44 聖戦
「おい、今のノックか?」
「凄い音がしたな、シンじゃないのか?」
な……なんじゃ今のパンチは…… ノックが打つのをこの目で見ておったが信じられん!?
むひ……むひひひ、うひょひょひょ、ハゲ呼ばわりしても怒らず、我慢したかいがあったというもんじゃ、うひゃうひゃうひゃ。
「良し、それを自然に打てるようになろうぜ、練習あるのみだ。しかし、これは大切な話だ絶対に守ってくれ」
「何だ?」
「さっきみたく打つのは無しだ。形を忘れない程度に軽く練習をしてくれ」
「はぁ? どうして!?」
「理由は、そのグローブだ」
グローブじゃと?
「このグローブがどうした?」
「薄すぎるんだ、皆が使っているグローブは。そんなので力いっぱい練習していたら骨が折れる」
「まぁ何度か骨は折れた。その度に魔法で治しているよ」
やっぱり折れてるのか……そうだよな~
「どれぐらいで骨折が治るんだ?」
「そうだな、うーん2週間から1ヶ月ぐらいか? まぁだいたい2週間前後で治るよ」
……シンは回復や医療魔法を知らないのか?
そういえば、どえらい田舎者ってピカルさんが言ってたな。
……骨折が2週間ねぇ。
かなり早く治るみたいだけど、俺が教えたのが原因でケガされてもなぁ。
「分かった、皆も聞いてくれ。試合以外はもっとグローブに柔らかい物を詰めてくれ。ケガを少しでも減らそう。いいな?」
「えー……」 「どうして何かを詰めてグローブ大きくするんだよ?」
ヘッドギアとかあるのかな~。誰も付けてないし、見当らない。マウスピースもない。つまり無いって事は翻訳も…… 一応気を付けておこうって、どうしよう、何て説明すれば……
「……頭の防具ってあるかな?」
シンの急な話に皆がキョトンとしている。
「え~と、わいの私物で、これ頭の防具だけど?」
ミラーの同僚の男が鞄から取りだしたのは、ヘッドギアに似た革製の防具だった。
「あー、これいいね、いいね! もっと厚みがあれば更に良いんだけどさ~」
厚み…… 商工の連中に頼んで、新しいグローブと一緒に作らせてみるか……
「練習試合をする時は、これを付けてグローブにもっと柔らかい物を詰める、いいか?」
「えー、やりづらくねーか」 「そんなの付けると、殴った時のあの感触が楽しめねーよ」
シンからの提案だが、今までと違うやり方に、文句を言う者がポツポツ現れ始めた。
「お前ら、いいからシンの言う事を聞け!」
「ピカルさん……分かりました」
「ピカルさんが言うならしかたない」
ピカルの一言で、その場は収まった。
ミラーは目を瞑り、シンに教えて貰った事を頭の中で何度も何度も繰り返し思い出していた。
そして目を開けると、ピカルに話しかけた。
「ピッ、ピカルさん」
ミラー、頭でつっかえるのはやめてくれ。笛でも吹いているのかと思った……
「どうしたんじゃ、ノック?」
「……もしよろしければ、この後俺の試合を組んでくれませんか?」
……急にどうしたんじゃ? あ~、もしかしてあの話か…… しょうがない、組んでやるか。
正直、ノックが何処までやれるか、見てみたい気持ちもある……
「分かった。ただし、相手はロウズだ。それでもいいか?」
「おいおいおい、ノックが試合するみたいだぞ」
「ロウズだって!?」 「殺されるぞ!?」
「ピカルさん、いくら何でもノックとロウズだと……」
周囲の心配など、ピカルは聞く耳を持たない。
「はい、ロウズでいいです。お願いします」
「おーい、誰かロウズを呼んで来い!」
勝った事のないノックが、シンの教えで何処までやれるか、楽しみじゃ。
「ミラー、ロウズって強いのか?」
「……」
ミラーは、シンの呼びかけを無視するが、わざとでは無く、ある事を考えていて耳に届いていなかった。
「チュータ、頼む。リアナを呼んできてくれないか?」
忠太!?
