117 ヨコキ


 モリスの食堂では、集まっている者達が芋天作りに勤しんでいた。


「ほら! あんたは火が強すぎるのよ!」


「そ、そうかの…… これぐらいかの?」


「衣を入れた時を、よーく見とくんだよ! シン君がさっき教えてくれたでしょ!?」


「流石母ちゃんだの、もう覚えたんだの?」


「そらそうよ~。完璧に覚えて、シン君に気に入って貰いたいからね」


「……母ちゃん、なんでもするからのわし! 頼むから捨てんでくれのー、のー」


 その会話を聞いていた者達は、クスクスと笑っていた。


 そんな中、一人食堂を後にするシンを、フォワは見ていた。


「……フォワ」


 シンが向かう先は…… いったい何処なのであろうか……



 


「あのー、ロスさん!」


「なんだのユウ君?」


「僕も座ってみてかまいませんか!?」


「おっ、おお、全然かまわんでの」


 許可を貰ったユウは、満面の笑みで魔法機に近付きゆっくりと腰を下ろす。そして、ロスの真似をして魔法石に手を置くと、ユウの口から思わず感激の声が漏れてしまう。


「あー、あぁ~」


 この感触…… まるで僕の為に作られたかのように…… そう、凄く調和している気がする。

 それと、何だろうこの安堵感は……

 これが魔法で動くなんて…… 凄い……


 笑みを浮かべながら魔法機の隅々まで見入るユウを見て、ロス達職人も笑顔を浮かべている。

 そして、ナナも同じ様に笑みを浮かべ見ていた。



「スピワン」


「何だの?」


「ユウ君の嬉しそうな顔を見てみろの」


「うんうん」


「やっぱりだいぶ興味があるようだの」


「ふははは、そうだの~。ユウ君とシン君、それに孫達には、わしらの良い所をもっと見せたいの~」


 夢中になっているユウに、ピカワンが声をかける。


「ユウ君、おらもいいっペぇ?」


「あ、うん! どうぞ」


「あー、次はおらっぺぇ!」


「おらもおらも!」


 孫達があんなにもはしゃいで…… のぅ……

 心の何処かで、ずっと待っとった気がするのう、こんな日を……





 陽が暮れ始めようとする中、一人の女性が無言で立ち尽くし何かを見ている。

 その女性の背後から一人の男が現れて隣に並ぶと、女性の視線の先に目を向ける。


「いらっしゃいませ」


「キャミィ、いつものくれ」


「はい。5500シロンになります」


 金を払って魔法石を受け取った客の男は、直ぐにその場から立ち去らず、キャミィの身体を舐めまわすかの様に見ている。

  

「なぁキャミィ」


「な、何ですか?」

 

 気味の悪い視線に気付いているキャミの声は強張る。


売春宿やどには戻らないのか?」


「……はい。戻りません」


「ガッカリだな。またお前を抱きたかったのによー」


「……」


「なぁ~」


「は、はい……」


「村がまともに戻れば、こんな仕事は出来やしないぜ」


「……そ、そうなんですか?」


「知らないのかよ!? まぁその時はどうするんだ? また売春宿に戻るしかないよな!?」


「……」


「その時の為にもよー、俺に良い顔してた方がいいじゃないか? ヨコキには内緒にしてよー、いつもより高い金をお前に直接払うからよー、やらしてくれよ」  


「……私、本当にそういうのは辞めたので」


「さんざん俺とまぐわったんだからいいじゃねーかよ、あと一回ぐらい。ほんと最後の一回だけだからよ。金は払うって言ってんだからよー」


「もう辞めたので……」


 拒否された男の言葉が荒くなる。


「チッ! あんだけ通い詰めてやったのによ!」


「……」


「俺であんなにもよがり・・・まくってたくせに! 売春宿に戻った時は真っ先に行ってたっぷり虐めてやるからな!」

  

「……」


「あっ!?」

  

 客の男は去り際、ヨコキとシンが見ているのに気付いて驚くと、そそくさとその場を後にした。  



「……男ってーのは、本当にどうしようもないね~」


「……」


「こっちは仕事で、金で、生きる為に抱かれてやってんのにさ、それなのに一度抱いちまうと自分の女気取りだよ、勘違いも甚だしいね」


「……」


「それに女を抱いた事を自慢するために、いちいち周りに言い触らしやがって! たまったもんじゃないよこっちは。何にも分かってない癖に、偉そうに上から目線で物を言いやがって…… ほんと、あんな男には、腹が立ってしょうがないよ!」


