130 雨
元はイドエの住人で、ロス達の戦友とも呼べるアルスが襲われた事を、シンは自分の配慮が足りなかったと、そう言って謝罪した。
アルスの噂は聞いておったがの、己の為じゃなくての、まだイドエの為にそこまでしてくれていたとはの……
アルス…… お前は戦っておったんだの……
ずっと…… あれからもずっと、この村の為に……
シンがアルスの事を知ったのは、シャリィから報告を受けた時である。
それでもシンは、自分のミスだと感じていた。
ロス達は、昔の仲間が襲われた事で心を痛めていたが、一命は取り留め、さらにシャリィが護衛を付けてくれた事を聞いて安堵する。
そして、アルスのその意志に答えようと、今まで以上に下着の制作に取り組むのであった。
組合長室で襲われてから二日後、病院の一室でアルスは意識を取り戻す。
こ…… こは…… ど、こだの…… ドロ…… ゲン……
「うん? おっ、目を覚ましましたね」
アルスにそう話しかけた警備は、部屋の入口に立っている者に看護師を呼ぶように伝える。
「う…… うぅ……」
「今看護師さんか医者が来ますので」
アルスの目には、2人の警備の姿が映っていた。
そしてこの2人以外にも部屋の入り口に2名、病院の入り口に2名、裏口にも2名の警備が配置されており、その数は総勢8人。
貴族でもないアルスには過剰ともいえる人員であったが、その理由は、嫁の上司であるアルスにドバルが配慮した為であった。
意識は戻ったものの、出血の酷かったアルスはまだ話す事もベッドから起き上がる事も出来ず、ただ横になっているしかない。
コンクス組若頭のクーク・リゲートは、事件直後に警備館に呼び出されると、素直に従い自ら赴く。
アルスの件は組に無関係だと一貫して否認しており、実行犯の若い衆も、組の関与を否定した。
アルスを襲った理由は個人的な怨みだという供述を、ただ繰り返すばかりであったが、その内容を聞かれると、口を
クークは拘束される事無く、その日のうちに帰され、若い衆単独による犯行ということで処理されようとしていた。
「ドバルさん、お先に失礼します」
「お疲れ様」
ドバルは警備館で、激しく振っている雨を窓から見ている。
個人的な恨みだと…… 馬鹿らしい! 服飾組合長と、クーク組のチンピラ、いったい何処に接点があると言うのだ!
事の発端は、メルゾが言っていた通りに違いないはず……
だが、警備の上層部と
このまま、掘り返される事無く、終わる事になるだろう……
しかし、コンクスの奴は何を考えているのだ……
Sランク冒険者が関わっているイドエに手を出すとは!?
ドバルはその事を上司に進言する為、部屋を後にする。
その頃、アルスを襲うように命じたコンクスは、不機嫌であった。
二日経っても、奴らにはまるで動きがない……
シノギを潰されて、黙っていられるはずがない。それなのに、奴らが街道やこの町に現れたという話は、一向に入ってこない。
いったい、いつになったら現れるのだ!?
まさか、この町の現状が、耳に入っていないなんて事はあるまいな……
「
「はい」
「そのイモテンとかいう食い物もランゲも、もっともっと盛大に売り出させろ。ストビーエ、ケターイ、ラノーミ、アカーワ、エダオ、他にも本家の息のかかっている全ての町や村でだ」
「分かりました。失礼します」
これで、嫌でも耳に入るだろう。
もし…… もしこれでも来なければ……
私を
ソファーに座っているコンクスの足は、ガタガタと激しい貧乏ゆすりをしていた。
シン達に喧嘩を売って以来、各個撃破を恐れていたコンクスは、他の組員と共にすし詰め状態で組事務所に籠りその襲撃を待っていたのだ。
いつまで降るのだこの雨は!? そのせいで、余計に気分が悪くなる!
