128 幕開け


 ドロゲンは買ったばかりの芋天を持って、組合長室の前に立っていた。


 さてと…… 爺さんにまずはどちらから知らせようか……

 先に悪い話をしたら、食い物が喉を通らなくなるかもしれない。それなら……


「爺さん」


「ドロゲン、何か分かったかの?」


「ん~、まぁな」


「教えてくれんかの?」


「いや、それよりもだな」


「それよりも?」


「これを食べてみないか? 爺さんには懐かしい食べ物だろ?」


 ドロゲンは袋を拡げて、芋天をアルスに見せる。


「……なんだの、これは?」


「ええー!? 知らないのかよ!?」


「知らんの」


「カアヤ噴水の露店で、イドエの人達が売ってたんだよ。イドエの伝統料理か何かだと思って爺さんに買って来たけど、違ったのかよ!」


「露店でイドエの……」


「そうだよ。まだ暗いうちにイドエを出てわざわざ来たって言ってたぞ」


 アルスは芋天をつまみ上げ、口に運ぶ。


「サクパリ」


 ……美味いの。この芋の味には覚えがあるがの、こんな料理は食ったことが無いの。つまりだの、服飾だけではなくの、新しい料理も考えてイドエを復活させようとしているんだの。

 本気度がの、伺えるの……


「もう食べたかの?」


「いや、まだだよ」


「食べてみろの、美味いの」


「どれどれ」


 ドロゲンも芋天を口に運ぶ。


「うん!? こりゃ美味い! 嫁と子供に食わしてやりたいよ!」


「わしはの、もうええからの。これを持って帰ってやれの。それでの、わしにヌンゲの話があるんだの?」


 その言葉を聞いたドロゲンは、一口かじった芋天を机に置いた。


「実はな爺さん。ヤダリから聞いたんだけど、ヌンゲはどうやったか知らないが、イドエが作る下着のデザインを手に入れて、もう似た物の制作に入っているらしい」


 ……やっぱりの。


「爺さん……」


 アルスの手は、ブルブルと小刻みに震えていた。


 何でも口に出す爺さんが、逆に無言で震えているなんて…… これは、かなり本気で怒っているな……


「ドロゲン」


「何だい爺さん?」


「ご苦労だったの。今日はまだ早いがの、その

食い物を持って家族の所に帰ってやれの」


「えっ? 何言ってんだ!? 今から対策を……」


 アルスはドロゲンの言葉に被せる。


「その代わりの、明日からはまたの、沢山動いて貰うからの」


「あ…… あぁ、分かったよ」


 ドロゲンは言われた通り、芋天を持って組合長室から出て行った。



 どうやらの…… 腹をくくる時がの、来たの…… 


 アルスの両手は、強く握られていた。



 

「すまんのー。ランゲも売り切れだの」


 うどんとハーブの天ぷらが入ったランゲも直ぐに噂が広まり、あっという間に売り切れになっていた。


「うっそぉー。あー、イモテンも食べれず、ランゲまでもか……」

 

「ウッシシシシ、俺は両方食えたぞ」


 一足先に来ていた友人が、ニヤニヤしながらそう言った。


「うるせー! なぁ、次はいつ店を出すの?」


 その質問に、イドエの者達は目を合わせる。


「すまんの、次はまだ未定だの」


「え~!? くう、それなら尚更食べたかったなぁ……」


「悪いの。お兄さんの顔は覚えたからの、次は裏でこっそり順番無しで渡すでの」


「本当!? いいの?」


「内緒だの」


「ありがとう! 毎日見にくるよ! じゃあな」


 客の男は笑顔で去って行った。

 そして、全ての客がいなくなると、オスオ達は馬車の裏に回り、歓喜の雄叫びを上げる。


「いー、やったの!」


「うほうほほほほほーい」

 

