103 オーバーラップ


 大木は、まるで大気を切り裂くかのように枝を伸ばし、空を覆う様に葉を茂らせているが、全てを闇にすることは出来ない。

 隙間から射し込む光が、スポットライトの様にシンを照らす。


 もう朝か……

 一晩中考えていたシンは、大木の根に腰を下ろした状態で一夜を過ごした。

 イドエに法と秩序を取り戻す以外に安定をもたらす方法をいくつか思い付くが、どれも前者を凌ぐほどのものではない。


 元の世界と同じで、この世界でも国や領地によって法律は異なる。

 イドエでは政治犯や元冒険者の犯罪者ファレン、その他強盗殺人、連続殺人、そして、キャミィの罪…… 魔法石の転売などの凶悪犯以外であれば、村、またはSランク冒険者の権限で償わせる事が出来る。だが、原則として手心を加える事は許されておらず、罪に似合う罰を下す必要がある。

 村が行う場合は、立ち合い人が必要で、Sランク冒険者や、支部長クラスの冒険者。他にも警備の支部長クラス、裁判官や執行官。それに領主や一部の貴族や王族などである。


 イプリモでは、シンの傷害事件を己の権限で裁こうとしたのをマガリに強く止められたが、イドエではその権限を、場合によっては記録に残ろうとも行使する気である。

 しかし、キャミィの件でシャリィに出来るのは大きく分けて二つ。一つは今のまま黙認する事。そしてもう一つ…… 刑を執行する事である。

 

 横領をしていた村長さん…… それに反村長派の連中も副村長の横領からおこぼれを頂いていた。

 噂は流せても、お互いメスを入れる事が出来ない箇所……

 しかも、領主は横領の事実を知っていて黙認している。 

 それはイドエでの目的の為に…… 被害者が居なければ、この罪は成立しない…… 


 だけど、キャミィちゃんの件は、そうはいかないのだろう?

 そうじゃないと、つじつまがあわないもんな、シャリィ……

 イプリモで聞いた話が本当なら、魔法石は教会が…… 

 教会絡みの犯罪は、また別物という訳か……

 それは、教会が余程の力を持っているからなのか…… それとも、魔法石には何らかの秘密がある…… そうなのか……

 いや、もっと単純な話かもしれない……

 

 村長さんの件も、罪にならないと高をくくっている訳にもいかない。そちらの対策も考えておかないと……


 ……兎に角、今は戻るか。ユウにいらぬ心配をかける訳にもいかない。


 結局何の答えも出せなかったシンは、立ちあがってイドエへと向かう。


 うん? やっと戻るのか~。

 あいつのせいで、ろくに眠る事も出来なかったじゃないか!

 ……けど、あいつに何かあれば、僕がシャリィに怒られちゃうから仕方がない。


 シンが旧道に近付いた時、何者かが歩いているのが目に留まる。

 

 あれは…… タニアさん……


    

 モリスの食堂を手伝っているタニアは、いつもの様に掘り返した場所に何かを入れて埋めている。シンはその一部始終を見ていた。


「……」


 俺達が村でやっている事が筒抜けなのは百も承知だ。ロスさん達と分かり合えても、反村長派の人達もまだまだいる。それに他と通じている者達も……

 今となっては、むしろ俺達が村でしている事を幅広く知ってもらいたいぐらいだ。

 だけど…… だけど、キャミィちゃんの事は……


 シンはタニアが居なくなるまで、森に身を隠していた。



「……あの女も取りに来る奴等も面倒だからまとめて殺しちゃえばいいのに。そうすれば僕の可愛い魔獣の肉が増える足しになるじゃん!」


 ゼロアスはシンがイドエに入って行くのを確認した後、空を見上げる。


「はぁーー、いつまでここに居るつもり? 早くウースに帰りたい……」


 

 戻って来たシンは、ドアの前で佇んでいた。その理由は、もしかするとユウが起きているかも知れないと思っていたからだ。

 そっとドアを開けて中を覗くと、幸いな事にユウはベッドで熟睡していた。


「……」


 良かった。もしユウが起きていて何か聞かれたら、今の俺は……


 ぐっすりと眠っているユウに視線を向け、しばらく見つめた後、起こさない様にそっとベッドに入り目を閉じる。


 

