輝き、二人の姿が影絵のように浮かび上がる。
こんな朝早くから……
二人の激しい攻防にユウは自然と足を止め、息を飲んでいた。ヘルの剣さばきは豪快そのもので、振るわれる剣は風を巻き起こし、地面さえ揺らすほどの威力を放っている。
す、すごい……
対するカンスは、必死に応戦しているものの、その圧倒的なパワーと剣技の前では押され気味だった。素人であるユウからしても、ヘルの強さは一目瞭然であった。
「……」
轟音と共に衝撃波が、ユウの体と心を震わせた。目の前で繰り広げられる光景は、もはや稽古の域を超えていたのだ。二人の動きは、まるで荒れ狂う嵐のように激しく、その一挙手一投足が空間を震わせていく。
剣と剣がぶつかり合う度に、火花が散り、金属特有の甲高い音が耳を貫く。
まっ、まさか、鍛錬じゃなくて本気で……
そう思った次の瞬間、ヘルの一撃がカンスの防御を粉砕する。カンスは吹き飛ばされるように倒れ込んだ。
す、すごい…… たぶん飽きることなくずっと見てられる。けど、衣装も……
「うー、ううー」
頭を抱えて葛藤するユウであったが、稽古に集中する二人の邪魔にならないよう、そっと足音を忍ばせて去っていった。
「もうおしまいか!?」
「まだ、まだまだだよ」
「それならさっさと起きやがれ! ったく、こんな朝早くから」
「いくよ!」
ユウが去った後も、二人の稽古は続いていた。
この日もプロダハウンへの一番乗りはユウであった。
まだ誰も来てないみたい。それにしても…… ヘルさんとカンス君凄かったなー。
昨夜、スタジオに運ばれた衣装は、大きな布に覆われていた。その前に佇んだユウは、その布を取り去った。
「うん……」
ロスたちと夜遅くまで作り上げた衣装は、ユウの理想通りに仕上がっていた。
感慨深い眼差しで見つめているユウは、ナナの衣装に付着した僅かな埃に気付く。そっと手を伸ばし、優しく払う。
僕の…… 僕の夢が、もうすぐ……
抑えきれない想いが、ユウの瞳を滲ませた。みんなを迎えるために、一階に降りたそのとき。
「おはようっぺぇ」
「おはようございまーす」
「クルクル~」
「あれ? 誰も来てないの?」
入口から少女たちみんなの声が聞こえ、ユウは急いで涙を拭う。
「み、みんなおはよう。こっちに来てくれる」
ユウは覆っていた布を、再びかけ直した。
「ユウ君の声だっペぇ」
「クルクル~、こっちってどこー?」
「階段だよー」
「はーい」
「クルクル~」
先にスタジオに戻ったユウは、階段を上がってくる少女たちの足音に耳を澄ました。
「トントントン」
来た!
みんなが衣装を見たら、きっと喜んでくれる。そう思うだけで、胸がいっぱいになっていた。
「あ、いたっペぇ」
「クルクル~」
少女たちの視線は、ユウからその横に置かれた不思議な形の布包みへと自然と引き寄せられていく。
「ん? 何だっペぇそれ?」
最初に声を出したのは、ナナであった。そして、その瞬間を待ち構えていたかのように、ユウの瞳が輝きを増す。
「これはー、みんなの……」
「ふえ?」
「なんだっぺ?」
「みんなの、ファーストアイドルの、衣装です!」
「クルクル!?」
「うちたちの衣装っペぇかぁ!?」
「えー、見たいー」
「もったいぶってないで、早く見せるっペえ!」
想像通りの反応に、ユウの唇が優しく弧を描く。
「えー、どうしようかな~?」
意図的に引き延ばすユウに、少女たちから元気の良いヤジが飛ぶ。
「クルクル!」
「そんなのいらないっぺぇ!」
「もぅ、早く見たいのにー」
「じらすでねぇっぺぇ!」
「布をとって!」
「ふふふ」
満足げに笑いを漏らしたユウは、いよいよ覚悟を決めたように深く息を吸った。
「では……」
少女たちの体が、まるで引き寄せられるように前に傾く。息を潜めて見守る瞳には、期待と興奮が溢れていた。
「せーの!」
まるで魔法の呪文のように、ユウの掛け声とともに布は一気に宙を舞う。
トルソーに飾られた衣装が姿を現すと、期待に胸を膨らませる少女たちの間に、一瞬の静寂が流れる。
あ、あれ? 予想とちが…… あー、もしかして、あまりの衝撃に、あっけにとられているんだね。
そう思っていたユウであったが、期待に輝いていた少女たちの瞳が曇り始め、一人、また一人と光が消えていく。
戸惑いから、困惑へ、そして言いようのない悲しみへ表情が変化していくと、流石にユウも気づき始める。
「あ、も、もしかして、気に入らなかった……」
ユウは震える声で問いかけたが、俯いている少女たちからは、誰一人として答える者はいない。その時、手を強く握りしめ、ぶるぶると震わせていたナナが、重たい空気を破るように声を絞り出した。
「……いたのに」
「え? ナナちゃん。なんて言ったの?」
「し……」
「な、なに?」
「信じていたのに……」
「え!?」
「ユウ君のことを、信じていたのに! 馬鹿ー!」
その叫びには、いつもの言葉使いが消えていた。それは、抑えきれない想いが溢れ出した証だった。
驚いたユウは、俯いているナナに駆け寄る。
「ナ、ナナちゃん」
ユウが手を伸ばした瞬間、ナナは両手でユウを激しく突き飛ばした。
「ドン!」
勢いのあまり尻もちをついたユウの姿など見向きもせず、ナナは唇を噛みしめると踵を返した。階段を駆け下りる背中は小刻みに震え、頬を伝う涙は止まることを知らなかった。
馬鹿…… ユウ君の馬鹿……
尻もちをついたまま硬直するユウの前で、他の少女たちも一人、また一人と、沈黙のまま背を向けて階段を降りていった。最後に残っていたリンは、吐き捨てるように言葉を口にした。
「最低っぺぇ」
リ、リンちゃん。どうして、どうして……
一人取り残されたユウは、ただ呆然と床に座り続けた。
「終わりか?」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
激しい呼吸を繰り返しながら、カンスは四つん這いになっている。
「……終わりみたいだな。はぁー、やっと朝食にありつける」
離れていくヘルを見送る気力もないまま、カンスはゆっくりと地面に崩れ落ちた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
強く…… 1日でも早くもっと、もっと強くならないと……
カンスは倒れたまま、朝もやに霞む空を見上げながら、そう誓っていた。
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