「……そうですね。俺もその意見に賛成です」


「……ふん」


 二人に、無言の時間が流れる。

 そして、次に口を開いたのは、再びヨコキからだった。


「それで、あんたはいつ出て行くんだい?」


 その言葉で、シンは思わず笑い声が漏れてしまう。


「……ふっ」


「ふん! なんかおかしな事を言ったかい?」


「……ヨコキさん」


「……」


「農業ギルドから……」


 ヨコキはシンの言葉を遮る。


「そうさ、梯子を外されたさ。だからといって、負けた訳じゃないよ」


 ヨコキは魔法石を売るキャミィをジッと見ている。


「どうすんだい?」


 シンも同じようにキャミィを見つめながら口を開く。


「キャミィに罪を負わせない方法は、もう考えてあります」


「そうかい…… キャミィが魔法石の売買をしているのは、周知の事実だよ、それでもかい?」


「はい、それでもです」


「……へぇ~、たいしたもんだね」


「……」


「もう一度聞くけど、本当に確実なんだろうね、その方法は?」


「ええ。ですが万が一その方法が駄目でも、他のも考えてあります」


「そうかい……」


 あんたの言葉なら……



「あ、いらっしゃいませ」


「えーと、これと、これを5個ずつくれ」


「はい」


 接客をしているキャミィの元に、ブレイが現れる。


「あっ、ちょっと待っててね」


「う゛ん」


 ブレイを見て笑顔を浮かべるキャミィを、シンとヨコキは見ている。


「ヨコキさん」


「……何だい?」


「出ていかれるつもりですか、この村を……」


「ふん、農業ギルドあいつらに梯子を外されたら、あたしに付いてた反村長派は蜘蛛の子を散らす様に居なくなったよ。まぁ、あんな奴等最初から必要なかったけどね」


 そう、この人は一人で戦っていた。だけど、一度得たものが無くなると、無傷ではいられない。


「物資の心配はないとか、あいつらから機嫌を取りに来たんじゃないかい?」


「ええ、おっしゃる通りです」


「……まさかあの変わり者のジジィが、そこまでの影響力を持ったジジィだったとはね」


 どっちにせよジジィなんだ…… 


「あのジジィのせいで農業ギルドは掌返しで、反村長派あいつらを使ってあんた達の機嫌取りさ。それに、邪魔になったあたしの命さえ狙いかねないね」


「そんな事は、させません」


「長い付き合いのウィロには愛想を尽かされるし、最後の頼みの綱のキャミィまで、あんたが何とかできるっていうならさ、そりゃもう……」


「……」



「あたしの負けさ」



 この人は今も……


「はぁー、しかたないね~。売春宿とルートはウィロに任せて、潔く出て行くよ。農業ギルドが味方に付いても、まだ必要なんだろあのルートは?」


「……ええ、やくざ者のシノギは、潰したくないので」


「……分かっているじゃないか」


 そう口にしたヨコキは、ブレイと楽しそうに会話をしているキャミィから目を離すことなく、ずっと見ている。

 悔しさなど微塵も感じさせない、安堵の表情を浮かべ、まるで公園で楽しく遊んでいる娘を見守る母親の様に…… 見ていた。

 そして、一度ゆっくりと俯いた後、荷物をまとめる為、売春宿に向かってヨコキは歩き始める。


「ヨコキさん」


 シンは振り向いて、ヨコキを呼び止めた。


「……なんだい? 行先の世話でもしてくれるのかい」


「はい、その通りです」


「そうかい…… そりゃ、お手間を取らせるね」


「あなたの行き先は……」


「……」



「この村です」



「……ふっ、ふふん。何言ってんだい……」


 シンは歩き始め、背中を向けているヨコキの正面に回る。