 

「……ン」


「……」


「シ……」


「……ん?」


「あ、起きた?」


「うん?」


 ……ユウか。


「ううーん、起きたよ」


 いつもは直ぐに起きるのに、珍しい……


「シン?」


「ん?」


「昨日の夜は何処に行ってたの?」


 シャリィさんに可愛いと言って貰えた詩をシンにも見て欲しかったのに……


「……あー、夜か」


「う、うん」


「実はな、この村で知り合った人妻がな、旦那が戻る前にもう一度だけ抱いてくれってしつこく言うんだよ」


「……はぁ?」


「村がこれからって時にだぞ!? だからそんな事を二度と言わないぐらい朝まで抱いてやってたんだ」


「……な、なっ、何を言っているの!?」


「いや、だから夜何していたかって聞くからさ……」


「もういいよ! シンは…… あれだからね!」


「あれって何だよ?」


「正直なのも考えようだよ!?」


「うー、そうかな?」


「そうだよ! もぅー、僕は先に朝食に行ってくるから!」


 そう言うと、ユウは部屋から出て行った。


「……ふぅー」


 シンは大きなため息をついた。





「よぉー、シャリィにバリー、おはよう!」


 食堂に来たシンは、いつもと何ら変わりの無い様子である。


「あら、おはようシーン」


 元気そうね…… 昨日の夕食の時は、普段と違ってたけど……


「おはよう」


「シャリィ、何食ってんだ?」


「……ハンボワンだ」


 シャリィもまた、いつもと変わらない。


 うげっ、ハンボワン!?


「そ、そうか…… 俺はっと…… モリスさーん、野菜スープとパンをお願いしまーす」


「はーい、直ぐにお持ちしますね」


「さてと、メシ食ったら今日は何しようかな~」


 あっ、そうだシンに詩を……


 ユウが口に出そうとしたその時、食堂のドアが開いて目を向ける。するとそこにはスピワンが立っていた。


「皆さん、おはようございます。シンさん、ちょっといいかの?」


「スピワンさん、シンって呼んでください。どうしました?」


「……分かったの。あ、そりゃ食事中だの。申し訳ないの」


「全然大丈夫です」


「すまんのう。それがの、急で申し訳ないがの、実はの、会って貰いたい人がおるんだがのう」


 会って貰いたい人……


「分かりました。では、行きましょう」


「いやいやいや、食事の後でいいんだがのう。すまんがの、後で村長さんの家に尋ねて来てくれんかの?」


「はい。食事が終わり次第直ぐに行きます」


「ユウさんも是非頼むのう」


 僕も……


「は、はい、分かりました」


「では、また後でのう」


 シャリィとバリーに挨拶をして、その場を去ろうとしたスピワンをユウが呼び止める。


「あのー」


「ん? 何だの?」


「僕の事もユウでお願いします」


「……分かったの。けどの…… 村の為に色々してくれている人を呼び捨てするのはのう。シン君とユウ君で、これでええかのう?」


 そう言われたシンとユウは、スピワンに笑顔を向け頷く。

 食堂から出て、レティシア宅に向かう途中にスピワンは思った。


 あの二人もそうだがの、シャリィ様もバリーさんも、全く偉そうにせんのう。


 歩いているスピワンは、自然と笑顔を浮かべていた。



「あちきは畑と街道の見回りに行ってくるわ」


「バリーさん、お気をつけて」


「いつもありがとうバリー」


 バリーは唇を尖らせ、シンとユウにキスをする様な仕草をして出て行った。


「……」 「……」 



「私も出かけて来る」


「了解、気を付けてな」


「シャリィさん、お気をつけて」


 シャリィを見送った二人は食事を済ませると、レティシア邸へと向かう。

 その途中、ユウは意を決して口を開く。


「シン」


「うん?」


「あのね、実は曲の詩を書いてみたんだ……」


「おっ、まぢか!? 見たい見たい!」


 良かった、喜んでくれている。あとは内容でどんな反応をするのか……


「部屋に置いているから、後で見てくれる?」


「勿論だよ! 今からでも引き返したいぐらい楽しみだ!」


 うっ、そんな期待されても……


 レティシア邸に着くと、スピワンが外で待っていた。


「スピワンさん、わざわざ外で待ってなくても……」


「いやのー、そういう訳ではないがのう」


 ん?


