50 順調




「カッポンカッポンカッポン」 


 馬の肥爪


「カラカラカラガタガタ」


 馬車の車輪


「サァ~ザァ~」


 川の水


「チィーチチチチィー」


 鳥のさえずり……そして


 森の匂い……

 うーん、今日もパーフェクト!


 東京都太田区大森西で生まれ育った僕は、学校行事以外で都会を離れた事が無く、このような自然豊かな場所を訪れるのは、異世界が初めての経験と言っても過言ではない。


 本当に空気が美味しくて心地良い。

 それに、日本と景色が大きく異なっていて、木を始め、何かもが大きい。

 

「あ~…… 気持ちいいなぁ~」 


「ブッー」


「……」


 後ろで寝ているシンがオナラをした。


 ……はぁ~、僕が自然を満喫している時に何故オナラをするかな?


 シンには僕の心の声が聞こえていて、それでワザとしているのかなって勘繰ってしまうタイミングだよ、もぅー!


 まぁ、生理現象で人を責める訳にもいかないし、ましてや相手は動けない怪我人だ。



 イプリモを離れて今日で1週間。

 シンは順調に回復をしているみたいだけど、シャリィさんから動くことを禁止されている。

 勿論、素直に従う男ではないので、シャリィさんと頻繁に言い争いをしていて、僕がいつも仲裁に入っていたが、今はあの例の魔法で強制的に寝かされているという訳だ。


 う~ん、シンのケガはいつごろ治るのだろう?


「シャリィさん、シンはあとどれくらいで治りそうですか?」


「そうだな、4ヵ所の骨折は順調に治っているが、痛めた内臓は芳しくない。あのアホウが私の言いつけを無視して動き回ったり、こっそり固形物を食ったりするからだ。完治となると、1ヶ月近くかかると私はみている」


 ……1ヶ月かぁ。

 

 目的地のウースに到着するまで、約1ヶ月前後だと聞いている。つまり、それまでの間は、今の様に魔法で強制的に……

 ご愁傷さまです。


 僕はイプリモを離れてからここまでの間、回復魔法や薬の事をシャリィさんに尋ねていた。


 医療魔法は回復魔法に分類されており、沢山の種類があり、なんと今回シンにかけられた魔法は…… 全部で11種!?


 まずはヴァルトス。

 この魔法は身体をスキャンする魔法らしい。

 血圧、体温、脈拍、呼吸など基本的なものから、レントゲンやCT、MRIといったものも兼ねている様だ。

 ハイレン、これは僕も講習の時にグレースさんに掛けて貰った出血を止める魔法。

 クゥラ、骨折の修復魔法。

 フネイザ、内臓の修復魔法。

 アンティ、殺菌。たぶん抗生物質のような魔法だ。

 エンキフト、解毒。

 レルヒヤス、アレルギーを抑える。

 オンナミ、免疫力の活性化。

 サングエス、血液量や成分の調整。

 ヌーテリ、栄養剤の魔法。

 そして、痛み止めと炎症を抑えるドロイ。

 これで11種類。


 ハイレン、アンティ、エンキフト、ドロイなどの魔法は、制限魔法でも使用する事も出来るが、講習を受け試験に合格した者だけに許されている。

 他の医療魔法については、専門的な知識が必要で、この世界の医者や、限られた人のみが使用できる魔法だ。

 無論Sランのシャリィさんは、知識を身に着けた上での習得が許されており、使用することが出来る。

 どうやら医療魔法は、この世界にある医大の様な学校で資格を得た者が習得できるという訳だ。

 患者の状況に応じて、様々な魔法をほど良くブレンドさせコントロールする必要があるらしく、知識のない人が使うと、逆に死に至る怖い魔法なので、習得を厳しく管理されているらしい。


 病院は、教会によって村や町に建てられており、一般的に病気やケガの治療は病院で行うのが普通である。

 シンの様な重傷者は、一度医療魔法を掛けて終わりではない。

 医療魔法には持続時間がある程度決まっており、シンは1日に数回シャリィさんの診察を受けて、その都度魔法を掛け直されている。

 かなり繊細な魔法のようだ。


 ……やはりこの世界には、一瞬で治るような魔法や回復薬は存在していない。

 つまりそれは、剣などで急所を刺されたり、斬られたら死ぬということだ。

 元の世界の医療と同じで、医療魔法には限界がある。


「おーいシャリィー、トイレ~。魔法を解いてくれー」


「……」


「おーい、シャリィってばー。トイレだってー」


「……」


 ……あれ、もしかしてシャリィさんワザと聞こえないふりしてる?