「ウィロさんから聞きました」


 その言葉に反応して、俯いていたヨコキは顔を上げてシンを見つめる。


「あなたの宿には、10代か20代前半の子しかいない。ウィロさんと、オーナーのあなた以外は……」


「……」


「最初から、不思議に思ってましたよ」


 ヨコキは、目を逸らして俯く。


「あなたは、宿で働いている子が25歳になると選択させる」


「……」


「このまま残り続けるのか、それとも、辞めて人生をやり直すか…… どちらかを選ばせる」


「……」


「出て行く子には、しばらく生活できるぐらいの十分な金を渡し、行先を世話して、あなたのお金で護衛まで雇ってあげてね……」


「……」


「様々な理由で捨てられ、行き場も無く、死を待つしかなかった子を引き取り、25歳というまだまだやり直しができる年齢で、そうやってチャンスを与えてあげてたんですね」



 十分稼げる年齢なのに、引退させてそこまでしてあげるだなんて…… 



「……ふん、だからどうしたっていうのさ」


「だけど…… 宿で助けられる女の子の人数と仕事にはどうしても制限がある」


「……」


「だからあなたはこの村を自分の思い通りに動かして、行き場のない女の子を今以上に呼び寄せようと思った。その為には、無法のままの村の方が、都合良いですからね」


「……随分良い様に解釈して美談にしてくれるね。だけどね、本当の動機は、あのレティシア小娘があたしを軽く見ているから、腹が立って邪魔してやろうと思ったからさ。事実あたしはキャミィを……」

 

 シンはヨコキの言葉に被せる。


「そう、そんな優しいあなたが、キャミィちゃんを駒に使ったその理由は……」


「……」



「信じていたからでしょう」



 ヨコキは顔を上げてシンの瞳を見つめ、シンもまた、ヨコキの瞳を見つめる。


 

「この俺を、信じていたから……」



 笑顔でそう言ったシンを見て、ヨコキは悟られない様に薄っすらと笑みを浮かべる。


「もし俺達が折れて出て行ったなら、この村でキャミィちゃんは何を売買していようが問題は無い」


「……」

 

「そして、今の様に俺がこの村に残り、あなたの分が悪くなってもその時は…… どんな事をしても、俺が必ずキャミィちゃんを助けると、そう信じてくれてたんですよね」


 ヨコキは否定する事無く、黙ってシンの話を聞いている。


「俺に出て行けと言った時、明日迄にとか期限を設ければいいのに、あなたはそれをしなかった……」


 それは、キャミィちゃんを駒に使った後悔の表れで、心の何処かで俺を必要としていた。そうですよね……


「……ふん、あたしの口から、何を言わせたいんだい?」


「いや、別に言わせたいわけじゃ……」


「ベッドの中でも、そうやって女に何かを言わせる性癖なのかい?」


 その言葉で、シンは上を向いて首をかしげ、少し考える様な素振りを見せる。


「まぁ…… 否定は、しないかな」


「しないのかい!? ったく!」


「正直者なんで、すみません」


「信じているからか…… ふん、ナルシストも、そこまでいけば褒めてあげるさ」


 そう言って笑った後、ヨコキの表情は沈んでゆく。


「坊や……」


「はい」


「あんたは、何も分かってないみたいだね」


「……」


「村がまともになるなら、あたしは絶対に居ちゃいけないのさ、この村の為にもね」


「……」


「あのレティシア小娘も、あたしの事をそれなりに調べたみたいだけど、何も出なかった。そりゃね、方々にそれなりの金を払っているからね。だけど、シャリィあんた達は違うだろ。あたしの正体は、既にお見通しなんだろ?」