「兎に角中に入ってくれの」


 中に入ると、レティシアは不在で数名の老人達がおり、シンはその老人達に目を向ける。


 話し合いの時に見た事ある。

 いったいこの中の誰と、俺達を会わせたいのかな……


 そう考えているシンに、スピワンが話しかける。


「すまんがの、会わせたい人物がまだ来ておらんでの」


 この人達では無かったのか……


「この時間には、とっくに来るように伝えておったらしいんだがの。だいぶ前にロスと村長さんが呼びに行ったんだがの、二人も戻ってこんでの」


 それで気になって外で待ってたのか……


「すまんの、時間を取らせて」


「いえいえ、全然大丈夫ですよ。な、ユウ」


「うん、大丈夫です」


 シンとユウの二人はソファに腰を下ろし、その場に居る老人達から昔のイドエの思い出話を聞く。

 今と比べると夢の様だった町、イドエの本当の姿を……

 皆が笑顔で会話をしていたが、スピワンはそわそわとして落ち着かない。


 遅いのう…… 急に来て貰った二人に悪いのう。

 これ以上待たせるのはの…… よし、わしも呼びに行くかいのう。


 スピワンがそう思っていたちょうどその時、ロスとレティシアが戻ってくる。


 シンは会う予定の人物を向かい入れるために立ち上がる。

 それを見たユウも遅れて立つ。

 だが…… 二人の目に映っていたのは、ロスとレティシアのみであった。


「シンさん、ユウさん、すみませんご足労お掛けしまして」


「いえいえ、全然ですって」


「はい、本当に全然平気ですので」


 そう言われても、ロスとレティシアは申し訳なさそうな表情を浮かべている。

 そして、ロスが事情を説明する。


「……すまんのう。その、二人に会わせたかった人物が、どうしても家から出てこんで、返事もせんもんでの……」


「……本来なら村長の私がお二人に会わせるよう手配するのが当然でしたが、ロスさんやスピワンさんからお聞きするまで、あの方の事を忘れておりまして…… 誠に申し訳ありません」


 レティシアの謝罪を受け、シンとユウは顔を見合わす。


「……いや、あの~」


 まいったな……


 かしこまっているシンに代わり、ユウがその人物について質問をする。  


「あのー、僕達に会わせたい人っていうのは……」


 大切な事を伝え忘れていた事に気付いたロスとレティシアはハッとする。


「あ、ああ、そうだの、忘れておったの。すまんのう。実はの……」




「……ヴィセト・ガーシュウィン」


「そうだの。ただしの、ただの舞台監督ではないの。天才と呼ばれたレジェンドだの!」


 レジェンド…… 


「監督だけではなくての、演出や演劇に関わる全ての事にも優れておっての、ガーシュウィン一人居れば事足りるとか、100年200年先の演劇まで見えとって、その時その時に合った演劇を作り出しておるとまで賛美されておってのう。演劇に関わる者、演劇好きな者で、彼の名を知らない者など存在せんと言われておったの」


 どうしてそんな人が今のイドエにいるのかな?


「何かの助けになればと思って、どうしても会わせたかったんだがの。昨日は家に行くと、ちょうど庭におっての、ここに来るように頼んだがのう……」


「その方は…… 元々この村の住人なのですか?」


 ユウの言葉に、レティシアとロスは顔を見合わす。


「それがの…… いつからこの村に移り住み始めたのか、誰も知らんでの」


 誰も知らないの?


「それこそ元々はゲルツウォンツ王国の王都におった人だの」


 確かレティシアさんのお祖父さんが亡くなった後に組合長になった人が移り住んだ国…… そこからこの村に?