「フッ、フフ」


 シャリィさんが小声で笑っていた。

 クールなシャリィさんだけど、たまに見せるこういうおちゃめな所が凄く可愛らしい。


「あー、くそ! ここで漏らしてやるからなー」


「大きな声を出すな、ケガに響くぞ。ほら、魔法は解いた」


「ったく。ぜってぇワザとだろ。ぶつぶつ、ぶつぶつ」


 シンがぶつぶつ文句を言っているのが可笑しくて、シャリィさんと目を合わせ、クスクスと小声で笑った。


 慣れてきて居心地の良かったイプリモ……

 そしてコレットちゃんとの別れ……

 この二つが重なってかなり落ち込んでいたけど、シャリィさんのお陰で、淋しさを忘れかけている。

 本当に素敵な女性だと、心からそう想う……


 けど……



「シン、馬車を停める?」


 後ろを向くとシンは、携帯トイレをお尻にあてていた。


「シン、そこでしないでよ。トイレスペースあるのにー」


「別にどこでしてもいいじゃん、どうせ何処かに飛んでいくんだからよー」


「モラルの問題だよ、馬車から降りられないシンのために、カーテンで仕切りを作ってあるんだからさー」


「へぃへぃ、動くなと言ったり、移動しろと言ったり、ようござんすね、二人は俺というオモチャがあって暇しないだろ?」


 その言葉でまたシャリィさんと目を合わせて笑ってしまった。

 フフフフ。


 この携帯トイレ、町ではない場所で中身が何処に転送されるのか不思議だったけど、整備された道沿いには、携帯トイレから転送された物を溜めて置く場所が数キロ毎にあり、使用した場所から1番近い所に転送されるらしい。

 そして溜まった物は、それぞれの地域で決められた業者が回収して肥料として使用している。

 転送を繰り返せば、更にまとめて集める事が出来ると思うのだが、魔力や、雇用の面から、それを行なっていないらしい。


 森の奥深くや、この魔法が整備されて無い場所では、携帯トイレは使用できない。その時は、穴を覆っている蓋が開かないので確認できる。

 シャリィさんの話ではこれらの魔法整備も全て教会の協力によるもので、こういう面からも教会を崇拝している人が多いらしい。

 

