150 追憶の栄光と暗黒



 振り向いた女性を、シンは見つめている。瞬き一つせずに。


 こ…… この人…… 


 若い女性だとばかり思っていたその女性の年齢は、実に60歳を超えている。

 だが、彼女の立ち姿と見た目には美しさと気品、優雅さが漂い、まるで現実とは思えないほどだ。


 美しい…… この人はまるで、決して枯れる事のない花のようだ……


「……あの、お聞きになられていらっしゃいますか?」


「……え、は、はい」


 かろうじて返事をしただけのシンを見ている女性は、手に持っているチラシを一瞥する。


「あなた、冒険者ですの?」


「……え、えぇ、そうです」


 その女性に心を奪われているシンは、ただ返答するしかなく、その場に立ち尽くしていた。


「よろしいですわ。付いていらして」


 一度下げていた日傘を再び差した女性は、美しい姿勢のまま歩を進める。

 その後をシンはまるで、糸で操られているマリオネットのように付いて行く。手に持ったチラシを仕舞う事すら忘れたまま。



 歩く姿まで何て、何てエレガントなんだ……





「ああぁぁぁ、やはりぃ美味ぃ美味ぃぃ。しかもぉぉ予想ぉぉ以上にぃぃ素晴らしいぃ味わいぃぃと食感~~」


 静かに食べてくれないかな……

 さっきからうるさいな……

 困った客だの……

 うざいけど、意外と良い声してるぅぅぅ。あらら、移っちゃった……

 あれれ、俺この人知ってるぞ!

 

「塩7つ出来たでの」

「はいよー」

「オスオ、どんどん作ってくれの」

「分かっとるでの」


 多忙を極めているオスオの元に、コリモンと音響担当のロタ・ルリンの二人が現れる。


「おぉー、凄い人だの~」

「うわー、こんなにも……」


 コリモンとルリンは、行列の長さを見て驚きの声を上げた。


「オスオ、わしらもバタバタしてての遅くなったの」

「すまんがの、今は構ってられんでの」

「分かっとるでの。こっちはこっちでやるからの、安心せいの」

「頼むでの」


 コリモンとルリンの二人は、様々な場所に魔法石を仕掛けてゆく。


「こんなもんでええかの?」

「はい、取りあえず良いでしょう」


 仕掛けた魔法石から音色が聴こえはじめ、順番を待っている者達の耳に優しく曲が語りかける。 


 ……ん? 音楽が聴こえる……

 待っている間、これでも聴いてろってことかな?

 音楽が聴こえるのは良いけど、知らないな~この曲。

 あー、それより早く順番こないかな? 並び疲れたよ。


 どうやら、あまり評判は良くないようである。


「大丈夫です、ある程度の所まで聴こえています。魔法石の数からして、これで限界かと」

「そしたらの、わしらは戻るかの」

「はい」

 

 再び行列に目を向けた二人は、その人数の多さに安堵の表情を浮かべ、建物に入って行った。



 その頃シンは……

 

 何も考えることもなく、ただ歩いている女性の後ろ姿に見惚れていたシンは、しばらくしてやっと我を取り戻す。


 そういえば…… いったい、何処に向かっているんだ?

 

 声を駆けようとしたその時、大きなテントのような建物が見えて来た。

 その周辺には小さなテントがいくつもあり、元の世界のサーカス団を思わせる。


 シンの前を歩く女性はその大きなテントに向かっており、そこには冒険者と思われる者が二名立っていた。日傘を閉じる女性を見て軽く会釈をした後、入り口の布を開ける。


「おかえりなさいませ、リップバーンさん」


 ……リップバーン。この人は、リップバーンと言うのか……


「ご苦労様です。この方も中へ」


「はい」


 入口の警備をしている冒険者の二人は、シンに視線を向け招き入れる。


「どうぞ」


「あ、すみません」

 

 大きなテントの中に入ったシンの目に、最初に飛び込んで来たのは……


 舞台…… 


 その舞台上では、4、5人が台本を片手に演劇の稽古に励んでおり、前列の客席には3人が静かに座って、その様子を注視している。


「ここでお待ちになってて」


「はい」


 思わず返事をしてしまったシンは、次にゆっくりと上を見上げる。


 ……意外に高くて、圧迫感がない。似ている、サーカスのテントと……

 だけど、材質は布の様に見えるし、木も使われていて、元の世界のテントより暖かみがある。

 

