100 眼差し


 柔らかな風が心地よく吹く中、シンは木陰で寝転んでいる。

 あの話し合いから3日後、僕は苦戦していた。


 うーん……


「ピチャン」


「あっ! もぉー、また取られちゃった、難しいなぁ……」


「チュチュチュー」


 小鳥の泣き声が頭上から聞こえ、ユウは見上げる。


 あ、綺麗な鳥……

 

 小鳥はとまっていた木の枝から飛び立つと、青一色の空を背景にして舞う。

 ユウはその小鳥を目で追いかける。

 優しい眼差しで……

 

 美しい…… 

 一旦上がろうかな? 足が冷たいや。


「ザブザブ」


 おっと、静かに静かに……


 ユウは寝転んでいるシンの元へと歩いて行く。

 それに気づいたシンは薄目を開けてユウを見る。


「どうだった?」


「全然駄目だよ」


「ふふ、少し休憩するか?」


「うん」


 ユウは寝転んでいるシンの隣に座る。


「ふぅ~」

 

 大きく息をついて空を見上げると、東京で見ていた空の青とは違い透明感のある澄んだ青色の中に、綿あめの様に白く美しい雲が流れていた。


 初めてかも知れない…… この世界に来てから、こんなにも心が穏やかなのは……


 三日前、屋敷での話し合いで、ナナちゃん達とロスさん達は一つになった。

 ピカワン君やナナちゃんの心からの叫びに、ロスさんや村の老人達は応えてくれた。

 抱き合って涙を流すあのシーンは、美しくて本当に、本当に心が洗われるようだった。

 とはいっても、村にはまだ反対派の人も少なからずいると聞いている。

 けど、僕はそんな事を気にせずに、アイドルの事に専念してくれとシンから頼まれている。

 うん、頑張ろう……

 

 ユウは隣で寝転んでいるシンに目を向ける。


 シンは…… シンは本当に不思議だ……

 何となくだけど、あの出来事はシンがそうなる様にしたのではないかと感じる。

 ……僕は改めて思った。シンは普通のヤンキーではないと……

 コミュ力もあり、多才で沢山の人に慕われる。それなのに、どうしてヤンキーなんかに……





 三日前の夜……


「何だってぇ!? ほんとかいその話は!?」


「……はい」


 反村長派の職員から、あのロスがシャリィに協力するという話を聞いたヨコキは驚愕していた。


 あの…… あの冒険者嫌いの頑固ジジィをいったい、いったい何をもって変えたんだい坊や……

 どうやって、どうやってあのジジィ達を……


 目を見開き、口は半開きになり呆然としていたその時……


「×○▽ー」


「〇×▽〇×ー!?」


「……何だい!? 騒がしいねぇ!」


 売春宿の二階から聞こえた声に反応した後、報告に来た職員に目を向ける。


「分かったからあんたはもう帰りな」


「はい」


「ご苦労だったね。農業ギルドには……」


「はい、報告しておきます」


「頼むよ……」



 ヨコキは二階への階段を上りながら再び考えていた。 

 

 坊やは、いったい……

 


「いったい何をしたの!?」


「俺のー、俺のせいじゃないよー、わかんないよー」


 客とウィロが言い争っている部屋にヨコキが入ってくる。


「うるさいねぇ! 他にもお客さんがいるんだよ、静かにしなっ!」 

 

「ママ……」


「あっ、ヨコキ! 俺は、俺は何にもしてない!」


 ヨコキの視線の先には、泣きじゃくるキャミィの姿があった。

 そんなキャミィを、ヨコキは鋭い目で見つめる。


 ……キャミィ

 

