132 終焉


 セッティモで起こった事は、数日の時を経てイドエにも伝わる。


「ママ!」


「……」


 ウィロが宿から外に出ようとしていたヨコキに声をかけるが、返事はない。

 不思議に思ったウィロがもう一度呼びかける。


「ねぇ、ママ!」 


「……どうしたんだい?」


「どうしたって…… 農業ギルドのお客さんから、ママも聞いたでしょ、抗争で死んだブカゾ組の幹部って、マコウさんの事だったって!?」


「……」


「あの人がヤクザだったなんて、信じられない」


「ウィロ……」


「……なに?」


「あの客が何処の誰であろうと関係ないさ。うちでマコウと名乗っていたのならマコウさ。それ以上でも以下でもない。いいね?」


「……うん。分かった……」


 中に戻ったウィロに目を向けたヨコキは、宿の前で一人で佇んでいる。


 セッティモでそんな事があったなんてね……

 恐らくそれを仕掛けたのは、他の誰でもない、坊や…… あんただね……

 最初からこの村でやっている秘密が漏れる事は承知で、それを逆手に取った。そういうことなんだね……

 

 だけどね……


 坊やはあたしが持っているルートを大切にしていた。農業ギルドが掌を返して、物資には困らなくなったというのに、それでもルートをわざと残していた。

 それは、ブカゾ組やつらとの関係を壊したくないのも理由の一つだろ?

 結果的にブカゾ組との関係は、さらに強固なものになったとはいえ、どうしてブカゾ組と争う様な事を……


「まぁいいさ。良い男の考える事は、女には理解できないものさ。だからこそ、良い男なんだよ」


 外に立っているヨコキを、サンリが窓から見ていた。


 まさか…… まさかマコウがヤクザだったなんて…… 顔の利くただの金持ちだと思っていたのに……

 ちょっと邪魔してやろうと思って、頼んだだけなのに、死ぬだなんて、そんな、そんな大事おおごとになるだなんて……


「どうしよう……」


 私は…… 私はどうなるの? マコウが絡んでいたから、私が洩らしたって知られているよね。


「……」


 ママとウィロの機嫌を取って、いざって時には庇ってもらうしかない…… それしか…… それしかないよね。

 それにしても…… あの人がヤクザの大幹部だったなんて…… 

 思い出したら、濡れてきちゃった……


 サンリはこの日から自らの態度を改め、情報を洩らす事も、ヨコキとウィロに口答えもしなくなった。




「あなた~」


「なんだの?」


「ジュリが馬小屋に居るか見て来てくれない」


「分かったの」


 馬小屋に向かうオスオは、セッティモに行く前日のシンとの会話を思い出していた。


 

「オスオさん」


「なんだの?」


「明日は炒め物は無しにしましょう」


「……そりゃかまわんがの」


「一生懸命味を調えてくれたモリスさんには悪いですが、出番は必ずありますので」


「じゃあ、イモテンとランゲが作れるようにしとけばええのかの?」


「はい、それでお願いします」



 わしは全部真似されるのを防ぐために炒め物を隠していたと思っとったがの、たぶんこの収まったタイミングで炒め物を出せば、人々にさらなる衝撃を与える事になるかもしれん。二段構えかの……

 そうすれば、イドエの名はさらに上がるの。

 つまりタイミングを、計っておったのかの……

 

 馬小屋に着いたオスオに、ジュリが声をかける。


「お父さん、どうしたの?」


「遅いから様子を見に来たんだの」


「シンさん達の馬が甘えて、戻らせてくれないの」


「フフ、そうか……」


「よしよし」


 馬の頭を撫でるジュリを、オスオは見詰めている。


「……」


 わしらがセッティモに行った後、イモテンもランゲも直ぐに真似をされたとヨコキさんから聞いたがの。だがの、それが今ではみんなが手を引いたらしいの……

 全ては、全ては計算づくだったんかの……

 まぁ、上手くいっているのなら、村はそれでええの。この村が昔の様に戻るのなら、遅かれ早かれ裏の者とは話をしないといけなかったからの。


「どれ、わしも撫でてみるかの」


「うん」 

 

