158 闇夜の策略
ロルガレは、部下にディースタの少女の遺骸を移送させ、その痕跡を除去すると同時に、エミズ・ミレス司祭と密談していた3名の身柄を拘束した。
「我々はヘルゴンだ。貴様たちの協力を求める」
「大人しく従え!」
予期せぬ突然のヘルゴンの介入に、3名は一瞬の戸惑いを見せつつも、概ね指示に従順に応じた。
結果として、ミレス司祭と3名は拘束状態のまま、ディースタの少女の遺骸とともに、教会内にあるヘルゴンの
部下たちの迅速かつ静謐な対応により、ミレス司祭と3名の拘束、そしてディースタの少女の安置が、驚くほど滞りなく遂行され、教会の他の者たちは、未だ事態を察知していない。
これは、司祭が密談を行なっていた場所と、ロルガレが司祭を招致した場所が隔絶されていたことにも起因する。
司祭とそれに続く3名は、ヘルゴンの
空のかなたより飛来したと言われるこのモンテスによって、拘束者たちは完全な暗闇に置かれ、魔法を使用する事も出来ない。モンテスの特異な性質により、その内部では魔素そのものが消失し、魔力の存在しない空間が生み出されるのだ。
「コツコツコツ」
聞こえて来た二つの足元の主は、ロルガレと、その忠実な部下であるカロ。
二人を確認した監視役の若い隊員が会釈をした後、木の器具を使い重厚な扉を開ける。
「グゴゴゴゴゴゴォ」
ロルガレとカロは、開かれた扉をゆっくりとくぐる。
その部屋に一歩踏み入れた瞬間、体内の魔素が霧消するかのごとく消え失せ、同時に視界が闇に呑まれる。
……何度経験しても、身の毛がよだつわ。まるで体の芯に穴が開いたような、この空虚感……
「閉めなさい」
「グゴゴゴ」
扉が完全に閉じると、監視役から渡されていた松明の炎の光が、瞬時に部屋中を駆け巡り、壁や天井、床までも鮮やかな炎色で染まった。それはまるで、部屋全体が燃え盛っているかのような錯覚を覚える。
そして、この炎の色彩…… いつ見ても、目を奪われてしまうわね。
モンテスのフレイムパス性質(光を遮断、炎を透過)により、炎の揺らめきに合わせ、壁面に映る影が不規則に伸縮し、幻想的な舞いを披露する。中央の椅子に拘束された司祭の姿が浮かび上がり、その異様な光景にロルガレは一瞬表情を歪める。
だが、司祭の股間に目を向けると、笑みを浮かべた。
「……良かったわね」
「……」
「出血は概ね止まっているようで……」
それは、革ひもで残った部分を縛っただけの、雑な処置であった。
「ロルガレ…… 貴様、貴様よくもリスティーナを……」
その言葉を聞いたロルガレが、突然笑い始める。
「ふふ、ふふふ」
「貴様! 何がおかしい!?」
「いえね、オティン○を
「きっ、貴様に何が分かる!? リスティーナは、いったいどれだけの数の中から育てあげたと思っているんだ!」
「……」
「あの子は…… あの子は、私の全てを理解してくれていた…… そう、すべてを……」
「……」
「それを! 貴様がぁ! 貴様の部下が!!」
司祭は革ベルトで拘束された身体をもがき、椅子が軋むほど激しく揺らす。
ロルガレは静かに近づき、司祭の目を覗き込んだ。
「私の苦しみ、悲しみ……」
「……」
「そして怒りを」
その声は普段と違って低く、危険な響きを帯びていた。
「少しは理解できたでしょう?」
その深く重い眼差しに負けず、司祭も睨み返す。
「理解はしても、私に、リスティーナに、何の関係あるというのだ!?」
「それは、今から分かるわ」
カロが松明を部屋の隅に置く。モンテスの影響で、怪しく揺らめく炎が、二人の影を壁に不気味に映し出す。
「正直に答えて。どれだけの数の魔法石を……」
ロルガレは一語一語に重みを持たせ、己の怒りを乗せながらゆっくりと質問を続ける。
「いつ、誰に、頼まれて、何処に流したの?」
静寂の時間が流れ、司祭が俯いていた顔をあげた瞬間。
「ペッ!」
なんとロルガレに向かって唾を吐いたのだ。その唾は、頬を伝い落ちてゆく。
「くっはははは! 何の話だ!? くはははは!」
司祭は狂気じみた笑い声を上げた。
カロは頬の唾を拭うロルガレを見ている。
「……」
ロルガレが静かに頷くと、カロは鞘からゆっくりと時間をかけて剣を抜く。
「シュィーーーン」
鞘と剣のこすれる音が、長く部屋に響き渡る。そうやって、恐怖を煽っているのだ。
「……」