「……」


「あたしはね…… ただの犯罪者とは違うのさ」


 そう言うと、ヨコキはシンから目を逸らし俯く。


「あたしは、あたしは……」


 ヨコキの両手と唇は、微かに震えている。



「政治犯だからね……」



「……」


「Sランクの冒険者にだって、あたしを勝手に裁く事は出来やしない。言われるがまま、引き渡すのみさ」


「……」


「そんなあたしが、この村に居座っていたら、迷惑以外何者でもないだろう。だから…… 出て行くさ」


 ヨコキは振り返り、ブレイと楽しそうに会話をしているキャミィを再び見詰める。


「……」


 ごめんねキャミィ。でも、この坊やが、必ず何とかしてくれるから…… 必ずね。

 この村で、ブレイと幸せに暮らすんだよ……


「坊…… いや、シン・ウース」


「……はい」


「キャミィを…… キャミィと、売春宿の子を頼むよ」



 ……この人は、自分の心配よりこの村を、そして最後まで女の子の心配をしている。

 そう、やはり自己保身の為じゃない。そうじゃないんだ……


 俺は、絶対にあなたも助ける。俺を信じてくれたあなたとウィロさんの為にも、この村の為にも。そして、行き場のない女の子の為にも、あなたは必要なんだ。



「ヨコキさん」


 再び歩き始めたヨコキを、シンは振り向き呼び止めた。


「この村に作りましょう」


「……」


「行き場のない女性が安心して住める場所を、この村にあなたが作ってあげて下さい」


「……」


「だから、もう少しだけ、もう少しだけ俺の話を聞いて貰えますか?」


「……」


「キャミィちゃんと、そしてあなたも罪に問わせない・・・・・方法を、今からお話します」


「……」


「異論や不備があれば、遠慮なく何でも言って下さい」


「……」


 振り向いたヨコキは、何かにすがる様な瞳で、シンを見ていた。





「おーい、モリスさんの食堂での、シン君が何やら美味しい物を作っておるらしいぞ」


 一人の老人が、プロダハウンにいる皆にそう知らせた。


「集まった時に言ってたイモテンとかいうものかの?」


 スピワンの言葉を聞いたユウが大きな声をあげる。


「いっ、芋天!?」


「おっ!? そう言っておったがの」


 そうなんだ、シンは芋天を作ってこの村を……

 天ぷら…… この世界の食事は全然悪くないけど、天ぷらを久しぶりに食べたい!


「イモテン? ユウ君知ってるっペぇ?」


「う、うん、まあ……」


「あとランゲも改良するとか言うておったの」


 ランゲも…… もしかして本格的なラーメンを作るつもりなのかな……


「イモテンってどんな食べ物だっぺぇ? 食べたいっペぇ、皆で行くっペぇー」


「それなら、クルとプル姉ちゃんを呼んでくるよ」


「うん、そうだね。皆で行こう!」


「そうするっぺぇ! おらリンとかも呼んでくるっぺぇ」


「皆クルと一緒に居るからあたいだけで大丈夫よ」


 フル…… 大好きなクルと一緒だったのに一人で手伝いに来て、しかも人を使わず自分で呼びに行くって…… やっぱりなんか変わったっペぇ……


「わしらもお邪魔するかの。どんな物を作っておるのか、気になるしの」


「そうだの。取りあえずこの魔法機は問題なさそうだしの、そうしようかの」


 この後、少女達が来るのを待ってから、全員でモリスの食堂へ向かった。





 この坊やは、キャミィとあたしを…… そんな事を考えていたのかい……

 けど、本当にそんな事で……


「……上手くいくのかい?」


「ええ、お二人と売春宿やどの皆さんの協力が必須ですけど」


「……これが上手くいかなかったら、どうするんだい?」


「別の方法を試します」


 別の……


「それも全部上手くいかなかったら?」


「その時は、俺が必ず作ります」


「……」


「あなたとキャミィちゃんが逃げる時間と安全な行先を、俺の命を賭けて必ず作ります」 


 決意を口にするシンを、ヨコキはまるで子供の様な瞳で見つめている。


「どうして…… どうしてあたしの為にそこまでするんだい」


 その質問に、シンは何かを思い出したかのように答える。


「それは…… ある・・人の教えから、あなたの様な女性を助ける事が良い男の美学だと、俺が勝手に思ってるからかな」

 

