99 イドエ


 朝……


 陽が昇りかけた時間に、ナナは目を覚ます。


「ん……」


 ゆっくりと目をあけると、隣のベッドで眠っているレティシアがナナの瞳に映る。

 大きな屋敷で独りぼっちの夜を過ごしていたレティシアであったが、昨晩はナナとリンが泊まった事で病んでいた心は幾分か楽になり、まるで少女の様な寝顔で眠っている。

 ナナは、そんなレティシアを見つめている。


 村長さん…… 無法者あいつらがいる時は、粗暴な態度とってごめんなさい。

 ピカワンと話し合って皆で決めていたの……

 村長さんと親しくしていると、あいつらはうち達を信用しない、だから…… でも、本当にごめんなさい。

 それと…… それと…… あの時は……


 そんなナナの気持ちを感じ取ったかのようにレティシアは目を覚ます。


「う…… ナナちゃん……」


「……うん」


「おはよう」


「……おはようっぺぇ」


 二人はベッドで横になったまま会話を始める。

  

「今何時かな? まだ6時前……」


「……」


「まだ朝早いのに、沢山眠っていた気がする……」  


「うん、グッスリ眠ってたっぺぇ」


「本当?」


「うん」


「今日の事を考えると、眠れないかもって思っていたけど……」


「……」


 レティシアはナナを見つめる。


「ナナちゃんのお陰ね。昨晩のお話、楽しかった」


 ナナはストビーエでの出来事や、ユウの話をレティシアに聞かせ、その態度からナナの気持ちにレティシアは気付いていた。


「あたしのお陰でもあるっぺぇ?」


 会話が聞こえ目を覚ましていたリンは、二人のベッドの間に突然現れた。 


「うふ、リンちゃんのお陰ね」


「そうっぺぇやろ」


 そう言ってドヤ顔を決めるリンを見て、二人は笑い始める。


「うふ、うふふふふ」


「ふふふ、朝から笑わすでねぇっぺぇリン。何だっペぇそのドヤ顔は~」


「ドヤ顔? こんな顔だっぺぇ?」


 リンは変顔をして更に二人を笑顔にさせる。


「うふふふふ」


「それはドヤ顔と違うっペぇ。フフフ」


 三人は、この後に控えている事を忘れたかの様に笑ってると、ここでリンのお腹が鳴る。


「くぅー」


「あっ!? ……朝食を、作ってくるね」


「ぷっぷぷぷー、リン!」


「わざとじゃないっペぇから仕方ないっペぇ~。あたし手伝うっペぇ」


「うちも手伝うっペぇ」


「……うん」 

 

 広い屋敷のキッチンに移動をして料理をする三人の姿は、まるで仲むつまじい姉妹の様であった。 



 その頃、シンとユウも目を覚ます。

 先に目を覚ましたのはユウであった。


「シン、起きてる?」


「んっ…… あ、おはよう」


 ユウは背伸びをするシンを見つめる。


「……シン」


「あ~、ん?」


「……今日の話し合い、どうなるのかな?」


「……さぁな」


「……」


「何にせよ、良い話では無いのは確かだろう」


 やっぱり、そうだよね……


 今日の事が心配であまり寝ていないユウは俯く。


「……ユウ」


「何?」


「一つ守ってもらいたい事があるんだ、いいかな?」    


「……うん、何?」


「それは……」


 二人はこの後、シャリィ、バリーと共にレティシアの屋敷に向かう。



 昨夜モリスの宿に泊まったピカワンは、一睡もせずにベッドに座っていた。

 目を覚ましたピカツーが声をかける。


「寝たっペぇかぁ?」


「……ぜんぜん」


「……大丈夫っぺぇか?」


「……大丈夫」


 ピカワンは一点を見つめ、消え入りそうな声で返事をした。



 じぃちゃん…… 

 もし、もしも今以上にシンや村長さんの邪魔をするなら……

 そんな奴は…… そんな奴はこの村にいない方がいい……



 ピカワンとピカツーの二人は、シンが部屋を訪ねて来るよりも先に宿を後にしていた。

 ピカワンには、レティシアの屋敷に行く前にどうしても寄りたい場所があったのだ。




 時刻は九時半……


 訪問客の為に開けているドアから一番に訪ねて来たのは、ロスとスピワンの二人であった。

  

「……すまんの、少々早かったかの」


 その声に反応したレティシアがロスとスピワンの案内をする。


「いいえ、どうぞこちらへ」


 案内された場所には、大勢が座れる様に沢山の椅子が用意されており、役場の職員が並べている最中であった。

 それを手伝っているナナの瞳に、ロスが映る。


 「……」


 ナナはわざと目を合わせないように顔を背ける。

 そんなナナの態度にロスも気づいており、わざと視線を向けない様にしていた。


 その後、各地区長を始めとし、老人達はぞくぞくとレティシアの屋敷に集まっていた。



「おい」


「なんでごじゃるか?」


「気のせいかな、今日は畑に行く奴等が少な過ぎないか?」


「気のせいではないでごじゃるね」


 たぶん、三分の…… いや、もっと少なかったでごじゃる……


「やっぱそうだよな? どうやら今朝聞いた噂は本当の様だな……」


 そう言うと、門番は今まで一度たりとも見せた事のない真剣な表情をする。


 何でごじゃるか? 急に村の事に関心を持ってそんな表情をしたり…… 昨日から様子が変でごじゃる。

 悪い事ではないでごじゃるが、人が突然良い方に変化するのは、だいたい恋をした時でごじゃるけど……


「そういや、今日はバリーさん来てないよなー」


 そう言った門番は、遠くを見る様な目をしてため息をつく。


「ハァー」


 まっ、まさか!? バリーさんに恋したでごじゃるか!?