その音で、司祭の表情に変化が現れる。
ロルガレは再び司祭に向き直り、質問をする。
「もう一度聞くわ。いつ、誰に」
「ペッ!」
司祭は再び唾を吐いた。不敵な笑みを浮かべながら。
感覚が異なるこの部屋では、ロルガレは瞬時に身をかわす事が出来なかった。
「……」
再び唾を拭いながら、ロルガレが頷いた瞬間、カロが司祭の耳を剣の腹で殴りつけた。
「ガン!」
「ぐぉあああ」
痛みで頭を激しく振る司祭を見ながら、ロルガレは同じ質問をする。
「いつ」
「ペッ!」
三度目の唾は、ロルガレには届かなかったが、カロが腹を立てて、指示を待たずに司祭の口を再び剣の腹で殴る。
「カヅン!」
剣とぶつかった歯が砕け、床に飛び散った。
「ぐはっ! ふぅふぅふう」
司祭の息遣いが激しくなるが、それでもその唇からは微かな笑みが消えない。
「……カロ」
「はい」
返事をしたカロは、拘束されて動かせない司祭の手の指を剣の腹で殴りつける。
「バン!」
出来るだけ指先を狙ったその一撃で、司祭の右手人差し指と中指が骨折し、鋭い痛みが走る。
「ぎゃああああああ」
司祭の笑みは一瞬で消え去り、悲鳴を上げて顔を苦痛で歪ませる。だが……
「くはっ、くはははは」
再び笑い始めたのだ。
「くははははは、私のディースタを殺害し、司祭であるこの私にここまで! お前もただではすまない、分かっているのかロルガレ!」
ロルガレはカロに視線を送る。すると、今度は左足の指を目がけて、剣の腹を振り下ろした。
「ガン!」
「ぐあああああああ」
司祭は激痛で身体を激しく動かし、ガタガタと椅子を揺らす。その様子を、ロルガレは眉一つ動かさずに見ている。
「ミレス司祭……」
「ぐううあぁ」
「あなたの行く末は、既に決定しているのよ」
「ううぅ」
「正直に口を開いて、少しでも早く楽になりなさい」
その言葉を聞いて、首を縦に振った司祭を見て、ロルガレは薄っすらと笑みを浮かべた。
「まっ…… まほうせきは…… 」
「……なに?」
微かな言葉を聞き取ろうと歩み寄るロルガレの姿を目にするや、司祭は再び唾を放つ。
「……」
「くははははは。ロルガレェ! 予言してやろう!」
「……お好きにどうぞ」
「直ぐにお前と私の立場は逆になる! くはははははぁ」
ロルガレは、再びカロにアイコンタクトを送る。
「ガツ!」
鈍い音が、
「ゴツン!」
「ぐぁああ」
「ズガン!」
「あああ」
壮絶な数分が過ぎた後……
カロが息を切らしながら見つめる中、力なくうなだれた司祭の身体には、無数の紫色の痣が浮かび上がり、裂けた皮膚から血が滴り落ちている。
だが、司祭はこれまでの間、決然とした表情で唇を固く閉ざし、決して口を割ろうとはしない。
強靭な意志を貫く司祭を見つめるカロの目は、驚きと畏怖に満ち溢れていた。司祭という高い位とはいえ、暴力に対して特別な訓練を受けている訳ではない。それなのに、目の前の司祭は拷問を受けても心が折れるどころか、苦痛を超越したかのような雰囲気すら漂わせていた。
さすが、
失神していると思っていたカロの予想に反して、ピクリと動いた司祭は口を開く。
「……ど、どうした、ロルガレ」
「……」
「もう、おし、まい、か……」
ロルガレは無言で、司祭の言葉を聞いている。
「夜、が、明けたら、私とディースタが、居ない事で、騒ぎ、になる」
「……」
「それ、までに、片をつけ、る手はずだっ、たのであろう」
「……」
「つま、り、私、は、それまでがま、んすれば…… く、はは、は、当てが、外れたな」
ロルガレが、想像を超える司祭の精神力に戸惑いと違和感を感じ始めていたその時、扉がノックされる。
「カンカン」
「くっははは、さて、いったい、誰なのかな?」
司祭のその言葉で、ロルガレは僅かだが動揺する。
「……開けなさい」
「……はい」
カロが鞘に収めた剣でノックを返すと、外で待機している監視役の若い隊員が、中を見ないよう俯いて扉を開けた。
「グゴゴゴゴォ」
ゆっくりと開かれる扉を、ロルガレとカロは鋭い眼差しで見ている。そして、開かれた扉の先には……
そこには、リマンが立っていた。
「……」
それによって、緊張の糸がほぐれたロルガレは、カロと共に部屋から出てリマンに声をかける。
「他はどうかしら?」
ロルガレの言葉に目を伏せたリマンは、首を横に振る。
「……そう」