 その言葉を聞いたヨコキの表情は、まるで少女のように変化してゆく。


 ふん、卑怯者……


 どうして…… どうしてあの人と同じ事を言うの……


 不思議だね。本当にどうしてなのかしら……

 この坊やはまるで…… あなたみたいだね…… 


 ほんと良い男って、皆卑怯者よ……



「ヨコキさん、この村に残ってくれますよね」


 ヨコキは、大きく息をした。


「ふぅー…… 後悔、しないかい?」


「そんな事、する訳ないですよ」


 そう言うと、シンはウインクをした。


「……ふん! 後でどうなっても知らないからね、あたしは!」


 その言葉に、シンは笑顔で頷く。


「ああっと、そう言えばカレットがあんたが客で来るはずなのにこないって怒ってたよ、覚えがあるかい?」


「あ~~、あります…… けど、ご覧の様に忙しい身なので……」


「これから協力を願い出るくせに、カレットがそんな理由で納得すると思うのかい?」


「いやー、分かってます、分かってますぅ。けど……」


「けどけどうるさいね! ちゃっと行ってちゃっと入れてちゃっと出してきてやんな! それで終わりさ! 金はあたしの奢りだよ!」


「いや、そんなストレートな表現で……」


「ったく、あんたは女に慣れているのかそうでないのかどっちなんだい!? 変な奴だね」


「まぁ、それも否定しないかな…… プレイが変わってるとは良く言われてましたけど」


「はん! そんな性癖を暴露するって、もしかしてあたしに受け入れろっていう意味かい!? しょうがないねぇ、今からあたしの部屋に行くよ」


「いや、それはヨコキさん、ねっ」


「ねってなんだい? あたしを抱くか、カレットを抱くか、3Pするかどれか選びな!」


「さっ、3Pぃ!? いやいやいやいや、まだ村がこんな状態なのに、俺がそういうのは駄目でしょ!? あっ、そうだ! 俺、食堂に戻らないと! また明日にでも詳しい話をしましょう! じゃあ」


 そう言って走り去って行くシンを、ヨコキは優しい笑みを浮かべて見ていた。



 あの坊やのお言葉に甘えてしまうけど、これで良いよね…… ねぇ、あなた……


シンが去って行った方角から、一人の女性が自分に向かって歩いてきているのにヨコキは気付く。

 その女性は、ウィロであった。


「……ママ」


「……なんだい」


「私はね、ずっとママのそばに居たいの」


「……」


「25歳になった時、ママの元を離れるなんて選択肢は、私には無かった」


 そう口にするウィロの瞳から、涙が溢れ出る。


「だって、ママは…… 私にとって、本当の母親以上の存在なんだもの。うっ、ううぅ」


「……ウィロ。そんな事は、今更聞かなくても、分かっているよ」


 優しく答えたヨコキの言葉で、ウィロは両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込む。


「分かっていたのに…… それなのに、娘の言葉に耳をかさないなんて、本当にごめんなさい」


 ウィロはヨコキの言葉を聞きながら、手で涙を拭っている。


「母親失格だね、私は・・……」


 ウィロは俯いたまま、首を横に振る。


「そんなことない。ママは、良いママだもん、優しいママだもん」

 