「ヨコキ!」


「……」


「聞いてるかヨコキ!? 俺は何もしてねーからな!」


「……」


「ただよー、俺のケツの穴を鼻が付くぐらい近くで見詰めてくれって、それだけのプレイをしてたんだよ!」


 その言葉を聞いたウィロの顔が歪む。


「これは追加料金がいらないって前に聞いてたからよー、セーフだよな!?」 


「……」


「たっぷり見て貰って興奮したからよー、少し触ったら急に泣き出してよー。信じてくれ、俺は乱暴には扱ってないよー」


「……うるさいねぇ! 黙ってな!!」   


「はっ、はい!」  


 ヨコキは泣きじゃくるキャミィから視線を外さない。


「ひっく…… マッ、ママァ。ごめん、ひっく。うわあぁぁぁん。ごめんなさい……」


「……」


「どうしてか分からないけど、分からないけど駄目なのぅー。うぁああぁ。男の人に触られるのが、もう嫌なのぅーああああうぅぅ」


 キャミィ……


 ヨコキは無表情でキャミィを見つめる。


 キャミィ、あんたは…… あんたは本当に、本当に良い子だねぇ~。

 よくここまで我慢したねぇ。

 他の売春婦なら、ここまでは持たなかったさぁ。

  


「うぁああん」


「キャミィ…… 泣く必要はないさぁ……」


「ママァー、うぁああん」


 少し笑みを浮かべたヨコキを、ウィロは見ていた。

 

 ……キャミィは間違いなく例の病気。 

 こうなるのは…… こうなるのは、分かっていたよねママ……

 



 

 朝、9時過ぎ……


「えっ? 釣り?」


「あぁ、近くに良い感じの川があるらしいんだ」


 ……釣りかぁ。


 あの話し合いの後、僕達は休みを取っていた。

 ピカワン君達に家族水入らずで過ごさせてあげようというシンの意見で、休みは今日で三日目だ。

 といっても、実質休んでいたのは僕だけで、バリーさんは魔獣退治、シャリィさんやシンはレティシアさんと毎日話し合っていた。

 そしてその話し合いの中から、別の村や町に出稼ぎに行っている村人に、イドエに戻る様に連絡を送る事が決定した。 

 まずは遠い村や町の人達に、それからイドエに近い村や町に居る人達にと、レティシアさんの話では順調なら2週間ぐらいで全ての人達が戻ってくるのではないかという話であった。

 その人達が安全に戻れるようにと、シャリィさんとバリーさんは、いつにもまして魔獣退治に精を出していた。

 特にバリーさんの働きは凄まじく、なんとSランク冒険者のシャリィさんよりも多くの魔獣を狩ったそうだ。

 皆の、皆のお父さんやお母さんが戻ってくる。

 明るい話題が続く……

 

「もうこの辺りに魔獣は一匹もいないらしいから、釣りにでも行かないか?」


「……そうだね、行こうか!」


 ユウの返事を聞いたシンは笑顔になる。


「じゃあ準備してくるよ。バニでもしててくれ」


「うん」


「あー、実はな、昨日から用意してたんだ。だから直ぐに準備できるからぁ」


「うん、分かった」


 ふふ、シンの顔…… 子供みたいに嬉しそうに……

 釣りかぁ…… 元の世界でもした事ないけど、大丈夫かな?

 そういえば、この世界に最初来た時、シンと二人で魚を取って空腹をしのいでいた。なんか、少し懐かしい気がする……

 


 

 その頃ピカワンは……


「ここだっぺぇ!」


「うん? むむむむむぅ」


「どうだっぺぇじいちゃん」


「うぅぅぅ、その一手は…… まった!」


 祖父のスピワンと、チェスの様なゲームで遊んでいた。

 ピカツーとフォワの二人はそれを見ており、フォワはピカワンを、ピカツーはスピワンを応援していた。


「駄目っぺぇ、まったは無しってルールっぺぇーよ」

 

