74 齟齬



 窓の隙間から、薄く灯している照明よりも眩しい日の光が差してくる。


「……」


 朝か……


 その光に、促されるように目を覚ます。


「……今何時?」


 6時12分…… あと2時間もすれば僕は、一人であの子達の所へ……


 ユウは、長い休み明けで、会社に行きたくないサラリーマンの様な気分に陥っていた。


 アイドルを作るのは僕の夢の一つだったけど、全然嬉しくなんかないや。

行きたくないな…… このまま、時間が止まればいいのに……


 その願いは届くはずもなく、時間を迎える。


「じゃぁなユウ、俺は野外劇場にいるから」 


「う、うん」


 ユウは、シンと別れた場所にしばらく立ち止まっていたが、シンの姿が見えなくなると、ようやくプロダハウンに向けて歩き始める。


 時刻は8時36分


 先に到着したのは、ユウだった。まだ時間が早いせいもあり、誰一人として来ていない。


 建物の周囲には、まとめて置いてある枝や雑草が見える。


「……プロダハウン。ベナァ」


 扉を開け、照明も灯し、少女達の到着するまでの間、室内に目を向ける。

  

 昨日より、更に綺麗になっている…… 


 ピカワン達が帰った後、シンは一人で室内の掃除もしていたのだ。ユウにそれを知る由も無いが、真面目に仕事をこなしているシン達を思い返し、気持ちを切り替えようとする。 

 


 駄目だよ…… こんな気持ちでアイドルなんて作れるわけない。気持ちを入れないと…… 今はまだ何の為にこの世界に来たのか分からないけど…… そう、僕はシャリィさんのシューラで冒険者なんだ。しかも、この世界の人達が持ち合わせていない知識を持った特別な冒険者。それは、シンと僕の二人だけ…… 

 シンに思う所はあるけど、雑用をしてくれて、自分の仕事をきちんとこなしている……

 

 僕の仕事は何だ…… アイドルを作る事だろ…… 

 

 反抗的な女子ばかりだけど、アイドルの素晴らしさを知れば、きっと、きっと変わってくれる。

 この村の為にも、レティシアさんの為にも、やらなきゃ駄目なんだ! この世界でアイドルを作れるのは、僕だけなんだ…… 


 数十分という短い時間の中で、自らを奮い立たせ、気持ちの切り替えに成功しつつあったユウの元へ、少女達はやって来る。


 少女達に気付いたユウが目を向けると、先頭に立っていたのは、意外にもナナだった。


「いいっぺぇか、さっき言った事を忘れるでねぇっぺよ」


「……う、うん」


「分かってる……」


「クル…… クル……」 

 

 ナナはユウの目をジッと見つめているが、いつもと違い、落ち着いた雰囲気さえ漂わせている。

 


「み、み皆おはようございます」


 ユウは絞り出したかのような声で挨拶をする。


「おはようございます」


「クル……クル、おはよう」 

  

「おはようっぺ」


「おはようっぺぇ」


 なんと、驚いた事にあのナナとリンが、そして他の少女達全員が挨拶を返してくれた。


 えっ!? 小さな声だったけど、あの二人までも……

 

 驚きの感情は、次第に喜びへと変化する。


 もしかしてさっきの僕の様に、心を入れ替えてくれたのかな……


「ちょっといいっぺぇかぁ!?」


 嬉しくて、薄っすらと笑顔に変わり始めたその時、ナナからの突然の呼びかけ。


「は、はい、どうぞ!」


「今日はいったい何をするつもりっぺぇ?」


 いつもの様な、語気を強めた言い方とは違い、幾分か柔らかい。


 ……挨拶といい、僕に対する態度が違う。本当に心を入れ替えて前向きになってくれたのかもしれない。

   

「きょ、今日はね、皆がアイドルになる為……の、えーと……」


 どうしよう、スケジュールを決めていなかったし、意外な態度を見せられて軽いパニックだよ…… 言葉が続かない。 

 えーと、えーと、まずは……


「こ、心構えを説明します」


「……」


 そう伝えたが、少女達のリアクションはゼロだ。


 今度は全く反応してくれない…… せっかく良い雰囲気だったのに、何か不味い事言っちゃったかな…… そうだ!? 