 笑顔のジュリを見詰めながら、オスオは笑みを浮かべ馬の頭を一緒に撫でた。



 その特殊性から、ヤクザですら直接関わる事を避けていたイドエに、堂々と組の看板を掲げられる者をシンは探していた。なぜなら、シンの計画に必要不可欠なものであったからだ。

 だが、既にある小麦は農業ギルドが抑えており、他に大きな旨味も見当たらず、リスクの多いそんな村に、そのような人物が現れるはずも無い。

 そこで、芋天という餌を撒き、さらに下着などの秘密を隠さず、情報が洩れる事を気にしていなかった。

 撒き餌は広範囲に撒けば撒くほど、それに釣られるものが集まる。その為には、真似されるのも厭わない。いや、逆に真似される必要があったのだ。それは、意中の人物を引き寄せるために。


 数日降り続いた雨が止み、太陽と青い空が顔を出したセッティモでは、ブカゾ組の新たな直参、サヴィーニ一家組長ルカソール・ラベンティーニの話題で持ち切りであった。

 

「おい、聞いたか? あのサヴィーニ一家がブカゾ組に加わったらしいぞ!?」


「知ってる知ってる! 俺はあそこの前の組長とは会った事あるけど、今の組長には会った事ないんだ」


「それは残念だな~。凄い人物だと噂で聞いたぞ」


「らしいな。何とか会っとけば良かったな~」


 シンは事前にゼスが作成した資料を読み、既にピックアップしていた人物が数人いた。その第一候補は、ブカゾ組若頭のロンガンであった。

 自ら言い寄れば簡単に済む話なのだが、どうしても相手の出方を伺い、自分の目で見極める必要があったのだ。

 ヨコキが持っているブカゾ組関連のルートを排除せず、共存を望んでいたシンだが、今回の過程では、揉める事すら厭わずにいた。

 だがシンは、ルカソールと出会った事で、その計画を白紙に戻し、全てを託すことに決める。シンもブカゾ組組長のラムスと同様、ルカソールのカリスマ性に、完全に心を奪われたと言っても過言ではない。

 そんなルカソールはシンの期待に応え、見事に収めて見せたのだ。

 そして、サヴィーニ一家の力を誇示する事で、抗争相手だったブカゾ組直参として迎えられたのであった。


「しかしすげーよな?」


「そうだな。いくら代替わりしたとはいえ、抗争相手の組に幹部で迎えられるなんてよ」


「噂では若頭補佐の地位を自ら蹴ったらしいぞ!」


「本当かよその話!?」

 

「本当なら凄いよな」


「そういえば、イドエの真似をして商売していた奴らが、こぞってサヴィーニ一家に謝りに行っているらしいな」


 サヴィーニ一家へ最初に謝罪の為に訪れたのは、あのヌンゲであった。

 コンクス組の惨状を耳にしたヌンゲは、噂の段階であったのにも拘らず、直ぐにサヴィーニ一家の事務所を訪ねた。

 ヌンゲは下着によって得た利益全てを差し出した上で、二度とイドエの真似をしないと約束し、床に平伏した。

 サヴィーニ一家がその謝罪を受け入れると、その話も直ぐに広まり、謝罪に訪れる者は後を絶たなくなる。

 そして、謝罪を終えた者達は、まるで口を揃えたかのように同じことを言う。

 命をも無くす覚悟をしていたけど、イドエの真似をして良かった。なぜならその結果、ルカソールあの人に会えたのだからと。


「じゃ、やっぱりそっちの噂も本当なのかな?」


「だろうな。サヴィーニ一家は、あのイドエを縄張りにしたってことだろう」


「しかしよ、大丈夫なのか?」


「何がだよ?」


「いくらヤクザとはいえ、イドエに手を出して?」


 それは、ブカゾ組執行部内でも、意見の分かれる所であったのだが、ルカソールを高く評価している若頭、ロンガンの鶴の一声で決定した。


「最近イドエの噂をやたら耳にしていたけど、絶対に何かが起こっているよな。俺的には、うっししし、話のネタになるから楽しみで楽しみで」


「まぁそうだな。なあ?」


「うん?」


「そのうちイドエに行ってみないか?」


「だな! 出来る事なら行って、何が起きてるのか直に見てみたいよな!」


「うんうん。イドエに行けばよ、イモテンも下着も買えるかもしれないな!」


 ルカソールのカリスマとその人柄は、直に会った者達の口から広まり、多くの人々から敬愛される存在となった。そしてそれと同時に、今回のイドエの悪い噂は、払拭されていったのだ。