「全部売れたっペぇ!?」


「フォワフォワフォワフォワー」


「自分のお陰って言いすぎっぺぇフォワ」


「シン君!」


 オスオ達はシンを囲み、肩に強く手を置く。


「やったの! 大盛況だったの!」


 シンはただただ笑顔で答えている。


「気が早いかも知れんがの、次はいつ来るのかの?」


「そうだの。何人ものお客さんから聞かれたでの」


 その質問に、シンは少し間をあけて口を開く。


「そうですね。しばらくはこれないかな」


「うん? もったいないの。客がついたのにの」


「客がついてもの、イドエに来てくれんと意味が無いの。シン君はたぶんの、次は客をイドエに呼ぶつもりなんだの」


「あっ、そうだったの! あまりにも売れるからの、肝心な事を忘れとったの」


「わははははは、わしも忘れとったの」


「笑い事じゃないの。客全員がわしらをイドエの者と気付いておらんかったら意味ないの」


「いや~、そうだったの。すまんの」


 その話が聞こえたシンが、声をかける。


「大丈夫ですよ。シャリィが客に声をかけてくれていたみたいなので」


「えー、シャリィ様がそんな事をの!?」


「それは申し訳なかったの」


 オスオ達がシャリィに目を向けると、それに答えるかのように頷く。


 Sランク冒険者がの、そんな小間使いのような事までしてくれるなんての…… わしらは幸せ者だの。それならの、もっともっと頑張らんとの。


「では、片づけが終わったら、調査も兼ねて買い物でもしましょう」


 シンのその言葉に、真っ先に返事をしたのは……


「フォンワー」




 ドアの開く音で秘書が顔を上げると、アルスが出かけようとしていた。


「組合長、どちらへ?」


「少し野暮用だの」


「……」


 そう言って出かけるアルスを、秘書が見ていると突然振り向く。


「メルゾさんの」


「はい?」


「今日はもう帰ってええからの。わしもこのまま今日は戻ってこんでの」


「そうですか、分かりました。この仕事を終えたら、帰らせて頂きます」


「いつも世話になっとるでの、本当にありがとうの」


「え? い、いいえ」


 どうしたのかな急に礼を言うなんて…… まさか、引退でも考えているのかしら?


 外に出たアルスは、大きな息をつく。


「ふぅー」


 さてとの……

 

 目的の場所に向かう為、商店の並んだ通りを歩くアルスの耳に、懐かしいアクセントが聞えて来る。


「うほほ~、この髪飾りを見てみろの。うちのかぁちゃんに絶対に似合うからの~」


 ダガフが手に持っている髪飾りは、赤とピンクとオレンジ色が混ざり、実に派手な色合いであった。


「うーん、悪く言う訳では無いがの、これは若い子向けの髪飾りではないかの?」


「なーにを言うとるんだの? うちのかぁちゃんは十分若いでの!」 

 

「フォワフォワ~」 


「いらん事言うでねぇっぺぇフォワ」


 この時フォワは、ストレートな言葉を口にしていた。


「これをくれの。いくらかの?」


 本気で買う気かの……


「もう少しの、他のも見たらどうだの?」


 それとなくダガフを止めるオスオを、アルスは歩みを止めて、薄っすらと笑みを浮かべて見ている。

 

 この町にもの、元はイドエの者達が沢山移り住んでおるの。自ら望んで来た者、仕方なく来た者、わしのように強制的にこらされた者と、さまざまだの。

 わしはの、何かあった時そいつらの迷惑になるかもしれんと思っての、距離を取っておったがの。

 久しぶりに聞くその方言はの、実に心に沁みるの……


 オスオ達の笑顔を見たアルスは、決意を新たにして、再び歩き始める。



「フォワフォワフォワ」


「フォワ、そんな女物の髪飾りを誰に買うっぺぇ?」


「フォワ」


「内緒? ……フォワに、そんな相手が居たっぺぇ?」


「フォワ~」


「言うっペぇ! 誰だっペぇ!?」


「フォワ!」


 押し問答をするピカツーとフォワのすぐ隣を歩いて行ったアルスが向かった先は……


「急で悪いがの、トルペはおるかの?」


 応対した者は、アルスが訪ねてきたことをトルペに伝える。


「何、組合長が!?」


 入口まで出てきたトルペの目に、アルスの姿が映る。


「……これはこれは、どうされました組合長」


「話があるでの」


 組合長が一人で私を訪ねて来るなど…… それなりの話であろう。


「……どうぞ、こちらへ」


 突然訪ねてきたアルスを、トルペは戸惑いながらも招き入れた。



 

