76 回想
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前日の夜に降った雨の為、普段より森の匂いを強く感じる朝を迎える。
ユウの眠りは浅く、まだ6時前だというのに、既に起きていた。
「はぁー…… 暇だな~」
元の世界ではインターネットやゲーム、それに漫画もあったから、こういう時に暇は潰せたけど、この世界では時間を持て余してしまう……
昨日、シンからナナ達の勘違いを聞かされたユウだが、それでナナ達がした事に納得をしていたわけではない。一度落ちた気持ちは、簡単には戻すのは難しい。
僕は今日何をすればいいのかな……
正直何処にも行きたくないけど、だからといって一人で部屋に居ても、気が滅入るだけだしなぁ……
シン達がしている掃除を手伝いに行こうかな…… それとも…… シャリィさんに付いて行って魔獣退治を見せて貰おうかな……
……それいいな!? 戦うシャリィさんをまた見てみたいし、魔獣も見てみたい!
朝食の時に頼んでみよう!
ユウは、自分に背中を向けて寝ているシンに目を向けた。
……シンは上手くやっている。
僕は…… 僕は…… 全然駄目だ。あの子達と会話すらまともに出来ていない……
元の世界でオタクだった僕が、いくら異世界に来たからといっても、見た目や精神が生まれ変わった訳ではない。
しょせんオタクはこの異世界に来てもオタクのまま…… 何の役にも立っていない。
あー、チート能力でもあればな~。
けど…… あったところで、その能力を上手く生かせるのかな?
いくらチート能力があっても、それを生かすための思考や経験がなければ意味がない……
僕にいくらアイドルの知識があっても生かせていない。つまりそれ以前の問題だよ……
あーあ~、僕が読んでいた漫画の主人公は、異世界に来たら別人の様に生まれ変わっていたのにな~。
……オタクは異世界に来てもただのオタクだった。何の経験もスキルもないオタクには、何も出来ない…… これが現実……
いや、ただ単に僕が駄目なだけなのかもしれない。
それにしても、いったい…… この世界に来てから何回目だろこの葛藤……
答えが見つからないから、何度も何度も同じ悩みをしていまっているのかな……
これから先も、壁に当たる度に同じ悩みをするのかな……
「はぁ~」
もっと、色々な事をして、沢山経験を積んでおけば良かったのかな……
「うっ、う~ん。あれ、もう起きてたのか、おはよう」
「う、うん。おはよう」
「ふぁ~あー」
起きたばかりのシンは、背伸びをしている。
「今何時だ? 6時過ぎかぁ。よいしょっと」
シンは立ち上がり、バニ室に入って行く。
「何処か行くの?」
「ん? あぁ、バニして目を覚ましたら、馬の散歩をしてくるよ」
「散歩?」
「ジュリちゃんと当番を決めていて、今日は俺の日なんだ。それに、体力も身体もまだ戻ってないから、良いリハビリにもなるし。ユウも来るか?」
「……まだ眠いから、朝食まで二度寝するよ」
「そっかぁ」
この後、シンはバニとビンツを済ませ、部屋から出て行った。
本当は散歩に行きたかったユウだが、何故だかその気持ちを素直に口にする事が出来なかった。
「はぁー」
深いため息をしたユウは、ベッドで横になり、朝食までの時間をただボーっとして過ごしてしまう。
「ブルルル~、ブルブルブルー」
シンが馬小屋に来ると、馬達が反応して泣き声をあげる。
「シンさんおはようございます」
「ジュリちゃんおはよう。朝早くから偉いね」
「そっかな……」
「そうだよ、いっぱいお手伝いしてるからね。偉いよー」
あっ!? そういえば、学校へ行ってないよなジュリちゃん……
ジュリちゃんだけじゃない、ピカワン達もだ!?