「わしがあの人を見かけ始めたのは…… たぶん十年…… いや、もっと前かの」


「そうだの、十何年か前だの。それと、イドエが以前の町だった頃に、わしは一度だけ訪れたのを見た記憶はあるの」


 スピワンの言葉に、ロスを始め他の老人達も頷く。


 ここで一人の老人が口を開く。


「だいぶ前にあたしが見かけた時にの、声をかけたがの、あたしを見もしないし、何にも言わんでの…… それからたまに見かけても声をかけにくくての」


「実はの…… 昨日もそんな感じだったんだの…… 恐らくだがの、誰とも付き合いをせずに、空き家に勝手に住みついておるんだがの」


「その人の住んでる空き家ってどこですか?」


「元々はあのガルカス達がいた辺りだの」


 そんな危険な場所に一人で住んでいたの!?


 ユウは顔をしかめる。


 

 100年200年先…… 会ってみたい。そう、俺は絶対にその人に、会わなければ……


  

 黙って話を聞いていたシンは、ヴィセト・ガーシュウィンと会う決意をする。


「ロスさん」


「何だの?」


「宜しければ、その方の家に案内して頂けますか?」


 シンの言葉に、ロスは何度も頷く。


「うんうん、行こうかの!」 


 


 その頃シャリィは、ストビーエとイドエの中間地点辺りの森に居た。


「うぃ~。ほらよ、これが頼まれてたやつな」


 シャリィに近付き、大量の魔法紙を渡すダミ声で小太りの男。その者は冒険者で、名をレキ・ゼスという。


「おいおい知ってるか? ストビーエの冒険者ギルドの支部長や幹部は今不在らしいぞ~」


「……私の厄介事に巻き込まれたくないのだろう」


「だらしねーなー。それで休暇を取ったり、依頼を受けたふりをして町から離れるなんてよー。地位が出来上がると、守りに入っちまう奴が多すぎだが、そうじゃないだろ! 人生攻めの一手だろ!?」


「まだその言葉を使っているのか?」


「あったりめーだ、俺の信念だぞ! まぁ、だいたい上に登るのは糞みたいな連中だから、こんな時に本性が分かるよな!? 俺みたいに生涯現場主義を真似できねーだろあいつら! マガリの大馬鹿野郎にもそう言っておいてくれや! じゃい!」


「……機会があればな」


 会話をしながらも、魔法紙に目を通すシャリィ。


「あーっと、気を利かせて予定の人数よりだいぶ多めに調べて来たぞ。多少のカモフラになるだろう? 必要かどうか知らねーけどな、じゃい! 俺様の魔法紙・・・・・・だし、少々値が張るが、ぼったくってる訳じゃないぞ」


 レキはシャリィに向けて人差し指、中指、薬指の順番で計3本の指を立て、小指を上げたり下げたりと迷っていたが、最終的には意を決して小指も立てる。

 それをチラ見するシャリィ。


「問題ない」


「おほっ!」


 やったぁー! 今日は酒池肉林じゃいじゃい!


 渡された魔法紙を、凄まじいスピードで捲っているその指が突然止まる。


「……ご苦労だった。お前もしばらく身を隠すか?」


 シャリィは革袋をレキに渡す。


「馬鹿野郎ー、冗談でも言って良い事と悪い事があるぞ! 誰が相手でも、人生攻めの一手よ! また何かあったらいつでも言ってくれ、金次第では何でもやるぞ。しばらくはストビーエにでもいるからよ! 今日はセッティモでねぇーちゃん囲って朝まで飲むけどな! じゃいじゃい!」


 そう言ってレキは去って行く。

 全ての確認が終わり、シャリィの手から離れた魔法紙は、まるで風に溶け込むかのように消え去って行く。


 ……ふっ、よく耳にする話だ。

 お前の世界では、どうなのだ……




「シン君、ここだの」


「……」


 かつて天才と呼ばれ、名声をほしいままにしていた人物が住んでいるにしては、余りにもみすぼらしい建物。

 その家の前に、シンとユウ、そしてロスとスピワンの4人が立っていた。


「こ、ここに?」


 そう言ったユウは屋根に目を向ける。

 

 ……これ、絶対雨漏りしているよね?