 確かにそうだ。暴利をむさぼる事無く、人々の生活を向上させてくれるなんて、素晴らしい事だ。


 今度教会の話も沢山聞いてみたいな~。


「ユウ、馬の操作をしてみるか?」


「はい、交代しましょう」


 移動中に馬の操作を教えて貰い、狭い道や崖沿い以外の危険のない道なら、走らせる事が出来るようになった。


 この大きな馬は、とても大人しくて扱いやすい。


 シンは動物が大好きらしく、馬に触りたいと何度も何度もしつこく言うので、休憩の時にシャリィさんが肩を貸し馬に触らせてあげていた。


 その時のシンの表情ときたら、まるで初めて動物園にきた子供の様だった。

 馬もシンの気持ちが分かるのか、世話をしているシャリィさんや僕よりシンに懐いている。

 動くことを許されていないシンは、馬と接する時間は短く、エサもやっていないのに実に不思議な話だ。


「シャリィさん、今日は何処まで行くのですか?」


「候補の街が二つあるのだが、一つはイプリモに匹敵するほど大きな街だ」


「イプリモに? それは凄く楽しみです!」


 僕達はまだ野宿の経験をしていない。

 その理由は、街道沿いには町や小さな村が、高速道路のサービスエリアの様に点在しており、宿泊や食事には困らないからだ。


 道はお世辞にも滑らかとは言い難いが、酷い揺れをあまり感じない。

 これもシャリィさんの魔法のお陰で、見えないサスペンションがついているかのように快適だ。

 そういえば、シャリィさんと出会ってイプリモに移動している時に、荷車に乗せて貰ったけど、あの時もさほど酷い揺れを感じなかったのはそういう訳だったのだ。


「あー、暇だー。身体動かしたーい」


 また始まった。シンは毎日同じ事を何十回も言い出す。


「ふふふ」


 笑っちゃ駄目だけど、シャリィさんが怒った時のシンとのやり取りが可笑しくて思い出し笑いをしてしまった。


「あっ、前から馬車が来ます」


「分かった。だがあの馬車は警戒しなくて良い」


「はい」


 シャリィさんには、人や魔獣を見たら直ぐに報告する様に言われているが、この馬車も僕が報告するより先に、前もって危険が無いのを知っているかの様だ。

 たぶん探知系魔法を使っていると思われるのだが、それでも僕に報告を求めるのは、少しずつでもこの世界に慣らそうとしてくれているのだろう。


 因みにまだ魔獣を一度も見ていない。

 この辺りの街道沿いは、冒険者が魔獣退治をしてくれているらしく、めったに見かける事は無いと言っていた。

 それはマガリさんの功績によるものらしい。


 マガリさんがイプリモ支部長になってからは、他の支部と連絡をまめに取り、街道沿いの整備に力を入れ、沢山の魔獣を駆除し、山賊も討伐した。

 そのためイプリモへの往来する人が増え、自然と人口も増加し、町が活性化したそうだ。


 街道沿いでは、森の中に入る小道を頻繁に目にする。

 僕とシンもあのような小道から街道に出て、イプリモに行く事が出来た。

 たぶん小道を入って行くと、河原で聞いた唸り声を出すような魔獣がまだ居るのだろうか?

