157 錯綜する思考


 最後の下着ショーも、観客全てを魅了して幕を閉じた。

 舞台上では、女性たちと、全ての裏方の者たちまでもが出てきて、最前列にいるレリスの方に向き直る。


 すると、突然の緊張と静寂が会場を包む。


 舞台上の全員が一斉にレリスに向かって膝を折ると、彼女はゆっくりと立ち上がる。会場中の視線がレリスに集中し、張り詰めた空気が観客を包んだ。


「……」


 レリスは舞台を見つめ、深く息を吸うと、静かに、しかし力強く拍手を始める。その音が静まり返った会場の隅々にまで響き渡った。

 それを見た観客たちは、これまで抑えていた興奮と喜びを一気に解放する。


「ブラボー!」

「素晴らしい瞬間に立ち会えた!」

「芸術が溝を埋めたんだ!」

「この感動、一生忘れない!」

「10月20日には、必ずイドエに行くから!」

「私も行くわ!」

「俺もだ!」


 レリスが会場に現れたことで、観客たちの中には、自らの意志をはっきりと口にする者が増えていた。


 膝を折っていた女性と裏方の者たちは、ゆっくりと立ち上がり、観客に向け丁寧に会釈をする。


 うふふ、ブラッズベリン様。この小さな火は、やがて炎となりそうですよ。


「パチパチパチ」


 レリスは微笑を浮かべて、観客と共に拍手をしながら舞台を見つめている。

 止むことのない声援と拍手は、まるで永遠に続くかのように思われた。



 


「申し訳ありません、閉店の時間ですので」


「じゃい? あー、この肉料理、美味かったじゃい」


「ありがとうございます。またのお越しを」


 同じ料理を五つも注文して粘っていたゼスが、席を立ったちょうどその時、レリスが向かい側を歩いていた。だが、お気に入りのカフェに、一度も目を向けることなく通り過ぎて行く。


 あの入衣は…… じゃいじゃい。教会の、しかもディーナ自らが表立って来ていたとは…… これは、何か楽しいことが起きそうじゃい~。


  

 観客が一人残らず姿を消した後の舞台では、監督のネル・フラソを中心にして、全員が歓喜に沸いていた。抱き合う者、涙を流す者、笑い声を上げる者、それぞれの形で喜びを爆発させた。20年という長い沈黙が、歓喜の嵐へと変わった瞬間であったのだ。


 フラソはこの場にいる者たち、一人一人に視線を向ける。その目には、20年分の思いが溢れていた。


 シン君。みんな、立派にやり遂げてくれましたよ。


 フラソの頬には、一筋の涙が伝っていた。




 教会の静寂な夜に、敷地内にある建物の外壁に沿って足音が響く。その足音の主は、一室の扉の前で立ち止まり、そっとノックをする。


「コンコンコン」


 部屋の中では、テーブルを囲んだ4人の人影が、何やら密談をしていたが、ノックの音で彼らの会話が途切れる。


「私でございます」


「入れ」


「失礼いたします」


 ドアを開けて入って来たディーナ見習いディースタの少女は、一人の者に近付き、耳打ちをする。


「……ヘルゴンが?」


「はい。面会を求めております」


「……待たせておきなさい」


「それが…… 急を要するとのことでして」


「なに?」

 

