120 出会い


 疲れているユウが部.屋に戻った後、シンはモリスの代わりに厨房に立ち、遅くまで街道の見張りをしていたシャリィの食事を作っている。


「よし、食べてくれ。新しいランゲだ」


 短いうどんの入ったランゲをシャリィの前に置く。


「スープも具材も同じだが、今までのランゲの様に細いのではなく、俺の世界のうどんという物が入っている」


 ……さっき二人が音を立てて食していた物と同じか。

 まさか私にもあの様に食べろというのではあるまいな。


「さっ、食ってくれ」


 シンを一瞥いちべつした後、シャリィはスプーンでうどんをスープと一緒にすくう。


 良かった、どうやら短く切ってくれている様だ。


「どう!?」


「……悪くない。本来の物より、だいぶインパクトが増したな」


「だろ!?」


「もう少し長くすれば、さらにインパクトが増すのではないか?」


「ん?」


 確かにそうだ。もう少しぐらいなら長くても良いかもしれない。それなら喉越しも今より感じられるはずだ。

 それに、徐々にでも長い物を出して慣れてくれれば、将来的には元の世界のうどんと同じ物も出せるかもしれない。

 そうなれば、更なるインパクトを残せる。


「助かるよシャリィ」


「気にするな。あと、これが頼まれていた物だ」


 シャリィはテーブルの上に革袋を出した。

 その中には、魔法石が入っている。


「お、ありがとう」


 シンが礼を言ったその時、シャリィと同じく街道の見張りと護衛をしていたバリーが戻ってきた。


「あら~、シャリィは何食べてるの?」


「バリー、お疲れ様~。ここに座ってくれ。直ぐに同じ物を持ってくるよ」

  

「悪いわね」


「全然だよ。ほんと二人にはこんな遅くまで働いて貰って、感謝してもしきれないよ」


 ウフフ、ならベッロベロのキスで返してもらおうかしら…… なんてね。



「はいどうぞ」


「あら、スープ? でも……」


 何か見慣れない物が入っているわね。


「兎に角食ってみてくれ」


「はーい」


 バリーはスープの中にあるうどんを見つけると、一番にすくって口に運ぶ。


「モグモグモグ。あら~、いい感触~」


「おっ!?」


 うふふふ、シンの平常時のあそこもこんな感触なのかしらね…… イヒッ。


「どう?」


「いいわねこれ~、気に入ったわ~」


「そうか!? それは良かった」


 シンが笑顔になったその時、バリーの背後にある窓の外側で、何かが動いたのが見えた。


 シンは椅子から立ちあがり、ドアに向かう。


「どうぞ入って下さい」


「……」


 促されて中に入って来たのは、ヨコキであった。


「良かったら、ここに座って下さい」


「……」


 ヨコキは無言で目を伏せ、シャリィとバリーが食事をしている同じテーブルの椅子に座る。


「良かったらヨコキさんも味見してくれるかな?」


「味見?」


 ヨコキは目だけを動かして、シャリィとバリーが食している物を見る。


「腹は減ってないから、少しだけなら……」

 

 その言葉を聞いたシンは、ヨコキを残し厨房にうどんを作りに行く。


「カチャカチャ」


「モグモグ」


 シンの居なくなったテーブルでは、二人の食事をする音だけが聞こえていた。


 ……政治犯のあたしが、SランクとAランク冒険者と同じテーブルとは、流石に居心地が悪いねぇ。


 普段は図太いヨコキだが、少し汗をかき、おどおどとしたその態度で、緊張具合は一目瞭然であった。


 無論シンはその雰囲気を察しており、大急ぎでうどんを作り戻ってくる。


「はい、どうぞヨコキさん。芋天と同じで、新しく作ったんですよこれ」


「あ、ありがとう」


 うどんを食べたヨコキは、その食感を気に入るが、口には出さない。


 面白い食感だねこれ…… 


「どうですか?」


「……いいじゃないか」


「ふふ、そうでしょ」


 ヨコキからも褒められたシンは、無邪気に笑う。


「シャリィ、それとバリー」


「なーにシン?」


「……」


「知っていると思うけど紹介するよ。ヨコキさんだ」

 

