45 想い
「ミラー、リアナさん、おめでとう」
涙を拭いたシンは、祝福の言葉をかける。
「ありがとう。勝てたのは、結婚できたのはシンのおかげだ」
ミラーの涙は、まだ止まってはいない。
「……ミラー」
「なんだ?」
「言っただろ、才能があるって」
「うん、うん、本当にありがとうシン」
……そう言えばまだ勝ち名乗りをしていなかったな。
シンは、ミラーの横に立ち、右手で左手首を掴んだ。
ん~、シンはノックの手を取って何をするつもりじゃ……
もしかして、あ、あいつやっぱり!? ひぃ~!
シンはミラーの左手を掴んだ右手を高々と上げた!
「第一試合、勝者はノック・ミラー!」
そして、左人差し指でミラーをちょんちょんと指差して、見ている者全員にアピールをする。
「ほらミラー、右手もあげろ!」
「うっ……うおぉぉぉぉぉぉ!」
雄たけびと共に、両手を空に向け突き上げたこのポーズは、ミラーポーズ!
略してミラポと呼ばれ、のちに、イプリモからこの世界中に広がって行く事になる。
そして、シンの行った元の世界流の勝ち名乗りも、拳闘の世界で当たり前になってゆく。
一方、ミラーに敗れたロウズは、意識を取り戻した。
な、なんや? 負けたんか……
あ、あんな奴に、どうして負けたんや? わからん……
だけど、そやから…… わからんからこそ拳闘は、おもろいんや……
ロウズは、ミラーに敗れたことが転機となり、今までの態度を改め、何事にも真面目に取り組むようになった。
そして、のちに三つの国のチャンピオンとなり、拳闘の世界で名を遺す。
ミラーは拳闘を辞めてしまうのか……
才能があるだけに残念だけど、拳闘より、いや何よりも彼女を選ぶって、男としての才能もあるんだな……
本当におめでとうってけどな~、もっとミラーにボクシングを教えて才能を伸ばし、スパーリングでいいから俺と対戦して欲しかったなぁ~。
「おーい、シーン! 今度は俺に、俺に個人的に教えてくれよ」
「アホ! 次はわいや!」
「うるせぇ、チュータは門番の仕事に戻れ!」
「仕事は終わってる! 次はわいや言うとるやろ!」
ふっふふふ、ふはははは。
あ~、現場を思い出すな~。今頃になって本当にこの街を離れるのが嫌になってきちゃったよ……
「喧嘩すんなって、皆に教えるからさ~」
「俺な、俺」 「わい、わいやって!」
「ほら、二人ともプーパの前に行こうぜ」
「おぅ!」 「やったぁ!」
シンは希望する者全員を指導した。
時間の関係で、細やかな指導は出来なかったが、元々基礎が出来ていなかったので、皆はメキメキと腕を上げた。
そして、ミラーの試合を見ていた観客の中からも、拳闘をやりたいと手をあげる者も少なくは無かった。
「……つ、次は」
「ん? 誰だ?」
シンが振り返ると、そこにはロウズが立っていた。
「次は、俺にも教えてくれへんか……」
「あぁ、全然いいぜ。実はなロウズ、お前にも才能がある。良いパンチ打ってたぜ!」
「ほ、ほんまか!?」
「あぁ、ダメージは残ってないか?」
「ちょっとふらつくけど、大丈夫や。それより教えてくれや」
「具合が悪いと思ったら直ぐに言えよ。約束しろ」
「おぅ、言う言う。だから、なっ!?」
「あぁ。ロウズはの場合はな」
「うんうん」
「ここをこうして、こうやると……」
「うんうん……」
落ち着きを取り戻してきた練習場で、シンは少し離れ、全員を見渡せる場所に居た。
短い時間だけど、約束を果たせて良かった
感傷的な気持ちに浸っているシンに、近づく者が現れる。
その男は、剣を携え、明らかに冒険者の出で立ちをしていた。
「よぅ、お前がシンか?」
「ん? あぁ」
腕を組んでシンの横に立ち、一緒に拳闘の練習を見始めた。
「拳闘は楽しいか?」
「あぁ、面白いぜ。良かったら教えるけどどうだ?」
「ふっ」
男は鼻で笑った。
「ハーハハハァー、お遊戯を覚えるなんて、そんな無駄な時間は俺には無いな」
お遊戯……
「ふーん」
「なぁ、俺のツレが随分と世話になったようだな」
「ツレ? 誰だそれ?」
「惚ける必要はないぞ」
「惚ける? 何故惚けないといけない」
「ふっ! メシ屋でお前に殴られた奴らだよ」
「ほ~、俺はメシ屋で人を殴ったのか?」
「なるほど、忘れたふりしてやり過ごすつもりか?」
「女性なら忘れないけどな。お前と違ってモテ過ぎて、不細工な男を覚えていられないんだ」
チッ、この野郎……
あっ、女性って……しまった、皆に教える事に夢中になっていて、昨夜の女性のとの事を忘れてたのに、思い出してしまった……
「はぁ~」
シンは、項垂れて暗い表情をする。
ため息なんてついて、やっぱりこいつビビってやがるな。
「まぁ、いい。今日はお前に対戦を申し込みに来た」
「拳闘のか?」
「そうだな、俺はお遊戯でもいいけど、お互い冒険者なんだから、中の対戦でどうだ?」
「ほう、冒険者として対戦ねぇ……」
何するんだろう、中の対戦って?