 ヘルゴンが、いったい私に何の用なのだ……




 同じ頃、教会の別の一室では……


「……それほどのものであったか」


 会場を後にしたレリスは、足早にブラッズベリンの元に報告に来ていた。


「はい。私が知る限り、メトガシューナの華やかな催しでさえ、あれほどではありませんでした」


「……」 


「いえ、正確に申しますと、全く違ったものだと、そう感じました」


「……そうか」


「こちらのチラシをご覧ください」


 レリスが差し出したチラシを受け取ったブラッズベリンは、ゆっくりと目を通す。


 演劇…… ズモウ…… ヴィセト・ガーシュウィン…… 


「いかがでしょうか?」


「……」


「様々な催しものがあるようですが、下着ショーあれほどのものを序幕とするのなら、10月20日には、さらなる秘策があるのは明白かと存じます」


「……」


「よろしければ、ご自身・・・の目で、確認されてはいかがですか?」


 レリスの思いがけない提案に、ブラッズベリンは思わず口元を緩める。


「くふふふ、私自らが?」


 それに対して、レリスは真摯な眼差しを向ける。


「はい。むしろ、行かれるべきかと」


「……」


 視線を交わす二人の間に、ただならぬ緊張が漂う。


「ブラッズベリン様」


「……なんだ」


「炎は、制御できれば力となり、暴走すれば災いとなります」


「……」


「幼き頃より仕えている身として、あなた様がその境界線を心得ていらっしゃる方だと」


「……」


「深く信じております」


 ブラッズベリンは無言でレリスを見つめている。


「では、失礼します」


 レリスは静かに部屋を後にした。


 扉が閉まる音が聞こえると同時に、ブラッズベリンの瞳がしばらくの間虚ろになる。


「……」


 窓際へと歩みを進め、外の景色を眺めながら、無意識のうちに手の中のチラシを握りしめる。


「道連れと言う訳か……」


 あの幼き少女が……


「早いものだ……」


 そう呟きながら、口元にはかすかな笑みが浮かぶ。


 心配されずとも、扱いと消し止める時機は、心得ている。


「つもりだ……」


 手に握られたチラシを広げて、もう一度目を通したブラッズベリンの視線が、庭隅のゆらぎに向けられた。そこでは、庭師が集めた落ち葉を燃やしていたが、炎はまるで、その心境を映したかのように、徐々に荒々しさを増していった。





 観客のいなくなった広場で、フォワが笑顔でシャリィに話しかける。


「フォワフォワフォワフォワ」


「……」


 ピカツーがやって来て、通訳をする。


「買い物に行きたいって言ってるっペーよ」


「……こんな時間にか?」


「フォワフォワ、フォワフォワフォワ」


「あの辺りはまだ店が開いてるのが見えるって言ってるっペぇ」

  

 シャリィが目を向けると、確かに数件の店の明かりがまだついていた。


「フォワフォワフォワフォワ」


「直ぐに戻るって言ってるっペぇ」


「……分かった。ここで待っていろ」


 大人数で行くと思っていたシャリィは、ヘルとカンスを呼んで護衛をつける。だが、実際に買い物に行ったのは、フォワとピカツーの二人であった。

 直ぐ近くの店であったのにも拘らず、フォワはなかなか戻らない。  

 気になったシャリィが目を向けると、ヘルとカンスが沢山の荷物を抱えて、笑っているフォワとピカツーの二人と一緒に戻ってきた。そして、全て完売して軽くなった馬車に、荷物を積み込む。

 ヘルとカンス、二人のインベントリにはさらに買った品物が入っており、その荷物も全て馬車に降ろしたのであった。

 

 こ、こんなに沢山買い物をするなんて…… 


 カンスは驚きの表情を浮かべていた。

 


 