 その言葉で、ヨコキはスプーンを置き二人をチラ見する。


「あら~、宜しくねヨコキさーん」


「宜しく」


 バリーはおネエらしく明るい感じで、シャリィはいつも通りクールに挨拶をした。


「宜しく…… お願いします」


 ヨコキは目を伏せ、呟く様に挨拶を返した。


「まぁ、そういうわけ・・・・・・だ。宜しく頼むよ二人共」


 シンは政治犯であるヨコキを、二人と会わせない事も考えたが、ケジメとして会わせる事に決めていた。

 この時ヨコキを呼んでいたのはシンだが、シャリィとバリーは偶然帰って来ていたに過ぎず、ある意味理想的な出会いともいえる。

 Sランクのシャリィにすら裁く事の出来ない政治犯のヨコキを、シンは二人と同じテーブルに招き、まだ、村の大半の者が知らないうどんまで二人の目前で振る舞う。

 それはまるで、キャミィの件で自分をおちょくった・・・・シャリィへの戒めとも受け取れる。


 シャリィがヨコキを裁けないのなら、イコール裁く必要が無いとシンは判断していた。だが、秩序を取り戻した村に、その時になって正式な引き渡し要請があれば、無視するわけにはいかない。


「ヨコキさん」


「何だい?」


「部屋は取ってあるので、そこで話をしましょう」


「分かったよ。では、あたしは失礼するね」


 立ち上がったヨコキは、シンと宿に繋がっているドアに向かう。


「あっ、食べ終わったら、二人の器はそのままにしておいてくれ。俺が後で片付けるから」


「悪いわね~」


「全然。バリーとシャリィは疲れているだろう。当然さ」


 そう言い残し、シンとヨコキはモリスが用意した部屋に入って行った。



「ヨコキさん、さっそくで悪いけど、見せてくれますか?」


「あいよ」


 鞄から紙を取り出して渡すと、シンは直ぐに目を通し始める。


「……」


 この後、ヨコキと数時間に渡り話をしたシンが、シャリィとバリーの器と、厨房の片付けを終えてユウの眠る部屋に戻ったのは朝の4時を過ぎていた。


 だが、この日も朝早くからシンは精力的に動く。


「ガーシュウィンさん、おはようございます。今日は新しいランゲを持ってきましたよ。しかも作り立てです」


 出来上がったさぬきうどんは、時間の経過と共にコシ・・が無くなり、その命とも言える弾力のある食感が失われてしまう。

 その為、シンは1時間ほどの仮眠を取った後、早朝から新たにさぬきうどんを作り、わざわざ出来立てを持って来ていたのだ。

 

「どうですか?」


「これは…… 美味い」


「それは良かったです」


 ……この者、イモテンとかいう食べ物といい、この新しいランゲまでも簡単に生み出しておる。

 もしかして、あの・・者のアイドルとかいうのは、ただ単に私の食べず嫌いなのかも知れない……

 考えてみれば、かれこれ20年近くも演劇から離れておる私は、様々なものから置き去りにされているはずだ……

 

 演劇に対して絶対的なプライドを持っているガーシュウィンは、己をかえりみる。

 そして、アイドルに真摯に向き合う気持ちが、次第に大きくなり始めていた。


「ユウとか申す者はどうしておる?」


「女の子達には家族との時間を引き続き過ごしてもらい、今は新しい振り付けを一人で考えているみたいです」


「そうか…… では形になったら私に報告してくれるか?」


「……はい! 勿論です! それでは失礼します」


 引き続きアイドルの報告を頼まれたシンは、上機嫌でプロダハウンへ向かう。



 

「おー、シン君来たの―」


「おはようございます」


 この時、一台の魔法機が稼働していた。


「挨拶なんぞどうでもええからの、はよこっちにこいの!」


 今か今かのルスクがニコニコしながらシンを呼ぶ。


「シン君、あの机を見てくれの」


 そこには、シンがデザインをした試作品の殆どが出来上がっており、さらに別の机には、アルス家の地下室で見つかった魔法石と素材が置かれている。


 これは……


「昔の仲間の家にの、魔法石と素材が隠されておっての。皆でここに運んだんだの。今急いで糸にしておるでの」


 この動いている魔法機は、糸を作っているのか……


「魔法機の部品もあったでの、これであと何台か組めるんだの」


「そうなんですね」


「シン君、これが試作品だの」

 