 セッティモにある教会の一室のドアを、ノックする者がいた。


「コンコン」


「お呼びでしょうか、ブラッズベリン様」


「イドエと接触するのだ。方法は任せる」


「……はい。仰せのままに」


 レリスは笑みを抑える事が出来ず、部屋から出てドアを閉める時に、ブラッズベリンに見られてしまう。


 やばっ、笑っているのを見られちゃったかな……


「だって、方法は任せるでしょ……」


 それなら…… これでまた会えるね。シン・ウース……


 レリスが部屋から出て行った後、ブラッズベリンは椅子から立ち上がると、窓から外を眺める。


 ……火種は小さなうちに始末するのが正しいと思っている者が多いが、それは大きな間違いだ。

 大火を消し止めた者こそが、名を馳せる。


「……」


 そして、火を点けた者には……


「フフフ、フハハハハ」  


 



 ここはストビーエ近くの森の中……

 

「じゃいじゃい~」


「ご苦労だった。これは約束の物だ」


 シャリィから渡された革袋の中には、イドエで作られた下着が入っている。


「おおおおー、凄い! なんちゅー手触りじゃい!」

 

「その下着を配るのは、数日待ってくれ」


「分かっとるじゃい。心配するな」


 ゼスは手に取った下着を、まじまじと見つめる。


「しかしこりゃエロい!! こんなエロい下着をデザインするなんて、その兄ちゃんも相当な好き者だな! ウホウホホホ、一番に誰に履かそうか? やっぱり最初はレイラだな! うっ!」


 手に持っている下着を履いたレイラを想像して、股間を勃起させた瞬間、激痛が走る。


「どうした?」


「いっ、いや、何でもない」


 まだダメージが残っておるみたいだ…… 恐ろしい女じゃいじゃい。


「ふう。しかし、お前とこの兄ちゃんは、上手くやったな」


「……」


「まさかサヴィーニ一家と手を組むとは、俺様も意外だったじゃい」


「……ただの成り行きだろう。それよりも、追加はいくら払えばいい?」


「おっ! 忘れる所だった。そうだな~」


 ゼスはシャリィをチラ見する。


「いや~、五人も来たからな~。意外と強くて、一日入院もしたし…… これでどうだ!?」


 ゼスはいつもの様にシャリィに向け指を数本立てて見せた。


「……いいだろう」


 おっほー、まいど~。


「シャリィ!」


「なんだ?」


「いつでも時間を開けるから、また言うてくれじゃい!」


「まだしばらくの間は、組合長の護衛を続けてくれ」


「分かっとる分かっとる」

 

 シャリィからシロンの入った革袋を受け取ったゼスは、にんまりと笑みを浮かべた。


 レイラ、待っておれ~。後遺症が消えたら、直ぐにこのエロい下着を履かせてやるからな。


「じゃいじゃい!」




 セッティモの病院では、回復して話も出来るようになったアルスの病室に、組合の理事や幹部達が入れ代わり立ち代わり訪れていた。


「いや~、組合長! 元気になって良かったですね!」


「そんな毎日こんでもの……」


「組合長の事が気になって気になって。なぁ」


 その理事は、一緒に見舞いに連れて来た自分の秘書に声をかける。


「ええ、そうです。組合長が襲われた直後から、ずっと夜も眠れないぐらい心配していました」


「……そりゃすまんかったの」


「いや~、元気になられて本当に良かった」


 その時、ドアをノックする音が聞こる。


「コンコン」


「爺さん、起きてるか?」


「おー、副組合長が来たみたいですね!」


 理事自らが、ドロゲンの為にドアを開ける。


「どうぞどうぞ、副組合長」


「ん? あ、あぁ……」


 こいつまた来てたのか……


 理事はドロゲンに何やら耳打ちをする。


「今日の件、副組合長から伝えると思って、私はまだ何も言ってませんので」


「そ、そうか」


 理事は得意気に笑う。


「それでは、組合長、副組合長、失礼します」


 ドアが閉まると同時に、アルスは深いため息をつく。


「はぁーー」


「大丈夫か爺さん?」


「あいつらは、毎日毎日の、用事もないのにの……」


「まぁ、大変な事が起きたからな。どうしても爺さんの機嫌を取っておきたいんだろう」


 既にドロゲンからコンクス組の件を聞いていたアルスは、神妙な表情になる。


「……」

 

