159 策略の連鎖
ドジュル・タナ司祭のディースタから報告を受け、レリスの瞳に鋭い光が宿った。表情は厳しく引き締まり、何の動揺も読み取れない。しかし、その心の内では、ロルガレの暴走ともいえる展開に対する喜びが静かに渦巻いていた。
「状況の切迫度を把握している?」
レリスはディースタに確認をとる。
「はい、十分に」
「
「私を含めて4人です」
「ミレス司祭のところは?」
その問いかけに、少女は首を横に振る。
そう……
状況を見極めているレリスは、明確な指示を与える。
「そ、それは……」
「……なに?」
「失礼ですが、承服しかねます」
ディースタの少女は、レリスの指示に一度異を唱えた。
「詳細を説明する時間はないの。事態はそれほど切迫してる。だから、理解をして」
「……はい。お伝えいたします」
この時、レリスの口元に、微かな笑みが浮かんでいた。
ディースタの少女が去った後、窓からの月明かりがレリスを包む。その光の中、身に纏っていたものをすべて脱ぎ去ると、静かに
そして、古めかしい衣装箱から取り出した剣を装備した後、ゆっくりと鞘から抜く。すると、刃が月明かりに反射し、剣が神秘的な光を放つ。
大嫌いな二人とも殺れるなんて…… シン、これも全部、あなたのおかげ。いつか必ず、お礼をしないといけないね。
十数分後……
夜の闇が深まる中、ヘルゴンの
一人の隊員が、隠そうともしない、むしろ意図的に放たれているかのような気配に気付く。
……あれは!?
「おっ、おい!」
「うん?」
薄暗い廊下の向こうから現れたレリスと、彼女に伴われた人物の姿に、二人の隊員は一瞬凍りついたかのように動きを止める。彼らの目に映る来訪者の姿は、明らかに予想外のものだったのだ。
まさか、タ、タナ司祭が…… ど、どうして、タナ司祭が
驚いた二人の隊員は、剣に手を掛ける事すらしない。その目は、レリスとタナ司祭の間を行ったり来たりしている。
彼らから5メートルほどの距離で立ち止まったレリスは、二人にもはっきりとその声が聞こえる大きさでタナ司祭の名を口にする。
「タナ司祭」
法衣を羽織っているタナ司祭は、慌てずゆっくりと前に進み出た。灯りに照らされた司祭の表情には、深い決意と覚悟が刻まれており、その表情から何かを感じ取った二人の隊員は、言葉を失ってしまう。
「我々はみんな、同じ教会に仕える身」
「……」
「ですが今、この地下室で、教えに反する行為が行われています」
二人の隊員の表情に、動揺が浮かぶ。
「我々の務めは疑い、罰することではなく、教え、救い、共に生きることです」
タナ司祭……
「どうか、何事も無く私たちを通してください。一刻も早く、今行われている過ちを正さねばなりません」
その言葉を聞いた一人の隊員が、敵意を持った視線をレリスに向ける。
……くぅ。
だが、瞬時に視線を逸らし、仲間の目を捉えた。二人の間で言葉なき会話が交わされ、わずかな頷きだけで互いの思いを確認し合うと、その目から迷いが消えた訳ではないが、ある決心を固める。
静寂の中、時間の経過と共に緊張が頂点に達したその時、レリスのイフトに僅かな変化が現れ、手が剣の柄にそっと伸びる。ディースタの3名の少女たちは、音を立てることなく、タナ司祭の周囲にゆるやかな円を描くように位置を取っていく。
それに気づいた二人の隊員は誤解を受けぬよう、ゆっくりと両手を広げて武器に触れていないことを示す。その仕草は、攻撃の意図がないことを伝えていた。
「お通し……」
そう口にした隊員が目を伏せ、タナ司祭に平伏す。
「致します」
一人の隊員の言葉と共に、扉は無事に開かれたのであった。
「あなたたち二人は武装を解き、ここで待機していなさい」
「……」
「何が起きても、動くことを許しません」
レリスは鋭い眼差しで二人の隊員に向け、簡潔な指示を与えた。隊員たちはレリスと目を合わせず、俯いたまま黙って聞いている。
「カチャ」
二人から返事はないが、指示通り剣を地面に置いた。
その頃、地下の