 シンは渡された試作品を入念に調べる。


 ……やはりそうだ。縫い合わせた箇所がこれといって見当たらない。

 つまり今俺が来ている服の様に、複数の生地を縫い合わせて作ったのでは無く、セーターの様に編んで作りあげている。

 これなら、3Ⅾの型紙にも納得がいく。


 しかし、これは…… なんという手触り…… この試作品の段階で、既に履き心地は保証されているも当然だ。   


「シン君、シン君」


 ルスクが弾んだ声でシンを呼ぶ。

 振り向くと、ルスクが魔法機に腰を下ろしていた。


「この作りかけを仕上げるのでの、見ててくれのぅ」


 嬉しそうにそう言ったルスクが座る魔法機には、ほぼ出来上がっている試作品が、複数の糸と繋がった状態で置かれていた。


 やはりな、糸で編んでいるんだ…… 



「コルセ!」


 

 ルスクの声で、糸が命を吹き込まれたかのように動き始める。


 すげー、ユウの言っていたのはこれか……

 やはり、凄まじいスピードで編んでいる。

 これは…… なんて、なんて繊細な作業なんだ。

 恐らく、この魔法石と魔法機を使ったからといって、誰もが出来る訳では無い。 

 元の世界の職人と同じ様に、熟練の技術が必要なはずだ。 


「ふぅーふぅー。出来たでのぅ!」


 ルスクがそう言った瞬間、魔法石に亀裂が入る。


「ピシッピシ」


 それを見たシンが思わず声をあげる。


「あっ!?」


「壊れてしもたかの…… この魔法石はの、生活魔法石の様に、残りを正確に把握するのが難しくての、だいたいでしか分からんのでのぅ。もう少しもつと思っておったんだがの」


 そう言った後、ルスクは出来上がった試作品に繋がっている糸をナイフで丁寧に切っていく。


 糸を切るのは手動なのか? それとも魔法石が壊れたからかな?


「見てくれの」


 出来上がったばかりの試作品を、ルスクから受け取る。


 凄い…… 


「どうかの?」


 試作品を見つめたまま無言のシンに、ルスクは感想を催促する。


「これは……」


「これは? なんだの?」


 焦らさんで、早く言ってくれのぅ!


「素晴らしいの一言です! あまりにも素晴らし過ぎて、本当にその言葉以外出てきません」


 その言葉を聞いた途端、ルスクは顔をクシャクシャにして笑みを浮かべる。


「そうだろう、そうだろうのぅ!」


「技術の高さを目の当たりにして、驚きが今も収まりません」


「そうだろう、そうだろうのぅ!!」

 

「流石一流の職人さんですね。こんなのは、他では見られない」


「そうだろう、そうだろうのぅ!!! 流石シン君だ、よう分かっとるの~」


 ルスクはしみじみとそう口にした後、虚ろな目になり床に崩れ落ちる。


「ドサッ」


「ん?」


 試作品を見ていたシンがルスクに目を向けると、なんと床に倒れている。


「ルッ、ルスクさん!?」


 そこにワイルが近づいて来て、驚いているシンに声をかける。


「大丈夫ですよ」


「えっ、けど!?」


「眠ってるだけです」


 そう言われて改めてルスクを見ると、幸せそうな顔をして寝息を立てていた。


「スヤ~、スヤ~」


 本当だ! 寝てる……


「実は、また服飾が出来る喜びで、私の気持ちが高ぶってしまい、昔の感覚で今日中に試作品は出来るとシンさんに言ってしまったので…… それに間に合わせようと、組合長にスピワンさん、他の方も徹夜で作業してくれまして…… 少し前まで組合長も起きていたのですが、今は舞台袖で寝ています。けど、ルスクさんだけは寝ないで待っていたんです」