「フォワ~」


「むむむむぅ」


「ふふふふ」 「フォワフォワ~」 


 盤を見つめるピカツーは、何かを思いつく。


「じいちゃん」


「うん?」


「ゴニョゴニョ、ゴニョゴニョっぺぇ」 


「うん!? ……そうか!? ここだの!」


 スピワンはピカツーのアドバイス通りの一手を打つ。


「……えっ!?」 「フォワ!?」


「どうかのう? ふはははは、どうやら逆転の一手のようだの~」


「うーーん…… じいちゃんそれ、まったっぺぇ」


「ふははは、まったは無しだのう」


 顔をしかめ、悔しがるピカワン。


「うううぅ、フォワも何か良い手を考えるっペぇ!」


 そう言われたフォワは目を見開き、スピワンの後方を見ている。


「うん? どうしたかのうフォワ? わしの後ろに、誰かおるんかいのう?」


 そう言ったスピワンとピカツーが振り向いた瞬間、フォワはスピワンの駒を動かす。

 それを見たピカワンは、まるで何も見ていないかの様に惚けて顔を背ける。


「誰もおらんがのう」


「うーん、ここっぺぇ!」


「うん…… その手は…… ちょっと待て!? わしの駒がおかしいのう」


「フォワフォワフォワ~」


「嘘をつくでないのうフォワ」


「ふふ、どうやらおらの勝ちっぺぇね」


「いや、ちょっとまてのう」


「まったは無しっぺぇーよ」


「そのまてじゃないのう」


「あら、じいさんが負けたんかのう。ピカワンも強くなったのう」


 祖母が二人の勝負を見にやって来た。


「いや、わしが勝っておったんだのう。婆さんは見とらんかったかの、フォワがわしの駒を動かしたんだのう」


「見とらんけどのう」


「フォフォ、フォワ……」 「ぷっふふふふ」


「お前ら二人とも、笑っとるじゃないかの!」


 そう指摘された二人は、我慢する事を止めて大声で笑いだす。


「ふっはははははは」


「フォフォフォフォワ~」


 そんな二人を見たスピワンも、そしてピカツーも笑い始める。


「……ぶっ、ぶははははは」


「あはははははは」


 祖母はお腹を抱えて笑う4人を、笑顔で眺めていた。 



 


「こっちだ。ユウ、こっち」 

  

「うん!」


 シンとユウの二人は村の外に出て、旧道を奥に進み川を目指していた。


「モリスさんに聞いた話だと、たぶんこの脇道を入って行くんだよ」 


「うん。……って、これ道なの?」


 しばらくの間、誰も通ってなかったのかな…… って、それはそうだよね。


 草を掻き分けて進むシン。


「俺の踏んだ後を付いて来いよ、草が多くて足元が見えづらくて危ないから」


「分かった」


 そんな道なき道を進む事十数分。


「聞こえるか?」


「うんうん、聞こえる。聞こえるよ、水の流れる音が!」


 更に進むと、二人の目前に川が見えたが、河原までは数メートルの段差がある。

 シンは平然とその斜面を下り始める。生えている草を掴み、次に降りてくるユウの為に足元を強く踏みつけて固め、器用に降りて行く。


「よし! 俺の足跡通り降りて来いよー」 

 

「うん」


 と、返事をしたものの…… これは難しいぞ!?

 確かシンはこの辺りの草を掴んで、こうやって…… うん、足元はしっかりとして崩れないし、歩幅もピッタリだ。これなら……


 意外と楽にユウも河原まで下りる事が出来た。 


「ふぅ~」


「手とか擦りむいてない?」


「うん、大丈夫」


「じゃあ次はっと……」


 ユウの無事を確認したシンは、辺りをキョロキョロと見回し、何かを探し始める。


「うーん、ないなぁ~」


「何を探しているの?」


「竿になりそうな竹を探しているんだけど…… 無いなぁ」


「……竹?」


 ユウもシンと同じ様に辺りを見回すが……


 うーん、確かに竹は見当たらない。

 この世界は僕達の世界とそっくりだから竹もありそうだけど……


「ここに来るまでも見てたけど無かったからな。まぁ、しかたない」


 シンはそう言うと、落ちている木の枝を拾い始める。


「この前の大雨と風で、でかい枝も落ちてる」


 確かに……


「ちょっと重いけど、これなら使えそうだな」


 シンは鞄に手を入れると、短剣を取り出した。


「その短剣は?」


「これな、昨日シャリィから借りてたんだ」


 シャリィさんから……


 シンは拾った大きな枝から更に分かれている枝に、短剣を抜いて合わせる。

 そして力を入れると……

 