「と、とりあえずついて来てくれる」


 ユウは昨日のシンの言葉を思い出し、スタジオに案内するため歩き出す。


 あの部屋を見せれば、きっと驚く。そして、更に心を入れ替えてくれるかも……


 歩きながら背後に神経を集中するが、少女達がついて来ている様子がないので、わざと歩みを遅くする。

 何やらヒソヒソと少女達の話し声が聞こえてきたが、内容までは分からない。


 どうしよう…… もう一度言った方が良いのかな……

 

 悩んでいると、少女達はいつの間にか、ユウの後について来ていた。


 ホっとしたユウは、歩くスピードを速め、階段を上って行く。


 この時、ユウの後ろでナナは、背後に手を回し、リンから何かを受け取りその物を服の中に隠した。


 それを見ていた少女達に緊張が走る。


 そんな事を知らないユウは、ドアを開け、照明を点けたスタジオに入る様、少女達に促す。


「……」


 少女達の為にドアを押さえていたが、階段で止まり入ろうとしない。


 ……どうしたのかな? 仕方ない、僕が先に入ろう……


 スタジオに先に入り、窓を開け風を通し、少女達を待った。


「は、入って来て大丈夫だよ」


 ユウの上ずった声に反応して、ナナはそうっと首を伸ばし、スタジオを覗き込む。

 

 ……何だっペぇこの部屋!? 壁一面が、鏡になってるっペぇ……

  

「さぁさぁ、入って」 


 ナナはキョロキョロとして部屋の隅々まで目を通し、何かを確かめるかのようにゆっくりとスタジオに入る。

 ナナが入るのを見た他の少女達も、後に続いて恐る恐る入って来た。


「……なんだっペぇここ!?」


「うわ~、クルクルクル~、鏡だよ~。お姉ちゃん、大きな鏡があるよ~」


「ほんとだ~、すごーい……」 


 初めて見るスタジオに、皆は驚きながらも喜んでいる。 


 少女達の反応を伺っていたユウは、自分のしたこと・・・・で、笑顔になる少女達を見て、嬉しく感じていた。


「こ、ここでりっぱなアイドルになれるように、皆で練習するんだ」


 ユウのその言葉で、先ほどまで鏡の前ではしゃいで・・・・・いた少女達の動きが止まってしまう。


 ナナは一旦目を伏せた後、ゆっくりと顔を上げてユウを見つめる。


 その視線から、異様な雰囲気を感じ取ったユウは、つい身体を後ろにそらしてしまう。


「ねぇ、聞きたい事あるっぺぇ」


 ナナが言葉を口にした途端、少女達全員がナナの背後に回る。


「うっ、な、なに?」 


 真っ直ぐにユウの目を見つめ、一瞬間を置いてからナナは口を開いた。


「アイドルって何だっペぇ……」


 ……あ、あはは。なーんだ、そんな質問か。いつもより更に凄みのある目だったから、少し驚いちゃったけど、もしかして、本当にやる気になってくれているのかも知れない。


「うん、アイドルって言うのはね!」


 ユウは笑顔で話し始める。







 野外劇場では……


 少年達は、少しでも早くシンに会いたくて、シンとほぼ同じ時間に来ていた。


「おっ! ちょうどだな、俺も今来たところだ」


「おら達の方がちょっと早かったぺぇ~」


「フォワ~」


「そうか? ふふふ、おはよう」


 シンは微笑みながら挨拶をした。


「おはようっぺぇ」


「フォワ!」


「おはっぺぇ~」


 昨日、誰も居ないスタジオで一人、一心不乱に踊る事で現実逃避していたシン。

 約束の時間よりも早く来て、当たり前の様に挨拶を返す少年達が、よそ者のシンを慕っているのは一目瞭然だ。

 気持ちが通じ合っている今の様子は、元の世界の建築現場と何ら変わりのない佇まいで、それによってシンの心は安らいでいく。


「魔獣の住処に置いてきた道具があるっぺぇ」


 ピカツーが道具を見つけて声をあげる。


「あぁ、昨日こっちに運んでおいたよ」


「おら達も運ぶっペぇよー。次からは言うっペぇ」 


「フォワ~」


「……」


 少年達のその言葉でシンは嬉しくなってしまい、悩んで・・・いたある事を提案する。


「なぁ、朝って少し身体が動かないよな?」


「フォワ?」


「そうっだっぺぇ。身体はまだ寝ぼけてるっぺぇ」


「汗かき始めたら、思うように動くっペぇよ~」

 