 ふっ、そういう事か……


「昔はデザイン画を持って訪ねると、よく床で寝ている職人がいました。私にすれば、これも懐かしい風景でして……」


 ふふ、そうなんだ。


「かくいう私も、徹夜でして…… すみません、失礼します」


 そう言うと、ワイルまでもが床で寝始めた。


 こんな直ぐに眠るだなんて…… 恐らく、久しぶりの魔法と徹夜で、疲労度が普通じゃないんだろうな……

 今日中じゃなくても良かったんだけど、職人のプライドが、遅れる事を許さなかったんだろう。そこは、俺も気を使うべきだったな…… 

 このやる気は嬉しいけど、皆の年齢を考えると、徹夜と長時間作業は禁止にしておくか。


 シンが別の魔法機に目を向けると、そこには編みかけのレース生地がそのまま置かれていた。

 

 ……流石にレースの部分までは一緒に編むわけにはいかないのか。

 こっちの魔法機でレース部分を作って、あとで縫い付ける。


 そう考えていると、ユウとナナが現れる。


「おはようございます」


「おはようっぺぇ」 

 

 シンが手に下着の試作品を持っている事にユウが気付く。

 

 あれ? シンが手に持っているのは…… あっ!?


「何を持っているっペぇ?」


 ナナのその問いかけに、ユウは軽いパニックになる。

 

「ナッ、ナナちゃん!?」


「何だっペぇ?」


「じゃ、邪魔しちゃ悪いから、ぼっ、僕達はスタジオに行こう!」


 急に目を見開いて焦るユウを見て、ナナはポカーンとしている。


「ささ、行こう行こう」


 ユウはナナの背中を押して階段を上って行った。


 ふふっ、気を使わせてすまない。

 ……うーん、待てよ。練習を再開すれば、クルちゃん達もここを通るのか…… あの子達にはまだ早いから、見えない様にしておかないといけないな。


 隠す理由は、思春期の少女達に与える影響を心配しての事であり、下着の情報を隠したいからではない。

 事実、村人を集めた時、皆の前で下着を作る事を公表しており、今では全ての村人の耳に届いていると言っても過言ではない。

 さらに、この情報は既に外部にも漏れており、シンもそれは承知であったが、あえてこの時はまだ、何の対策も取ろうとしていなかった。


 シンは手に持っている試作品の下着を広げ、改めてその素晴らしい出来具合を、笑みを浮かべ確認している。

 そんなシンの様子を、起きている数人の者達が見ていた。


 うっ!? 人前でこんなまじまじと下着を見つめるだなんて、まさか変態みたいに思われてないよな……




 その頃、ヨコキの売春宿では、マコウの見送りで、サンリとウィロが玄関に出てきている。


「マコウ様、ありがとうございました。またのお越しを待っています」


「こちらこそ、ありがとうございました。また近いうち、必ず来ます」


 ウィロに対して、丁寧に返事を返したマコウに、サンリが近付き耳元で呟く。


「例の件、お願いします」


「はい。ではまた」 


 マコウが乗った馬車を見送るサンリは、不敵な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 セッティモ服飾組合では……


「おはよう。アルス爺さんは?」


「おはようございます、ドロゲンさん。今日はまだ来ておりません」   


 ……いつもなら誰よりも早く来ているくせに、今日は来ないとかないよな?

 もし昼になっても現れなければ、訪ねてみるか。



 