 数時間後……


 暗闇の中、月明かりに照らされた馬車が見えると、門番が声をあげる。


「……帰ってきたでごじゃるね!」


「おっ、本当だ!」


「知らせてくるでごじゃるよ」


「おぅ!」


 門番の一人は、オスオ達を待つ者達が集まっている食堂に走り伝える。

 すると、ジュリやモリス、タガフの嫁マイジ他、数十名の者達が食堂から出てきて門へ向かう。


 

「シンさん、皆さん、おかえりでごじゃる」 


「ただいま」


 ……みんなのその笑顔からして、上手くいったようでごじゃるね。


「村に異常はない?」


「勿論大丈夫でごじゃるよ」


 真っ直ぐにシンを見て、そう答える門番。 


「お父さーん!」


「おー、ジュリ! 帰ったからの。土産があるぞー」


 ダガフは首を伸ばして嫁を探し、その姿を見つけると、大きな声を出す。


「おー、かぁちゃん! 無事に帰ったでの!」


「心配なんてしてないから報告はいらないよ!」


 その言葉を聞いたダガフは、シン達に向けて口を開く。


「あんな事を言いながらの、迎えに来てくれておるの。ウヒ」 


 それを聞いたシン達から、笑顔がこぼれる。


「ねぇねぇ、みんな無事かい?」


「当たり前だの、わしは元気だの」


「だからあんたはどうでも良いんだよ! シン君大丈夫?」


「え? あ…… はい、大丈夫です」


「かぁちゃん! 嘘でもわしの心配をしろの!」


「それで、売れ行きの程はどうだったんだい?」


「無視かいの!?」


 マイジの質問に、オスオが笑みを浮かべて答える。


「ぜーんぶ、売り切れたの! イモテンもランゲもの」


「えーー!? 本当かい!」


「かぁちゃんに見せたかったのー。それはそれは長い行列が出来ててのー、このわしがの、全部捌いたからの~」


「みんな聞いたかい? 両方売り切れだって!」


「いや、かぁちゃん。わしの話を聞いとるかの?」


「シン君もみんなも頑張ったんだね。あっと、馬車の荷物を降ろすのを手伝うよ」 


「だから、かあちゃん。わしの話を……」


 全員で荷物を降ろす中、一人ションボリとしているダガフの頬に、マイジが突然キスをする。


「チュッ」


「え……」


「これ以上のご褒美は、二人っきりになってからね」


「かぁちゃん……」


 キスをされた頬に手を当て、マイジを見つめるダガフ。


「……オスオ!」


「な、なんだの?」


「その荷物はわしに任せるでの! ホイホイホイ!」


 急に元気になったダガフを、みんなが不思議そうに見ている中、シンは片付けをしながら辺りを見回すが、そこにユウの姿はない。

 だが、少し離れた場所にレティシアが立っている事に気付くと、シンは笑顔で頷く。

 すると、レティシアもシンと同じ様に、笑顔で頷くのであった。

 そして、全ての片付けと、食堂での土産話を終えたシンは、レティシア邸に向かう。



 その頃セッティモでは……


「ではの……」


「はい。これからもお願いします、組合長」


 あの後、さらに別の場所も訪ねていたアルスは、暗い中一人自宅へと戻る。


 ……これでの、準備は万端だの。

 ヌンゲ…… 絶対にの、何があってもの、イドエの邪魔だけはさせんからの。

 