う~ん、この世界に学校が無いとは思えないから、たぶんこの村の事情なのかもしれない……
聞いてみたいけど、ジュリちゃんに聞くのは止めておこう……
「はいシンさん、これどうぞ」
「おっ、ありがとう」
ジュリから渡されたのは、馬の糞を片付けるための木ベラと袋。
……元の世界なら使い捨てのビニール袋で事足りるが、この草で編んだ袋は使い捨てじゃない。たぶんジュリちゃんか、モリスさんが編んだ物だろう。そうなると、この袋一つにしても大切な物なんだな……
それに、持ち帰った馬の糞も肥料にしているみたいだし、何でも買って済ませていた俺達とは大違いだな……
そういうのを忘れないようにして、発言には気を付けよう……
シンは、村人の生活を観察する事によって、この世界に少しずつでも順応しようとしている。
「じゃあ行ってくるね」
「はーい」
ジュリは、ランドが戻って来て以来、性格に明るさを取り戻していた。 だが、ジュリが本当に望む生活は、まだ戻っていない。
ランドともう一頭を連れてシンが散歩に出かける。
怪我をしている馬は、順調に良くなっていたがまだ無理はさせられず留守番のようだ。
「ううっ、朝は肌寒い時があるな……」
「ブルブルブルル~」
「ブルブルー」
「おっ、
散歩の途中、馬の尻尾がピンと上がり糞を落し始めた。
シンは直ぐにその糞を木ベラですくい、袋に入れる。
「おっ、ランドもかぁ。よいしょっと」
糞を片付けたシンの表情は、次第に笑顔へと変化していく。
「ふふふ、ふふふふ、あーはははは」
シンは何かを想像して、突然声をあげて笑い始めた。
「ブルルル~」
馬は驚いたかの様に、シンの笑い声に反応する。
フフフ、この世界に来てこんなに楽しみなのは初めてかも知れないな……
「ブルル」
「おっ、よしよし、散歩の続きをしよう」
散歩の終わった馬は、中庭の一角で放し飼いにする。
「ジュリちゃん後はお願いします」
「はーい」
この日のシンは、妙にソワソワして落ち着きがない。
「何時だ? まだ7時5分かよ…… 早く時間がすぎないかな~」
この後、ユウを部屋に呼びに行き、朝食の為に食堂に向かうが、そこにシャリィの姿はない。
「シン、シャリィさんは?」
「用事があるらしい」
「そう……」
残念だけど、魔獣退治の見学は、また今度だね。
……シンだけじゃない、シャリィさんもずっとこの村の為に、時間を割いている。
考えてみたら、何も進展させて無いのは、僕だけか……
昨日、シンから世界が違うから、意思の疎通に問題が生じるのは仕方ないと言われたけど、問題は、僕に女の子と良好な関係を築く事が出来ない所だ。
あの子達はアイドルの事も知らないし、漫画もゲームの話も出来ない。
会話の糸口さえ分からない状態だ。おまけに僕の事を全くと言って良いほど信用していない…… 駄目だ、考えれば考える程、再開しても上手くいく気がしないよ。
「はぁ~」
スプーンを持つ手を止め、ため息をするユウを、シンは気づいていない振りをしていたが、実際は気にかけていた。
「よーし、行こうか!?」
「うん」
シンは席から立ち上がると、厨房の方へ笑顔を向けた。
「モリスさん、ジュリちゃんありがとう。お昼にまた来るからねー」
「はーい、お待ちしております」
モリスとジュリは、笑顔で返事をしている。
いつもと変わらない光景だが、ユウは少し違う目で見ていた。
二人で野外劇場へと向かう途中、シンが口を開く。
「じゃあ頼むぞユウ」
「えっ!? ぼ、僕は……」
「うん、プロダハウンへ行ってくれ」
シン達のしている掃除の手伝いをすると思っていたユウは驚く。
まさか、休みなのはあの二人だけで、他の子は来るのか!?
気持ちの整理が出来ていないユウの心は、より一層重くなる。
「お昼にモリスさんの店でな」
そう言うと、シンはスタスタと野外劇場に向けて歩いて行った。
「はぁ~、なんだよ。休みじゃないのか……」
いくらあの二人が居ないといっても、他の子達にも会いたくないなぁ。
そもそもアイドルも何も知らない子に1から教えるって無理だよ……
行きたくないな……
そうは思いつつも、ユウはプダハウンへと歩き始める。
到着すると、窓や扉が開いている。
……そうか、昨日僕は鍵もかけずに逃げ出した。
到着しても気分の乗らないユウは、重い足取りでスタジオへ入るとそこには……
「ラジオ体操始めるぞー」
「やるっぺぇー」
「まずは両手を上にあげてー」
ユウがスタジオに入るとそこに居たのは!?