冒険者ギルドの地下には、冒険者同士が対戦するコロシアムに似た円形の闘技場がある。
コレットが、ユウに見せて驚かそうとしていたのは、この闘技場の事であった。
一般的には、冒険者の鍛錬の為という名目だが、冒険者同士の争いの場として使われる場合が多い。
この闘技場で戦う事を
外での争いは罰せれる事がある一方、中での争いは、お互い了解の元であれば、対戦相手が死亡しても罪に問われることは殆ど無い。
「どうした、ビビったか?」
「そうだな、その中の対戦とやらを詳しく教えてくれ」
この野郎、シューラとはいえ冒険者には変わりない。
それぐらい知っているだろうがよ。
「あれ? もしかして言い出したお前も知らないのか?」
「ギリギリギリ」
男は、激しく歯を食いしばる。
こいつ、絶対に殺してやる。
「いいだろう、説明してやるよ。要は拳闘みたいなお遊戯じゃなくて、好きな武器と魔法で戦うんだよ」
「へぇ~」
……シンの奴、誰と話しとるんじゃ?
ん~、あいつは確かBランク冒険者の……
来たか……
「で、受けてくれるよな?」
「あぁ、いいぜ。今からか?」
「ハーハハハァー、俺も直ぐにでも始めたいが、ギルドに申請しないといけないからな、明日の正午ぐらいになら許可が降りるだろうよ。それでどうだ?」
「分かった、明日の正午だな」
「逃げるなよ」
「逃げる? 誰がっ……あっ」
明日って、朝この街から出て行くんだっけ?
正午ってそこまで時間延ばせるかな……
「ちょっと待て、明日は都合が悪い」
「ハーハハハァー! どうした怖気づいたのか?」
「耳の穴に虫でも住まわせているのか? 明日は都合が悪いと言ってんだよ」
こいつ、俺が虫嫌いなの知っているのか……
くそが! いちいち神経を逆なでされる。
「分かった、じゃあ明後日でどうだ?」
「……いや、明後日も」
「ハーハハハァー、おい、いつなら都合が良いんだよ~」
「んーと、半年から1年後とかかな?」
「あ~ん、ビビッているなら正直に言えよ。ハーハハハァー、俺の靴の裏を舐めて謝るなら許してやらない事も無いぞ」
「今なら時間あるんだけどな」
「さっきも言っただろう、ギルドの許可取るのに時間がかかるってよ!」
「そんなの無視すればいいだろ? そんなにギルドが怖いのか?」
「はぁ~。あのなぁ、ギルドに申請した正式な対戦ならうっかり俺がお前を殺しても罪に問われることはない。分かっているだろ?」
「そりゃ逆も同じなんだよな?」
「ほぉ~、拳闘みたいなお遊戯をしているお前に、俺が殺せると思っているのか?」
「あぁ、思っているよ」
「おいおい、そこまで威勢の良い事言ってくるくせに、明日はダメ明後日もダメ、半年から1年後ならって笑わせるなよ」
「だから、今直ぐならいいぜって言ってるだろ。耳の中の虫を取り出した方がいいんじゃないか?」
「チッ、耳に虫なんて入れてねーんだよ」
シンは男の耳の中を覗き込む様な仕草をする。
「てめぇー!」
激しく睨み合う二人。
この時、シンと揉める男のイフトが出る。
ガイストンを始め、数名の者達がそれに気づき、近づこうとしたが、ピカルが止める。
「いいだろう。ここは人目がありすぎる。時間を空けて俺の後をついてこい。いいな!?」
「あぁ」
「逃げるなよ、お遊戯ちゃん」
男は路地を奥に入って行った。
シンは、気づいてこちらを見ていた者達に笑顔を向けた後、男の入った路地に向かった。
「ピカルさん、良いのか?」
「喧嘩や揉め事なんて珍しい事じゃないじゃろ。ほっとけばいいんじゃ」
「……分かりました」
……わしだって本当は止めたいんじゃ!