 シンはこの日も多忙で、プロダハウンを出た後、野外劇場へと向かう。


「シンっぺぇ」


「フォンワ~」 


「皆おはよう」


 挨拶を交わした後、そこに居たコリモン達に、昨晩シャリィから受け取った魔法石を渡す。


「これで良いですか?」


「あぁー、これだのこれだの!! これがあれば、わしらの楽器を使えるでの!」


「ふぅー」


 魔法石を見た一人の老人が、大きく息を吐いた。


「嬉しくもあるがの、心配でもあるのぅ」


「服飾の職人達がその職を失うのを目の当たりにしたわし達はの、その時音楽も捨てたの」


「あぁ、イドエ牽引してくれていた職人達に敬意を払っての事だったがの。あれから20年近くも……」


「まぁ、音を奏でる腕は落ちとるだろうのぅ。それは仕方ないの。だけどの……」


「なんだの?」


「見てみろのぅ」


 コリモン達は、朝早くから一生懸命練習しているピカワン達に視線を向ける。


「音楽をろくに知らない子供達が、0からやっておるんでのぅ…… わしらも負けてられんやろ? のぅ!?」


「そうだの! 見とれのぅ、直ぐに勘を取り戻してやるからの!」


「わしもやってやるからのぅ!」


 老人達の決意を笑顔で聞いているシンに、コリモンが話しかける。 


「シン君」


「はい」


「出稼ぎから帰って来た者や、普段は小麦畑で働いておる者の中にもの、昔一緒にやっていた楽団の者がおっての、そいつらも加えてええかの?」


「ええ、勿論です! コリモンさんにお任せしますので」


「ありがとうの。あいつらも喜ぶでのぅ。だけど、そいつらが畑の作業を抜けたら、困るんではないかの?」


「時間と人員の穴埋めは、村長さんと相談して決めますね」


「それではの、昼食後にはここに来るように手配しておくでの、会いに来てくれるかの?」


「分かりました。何時になるか分かりませんが、必ず戻ってきます」

 

 

 次にシンが訪れたのは、モリスの食堂。


「おはようシン君! 今日もかっこいいね~」


「母ちゃん! 朝に抱いてやったのに、もう欲情しとるんかの!?」


「あんた上から目線で変な事を言うんじゃないよ!」


「バシッ!」


「あいたたたっ」



 ふふ、今日も仲良いな、この夫婦さん。 



「うぅ、二日酔いで頭が痛いのぅ」


「もぅ、飲み過ぎよ」


「お父さん、はい、お水」


「ありがとうの、ジュリ」


 シンは早速モリスとジュリを先生として、うどん作りを集まっている者達に教える。


「へぇ~、足で踏むの」


「わしはこういうの得意な気がするのぅ」


「馬鹿! あんたが踏んだ物を口にするなんて、考えただけでも吐き気がするよ!」


「母ちゃん! そりゃ言い過ぎだの」


「ねぇねぇ、シン君」


 おしどり夫婦の奥さんが、シンに提案をする。


「こんな汚らしいうちの旦那が踏んだ物なんて、皆口にするのは嫌だよ」


「か、母ちゃん!?」


「だから踏む作業っていうのは、清潔な女性だけにするのはどう?」


「ええ、全然かまいませんよ」


 女性だけか…… 良いアイデアだ。これは、のちに生きてくるはずだ。


 笑顔のシンを見て、モリスはまた昨晩の事を思い出していた。


 今のシンさんの笑顔…… 普段よりも嬉しそうな笑顔だったような気がしたけど、やっぱり変な性癖が…… 

  

 足で踏む作業を、モリスはまだシンの性癖を兼ねているのではないかと少し疑っていた。


 数時間後。


「良い! これは良い! 気に入った!」


「何だいこの弾力は!? 足で踏むとこんなにも変わるのかい!?」


「もしかして、足の裏からは自然と魔法が出ておるのかもしれんの」


「あんたは黙っておきな! ほんとすみませんうちの旦那が幼稚なこと言って」


「母ちゃん! わしは真剣だの!」


「だからこそ黙っておきなって言ってるんだよ!」


「バシッ!」


「あいたた」 


 叩かれた夫を見ていた一同が笑う。

 