 まぁ…… 愛の形は、様々でごじゃる。偏見は良くないでごじゃるね。


「応援するでごじゃる」 


「はぁ?」


 あっ、村の事か……


「そうか、応援するか!」


「そうでごじゃる」


「そうだな! うん!」


 上手くいくと良いでごじゃるね。

 シンさん達の話し合いも、バリーさんとの恋も……



 時刻は9時50分。

 レティシアの屋敷には、役場で行われた時より多くの老人達が集まっていた。

  シンやピカワン達も既に到着しており、一部を覗いて若者と老人達だけの空間は、少々異様であった。

 それを感じ取ったのか、少年達の中にはソワソワして、落ち着かない者もいる。

 中でもフォワはキョロキョロと辺りを何度も見回していた。

 そして、集まっている老人達の中に、自分に優しい母方の祖父と祖母を見つける。


「フォワ……」


 他の少年少女達も、集まっている老人の中に、自分の祖父や祖母が居るのに驚いていた。その中でも……


 えっ、爺ちゃんに婆ちゃんと、それに母ちゃんまで……

 畑にも行かずに…… それに、家では何にも言ってなかったペぇ……


 特に驚いていたのは、レピンであった。



 真ん中を開け、左右に分かれるかの様に席は置かれており、入り口に近い側に老人達が座り、反対側にはピカワンやナナ達が座っている。

 シンとユウは若者側の一番後ろの席に座り、シャリィとバリーは椅子には座らず、シンの後ろに立っている。


 少々ざわついている中、皆の前にレティシアが現れると、老人達は一斉に目を向ける。

 昨晩ナナとリンの二人と過ごし、本来持っている強い責任感が再び芽生え、覇気の戻ったレティシアがそこに立っていた。 


「皆様、おはようございます。村長のレティシアです。本日はロスさんのご提案を受け、この様な場を設けさせていただきました」


 レティシアは老人達の中からロスに目を向ける。

 目の合ったロスは小さく頷いた後立ち上がり、ゆっくりと顔を上げて口を開く。


「まずはの、わしの呼びかけに集まってくれたこの場にいる者達に感謝をする」


 そう言ったロスは皆を見るかのように辺りを見回す。

 その中には、悲し気な表情をしているナナの姿があった。


 ナナ…… すまんの……


「……さっそくだがのう、村長さん」


 レティシアを見るロスの眼差しは、長年共に暮らした孫のナナでさえ見た事もないものであった。


 ジージの目…… 


「あんたにはの…… 村長の座を降りて貰う」


 レティシアは動じず、無言でロスを見つめる。まるでその言葉を予測していたかのように。


「これはの、わしの呼びかけでここに座っておる者全員の同意を得ておる。勿論、ここに来てない者の中にも…… のぅ」



 全員…… 爺ちゃんも、婆ちゃんも……


 フォワ……


 おらの爺ちゃんも……



 ロスはこちら側に座っている老人達に目を向ける。

 その者達は、レティシアを見つめる者、俯いて誰とも目を合わせない者、そして、ロスを見つめている者に分かれ、少年少女達に目に向けている者はいない。


「ロスさん…… お言葉を返すようですが、あなた達にその権……」


 レティシアの言葉を、ロスは遮る。


「あー、権限はないの。そんな事は分かっておる」


「……」


「だがのう、わしらの要求を飲まんようならの……」


「飲まないのなら、いかがいたしますか?」


 ロスとレティシア以外は誰も言葉を、いや、布の擦れる音さえ出す者はおらず、二人の言葉以外の音は聞こえない。


「わし達は、労働を拒否する」


 ジージ……

 

 ナナはロスと、後から来た祖母を見つめ、ピカワンはロスの隣に座って頷いている祖父に目を向ける。


 糞ジジィ……



「中にはわしらに従わない者もおるだろうのう。それは好きにすればいいのう、強制はしないの。だがのう、仮に半分の者達がわしらの意見に賛同してくれればの、労働者を失ったこの村は終わりだの」


「……」


「特にの、小麦の製粉魔法が使える職人・・は少ないのう。ここに座っておる中に、その者達がいるのは見えるの?」


 レティシアは、数人の老人達に目を向け後、唇を噛む。


「わしらにはの村長…… 皮肉な話だがの、お前の配った金があるのう」


「……」


「その金が尽きるのが先か、お前が折れるのが先か…… 勝負は目に見えておる気がするがのう」


「そうだのー」


 隣に座っているスピワンが相槌を打つ。


「チッ」


 その相槌を聞いたピカワンは、舌打ちをした。


 こんなに…… こんなにもボロボロになるまで頑張っている村長さんに…… ジジィは…… ゆるせないっぺぇ!


 ピカワンは、ギリギリと歯を食いしばる。


 無言で俯いたレティシアを見て、ロスは話を続ける。


「これは、普通ではなくなったあんたの為でもあるのだの。もう、そんな地位など捨てて、平穏に暮らしてくれんかの?」


「……」


「わしらの気持ちも分かってくれんかの…… 出来る事なら、やりたくはないんだの」


「……」


「小麦を止めれば、農業ギルドはどう動く、うん? この村を搾取する事で食っておる裏家業の者達はどう動くかの!?」


 よく分からないっペぇけど、こっちにはシャリィ様やシンが居るっペぇ!

 フォワフォワフォワ!

 ふん、シンの方が強いに決まってるっペぇーよ!