「うんうん。それは身体が暖まってきたからだ。そこでだ!?」


「フォワ?」


「なんだっぺぇ、なんだっぺぇ」


 少年達は、次の言葉を待ちわびている。


「これから毎朝、仕事を、いや罰の掃除を始める前に……」


「フォワ!?」


「前になんだっぺぇ?」


 シンは、ニヤリと微笑んで口を開いた。



「ラジオ体操をする!」



「フォンワ~?」


「ラヂオだいそう? 何だっペそれ?」


「ラジオ体操な。つまり掃除を始める前に、軽く準備運動をするんだ。それによって身体を暖め、筋肉やスジを伸ばして緊張をほぐし、少しでもベストな状態で臨む。朝特有の身体を動かし始めた不快感などが軽減され、事故や怪我も少くなる!」

  

「よーく分からんっぺぇけど、良い事ばかりっぺぇ!」


「フォワ!?」


「ラジオ体操? 初めて聞いたっペぇ」


「おらもっぺぇ~」


 ざわつく少年達を、シンは笑顔で見ている。


「よーし、皆舞台に上がって、こうやって両手を広げて、隣の奴に当たらないぐらい離れてくれ」  


「こうっぺぇか?」


「フォンワ~」

 

「なんだっぺぇ、やめるっぺぇ! シン、フォワが離れても離れてもついてきて、おらをつんつんするっぺぇ!」


「ぷははは、フォワ、遊ぶのはあとでな。あーっと、前後も距離を取ってくれ」


 少年達は言われた通り、間隔をあけて立っている。


「俺の真似をしてくれな」


「真似すればいいっぺぇ、分かったっペぇ」


「フォワ~」



 さてと……

 


 シンはヒューマンビートボックスでラジオ体操の曲を奏でる。


 それを聴いた少年達は、驚愕してしまう。


 

 ……な、なんだっぺぇ!? 


 これは…… シンの魔法だっペぇ!?


「フォ~ワァ~……」



「まずは背伸びのうんど……」


「待つっペぇ!!」


 大声をあげてラジオ体操を制止したのは……


「おぉっ、どうしたピカワン?」


「どうしたもこうしたも、なんだっペぇそれ? 魔法だっペぇ!?」


 元の世界の現場でラジオ体操をする時は、いつもシンは仲間達と音を奏でていた。世界は違えど、ピカワン達と気持ちが通じ合っていると感じた事で、つい同じ事を自然としてしまったのであった。