「シンさん、昨日言っていたスープの方を炒めた物です。試食お願いできますか?」


 って事はハンボワンか……


「はい」


 シンは作り笑顔でモリスから渡された物を食べる。


「うん、味が染み込んで良い感じですね。もう少し強くしてみますか、ハンボワンの味を?」


「ですよね、私も思ってました。凄く濃いスープを作って、それで茹でた物を炒めてみますね」


「さらに炒めている時にも追いスープをすれば……」


「はい! 味の調整が出来ますね!」


 ……うちの嫁も楽しそうだの。

 このレシピ、わしらに教えずに、誰かにやらせて管理すれば儲かるはずだがの……

 村長さんやロスさん達の言う通り、本当に無償でこの村の為にしてくれておるのかの……

 それで、何の得があるというんかの……


「母ちゃん! ええかげんにせんと、わしも怒るでの!」


「何だい! やる気かい!?」


「やらん! 勝てる訳ないの!」


 即答した夫を見て、皆が楽しそうに笑う。


「まぁまぁ、奥さん落ち着いて」


「あっ、シン君。うちの旦那がいじめるの~」


「母ちゃん、嘘つくでないの! 虐められてるのはわしだの!」


「ふうふふうふ」


「うふふふふ」


「あはははっは」


 ふふ、この雰囲気。これは間違いなくの、シン君が起点となって生まれておるのう。

 レンワン…… どうやら今回は、レンツの言っておる事が正しいようだの。

 わしは…… 何となくだがの、そんな気がするのぅ……





 セッティモでは……


 イドエでの服飾の復活を聞いたアルスは、様々な危惧が頭をよぎり、組合の会合に顔を出さず一人で考え込んでいた。


 あの20年前、裏切ってイドエを捨てた当時の組合長のせいで、この辺りでも同じような服が買えるがの、だが、量産品のその技術はまだまだ低いの。

 だからこそ、主流の縫合式でも十分太刀打ちが出来ているがの…… 

 もし、イドエの職人達が本気で服飾を復活して、大衆向けの服を作り始めたらの、この組合の者達の腕では太刀打ちが出来んとのは目に見えておるの…… そうなると、この組合の収益はの、間違いなく落ちての、そこに付け込んでヌンゲが…… 

 やはりわしは、この組合を守る為に、故郷の、昔の仲間の邪魔をせんといかんのかの!? 

 これはの、ある意味わしが待ち望んでいた状況なのにの…… もう、昔のわしとは違うんだの……


 その時、激しく苦悩するアルスを呼ぶ声が聞こえる。

 