「キャミィのことは、本当に悪いと思っている…… 都合の良い事を言って申し訳ないけど…… 私達が信じたあの子に、助けて貰おう」


「……うん。うん」


 ヨコキは地面に両膝をついて、しゃがみ込んでいるウィロを抱きしめる。


「もう泣くんじゃないよ。あたし達みたいな者は、強く生きていかないといけないんだ。前に教えただろう」


「……うん」


「……ごめんね。本当にごめんね、ウィロ……」


「ママ……」


 ヨコキはウィロを強く抱きしめながら謝った、何度も、何度も、大粒の涙を流しながら。


 陽が落ちかけ、茜色に染まった夕日が照らす二人を、突然抱きしめる者が現れる。 


「だっ、誰だい!?」


 二人を抱きしめたのは、号泣するフォワであった。


「フォワ、フォワフォワフォワフォワフォワー」


 この時フォワは、俺も、必ず皆を守るからなと言っていた。


 この子は確か…… あの坊やの…… 


「キャッ!」   


「あっ!? どさくさに紛れて、なにウィロのケツを触ってんだい!」


「フォワ!?」


 怒鳴ったヨコキに驚いたフォワは、鼻水と涙を垂れ流しながら立ち上がって後退りをする。


「あたしのケツは触らず、ウィロのケツだけ触るってのも余計に腹立つね! 何処行くんだい!? うちの娘のケツはただじゃないよ!」


「フォワー、フォワフォワフォワ!」


 この時フォワは、ケツなど触っていないと言っていたが、実際は不可抗力で触っていた。


「お触りは5000シロンだよ! びた一文負けやしないからね! 今直ぐ払いな!」


「フォッ、フォワー」


 フォワは振り向き、全速力で走り始めた。


「あっ!? 逃がしゃしないよ! 待ちな!」


 ヨコキも全力疾走でフォワを追いかける。


「ママ…… ウフフフ」



「フォワフォワフォワフォワ。フォワ、フォワフォワフォワフォワ……」


 金なんか持ってないし触ってない。けど、確かに柔らかい感触が…… と言い、走りながら右掌を見ていた。



「フッ、フフ、フフフフ」


 追いかけていたヨコキは笑いながら立ち止まり、走り去って行くフォワの背中を見ている。

 そこに、ウィロが追い付いてきた。


「はぁ、疲れた。ママ」


「……なんだい?」


「帰ろうか、私達の売春宿に」


「……うん、そうだね、帰ろう」


「うん!」


「取りあえずさっきのお触り代は、あの坊やのツケということにしておこうかね」


「え!? 本気で言ってるのママ?」


「当り前さー。舐められたらお終いだよ、あたし達の商売は~。これも前に教えただろ?」


「うん…… じゃあ、私が取り立てに行くね明日にでも」


「わざと明後日にして二日分の利息を付けときな」


「え? それも本気……」


「ふん! あの坊やじゃなきゃ、1年は放置してその分の利息を付けるとこさ! それにね……」


「それに?」


「払うか払わないかで、あの坊やのケツの穴の大きさが計れるってもんさ」


「……」


「どんな仲の相手でも、男に油断しちゃ駄目だよ、分かったかい!?」


「フフ…… はーい、ママ」


 笑顔で返事をしたウィロを見て、ヨコキは微笑む。


「キャミィを呼んで、正直に話して謝って許してくれたら、皆で夕食を食べよう」


「うん! キャミィはきっと許してくれるよ。夕食はキャミィの好物を私が作るね」


 夜が訪れる直前に届く赤く美しい光の中、二人は笑顔で会話を交わしながら売春宿に戻って行った。

 この後、売春宿に呼んだキャミィに、ヨコキは全てを打ち明けて、魔法石の販売を辞める様に言い謝罪をした。

 キャミィはヨコキの謝罪を受け入れ、引き続きこのイドエで暮らせるように、シンに協力すると申し出る。

 そしてこの二日後、シンは取り立てに来たウィロに言われるがまま、シャリィから借金をして、フォワのお触り代を支払うのであった。

 二日分の利息と共に……



    

 モリスの食堂に到着したユウ達は、皆で芋天を食している。


 あ~、この食感…… 元の世界を嫌でも思い出しちゃうよ。

 芋天なんて、ここに来るまでは天ぷらの具材の一つぐらいにしか思ってなかったけど、この世界で食べる芋天は、格別に美味しい。

 欲を言えば、天つゆと大根おろしが欲しいところだけど、そこまで贅沢は言えないよね。


「美味しいっぺぇ!」


「もしかしてシンが魔法で作ったっぺぇこれ!?」


「クルクル~、さくさくしてて、甘くて美味しい」


「ねぇ~、美味しいねクル」


「うん、クルのいう通り美味しい」


 三姉妹は仲良く同じテーブルで熱々の芋天を頬張っている。

 

「ナナ!?」


「なに?」


「こっちのも食べたっぺぇーかぁ!? 塩も美味しいっぺぇ!」


 ナナはリンから渡された芋天を手に取り口に運ぶ。


「サクサクパリンカリ」


「う~、これも美味しいっペぇ!」


「だっぺぇ!? あたしは砂糖よりも断然塩が良いっぺぇ、塩が!」


 ピカワンやナナ達は、夢中になって芋天を食べていた。


「ロス…… こりゃ……」


「うん、美味いの~」


 こんな料理を、シン君はいつから思いついとったんかの?

 このイモテンとやらはの、わしの想像を遥かに超えておるの……


「コリモンには先を越され、料理の奴等はこんな美味しい物を作りおっての…… それなのにの、この村の顔とも言える職人のわしらはの……」


「しょげるなの。わしらはこれからだの、これから」


 芋天を食した者達の表情は明るく、未来への手応えを感じて、皆が上機嫌であった。


 そんな中、ユウは厨房に山積みにされている芋天を見ていた。


「雑草を取り除いたらの、思っていたよりもずっとずっと芋があったからの! 遠慮はせんと、どんどん練習すればええからの!」


 芋畑を任された者達が戻って来て、皆にそう報告をしていた。


 だからあんなに沢山揚げているのか…… けど、時間が経つとサクサク感が失われるけど、大丈夫かな?


 そう思っていたユウの耳に、フルの声が聞こえてくる。


「美味しいねこれ。どんだけ練習で作っても心配ないよ、あたいが全部食べるからね」


「……」


 とっ、取りあえずフルさんが居れば、残す心配はしなくてもいいみたいだ。

 逆に口にしていない人が居ないかを心配しないと……

 あっ、そうだ!