 次の日……


 ユウが目覚めると既にシンの姿はなく、バニを済ませると、一人食堂へ向かう。


「あ、おはようございます、シャリィさん」


 食堂では、シャリィが一人で朝食を取っていた。


「おはよう」


「昨日は早く寝ちゃってて、セッティモの話をシンから聞いて無いのですけど……」


「イモテンもランゲも完売して、全て順調だ」


「本当ですか!? それは凄い! 良かったです……」


 僕も…… 僕も頑張らないと……


 アイドル以外の事が上手く進めば進むほど、今のユウには、それが大きなプレッシャーとなってのしかかるのであった。




「爺さんおはよう! 昨日のイモテンとかいう食べ物、うちの子供が大喜びだったよ! 凄いなイドエの料理は!」


「そうだの……」


 ドロゲンは、アルスの様子がおかしい事に直ぐに気付く。


「爺さん……」


「よく聞けの、ドロゲン」


「え? な、何をだ爺さん?」


「わしはの、覚悟を決めたの。ヌンゲをの、組合から追放するの」


「えっ!? けっ、けどそれをすると、組合に敵対する新しい組織を生み出すかもしれないって爺さんが……」


「悪い人間にもの、それなりに使える所があっての」


 いったい何の話だ?


「それなりに付き合いをしておけばの、いつか自分や友人の為になる。毒はの、時には薬にもなるからの。やみくもに捨てるのは間違っておるの。今まではそう思っておったの」


「……」


「昨日の、あれからトルペとの、ラビラと会って来たんだの」


「トルペとラビラ……」


「落ち目のヌンゲといつまでくっ付いておるつもりか聞いての、それなりの席を用意してやると言うたらの、組合に寝返ると、そう約束してくれたの」


「トルペとラビラがヌンゲに見切りをつけたって言うのかよ? それって本当なのか!?」


「そうだの。ヌンゲ派の中でもの、大きな派閥を持っている二人だの。あの二人がこちらに付けばの、残った数ではの、組合に対抗する組織などの、作ったとしても脅威にもならんの」


 あの二人が本気でこちら側に寝返るのなら、他の奴らも組合側に……


「だけど、爺さん! その二人は本気でヌンゲを切るつもりなのか?」


「地位と仕事をチラつかせてやったらの、悩んではおったがの、首を縦に振ったからの。奴らの繋がりなんぞの、所詮その程度だの」


 そうかもしれないな……


「わしとの約束を破棄するならの、その時は奴らも切ればいいの。わしのその考えはの、あの二人は昨日で分かっておるはずだの。だからの、もう引き返せないの」


「……」


「これからはの、あの二人をアメの量で上手く操作するでの。その辺りのことはの、わしがもう考えておるでの。後で教えるから心配いらんでの」


 たぶん、理事の席をチラつかせたんだろう。

 だけど、それだと他の者達からの反発が……


「これでヌンゲを組合から追放する準備は万端だの」


「爺さん、追放の理由は何にするんだ?」


「お前が言っていたようにの、組合外で仕事を受注している件とかの、今回のイドエの事でも、理由なんぞどうでもええの!」


「……」


「わしは組合長だの! その組合長が追放だと言っておるんでの、それでええんだの! ヌンゲだけはの、ヌンゲだけは絶対にゆるさんの! 奴はの、毒にしかならんの!」


 怒りから、珍しく己を見失っている……


 ヌンゲを抜きにしても、組合は決して一枚岩とは言えない。組合長の座を狙っている奴らは他にもいる。

 今回爺さんの決断を良く思わず、今まで従っていたの者の中から、反旗を翻す者が出て来るかも知れない。

 いや、これはチャンスだと思い、きっと出て来るだろう。

 つまり、ヌンゲをすんなり切れたとしても、それで終わりじゃない。新しい争いの始まりになる。

 本来ならここは、反対するべきなんだろうな……

 だけど、今まで身を粉にして組合の為に貢献してくれた爺さんの願いも、聞いてやりたい。

 