「コンコン」


「失礼いたします」


 ノックをしてドアを開けたのは、服飾組合の秘書の一人である。


「どうぞ」


 その秘書に促されて姿を見せたのは……


「ようこそ」

「よくお越しくださいました」


 馴染みのあるゼスの護衛で、セッティモ服飾組合を訪れた、前組合長のアルスであった。


「組合、いえ、前組合長」

「前組合長」

「パチ…… パチパチ」


 一人の理事が拍手を始めると、他の理事たちもそれに続く。


「パチパチパチ」


「いやいや、そんなのいらんでの」


 アルスは少し困った表情を浮かべた後、頭にパンツを被っている理事を見て驚く。


「うぉ……」


「さぁさぁ、あの者は気にせず、どうぞ、どうぞ、こちらへ」


 そう言われても、アルスはパンツを被っている理事から目を離すことが出来ず、席に案内されながらも、視線を外さずにいた。

 一方、頭にパンツを被っている理事は、満面の笑みを浮かべながらアルスを見つめている。


 パンツを被ったその笑顔が、こっ、怖いの……


 そう感じたアルスは、やっとその理事から視線を切る。


「あっ、えーとの、こんな遅くにわざわざ集まってもらっての、申し訳ないの」


「いえいえいえ」

「何をおっしゃいますか」

「前組合長の功績を考えれば、その声に応えるのは当然ですよ」


 理事たちは、次々とアルスに声をかけるが、ドロゲンだけは無言で見つめている。


「この席に、お座り下さい」


「うむ、悪いの」


 アルスは椅子に腰を下ろしてドロゲンに視線を向ける。


 ドロゲン…… ふふ、わしにの、そんな厳しい目を向けるとはの…… いっぱしに、組合長をやっとるようだの……


 アルスは、ドロゲンの態度を好意的に受け取っていた。


「さっそく話に入ってええかの?」


「勿論です!」

「楽しみにしておりました!」


「実はの、この下着だがの」


 アルスは、鞄から数十枚の下着を取り出して、テーブルに置いた。

 その下着に、理事たちの視線が釘付けになる。


「手に取って見てくれるかの」

 

 近くに座っている理事の一人が、他の理事へとその下着を渡していく。


 これは…… 

 この下着は……


「どうかの? 会場で渡した下着よりの、従来の下着に近いデザインだの?」


「確かに」

「はい。この下着も会場で見ました」 


 ドロゲンも、その下着を手にして見ている。


 すげー、すげー手触りだ…… それに縫い目も伸縮も……


「実はの、そのデザインの下着はの……」


 ドロゲンを除く全員がアルスを凝視する。

 シーンと静まり返った部屋で、理事たちのこわばった表情に、緊張が漂っている。



セッティモ服飾組合ここでの、制作販売してもらえんかの?」



 その言葉を聞いた瞬間、理事たちの眉間のしわが消え、こわばっていた表情が驚きの表情へと変わる。


「よっ!? 良いのですか!?」

「えぇー、もちろんやりたいですよ!」

「本当ですか、前組合長!?」


 アルスが静かに頷くと、驚きの表情が和んでゆく。


「い、いや~、ありがたいお言葉です」

「実現すれば、イドエとセッティモの組合は、兄弟の様な関係となるでしょう!」

「そうだそうだ! 良い関係を築きましょう、前組合長!」


 理事たちは、満面の笑みを浮かべている。


「細かい話との、その他の・・・・ことは、これから時間を掛けてしていくとしての。先に渡した下着のデザインはの、申し訳ないがの、使わせることはできんでの」


「それはそれは、当然でございますよ!」

「そうですよ! こんな素晴らしいデザインを、おいそれとは譲れませんよね」


 イドエの新しいデザインの下着が販売されれば、既存の商品の需要は落ちるのは間違いない。

 だが、この従来の物に近いデザインのみでも、その使用権を与えてもらえれば、その落ち込みを十分にカバーできるはずだ。いや、もしくはそれ以上の…… それに…… 司教様のディーナがあの展示会に赴いた今、そう、貴族様も領主様も飛び越えた今、反対する理由などない!


「ああ、やはり苦楽を共にした前組合長! 私どもの事を考えてくれていたんですね!」


「当然だの」


「おぉー!」

「やはり!」

「あぁ、前組合長! 信じてました!」


 当然と言うたものの、これは全て、シン君の提案なんだがの……



 アルスがイドエに戻った後のこと……


「アルスさん、少し良いですか?」

「……なんだの?」 


 この時アルスは、まだそれほど親しくないシンが、セッティモ服飾組合の内部情報を聞きにきたと思い、あからさまに怪訝な表情を浮かべていた。


「実は……」

「デ、デザインを譲るだと!?」


 守るべき財産の一部を譲る。その意外な提案に、アルスは驚きを隠せずにいた。

 