 直ぐ近くにいる門番の人にも食べて貰おう。

 きっと喜んでくれる。

 

 ユウはテーブルに置かれているお皿に芋天を載せると、それを持って外に出て行く。


 しばらくして、ヨコキとの話を終えたシンが食堂に戻って来た。


「おおー、シン君! こりゃ大変な物を作ったの!」


「そうだの、そうだの。このイモテンは、大人気になるのは間違いないの!」


「シン君! 早くわしらにも服飾をやらせてくれのー。わしは悔しゅうて悔しゅうての~」


「シン! フルが食べ過ぎてるっペぇ! 怒ってくれっぺぇ」


「あたいに文句があるなら自分で来な。どすこーい!」


「あー、ピカツーがぁぁぁ」


「おぉー、流石だの~フルちゃんはの~」


「こりゃ良いものを見たの~。うちの孫が、紙の様に吹っ飛んだの~、がははははは」


「爺ちゃん笑ってる場合じゃないっぺぇーよ、ピカツーが死んじまうっぺぇ」


「あんた達のイモテンをよこしな! どすこーい、どすこーい!」


「ああああぁぁぁ」


「フルが狂ったっぺぇぁ!?」


「元々だっぺぇ!」


 フルが変わったと思ったのは、気のせいだったっペぇ……

 

 ピカワンはそう思っていた。


 フルが芋天を求めて暴れ始めると、一人の女性が芋天を山盛りに載せた皿をある男に素早く手渡す。


「ん?」


 思わず受け取ってしまったけどの、何処に持って行けと?


「フルちゃん! ほらほら、こいつがイモテンを独り占めしてるよ」

 

 その声に反応して振り向いたフルが、芋天を山盛りに載せた皿を持っている男に突進していく。


「どうして一人でそんなに持ってるんだい!? よこしな!」


「わ、わしのことかの!? 母ちゃん! なんでわしにフルちゃんをけしかけるんかの!?」


「どすこーい!」


「ぎゃああああああああ」


 悲鳴を上げる夫を見て、皆が笑顔を浮かべ、大きな声で笑っていた。

 その様子を笑顔で見ていたシンが、何かに気付く。



 ユウ……



「ピカワン、ユウは来てないの?」


「ユウ君ならだいぶ前にイモテン持って外に出かけてたっぺぇよ」


 外に? もしかして、ガーシュウィンさんのところへ……


 そう思ったシンがドアを開けて外に出ると、ちょうどフォワが戻って来た。


「フォワ、フォワ、フォワ」


 ん? どうしてそんなに息が切れているんだ?


 フォワが中に入り、ドアを閉めて食堂の喧騒を遮断すると、微かに門の方から話声が聞こえてくる。


 あの声は、ユウだよな。 そうか…… 門番に芋天を持って行ってあげてたのか……


 安心したシンは、ゆっくりと門に向かって歩き始める。


「おーい、ユウ……」




 戻って来たユウに、シンが問いかける。


「何を話していたの?」


「うん? うん、ちょっとね」


 薄っすらと笑みを浮かべ、瞳を輝かせているユウを見たシンは、それ以上何も聞くことは無かった。


「……そうか」


「ねぇ、シン」


「うん?」


「まさか天ぷらを作るなんて」


「天ぷらと言っても、芋天とハーブだけだけどな」


「味は美味しいし、それにあの食感! たまらないよ。油とかどうしたの?」


「芋と小麦粉とハーブ以外は、全部シャリィに用意して貰った。これからも大量に必要だけど、どうやら大丈夫みたいだ」


「そうなの!? 良かったぁ、それならいつでも天ぷらが食べられるんだね」


「ふっ、どうやらユウには、次も喜んでもらえそうだ」


「え!? なに? なになに!? ランゲの事!?」


「まーな。だけどまだ秘密」


「えー、教えてよー、いいじゃん僕には先に教えてくれても―」


「だーめ。どう改良するのか、楽しみに待っててくれ」


「えー」


 その時、食堂からフルの雄叫びと、椅子やテーブルが倒れる音が聞こえてくる。


「どすこーい!」


「ガラガラー、ドタン」


「あー、誰かフルさんの張り手にやられちゃったみたいだよ」


 二人は頬を重ね、小さな窓から中を覗く。


「フォワ! フォワフォワフォワ!!」


 フォワか……

 フォワ君だ……


「ふっ、止めに行くか?」


「うん! 行こう!」


 二人は笑顔を突き合わせ、勢い良くドアを開けて入って行った。


 この時既に陽は落ちて暗くなっていたが、皆の心には、決して消える事の無い希望という名の光が輝いていたのであった。



「どすこーい!」



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