「そうそう爺さん」


「なんだの?」


「ヌンゲが辞めるのを、今日の理事会で正式に決定したから」


「……そうか」


「別に俺達が辞めろと迫った訳でもないのに、よほどびびちまったんだろうな。もう服飾からは一切手を引いて、隠居するって話だ」


「……」


「だからここにもヌンゲ派だった奴らが毎日見舞いに来ているだろ? 俺の所にもよ、毎日機嫌取りに来るんだよ。他の理事達も一緒だよ。爺さんの意識がない時は、イドエの下着を自分達にも作らせろって俺を責めてたくせに、今では掌返しだよ」


「……」


「だけどよ、今はもうイドエの下着を真似る者も居なくなったし、万事めでたしだな!」


「……」

 

 ……爺さん。

 まだ完全に治っていないせいからか、全然覇気を感じない。襲われる前とは、まるで別人みたいだ……


「ドロゲン……」


「うん? どうした爺さん?」


「そう言ってもの、わしらに反する者が全員居なくなった訳じゃないからの。信用出来るのはの、お互いだけだからの、これからまだまだ頑張っていかんとのぅ!」


「おっ…… おう! そうだよ爺さん! その通りだよ!」


 さっきのは気のせいか。いつもの爺さんだ!

   

「ちょっと、悪いがの」


「うん? どうした爺さん?」


「傷が痛むんでの、休みたいんだがの」


「あ、悪い! それなら誰か呼んで部屋の前に立たせておくよ。見舞いに来た奴等に帰ってもらうよう伝える為に」


「そうしてくれの。わざわざ来てくれたのに、すまんのぅ」


「いや、良いんだよ。俺の方こそ気が利かず悪かった。ゆっくり休んでくれ、じゃあな爺さん」


「治ったらまたバリバリ働くでの!」


「おう! 分かってるよ、待っているからな!」


 ドロゲンは笑みを浮かべながら部屋を後にした。


 おー、心配してたけど、爺さん意外とやる気だな!

 よーし、俺も負けずに頑張らないとな~。


 嬉しさから、無意識に小走りになっていたドロゲンは、病院から出たところである事に気付く。

 

 あ、いけね。鞄を忘れてきてるじゃないか……


 病室に戻ったドロゲンは、アルスが寝ているかもしれないと思い、そっとドアを開ける。

 すると、ベッドに座り俯いて動かないアルスが目に映る。


 爺さん……

 

 アルスはドアを開けて立っているドロゲンに気付くことなく、ずっと俯いて何やら考えている。

 そんなアルスを見たドロゲンは、18年前の事を思い出す。イドエに思いを馳せて、毎日川沿いで寝転んでいた、あの頃のアルスを……


「……」


 アルスに気付かれない様にそっとドアを閉めたドロゲンは、鞄を置いたまま去って行った。

 

 それから数日後……


 退院したアルスは、まだ怪我が癒えていないまま、久しぶりに服飾組合を訪れていた。


「組合長……」


「メルゾさん…… 心配かけたのう。旦那さんのお陰での、助かったからの。ありがとうの」


「いいえ。本当にご無事でよかったです」


 組合長室の椅子に座るアルスを見て、メルゾの頬に涙が伝う。


「組合長、ハーブティをお持ちしました」


「ありがとうのぅ。メルゾさん?」


「はい」


「ドロゲンは来とるかの?」


「今日はまだ見かけておりません」


「そうかの……」


 この日、アルスを朝迎えに来たのは、ドロゲンではなく、組合の職員であった。

 その職員が用意した馬車で、アルスはここまで来たのだ。


「組合長」


「なんだの?」


「本日のご予定ですが、10時から理事会がありますが……」


「うん、出るでの」


「まだご無理をなさらない方が……」


「病院で寝てるだけではの、暇で暇での。無理言って退院させて貰ったがの、家に一人でおるのも暇での」

 