だがのう……
乗り越えるんじゃぞ、シン……
路地を入って行くと、そこには空き家があり行き止まりになっていた。
「おぃ、こっちだ」
声のする方を見ると、先ほどの男が空き家の壁の上から顔を出していた。
シンは壁をよじ登り、空き家の庭に降り立った。
「そういえばお前、どこだか忘れたけど、ド田舎から出て来たらしいな?」
「そうだな」
「それじゃあ田舎者に教えてやるが、街中で正当な理由もないのに攻撃魔法や剣を使うと冒険者といえども当然ペナルティをくらう」
シャリィが俺に喰らわせた攻撃魔法には正当な理由があったのかよ……
「ほ~。それなら良い考えあるぜ」
「……言ってみろ」
「お互い椅子で戦うか?」
「ギリギリギリ! てめぇ~、やっぱり覚えてるじゃねーか!」
こいつ、本当に殺してやる。
いや、ここは中じゃない。田舎者のペースに巻き込まれるな。
「ふぅ~。そこでだ、ちょうどこの空き家に良い物があった」
男がシンに向かって1mほどの長さの棒を投げて来た。
木の枝ではなく、加工された物で、かなりの強度がある。
「これでどうだ?」
「あぁ、何でもいいぞ」
シンが棒を拾おうとして前屈みになると、男はいきなり襲ってきた!
しかし、それを予測していたのか、シンは軽々と男が振るった棒を避けてしまう。
「ほぅ、身は軽いみたいだな」
「あぁ、拳闘も馬鹿にならないだろ」
「ハーハハハァー、拾えよ。待っててやる」
男はゆっくりと離れて行く。
シンは男から目を離さず、棒を拾う。
「さてと、シューラちゃんにBランの俺が少し稽古をつけてやるか」
「頼んでもないのにお優しい事で」
「いくぞぉ!
男は飛び込んでシンとの距離を一瞬で詰め、シンの顔目掛け、左から右へと棒を振るう!
凄まじいスピードで棒がシンを襲うが、上半身を後ろにそらす、スウェーと呼ばれる技術で避ける。
棒の先端との距離は、僅か数ミリ。
ボクシングとは……距離
己の優位な距離を創り出す競技である。
男の持っている棒の長さ、そして体格やリーチを見て、一瞬でその距離を計算していた。
シンの才能は、近代ボクシングの中でも、類を見ない程であった。
「まぐれで避けれて良かったなぁ、田舎者」
「あぁ、まぐれがっ……」
シンが口を開いている途中で、またしても襲い掛かる。
男は、シンのボディ目掛け、真っ直ぐに突く!
棒の先端がボディに突き刺さる寸前に、シンは男と同じスピードで同じ距離だけ後ろに下がる。
なに!?
シンの抜群の距離感とスピードに気付いた男は驚愕する。
まぐれじゃねぇ…… 数ミリで見切ってやがる……
シンは、攻撃を避けた瞬間、その伸びきった男の身体に攻撃を返せば、簡単に打ち込むことが出来たであろう。
だが、あえてそうしなかった……
「ギリギリギリ」
この田舎者、余裕の顔しやがってぇ! かまわねぇ、使ってやる!
男は…… 何かを…… 呟き始める
シンは動じず、その様子をじっと見つめている。
男の身体から、イフトが溢れ出る!
だが、シンには感じる事はできない……
「ハーハハハァー」
歓喜の声を上げ、男はシンに突進してきた!
速い!?