ミレス司祭への単純な暴行とは明らかに異なり、ここでの尋問は遥かに激しさを増していた。わざと恐怖を煽る為、一つのドンケカーマに集められた3名のうち、先に尋問を受けた1名の手の指は全て斬り落とされ、床には10本の指と
「さぁ、次はどちらにしましょうか?」
床に落ちているその男の指を、まるで虫を殺すかのように、カロとリマンがグリグリと踏みつけて潰す。
「ゴリゴリグチャ」
その光景を目の当たりにした一人は、これから起こり得る自分の運命を悟り、恐怖で全身が震え、制御できない戦慄が心を支配する。
しかし、もう一人はそれとは対照的に、激しい拷問を受ける仲間を目の当たりにしておきながら、全く微動だにせず、冷めた表情でロルガレを見つめている。その目には、恐怖の代わりに、何か別の感情が宿っていた。その視線に気づいたロルガレが口を開く。
「あら、何かしら?」
ロルガレが問いかけると、男は再びゆっくりと目を逸らした。
「あなたたちは、ミレス司祭から大量の魔法石を不正に受け取り」
「……」
「それをイドエに流した」
質問されている男は微動だにしない。
「それとも、もしかして
「……」
ロルガレは、下を向き、一向に口を開かない男の髪の毛を掴んで、無理矢理上を向かせる。
「魔法石が
その言葉を聞いた男は、一瞬口を開けたが、直ぐに閉じる。かと思えば、再び開けて閉じた。
「何か言いたいのね」
ロルガレが掴んでいた髪の毛を離すと、僅かな間を置いて、男は初めて言葉を発した。
「……いやね」
「やっと口を聞いてくれたわね」
「う~ん、たいした事じゃないし、今の話とは全く関係がないけど……」
「いいわよ、続けて」
ロルガレの言葉で、男は二度三度軽く頷いてから再び口を開く。
「かわいそうな奴だな~って、そう思ってね」
「……どういうことかしら?」
「あんただろ?
男とロルガレは、視線を合わしている。
「……そうよ」
「最愛の隊長様が、別の男と無理心中をして怒り狂っていると聞いたよ」
カロとリマンは男の言葉を聞いて、目を伏せて動かなくなる。
「心中お察しするぜ」
「……」
「おおっと、冗談でも揶揄っている訳でもないからな。勘違いするなよ」
「くふ、うふ、うふふふふふ」
怒り狂うと思われたロルガレが、意外にも笑い始める。
「言っておくが、その件に関して俺は、全くの無関係だ。けど……」
「……」
「
「……」
「そこに関しては、出来る限り協力してやりたいと思っている」
その言葉で、ほんの僅かだが親近感を覚えた男に、ロルガレは名前を聞く。
「あなた…… お名前は? お名前を言える?」
「あぁ、俺はカピティーンって言うんだ」
口元に柔らかな笑みを浮かべていたロルガレの表情が一変する。
「フルネームは、チンポ・カピティ~ン。どうだ、良い名だろ?」
もしこの場所が、魔素を消し去るモンテスが埋め込まれている
「どうやら…… よほど無惨な殺され方を望んでいるようね。お望み通り、特別な拷問をしてあげるわ」
「おっ! いいね~、どうせなら生きている間に、色々な経験をしてみたかったんだ~」
「……」
「だけどな~、あんたのチンポでケツを掘られるのは勘弁だな」
「……」
「勿論突っ込む方もな! うっひゃひゃひゃ~。悪いけど隊長さんと違って、俺はあんたじゃ起つ自信がないんだ」
その言葉に、ロルガレの中に僅かに残っていた理性が崩れ去った。一瞬で鞘から剣を抜くと、狂った獣のように振り回し始めた。剣は左へ、右へ、また左へとめまぐるしく動き、男の胸、腕、脚、顔を次々と切り裂いていく。だが、その一撃一撃は全て浅く、致命傷にはならない。それは、少しでも長く生かしたまま斬り刻むために。
血しぶきと肉片が部屋中に飛び散り、恐怖におののくもう一人の男にまで降りそそぐ。そんな中でも、切り刻まれる男は口を開き、ロルガレを煽り続けた。
「拷問っ、ていうのは、嫌が、る事をする、んじゃないのか? ケツ、に入れてみろよ! ほら、どうしたぁ!? カピティーンじゃねーと、起っ、たねー、のか!?」