「それって音の事か?」


 ピカワンと他の少年達は目を見開きながら大きく何度も頷く。


「シンから聴こえて来たように感じたっペぇけど?」


「あぁ、俺が口で奏でていた」


「まっ、魔法っペぇか?」


「ふふっ」


 シンは思わず笑ってしまうが、馬鹿にしている訳では無い。


 ふふふ、俺も初めてヒューマンビートボックスを聴いた時は魔法でも使っているのかと思ったよ。


「魔法じゃない、練習すれば誰にでも出来るさ」


 その言葉で、少年達は隣に立っている者と思わず見つめ合う。


「ほ、ほんとっぺぇかぁ!?」


「あぁ、本当だ」


「教えてくれっペぇ!」 


「おらも!」  


「おらにも頼むっぺぇ!」


 懇願する少年達をよそに、フォワは既に真似をしていた。


「フォ~~ワ~」


「全然出来てねぇっぺぇフォワ」


「フォワ!?」


「まぁ待て待て。まずはラジオ体操で身体をあ……」


 シンの言葉は少年達の耳には届いていない。フォアが真似をしたことで、他の少年達も後に続く。


「プープーププ。どうだっぺぇ、出来てるっペぇよー」


「全然出来てないっぺぇ。おならだっぺそれ」


「なんだっぺぇ!? じゃあ、お前もやってみるっぺぇ!」


「ブープーブブ」


「ぎゃははははは、なんだっぺぇそれ!? うちのばあちゃんのイビキの真似っペぇかぁ?」


「おらのばあちゃんを馬鹿にするでねぇっペぇ!」


「うちのばあちゃんだっぺぇぁ!」


「フォワ!!」


 フォワが言い争いに発展しそうな二人の間に素早く入る。



 ふふふ、こいつら……



 少年達を見て、シンは優しく微笑んでいた。


 だが、一人の少年を見て、その笑みが止まる。


 ……ブレイ・サイス。一人だけ、沈んだ表情をしている……


 ブレイは周囲の少年達に合わせて、時折つくり笑顔をしており、シンはその姿が気になっていたが、今その理由を聞くことをしなかった。


「おーい皆、とりあえず俺の真似をしてラジオ体操をやろうな。体操と掃除が終わったら、ちゃんと教えるからさ」


 その言葉にブレイ以外の者達は素早く反応して、元の立っていた位置に戻り始めた。


「早くその体操をやるっぺぇ!」

 

「そうっぺぇそうっぺぇ、掃除も直ぐに終わらせるっペぇ!」


 ふふふ……


「じゃあ始めるぞ。まずは両手を上に……」







「アイドルっていうのはね……」


 まてよ、せっかく皆の気持ちが変わり始めているのに、レティシアさんの時みたいに熱く語り過ぎたら、その気持ちを壊しかねない。

 理解出来ない部分が多いだろうし、簡潔に説明をしよう。


「アイドルっていうのは、歌やダンスをして、お客さんを魅了する存在なんだよ」


「……それって俳優っぺぇ?」


「う~ん、俳優とは違うかな~。そうだな……」


 簡潔に、簡潔にっと……


「兎に角、アイドルは来てくれたお客さんを喜ばすんだよ」


「喜ばす…… それは、おらのお婆ちゃんにも出来るっぺぇ?」 


「お婆ちゃん? う~ん、そうだね、そういうアイドルもいるのかもしれないけど、普通は若い女の子だよ」


「ふ~ん…… 若くて可愛い子なら、よけいにいいぺぇか?」


「う~ん、まぁ、そう言われるとそうかも知れないけど……」


 ユウはこの時、アイドルの素晴らしさをどの様に説明しようか悩んでいた。そして、思い出したのは、アイドルグループ、下り道13初の単独ライブで、共に歌い踊った後の爽快感。

 あの時は、クダミサのメンバー達も、ライブ終わりに舞台でメンバー同士で抱き合って涙を流していたなぁ…… 僕も、涙が止まらなかった……


 そうだよ! あれだよね!


「兎に角アイドルは、お客さんと一体になって、お互い気持ちよくなるって事が重要なんだよ!」


 その言葉を聞いたナナは、目を伏せ何やら考え込んでいる。


 通じたかな? あの感動は、全てのアイドルに是非経験して欲しい。

 うん、そうだよ、この世界初のアイドルになるかもしれないこの子達にも……


 ユウは、自然と笑顔になってゆく。


「その事はシャリィ様も承知っぺぇか?」


 シャリィさん? う~ん、シャリィさんにアイドルの話をイプリモでした覚えがあるけど、少しだったよね…… つまりアイドルを深くは理解していないと思うけど……


「いや、シャリィさんはあまり知らないと思うよ」


 そうっぺぇ、シャリィ様はこんな事を許すはずないっペぇ…… こいつらがシャリィ様のシューラなのを良いことに、勝手に…… 


 ナナは歯を食いしばった。


 あれ? 様子がおかしいような…… どうしたのかな?

 

「一体…… 気持ち良くっぺぇかぁ……」


 ナナは何かを呟いていた。


「うん? 何? 他に聞きたい事あるの?」


 その言葉を聞き取れなかったユウは、笑顔で聞き直す。


 ナナは、ゆっくりと服をたくし上げ始めと、お腹が一瞬露出してしまう。

 驚いたユウは、一瞬目を逸らすが、ナナの動作を不審に思い再び視線を戻す。


 ナナはズボンに挿していた物に手を掛け、取り出した物とは……

 

「えっ!? なに!?」


 

   


  