 ロスは少年少女達の奥に居るシャリィに目を向ける。


「お前達にそれが止められるのかの!? 村人の誰一人迷惑をかけることなく出来るかの!? 金に汚い奴等は必死になるの! 無理だの!? それは分かっておったからの、出来れば…… したくはないのう」


「……」

 

「だからの村長さん、折れてくれんかの? 皆がいるこの場で……」


 ロスは少年少女達に目を向ける。


「その子達がいるこの場で…… 無駄な希望を描いておるその子達の前で、はっきりと折れてくれんか?」


 ジージ…… どうして……


 ロスはレティシアに視線を移す。


「わしらが折れる事はないからの、これは最後の通告だと思ってくれの……」


 その言葉を聞いたレティシアは、ただただ俯いて、床を見つめている。


「当然ここにおる冒険者達にも、村長と一緒に出て行って貰うからの」


 その言葉を聞いたある人物が立ち上がる。

 それは……


「ジージ……」


 そう呼ばれたロスは、一度ゆっくりとナナに視線を向けるが、直ぐにその視線を逸らしてしまう。


「どうして…… どうしてそこまで村長さんのやる事を嫌うっぺぇ…… どうしてシャリィ様を嫌うっぺぇ?」


 その質問に、ロスは答えない。


「……」


「村には、無法者あいつらはもういない……」


 ロスを始め、老人達は静かにナナの言葉を聞いている。


「追い出してくれたのはシャリィ様だよ! もう平和な村になったっぺぇ?」


「……」


「これは皆が、村の皆が望んでいた事だっペぇ? そうだよね!?」


 ナナの問いかけに、ロスを始め、老人達は何も答えない。


「どうして、どうしてシャリィ様より、あいつらが居た時の方がいいの?」


「……」


「ねぇ、ジージ。うち達が、どうして無法者あいつらに近付いていたか知ってる?」


 自分の感情を込めた問いかけに答えないロスを見て、ナナは声を荒げる。


「うちは! うちにはジージが理解できないっペぇ!!」


 ナナは涙を流して下を向く。



 ナナちゃん……


 朝、シンから宿の部屋で何が起きても黙って見ている様に言われたユウは、目を潤ませながらナナを見ていた。



「フォワ!」


「そうだっぺぇ!」


「ナナの言う通りっぺぇ!」


 少年少女達はナナの言葉を後押しする。


 黙ったままのロスを見たピカワンは、祖父のスピワンに向けて大声を出す。


「ジジィ!」


 スピワンは直ぐに反応してピカワンを睨みつける。


「お前が代わりに答えるっペぇ!」


「また…… ジジィとは何だの!?」


「いいから答えるっぺぇ糞ジジィ!」


「糞ジ…… ガキにはの、言っても分からんことだの!」


「そうやって誤魔化すでねぇっぺぇ! どうしてシン達を毛嫌いしてるっペぇ! シンが何をしたっペぇ!? ナナの言う通り、村が平和になっているのに何が気にいらねーっぺぇ糞ジジィ!」


 ピカワンは集まっている老人達に目を向けて更に怒鳴り声をあげる。


「誰でもいいから答えてみるっペぇ!!」


 熱く興奮したピカワンに同調した少年達も大声を出す。


「そうだっぺぇあ! 答えろっぺぇ!」


「ぞうだ、ぞうだっべぇ」


「答えるっぺぇ、ジジィ共!」


「村長さんばっかり責めるでねえっぺぇ、ジジィ、糞ババァ!」


 リンからの罵声を聞いた老人達の中からも、声を荒げる者が現れ始める。


「うるさいのう! 黙ってわしらのいう事を聞いておればいいの!」


「仕事もせずに無法者やつらと仲良くしてたくせに、生意気いうんじゃないよ!」


「だからそれには理由があるっぺぇ! 耳が遠くて聞こえないっぺぇかぁババァ!」


「誰がババァよ! さっきババァの時だけ糞を付けたの誰よ!? だいたいそのぺっぺぺっぺ付ける変な話し方をやめな!!」


「ピカワンが作った言葉に文句つけるでねぇっぺぇ糞ババァ!」



 ピカワン君が作った?

 そうか、方言ではなくて作った言葉……

 だから一貫性が感じられなかったのか……


「ピカワンは、あいつらの中に入って、トップになるつもりだったっぺぇ! そうすれば、この村を取り返す事になるっぺぇぁ!」


「そうだっペぇ! ジジィとババァは頭が腐ってるから気づいてなかったぺぇあ!?」


「ふん! だからガキの浅知恵なんだの!?」


「フォワ!?」


「魔法も使えないお前達が、元冒険者ファレンを押しのけてトップになれる訳無いの!」


「そうだの、そうだの!」


「そんなの分からないっペぇ! 決めつけるでねぇっぺぇ!」


 興奮した一人の老人が立ち上がり、大声を出す。


「お前らの理由なんかどうでもええがの! それよりも……」


 どうでもいい!?


「それよりも村長もガルカスやつらと結束しておったじゃないかの!? それが急に矛先を変えおっての! あんたは前々から信用ならんの!」


「そうだの!」


「そうだよ! ガルカスと男と女の関係だったのは、皆知ってるんだよ!」


 その言葉を聞いたナナは明らかに怒った表情して立ち上がり、何かを言おうとしたが、レティシアに目を向けた後、無言で再び椅子に座る。


「村人に配った金は、元はと言えば村の金だろう!? 言うてみ!」

 