「はぇっ!?」


 枝は一瞬にして切れた。


「どうしたの?」


「……いや。この短剣……」


「短剣がどうしたの?」


「凄い切れ味なんだ…… スパっと切れた感じがして……」


 シンはさっきと同じ様に枝を削いでみる。


 やっぱりだ!? 全然力を必要としない。

 なんて切れ味なんだ……


 夢中で枝を削ぐシンは、竿にするはずだった枝が短くなるまで切ってしまう。


「シン……」


「ん? あー、こんなにも短く!? いや~、あまりに切れ味がいいから、つい夢中に…… ユウもやってみるか?」


「いいの!? うん、やりたい!」


 シンは短剣を一度鞘に納めてから丁寧にユウに手渡す。


「気を付けて」


「うん」


 ユウは最初に、手に取った短剣の軽さに驚く。


 ……かっ、軽い! なんて軽いんだこの短剣……


 落ちている木の枝を拾い、鞘から抜いた短剣を当てる。

 そして……


「スパッ!」


「えっ!?」


「なっ!? すげえだろ切れ味」


 ユウは驚いた表情で短剣をジッと見ている。


「うん、凄い! こんな大きな枝が簡単に……」


 ユウはその後も試し切りを何度かしてみる。


 ……全然切れ味が落ちない。シンの言う通り、凄い切れ味だ。

 素人の僕でも簡単に枝を……


「何だろうな、その剣の素材は?」


 うん、確かにこれはただの刃物じゃない。

 もしかして、異世界話で良く耳にするアダマンタイトとかオリハルコンとかミスリルとか、そんな素材なのかもしれない……


 呆然と短剣を眺めるユウにシンが声をかける。


「いいか、ユウ?」


「あっ、うん。ごめん」


 ユウは短剣を鞘に納めてからシンに返した。


「えーと、これが良さそうだな」


 落ちている枝を綺麗に削ぎ、少々不格好ではあるが、釣竿を二本作った。


 短くて重いけど、まぁ、これでいいだろう。こっちの軽い方をユウに……


 次にシンは鞄から糸と釣り針を出す。


「……その釣り針はどうしたの?」


「これはな、俺が説明してシャリィに作って貰ったんだ」


「シャリィさんに?」


「あぁ、この糸もシャリィから貰った」


「ふーん」


「糸には色もついているし、針には返しも無く太くて不格好。俺達の世界の釣り道具に比べると、おもちゃみたいな物だけどさ、この世界の人達はあまり釣りをしないみたいだから無理は言えないよな」


「えっ、釣りをしないの?」


「あぁ、全然しないとは言ってなかったけど、聞けば主に魔法で漁をするらしい」


 魔法で…… ううぅ、その魔法も是非見てみたい!


「よし、仕掛けが出来たぞ。ユウはこれを使ってくれ」


「うん、ありがとう」


「餌はっと……」


 シンはそう言うと、川に入って行き水の中に手を入れ、石を持ち上げて裏側を見ている。


「おっ、いるいる!」


「何?」


「餌になる虫だよ」


「虫? 川に虫がいるの?」


「あぁ、いるぜ」


 シンは川の中から、わざわざユウが待っている河原に裏返して見ていた石を持ってきた。


 シンの持っている石を覗いたユウは思わず声を出す。


「えー、何これ!? 初めて見た!」


「これさ、なんだったかなぁ。成虫になると飛ぶんだよ、水面近くを」


「成長するのこの虫?」


「あぁ。えーと、何だったかな…… そうだ思い出した! カゲロウだ、カゲロウの幼虫だよ」


「カゲロウ?」


「そうそう、カゲロウ」


 ……つまり、元の世界にも同じか、似た様な虫がいるんだ。


「僕も…… 捕まえてみようかな……」


「おk。大きめの石を裏返せばいると思うから」


「うん」


「噛みつくから気を付けてな」


「えっ!? 噛みついてくるの!?」


 背中を向けているシンの身体が僅かに揺れる。


「……あー、嘘なんだ」


「ふふふ、ごめんごめん」


「もぉー」


 さてと、僕も川に入って……

 うぅぅー、水が冷たい!