「うふふ」


「せっかくここまで来たのにの、座っておるだけではの、それもまた暇での」


「分かりました。でも、今日はその理事会だけで」


「そうだの。メルゾさんのいう事を聞くかの。理事会が終わったらの、家で休むとするかの」 


 10時近くになると、アルスはメルゾに付き添われ、理事会の行われる会議室へと向かう。


「組合長!」

「おー、組合長だ!」

「もう大丈夫なのですか組合長!?」


 アルスが来ている事を知らされていなかった一部の理事たちが、驚きの声を上げた。


「まだ万全ではないからの、今日は部屋の隅で見学させてもらうからの」


「ええ、どうぞどうぞ。ささ、私の肩に手を置いてください」


「すまんの」


 アルスは会議室を見回して、ドロゲンを探す。


 ……どこだの? 


 この時ドロゲンはまだ来ておらず、時間ギリギリで会議室に入って来た。


 やっと来たかの。なにをしとったんかの……


 いつもの様に進行役の理事が立ち上がって口を開こうとしたその時、ドロゲンがそれを制止するかのように先に口を開く。


「ちょっと皆聞いてくれ」


 いつもと違う進行で、理事たちは軽くざわつき始める。


「ざわざわ」

「どうしたんだ副組合長は?」

「さぁ?」


 アルスも首を伸ばして、ドロゲンを見ている。


「実は俺から、決定が一つあるんだ」


「決定?」

「なんだそれ? 聞いているか?」

「いいや、全然」

「何の決定だ?」

「いくら副組合長とはいえ、一人で何を決めたんだ?」

「組合長の復帰祝いじゃないですか?」

「あー、なるほど。それですね」


 全員がドロゲンを見詰める中、大きく深呼吸をした後、口を開いた。


「組合長のアルス・ノアには、副組合長の俺の決定権によって、組合長を辞めて貰う」


 一瞬自分の耳を疑った一同は、目を丸くして驚く。


 アルス本人も言葉を失い、瞬き一つせずドロゲンを見ている。

 そんな中、最初に大きな声を出したのは、秘書のメルゾだった。


「どういうことですかそれは!? 副組合長、いったいどうしたというのですか!?」


 メルゾの言葉に続き、理事たちも各々声を上げる。


「そうだ! 何の決定権があってそんな事を!」

「副組合長! お前まさか、ずっと組合長が弱るのを、この時を待っていたのか!?」

「理事会も通さず、何を勝手な事を!」


 アルスを庇う理事が圧倒的に多かったが、それには理由がある。

 イドエで何か起きているのは、既に周知の事実であり、組合長のアルスは元々イドエの住人。

 そのアルスが組合長でいる限り、イドエと強固な繋がりが消えることは無い。

 イドエで作られている下着のおこぼれに与りたいと考えていた理事たちは、突然訳の分からない事を言いだしたドロゲンを容赦無く責め立てる。


「なんという横暴だ! 恥を知れ副組合長!」

「そうだそうだ! 理事の誰一人として賛成しないぞ!」

「冗談だとしても笑えないし悪質過ぎる!」


 この理事たちは、ドロゲンにヌンゲと同じ下着を作らせろと攻め立てていた者達であった。

 アルスはその様子を、黙って見ている。


 再びドロゲンが口を開く。


「俺が何故こんな事を言えるのか、中には知っている理事も居ると思うが…… フウラさん、あなたは知っているよな?」


 フウラに全員の視線が集中すると、立ち上がって口を開く。


「……ヌンゲが組合長の座を狙っていた時、私と副組合長は、皆から信頼の厚いアルスさんに、組合長選に出るように頼みました」


 理事たちはフウラの言葉を大人しく聞いている。


「アルスさんが出るならと多くの指示を得て、見事に組合長になられた」


「ああ、そんな事は覚えている。それがどうしたというのだ!?」


 理事の一人がそう問いかける。


「その時、アルス組合長は二つ条件を出した。あの時指示してくれた理事には説明したと思うが、覚えていますか?」


「二つ?」

「私は知らない」

「そういえば……」

 