「はい。ただという訳にはいきませんが、こちらの従来に近い下着のデザイン。これをアルスさんがいた組合に、譲ろうと思ってます」

「……どっ、どうしてだの?」

「それは、イドエが復活することで、敵を作りたくないからです」

「……」

「と、いいましても。敵は必ず出来ます」

「……だろうの」

「出来ることなら、一つでもその数を減らしたいんです」

「……」

「こちらの下着のデザインは、渡すことは出来ませんが、こっちなら…… それで、落ちるであろう需要を、回復できる見込みはありますか?」


 そうか…… 元々下着に狙いを定めたのはの、ロスではなく、こいつじゃったんだの…… 




「前組合長!」

「前組合長!」

「信じてましたよ!」


 アルスの周囲に、次々と笑顔の理事たちが駆け寄って来る。

 

「ドロゲン、それでええかの?」


 アルスは集まって来た理事たちの隙間からドロゲンを覗き、そう声をかけた。

 だが、ドロゲンはずっと渡された下着を見つめており、返事をしない。


 ええい! 前組合長が賛同を求めているのに何をしているんだ!? よもやお前まで、その下着を被ったりするのではあるまいな!? 


「ドロゲン」


 アルスがもう一度その名を呼ぶと、やっと反応を見せる。


「え? あ、ああ。それでいいよ」


 何を他人事のような返事を……


 理事たちは呆れていたが、アルスだけはそんなドロゲンを見て、にこやかな笑みを浮かべていた。


 ああっと、シン君に頼まれた事を忘れる所だったの……


「あっとの……」


「何でしょうか前組合長?」


「この下着のデザインだがの……」


 アルスの言葉を、集まっていた理事たちは、真剣な表情で聞き入っていた。





 大切な密談を中止にしてまで、ディーナ見習いディースタの少女と男は、ヘルゴンが待っている部屋に向かう。


 到着すると、ドアの両側にヘルゴンの者が二人立っていた。その者たちは、ヘルゴンの隊員の中でも、特に忠実で信頼のおける、カロとリマンの二人であった。ディースタの少女がドアを開けると、ロルガレが既にこちらを見つめていた。