「アルベイト、いらっしゃる?」 


 リップバーンの美しい声に反応したシンは、見上げていた視線を戻す。 


「アルベイト」


 その声を耳にし、客席で稽古を見守っていた3人のうちの一人が立ち上がり、シンの方へと歩いて来る。


「どうしたんだい?」


「依頼を受けて下さる冒険者をお連れしましたわ」


「まさかクロエ、君がわざわざ冒険者ギルドへ依頼しに行っていたのかい? そんなの、誰かに頼めばよかったのに」


 クロエ…… この人は、クロエ・リップバーン……


 そう、シンが偶然にも声をかけたこの女性は、かつてその名を世界に轟かせた名女優、クロエ・リップバーンその人であった。


「お散歩のついでですわ。あなた、お名前は?」


「あっ、はい。シン・ウースと申します」


 アルベイトは、シンの苗字に反応する。


「……シン・ウース? うーむ、もしかして、ウース村の出身かね?」


「え、えぇ、そうです……」


「やはりそうかね。旅劇団として世界中を回っていたら、いつの間にか色々な村の名前を覚えてしまう癖がついてしまってね。だけどウースにはまだ一度も行ったことはなくてね、どの様な村だね?」


「そっ、そうですね…… 何の娯楽も無い、普通のただの田舎の村です」


「そうなのかね?」


 確かあの辺りは…… 勘ちがいか……


「まぁそれでも機会があれば是非行ってみたい。あっと、私はアルベイト・フィーラ、このヘイワース劇団の団長だ。宜しく」


「こちらこそ……」

  

 二人が会話をしているのを静かに見ていたリップバーンが口を開く。


「ではアルベイト、後はお願いね」


 彼女はシンとアルべイトを残し、どこかに向けて歩み出した。

 その後姿を見ていたシンに、アルベイトは手を差し出す。


「……え」   


「ギルドの紹介状は?」


「あ、いや、あの実は俺……」

 

 訳を説明しようとするシンを見ているアルベイトは、その手に何かを持っている事に気付く。


「うん? これじゃないのかね、紹介状は?」


 そう言って、シンが持っているチラシを手に取る。


「あっ! いえ、それは……」


 間違いを正そうとする声を無視して、アルベイトはチラシに目を通し始める。


「うーん、これは……」


 あきらかに紹介状ではなく、演劇のチラシ…… なるほど、この青年は私たちの商売敵の宣伝をしているのか。なになに…… イドエ!? まさかあのイドエで再び演劇を……


 驚きの表情を浮かべ、さらにチラシを読んでゆくアルベイトは、ある一文を目で追うと悲鳴に似た声を上げる。


「なっぁぁ!?」


 その声を聞いたリップバーンは、静かに歩みを止める。


「ヴィセト…… ガーシュウィン……」


 ガーシュウィンの名を耳にした瞬間、彼女は驚きのあまり息を呑んだ。

 

「……今、なんとおっしゃったの?」


「……」


 振り向いたリップバーンの目に、両手をブルブルと震わせながらチラシに見入っているアルベイトが映る。


「アルベイト! 何ておっしゃったの!?」


 彼女に強く名を呼ばれたアルベイトは、ふと我に返る。


「い、いや、この青年が持っていたチラシに」


「……」


「ヴィセトの名前が……」


 その言葉が耳に入ると同時に、リップバーンは焦りの色を浮かべながら素早くアルベイトのもとへ駆け寄り、手渡されたチラシを受け取ってガーシュウィンの名を探す。


 ……総指揮総監督ヴィセト・ガーシュウィン……


 明らかに動揺の色を浮かべた表情でその名を確認した彼女は、チラシからシンへと視線を変える。


「……シン・ウースさんとおっしゃいましたね?」


 この二人は……


「このチラシに書かれているヴィセト・ガーシュウィンとは、いったいどなたの事でしょうか?」


 ガーシュウィンさんを知っている……


「……答えて下さらない、シン・ウースさん」

 