「おぅ、わいに任せとけ。直ぐ呼んでくる」
忠太って渋い名前だなあいつ……
しかし、ただの練習試合じゃないのか? いったい何が始まるんだ……
シンは、急にナーバスになったミラーから少し離れた所で、他の者達にパンチの打ち方を教えていた。
「なぁ、ガイストン、ミラーは今から練習試合するのか?」
「いや、たぶん真剣な試合だ」
「おいおい、ちょっと待てよ。ミラーは数日前に試合したばかりじゃん。顔の腫れもまだ引いてないし。ダメージが残っていて、まともに試合何て出来ないだろう?」
「そうかもな。だが、本人がやると言っている。外野は口を出すべきじゃない」
「まぁ、そうだけどよ…… ロウズって強いのか?」
「強いな。俺の次って感じかな……」
……ダメージが抜けてない状態で、2番目に強い奴と……
「それに、ロウズは素行が悪くて、今は出禁になっているはずだ」
「そんな奴と……」
黙って見ないふりは出来ないな。
「ピカルさん」
「さんはいらない言うたじゃろ」
シンにだけ呼び捨てを許すのは、騙した事が心苦しく、せめて対等に付き合いたいと思っていたからだ。
「あ~、ピカル。ミラーの事なんだけど」
「聞こえとったよ。試合は早すぎると言うんじゃろ?」
「あぁ、そうなんだよ」
「……ガイストンも言うてたじゃろ。これは本人が決めた事だ。ミラーの気持ちを尊重してやれ」
「……どうして急に試合を組んで欲しいなんて言い出したんだ?」
「その答えは…… アレじゃ」
ピカルの目線の先には、忠太がいた。
忠太に何の関係が?
しかし良く見ると、若い女性が忠太の後を付いて来ていた。
あの子、ミラーの彼女かな?
あれ…… どこかで見たことあるような?
その女性は、花売りの少女から買った花束を6番目に配った女性だった。
あららら、意外と狭いねこの街は……
俺の事を覚えているかな。ちょっと事情を聞いてみようか。
「やぁ、こんにちは」
「は、はい。こんにちは…… あれ?」
「ははは、覚えていてくれた?」
「だって、知らない人に突然花束を差し出されるなんて、初めての経験だったから……」
「俺は、シン。シン・ウースです」
「……私はリアナ・プランデ」
「良い名前だね」
「……そうかな」
シンは、リアナの反応を伺っていた。
「ちょっと聞いていいかな?」
「はい?」
「ミラーとは、どの様なご関係で?」
「……あの人は、元彼です」
元彼ね…… つまり今は別れているって事だよな。
だけど、忠太が呼びに行くと、ここまで来た。
って事は、断れない性格なのか、それかまだミラーの事を想っている……か。
「シンさんは、ノックとどの様な関係ですか?」
「シンでいいよ。拳闘仲間だよ」
「……そう」
シンはリアナの態度で、拳闘に良いイメージを持っていない事に気付いた。
「あの人……」
「うん?」
「今から試合するの?」
「みたいだね」
リアナは、ずっと下を向いたまま話をしている。
「止めてくれませんか?」
シンは直ぐに返事せず、一呼吸置いてから口を開いた。
「……どうして?」
「私の気持ちは変わりませんから……」
……事情は分からないが、女性が一旦この言葉を口にすると言う事は、気持ちを変えるのは難しいだろう。
大多数の男は、失いそうになって初めて彼女の大切さを知る。
だが、別れ話を切り出された時は、もう既に遅い。
女性は口に出すまでに、時間をかけて考え抜いている。
男と違って、決心した心を変えるのは不可能に近い……
だけど……この子は、決して嫌いになった訳じゃない。経験則で何となく分かる。
ミラーがこの子をこの場に呼んだと言う事は、恐らく拳闘が関係しているのは間違いないだろうな……
「男って、馬鹿だよな」
「……えっ?」
「女性の気持ちも知らないで、自分の好きな事ばっかやって、いざ別れを切り出されたら、変わるからとか、これからは大切にするだの、泣いてすがって来る。だけど、もう遅いんだよ。そうなる前に、もっと女性の気持ちを理解しようとして、大切にしないといけないんだよ」
「……」
「だけど、きみは違う」
「……」
「ミラーの事を嫌いなんじゃない、心配なんだね」