 ユウが河原から川に足を踏み入れて一歩、二歩、三歩目を下ろした瞬間。


「あっ!?」


「バシャーン!」


 ユウは盛大に転んでしまう。


「おっ、大丈夫か!?」


「うわー、冷たい! 滑っちゃった!」


 流されるユウに手を差し伸べるシン。

 その手を掴んでユウは立ち上がる。


「ずぶ濡れになっちゃった」


「大丈夫、ビンツ石を持ってきてるから、あとで乾かそう」


「う、うん」


 ……流石シン、用意が良い。


「この石を見て」


 シンは水中に指を向ける。


「この茶色と緑が合わさったみたいな色の石は、表面に苔がついて滑るんだよ」


「へぇー、この色の石……」


「そう、だからこの色の石を踏まない様に歩けば」


「うん」


「どうしてもこの色の石しかないときは、そーっと足をのせて、滑る覚悟で歩く」


「うん、分かった」


 シンは次々と石を裏返し、捕まえたカゲロウの幼虫をモリスに借りて来たコップに入れていく。

 ユウも負けじと石を裏返し、初めてカゲロウの幼虫を捕まえた。


 河原に上がったユウは直ぐに釣りをすると思っていたら、シンは竿を持って河原を川上に向かって歩き出す。

 

「あれ、ここで釣りをしないの?」


「そうだな、ここは俺達が川に入って荒らしてしまったから、上流に歩いて行こう」


 ……そうなんだ。ここではもう釣りは出来ないんだ。


 ほんの数十メートル歩けば良いと考えてたユウは驚いてしまう。

 シンは足元が悪い河原をいとも簡単に歩いて行く。

 時には、大きな岩を上り、河原が切れるとゆっくりと音を立てずに川に入ったり、川沿いから外れて草むらを歩いたりと上流に登る事数十分。

 ようやくシンがその歩みを止める。


「はぁはぁはぁ、シン」


 ユウが声をかけると、シンは振り返って人差し指を口に当てる。


 あっ、静かにしないといけないのか……


 シンは鞄に手を入れて先ほどのカゲロウの幼虫を取り出すと、素早く数匹を少々大きめの針を隠すかのように付ける。

 そして低い姿勢で川に近付くと、竿を振るう。

 すると、餌の付いた針は、まるで引き寄せられるかの様にシンの狙ったポイントに落ちる。


 ……凄い、軽やかだ。


 竿を立てて糸を軽く張ると、流れる餌に合わせて竿を流す。

 その時、糸は緩み過ぎず張り過ぎず、見事に一定を保っていた。


「……」


 水面を集中して見ているシンをユウは見ている。


 何だろう…… 空気が、さっきまでとは空気が違う。緊張感が、僕にまで伝わってくる。


 水面に入っている糸を見ていたシンの目が、一瞬だけ見開くと同時に竿を上げる。

 すると竿先が曲がり、魚がヒットしたのがユウにも分かった。


「おぉー、凄い! 釣れたんだね魚が!」  


 ユウに声に無反応なその理由は、シンの針には大物がかかっていたのだ。


 うっ、これはでかい……

 短い竿とこの仕掛けであげるのは、少々やっかいだな……

 

 そう思った次の瞬間、シンは川にザブザブと入って行く。

 さっきまでは音を立てずにいたシンだが、自分が不利だと感じて体勢を大きく変える。

 魚が強く引き込むと、竿だけではなく、腕や膝を柔らかく使って、糸にかかる負担を軽減する。

 そして数分後、川から後ずさりで出て来くると、魚も河原に近付いてくる。


 ……うっ、大きい! 