 見たいような見たくない様な……

 複雑な心境だ。


「シャリィ、腹減ったー」


「我慢しろ。次の村まではまだ数時間かかる」


「えー、ただでさえ不味いスープばかり食わされていつも腹ペコなのに、まだ数時間も…… ジジイになる前に餓死しそうだ」


 口が悪い……


「……分かった。ユウ、あの広くなっている所で昼休憩をしよう」


「はい、分かりました」


「何、昼休憩? なぁ、散歩ぐらいならしてもいいだろう? それぐらいなら動けるってもう」


「駄目だ」


「くぅぅぅぅ。へいへい」


「休憩中に医療魔法をかけよう」


「へーい」


 ふふふ、シンとシャリィさんの関係は、まるで奥さんが、旦那さんを尻に敷ている夫婦みたいだ。


「ドォー、ドォー」


「……ユウ、馬の扱いが日に日に上手になっているな」


「い、いえ、馬がかしこいので、僕は大したことしてないです」


 小さな事でも褒められるとやっぱり嬉しい。


「さぁシン、いつもの魔法だ」


「はいはい、ちゃちゃっとお願いします」


 シャリィさんはいつもの様に、シンに向け手を翳した。


 ……骨、内臓の修復も順調で、出血もしていない。

 回復具合を正確に計りたくて動かない様にさせていたが、この感じだと、あと1週間もあれば完治するだろう……が、早すぎる。

 普通の者なら1ヵ月かそれ以上はかかるはずだが、恐らく魔法への耐性がない事がプラスに働いている。

 この世界の、魔法を使用せず育ってきた者達と同じだ。

 どうやら、異世界人といっても大きな違いは無いようだな。

 今日辺りから動くのを許可してみるか……


「終わった」


「ありがとう。……なんかさ、魔法かける時間短くなってない?」


 確かにその通りだ、僕も気づいていた。


「それってもしかしてもう治ってんじゃない?」


「あの重傷が1週間で治る? そんな都合の良い魔法も薬も私が知る限りではこの世界に存在しない。妙な勘繰りをせず今まで通り安静にしていろ」


「分かってますよ。けど、なんか怪しいよな~」


 シンのケガが早く治るのは良い事だけど、治ったら治ったらでトラブルを呼びそう……


「そういえばさ、随分涼しくなってきたな」


「そういえばそうですね」


「イプリモに比べると、この辺りは標高が高い。そのせいだろう」


「あー、なるへそねー」


 なるへそって……おじさんだよ。


「シャリィさん、馬具を外しますか?」


「あぁ、馬を休ませるために、長めの休憩にしようか。私は薪を拾ってくる」


「なぁ、それならせめて釜戸だけでも作らせてくれよ俺に」


 シンがそう言った後、シャリィさんは僕をチラ見した。


「えーと、僕も手伝いますね」


「それならシンが動くのを許可しよう」


「うぉーー、やったぁー!」


 シンは両手を突き上げ、歓喜の声を上げた!

 そして馬車からゆっくりと降りた。


「……おぉ! ほとんど痛みを感じないぞ。もう大丈夫だろ」


 そう言ってぐるぐる歩き回りだした。


「シン、また怒られるよ」


 シンはシャリィさんが入って行った森の方角を、首を伸ばしながら見て、居ないのを確認している。


「なーにが動くのを許可しようだ、ったくよー」


「そんな文句ばっかり言って、シャリィさんは心配してくれていますよ」


「そうかもしれないけど、自分の身体だぜ。動けるか動けないか俺が判断できるよ、そうだろ?」


「魔法でケガの回復具合が分かっているのだと思いますよ。だからまだ無理は駄目なんです」


「まぁそうだな…… 魔法に関して俺らは全然まだ分かってないもんな」


「そうですよ。シャリィさんを信用しましょう」



 信用か……



「……そういえばさ、俺が居ない時にシャリィから男の話を聞いた事があるか?」


「男の話?」


「そうだよ、たとえば元彼の話とか、行きずりの男と寝たとかさ」


「そ、そ、そんな話は一度もしてないです」


「そうか…… しまったな~、コレットにその辺りの事を聞いておけばよかった。

 あいつさ、男っ気がまるでないじゃん。俺と一緒に居てもハァハァしてこないし、どの男と会ってもまるで女らしさを見せた事ないだろ。だけど、男に対して免疫が無いとも思えない」


 うーん。僕には良く分からないな~。


「男に興味がないという線も…… それなら女好きなのかもしれないな? と、なるとだな、コレット仲良かったからもしかして……」


 も、も、ももしかして…… ゴクリ。


「まぁ、それはないか」


 ないのかよ!? ちょっと想像してドキドキしちゃった……


「まぁ、そのうち俺に抱いてくれって泣いて頼んでくるかもしれないな。その時は今まで積もりに積もったものを、あのけしからん身体にぶつけてやるか」

 

 何という…… 何という思考だ…… 狂っている。

 それに、どれだけ自分に自信を持っているんだよ。


 って!?

 シンがそう毒を吐いている後ろに、いつのまにシャリィさんが立っている!

 その時、シャリィさんの背景にゴゴゴゴゴという字が見えるぐらいの威圧感を、僕は感じていた……


 そして、僕の表情からシンもそれに勘付いたようだ。


「あいたたたた、駄目だ―、まだ完治してないや。ユウ、悪いけど馬車で休むね俺」


 そう言いゆっくりと振り向いて、しらじらしく気づいたふりをした。


「あれ、シャリィ帰ってきてたの? 薪集めご苦労様です。俺は痛みがあるから馬車に戻るね」


 シンは明らかに動揺しながら、そう伝えた。


 シャリィさんは両手に抱えていた薪を落とし、シンのほっぺを両手で掴んで引っ張った。


「ぼうしょくはんらい! いしゃい、いひゃい。ヒュウ、たしゅけて!」


 ……ごめんシン、僕にはどうすることも出来ません。

 けど、どうせなら、また魔法でシンに罰を与えて欲しかったなぁ。

 そしたら攻撃魔法を目の前で見られたのに……

 シャリィさん、怒っていてもシンの身体の事を気にして、本当に優しい人だ。フフフフ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る