「一つは、ドロゲンを副組合長にすること」


「……」


「あと一つは……」


「……」


「副組合長の一存で、組合長をいつでも更迭する事が出来るというものです」


「なんだそれは!? 私は知らなかったぞ!」

「私もだ! 知らない理事が居る限り、そんなものは無効に決まっている!」

「そうだそうだ!」

「副組合長! あんたって人は! 組合長にどれだけ世話になったのか、忘れたのか!? 見損なったぞ!」


 ドロゲンを罵倒する理事がいる中、突然ドロゲンの肩を持つ理事も現れる。


「全員が知らなくても、そういう決め事がったというのなら、それは従うべきでしょう!」

「そうですねぇ。組合長が自ら付けた条件なら、それに従うべきですね」

「そうだそうだ!」


 この者達は、アルスさえ追い出せば、自分に組合長になるチャンスがあると思っている者達であった。


「黙れお前達!」


「黙れとは何だ!? 組合長が自分で決めた事だろう! 私は副組合長を支持する!」  

「私もだ! 副組合長を支持するぞ!」


 野心に目が眩み、情勢が読めない馬鹿共が! 今ここでイドエとの絆を切ってどうするというのだ!?


「静かにしろぉ!!」


 今まで誰も聞いた事も無いドロゲンの大声で、理事たちは口を閉じる。


「みんな、これは決定だ」


 ドロゲンは、部屋の隅で椅子に腰を下ろしているアルスを見詰めて口を開く。 


「組合長、異存はないか?」


 全員の視線が、アルスに集中する。


「……ドロゲン、お前がの、そう決めたのなら、異存はないのぅ」


 アルスのその言葉を聞いた理事たちは、再び各々の思いを口にする。


「ふざけるな! こんな事は認めない!」


「お前こそふざけるな! 組合長が異存がないと言っているではないか!」


 ドロゲンに賛成する者とそうでない者達は、席から立ち上がり、距離を詰めて言い合いを始める。

 