「キエエエエエエエェ! 死ねえええええ! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死んで死んで死んで死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇい! 死になさぁいぃぃ!」
カロとリマンは、怒り狂っているロルガレに恐れをなして、視線を向けることすら出来ず俯いている。
数分後、何百と剣を振ったロルガレは、やっと止まる。
ピクリとも動かない男を見ながら、血と肉片と汗にまみれ、息を切らしたロルガレの表情は、歓喜に満ち溢れてゆく。
「はぁはぁはぁはぁ」
だが、証言を聞き出す前に殺してしまった、そんな微かな後悔を感じたその時、死んだと思っていた男が顔を上げる。
「ば、かやろ、うども、が…… こういう、のは、女に、やらせるんだよ」
「……」
「それ、な、ら…… しゃべって、や…… ても、良かった、のに……」
そう言い終えると、男の首はガクッと折れた。
「……」
死んだ男を見つめるロルガレの頭には、一人残っている男のことが浮かんでいた。3人の中で唯一恐怖に震えていたその男からなら、簡単に証言を引き出せるはずだ。そう確信していた。
「次はあなたよ」
そう言って最後の一人に目を向けると、予想外の光景が広がっていた。先ほどまでとは真逆に、男の震えはピタリと止まり、毅然とした眼差しでロルガレを見つめ返していたのだ。
「……何か言いたいことでもあるのかしら?」
「あぁ、聞きたいことがあるんだ。その答えによっちゃ、こっちも答えてもいい」
二人は鋭い視線を交わす。
「……どうぞ」
「じゃあ遠慮なく。実は、長年の疑問の一つだったわけだが」
「……」
「
その言葉を聞いたロルガレの目に殺意が灯り、ゆっくりと剣を振り上げた。
兄弟……
「よう、俺の名も聞いとけよ」
「俺の名は、ケツの穴って言うんだ。フルネームは、ケツの穴・カピティーン。お前の好きそうな良い名だろ? ぎゃははははは、ぎゃっはははははー」
俺たちは、
「ザシュッ!」
結局、有益な証言を何一つ得ることなく、ロルガレは二人を殺してしまう。そして、最初に拷問を受けた一人も、瀕死の重傷である。
「血を止めるわよ」
「はい」
医療魔法を使い治療する為、カロは重傷の男を椅子ごと引きずり、リマンは扉を剣でノックする。
そのノックに応じて、扉はゆっくりと開き始める。
「グゴゴゴゴゥ」
ゆっくりと開く扉を待つ間、リマンも椅子の足を持ち、男をカロと二人で持ち上げて
「グヮ、ガッガ……」
一瞬何が起こったのか理解の遅れたカロが椅子を離した瞬間、呼吸が止まる。
なっ!? い、息が、で、きない。まっ、魔法まで……
突然呼吸が止まったカロは、パニック状態で床に倒れ込み、喉を掻きむしるような仕草をして、のたうち回る。
二人の男の死体を眺めていたロルガレは、異変に気付いて素早く扉の方を向くと、そこには剣でリマンの首を刺し、カロに左手を翳しているレリスが立っていた。
「あなた…… どうやってここへ……」
レリスはその問いかけに答えず、不敵な笑みを浮かべている。
「
「……」
レリスの声に耳を傾けながら、ロルガレは気付かれないように、苦しんでいるカロを視界に捉える。
この魔法は……
「私には信じられません」
「……」
「フィツァのあなたが、どうしてミレス司祭を拘束し、そのディースタを殺害した」
「……」
「そのような背信行為を何故行ったのか……」
レリスは悲しそうな瞳でそう口にしたが、その口元は微笑んでいた。
頸椎を貫いた剣を抜くと、既にこと切れているリマンは、一瞬で床に崩れ落ちる。
ロルガレは、自らを慕っている部下が目の前で殺されたのに、黙って見ている事しかできない。
なぜなら、尋問のために入った
「……」
仮にロルガレが強引に
つまり、今のロルガレに、打つ手はない。
だが、それでもロルガレは剣をゆっくりと鞘から抜く。鋼の冷たい輝きが、モンテスの特異な性質で幽玄な炎の光と交錯する。同時に、ロルガレの殺気を込めた鋭い視線がレリスを捉える。その眼光は、
レリスは一瞬、ほんの一瞬だけ幽玄な光景とロルガレの凄みある眼差し、その両方に気を取られたその瞬間!