 魚影を見てユウは、思わず大声を出しそうになるが邪魔になるのではと気を使い抑える。


 そのまま下がり続けると、魚を川から河原に上げる事に成功した。


「やったー! 凄い! 大物だよ!」


「ふぅ~、いきなりこんな大物がくるなんてな…… いやー、あせったよ」


 二人は笑顔で引き上げた魚を見ている。


 ……これも、イワナだ。


 そう、二人が最初に石組で取った魚と同じ種類であった。

 この魚は、元の世界でも存在している魚である。


「凄く大きいよ! 50センチぐらいあるじゃない!?」


「だな、それぐらいありそうだ」 


 シンは釣ったイワナを手に取ると、頭にデコピンを食らわした。


「えっ!?」


 それを見たユウが思わず声を出す。


「はは、これはな、締めてるんだ」


「締める?」


「あぁ、出来るだけ新鮮に持ち帰る為にな。まぁ失神させているというか、殺しているというか……」


「へぇー」


「だけど、氷が無いからな。あんまり意味は無いかも」


 シンはモリスに借りて来た袋にイワナを入れてから、その袋を鞄に入れた。


「よし、次はユウの番だ。上流へ行こう」


「えっ、まだ上るの!?」


「あぁ、ここは俺が釣って荒らしちゃったから、次のポイントを

探そう」


「うん。分かった」




 その頃、イドエの周辺を、少女と老人が歩いている。


「ナナー」


「……ジージ、リンっぺぇ」


「ん? おー、リンちゃんだの」 


 安全になった村の外を散歩しているナナを見つけたリンが声をかけた。


「散歩っぺぇ?」


「そうっぺぇ。リンは?」


「うちは走ってたっぺぇ」


「走る?」


「うへへ、それがモリスさんの食堂で食べる様になってから、太ったっぺぇ」


「それで一人で走ってたっぺぇーか?」


「そうっぺぇ。探検も兼ねて痩せる為に走ってたっペぇーよ」


 ナナとジージは目を合わせる。


「……ぷっふふふ」


「んっ、んん」


 ナナは笑い、ロスは笑いをこらえていた。


「笑うでねぇっぺぇ、あたしは真剣だっぺぇ」


「ふふふ、ごめんっぺぇ」


「ねぇ?」


「何だっペぇ?」


「村の外に好きな時に出れるってぇ、これだけでも楽しいもんだっぺぇーねぇ」


 リンのその言葉に、感慨深い表情になるロスとナナの二人。


「そうだのぅ。リンちゃんの言う通りだの」


「……うん」


 二人に笑顔を向けた後、リンは口を開く。


「あたしはまだまだ走ってくるっぺぇ」


「リンちゃん気を付けてのう。あまり遠くへは行かんようにの」


「うん」


「リン、後で家に行くっペぇから」


「分かったっぺぇ」 


 ナナとロスの二人は、走って行くリンの後姿を見ていた。





「よーし、僕もう1回挑戦してみるね」


「あぁ」


 最初の一匹を釣った後、色々なポイントを回っていて気付いた事があった。

 本来なら今日の様な仕掛けで、天然の魚を釣る事は不可能に近い。

 それほど渓流釣りは難しいのである。

 と、いうのもイワナは警戒心が強く、例え餌が目の前に流れてきても、不自然な流れ方ならその餌を口に入れない時があるほどだ。

 口にしても、違和感を感じると吐き出してしまう。

 だがこの世界の、特にイドエ周辺では釣りをする者が皆無で、魚は元の世界の魚ほどの警戒心は無く、この様な仕掛けでも意外と簡単に釣れる事が分かったのである。

 疲れがみえたユウに気を使い、あまり場所を移動をしないでいたが、それでも30匹以上釣れていた。

 だが、ユウはまだ一匹も釣る事が出来ずにいた。


 シンは横になったまま、釣りをしているユウの背中を見ている。

 そしてその後、痛まない様に水に浸している釣った魚に目を向ける。

 

 ……この魚は、俺達がこの世界に来ることが無ければ、今日死ぬことは無かった。

 魚だけではなく、餌にしたカゲロウの幼虫もそうだ……

 例え人と関わろうとしなくても、この世界で俺達が生きようとするだけで、何かしらの影響は出てしまう。

 俺達は、何処まで考えて行動すべきなのだろうか……

 いったいどこまで……


 数十日ぶりの充実した休みが、逆に苦悩をもたらしていた。


 この世界は、俺達の世界と似すぎている。

 太陽も月も、水に食べ物、それに人も…… 

 空気の組成が数パーセント違っていても、俺達はここで生きられない……

 もしかすると、監督の魔法のおかげで生きている可能性もあるが、シャリィの話から推測すると、そこまでの魔法があるとは思えない……



 あまりにも、あまりにも元の世界と似過ぎている。 

 だが、似過ぎているからこそ…… か……



「あー、また餌だけ取られちゃった」


 空を見つめていたシンは、声に反応してユウを見つめる。

 

 俺とユウは、この世界で二人だけの異世界人なのか……

 

「……餌を持って行くよ」


「あ、うん、ありがとう」 


 餌を持ってユウに近付いたシンは小さい声で話しかける。


「いいか、あの落ち込みを狙ってみてくれ」


「うん」


 ユウはシンから教えられた通りに竿を振るう。

 すると、エサを付けた針は見事に狙った場所に落ちる。


 それを見たシンは、無言で二度三度と笑顔で頷く。

 

 糸の張り方に神経を集中して、竿を流れる糸に合わせてゆっくりと動かす。

 その時、シンの目は糸の不自然な動きを捕らえていた。

 

 きた! 魚がエサを咥えている!