こんな時にサンリでも居れば、幾分か抑えられるだろうに……
その頃イドエでも雨は降っていたが、いつもと変わらない、いたって平穏な日々であった。
そして、着々と来るべき日の為の準備を続けていた。
「どうかのシン君?」
「バッチリですよ。これは最高の下着です。女性物と分かっていながら、今すぐにでも履きたいぐらいですよ」
「ふははは、そりゃ、最高の誉め言葉だの! ぶはははは」
「あはははは」
「むほほほほ」
みんなが笑う中、ルスクはポカーンとした表情をしている。
それに気づいたスピワンが声をかける。
「……ルスク、どうしたんだの?」
「シン君が言った事は、そんなにおかしいかの?」
「うん?」
「わしはの、試作品をもう履いておるでの」
そう言って、ズボンをずらした。
「……」 「……」 「……」
それを見た者達は、無言で各々の仕事へと戻ってゆく。
「どうしたんだの?」
ルスクの問いかけを無視する形で、その場に居る全員が仕事に集中し始めていた。
「うーん? 本当にどうしたんだの?」
職人なら自分の作った物が一番最高で、使用するのは当たり前だと、ルスクはそう思っていたのだ。
ふふ、面白い人だルスクさんは……
シンは魔法機に座っているロスに目を向ける。
ロスさんは俺に言った通りの日程で、下着を制作した。
それに…… ヨコキさんも順調だ。俺の思っていた以上のものを持っている。
オスオさん達は、自分達で新しい天ぷらの具材を試し始めたし、ピカワン達のビートボックスも上達している。
あとはユウ……
シンは笑みを浮かべる。
楽しみだよ……
ロス達が魔法機で下着を製作している上の階では、ユウ達が今日もダンスの練習をしている。
ユウはリン達、ナナはキャミィに教えている。
「うちの言った通りだっペぇ」
「うん」
「ユウ君が教えていた時より、覚えが早いっペぇ」
そう言ってナナが笑うと、キャミィも笑顔になる。
事実ここ数日ナナに教えて貰うようになってからというもの、キャミィは目に見えて上達していた。
それは、ナナの教え方だけではなく、みんなとの距離が縮まった事も大きい。
大家族の様に大人数で暮らしてきた環境から、知らない者達に囲まれ一人だけ違う事をしている今の状況は、精神的な負担が大きく、軽いパニック状態を起こしていた。
その結果、いつも以上に物覚えが悪くなっていたのだ。
だが、ナナが心を開いてくれ、リンや他の者達とも関係を築けてきた今、キャミィは生まれ変わったと言っても過言では無い。
そしてこの件は、ユウの心にも大きな変化と更なる成長を与えていた。
「うんうん! みんな凄く良いよ! 少し休憩しましょう」
そう言ってトイレへ向かったユウは用を足すと、魔法機の見学の為に、ロス達を訪ねる。
ナナ達はそのままスタジオに残る。
そして、みんなで輪になって床に座り、息を整えた後、話を始める。
その中には、キャミィも一緒に居る。
「ふうー、疲れたっペぇ」
「クルクル~、クル平気だよ~」
クルちゃん…… 可愛い……
キャミィはクルを妹の様な目で見ていた。
「クルはいつも元気だからね」
リンは息を整えながらも、ナナを見詰めている。
「何だっペぇ?」
「何か進展はあったぺぇか?」
「な、なんのことっぺぇ……」
「また惚けるでねぇっぺぇ。ユウ君のことに決まってるっぺぇ」
リンのその質問に、この場に居る全員が興味津々で耳を立てる。
「うっ…… なっ……」
ナナは頬をピンク色に染めて俯く。
そうだよね、だからあんなに怒って……
勘付いていたキャミィは、自分に怒りを向けたナナの行動に納得する。
「別に…… 何もないっペぇ……」
「クルクル~」
「前にも言ったっぺぇ。ユウ君は鈍感だっぺぇから、グイグイ行くっペぇ」
「そ、そんな事言われても……」
ふふ、照れてるナナちゃん可愛い。
キャミィがそう思っていたその時、急いで階段を上がってくる音と振動が伝わってくる。
「誰だっペぇ?」
それはユウだったのだが、いつもと様子が違うのに全員が気付き、不思議に思ったリンが問いかける。
「……どうしたっぺぇ?」
「え? え…… う、うん。別に……」
鼻を気にしているユウのおかしな態度に、何かを勘繰ったナナは立ち上がると、ドアを開けて階段を降りて行く。
「あー、ナナちゃん! どこ行くの!?」