「……いったい、何の用でしょうか?」


 そう問われたロルガレは、ゆっくりとその者の名を口にする。


「エミズ・ミレス司祭」


「……何でしょうか?」


「司祭様はお忙しいの! 早く要件をいいなさい!」


 そう口にしたディースタの少女と激しい視線を交わしたロルガレは、ゆっくりと司祭に視線を戻す。


「あなたのもう一つの名は……」


「……」


聖なる会計士サントラジョニエーレ


 ロルガレがその名を口にした瞬間、司祭の眼差しが鋭く変化する。そして、少女に向かって、ホコリを掃うかの様に手を振る。


「し、司祭様……」


「よいから、部屋の外で待っていなさい」


「……はい」


 ディースタの少女が部屋から出てドアを閉めると、ロルガレと二人きりになった司祭は口を開く。


「ロルガレ…… お前ごときが、その名を口にするには」


「……」


「それなりの覚悟が必要なのだが……」


 まるで、別人の様な口調になった司祭を、ロルガレは臆することなく見つめている。


「ええ、勿論。覚悟はあるわ」


「ほう、どのような覚悟だ。申してみよ」


 司祭と鋭い視線を向け合っているロルガレは、ゆっくりと口を開く。


「ミレス司祭……」


「なんだ?」


セッティモ支部この教会の、魔法石を管理している責任者は、あなたです」


「……それで?」


「司祭、あなたは己の立場を利用して、魔法石を裏の世界に流している」


「……」


「それは、問答無用で死罪となる大罪」


 そう口にしたロルガレは、司祭の反応をうかがうかのように、少しの間無言になる。

 すると、余裕の表情を浮かべている司祭が促す。


「どうした、続けろ」


「……あなたは近頃、その者たち以外にも、魔法石を大量に流した」


「……」


「そうでしょう?」


 その言葉で下を向いた司祭の身体は、微かに震え始める。


「くっ……」


「……」


「くくっ……」


「……」


「くくっ。くっは、くははははははは!」


 突然顔を上げて笑い始めた司祭を、ロルガレは見つめている。


「くはははははぁ~。それが、それがいったいどうしたと言うのだ?」


「……」


「何処で聞きつけて来たか知らないが、もしかして、いや、まさかだと思うが、聖務のつもりではあるまいな!?」


「……」


「はぁ~、隊長カピティーンがあのように死んでしまい」


 その言葉に、ロルガレの目尻がピクリと動く。


「ろくに引き継ぎも出来ていないようだな?」


「……」


「そう言えば、変わり者で有名であったな、お前の・・・カピティーンは!?」


「……ええ、とても個性的な方でしたわ」


「まぁ、いいだろう。どうせ喪が明ければ、正式にお前がカピティーンになるのであろう」


「……」


「なら今ここで、私自ら説明しておいてやる」


「……」


「私が魔法石を流して造る裏金は、全てセラドール派のものだ」


「……」


「つまり、公認なのだよ。いや、正しくは、暗黙の了解というべきか」


「……」


「そして私は…… その金1シロンたりとも、私腹を肥やした事など無い!!」


 司祭は、声を荒げた。


「いうなれば、お前らの資金でもあるのだ! これでぇ、たかだかヘルゴンのお前ごときでも、理解できたであろう!」


 司祭の声に宿る威厳と力強さで、ロルガレは少し間無言になる。


「……ええ、理解出来ましたわ」


 そう答えたロルガレの首は、ゆっくりと折れてゆく。


「ったく! 前任者があの様な場所で勝手に死んでいたせいで、私の貴重な時間を無駄にしおってから!」


「……」


「お~~、そういえば、死んだカピティーンの、確か股間のもの・・が行方不明であったな?」


 俯いているロルガレの身体が、微かに震え始める。


「まだ見つかっていないのか?」


「……はい」


「くふっ。そうか、見つかっていないのか~。あ~、これは私の勘だが……」


「……」


「貴様が隠し持っているのではないのか? くははははははー、ははははははー」


 俯いて、ブルブルと震えていたロルガレの体が突如静止したその瞬間、閃光のごとく抜かれた剣が、司祭の股間を貫ぬいた! 


「うっ、ぎゃああああああああ! ああああああ!」


 両手で股間を抑えて、床でのた打ち回る司祭の悲鳴を聞いたディースタの少女が部屋に飛び込んでくる。


「しっ、司祭様!? 貴様ぁ!!」


 ロルガレに向けて魔法を放とうとしたその時! 背後からリマンの剣が、ディースタの少女の後頭部を貫く!


「カッ、ガッ……」


 剣の刃が口から突き出た少女の瞳は生気を失い、両腕をだらりと垂らした。


「あぁー! リスティーナ!」


 リマンが少女の背中を蹴って刃を引き抜くや否や、少女は血潮を噴き出しながら地面に崩れ落ちる。

 その血しぶきを浴びたロルガレは、服と顔を深紅色に汚しながらも、笑みを浮かべていた。 


「リスティーナァ、私のリスティーナ……」


 司祭は片手で股間を抑え、もう片方の手を床に倒れている少女に伸ばして名を呼んでいる。

 ロルガレは、不気味なうすら笑みを浮かべながら、その様子を見ていた。


「す、すみません。つい咄嗟に……」

 

「いいえ、よくやったわ」


「……はい!」


「この司祭を連れて行きなさい」


「はい!」

「はい!」


「リスティーナ…… リスティーナ……」


 ディースタである少女の名を繰り返し呟いている司祭は、カロとリマンに両腕をつかまれ、引きずられていった。股間から流れる血で、床を赤く染めながら。


 一人残っていたロルガレは、少女の服で剣についた血を拭うと、死体をしばらく見つめていた。


「……私からの手向たむけよ」 


 その言葉を残して、静かに部屋から去って行った。


「キィ~、バタン」

 