「あんた達、朝早くから一体何処へ行こうってんだい?」


 無法者相手に商売をしていた者やそこで働いている者達は、ガルカスを探しに行く為、朝から数十人が集まっていた。

 その者達に、ヨコキは声をかけた。


「何処って、ガルカスを探しに行くに決まってんだろ!? お前の所からも何人か出してくれ!」


 はぁ~、無駄な事をするねぇ~。


「探してきてどうするつもりなんだい?」


「またこの村を支配してもらうのさ! ガルカス達は居なくなるし、日に1500シロンだぞ!? 商売あがったりだ!」


「ふん! 探して見つけたところで、この村に冒険者がいるかぎり帰って来やしないよ。そうじゃないかい!?」  


 その言葉を聞いて、意気消沈する者も現れる。


「……だけど、他に手はあるのかよ?」


「ある訳ないよ~。相手は最高ランクの冒険者だよ。その気になれば、いつでもあたし達をどうにでも出来るんだからね~」


「……そりゃどういう意味だよ?」


「どういう意味って、あたし達はここの村人じゃないんだよ。みんなすねに傷持つ者ばかりじゃないか。つまり、あたし達をいつでも、どうにでも出来る理由は既にあるってことだよ」


「……」


「村長とあの冒険者の意に反する事をしていたらどうなるか、少し考えたら分かるだろう。最悪の場合、これさ!」


 ヨコキは、首を斬られるというジャスチャーを見せる。 


「……」


 ガルカスの捜索に集まっていた者達は、大人しく解散した。



 昨日……



「あたしを待っていたってどういう事だよ」


「ヨコキさんなら、金額に怒って私の所に怒鳴り込んでくると思ってましたので……」


「ふん! 見透かされるのは、気分いい事じゃないよ!」


「そうですね。すみません」


「なんかあたしに話があるんだろ~、早く言いな」


 レティシアは一度目を伏せた後、ヨコキを真っ直ぐ見つめる。


 ヨコキは鼻で笑い、その視線から目を逸らす。


「今回、1500シロンと言う事が知れ渡れば、殆どの人達が、特に経営者達は、ヨコキさん、あなたの様に不満が出るでしょう」


「当たり前だよ! それにもう皆知ってるよ~」


 ヨコキは腕と足を組み、レティシアを見る事なく、横柄な態度で話を聞いている。


「その中には、この村を出て行く人も現れるでしょう」


「そうだね~、あたしも出て行こうか迷ってるよ~」


 ヨコキは金額の吊り上げを匂わす。


「前にも申しましたが、あなたには是非残って欲しい」


 その言葉を待っていた。


「じゃあ、あたしだけにはもっとくれるんだよね?」


 そう言いながら、レティシアに視線を戻す。


「いいえ、金額に変更はありません」


「チッ! ふざけんじゃないよ! 残って欲しいなら、それだけのものを見せな! そうじゃないと、本当に出て行くよ!」


「ドン!」


 ヨコキは声を荒げ、テーブルを叩いた。


「……」


「あんた、あたし達を残すのは、ガルカス達が戻って来た時の事を考えているんだろう?」


「……お気づきでしたか」


「馬鹿にするんじゃないよ! それぐらい分かるさ! 協力金を出すとまで言って残そうとしたのに、この金額で皆が残ると思っているのかい!? ふざけんじゃないよ! あいつらみんな本当に出ていっちまうよ! それでもいいのかい!?」


 レティシアに揺さぶりをかけ、ネゴシエーションを有利に進めようとするヨコキだが、答えは意外なものだった。


「ええ、かまいません」


「……今なんていったんだい?」


 レティシアが折れると思っていたヨコキは、その言葉に驚愕する。


「出て行って頂いて、構いませんと申しました」


「……あんた、頭おかしいじゃないかい? 言っていた事と違うじゃないか……」


「……ヨコキさん、あなたに残って欲しいのは本心ですし、今もその言葉に嘘はありません。ですが、他の方々は必要ありません」


 レティシアのその真っ直ぐな視線を、ヨコキは逸らす事が出来なくなっていた。 


「状況は刻一刻と変化しております」


「……いったい、どういう事だい!?」


「……ガルカスは、何があっても戻ってきません」


「そ、それって…… どういうこ……」


 ヨコキは、自らの言葉の途中で気づいてしまう。


 変わることなく、真っ直ぐな目で見つめてくるレティシアを見て、自分の出した答えが確信に思えた。


「……死んだのかい。ガルカスは……」


「……恐らくですが」


 その言葉を聞いたヨコキは黙ってしまい、しばらくの間、無言の時間が流れる。


「あ…… あたしに、どうしろというんだい?」


「あの方達は、村人の仕事を掠めております」


「……」


「ですが、あの方々が持っているルートは、もしもの時の為に、是が非でも残しておきたい物です」


「……それをあたしに買い取れというのかい?」


「はい、その通りです」


「……その金は、村が、あんたが出してくれるんだよね?」


「いいえ、お出しする事はできかねます」


 その言葉で、ヨコキは再び激昂する。


「ふざけんじゃないよ! あんたの言う通り、この村が昔の様に戻れば、そのルートは不要な物になるんじゃないのかい!? そんな物にどうしてあたしが金を出さないといけないんだよ!?」