「シャ、シャリィさん!?」
「おはようユウ」
「え…… おは……ようございます。ど、どうしたんですか?」
シャリィはユウをジッと見つめ、目的を告げる。
「ユウ、アイドルというものを、私にも教えて貰えるか?」
「……シャリィさんに!?」
「……」
昨日……
「……で、ユウとあの子達の関係をどう修復させるつもりだ?」
「それなんだが……」
「まずはユウとあの女の子達、その両方のやる気を起こさせるため、シャリィに頼みがあるんだ。ンフッ」
「……何を考えている?」
「いや、そう警戒しないでくれ。そんなに難しい事じゃない」
「……」
「この村を散歩していて気付いた事がある」
「……」
「まず、当然のことながら、山賊と良好な関係を築いていた奴等は、俺に敵意をむき出しにして見てくる」
「……当然だ」
「それに、村人も似たようなものだ」
「……」
「だけど若い世代は、違っている」
「……」
「村長さんから聞いた、20年近く前にこの村であった出来事が関係しているのは間違いない。それを経験している人達は、俺達を、たぶん冒険者全般を良く思っていない。だけど、それを経験していない、つまり若い世代は見た感じ、シャリィに敬意を払っている」
「……」
「シャリィからアイドルはこういうものだというのを見せてやれば、あの子達に変化が現れると思うんだよ。だから……」
話の途中でシャリィが口を開いた。
「断る」
「だから…… へっ!?」
「こ・と・わ・る」
シャリが珍しく、一言ずつハッキリと口にした。
なんだ、その言い方。余程嫌なんだろうな…… だけど……
「どうして断るんだ?」
「まず一つ……」
「うんうん」
「お前のその顔だ」
「はっ!?」
「この話を始めてから、ずっとニヤついている。ろくでもない事を考えている証拠だ」
「そっ、そんなことないさ~」
「……」
シャリィはシンの表情を観察するかの様にジッと見つけている。
それに気づいたシンは、懸命に表情を変えるが、バレバレである。
「シャリィ、お前も俺達の世界には興味はあるんだろ?」
「それは当然だ。私だけではない、お前達が異世界から来たと知れば、全ての者が興味を持つだろう」
まぁそうだよな……
「だったら、俺達の世界の一環を知るチャンスじゃないのか? 言っておくが、ユウはアイドルに関しては間違いなくスペシャリストだ! そいつの指導を直に受けれるんだぞ? こんなチャンスは二度とないかもしれない」
「……私が断る理由二つ目」
「なんだ?」
「お前が必死になって私を説得するその姿がいかがわしい」
「ほっ!? 何だよその後付けな理由は? 要は俺の事を信用していないって事かよ!?」
「今回の件に関してはその通りだと言わざるを得ない」
うっ!? そんなハッキリと…… って、まぁそうなんだけどさ……
「だけど、考えてもみてくれ」
「……」
「他に方法があるとは思えない。あの年頃の女の子の気持ちを変化させるなんて、簡単に出来るものじゃないよな?」
「……」
本当は無いわけじゃないけど、もう一つの方法はとんでもないからな……
「頼むよシャリィ、お前にしか出来ないんだ」
「はぁ」
小さくため息をついたシャリィをシンは珍しいと感じた。
「……一つ条件がある」
「おっ!? 何でも言ってくれ!」
「それは……」
「はい、最後は深呼吸~」
「スーハー」
「今日も身体がほぐれたっぺぇ~」
「だっぺぇぁ~」
今頃ユウはシャリィと……
フフフ、シャリィ~、条件を飲むと言ったけど、すまないが嘘だ!
ンフフフフ。
「シャリィさんに……」
「教えて貰えるかユウ?」
「えっ!? ええ、それは勿論かまいませんけど……」
「……シンから、これを預かっている」
シャリィがインベントリから取り出したのは、ヴォーチェ。
どうしてヴォーチェを……
シャリィが取り出したヴィォーチェから鳴り始めたのは……
「こっ!? これは!?」
下り道13のヒット曲、下ってなんぼ!? シンがどうしてこの曲を!?
聴こえてきたのは、下り道13のヒット曲、下ってなんぼ。
その曲を、ヒューマンビートボックスとシンの唄声。
唄まで!?
「フフッ」
この時ユウは、微笑んでいた。
そういえば、毎日、毎日聴いていた…… 嫌な事があった時…… 元気を出したい時…… そして、下り道13を近くに感じたい時……
そう、元の世界に居た時は毎日……
ユウは目を閉じ、リズムに合わせて頭を動かし始める。久しぶりに元の世界を感じられる瞬間。
ユウは、無心でそれを楽しんでいた。
シャリィは、それを見守るかの様に優しく見詰めている。
そして、曲が終わると……
「シャリィさん! 始めましょう!」
「……あぁ」
シャリィは、微笑んでいた。
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