ぐうぅ、このまま、終われ、るか……
呼吸が出来ず苦悶するカロが最後の力を振り絞り、刹那のタイミングでレリスを
カロ…… よくやったわ。
押し込まれたレリスは、体内から魔素が一瞬にして霧散し、突然の眩暈が襲う。そのレリスに向かって、唇に勝利の微笑みを湛えながら、ロルガレは疾風の如く猛進する!
「キエエエエエィ!」
足元が宙に浮いたかのように揺らぐそんな状況下でも、レリスはロルガレの一撃を受け止める。
「ガキィーン!」
刃と刃が交わった瞬間、剣の悲鳴が
受け止めた衝撃で、床に倒れたレリスに覆いかぶさったロルガレは、圧倒的な体格差を利用して、合わさった剣を押し込んでいく。
「くふ、くふふふ。いくら異質な魔法を使えても、ここではただの
「くっ、くくぅ」
渾身の力を込めているレリスの腕は、ぶるぶると振るえている。
「一つだけ…… たった一つだけ私の質問に答えなさい」
「うくぅ」
「そうすれば、楽に殺してあげる」
最後の一押しをいつでも出来る余裕を持って、ロルガレは意図的に力を均衡させる。
「あの人は、ブラッズベリンに警戒の目を光らせていたわ」
「くぅぅ」
「カピティーンを、私の最愛の人を殺したのは、あなたでしょ?」
「うぅ……」
ロルガレが力を込めて剣を押し付けると、レリスの鼻に己の剣の刃が僅かに食い込み、血が頬を伝い、口元へと流れてゆく。
「早く答えないと、その可愛い顔に剣が刺さるわよ~」
「……く、ち」
「なぁに?」
「ちっ、違うわぁ」
その言葉を聞いたロルガレは、まるで深い井戸を覗き込むかのように、レリスの瞳の奥を見つめた。
「……嘘つき」
ぼそっと呟いたロルガレに、レリスは直ぐに応える。
「やめてぇ! 本当に、違うの」
「……そう」
冷たく返事をしたロルガレの瞳には、既に決意が宿っていた。
「どちらにせよ、リマンの仇を取らせてもらうわ」
「や、やめてぇ!」
ロルガレが剣に力を込めようとしたその時!
「おやめなさい!」
その声で、止めを刺そうとしていたロルガレの身体が、まるで時が止まったかのように硬直する。
「フィツァ、ゆっくりでかまいませんので、こちらを向いて下さい」
ロルガレは力を均等させ、言葉に従い扉の隙間に目を向けた。
タナ司祭……
扉の隙間から見えるタナ司祭の法衣に、出血の後が見て取れた。
「状況は全て存じております」
「……」
「親愛なるフィツァよ、どうかお心を落ち着けて聞いてください」
「……」
「ここに、
そう言ったタナ司祭は、特別な魔法本を扉の隙間に翳す。
リベローマを…… そう、そういうことね。だからミレスは……
ロルガレは一瞬で何かを悟り、再びレリスに視線を向けた。そんなロルガレに、タナ司祭は声をかけ続ける。
「我らが遵守する法と秩序の下では、魔法石は正当な手続きを経て取り扱われているのです」
タナ司祭がロルガレを説得している間に、ディースタの少女たちが、扉をゆっくりと開けてゆく。
「フィツァ、そなたの正義感には敬服いたします。ですが、どうかこの事実をお納めてください」
「……」
「疑念があるならば、この手にある
扉を開けて中に入ったディースタの少女二人が、両側からそっとロルガレの剣に手を伸ばす。
「わ、私は、本当にカピティーンを殺ってない」
レリスの言葉を聞いたロルガレは、均衡させていた力をゆっくりと緩めていった。
「剣を、お預かりいたします」
ディースタの少女に剣を預けたロルガレは、覆いかぶさっていたレリスから離れた。
「ハァハァハァハァ」
激しく息を切らすレリスに、ディースタの少女が声をかける。
「お顔から血が…… 大丈夫ですか?」
「えぇ、ありがとう。ハァハァ、タナ司祭は、大丈夫?」
「はい。幸いにも傷は浅く、出血は止まっております」
「そう、良かった。ハァハァハァ」