 ドアが閉められ、静寂に包まれた無人の部屋には、自ら目を閉じることのない少女の口元に、ロルガレによって貫かれた司祭の股間のもの・・が、転がっていた。


 さぁ、私も始めたわ。ブラッズベリン司教…… さま……





 全てを無事に終えて、宿泊施設へと戻っていたイドエの者たちは、フォワが見つけて来た酒がきっかけとなり、祝杯が回し始められていた。


「また酒を飲んでおるんかの」


「まぁまぁ、そう言わんとの」


 今日ばかりは、オスオの注意など、誰の耳にも届いていなかった。


「困ったの~」


 そう言って笑ったオスオは、フォワに向けてコップを突き出す。


「ほれ、わしにもつがんかの」


「フォワ~」


 笑い声と談笑が静かな宿を包み、疲れを忘れた仲間たちは祝杯を重ねながら、互いに今回のことをねぎらっていた。


 そんな時、何かを忘れ去ろうと、一心不乱にチラシを配っていたシンが戻って来る。

 何度もチラシを補充しに会場に戻っていたシンは、全てが無事に終わった事に気付いていたが、待っていたシャリィから、改めて滞りなく終わった事を聞かされた。それによって、安堵したシンであったが、その表情に笑顔はない。

 一人で歩き始めたシンは、馬小屋から一頭の馬を連れてくる。

 ちょうどその時、服飾組合で話し合いをしていたアルスが戻って来た。


「アルスさん」


「シン君…… 組合との話はの、上手くいったでの」


「そうですか…… ありがとうございます」


「あとは細かいとこの話し合いをの、続けて行くだけだの」


「……はい」


 シンが返事をしたタイミングで、室内から笑い声が聞こえて来る。


「きゃはははは、ほら~、カンス君は脱いでー」

「や、やめて下さい!」

「みんなで見てあげるって言っているのに、どうして嫌がるの~」

「きゃはははは」 


 シンとアルスは、笑みを浮かべて声の聞こえた窓に視線を向けていた。


「アルスさん、本当にご苦労様でした。食事をとってゆっくり休んでください」


「うん? あぁ、そうさせてもらうでの」


 中に入ろうと歩き始めたアルスは、ふいに後ろを振り返る。すると、馬を連れたシンは、シャリィと会話をしていた。

 それを見たアルスは、何かが気になったが、中に入って行った。


「じゃあ、後は頼む」


「……行くのか?」


「あぁ。シャリィはみんなを、ユウを頼むよ」


「……」


「俺は……」


 どうしても…… どうしても、確かめないとならない事があるんだ。直ぐにでも……


 馬に乗って出てゆくシンの背中を、ソフォーが見ていた。


「……」

 


 シンを見送っていたシャリィの元に、一人の者が現れる。


「シャリィ様……」


「……頼めるか?」


「はい! 勿論です!」


 ヘルも馬に乗って、シンの後を追って行った。


 いい歳しているのに、夜の街道はお守が居ないと独り歩きも出来ないぐらい弱っちぃみたいだな……

 そんな奴なのに、シューラになっているのは、よほどの潜在能力を持っているか、それとも…… 守る為か…… どちらにせよ、クケケケケケェ。おもしれ~。




 数時間後……


「ううぅ、夜当番のこの日に限って、いつもより冷え込むな」


「そうでごじゃるね」


「こんな夜はよ、あったけぇ女のおっぱいによ、すがりついて寝るにかぎるよ」


「……当番が終わったら、好きにするでごじゃるよ」


「はぁ~、だけどよ~。通いすぎて金がないんだ金がよ~」


「じゃあ終わったら一人で寝るでごじゃる」


「なぁ、俺を見てみろよ」


 そう言われたごじゃるは、相方に嫌々視線を向ける。


「なっ! 前よりほっそりとしているだろ!?」


「なって言わても…… そうでごじゃるかね?」


「痩せてるよ~、だってよ、食事代も女を抱く金に回してるんだぞ」


 そんなこと、知らないでごじゃるよ……


「なぁー、頼むから、貸してくれよ~」


「これ以上は嫌でごじゃる」


「相方じゃねーかよ~。貸してくれよ」


「……」


「なんだよ~、怒ったのかよ?」


「シッ!」


「な、なんだよ!?」


「この音…… う、馬が近付いて来てるでごじゃるよ!」


「まっ、またヘルゴンか!?」


「一頭…… いや、二頭でごじゃる!」 


「ハッ、ハゲを呼んでくるよ!」 


 相方がバリィを呼びに行こうと振り返ると、既にバリィが立っていた。


 ショックだわ、影でハゲって呼んでいたのね……


 バリィがそう思ったその時……


「おーい、俺だぁ!」


 あの声は……


「……シンさん? あの声は、シンさんでごじゃるね」


 小さな戸を開けて、旧道に飛び出したごじゃるは、微かな月明かりで、馬に乗っているのがシンだと確認する。

 シンは門が見え始めると、安心させるためにわざと声を出していたのだ。


「シンさん! どうしたでごじゃるかこんな夜中に!?」


 もう一人は…… 誰でごじゃるか? 


「すまない」


「……今、門を開けるでごじゃる」


「あぁ」


 小さな戸から中に入り、相方とごじゃるが門を開けると、馬に乗ったシンとヘルがバリィの目に映る。


 シンと、誰なの?

 

 ヘルとバリィは、視線を交わす。


 ……こいつ、強いな。ハゲてるけど……

 あら、なかなか素敵なレディね。大きいけど……


 二人は、瞬時に認め合っていた。


 ごじゃるの相方は、初めて会ったヘルの胸に釘付けになっていた。


 か、身体もでかいけど、乳もでけぇ~。いいな~。あのでかい乳で、バブバブしたいなぁ~。



「バリィ、二人とも、驚かせてすまない」


 馬から降りたシンは、ヘルを紹介する。


「この人はヘル。セッティモで雇われてくれた冒険者」


 冒険者!? どうりで強そうなわけだ。

 

 ごじゃるの相方は、最初エロい目でヘルを見ていたが、冒険者と聞いて恐れをなしていた。 

 

「すまないけど、ヘルさんを宿に案内してあげてくれないか。あと、馬を頼むよ」


 シンはそういうと、何処かに走って行った。



 その頃、セッティモでは……


「あー、また逃げたよ! 捕まえてぇ!」


 女性達から宿の中を逃げ回っていたカンスは、場所を変えても変えても、何度も寝込みを襲われていた。


 もう~、ヘルは何処いったのかな~。疲れちゃって、眠りたい。





「ガタガタ」


 ドアの方から思いがけない物音が響き、うとうとしていた者の目がパチリと開いた。


「……誰かいるのか?」


 眠気まじりの声が、静かな部屋に漂うが、返事は無い。


 微かに聞こえる足音のする方に目を凝らしながら、照明を灯らせる。


「……」


 その光に徐々に照らし出されたのは、シンであった。


「……お前か」


 身体を起こしたガーシュウィンは、シンを見つめる。

 

 セッティモにいるはずのシンが、こんな夜更けに突然の訪問。そして、その目に宿る覚悟を感じ取り、ガーシュウィンは何かを悟る。


 ベッドに座るガーシュウィンと、立ち尽くすシンは、しばらくの間、無言で視線を交わす。

 やがて、シンがゆっくりと口を開く。


「ガーシュウィンさん……」


「……」


「あなたが精神を病んだのは……」


「……」


「エヴァナ・ヘイワースさんが、亡くなられたことだけじゃない」


 その名を聞いたガーシュウィンは、一瞬目を見開いた後、虚ろな目で遠くを見つめ、肩を落とした。


「あなたが精神を病んだもう一つの理由……」


「……」


「それは…… この村の惨劇に、あなたが関わっていたからだ」


 その言葉を聞いたガーシュウィンは、視線を落とし、ゆっくりと目を閉じて動かなくなってしまう。


「……」


 やがて、深いため息をついたガーシュウィンは、目を薄っすらと開けて真相を語り始める。


「……その通りだ」


「……」


「より力をつける為、当時手を結んでいたザルフ・スーリンに、この村を掌握する様に進言したのは……」


「……」


「……この、私だ」

 

 その言葉を聞いたシンは、ゆっくりと目を閉じた。 


「エヴァナが殺されて……」


 ガーシュウィンが再び話し始めると、シンは目を開ける。


「私はその時初めてこの村の痛みを…… 苦しみを…… 悲しみを理解出来た」


 シンは無言で、ベッドに座り込み、視線を落として話すガーシュウィンを見つめている。


「深い悲しみから逃げるように彷徨っていた私は……」


「……」


「いつしか、この村に流れ着いていた」


「……」


「ザルフ・スーリンは…… 奴はイドエを掌握して、さらに力をつけると、突然演劇に対し、口を挟む様になったのだ」


「……」


「奴は影響力のある私の演劇を使い、民に偏った思想を植え付けようとしていた」


 その言葉を聞いたシンは、顔を上げて天井を見つめた後、再び目を閉じた。


「だが…… こと演劇に関して私は、一歩も譲らなかった」


「……」


「その演劇に対する情熱が…… プライドが…… 愛するエヴァナを死に追いやったのだ……」


 ガーシュウィンさん……


「ザルフ・スーリンは、信念を貫く私を、逆らった私を見せしめにする為に、それだけの為にエヴァナを殺した……」


「……」


「そして、私を崩壊させた…… この村と同じ様に……」


 長い間、無言の時間が流れるが、二人にはそう長く感じなかった。そして、再びガーシュウィンが口を開き始める。


「私が…… この村の復興に手を貸すのは、当然の事なのだ」


「……」


「それなのに…… それなのにぃ!」


 座っているガーシュウィンは、自分の膝に拳を叩きつける。何度も、何度も……


「……」


「シン……」


「……はい」


「お前は…… 私との約束を守り、この村に力をもたらした」


「……」


「シャリィは元より、裏の世界の力ある者を、この村に深く関わらせ」


「……」


「そして、農業、商工ギルドを村に関わらせる事にも成功している」


 ガーシュウィンは、大粒の涙を流し始める。


「……そっ、それなのにぃ、また私の演劇に対する情熱がぁ、プライドがぁ、あの時の様に邪魔をするのだ! 邪魔をしてしまうのだぁぁ! わあああああ」


 号泣しながら頭を抱え込んだガーシュウィンに、シンが語りかける。


「ガーシュウィンさん……」


「うぅぅ、うううぅ」


「あなたのその苦しみは……」


「うぅ……」



「ユウが晴らしてくれます」



 ガーシュウィンは、その言葉を聞いて、頭を抱えていた手を降ろし、ゆっくりとシンに視線を向ける。


「……あの、若者が……」


 ガーシュウィンと目を合わせたシンは、小さく頷く。


「ユウが、必ず、あなたの心の重荷を解き放ちます」


 困惑の表情を浮かべ、一度俯いたガーシュウィンは、再びシンを見つめる。


「もう一度教えてくれ」


「……」


「……ザルフ・スーリンは、復興を始めたこの村の、何故邪魔をしない!?」


「……」


「再び力を得ようとしているこの村を! 何故黙って見ているのだ!?」


「……」


「いやむしろ、奴は無言の協力をしている!」


「……」


「それはつまり! 復興こそが、奴の望んでいる姿ではないのか!? 私は、また奴の企みに、手を貸してしまっているのではないのか!?」


 その言葉を聞いたシンの口調が変化する。


「……そんな事は、どうでもいい」


「な、何?」


「この村を、昔の様に…… いや、それ以上に戻さないと、何も始まらない」


 ……シン・ウース。お前は、いったい何を、何を知っている。そして、何に気付いているのだ!? 

 

「全ては、そこからなんだ……」


 ガーシュウィンは、畏怖いふの念を抱いたかのような目で、シンを見つめている。


「ガーシュウィンさん」


「……」


「俺は…… 無理強いはしません」


「……」


「だけど、この村には…… あなたが必要なんです」


 曇りなき眼で、その言葉を残したシンは、静かに去っていった。


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