「そうだの! どうせガルカスと組んで横領した金だろの!? それなのに、恩着せがましくよく配れたのぅ!」 



「確証も無いのに村長さんを悪く言うでねぇっぺぇ!」


「フォワフォワー!!」



「いいからの、現実も見ずにただ庇うだけならガキ共は黙っておれのう!!」


 そのスピワンの言葉に、ピカワンが反応する。


「何かあればガキガキガキってそれで終わらそうとしてるっぺぇ! ジジィとババァの考え方はそんなに偉いっペぇかぁ!?」


「お前の考えよりはまともだの!」


「何の説明もしない癖に、おら達の考えを軽く見るでねぇっペぇ!! ガキにはガキの考え方があるっペぇ! それが間違っているとは限らないっペぇ!」


「なっ、何を偉そうにのう! 間違いとか正しいとか関係ないの! 最初から必要ないがの!」


「そうっぺぇか!? ジジィ共の考えの方こそ必要ないっぺぇ! 絶対に、絶対に村長さんを辞めさせないっぺぇ! おら達が、村長さんを守るっぺぇ!」


「へん! 笑わしてくれるのう。魔法技術手に職もないガキがどうやって守るんかいのう? そこの冒険者さん達に泣いて頼むつもりかいのう? ぶわっはははは」


 小馬鹿にして大げさに笑うスピワンを見たピカワンの瞳は、まるで泥で濁っていく水の様に変化する。



 望むのなら…… おらに何が出来るのか見せてやる……



 ピカワンは服の中に右手を入れてスピワンに近付いていく。

 それに逸早く気付いたバリーが動こうとするが、そのバリーをシンが手で制止する。

 

 シン、何を考えているの……



 右手に握りしめた短剣を服の中から出したピカワンは、徐々にスピードを上げて大声で笑っているスピワンに迫る。

 短剣に気付いたスピワンの表情が、笑みから驚愕へと変化したその時、ある人物が身を挺してピカワンを止め、二人は床に転がる。



「そっ、村長さん!?」


 ナナの声に驚いたピカワンが顔を上げると、抑えている腕から血を流しているレティシアが目に映る。


 村長さん……


「こっ、このアホたれがの!!」


 スピワンは短剣を持っているピカワンの顔を蹴り飛ばした。


刺すやるんならの、わしをちゃんと狙えの!! ほれ、刺してみろの!」 

 

「……くそー、殺ってやるっぺぇ!!」


 起き上がろうとしたピカワンに、レティシアは抱き着く。


「お願い、落ち着いて…… ねっ、ピカワン君、お願い……」


 ピカワンの首に回しているレティシアの腕から、血がしたたり落ちる。

 それを見たピカワンは、短剣を床に落とした。


「うぅ」


 ……ごめんなさい、村長さん。


「ねっ、座ろう」


 ピカワンはレティシアに促されるまま、椅子に腰を下ろす。

 振り向いたレティシアは、スピワンに声をかける。


「プイスさんも、他の皆様もどうかお座り下さい」


 スピワンは、レティシアの腕から流れる血をジッと見ていた。


「……ふぅー」


 大きな息をしたスピワンは、その言葉に従い、ゆっくりと腰を下ろす。



「場が少々乱れたのは、私の責任です。皆様、申し訳ありません」


 布で傷口を縛り、毅然とした態度でそう言った後、レティシアは自分を庇ってくれる少年少女達に優しい目を向けてジッと見つめる。

 その後、厳しい目で老人達を見て口を開く。


「私は……」


「……」


「私は、何があっても引き下がる事はありません」


「……」


「この村の、子供達みらいの為に……」


 その言葉を聞いて、俯いていたロスは顔を上げて再び口を開く。


「……分かったの。それなら仕方がないの。さっき言った事を実行させてもらうの。わしに従う者達は、今後一切小麦の労働から手を引く。お前とそこの冒険者共が自ら居なくなるまでのう」


 ロスが立ち上がると、他の老人達も席を立つ。

 そして、ロスが背を向けて屋敷から出て行こうとしたその時!  


「ジージィー!」



 大きな声で呼ばれたロスは、ゆっくりと振り返る。


「……なんだの、ナナ」


「待って…… お願いだから、待って……」


 ロスは足を止めて、ナナを見つめている。


「他の人達も、帰らないで! うちの、うちの話を聞いてぇ!」


 ナナの心からの叫びを聞いたロスは、少し間を置いて席に戻る。

 それを見た老人達も、もう一度座った。


 皆を前にして、口を開こうとしては閉じ、その動作を何度か繰り返しているナナの瞳からは、涙が溢れていた。

 そして……


「……ジージ、バーバ」

 

 ようやく、語り始める。


「うちには…… うちには夢があるの」


「……」


「ずっとずっと大好きなジージとバーバに言いたかったけど、言えなかった……」


 ロスは、神妙な表情でナナを見つめている。


「うちの夢は…… 冒険者になること」


「……」


「小さい頃、村に訪れていた旅人から、魔法で悪い奴等を倒す女性の冒険者の話を聞いたのが最初だった」


「……」


「女性でもそんな凄い人になれるんだって知ってから、それからずっと冒険者に憧れていて、大きくなったらうちも冒険者になりたいって夢を持つようになって……」


 ナナちゃん……



「ジージが冒険者を嫌っているのは、何となく感じていたし、村の人達からは冒険者の話なんて聞いた事もなかった。だからうちは最初、無法者あいつらに近付いたの。村の外から来たあいつらなら、冒険者の話を知っているかも知れないって思って、絶対に近付いてはいけないって言われていたあいつらの所に一人で……」


 この場にいる全員が、ナナの話に耳を傾けている。


「……今でも、今でも後悔している。うちが、うちが居たばっかりに、うちが……」


 その時、レティシアがナナに声をかけようとするが、思い留まる。


「あの日の事は、忘れられない…… ある日、いつもの様に話をしてと、あいつらにねだりに行ってたの。そしたら、その日はあいつらが浮ついていて、変だなって小さいうちにも感じてて…… ソファに座っていたガルカスが、うちに隣に座る様にと言ってきたの」


「……」


「言われるがまま隣に座っていたら、そしたら…… そこに現れたのは、村長さんだった……」



 