ミレス司祭と密談していた3名は、ゾンア会に所属している裏社会の者であった。
ゾンア会とは、独立したヤクザ組織であり、そのシノギは魔法石の売買のみに限られていた。その他のシノギは、ブガゾ組によって厳しく制限されており、彼らは手を出すことができない。しかし、ゾンア会の若い衆の中には、ブガゾ組との協定を無視してシノギを行う者がたびたび現れ、両組織間で揉め事が発生するのは日常茶飯事であった。
圧倒的な戦力差があるのにもかかわらず、それでもゾンア会が潰されない理由は、彼らが独占的に行っている死と隣り合わせの魔法石売買に起因している。その特殊な立場故に、ブガゾ組も彼らを簡単には潰せないでいた。実際、ブガゾ組自身も表向きは、魔法石の取引はご法度と公言しながら、裏ではゾンア会から魔法石を調達しており、この取引関係が両組織の微妙な均衡を保っていたのだ。さらに言えば、ブガゾ組にとってゾンア会は都合の良い存在であり、ゾンア会が魔法石取引の表の顔となることで、ブガゾ組は裏で恩恵を受けつつ、表向きは関与を避けられているのである。
「ミレス司祭と直接会っていたことからも、それなりの
「でしょうね……」
「尋問には名前すら、何一つ答えません」
その言葉を聞いて振り返ったロルガレは、司祭の姿を見つめながら、心中で様々な想いが交錯していた。
図らずもこの時に、司祭が彼らと密談している場面に遭遇できたのは、カピティーンの導きによるものよ。
「そちらに行くわ」
司祭が容易に自白するという当初の見立ては完全に外れたものの、この日の偶然の巡り合わせに何か特別なものを感じたロルガレは、3名から情報を引き出し、真相に迫ることを決意した。
「……はい」
「はい」
直立不動で立っている監視役に、カロが指示を出す。
「閉めておけ」
「はい」
「グゴゴゴゴン」
モンテスの性質により揺らめく炎の光で、扉を閉めていた監視役が、ほんの一瞬だけ、拷問された司祭の姿を目にする。
「……」
ロルガレがその場から去って行った後、残された監視役の隊員は小刻みに震えながら、何かを思い詰めていた。
一人の若き隊員の胸中で芽生えた困惑は、目撃した出来事の重みと共に、聖務の交代を経て時間が余る事で深まっていった。すぐにその重圧と良心の呵責に耐えかねた若い隊員は、信頼のおける仲間の隊員に打ち明ける。それがきっかけとなり、一人また一人と、数名の隊員が同じ苦悩を共有していることが明らかになっていく。
カピティーンの突然の謎めいた死。その真相解明は、セッティモ支部のヘルゴン全隊員の望みであった。だが、後を継ぐべきロルガレは、カピティーンへの執着ゆえに強い疑念を抱き、その執念めいた態度が隊内に波紋を広げ、一部隊員の忠誠心と団結力を低下させていた。
未明の静寂な時間、特に信心深い一人の隊員が足を向けたのは、多くの聖職者の中で最も信頼を寄せる司祭のもとだった。
「非常識ではありませんか? 当然司祭様はまだお休み中です。時間を改めてお越しください」
この隊員が訪ねたのは、ドジュル・タナ司祭。慈悲と英知に満ち溢れていると評判の高い人物で、困難な状況にある人々を導く力があると言われていた。教会関係者からの信頼も厚く、民衆からの支持も多く得ている。そして、派閥を超えて支持される人格者でもあった。
ディースタの少女の指示に従わず、ヘルゴンの隊員は膝を折る。
「……」
「一刻の猶予もならぬ御用です」
平伏す隊員を見て、ディースタは承諾する。
「……分かりました。少々お待ちください」
面会を果たせた隊員の告白により事情を知った司祭は、ディースタに、直ちにブラッズベリン司教へ事態の詳細な経緯を伝えるよう厳命した。
「はい、直ぐに」
同時に、この件に関する厳重なかん口令を敷き、漏洩を固く禁じる。
ディースタは足早にレリスの元へ向かう。
「コンコンコン」
「レリス様、刻限を争う緊急の用でございます」
迅速に動いたのにもかかわらず、ブラッズベリン司教の耳に届くまで、時間を要することとなる。その理由は……
「ロルガレが……」
厳重なかん口令、深夜という時間帯、そしてもう一つ、経緯を聞いたレリスが、わざと報告をしなかったからである。
うふふふ、
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