 怒鳴り声をあげるヨコキを目の当たりにしても、レティシアは微塵も動揺していない。


「勿論、ただとは申しません」


「何をくれるんだい!? さっさと言いな!」


「この村が昔の様に戻った暁には、ヨコキさんを始め、ヨコキさんの店で働いている方々全員に、正式な村人になって頂きます」


「……はぁ~」


 ヨコキは大きなため息をついた。


「ふっ、そんな事が出来るのかい、たかだか田舎村の一村長のあんたに……」


「出来なくても、今まで通りで住んでいただいて結構です。村はあなた方をお守りするとお約束いたします。あなた方の必要性を考えれば、当然の事です」


「……」


「それに……」


 レティシアの、次の一言でヨコキは決心を固める。


「日に1500シロンでも構わないという、村に残った従順な者達もお付けします」


「……」


 この小娘…… 


「村が昔の様に戻れば、あなたの売春宿やどは多忙になる。その時に必要な下働きは、時が来るまでこちらの予算で確保しておきます。もし、村が復興に失敗しても、残った下働きの者達と、買い取ったルートがあります。あの方々のしていた事を、ガルカス達に代わって新しく村に来た者達相手に、そっくり真似すればいいでしょう」


 似てるね~、あたしに……

 

 そして、もう一つ。ガルカス達が生きている事も想定に入れておかないとね。

 結果あいつらはあたしが追い出す事になる。そのあいつらのルートを買い取って村に残っているあたしを見れば、この小娘と裏で結託していた事は疑われるだろうね~。


 その時は……  

 


 逃げればいいさ。


 ヨコキは、レティシアの話を承諾する。






 肌が見えるほど服をまくりあげ、ナナが取り出したものは……


「えっ!? なに!?」


 ユウの目は、ナナの手元に光るものを捉えた。


  

 それは……



 たっ、たっ、短剣だ!?


「ふざけるでねっぺぇ!! だーれがそんなもんになるぺぇかぁ!!」


 ユウは突然の事に驚き、言葉をあげることすら出来ない。


「アイドルか何だか知らねーっぺぇけど、あたし達は娼婦には絶対にならないっぺぇ!」

 

 あたしは! あたしは! 自分がどうなろうと、絶対に皆を守る!


 

 あの時の…… あの時のあの人の様に……



「はっ、はっ、はぁぁ……」 


 短剣を構え、ジリジリと距離を詰めるナナ。


 ユウは腰が抜けてしまい、手で床を這うようにして逃げるが、壁に遮られてしまう。


「ちょっ、ちょっと待ってよ! 何か、か、勘違いしているよ!?」


「何が勘違いっペぇ!? お客と一体になるとか、気持ちよくなるとか!? ハッキリとそう言ったのを聞いたっペぇ! ふざけるでねぇっぺぁ!!」


「ナナ! やっちまうっぺぇ!」 


 リンにたきつけられたナナの目に、冷たい何かが宿る。


 その目を見たユウは、恐怖のあまり動けなくなってしまうが、その時……


「クル~、クル~、うわぁぁぁん」 


 緊迫した状況を感じたクルが、泣き出してしまった。


 その泣き声に気を取られ、後ろを振り返ったナナを見たユウは、勢いよく立ち上がり、そのまま開けていた窓に上半身を突っ込んだ。


「あっー!」 


 勢いのあまり、ユウは回転しながら転落してしまう。


「パキパキバキパキ」 


 ユウが背中から落ちた所は……

 偶然にもシン達が枝や雑草をまとめて置いていた場所であった。


「うっ、うぅうわー!!」


 ユウは直ぐに起き上がり、悲鳴をあげながら逃げ去って行った。


  

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