「なっ、ナナちゃん!?」


「おい、村長~。俺の誘いをこれ以上断るのは良い判断とは思わないぜ。うひひひひ」


 カルガスは幼いナナの肩に手を回し、ナナのほっぺをベロベロと舐め始めた。


「止めて!」


「止めろだぁ? 俺はよー、別にこの子でも良いんだぜ~。まだガキだけど、たまにはこういうのもいいかもしれないな~」


「……」


「うっひひひひ、お前が相手をしてくれないのならよ~、俺等に懐いたこの女の子に相手して貰おうかな~、うひひひひひひ」


「……」


「さぁ、どうする村長さんよ? 俺はどっちでもいいんだぜ~」





 大声でむせび泣くナナの声が、屋敷に響いていた。


「ひっく、うちは…… うちはまだ子供だったけど、何が起きていたのか何となく分かっていた、うっぅぅ。うちが、うちがあいつらに近付くまでは、子供は誰も近付いて無かったって…… だから、うちのせいで、うちのせいで村長さんはガルカスのいう事を聞くしかなかった…… それなのに、うちのせいなのに村の人は、ジージは村長さんばっかり責めて…… うわぁああああん」


 レティシアは号泣しているナナに寄り添う。 

 

「ごめんなさい、村長さん。うちのせいで、うちのせいでぇぇぇ、うわああん」


「ううん、ナナちゃんのせいじゃないよ。悪いのは、イドエをこんな村にした人なの…… ナナちゃんのせいじゃない。それにね、私は最初から汚れていたの…… だから…… いいの……」


「うわぁぁああああん、ごめんなさい、ごめんなさい、うちがぁぁ」


 ナナは、レティシアにすがり泣いた。

 あの日、ガルカスに解放されたナナは、今と同じように泣きながら歩いていた。

 その時に偶然迷い込んだ空き家で地下室を見つけ、そこで泣き止むまで長い時間を暗闇の中一人で過ごした。

 自分のせいだと感じていたナナは、誰にも打ち明ける事も出来ず、一人でずっとずっと苦しんでいたのだ。


 ナナの話を聞いた少女達は、皆涙を流していた。


 そして、老人達も先ほどまでとは違い、神妙な面持ちをしている。


 泣きじゃくる自分の孫を優しく抱きしめるレティシアの姿は、かつて自分を職人として育ててくれた、レティシアの祖父と重なって見えていた。



 アルンさん……



 そう感じていたのはロスだけでは無く、スピワンも、他の老人達も同じであった。


 ナナの泣き声が響き渡る中、ロスは突然立ち上がる。

 

 ロス…… まさかの……


 スピワンはロスを見つめる。


「皆、わしの…… わしの話も聞いてくれるかの……」


「ロッ……」


 ロスの話を遮ろうとしたスピワンは、その声を止めてゆっくりと俯いた。



 ジージ……


 涙をぬぐいながら、ナナはロスを見つめる。



「今から…… もう、20年以上前の話になるの……」


 この場に居る全員が、ロスの話に耳を傾ける。


「その当時この村はの、それはそれは美しく素晴らしい町だった。今と違い町には世界中の珍品名品が溢れ、人々はわしらの作った美しい服を着ておった。珍品名品の殆どは町を訪ねて来る役者達が持ち寄った物だ。最高の衣装を作ってくれる町への感謝の証だと言っての、頼んでも無いのに提供してくれた」


 ロスの話で、感慨深い表情になるレティシア。


「お前達が使っている野外劇場も、プロダハウンもそうだの…… あれも役者達が金を出し合い、一流の職人を連れてきて建ててくれた。そして……」


 老人達の中には、鼻をすする者が現れ始める。


「劇団や国の垣根を越えて、名優達が同じ舞台に立ってくれた。最高の芝居を無償で見せてくれた…… イドエから生まれた脚本もある。なんという名誉、なんという贅沢……

 何処の王都でも実現しない夢の様な舞台が、田舎町のイドエで行われておったんだの。

 突発的に行われる舞台を見るために、遠くから足繁く通い詰める者、何カ月も町に滞在する者も大勢おったの。彼らのお陰で宿屋や食堂はいつも大盛況だった。客達には最高の小麦料理が振る舞われ、最高の芋酒での喉を潤しておったの。

 町には演劇に関わる職業の連中も全ておった。舞台監督、演出家、演奏家、脚本家、振付師、美術や照明に音響の職人に化粧師も当時の町には沢山おった。そして、衣装はわしらが作っておった。最高の衣装をの……」


 老人達から、抑える事が出来ない声が漏れてくる。


 少年少女達は、驚きと悲哀の入り混じった気持ちで見ている。

 フォワはこの時、、祖父母の涙を初めて目にする。


「……フォワ」 


「そんな美しい町だったがの、20年前、領主様が亡くなった」

 

 その言葉を聞いたスピワンは、再びロスを止めようか悩んでいたその時、ピカワンと目が合う。


「……」


 スピワンは俯き、ロスを止めない。


 

「前領主様はお年を召され、以前から病気がちだったのでその死に疑問は無いの…… だがのう、おかしいのはその後だの」


「……」


「本来の正式な跡取りである長男が辞退した」


 辞退……


 ユウはこの時、ロスの話はこの村の核心に迫る話だと理解する。


「そして、驚く事に次の後継者だった次男も、三男も……」


 どういう事だろう!? そんなに領主になりたくなかったの? それとも……   

 

 ユウはロスを見つめる。


「そして4男のチューリ様が跡を継いだ。それが現在の領主様だの」


 チューリ……


「その後継者のチューリ様には様々な噂が飛び交った。それというのも、後継者の争いなど珍しい事ではないがの、長男から三男までもが辞退するなど、前代未聞だ。まだ不審死の方が良く耳にする話だの……」