「ドロゲン」


「……うん?」


「お前がの、直接理事の所を回って伝えてくれるかの? 今日の13時の理事会での、その件で決を採るとの」


「……先に全部話していいのか?」


「ああ、かまわんの。もう既にヌンゲの耳にも入っておるだろうしの、理事の中にも、もう知っている者達もおるだろうの。他人の物を盗んで売る様な奴はの、組合に必要無いと、そうみんなにハッキリ言えの」


 ドロゲンは頷く。


「これはわしの決定だと伝えての、もし反対する者がおったらの、そいつも追放するとわしが言っていたと、そこまで言えの」


「……」


「そうすればの、反対する者は出てこんだろうからの」


 そこまで…… 爺さん……

 今までの功績を全て無にしてまで、その後に生まれる争いも無視して、そこまでしてイドエを……


「……分かったよ、爺さん」


 承諾したドロゲンは、組合長室を後にする。


 爺さんの…… 爺さんの好きにさせてやろう。

 それが…… それが、俺の親孝行だ。



 その頃ヌンゲは、出来上がった試作品を持って、コンクス組事務所を訪ねていた。


「いかがでしょうか?」


 コンクスは、机に置かれた試作品に一瞬だけ目を向けるが、手に取ろうとしない。


「あ、あの……」


 出来上がった試作品を、服飾の素人である自分に見せる時間が無駄だと考えており、少々不機嫌であった。


「出来上がったのなら、さっさと売り始めろ」


「はい、何でしたら、今日からでも売り始めますが……」


「どうした?」


「それが……」


「問題があるのなら、早く言え!」


「はい…… 実は、組合長が今日の理事会で、私を組合から追放するという話を聞きまして」


「……」


「お恥ずかしい話しですが、今まで私に付いて来ていた者の中から、組合に加担する者が……」


「……」


「その…… 多数出ておりまして……」


「それがどうした?」


「は、はい?」


 コンクスの狙いは、自分を組合長にし、裏から組合を手中にする事だと思っていたヌンゲは、その言葉に驚愕する。


「わっ、私が組合から追放されれば」


「そんな事よりも、言われた事をやるのだ!」


「え、ええ、勿論致しますが、このまま多数の者が私の元から去れば、大規模に販売することは出来ず、そこら辺りの露店並みの規模でしか売る事が出来ません」


 チッ、私が今まであれほど仕事を与えてやっているというのに、それでも部下を繋ぎとめる事が出来ないとは、使えない奴だ。

 

「お前の追放が決定する理事会は何時だ?」


「13時です」


 コンクスは時間の確認をする。

 

 まだ3時間もある……


「分かった。その件はこちらで手をうっておく」


「あっ、ありがとうございます。ですが……」


「心配する必要は無い。離れて行こうとした者達はお前の元に戻ってくる。その時は、叱咤せず何事も無かったかの様に受け入れて、私の計画を滞る事無く進めろ。分かったな!?」