 ユウはその糸の動きに気付いていなかったが、その直後にちょうど強い風が吹いて糸を揺らす。

 その糸の動きを勘違いしたユウは、少し遅れたが竿を上げて合わせた。

 糸から竿へ、竿からユウの腕へと振動が伝わってくる。


「あっ、これって!?」


「きてる! きてるぞユウ!」


「どっ、どうしよう!?」


「慌てるな、腕と膝を柔らかくして」


 腕と膝を……


「無理に引くな、魚が弱るまで待つんだ」


「うん!」


 竿のしなりと魚影を見たシンには分かっていた。

 

 ……これは、でかいぞ。


 プレッシャーになると思ったシンは、口には出さずにいた。


 無理に引かず、腕と膝を柔らかく……


 ユウはシンからのアドバイスを忠実に守る事だけに集中していた。

 そして、数分後……


「ゆっくり、ゆっくり」


「……うん」


 力を使い果たした魚は、ユウの竿に促され河原に近付いてくる。

 魚は背中が水面から出るほどの浅瀬まで上がって来ていたが、腹が石に擦れた摩擦で抵抗力が増して、返しの付いてない針が外れてしまった。


「あっ!?」


 ユウが声を出した瞬間! シンが魚目掛けてダイブする! 

 深場に戻ろうとUターンした魚の前に手を入れて、水ごと河原に向けて救い上げると、そのまま水中に倒れ込む。

 陽の光を反射してキラキラと光る水と共に、美しく宙を舞うイワナの姿がユウの目に映る。

 

「やっ、やったー!」


 イワナは河原に落ちて、ビクンビクンと飛び跳ねまわる。

 川から上がってくるシンは、満面の笑みを浮かべていた。


「やったよ! やったよシン! 大きいよ!」


「あぁ、今日一番の大物だ! 50センチ超えているな」 


「うん! あっ、待って、逃げないで!」


 飛び跳ねるイワナに苦戦するユウを見て、ずぶ濡れのシンは微笑んでいた。


 

 その頃、モリスの食堂では……

 

「ねぇ、お母さん」


「なーに?」


「シンさん達は何処に行ったの?」


「川に釣りに行くって言ってたわよ」


「川に…… 釣り?」


「お魚を取るみたいよ」

 

「そうなんだ、ジュリも行きたかったなぁ」


 モリスは優しくジュリを見つめる。


「お父さんが戻ってきたら、一緒に魚を取りに行こうか?」


「うん! 行きたい、行きたい!」


 飛び跳ねるジュリをモリスは見ている。


 まさか、まさか自由に村の外に出られる日が来るなんて……

 これも、シンさん達を連れてきてくれた、ジュリのお陰ね。

 あなた…… ジュリも私も待っているからね…… 早く戻って来て……



 