 しかも、この動揺のしかたは…… ただ知っているだけの関係ではない。

 

 この時、アルベイトとリップバーンは、シンと同じ事を考えていた。


 この青年の振る舞いは……


 この方の仕草は…… 知っている。この方は、ただチラシを配っているだけではないわ。間違いなく、ヴィセトの行方を知っている……


 そう確信したリップバーンは、口を開こうとしないシンの名を絶叫する。


「シンさん!」


 その声に驚き、舞台で稽古をしていた者たちの動きが止まり、皆の視線が一斉に同じ方向を向く。


「……はい」


 返事をしたシンは、俯いていた顔を上げてリップバーンを見つめる。


「……答えて、いただけますか?」


 ガーシュウィンさんが行方をくらまし、イドエに住みついていたのは、何らかの重大な理由が背景にあると推測するのは容易だった。

 

「……」


「お話…… して頂けないのかしら?」


「……いえ」


「……」


 アルベイトとリップバーンは、静かにシンの言葉を待っている。


 俺は…… そんなガーシュウィンさんの過去をわざと知ろうとしなかった。シャリィに調べて貰えれば簡単に分かる過去を知ろうとしなかったのは、ガーシュウィンさんに嘘が通用しないからだ。

 過去を知ってしまった俺の微妙な変化に気付いてしまい、それが切っ掛けとなってせっかく積み上げた関係が、壊れるのを恐れていた。


 しびれを切らしたアルベイトが、シンよりも先に口を開く。


「君! 頼む! 頼むから、答えてくれないか!?」


 だけどもう、このままにしておけない。

 もし曖昧にして去ってしまえば、この二人は必ずイドエに向かうだろう。それも直ちに。それほどの揺るぎない決意を感じる…… 俺は、今イドエに戻る訳にはいかないし、この件で誰かを戻らせるわけにもいかない。

 そして…… 徐々にだけど精神が回復してきたガーシュウィンさんに、今この人達を会わせて良いのか……


 シンはある決断をする。

 

「……その前に」


「……何でしょうか?」


「お二人と、ガーシュウィンさんの関係を…… 聞かせて頂けますか?」


 アルベイトとリップバーンは、視線を合わせる。


「君、それにいったい何の意味」


 その言葉を、リップバーンが遮る。


「待って」


 クロエ……


「シンさん…… と、お呼びしてもよろしいかしら?」


「……はい」


「ではシンさん。ヴィセトの現状を、わたくしどもが知る為には、それを聞くことが必要なのですね?」


「……はい」


「そう…… それでしたら、お話しいたします。嘘偽りなく……」


「……お願いします」


 リップバーンはゆっくりと語り始める。その美しい声で、まるで詩を朗読しているかのように……


「わたくしとアルベイトは、ヴィセトの友人です」


「……」


「それも、ただの友人ではありません」


 その言葉を聞いたシンは、伏せていた目をリップバーンに向ける。


「ヴィセトとわたくしども3人は……」


 ……3人



 ゲルツウォンツ王国にある町メトガシューナは、王国の中でも特に美しい町として知られていた。

 この町は演劇の発祥の地と言われており、カユオモートという歴史ある劇場がそびえ立っている。

 この世界の人間の領域における重要な文化の中心であり、人々の心を躍らせる演劇が昼夜を問わず町のどこかしこで行われている。この町で今から43年前、カユオモートの舞台に立つことを夢見る若き日のヴィセト・ガーシュウィン、アルベイト・フィーラ、クロエ・リップバーン、そしてもう一人、卓越した才能を持つ4人は、この町に数ある演劇学校の中でも、特にしがない学校で出会う。その出会いは、偶然でありながらも、いや、むしろ必然であったのかもしれない。

 

「その学校で出会ったわたくしどもは、数々の困難を乗り越え、そして、素晴らしい恩師との出会いもあり、成長において最も大きな影響を受けました。小さな劇場で同じ日に同じ演劇で初舞台を踏んだ時の気持ちは、今でも心に刻まれています」


 やはり、ただの友人ではなかった……


「しがない学校を出たばかりの新顔として、わたくしどもはまだ恵まれた幕開きでございました。時間がかかるにしても、一歩一歩着実に昇り詰めてゆこうと、いつも4人で夢見ておりましたわ。しかし……当時の演劇というものは、実力だけではどうにもならないものでございましたの」