 確かに…… 跡継ぎ問題で、兄弟での骨肉の争いや不審死は僕らの世界でもよく聞く歴史だ。


「イドエを代表して数十人が新しい領主様に接見しに行った。その中にはわしも、隣のスピワンも居た」 


 スピワンは俯いたまま、遠くを見つめる様な目をしている。


「王族や貴族がおられる中、領主様はわしらの為に時間を割いて自ら沢山、沢山お褒めの言葉をかけてくれた。なんとの、直接話もさせて頂いた。世間の噂と違って、素晴らしい人だと感じた。その様な人柄を見た者達から話が広まり、領主様の悪い噂話は消え去ろうとしていたある日のことだの……」


 老人達は、首が折れたかのように俯く。


「わしらの…… わしらが尊敬してやまない組合長が……」


 ロスはレティシアに目を向ける。


「村長さんのお祖父さん、アルン・ヒューストンさんが、突然亡くなった……」


 レティシアは唇を噛む。


「アルンさんは、素晴らしい人だったの…… 職業を問わず、皆が尊敬の念を抱いておった」 


 ロスは優しい目でレティシアを見つめ、語り掛ける様に話を続ける。


「本当に、素晴らしい人だった…… わしら服飾職人は、皆、皆アルンさんから学び成長した。優しく、時には厳しく、器用な者にも、不器用な者にでも、誰にも分け隔てする事も無く接してくれて、町に集まる役者達も、皆が慕っておった。そのアルンさんが、突然亡くなってしまった……」


 老人達から、すすり泣く声が聞こえる。


「村長さん」


「……はい」


「あんたはの…… あんたは、アルンさんにそっくりだ」


 その言葉を聞いたレティシアの頬に涙が伝う。


「アルンさんの跡を継いだ新しい組合長のシュー・サットンが突然イドエからゲルツウォンツ王国の王都に移ると言い出した」


 ……確か前にレティシアさんから聞いた話と同じだ。


「シューは言った、それはアルンさんの生前の意思でもあると……」


 ここでスピワンが口を開いた。


「そんな話はの、アルンさんの生前に一度も聞いたことは無かったのう……」


「スピワンの言う通りだの…… アルンさんは、そんな話を一度たりともした事がなかったの。わしらの魔法技術は誰にも真似が出来ず門外不出! アルンさんも当然それを守っておったからの、わしらは従わず新しい組合長に楯突いた。そして、新しい組合長のシュー派と、イドエで伝統を守り続けていく派に分かれた」


「……」


「情けない話だがの、シュー派に付いた奴らの目的は金だの……」


 ……金?


「伝統に拘ったイドエでは、元々の単価が安い。その事情を知っている役者の中には、支援してくれる者も沢山おった。この屋敷も、町の発展にも……」


「……」


「わしらの賃金は、見習い、職人、要職に就いた者で三つに分かれておった。組合長でさえ、一般の役人の稼ぎと変わらんぐらいだ」


「……」


「金じゃなかったの。わしらの技術で、町に人が訪れ、潤い、活気に溢れておると自負しておった。職人はその技術にプライドを持ち、富を追いかけてはならんと。富やそれを求める欲は、技術を、人を殺すと教えられておったからだの」


「……」


「領主様に力添えを懇願したが、町の事は町で決めろと言われ、商工ギルドにも足繁く通ったが、領主様と同じ事を言われた。そして、話し合いで決着がつかないまま、ついにシューはこの村を去って行った。自分に付いてくる職人と共に……」


「……」


「守れんかった。門外不出の魔法技術を、イドエの伝統を守る事が出来んかった……」


「……」


「シューが去ってから、新しい組合長になったのは、わしだ」


 ジージが…… 

 

「わしは、わし達は寝る間も惜しんで働いた。イドエこそが家元であると知らしめる為に、必死になって働いた。当初役者達もわしらの味方をする者が多かったが、何故か町の周辺で山賊が増えて、わしらの荷馬車や、町を訪れようとする役者達が襲われ始めた」


 そんな……


「当時町には冒険者ギルドの支部も、警備館もあったからの、当然わし達は山賊討伐の依頼をした」


 それなのに…… どうして?


「だがのう、山賊は減らんかった。逆に減ったのは冒険者達だ……」


「……」


「山賊が出る様になり、あっという間に新街道が造られ、不便になった町に誰がやってくるというのだの…… 冒険者は減り、逆に山賊の出るこんな田舎の町までわざわざこなくても、シュー達によって、わざと質が落とされたイドエブランドの服飾製品が巷では手に入る様になっておったからの…… 町に残った職人の中から、夜逃げするかのようにシューの元へ一人、また一人と、そうやって町から職人はどんどんその数を減らしていった」


「……」


「同じ様に町を捨てて出て行く者達は、職業を問わず沢山おったの。おかしなぐらいのスピードで、どんどん町から人が居なくなっていったの。

 その者達の中には、シューの元へは行かず、近隣の村や町に移る者もいた。なぜそんなにすんなりと…… 誰かが裏で手引きをしているのに違いない。わしはそう感じていた……

 だがのう、そんな泥船の中にものう、最後までわしらの味方をしてくれる冒険者がおった」


 そういえば、レティシアさんがその人達は行方知れずになったって……


「その五人組は、最後まで残り、町の為に尽くしてくれた」



 うん、居たんだ! そんな誇らしい冒険者が!