 そんな騒然とした中、ドロゲンは部屋の隅で座っているアルスの元へやって来た。


「……爺さん」


「……なんだの?」


「こんな終わり方になって申し訳ないけど」


「……」


「組合の事も、俺の心配も、何にも気にしなくていいよ」


「……」


「だからよ、イドエに帰っちまえよ」


「……」


「何かが起きている今のイドエなら、しれっと帰れば、大丈夫なんじゃないかな」


「……そうかもしれんの」


 アルスとドロゲンは、周囲の喧騒など聞こえていない様に、静かに見つめ合っている。まるで、出会ったあの日から、今に至るまでの全てを思い出しているかのように……


「爺さん……」


「なんだの……」


「これは…… これは親孝行に、なるかな?」


 涙を流しながら、そう口にしたドロゲンを見詰めているアルスの頬にも涙が伝う。


「あぁ、なるとも…… なるともの」


 全てを理解したメルゾの瞳も潤んでいる。


 アルスはこの数日後、18年暮らしたセッティモを後にし、ゼスに付き添われてイドエに向かう。


「おおおー、帰ってきたの!! アルスだの! アルスが帰って来たの!」


 シャリィからアルスの帰郷を聞かされていたロス達は、門の前で出迎えていた。


「久しぶりだの、ロス……」


「老けたのぅ、アルス……」


「……お前もの」


 二人は強く抱きしめ合う。


「アルス!」


「おぅー、ルスク!」


「久しぶりに、勝負するかの!?」


「18年振りに会って、いきなりそれかの?」


「わしはの、今か今かと待っとたんだの!」


 ルスクのその言葉で、ロス達は口元に微笑を浮かべる。


「フフフ、お前なんぞの、相手になるかの! わしはセッティモでずっと現役だったんだの。20年も服飾から離れていたお前では、相手にならんの」 


「現役いうてもの、編み式じゃないだろうの!? わしはここ最近毎日やっとったでの。わしに分があるでの!」


「よーし、そこまでいうのなら、やるかの!?」


「あー、今すぐにやろうかの!?」


 アルスとルスクのやり取りを、集まっている者達は笑顔で見ている。


「スピワン、魔法機がある所に案内せえの!」


「プロダハウンだの」


「お~、懐かしいのぅ~。あそこに置いてあるんかの~。そういえばの、家の地下に素材やら魔法石を隠しておったがの」


「そんなもんの、わしがとっくに見つけて、もう使わせてもらっておるの」 


「ルスク! 勝手に人の家に入るんじゃないの!」


 アルスのその言葉で、その場に居る全員が大声で笑う。


「そりゃすまんのう。あははははは」

「ワハハハハハ」

「うひゃひゃひゃひゃ」

「フフフフフ」


 その様子を、少し離れた場所から、シンとユウが笑みを浮かべて見ていた。

 

 この日アルス・ノアは、18年振りに故郷であるイドエに帰郷した。




 話は数日前にさかのぼる。


 ここはアルスが入院していた病室の隣の部屋。

 そしてさらに隣の部屋では、ゼスが一日だけ入院していた。 

 その病室では、意識を取り戻した3人の者が、何やら話し合っている。


「組が…… 組が無くなっちまった……」


「俺達が気を失っている間に、いったい何があったんですか兄貴!?」


「兄貴、どういう事なんだぜ~?」


 兄貴と呼ばれるAは、聞いた話をゆっくりと語り始める。


「さっき…… 病院の前で会ったうち爺ちゃんがいうには……」


「知っているか? 兄貴に瓜二つの爺ちゃんなんだぜ~」


「そう、その爺ちゃんが言うには、俺達が気を失っている間に抗争があって、組長も兄貴たちも全員行方不明…… つまり、組は潰れちまったらしい……」


 シンとピカワン達に殴られて入院していたチンピラABCの三人は、コンクス組幹部、マザキン・チベクの立ち上げた、チベク組の見習いであった。

 

「そんな…… 兄貴、俺達これからどうすればいいの?」


「俺達けっこう無茶してきたからな…… 何処かの組に入れて貰わないと、このままヤクザを辞めてカタギになったら、恨んでいる奴等に狙われちまうだろうな……」 

「どうしよう…… どこの組にいれてもらいやすか兄貴!? 当てはあるんですよね?」


「……ない」


「え~~」


 オロオロと慌てふためくBを、Cは黙って見ている。

 そして、シンに殴られて折れた歯の隙間を、確認するかの様に指で触る。


「……俺は決めたんだぜ~」


「うん? 何処の組に入るつもりだ?」


「兄貴、そうじゃないんだぜ~」


「はぁ?」 


「これを機に、足を洗うんだぜ~」


「おっ、おおおおお前!? 兄貴の話を聞いて無かったのか!? このままカタギに戻ったら、俺達は誰かに狙われちまうんだぞ!?」


 チンピラCは、少し間を空けて口を開く。


「それでもいいんだぜ~」


「……」

「……」


「それでも俺は、これを機に小さな頃からの夢を追いかける事に決めたんだぜ~」


「……夢?」

「……夢?」


 チンピラAとBは、ハモった。


「そうなんだぜ~。さっそくで悪いけど、俺はもうおいとまさせて貰うんだぜ~」


 そう言うと、Cは病室から出ようとドアに手を掛けた後、突然振り向く。


「兄貴……」


「お、おう……」


「あんまり世話になってないけど、世話になったんだぜ~」


「はぁ……」


「お前も元気でいるんだぜ~」


 Bにそう言ったⅭは、病室を後にした。

 そして、治療費も払わず病院から外に出ていったCは、晴れあがった空を見上げる。


「ふぅー。これで、身軽になったんだぜ~」


 そう口にしたCの目の前を、一人の老婆が歩いている。


「おい、そこのババァ。止まるんだぜ~」


「……はぁ? あたしのことですかい?」


「そうなんだぜ~」


「なんでしょうか?」


「聞きたい事があるんだぜ~」


「はぁ……」



 元チンピラCは、子供の頃からの夢を口にする。



「有名な俳優になる為には、どうすればいいんだぜ~」


「……」


「どうしたんだぜ~。早く教えるんだぜ~」


「……うーん」


 この数年後、元チンピラCことドニット・イスタンソーンは、個性派俳優として舞台デビューし、夢を叶える第一歩を踏み出した。

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