ユウの問いかけに無言のナナが向かった先は……
「うっわー、今日の下着やっべぇー、やっべーぞ!」
「アリエ、似合ってる~」
「そうかの?」
アリエはロスの真似をして返事をした。
「それ似てるから~。あははははは」
「めちゃくそ似てる!? ぎゃはははは」
この下着、本当に素敵…… 自分でも見とれてしまう……
みんなが笑っている中、ロエは鏡の前でポーズを取っていると、そこにナナが現れる。
「あれ? ナナちゃんだっけ? どうしたの?」
「もしかしてさっきここに、ユウ君きた?」
「来たよ。カーテン開けて入って来たと思ったら、私達を見て鼻血出しながら逃げ出して行ったよ」
その言葉を聞いたナナは、一目散に二階へと続く階段を駆け上がる。
「ダダダダダ」
「え!? こ、今度は誰だっペぇ!?」
「バン!」
もの凄い勢いで開いたドアにみんなの視線が集まる。
するとそこには、鬼の形相をしたナナが立っていた。
「ユウ君!」
「なっ、何?」
「またあの子たちの裸を見たの!?」
その場にいる少女達の視線が、ナナからユウに注がれる。
「み、みみみ、見てないよ。魔法機を見に行って、カーテン開けたら居たから、直ぐに目を逸らしたから見てないよ!」
ユウがそう答えると、少女達の視線は再びナナに向く。
「じゃ、どうして鼻血を出したの!?」
視線は、またユウに注がれる。
「そっ、それは……」
言葉を失ってしまったユウに、少女達の視線は止まったままだ。
「どうしてそんなに裸が見たいの!?」
少女達は、そう言って距離を詰めてきたナナとユウ、二人を見ている。
「みっ、見たい訳じゃなくて、そのっ…… 偶然見てしまって……」
その言葉で、ナナの全身がわなわなと震えだす。
「やっぱり見てたんじゃない!」
ナナの右フックが、ユウの左頬にクリーンヒットした。
「ぶぇ!」
「魔法機を見に行くのは、もう禁止だから!!」
「はっ、はい! もう見に行きません!」
二人のやり取りを見ていたキャミィは、微笑を浮かべながら口を開く。
「やきもち焼いているナナちゃん…… 可愛い……」
「何処がだっペぇ……」
リンがそう突っ込みを入れた。
セッティモ服飾組合では……
あの日、アルスの秘書メルゾから一命を取り留めた事を聞き、さらに少し前に意識が戻った事を聞いて一安心していたドロゲンであったが、別の大きな問題が押し寄せていた。
「副組合長」
「……」
「ヌンゲは今話題の下着の素材を、組合を通して仕入れているのですよね?」
「そ、そうだな……」
「それなら、あの下着は組合の共有財産、そう判断しても宜しいのでしょうか?」
「いや、そういう訳じゃないだろ」
「いいえ、そういう訳ですよね」
わざわざ組合を通したのは、これが、この混乱が狙いだったのか……
別の理事も口を開く。
「組合の物なら、私達にも作る許可を頂きたい。ヌンゲの許可を貰わなくても、組合長不在の今、副組合長の許可あれば問題ないですよね?」
「そうですよ。今まで組合長に付いて来た私達に、均等に分けて下さいよ」
「い、いや…… あ、あれは……」
「あれは? 何ですか?」
「あれは…… イドエの物なんだ。ヌンゲが勝手にイドエの物を」
無論この場にいる理事たちは、誰もが既にその情報を知っていた。
理事の一人が、ドロゲンの言葉に被せる。
「副組合長! イドエとこの組合、どちらの利益を優先するつもりですか!?」
「いや、それは……」
まいったな、爺さんが大変な時に……
「このままでは、ヌンゲに独占されてしまいますよ! そうなれば、我々が苦労して削いだヌンゲの勢力が再び」
「そうですよ! 現にトルペとライラは私達側ではなく、再びヌンゲの元に戻ったではありませんか!?」
「……」
「副組合長!」
「なんだよ……」
「こんな事は考えたくもないが、もしかして元々イドエ出身の組合長は、この組合よりイドエを重視しているなんて事はないですよね?」
「そっ、それは……」
「どうしました? ハッキリ無いと、おっしゃって下さいよ、副組合長!」
「……」
言葉に詰まっているドロゲンを見た理事たちは、ヒソヒソと何やら耳打ちを始める。
「副組合長が許可をしてくれないのであれば、私達はヌンゲに会いに行ってきます」
そう言うと、数人の理事が部屋を後にしようとして、ドアに向かって歩き始める。