 一見でそう思うほど、家はボロボロであったのだ。


「すみませーん」


「ドンドンドン」


 今にも倒れてきそうなドアをノックし、何度か呼びかけるが、応答はない。


「……もしかして、出かけているのかな?」


 ユウの問いかけに、ロスが答える。


「うーん、そうかもしれんけどのう……」

 

 4人は家から少し離れた所で小声で話し合う。


「元々変わり者で有名な人だったからの……」


「……それなら、何度も何度もしつこく尋ねたら、機嫌を損ねて会う事すら難しくなるかもしれないですね」


「そうだの」


「家も分かったので、後は俺に任せて貰えますか?」


「……シン君がそういうならの。すまんのう何も出来んで……」


「いいえ、助かってます。ありがとうございます」


 そう、この情報は本当に……


 ロスとスピワンとはここで別れ、シンとユウは昼食の為モリスの食堂へと向かう。


 うん、いよいよだ! お昼ご飯を食べたら、詩を見て貰おう!

  

「先に注文しててくれ、俺はちょっと馬の様子を見てくるよ。直ぐに戻るからさ」


「あ、うん! 分かった」


 シンが馬小屋に入ると、門側の入り口からちょうどシャリィも馬小屋に入ってくる。    


 シャリィ……

  

「シン」


「ん?」


「少し良いか?」


「あぁ、全然いいよ」



「ブルルルー」



「残った者達だが……」


「あぁ」


「私も調べてみたが、村が事前に調べていた通り問題は無い」


 シンが返事をしようとしたその時!?


「一人を除いてな」


 そう一言付け足すと、シンとシャリィの視線が絡み合う。


「……誰なんだ、その一人は?」


 シャリィは、シンの目を見つめる。


 

「……ヨコキだ」



「ヨコキさんが!?」


「あぁ、そういう事だ」


 シャリィが出て行った馬小屋で、一人残ったシンは項垂れる。



「ブルルブルルルルー」



 ヨコキさんが…… 村やシャリィでは償わす事が出来ない重罪人……


 この時、シンの脳裏に自己保身という言葉が浮かぶ。


 ……いや、あの人はそんな人じゃない。この村を今のままにしておきたいのは、決して、そんな理由ではない。そんな気が、するんだ……


 ヨコキには是が非でも村に残って貰おうと考えていたシンに、再び大きな問題が訪れてしまう。


 ふっ、悪い事ってのは…… どうやらこの世界でも畳み掛けて来るもののようだな。


 シンはこのような状況にも関わらず、薄っすらと笑みを浮かべていた。


「ブルルー」





「はい、これどうぞ」


「ありがとうジュリちゃん。うわー、美味しそう」


「んふふ」


 って、それにしても、遅いなシン。

 料理が冷めちゃうと、モリスさんに悪いから、先にゆっくり食べてようっと……


 その頃シンは、食堂へは戻らず、再びガーシュウィンの家に向かっていた。先ほどの話で、いてもたってもいられなくなったのだ。


 少しでも早く会って話を…… 


 急ぐシンを、呼び止める者が現れる。

 

「ねぇ、ちょっといい?」


 声がした方に顔を向けると、そこには……


 確かこの人は、ヨコキさんの……


 呼び止めたのは、昨日ヨコキと話し合っているシンを見つめていたウィロであった。


「どうも…… 何の用かな?」


「……」


 ウィロは無言でシンの目をジッと見つめる。

 そして……


「あの男の家」


「えっ?」


「あなた達がさっき訪ねてた家、あの人に用事があるんでしょ?」


「あっ、は、はい!」


「……橋渡しをしてあげるから、そのかわり」


「……」


「私の話も聞いてくれる?」


「勿論です。では先に、お話から伺います」


「……面倒だから、一緒でいい」


 一緒……


 ウィロはガーシュウィンの家に向かって歩き出す。

 シンはその後を黙ってついて行く。



 ごめんねママ……



 ガーシュウィンの家に着いたウィロは、正面ではなく、小さな庭に入って行き、そこから裏口に回る。

 

「トントントン」


「私よ、開けて」


 しばらく間を置いて、ウィロがノックしたドアがゆっくりと開く。


 この人が……

 