「……」


「当時の役者たちは気高く誇り高く、その世界には王侯貴族ですら容易には介入できないものでございました。そう聞くと、一見して華やかで素晴らしい世界に思われるかもしれませんが、内情はそうではございません。一度手にしたその地位に固執する者たちは、ありとあらゆる策を講じて実力ある者を排斥はいせきするのです。そのため、わたくしどものように名門校を出ておらず、有力な縁故も持たない者たちは、いくら実力があっても小さな劇場で細々と続けていくしかございませんでした」


「……」


「残念ながら演劇の世界とは、そういうものです」


「……」


「初舞台を踏んでから二十年近く経ったある日、ヴィセトは役者を辞し、監督を志すようになりました。それも、凡庸な監督ではございません。演出や台本の作成は勿論のこと…… 表面上には決して現れない権力闘争に至るまで、全てを一人で担い、真に監督という称号に相応しい監督を目指したのでございます……」


「……」


「役者としての評価が高かったにもかかわらず、ヴィセトが突然そのような行動をし始めたので、周囲は驚いておりましたわ。ですが、わたくしどもは何一つ驚きませんでした。その理由は」


「……」


「わたくしどもの親友でありヴィセトの妻、エヴァナ・ヘイワース。彼女の役者としての才能を、人としての素晴らしさを存じていたからです。権力争いによって陽を見ることの無いエヴァナの為にヴィセトは、役者の道を投げ捨てて全てを請け負ったのです」


 ヘイワース…… この劇団の名前と同じ……


「ヴィセトが立ち上げた劇団サムタイムに、当然ながらわたくしどもも参加いたしましたが、不安が全くなかったわけではございません。何故ならば、演劇の世界において後ろ盾のない劇団など、早々に淘汰されるか、または吸収されるのが常でございましたゆえ。それにもかかわらず、ヴィセトが如何なる手段を講じていたのか、わたくしどもも詳細までは存じ上げておりませんが……」


「……」


「その後劇団サムタイムは、その卓越した演技に相応しい評価を受け、ついにあのカユオモートで単独公演ができるまで上り詰めることができましたわ。あの頃のエヴァナとの舞台は、まるで夢のような、それはそれは素晴らしい日々でした……」


 エヴァナとの思い出を語るリップバーンの美しい微笑は、突然失われてしまう。


「あの日までは……」


 その言葉を聞いたシンの瞳は、僅かに瞳孔が広がる。





「いやぁぁぁ美味でしたぁぁぁありがとうぅございますぅぅ」


「気にいって貰えたのならの、うれしいの」


 おかしな話し方の客は満足そうな笑みを浮かべ、その場から去って行った。


「変なのがやっと居なくなったよ」

「まぁ確かにおかしな人だけど、あの人は今セッティモここに来ているヘイワース劇団のラケンサーさんだよ」

「……あー、言われてみれば! あの人舞台なら普通なのに、普段はあんな感じなのか!?」


 舞台より普段の方が役者みたいって…… なんだそりゃ!?

 ある意味凄い役者さんだ……

 あの人に興味が湧いて来た。見に行こうかな……

 面白い人だ……


 ラケンサーの素を見た者達の中には、彼のファンになった者もおり、あのような振る舞いでもその名を上げていた。




「大きな公演を目前に控え、連日連夜稽古に明け暮れていたエヴァナとヴィセトが、自宅で束の間の時間を共に過ごしていたあの日……」


 静寂が漂う室内に、突如として不気味な気配が忍び寄る。その何者かの手によって、深夜にエヴァナは無残にも命を奪われてしまう。ガーシュウィンは何も知らず、目覚めた翌朝に悲劇の幕開けを目の当たりにしてしまったのだ。



「エヴァナ…… エヴァナァァァァアー」



 愛する夫と親友とともに夢を叶え、女優として頂点に上り詰めたエヴァナ・ヘイワースの人生は、ここで突如として終焉を迎えることとなってしまった。


「……エヴァナを失った悲しみは、わたくしどもも同じですが、妻であり友人であり、そして何よりも敬愛していた人を失ったヴィセトの…… ヴィセトのその苦しみと喪失感は、とても計り知れないものです。うぅ、うぅぅ」