「は、はい。承知しました」


「では、その試作品を持ってさっさと帰って仕事・・をしろ!」


「はい、失礼します」


 ヌンゲが去って行くと、コンクスは若い衆わかいしに声をかける。


「おい、若頭カシラを呼べ」


「はい!」


 数分後、コンクス組若頭、クーク・リゲードが、コンクスの前に現れ、二人で話をする。


「分かりました。直ぐに手を打ちます」


 クークは自分の組、リゲート組事務所に戻り、一人の若い衆を組長室に招く。


「と、言う事だ。分かったか?」


 その若い衆は、直立不動のまま、無言で大きく頷いた後、組長室から出て行った。



 その頃、ドロゲンは理事の元を回り、言われた事を伝えていた。


「そうですか副組合長、いよいよヌンゲを……」


 随分急な話だ…… イドエの噂も、ヌンゲがそれに手を出している情報も、既に私の耳には入っている。

 今までヌンゲを、放置に近い形にしていたのに……

 つまりこれは、組合長は完全に個人的な感情でヌンゲを切ろうとしている。

 だが、理由なんてどうでも良い。ヌンゲ派の分断に成功したのなら、今こそが正に好機。

 そして、その後はこの件で組合長をも……

 組合長さえ居なくなれば、ドロゲンなど、いつでもどうにでも出来る……


「分かりました。必ず賛成に回りますので、ご心配なく」


「頼むよ! では13時に」


「はい。副組合長」


 ドロゲンが去った後、理事の部屋に秘書が入って来る。


「副組合長は何の用事だったのですか?」


「ついに、ヌンゲを組合から切る時が来たようだ。今日の理事会でな」


「ヌンゲを? それは朗報ですが、えらく急な話ですね?」


 そう、急だからこそ、怒りに身を任せ、己を見失っている組合長の心が、手に取るように分かる。


「事が終わるまで、内密にと、本来なら隠しておくことなのだろうが……」


「はい?」


「噂を広めろ。組合員だろうが、何者にでも誰かに構わずにだ。ただし、出元が私と分からない様にしろ」


「はい」


 そう言われた秘書は、組合に関係ない数十名の者を使い、アルスの傲慢さを強調した話を拡げる。

 娯楽の少ないこの世界では、人の噂話も十分娯楽の一部であり、あっと言う間にこの件は拡散されるのであった。



 同じ頃、活気のある厨房の片隅で、二人の者が何かを作っている。


「よし、出来たぞ」


「見た目は、良い感じですね」 

 

「食ってみよう」


「はい!」


 そう言って、イモテンに似た物を手に取り口へ運ぶ。


「サクザク」


「ザクサク」


「うーん…… どうだ?」


「正直に言いますと、悪くはないですが、あの食感には及ばないですね……」


「その通りだな……」


 マルマルスは、少し前に作っていた冷めた芋天もどきを口に運ぶ。


「……しんなりとなって、少しもあの弾ける様な食感がない」


 ……あの露店で買ったイモテンは、持って帰ってしばらく置いておいても、あの素晴らしい食感を保っていた。

 だが、俺が作ったこれは、時間が経てば経つほど、あれに似た食感は失われてしまう。

 いったい、どういうことなんだ?

 料理法は近付いてきていると思うが…… 今はこれ以上何も思いつかない。つまり、俺では再現できない。


「くっそ!」


 マルマルスは、ゴミ箱に自分が作った芋天もどきを投げ捨てた。


「……マルマルスさん」


「……なんだ?」


「これでも十分売り物にはなると思いますけど、どうします?」


「……はぁー」


「……」


「いや、やめておこう。これではうちの店の格を落としてしまう。もう少し何とかなれば、その時考えよう」 


「……はい」


 シンの天ぷらの手法は、卵も使わず、小麦粉を油と水で溶いたシンプルなものだったが、まさか油で小麦粉を溶くなど、天ぷらがないこの世界で、いったい誰が思いつくというのであろうか。

 マルマルスだけではなく、他の真似をしている誰もが、イドエの芋天を再現できずにいた。

 だが、それなりの物を作れた料理人の中には、同じイモテン名で販売する者が現れる。


「これはどうだ?」


「ザクザク。うん、良いんじゃね? これで売っちゃおうぜ」


「よーし、試しにさっそく店頭に並べてみるか!」


 その者達は、芋天もどきを次々と作り上げ、店頭に並べ始めた。


「さぁ、そこの道行く人達よ! 新しい食べ物だよ~。これを食べないと、人生損するよ~。さぁ、買った買った! 新しいセッティモ名物、イモテン様がこの店初登場だよ~」  


 イモテン? 確か昨日露店で大盛況だったと聞いたが…… この店でも売っているのか?


「どれ、一つ貰おうかな」


「はい~、5個入って600シロンだよ~。お、ちょうどだね。どうぞ」


 これが噂のイモテンか?