数分後……
シンは、血まみれで空き家の庭に倒れていた。
「ハーハハハァー、外でこれ以上やると流石に立場が不味くなるからな」
シンの身体は、呼吸をするたびに大きく動いているだけで、言葉すら発する事が出来ない。
「おい、いいか良く聞け。メシが美味かった時、女を抱いて気持ちよかった時、その度に俺を思い出せ。俺のお情けのお陰で殺されず、幸せを感じていられるってことを忘れるなよ。ハーハハハァー、じゃあな、田舎者のお遊戯ちゃん」
2mほどの高さのある壁を、軽くジャンプで乗り越え去って行く男は、左手首に蛇皮のブレスレットを着けていた。
「ゴホッ……ゴホッゴホッ」
……こ、ここまでボコボコにやられたのは、初めてかもな。
お、起きられるかな……
だ、駄目だ…… 目が霞む…… それに身体ち、力が入らない……
や……ばい、い…意識が……飛ぶ……
気を失う寸前のシンの元に、音も無く何者かが近づき、ゆっくりと膝を降ろす。
そして、シンの血だらけの頭を両掌で優しく包み、自らの太ももにのせた。
シンは、女性の脚だと直ぐに気付く。
「……ど、どなたか知りませんが、こ、この素敵な太ももをお借り……します」
シンは、このような状況でも、女性を褒める事を忘れない
そして、ゆっくりと太ももにキスをした。
「あぁっ…… ハイレン」
シンのキスに反応して声を出した後、その人物は魔法をかける。
すると、シンの出血は徐々に止まって行く。
その女性は、血だらけの髪をゆっくりとゆっくりと、まるで感触を楽しむかのように無言で撫で始めた。
柔らかな女性の太ももの感触、そして心地よく髪を撫でるその手の動きで、痛みも何もかも全てを忘れ去り、身も心も傾けると、シンは意識を失う。
女性は、シンの顔を見詰めながら、ゆっくりと身体を折り曲げ…… キスをした
僕とシャリィさんは順調に買い物をしていたけど、急に取り止めとなり、先にシンを迎えに行く事になった。
練習場に着くと沢山の人が居たけど、肝心のシンが見当たらない。
シャリィさんは、ピカルさんと何やら会話をした後、僕の所に戻ってきた。
「ここで待っていてくれ」
そう言うと、一人で路地に入って行った。
何故だろう…… 嫌な予感がする。
「コツコツコツコツ」
路地に響くシャリィの足音。
行き止まりの空き家の壁を、軽々と飛び越えると、そこにはシンに膝枕をしているコレットの姿があった。
コレットは、シャリィを気にする事なく、ずっとシンの髪を撫でている。
シャリィは、それを無言で見つめていた。
「……気を失ってるよ。とりあえず血は止めておいたから」
「……コレット、良く我慢してくれた」
「……うん。正直に言っちゃうと、見ているのが辛かった……かな」
「そうか……」
コレットは髪を撫でながら、ずっとシンを見詰めている。
「ねぇ、イプリモから出て行くの?」
「あぁ、シンとユウを守る為には、早い段階でウースに行くしかない」
「……そう……だよね」
「……」
「ねぇシャリィ…… まだ出会って1週間ぐらいなのに不思議だね……」
「……別に不思議ではない。恐らく、そんなものだ」
「そうなのかな。僕、たぶん初めてだから……」
コレットは、シンへの想いを口にした
「コレット、一緒に来るのなら、話をつける」
「……ううん。僕は少しでも有利な条件で冒険者になりたいから……この街に残るよ」
「……分かった」
コレットはゆっくりとシンの頭を地面に降ろした。
「じゃあね、シャリィ」
「あぁ、ありがとう」
「うん」
コレットは、倒れているシンに後ろ髪を引かれながらも、空き家の壁を軽々と飛び越え、去って行った。
シャリィが入って行った路地を心配そうに見つめるユウは、一瞬だけコレットを見かけたような気がした。
……あれ? 今の後姿は、もしかしてコレットちゃん?
「……シン」
……ん?
「……シン ……シン」
……だれだ?
「シン、分かるか?」
ん……シャ、シャリィか……
そうか、膝枕してくれてたのは、シャリィだったのか……
「うっ、シャリィか」
「そうだ、動けそうか?」
「どうだろう、頭が……全身が痛い」
「医療魔法を何種類か掛けておいた。安静にしていれば、これ以上酷くなることはない」
……そういえば、あの腫れた股間は治ったのかな……
そこにも魔法を頼む……と冗談でも言いたいところだが、かなりやられちまったな。まだ意識が……
「ゆっくり起こすぞ、いいか」
「あぁ、すまない」
シンはシャリィの力を借り、座れはしたが、自力で立つことは出来なかった。
シャリィはシンの腕を自分の肩に回させると、軽々とシンを起たせた。
「流石に力があるな…… けど、俺は壁を乗り越えるのは無理そうだ」
シャリィは右手で剣を抜くと、一瞬のうちに木の板で出来た壁を切り裂いた。
「おぃ、まさかこれも俺の借金になるのか……」
「今はいらぬ心配をするな。宿屋に戻るぞ」
シャリィの助けで立ち上がれたが、脚を前に進める事すら出来ず、また気を失いそうになっていたが、シンには伝えたい事があった。
「シャ、シャリィ」
「どうした?」
「ひ、膝枕ありがとう、元気出たよ」
「……そうか」
「あぁ、本当に元気が出たんだ」
「分かったから黙っていろ」
想いを伝えると、シンは再び気を失った
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