 リップバーンの瞳から涙が零れ落ちると、アルベイトが優しく肩を抱く。


「エヴァナを殺害した犯人は、今も分かっていない……」


「……」


「当時のマスコミは、犯人は同じ家にいたヴィセトではないのかと、証拠もないのにおもしろおかしく書き立て、国民から疑惑の目が向けられ非難の的となってしまった。だが、少なくとも私たちには分かっていた! 自らの夢も諦め、最愛の妻の為に裏方に回ったヴィセトが、エヴァナを殺すなんて、そんな馬鹿な事があるはずがないと!」

 

「……」


「だがさらにマスコミは、同じ劇団に所属する若い女優との不倫関係を取り沙汰した。しかも一人ではなく、若い女性の劇団員全てに、ヴィセトが役と引き換えに手を出していたなどと、そんなありもしない話が次々と広まっていったのだ! ヴィセトは最愛の人を失ったばかりか、自らの名誉も失うこととなってしまった…… その深い悲しみと絶望の中でも、無実を証明するために再び立ち上がって欲しいと願っていた。私たちは、その協力を惜しむつもりもなかったのだが……」


「ガーシュウィンさんは、突然消えた……」


「そう、それが今から18年前の出来事……」


 リップバーンは当時を思い出し、両掌で顔を覆って泣いている指の間から零れ落ちる涙が、頬を伝って床にぽたりぽたりと落ちる。


「うっ、うぅ、どうして…… 今でも、わからない。うぅ」


「君…… 君は、ヴィセトと何度も会っている。そうだね?」


 シンはその問いかけに、視線を合わせずに小さく頷いた。


「ヴィセトは、ヴィセトはイドエに居るのかね?」 

 

 肩を小刻みに震わせ、嗚咽が止まらないリップバーンをシンは見つめている。いくら優れた女優であっても、これが演技でないことは明らかであり、シンの心に深く響いた。


「……はい。ガーシュウィンさんは、イドエにいます」


「……ありがとう。教えてくれて、ありがとう。クロエ、今日の公演は中止にして今からすぐに行こう、イドエへ」


「うぅ。えぇ、行きましょう」


 準備をする為に歩き始めた二人を、シンが呼び止める。


「待って下さい」


「……どうしたのだね?」


「今お二人を、ガーシュウィンさんに会わせるわけにはいきません」


「なっ!? 何を…… 君に、君に私たちを止める、そんな権利はないだろう」


「えぇ、おっしゃる通り、俺にはありません。ですが……」


「……」



「お二人にもガーシュウィンさんに会う権利はない」



「な、何を言っているんだ君は!? クロエの話を聞いていただろう! さっきの話に! 嘘など一つもない! 私たちは会う権利がある! なぜならクロエと私は、ヴィセトの友人なのだから!」


 リップバーンは涙を流しながらシンを見つめていた。瞳には悲しみが宿り、その大粒の涙は次々と頬を伝って落ちていく。彼女の目は赤く腫れており、その痛々しい姿が一層心を揺さぶる。 

 だが、それでもシンは、無情な言葉を投げつける。


「……俺は、あなた達が友人だった頃・・・・・を知りません」


「なっ!? だからクロエがぁ」


 アルベイトの声が荒ぶる中、リップバーンは穏やかに口を開いてその言葉を抑えた。


「アルベイト」


「し、しかし……」


 頬に伝う涙を拭うこともせず、シンを見つめ口を開く。


「つまり…… 今は友人ではないと、あなたはそうおっしゃりたいの?」


「……はい。……その通りです」


 ガーシュウィンが何も告げずに姿を消したあの日から、二人は自分たちは友人ではなくなったのかと、何度も心の中で問いかけてきた。もしかして関係が変わってしまったのではないかという不安と恐れが、18年もの間、二人の心を蝕んでいたのだ。その長きにわたる心の痛みを、シンはまるで見透かしたかのように鋭く抉った。