ディースタの少女の一人が、タナ司祭に言われて、倒れている者たちの安否を確認しているが、首を静かに横に振った。
それを見たタナ司祭は、静かに目を閉じて口を開く。
「お二人とも、しばらくそこから動かないように願います」
その言葉を受け、
この僅か前、ローコスに入ったレリスとタナ司祭らは、数十人のヘルゴンと対峙していた。ミレス司祭を地下に拘束していた事実は、一部の隊員には知られておらず、タナ司祭の説明と説得に対し、隊員たちはタナ司祭に協力する者、ロルガレを支持して協力を拒否する者、中立を保つ者の三つに分かれる。
協力を拒否した者の多くは、ロルガレを心酔する隊員たちで、レリスの地下への進行を阻止しようとしたため、争いが勃発する。
協力を約束した隊員たちは、仲間との戦いを避け、一時的に傍観の立場を取っていた。一方、ディースタの少女たちは、タナ司祭を守るために奮闘する。
この時レリスは、必死に戦うディースタの少女たちを見て、微笑みを浮かべていた。全ては自分の思惑通り。ディースタの少女に一度は断られたのにもかかわらず、それでもタナ司祭を呼び寄せたのは、ヘルゴンの説得の為である。だが、全てのヘルゴンがタナ司祭に従わない事は最初から分かっていた。争いになれば、タナ司祭を守る為に、ディースタの少女たちは本気で戦う。そして……
混乱の中、誰にも気づかれないようにレリスが投げたナイフが、タナ司祭の肩をかすめる。
「うぅっ!」
それによって状況はさらに変化する。負傷したタナ司祭を目にした傍観していた隊員たちは、事態を収拾しようと争いに介入し始めたのだ。
混乱が頂点に達したその隙をついて、レリスは一人地下に降り、説得に応じない監視役の隊員2名を殺害したちょうどその時、リマンが扉をノックしたのであった。
一方、レリスの指示を受けたディースタの少女の一人は、その言葉をタナ司祭に伝えた後、
混乱が収まりかけていたローコスに到着した少女は、タナ司祭に
レリスにとって予想外の幸運だったのは、この策略が思わぬ形で自身の命綱となることだった。
タナ司祭は眉をひそめ、声に不安を滲ませながら尋ねる。
「フィツァ、ミレス司祭はその……」
「ご安心を。生きていますわ。奥のドンケカーマにおります」
ロルガレの言葉に安堵したタナ司祭は、ディースタの少女一人を直ぐに向かわせた。
「フィツァ、この様な状況ではありますが、私と
タナ司祭の呼びかけを、ロルガレは冷めた目で聞いていた。
……無駄ね。
「もういいわ」
尋問中のミレス司祭の態度、それに、自慢するかのように
ロルガレは目を閉じて、両手を強く握りしめる。
いえ、それ以前からこの程度の事を、読めなかった私のせいね……
これに関連して思い起こされるのは、レリスから大量の魔法石を受け取った時のシンの行動である。
無論シンは、
しかし、
「タナ司祭」
ロルガレは、カロとリマン、監視役の遺体に目をむけながら、タナ司祭の名を口にした。
「はい」
「ここにあるヘルゴンの亡骸は、全てディーナの仕業です」
タナ司祭は目を細め、静かに亡骸へと視線を移した。
「確かにそうですが、自衛行為です」
レリスのその言葉に、ロルガレは一瞬視線を向けた。
「タナ司祭」
「はい」
「私は大人しく聴取に応じることをお約束しますわ。ですけど、ディーナにも、そして……」
タナ司祭は真剣な眼差しをロルガレに向けている。
「ブラッズベリン司教にも、同じように聴取していただけますよう、お願いいたします」
事態がここまで至った今、法の場という戦場での敗北は不可避だとロルガレは悟っている。しかし、愛したカピティーンのために、最後の一瞬まで戦い抜く決意を固めていた。
「フィツァの協力的な姿勢に感謝いたします」
一瞬の沈黙の後、タナ司祭は続ける。