「ある日、その冒険者達が言った。仲間を集めてこの町に連れてくると……」


 もしかして、その時に誰かに襲われて行方不明に……


「わしらはなけなしの金を集めた。かつて役者達がくれた名品珍品をも集めて、新しい冒険者に払う資金にする為にのう」


「……」


「そして…… そして…… その品物と金を冒険者と一緒に運んだのは、わしの……」


 ロスの言葉は小さくなり詰まってしまうが、必死で絞り出すかの様にしゃがれた声を出す。


「わしのー、長男と、そして……」


 ロスはある少年に目を向ける。


「レピン…… お前の父親だの……」


 急に名前呼ばれたレピンは驚く。


「……お、おらの父ちゃん?」


 老人達の中から、一際すすり泣く声が聞こえてくる。それは…… ナナの祖母、そして、レピンの祖父母と母親からだった……


「……お前の父親と、わしの長男は幼馴染で親友だったの。二人共、職人としての腕も見事での、いつも競い合ってお互いの技術を高めておった」


「……父ちゃん」


「レピンは、何にも覚えておらんだろうの。お前は、まだ母親のお腹の中だったからの……」


 レピンは、俯いて泣いている母親に目を向ける。


「仲間を連れて戻ってくるはずだった冒険者はいつまでたっても戻って来んかった…… わしの長男も、レピンの父親もの……」


 ロスの目からは、涙が溢れていた。


 ジージ……


「わしのぅー、わしの長男と、レピンの父親はぁー」


 ロスは声を張り上げた。


「こっ、殺されておったんだ…… 町を……」



 やっぱり…… 悪い奴等に襲われてしまってたんだ……



「町を…… 町を最後まで守るとぬかしておった五人組の冒険者にのぅ!!」


「ガタッ!」


 その言葉を聞いたユウは、無意識に立ち上がり、身体をぶるぶると振るわせている。


「えっ!?」 

 

 レティシアも目を見開いて驚いている。その事実を知らなかったのである。


「奴等は…… 奴等が最後まで町に残ったのは、それが目的だったんだの! 町にある役者が持ち寄った名品の品と、なけなしの金が目的だったんだの! わしは、わしはぁー、それに気付けんかったぁぁ」


 ロスは声を荒げ、大粒の涙を流している。


「レピン、お前の父親が殺されてしまったのは、冒険者をー、冒険者を信じたわしのせいなんだのぅぅうー。すまないレピン、うぅぅ、すまないぃぃ」


 ジージ……

 

 狂った様に泣くロスを見て、ナナの瞳からも涙が溢れる。


 シンはこの時、ピカワンの話を思い出していた。

 それは、レピンが何故他の村や町に出稼ぎに出されないのか分からないと言っていた話を。


 そうか、そういうことだったのか……

 


「違うの! お前の、お前のせいじゃないのぅ!」


 そう言って立ち上がったのは、スピワン。

 スピワンも、涙を流している。


「話には…… 話にはまだまだ続きがあるのぅ!」


 泣き崩れたロスの代わりに、スピワンが口を開く。


「役者の中にはの、表立っては出来ないがの、陰ながらわしらの味方をしてくれる者がおっての、そいつらは確かな情報をくれた」


「……」


「役者はの、相手が例え王族であろうが貴族であろうが媚びへつらう事の無い気高く粋な奴らの集まりだったの。だからこそ、人々から慕われ人気があった。だが、衣装を作るわしらにはプライドの高い人気俳優達でさえその関係に神経を使っておったからの。それに…… それに目を付けた奴がおった」


「……」


「奴は、奴はわしら人気俳優達の衣装を一手に引き受けていたイドエ服飾組合に目を付けた。アルンさんを亡き者にし、そして新しい組合長になったシューの後ろには、奴がおったんだの!」


 いったい誰が!?


「奴の名は…… ザルフ・スーリン!」



 ザルフ・スーリン……


 その名を聞いたシンの目が鋭く光る。



「当時はの、何者だか知らんがの、今では王族と並び称される権力者、主を守る者レアレサヴィスタの一人だと言われておる」



 レアレサヴィスタ…… それっていったい……



 初めて聞く言葉で、怒りから震えていたユウの身体は、その震えを止める。


「スーリンはの、シューを通じて人気俳優達を貴族や王族と引き会わせ強いコネを作って成り上がったのだのぅ! つまり、イドエは、イドエは奴の欲望の為に、それだけの為に今のようにされたのだの!」


 そんな…… たった一人の欲の為に…… そんな……

 

「そこの冒険者共!」


 スピワンはシャリィに視線を向け声をあげる。


「ザルフ・スーリンがイドエを今の様にするのを望んでおるんだの! その名を聞いても、その名を聞いてもまだこの村に関わるつもりかの!? 領主様は村を放置し、冒険者ギルドも、教会さえもこの町から逃げ出す程の権力ちからを持ったレアレサヴィスタを相手に、何の後ろ盾も無い、お前達一介の冒険者に何が出来るというのかいの!?」


「……」


 スピワンは、ピカワンに目を向ける。


「わしらには、わしらには、守らんといけない者がおるんだの……」


「……じいちゃん」


 初めて祖父の真意を知ったピカワンの瞳から、涙が溢れ出る。


「わしの…… わしのせいなんだの…… イドエが今の様になったのは、組合長になったわしの力が足りんかったから……」


 項垂れて椅子に座り、ぶつぶつと呟いているロスの元に、ナナが近付く。


「ジージ」


「ナナ……」


「ジージ達は、うち達を守ってくれてたんだね……」


「……わしは」


「ありがとう、ジージ……」


 ナナはロスを抱きしめた。


「お前達の、お前達の未来を、夢を奪ったのは、わしなんだ。ゆるしてくれぇー」


「ううん、ジージは悪くない。悪いのは…… 悪いのは……」


 ナナの流している涙には、悔し涙も混ざり溶けていた。


 皆がすすり泣く中、ゆっくりとした足音が聞こえる。


「コツ、コツ、コツ」


 足音の主は、シャリィであった。

 奥で立っていたシャリィは、部屋の中央まで歩いて来て止まる。

 そして……


「私は最高ランク、Sランク冒険者のシャリィだ!」


 その声で、全員がシャリィに注目する。


「その私が、この名に懸けて誓おう。相手が何者であろうと、イドエの村人誰一人として、一滴の血さえも流させないと……」


 この時のシャリィから発せられているイフトは、力と愛情を混ぜ合わせた様な不思議なものであった。

 この場に居た全員はそのイフトから、清らかな水の様なシャリィの心を感じていた。


 ……シャリィさん


「シャリィ様……」

 