「まっ、待てよ!」
引き留めたドロゲンを、理事たちは見詰めている。
「もう少し、もう少し待ってくれ! 組合長は必ず戻ってくる! それまで、それまで待ってくれ! 頼む」
ふん、死にぞこないの組合長など、もうどうでも良いが……
まだ
「良いでしょう。組合長が戻ってくるまで、待ちましょう」
「本当か! ありがとう」
「ただし、数カ月も待てませんよ。二日……」
「二日……」
「ええ、二日だけ待ちます。ですがその間も、ヌンゲがどれ程の利益を独り占めするのか、考えればわかるでしょう。本来なら、今すぐにでも対策を講じないといけないのですよ」
「……分かった。二日だけ待ってくれ」
ドロゲンの言葉を聞いた理事たちは、副組合長室を後にして廊下に出る。すると数名の者が素早く近付き、取り囲むかのようにして一緒に歩き始める。
そう、この者達は、理事たちが己の警護の為に雇った冒険者である。
「よく降りますなー。大雨じゃないですか……」
一人の理事が、窓から外を見てそう呟く。
その言葉で外に目を向けた理事たちは、雨を見詰めた後、歩きながら口を開き始める。
「二日も待っていて良いのでしょうか? このままではヌンゲが……」
「はぁー…… ヌンゲを落とす為に二人を祭り上げましたが、どうやらあの時の判断は、間違っていたようですね」
「組合長はあれほど滅多刺しにされていては、意識は戻ったといえど、早くても数週間は回復まで時間がかかるでしょう。その間に、もう戻って来る席はありませんよね」
「ですな…… 組合長もドロゲンも、もう終わりでしょう」
二日待つと返事をした理事が口を開く。
「いいや、まだ使い道はある」
「ほう、どのような?」
「ヌンゲの力を削ぐ為には、あの下着を作る許可を、副組合長は嫌でも出すしかない」
「……」
「だが、そうなれば、ヌンゲの裏に居る者が再び動くかもしれない」
「……」
「その時、
「……なるほど、盾としてまだ使えると、そういうことですね」
「そうだ……」
だが、冒険者嫌いで警護を付けないその盾は、恐らく一度の攻撃で壊れてしまう。
その後は…… その後私達は、どうすれば良いのだ……
ドロゲンは、理事たちの去った部屋で一人苦悩していた。
どうすればいいんだよ…… イドエの復活を許さず、最初から邪魔すれば良かったのか…… いや、爺さんがそんな事する訳無いし、今更そんなこと考えても仕方ないだろ。
二日の間に爺さんが戻れないのなら、俺が、俺が決めるしかない……
ドロゲンは、頭を抱えながら深く考える。
今優先すべきなのは、ヌンゲの力を削ぐことだ。
それなら、許可を…… 下着を作る許可を出すしかないのかよ……
だけどそうすれば、爺さんがあそこまでして守ろうとしたイドエは……
結局ドロゲンはこの時、何も決める事が出来なかった。
教会の一室で、ブラッズベリンはレリスから報告を受ける。
「それでは、何の動きも無いと?」
「はい。イドエからの報告では、何も起きていないかのように平和で、いつも通りに過ごしているそうです」
……つまり、全ては想定内という事だろう。
「どう決着をつけるのか、シン・ウース」
笑みを浮かべてそう呟くブラッズベリンを、レリスは見ている。
私も、楽しみ……
次の日。
コンクスの命令通り、周辺の町や村で芋天もどきとうどんの様なランゲ、それに下着までもが朝から売り出されている。
この日も引き続き雨だというのに、売れ行きは上々である。
だが、夕刻になってもイドエには何の動きも無い。
その報告を聞いたコンクスは、我を忘れて怒り狂う。
「ふざけやがってぇ!」
そう言って、ソファーを持ち上げて落とした。
「ドカドカン」
下の階に居る若い衆は、その音を聞いて天井を見上げる。
「私には! 私程度では! 争う価値も無いと、そうとでも言いたいのか!?」
「……」
「若頭!」
「はい」
「今直ぐイドエに
「……はい」
若頭は直ぐに手配し、54名の者が馬と馬車でイドエを目指す。
組長室に戻ってきた若頭に、コンクスは再び指令を出す。
「あの
「……」
「確実にだ!」
「はい、直ぐに」
若頭のクーク・リゲートは、降りしきる雨の中、5名の
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