 釣りを終えた二人が帰路についている時、ユウが何かに気付く。


「シン、見て。あそこから簡単に上がれそうだよ」


 ユウの視線の先には、山に通じる道の様なものが見えていた。


「そうだな…… だけど、元の場所まで戻ろう」


「え?」


 シンは辺りを大きく見回す。


「川はグネグネしていて、方向感覚を鈍らせてしまう」


「……」


「今は太陽も出ているから方角は何となく分かるけど、違う所から道に出てしまうと、迷ってしまうかもしれない」


 あっ、それもそうだ……

 いくらシャリィさんとバリーさんが魔獣を駆除したとはいえ、山奥で迷ったら大変だ。


「だから面倒でも、確実に来た道を戻ろう」


「……うん、そうだね!」


 色々と詳しいな、シンは……



 河原に降りた場所から無事に旧道に戻ったシン達の前に、誰かが近付いてくる。


 あれは……


「あれ、リンちゃん!?」


 やばっ、シンとユウ君だっぺぇ…… さっきまで休んでいたのに、ちょうど走っている所を見られてしまったっペぇ。


「何をしてるの?」


 ユウの問いかけに、リンはシンをチラ見する。


 痩せる為に走ってたって言うのは恥ずかしいっぺぇ。


「散歩っぺぇ、散歩」


「散歩って…… かなりのスピードで走っていたような……」


「きっ、気のせいだっぺぇユウ君!」


 シンの前で恥ずかしいっペぇ、空気読んでくれっぺぇ!


「えっ、そ、そうかな…… そうだね」


「そ、そうっぺぇ、あたしはのんびり探索を兼ねて散歩してたっぺぇ。ところで二人は何をしてたっぺぇ?」


「僕達は、釣りに行ってたんだ」


「釣り? ……あー、魚を取ってったっペぇ?」


「うん、ほら見て!」


 ユウは手に持っている袋を広げる。


「あー、凄いっぺぇ! 魚が沢山入ってるっぺぇ!」


「これだけじゃないよ、シンの鞄にもまだ沢山入っているんだ」


「へぇー、あたしも魚を捕りに行きたいっペぇーね」  

 

「うん! 今度皆で一緒に行こう!」


「……」


 その呼びかけに、リンは無言になる。 


「どうしたの?」


「……さっき散歩してるナナとも話したっペぇけど」


「……うん」


「こんなにも嬉しい事っペぇ? 好きな時に好きな所へ行く事が出来るって……」  


「……」


 感慨深い表情になるリンを二人は見つめている。


「これも二人のお陰っペぇ」


「いえ…… 僕は何も……」


「謙遜するでねぇっぺぇ。ナナだって……」


 リンがナナの話を再び始めると、シンがそれを遮るかの様に声を出す。


「リンちゃん、良かったら今から一緒に村に戻って魚を食べない?」


「えっ……」


 これって、もしかしてデートの誘いっペぇか!?

 けど、魚を食べるって…… あたし今痩せようとしているのに……

 

 リンは再びシンをチラ見する。

 すると、シンは笑顔でリンを見ていた。


「……行くっペぇ! 一緒に帰るっペぇ!」


「あぁ、帰ろう」


 三人は一緒に村に戻り、モリスさんが料理してくれたイワナを、ちょうど遅めの昼食で食堂に居たバリーと4人で食べた。

 余ったイワナはモリスに渡し、モリスとジュリの分以外は、店に来たお客さんに出してくれと頼んだ。


 そして、1時間後……


 シンは走っていたリンに触発され、一人村の外に出かけようとしていた。


「シンさんまた出かけるでごじゃるか?」


「あぁ、ちょっと走ってくるよ」


「走る?」


「落ちた体力を戻したくてさ」


「そういうことでごじゃるね、気を付けてでごじゃる」


「ありがとう。モリスさんの店に今日釣った魚を渡してあるから、仕事終わりに寄って食べていってよ」


「本当に!? 絶対に行く! 魚なんてしばらく食ってねぇよ!」


「一番大きいのはさ、ユウが釣ったんだ!」


 シンは嬉しそうにそう言った。



 門番の二人は、ストレッチをしながら旧道に消えていくシンの背中を見ている。


「しかしよー、流石だな~。休みの日にまで走るってよー」


「そうでごじゃるね」


 ごじゃるは相方の腹に目を向ける。


「シンさんを見習って、走るのも良いかもしれないでごじゃるよ」


「へん、俺は平気だよ。ヨコキの店で休むことなく50分も腰を振り続ける事が出来るんだ! どうだ、すげーだろう!?」


 ……50分!? 確かに凄く恐ろしい遅漏でごじゃるね……

 それを今はバリーさんに…… うっ、嫌な事を想像してしまったでごじゃる……




「フゥ、スー、フゥ、スー、フゥ」


 息を吐く事に重視した呼吸法で、シンは順調に旧道を走っている。


 そんなシンを、森の中から鋭い眼差しで見ている者がいた。


 

 ……キシシ、キッシシシシ、あいつだソゥ~。

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