「おーい、爺さん。居るか?」


 昼になっても現れないアルスを心配して、ドロゲンが自宅を訪ねて来ていた。


「勝手に入るからなー」


 雨戸を締め切った部屋の中で、アルスは照明も点けずにぽつんと椅子に座っていた。


「……爺さん。大丈夫か?」


「……すまんの」


「何がだ?」


「こんな大事・・な時に、連絡もせんとの……」


「……そんな事を気にする必要も謝る必要も無いよ。いつも誰よりも早く来て長い時間働いているのは皆知っている」


 その言葉に、アルスは何も答えない。


「……」


 こりゃ…… 俺の予想以上にまいっているな……


「爺さん、俺で良ければ、何でも話を聞くし、何でもやるよ」


 そう言われたアルスは、一瞬ドロゲンに目を向けるが、直ぐに逸らしてしまう。


「なぁ、長い付き合いじゃないか俺達、何でも言ってくれよ」


「……」


 そう言われても、アルスは何も話さない。


 こんな爺さん、初めて見る。いや、もう何年前だったか…… そう、初めて爺さんに会った時、確かこんな感じだったな……


 18年前、騒動の後もイドエで暮らしていたアルスに、領主の名により突如として移住を命じられ、セッティモの片隅で静かに暮らしていた。


「おいドロゲン、見ろよあの歩いているオヤジかジジィか分からない奴を」


「うん?」


「知っているか?」


「いや…… 誰かは知らないけど、最近よくウロウロしているのを見かけたような」


「どうやらイドエを追い出されたらしいぞあいつ」


 イドエ……


「どうして?」


「さぁな。あまり関わらない方がいいって皆言っているから、もしかしたら犯罪者かもしれないな」


「犯罪者……」


 そんな風には見えないけどな……


 ドロゲンは、とぼとぼと、まるで老人の様に歩くアルスを見ていた。


 それから数日後……


 アルスは川のほとりの土手に腰を下ろし、何をするでもなく、ただぼーっとして水の流れを眺めている。


「……」


 そこに、ドロゲンが現れる。


「よう、最近この辺りで良く見かけるな。何をしてるんだ?」


 アルスは話しかけて来たドロゲンを見ようともしない。


「……無視かよ。もしかして、耳も聞こえず話す事も出来ないとか?」


「……」


「まぁ、俺はドロゲンっていう者だ。何も怪しい者じゃない」  

「……」


 アルスは何も答えないが、それでもドロゲンは話を止めない。


「実はな、少し前に俺の親父が死んでしまってな」


「……」


「ほれ、この川の先にボロボロの屋根が見えるだろ? あそこでこの辺りの貧乏人の着る服をな、小さな小さな作業場で作っているんだけど、俺は遊び惚けてて親父から何も教わってなくて、母親も死んじまってるから、いきなり俺が跡を継ぐ羽目になってしまってな。そしたらな、三人いた職人のうち一人は辞めちまうし、仕事は激減するし、どうしようもない状態よ。それで取引先の信用を取り戻す為にもよ、辞めた職人の補充をしないといけなくて」


「……」


 はい、全く反応無し……


「そっかぁ、この話に興味はないのか……」


 イドエの者って聞いたから、もしかして服飾に関わっていたのかと思ったけど、どうやら違ったみたいだな。


「まぁ、興味が合ったら覗いてみてくれよ。じゃあな」


 ずっと水の流れを見ているアルスは、去って行くドロゲンに視線を向ける事を一度たりともしなかった。


 それから数週間後……


「おい、見ろよ」


「なんだ?」


「あいつ雨が降っているのに、傘も差さずに土手に寝そべっているぞ」


「え?」


  ……本当だ。


「何してんだあの馬鹿」


「うーん。ありゃ、犯罪者じゃねーな。ただ単に頭がおかしくてイドエを追い出されたんだろうな」


「……」


「おい、行こうぜ。頭がおかしいなら、見てると絡まれちまうかもしれない」


「そうだな」


「お、おぅ……」

 

 ドロゲンは心配そうにアルスを見ていたが、友人達とその場を離れる。

 だが、しばらくすると、ドロゲンは一人で戻って来た。


「おい、あんた! 雨が降っているのを気付いていないのか?」


「……」


「家は何処だ? 送っていってやるから言いな」


「……」


「おいったら!?」


「……」


 チッ、完全に無視かよ。あいつの言う通り、本当に頭がおかしいのかも知れないな。


「ったく、この傘を使えよ」


 アルスの側に広げた傘を突き立てて濡れないようにしてやると、ドロゲンは雨に打たれながら去って行った。


 翌日、ドロゲンがアルスが居た場所に来ると、昨日土手に突き刺した傘が、そのままの状況で残っていた。


 なんだよ…… 置いていった傘を使えばいいのに。

 あいつ、俺の親切心を…… もう知らねーからな!




「……ゲン。……ドロゲン」


「うん? 何だ爺さん?」


「すまんがの、今日は休ませてくれるかの……」


「あぁ、皆に伝えておくよ。……仕事終わりにまた来るから、夕食にでも行こう爺さん」


「……わしの事は良いからの、家族と食えの」


「いや、俺は爺さんと食べたいんだよ。じゃあ後でな」


 ドロゲンはアルスの家を後にした。


 まいった…… ヌンゲの奴達が息を吹き返している時に、こりゃ本当にまいったな。 

 兎に角、イドエの情報を集めてみるか。



 

 同じ頃、セッティモのとある場所で、一癖も二癖もある十数名の者達が、到着した馬車を即座に取り囲む。

 一人の若い者が、素早く馬車のドアを開けると、魔獣の様な鋭い視線の人物が降りて来る。それと同時に、その場に集まっている者全員から挨拶の声が飛ぶ。


「ご苦労様です」


「ご苦労様です!」


「親分、ご苦労様です!」


「ご苦労様です、親分!」


 この人物の名は、アリアド・コンクス。

 総勢百数十名のコンクス組組長であり、本家ブカゾ組での序列はNO.3に当たる若頭補佐。堂々たる実力を誇るヤクザである。

 組事務所に入り、ソファーに腰を下ろしたコンクスの元に若い者が近付く。


「失礼します。親分、ハーブティです」


「……ありがとう」


 下っ端の子分に対し丁寧に礼を述べても、その威厳を失なう事は無く、大幹部に相応しい風格を備えている。

 そんなコンクスは、イドエでマコウと名乗っていた。


「バスノ」


「はい、親分」


「20時にいつもの店でと、ヌンゲに伝えてくれ」


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