 芋天もどきを買った者は、直ぐに一つ摘まんで口へ運ぶ。


「ザクザク」


 ……うーん、噂ほどじゃないけど、悪くない。こんな食感は、初めてだな。


「どうだい?」


「うん…… まぁ、美味しい。食感も悪くない」


「聞いたかい、道行く人達~。美味しいってよ~。さぁさぁ、売り切れる前に買っちゃいなよ~。5個入りで、600シロンだよ~」


 イドエのイモテンが、既に町中で噂になっており、同じ名前で売っている物が気になった者達が列をなす。


「おーい、どんどん作れ! いくらでも捌けるぞ!」


「うっほ~、こりゃたまらん! イドエ様様だな~」 


 この様な店は、この日だけで3軒現れ、その中には、コンクス組の息のかかった店もあった。

 そして、うどんを真似たランゲも、4軒の店でメニューに並ぶ。


「はいはい、順番だよ順番。そこの人、イモテンはどうだい? 新しい食べ物だよ~」


 イモテン…… 噂になっていた食べ物か? どうしよう、並んでいこうかな? いや、気になるが後にしよう。

 ったく、どうして一ヶ月振りの休みの日に弁当を忘れるのかね?

 結婚して10年、何故かいつもこうだ。普段の日なら何の問題も無いのだが、わざとかと疑いたくなるよ……

 

「すみませーん」


「あっ、ドバルさんじゃないですか、どうしました?」


「お久しぶりですね。いや~、起きてキッチンに行ったら、嫁の弁当が置いてありましてね」


「あははは、珍しいですね、忘れ物をするなんて」

 

「そうなのですよ。私今日は久しぶりの休みで、本当なら好きなだけ家でゆっくり出来るのに、こんな日に限って滅多にない忘れ物をするのですよ、変な話でしょ? むはははは」


「それはそれはご苦労様です。あははははは」


 組合の職員とドバルが笑っていると、一人の者が建物の中に入って行く。

 ドバルと話していた職員が、その者に気づいて声をかける。


「あ、あの~、どちらに御用ですか? 宜しければ、私が承りますが?」


 職員がそう呼びかけると、その者は振り向く。


「せっかくお話し中なので、お手間を取らすのは申し訳ない。お気持ちだけ」


 そう言って断ると、奥へと歩いて行った。


「……誰に用事なのかな? 何か、さわやかな若者でしたね?」


「……」


「ドバルさん?」


「え? ああ、はい。そうですね……」


「お弁当は、私が預かりますよ」


「……いいえ。自分で届けます」


「そうですか。場所は……」


「大丈夫です」


 ドバルは嫁に弁当を届ける為、建物の中を歩き始める。

 そして、そのだいぶ先を歩いている若者が目指したのは…… 

  

「バン」


 突然開いたドアに驚いた秘書が、声をかける。


「あ、あの、どちら様でしょうか!?」


 その声がまるで聞こえていないかのように、その者は何の反応も示さず、部屋の奥に進みドアを開ける。


「バン!」


 大きな音を立てながら開いたドアに目を向けるアルス。

 すると、無表情な若者が、自分に向かって真っすぐに歩いて来ているのが映る。


「……だ、誰だの?」


 追いかけてきた秘書の目に、若者の右手に握られている短刀が、怪しく光るのが見えた。 


「キャアアアアア、組合長ー」


 秘書の悲鳴に驚いて身構えるアルスを、大きく振りかぶり降ろされた刃が襲う。 


「うっ、うがあぁぁぁぁぁ」




 数十分後……


「コンコン」


「入れ」


「失礼! します! 若頭カシラ!」 


「どうした?」


「服飾! 組合長が! 襲われ! たそうです!」


 昨日の今日でもう始まるとは……

 フフフ、どうやら、運命も待ちきれない様だ。

 シン…… 

 俺達二人の物語の、幕開けだ……



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る