「私の言葉を信じるのか信じないのかは、自分達で決めろ」


 そう言うと、シャリィは屋敷を後にする。 



「じいちゃん……」


 スピワンの前に、ピカワンが立っていた。


「……なんだの、ジジィと呼ばないのかのぅ」


「じいちゃん、ごめん、ごめん……」


 涙を流すピカワンを、スピワンは優しく抱き寄せる。


「お前はの、お前らはの……」


 スピワンはピカツーとフォワを見る。


「わしの、大切な孫なんだのぅ…… 絶対に失いたくないんだの…… うっ、うぅぅ」


「じいちゃーん」


 ピカツーはスピワンに抱き着いて泣いた。


「フォワ……」


 その場に泣き崩れたフォワを、母方の祖父母が優しく抱きしめる。


「フォワァァァ」



「レピン……」


「母ちゃん……」


「今まで、お父さんの事を黙っていてごめんなさい……」


「……父ちゃんは、おらの父ちゃんは凄い職人だったぺぇか?」


「……うん。将来有望の、腕の立つ職人だったよ」


「そうぺか…… 会いたかった…… 会いたかったよおらー」


 母親と祖父母はレピンを抱きしめた……


 他の少年達も、少女達も、自分の祖父母に抱き着いて涙を流した。

 思いもつかなかったこの村の真相。そして、老人達の真意を聞いた若者達は、老人達と抱き合い、共に涙を流したのであった。



「うわあぁぁぁぁ、ひっひっひっくぅううう」 


「うぎゃぁああぁあああん、知らなかったわあちきもぅうううう」


 ユウとバリーの二人も号泣していた。


 そんな中、シンは一人屋敷から出て行く。


 シン…… 何処へ?


「ひっく、ひっひっく、うぅ」


 ユウは大粒の涙を流しながら、静かに去って行くシンの背中を見ていた。


「あちきもー、あちきもこの村の為に全力で力を貸すわー。いいえ、この村に骨をうずめるわ! 

 ギルドがなんと言おうが、でもそんなの関係ねぇ!! 皆が望むのなら、あちきも、この村を守るから…… 守るからねぇー!! うぎゃぁあああん」 




 屋敷を後にしたシンは、野外劇場が一望できる場所に立っていた。

 そこに…… レティシアが現れる。


「シンさん……」


「あっ、あぁ、村長さんか」


 レティシアに背を向けたまま、慌てて頬を伝う涙を拭う。


「あなたが……」


 レティシアは大粒の涙を流している。


「あなたが何もしなかったのは、これを…… これを待っていたのですね」


「……」


「村が一つになるには、あなた達ではなく、村人で、村人の力で…… こ、心からの声を…… うぅぅ」


 号泣するレティシアは言葉が続かない。


「それなのに、それなのに私はぁ、あなたを疑ってぇ…… ご、ごめんなさい。うぅう」


 シンは振り返り、崩れ落ちるレティシアを抱きしめる。


「村長さん」


「……はい。うぅ」


「あなたは…… 汚れてなんかいない」


 レティシアは、シンの瞳を見つめる。


「女性は…… 少女おんなは汚れない」


「シンさん……」


「あなたの様に気高い女性は、何があっても…… 汚れないんだ」


 シンのその言葉を聞いたレティシアは、長い年月一人で戦い、積もりに積もった懸念や、心をむしばむ様々な邪悪なものが一瞬で消え去って行くのを感じた。


「うあぁぁぁぁん、シンさぁーんぁああぁぁ」


 自分の胸にすがって泣くレティシアを抱きしめたシンは、涙が零れない様に上を向く。


 涙が枯れるまで泣き続けた、そんなレティシアに優しく声をかける。


「村長さん、屋敷に……」


「……はい!」


 しっかりと返事をして、シンの瞳を見つめた後、レティシアは屋敷へと戻って行った。

 シンは去って行くレティシアの姿が見えなくなっても、しばらくその方向から目を離さずにいた。


 あーぁ、思い出しちゃったぁ……


「爺ちゃん、婆ちゃん……」


 シンは再び、一人野外劇場を見つめていた。

 頬を伝う涙が降りやむまで……



 村人だけにと気を使い、直ぐに屋敷を後にしたユウとバリー。

 その屋敷に、出席していなかった村人達が続々と集まっていた。仕事中の者達もその手を止め、かつてアルンが住み、職業を問わず場を提供していた屋敷に……


 全てを打ち明けた老人達、それに答えるかの様にレティシアも全てを打ち明けた。

 村人達は年齢を問わず、清らかな心で忌憚のない意見を出し合い、陽が暮れるまで何時間も話し合った。

 そして……



 シン達四人は、モリスの食堂で待っていた。

 そこに、レティシア、ロス、スピワンの三人が訪ねて来る。


 ロスはゆっくりと食堂のドアを開け、中に入って来てシャリィの前で歩みを止める。

 そして、シャリィの目をしっかりと見据え、一言伝える。



「信じる」



 シャリィは真剣な面持ちでロスを見つめている。


 ロスは次に、シンとユウに目を向けた。


「わし達は、孫達が信じるお前達を、信じる!」


 厨房でその様子を見ていたモリスは、微笑んだ。


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