 開いたドアの内側には、60歳前後ぐらいの男性が立っていた。


「あ、あの、初めまして、俺はシン・ウースといいます」


 ガーシュウィンと思われる男は痩せこけ、髪はボサボサ、髭も伸び放題。

 虚ろな目でウィロを見つめているが、口を開いたシンには全くといって良いほど反応しない。


「……」 

 

 男は無言で奥へと戻って行く。


「入って」


「お、お邪魔します」


 ウィロがシンを招き入れ、ドアを閉め二人で男の後に続く。


 ……この家。中も酷い…… まるで、ゴミ屋敷だ……

 

 至る所に本や紙、崩れた家の木材が散乱しており、真っ直ぐに歩く事も出来ない。 

 男は部屋に戻ると、ベッドに倒れる様に横になる。

 ウィロはそんな男の側に、持って来ていたパンを鞄から取り出してそっと置く。

 身体を動かすことなく、目のみでそれを見た男は、ゆっくりと上半身を起こし、パンを手に取り食事を始める。


「……」


 この人は……


 切ない表情で男を見つめるシンを、ウィロは見ている。


「……今日は」


「……」


「今日はこんな感じだけど、饒舌になる時もあるの。たまにだけど……」


「そうなんですね……」


「……」


 シンは思わず俯いてしまう。


「この人と出会ったのは十年以上前で、以前は普通だった…… 変わり者だけどね」


「……」


「道端で私を見て、誰かと間違って急に泣き出して……」


「……」


「別に売春宿みせの客でもないけど、私も何故か気になっちゃって…… それからずっとこんな付き合い」


「……そうですか」


 男はパン屑の付いた指をペロペロと舐めている。その様子を、シンは見ている。


「……騙したみたいで悪いけど」


「……い、いえ」


「約束通り、私の話を聞いてくれる?」


 ここで……


「……分かりました」


 一度俯いたウィロは、顔を上げてシンの目を見て口を開く。


「ママはね……」




 うーん、遅いなんてものじゃない……

 馬小屋に見に行ってみよう。


 ユウがそう思って席を立つと、ピカワンやフォワが食堂に入って来た。


「フォワ!」


「ユウ君!」


「あっ、皆!」


 久しぶりって感じ……


「一緒にお昼ご飯食べたいっペぇけど、もう食ったっペぇ?」


「うん、シンを待っていたけど、先に食べちゃった」


「シンは何処っぺぇ?」


「馬小屋に行くって言ってて、今から見に行こうかと」


「おらも一緒に行くっペぇ」


「うん!」


 皆で馬小屋に行くが、当然シンの姿はそこに無い。


「ブルブルブルルー」


「フォワ~」


 シン、いったいどこへ……




 その頃シンは、ガーシュウィンの家で、ずっとウィロの話を聞いていた。


「それで、それで…… ママがキャミィにした事に、私はどうしても納得出来なくて」



 そうか、ヨコキさんはそんな…… そんな人なのか……



 ウィロの話を聞いて、シンはヨコキの目的に気付く。


「あんな事…… 今までのママなら絶対にしないのに…… どうして、どうしてキャミィを……」


 ウィロは涙を流し始める。


「うぅぅ」


 話には何の反応も見せなかった男が、手で顔を覆い涙を流すウィロをジッと見つめる。そして……


「ぼそぼそぼそ」


 小さな声で何かを呟いたが、シンには聞き取れなかった。


「ウィロさん」


 シンは泣き崩れているウィロの肩に手を乗せる。


「任せてくれ」


「……」


「必ず、必ず二人は俺が助ける」


「……」


「だからあなたも・・・・、俺を信じてくれ」


 ウィロにそう語り掛けるシンに、ガーシュウィンが初めて反応を示すと、再び……


「ぼそぼそぼそぼそ」 


 その言葉を聞いたウィロは、肩に置かれたシンの手を取り、激しく涙を流し始める。


「うわぁぁぁぁん」


 ウィロの手を握り返し、背中に左手を優しく回したシンは、自分を奮い立たせるかのように決意を口にする。


「あの人達は…… 絶対に、誰にも裁かせやしない」


 そんなシンを、ガーシュウィンが見ていた。


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