「……」

「……」


 二人は哀しそうな表情を浮かべ、黙って顔を伏せた。


「そのチラシに書かれている通り、10月20日にイドエで演劇を開催します。あなた方の想像する演劇とは少々異なりますが、その演劇には、イドエの全てが…… 未来がかかっています」


「……その公演が終わるまで、わたくしどもに会うのを控えて欲しいとおっしゃりたいのですね」


「はい……」


 リップバーンは目を伏せ、静かに思いにふける。


「今私たちが会いに行くと…… ヴィセトは再び行方をくらますかも知れない」


「その可能性も、無いとは言えません。それに……」


「……」


「今のガーシュウィンさんとイドエは、互いに欠かすことのできないものなんです」


 二人ともこの言葉の深い意味を完全には把握できていなかったが、どこか心の奥底でその真意を感じ取っていた。 

 

 リップバーンは自らの望みを抑え込んで、調和を図る提案を口にする。


「シンさん……」


「はい……」


「わたくしどもが、その公演を見に行く許可を下さる?」


「……」


「許可を頂けるのなら、それまで会いに行かないとお誓い致します」


「……えぇ、見に来られても構いません。明日・・、イドエに戻ったら俺はガーシュウィンさんに……」


「わっ、私たちの事を伝えてくれるのかね? 今はそれだけでも構わない。頼む」 


 そう、俺はガーシュウィンさんに、どうしても……


「……私たちはその時までに、10月20日までに準備をしておく」


 友人ではないと、そう言われた時の、心の準備を……


「すみません…… 本当に色々と、申し訳ありません。それでは、失礼します」


 シンが二人に向かって、元の世界でのように深々と頭を下げてテントを出た直後、声をかける者が現れた。


「あれ? まさかにいちゃん、ヘイワース劇団の関係者だったのか?」


 先程冒険者ギルドセッティモ支部で出会ったパリンの声は、シンの耳に届いておらず、結果的に無視する形で去っていく。


 あらら、どうしたんだ? まぁ、それよりも…… ギルドと良い交渉が出来たから、絶対に気に入られて雇ってもらうぞ!

 


 方角も確認せず、一心不乱に歩いていたシンは急に立ち止まり、ゆっくりと俯いていく。


 リップバーンの話を聞いて、どうしてもあの二人よりも先にガーシュウィンに会わねばならないと決意したシンは、そのために己が発した言葉で二人を傷つけたことを深く悔いていた。


 そんなシンの元に、後を追って来ていたリップバーンが声をかける。


「シンさん……」


 その声が聞えると、一瞬逃げ出したい衝動に駆られるが、ゆっくりと振り向く。


「……あなたのお言葉は、ずっと心に抱いていたことですの」 


 そう言われて、シンは罪悪感から目を伏せてしまう。


「少なくともわたくしどもは、あの頃と変わらずヴィセトを友人としてなによりも大切に思っております」


 分かっています。本当にごめんなさい。その心を、疑っている訳じゃないんだ……


「その証明あかしを、ご覧に入れます」


 シンは伏せていた目を、リップバーンに向ける。


「その鞄から見えているのは、さきほどのチラシと同じ演劇を宣伝するためのポスターですね?」


「……」


「そのポスターと先ほどのチラシを、全て頂けるかしら?」


「こ、これは……」


「ご心配なさらずとも、イドエがどの様な立場なのかは役者故に存じております。それをすることによって、わたくしどもに降り懸かる火の粉も、重々承知の上です」


 それでも……


「わたくしどもの劇場にそのポスターを貼り、チラシはお配りいたします」


 リップバーンのその申し出を、その気持ちを断る事が出来なかった。


「……分かりました。お願いします」


 鞄に入れていた全てのチラシとポスターを渡す。


「今晩、お時間はございますか?」


「え……」


「宜しければ、19時からの公演にご招待いたします。既に満席ですけど、決して上質な場所とは言えませんが、二席でしたらご用意致しますので」


「……では、お言葉に甘えさせていただきます」


「是非いらして下さい。入り口にいる者に、シンさんが声をかければ分かるように伝えておきます。それでは……」


「はい……」


 去って行くリップバーンの後姿を見ながら、シンはガーシュウィンの事を考えていた。


 ガーシュウィンさん…… あなたは……


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