「この件に関しては、聖務評定の裁定を仰ぎ、関係者全員から公平に事情を聴取いたします。聖なる評定の一人として、公正な調査を行うことをここにお約束します」
タナ司祭の厳かな言葉が地下室に響き渡った瞬間、レリスの目が鋭く細まる。その時、突如として上階から騒々しい足音が押し寄せてきた。
地下室の扉が勢いよく開かれ、怒号と共に多数の者が階段を駆け下りてくる。それは、一度は鎮静化したかに見えたロルガレを支持する隊員たちであった。タナ司祭とディースタが地下に降りた隙を突き、再び動き出したのだ。彼らはまず中立の隊員から地下の状況を聞き出し、次に見張っている隊員たちを説得した。そして、他の者たちに気付かれないよう、自分たちだけで一気に地下になだれ込んできたのだ。
だが、その直後にタナ司祭に協力する隊員たちも現れ、地下室は瞬く間に大混乱に陥った。そんな騒動の中、
魔法が使えず、剣もディースタに預けたロルガレは今、最も無防備な状態にあり、混乱に乗じて殺すには絶好の機会だった。だが、レリスは躊躇していた。なぜなら、安全確保のため、ディースタによって押し込まれたタナ司祭の姿もそこにあったからだ。
くふふ、流石にタナ司祭の前で、無防備の私を殺る訳にはいかないようね……
その時、ロルガレを支持する隊員数名が、
「フィツァ! お逃げ下さい!」
ロルガレを逃がそうとする隊員たちに、レリスは攻撃を仕掛けない。一度は法の場で戦うことを決意したロルガレもまた、自分を救出しようとする部下たちの行動を黙認する。
「さぁ! こちらへ!」
隊員に手を引かれたロルガレは、一歩、また一歩と
しかし、間に立つタナ司祭の存在が、二人の間に無言の壁を作り出す。レリスとロルガレは互いに警戒の視線を交わし、徐々に距離を取っていった。
騒乱の中、ロルガレは救出に来た隊員たちに身を任せながらも、最後にレリスのメッセージともいえる動きを捉えていた。
それは、意図的に大きく口を開け、手に握った見えない何かを悩まし気に舌で愛撫するような仕草を見せた後、突如それを噛み千切り、軽蔑するように吐き出した。
その瞬間、ロルガレの目は狂気に満ち、全身から怒りと憎しみのイフトが立ち昇り、頭を激しく掻きむしりながら奇声を上げた。
「キイィィェェェェェ!!」
やはりぃ、やはりぃ、お前がぁ!
「フィツァ! 今は、今は退くべきです!」
ロルガレを連れ出しに来た隊員たちは、その狂気に近い状態に一瞬たじろぐも、躊躇なく抑え込み、半ば強引に引きずるようにして地下室から連れ出そうとする。
「離してぇー! レリス、お前を殺ぉす!」
「フィツァ! ならばこそ機会を、機会をお待ち下さい!」
ロルガレを押し止めている3人の隊員以外は、すでに全員が打倒されていた。その混沌の中、ディースタの少女の一人が、逃げようとするロルガレを追うべきか迷い、指示を仰ぐ。
「司祭様……」
「行かせなさい」
タナ司祭は、倒れている亡骸に目を向けた。
「もうこれ以上の争いは……」
そう口にして、苦渋の表情で目を閉じた。
「わかりました、司祭様」
タナ司祭の表情を目にしたディースタの少女は、迷わず従った。
3人の隊員はロルガレを半ば強引に持ち上げ、出口へ向かって走り出した。
「レリス! 必ず、必ずお前を殺しに戻ってくるわぁ。必ずよぉー!」
ロルガレの叫びが地下中にこだまする中、タナ司祭に協力した隊員たちも、無理に追おうとはしない。その行為は、逃亡の加担をしていると言っても過言ではない。
そんな中、ロルガレの姿が階段の影に消えていくのを、レリスは無言で見つめていた。薄く微笑を浮かべながら。
まぁ、ほぼ計画通りね……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます