156 交差する視線の行方



 見た者を魅了した下着ショーは、評判が瞬く間に広まり、入場を待つ人々で長い列ができている。

 そして、まだ日も傾かぬうちに、町民が待ち焦がれていたイドエの芋天は最後の客を迎える。


「ありがとうの。これで最後だの」


「いや~、まさか二日連続で最後の客になるなんて、こんなことってあるんだね」


 その客は、前日も最後の一人となった客であった。


「そうだの。訪れた人の数を考えたらの、恐ろしいほどの偶然だの」


 昨日今日と二日連続で最後の客となった者は、まるで初めてかのように揚げたての芋天にかぶりつく。


「カリカリサク」


「ん~~~~、うんま~。やっぱうんまい。二日も続けて食べられるなんて、たまらねー。俺はついてる」


「良かったらの、10月20日にイドエに来てくれの」


 最後の客を見送り、芋天以外も全てが売り切れとなって片付けをしていたその時。


「ハァハァハァ、おっ、おじさーん!」


 息を切らして走って来た若者は、イドエの者に声をかける。


「はいの?」


「ハァハァ、あー!?」


 応対した者は、大きな声をあげる若者に驚く。


「なっ、なんだの?」


 その若者は、唇をワナワナと震わせながら、キッチンカーを見ている。


「あああ、もしかして、もう売り切れ……」


「すまんの、全部売り切れたの」


「なんてこった! まだ行列が出来ているから間に合ったと思ってたのに……」


 若者の見た行列は、下着ショーを待っている者たちであり、芋天を購入する為のものではない。売り切れを告げられた若者の首は、まるで地面とにらめっこを始めるかの様な角度でガクッと折れてしまう。


 お、俺は、偽物が販売されているのを知っていたけど、絶対にイドエの本物を食べようと、買わずに我慢していた。そ、それなのに、また逃してしまったのか…… 上役の…… 俺を嫌って無理な仕事量を押し付ける上役のせいでまた……


 この若者は、前回も売り切れになった直後に尋ねて来た者であった。


「もし良かったらの、10月20日にイドエに来てくれの。勿論イモテンも沢山用意しておくでの」


 そう言って、若者にチラシを渡す。


 だが若者は落胆のあまり、受け取ったチラシに目を通す力も無く、ガックリとしてる。

 その時、奥で片付けをしていたオスオが姿を現す。


「おっ、兄ちゃんは確かの……」


 90度に首が折れていた若者は、その声に反応して、オスオに目を向ける。


「あっ、この前の……」


 オスオと視線を合わせた客は、悲しそうな瞳で愚痴り始める。


「上役に、無理な仕事量を押し付けられて、それでも一生懸命終わらせてきて」


「……」


「イモテンを食べるのを励みに頑張って来たのに、また売り切れだなんて……」


 落胆の表情を浮かべる若者を見ていたオスオは、辺りをキョロキョロと見回した後、声をかける。


「こっちに来るの」


「……え?」


「まだ人の目があるでの、馬車の後ろに来てくれるかの?」


「え? あ、うん」  


 二人でキッチンカーの裏に回ると、その客は絶叫する。


「あ…… あぁーー!」


 客の目前には、皿に盛られた芋天が置いてあったのだ。


「もしかしたらの、兄ちゃんが来るかもしれんと思っての、一人前だけ残しておったの」


「え、あ……」


「前にの、約束しとったからの」


 前回食いそびれた俺の為にイモテンを置いておくって約束を、覚えてくれていたのか……


「まだ暖かいがの、作り立てじゃないからの、料金はいらんでの」


「え? いいのかい?」


 頷いたオスオから芋天が乗った皿を渡されると、若者の目に涙が溢れ出る。


「これが…… これがイモテン……」


「そうだの。遠慮せんと食ってくれの」


「うぅぅ。ずっと、ずっと食べたかったんだ。ありがとう……」


 若者は、芋天をそっと指で摘んでじっくりと眺めた後、鼻に近付けて匂いを嗅ぐ。


「ん~~、良い匂いだ」


 そして、ゆっくりと口へ運ぶ。


「カリサクパリン」


 あ~、なんだこの食感と音は?

 噛んだ瞬間、まるで耳まで突き抜けるような心地良い音。食感はカリカリした固めの部分があると思ったら、サクサクと感触の良い部分もあるし他にも…… いったい、いくつの食感があるんだよ!? まるで口の中で氷が雪へと変化してゆくみてぇだ。

 そんで、中から顔を出したホクホクした芋が舌に触れると、先ほどまでとは真逆の柔らかな食感も最高だ。そして芋の風味が頭に、いや、体中にガツンと広がり続ける。しかもこの絶妙な塩加減! 芋の旨味と甘味を完璧に引き出してやがる。

 これが、これがイドエの本物のイモテン……


「うっ、美味いよ~」


 若者は瞳から涙を流しながら、一心不乱に芋天を口に運んでいる。


「美味い! 美味い。ありがとう、美味いよこれ。ありがとう、うぅぅ」


 この時、オスオだけではなく、片付けをしていた全員がその手を止め、礼を述べながら芋天をほおばる若者を見ていた。


「……」


  若者の無邪気な喜びを見ているオスオをはじめ、イドエの者たちの目には深い満足感が宿っていた。


 シン君…… わしらはの、役目を果たせたようだの……



 

 同じ広場には、ショーをまだ目にしていなかった服飾組合の理事たちが、次々と会場に足を運んでいた。

 見終わった彼らの表情は、深い感銘と衝撃が入り混じった複雑なものであったが、自分たちの地位や影響力が脅かされるかもしれないという不安が、その目に宿っていた。


 どうする…… あの様なものがこの辺りで売られれば……

 下着だけなら、下着だけならまだ…… だが、それで終わるとは限らない。

 大丈夫だ。苦楽を共にした前組合長が、よもや私たちを潰すようなことはしやしまい。


 ショーを見終わった理事たちの胸中では、様々な思いが渦巻いていた。


 ネル・フラソたちは、何事もなく五度目のショーを無事に終えいよいよフィナーレとなる六回目の準備に取り掛かっていた。夜の帳が下り、街灯の明かりが会場前の広場を照らす中、噂を聞きつけて駆けつけた人々で、この日一番の長蛇の列ができていた。

 そんな騒然とした雰囲気の中、一人の少女が静かに現れる。


 彼女は群衆の喧騒とは無縁であるかのように、ゆっくりとした足取りで歩いている。

 会場向かいのおしゃれなカフェが見え始めると、少女の歩みが僅かに緩む。微笑を浮かべて、店内の一角にあるテーブルへと視線を向けた。 そこは、彼女がいつも座るお気に入りの席だったが、その定位置には、見知らぬ人物の姿があった。


「ハークション!」

 

 少女が見つめる中、肉を口いっぱいに頬張っていた人物は、突然大きなくしゃみをした。テーブルの上に飛び散ったものを見て、少女は思わず顔をしかめる。


「おっと、失礼」


 店員に謝った男は、急いで服の袖でテーブルを拭くが、食べカスや唾液は広がるばかりで全然拭き取れていない。

 それを見た少女の顔が怒りで真っ赤に染まり、両手を固く握り、唇を噛みしめて震える。


 私の…… この町で唯一のお気に入りの場所に、あんな汚らしいオヤジの…… 


「チッ!」


 顔を背けて舌打ちをしたレリスは、会場へと歩みを進める。 


 うぅ、鼻がムズムズする。どうやら壁にもたれて寝てしまって、身体が冷えたみたいだ。

 しかし…… こんな目立つ場所で食事をしながら見張るのに、いったい何の意味が?


 ゼスがこの場所に座っていたのは、シャリィの意向によるものだったのだ。



 開場を待つ人々の列の最後尾に、思いがけなくレリスの姿が現れると、そのまさかの出現に、群衆から驚きの声が漏れる。


「あれ、あの人って……」


 え、嘘だ……

 見た事あるぞ……


 前回、お忍びで芋天を買いに来た時とは違い、教会の上衣をまとったその姿は、ディーナと一目で分かるものであった。


「おい……」

「あぁ」

「もしかして、ブラッズベリン司教様の……」

近従ディーナだよな?」

「え!? あの人が!?」


 レリスに気づいた者たちからざわめきが起き、中には、せっかく並んでいたのに、列からこっそりと離れる者たちもいた。


「おい、行こう」

「そうだな。離れよう」

「ざわざわ」

「誰なの?」

「たぶんだけど、ブラッズベリン司教様の……」

「へぇ~」

「何しに来たのかしら?」

「そりゃお前、咎めに来たに決まってるだろ」

「だな。なんせ主催はイドエだからな」

「もしかして、やばくない俺たちまで……」

「……けど、一人で来ているようだぞ?」


 収まる気配のないざわめきの中、シャリィはレリスと視線を交わすと、無言のまま列の先頭へとレリスを導き始めた。まるで、レリスが来ることをあらかじめ知っていたかのように。


 ふん。どうやら私が来る事を、予見していたみたいね…… ブラッズベリン様、あなたのことは、見透かしてるみたいですよ。ふふ……

 

 この時レリスは、怪しい笑みを浮かべていた。


 二人の様子を、石像の上からフォワが見ている。


「フォワフォワフォワ……」


「いったいいくらでって、シャリィ様を商売敵みたいに言うでねぇっぺぇ! フォワとは違うっぺぇよ」


「フォワ~」


 それにしてもっぺぇ…… シャリィ様がわざわざ案内するって、あの女はいったい何者っぺぇ……



「ドンドン」  


 レリスを連れて来たシャリィは、閉ざされている会場の大きな扉をノックする。


「私だ。開けてくれ」


 その声に反応して、扉がゆっくりと開く。すると、扉を開けたヘルの目にレリスが映る。


 ……うん? この女は確か、教会の……


 レリスを認識したヘルは、心で笑う。


 クケケケェ、ここに教会の者が来るなんて、ますますおもしれぇ。


 シャリィは扉が開くや否や、しなやかな動きで横へ滑るように移動した。開場を待ちわびた観客たちの視線が一斉に注がれる中、シャリィは左腕を伸ばし、レリスを促して中に入るよう導いた。


「……ゴクッ」


 一瞬の静寂が訪れ、群衆の喉を鳴らす音と微かな息づかいが聞こえた後、レリスは微笑みを浮かべてシャリィに会釈した。そして、司教のディーナらしく優雅に会場内へ歩を進める。シャリィもその後に続き、二人の姿が観客の視界から消えていった。


「お、おぃ、見たか……」

「お、おぅ……」


 その予想外の光景に、観客たちの間から驚きと興奮の波が再び広がり、広場全体がざわめきに包まれた。


「ざわざわざわ」  

「何事も無く中に入って行ったぞ」

「おいおいおい……」

「まさか、咎めに来たのではなく……」

「そうだよ! 展示会を見に来たって事だよな?」


「もしそうなら、これで私たちが何か悪いことをしているわけではないことが証明されたわね」


 張り詰めていた空気が一気にほぐれ、群衆の硬い表情がほころび、安堵のため息が静かに広場に満ちていく。それぞれの顔には、長い重圧から解放されたかのような安堵の色が浮かんでいた。


「それと……」


「それと?」


「教会、いや、ブラッズベリン司教様とイドエの間に潜む関係性が、垣間見えたって事だよ」


「はぁ? 何言ってんだお前?」


「……」


「ん~、よく分からないけど、それって良い事なのか、悪い事なのか?」


「……さぁな」


 さぁなって、分からないのにかっこつけちゃってよ。なんなんだよ……




 中に入ってゆくレリスの後姿を見つめていたカンスが口を開く。


「ねぇヘル」

「……うん?」

「今の人って誰なの?」

「……近従ディーナだよ」

「え!? 司教様の?」

「そうだよ」

     

 ……そうか、そうなんだ。司教様の近従ディーナが来るって事は、イドエと教会って聞いていたほど酷い関係じゃないのか。それならこの依頼も…… そうだよ。考えてみれば、Sランクのシャリィ様が教会に反するようなことをする訳ないよね。


 ブラッズベリンの近従ディーナが現れた事で、カンスは周囲の観客たちと同じく、胸を撫で下ろすように安堵の吐息を漏らした。


 会場内では、シャリィの口から明かされたレリスの素性に、ラペスの表情が引き締まる。緊張を隠しきれない様子で、彼は一際丁寧にレリスを最高の席へと案内する。

 レリスが優雅に腰を下ろして会場内を見回していると、ラペスから話を聞いた監督であるフラソも現れ、膝をついて丁寧に挨拶をした。


「……」


 それを見届けたシャリィは、扉の前で待機しているヘルとカンスに目配せをする。二人は半分閉じていた大きな扉を開くと、外で待ちわびていた観客たちは、レリスに気を使い、静かに会場へと流れ込み始めた。

 

 舞台から伸びたこの通路みたいなのは何なの? ……いったい、何を見せてくれるのか、少し楽しみね。 


 

 イドエの催しに、司教のディーナが観覧の為に姿を現したというニュースは、またたく間に広まっていく。




 セッティモ服飾組合では、会議室で集まっていた理事たちが頭を抱えていた。


「……どうする?」


「どうするも何も……」


 組合長のドロゲンをはじめ、理事たちは議論を交し始めようとしていたその時。

 

「いざとなれば、デザインを真似た安価な物を……」


 一人の理事の提案で、議論が一気に加速する。 


「馬鹿か! ヌンゲが、ヌンゲの裏にいた者がどうなったのか、もう忘れたのか!?」


 うっかりそう怒鳴ってしまった理事は、すぐさまドロゲンに視線を向けるが、ドロゲンは俯いて何の反応も示さない。


「かといって、黙って見ている訳にもいかんだろう!?」

「そうだそうだ!」

「そう言うのなら、貴様らにこれ以上、いや、同等の下着ものでも造れるのか!?」


 そう口にした理事は、アルスから渡された下着をその者に投げつけた。

 その様子を見ていた別の理事が口を開く。


「素晴らしい作品だが、イドエの生産力には限界があるはずだ。それほど心配する必要はないのかもしれない」


「確かに今はな・・・


「……と、いうと?」


「恐らくだが、今回の中心になっている職人は、前組合長と同じぐらいの年齢の職人だろう。以前のイドエに比べれば、その数は少ないだろう」


「……」


「しかし、その息子世代にも受け継がれているはずだ。その者たちは、出稼ぎ先から戻ってきていると情報が入っているし、さらにその下の世代も育てば、生産力も改善されよう」


 その言葉で会議室が静まり返る中、突如として一人の理事が立ち上がる。


「私の提案を聞いてくれ」


 他の理事たちの視線が、立ち上がった理事に集中する。


「いっその事、前組合長に戻って来て貰うのはどうだ?」

 

「……おっ! そ、それは悪くない!」

「そうですな。組合長も賛成でしょ!?」

「無論、私たちの地位を保証して貰えればの話だが」

「地位などと、余計な事を口に出すな!」

「確かに! 争うよりも良いのではないか?」

「そうだそうだ!」

「そうだな、イドエと深い…… 兄弟のような関係を築くのも悪くない」


 ここで別の理事が立ち上がり、口を開く。


「みなさん、少し冷静になろう。イドエはこの20年、なぜあのようになっていたのか、もう一度思い出す必要がある」


「うーむ……」


「組合長が前組合長を追い出した真意は、まさにそこでしょう!?」


「……」


「不穏な動きのあるイドエの者を組合長として置いておけば、この組合もどうなっていた事やら」


「……」


「判断を間違うと、共に私たちも崩れてしまうぞ」


 その意見を聞いた理事の一人が、ため息を付いた後に口を開く。


「はぁー。そんな事はな、言われなくても分かっているんだ! だが、今のイドエを見てみろ!? 誰にも邪魔をされていないではないか!」


「いいや! このまま何もない訳がない! イドエは私たちが手を下さなくても、そのうち潰されるに決まっている!」


「だがな、あの場には商工ギルドの者も来ていたのだぞ!」


「そうだそうだ! イドエに味方している者は他にもいるのは耳に入っているだろ!」


「例えどこのギルドが味方しようが、領主様が動けば手を引くしかないだろう!」


「そう言っても、貴族様は、領主様は動いておらぬだろ!? つまり、イドエは許されたのだ!」


「今の段階でそう決めつけるのは、いささか時期尚早のような気もしますがね」


「確かに……」


 黙って話を聞いていた一人の理事が突然立ち上がり、アルスから渡された下着を握りしめながら興奮した様子で口を開いた。


「見ろ! この芸術品の様な下着を見ろ!」


 明らかに興奮している理事は、下着を手で引っ張って伸ばした次の瞬間、自分の頭に被せて何度も指を差した。


「これ! この下着! これに関わる事もせず、黙って見てるしかないのか!?」


「……」


「いったいいつまで!? 私たちが、この組合が追いやられて消えるまでか!?」


 確かにそうだけど、なにも頭にかぶらなくても……

 なぜにかぶった……

 趣味か? 頭にかぶったのは趣味なのか?

 手慣れている。普段からパンツをその様に使用しているのか……

 インパクトつよっ!

 

 だいたい同じ事を思っていた理事たちの視線は、自然とドロゲンに向けられていく。


「……組合長」


 視線がドロゲンに集中する中、目を伏せたまま沈黙を貫いていた。その姿を前に、理事たちの胸中には厳しい批判の言葉が渦巻く。


 一言も発しないとは、まるで他人事のつもりか!?

 駄目だ、こいつにはどうする事も出来ない。

 己の立場を理解しているのか!?

 くっそぉ! 何とかこいつを追放することが出来ないのか!? 

 

 その時、会議室のドアがノックされる。


「コンコン」


「失礼します」


 一人の理事の女性秘書がドアを開け、顔を覗かせる。


「申し訳ありません、急用でして」


 そう言いながら、頭に下着をかぶった理事のもとへ足早に近づくが、その予想外の姿に驚いて一瞬たじろいた後、気を取り直して何かを小声で伝えた。


「……なっ!?」


 驚いた理事が声を出して目を丸くする中、女性秘書はそそくさと会議室を後にする。


 ……きっも


 顔をしかめながら。




「どうした? 何の急用だ?」


「それが……」


 そう口にした後、頭にパンツをかぶったままの理事は黙ってしまう。


「……どうした?」


 そのやりとりに反応して、俯いていたドロゲンも顔を上げ視線を向ける。


「……」


 会議室内の全ての目が、頭にパンツを被っている理事を捉えている。


あの・・展示会に……」


「下着の展示会か? それがどうしたのだ?」


「……ブラッズベリン司教様のディーナが、観客として現れたそうだ」


 その衝撃的な発言に、理事たちは息を呑み、凍りついたような表情を浮かべた。


「きょ、教会の人が…… じゃあイドエは……」


 そう呟いたドロゲンの目は、まるで時が止まったかのように大きく見開かれていた。




 同じ頃……


 教会の敷地内の端に佇む礼拝堂は、純白の石壁に包まれ、尖塔の頂きには教会のシンボルが天空に輝きを放っている。重厚な木戸が軋むように開かれると、柔らかな光に包まれた内部が姿を現す。そこには、魔法石の棺が静かに横たわっており、数十人のヘルゴンたちが、畏敬の念を込めて棺を取り囲んでいた。

 その中で、一人だけ棺に身を寄せ、額を押し当てている者がいる。


「……」


 長年教会に魂を捧げてきたヘルゴンのカピティーン。その献身的な奉仕の日々も、不審な印象を与える最期により影を落とされた。そのため、公の儀式は行われず、ただ忠実なヘルゴンたちのみが、連日静かな別れを告げていた。


 棺にすがるように額を押し当てている者の元へ、待ち焦がれていたニュースが、ようやく舞い降りてくる。


「失礼いたします」


 突如として現れた者は、レリスが会場に現れたという噂が広まっていると伝える。


「……そう」


 その者が離れると、ロルガレはゆっくりと立ち上がった。そして、鞘から剣を抜き、まるで棺に捧げるかのように掲げる。


 やはり、動いたわね。ブラッズベリン司教…… 


 棺を取り囲んでいるヘルゴンは、不気味なイフトを放つロルガレを恐れ、わざと視線を向けないようにしていた。


 それなら…… 私も、存分にやらせてもらうわ。待っていなさい。


「カチャーン」


 静寂に包まれた礼拝堂に、剣を収めた美しい音色が鋭く響いていた。



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