「……」
リアナはシンの言葉に返事をしなかったが、どういう訳か、シンに事情を聞いて欲しいと思った。
「……私より拳闘を取るのなら、もういいんです」
「……」
「あはは、違うよね。ただ単に、私が拳闘にも劣る女なんですよ」
「……」
「いつも、いつも負けてばかりで、顔を腫らしたり、骨折したりしてるのに…… 何が楽しいんだろう?」
「……」
「あの人の事が心配で心配で…… それでつい、私と拳闘どちらか選んでなんて言っちゃって……」
「……」
「私…… 私…… そう言えば、あの人は私を選んでくれると思っていたの…… それなのに、それなのに…… だから、私は去ったのあの人の所から……なのに、別れたくないとか、勝手な事言ってきて……」
「……ミラーは、今からキミに何を見せたいんだろうね」
「……知りません。あの人の考えている事何て分かりません!」
「肩を持つわけじゃないけど、俺には何となく分かるんだ、ミラーの気持ちがさ」
「……どういう気持ちなんですか?」
「それは、俺の口からじゃなく、ミラーに見せて貰おう、今から」
リアナは、目を伏せた。
「……嫌です、見たくありません」
「それなら無理には止めない。だけど、それだと何かを一生後悔するかもしれない」
「……」
「キミも、そんな気がしているんじゃないかな」
「……」
その時、周囲が急に騒がしくなってきた。
「ロウズが来たぞー」 「相変わらず凄いガタイだな」
ロウズの身長はミラーとさほど大差はない。
しかし、その体格は大きく違っていた。
ミラーがウエルター級なら、ロウズはスーパーミドルぐらいか……
10キロぐらいの体重差があるな。
こりゃ、止めるか……
「ちょっとごめんね」
リアナにそう言うと、シンはピカルの元へと走った。
「ピカル、いくらなんでもまだダメージの抜けていないミラーにあの体重差は無いぞ」
「……分かっとるんじゃ」
「お前、分かっていてやってるのかよ! ボッ、拳闘を舐めるなよ! ミラーが死ぬぞ!」
「だから、そんな事はわかっとるんじゃ!」
「ピカル、お前!」
「シン、お前が審判をやれ」
「えっ、俺が?」
「そうじゃ。いざとなったらお前の判断で止めろ」
シンは十秒ほど無言で考えた。
「……分かった、俺が審判をやるよ」
ピカルから簡単にルールの説明を受けた。
やはり、この世界の拳闘は実にシンプルだった。
まだやれる状態でも、ダウンを一度すれば負けになる。
レフリーストップは無いようだが、いざとなれば俺はロウズを殴ってでも止める。
20分後、ギャラリーも集まり、大勢の人が見守る中、試合が始まろうとしていた。
「二人共、中央に来て」
「はぁ? 何でいかないといけんの? ぱっぱとはじめろや、おぅ」
「いいからさっさと来いコラァ!」
シンは、ミラーが心配でピリピリしていた。
ちっ、なんやこいつ、えらそうに……
確か、ガイストンに勝ったとかいう、シンってやつやな。
ミラーを直ぐにぶっ飛ばしたら、こいつもやってやるわ…… 見とれよ!
「グローブのチェックをする。二人共手を出せ」
「はいよ~」
ロウズとは対照的に、ミラーは無言で手を出した。
シンはグローブが簡単に外れない状態かチェックをした後、両者に注意をする。
「反則は無しだ。正々堂々と戦うように」
「はいよ~」
両者を下がらした後、シンはピカルを見た。
それが試合開始の合図となった。
「始めろー!」
ピカルの号令で、皆が歓声を上げる。
「行け―ノック! さっきのパンチを見せてみろー」
「ロウズ、ノックに負けたら恥だぞ!」
リアナは、胸の前で手をぎゅっと握りしめ心配そうに見ている。
歓声と怒号が飛び交う中、二人の距離が詰まって行く。
前進するミラーを見ただけで、シンは気づいてしまう。
……駄目だ、ミラーは雰囲気にのまれている。
さっきまでとは違い、動きが重い……
俺はレフェリーだ、中立でいないといけない…… アドバイスも出来ない……
ピカル、これを狙ってわざと俺をレフェリーにしたな……
ミラーとロウズ、二人は身長もリーチもほぼ同等。したがって、お互いの距離も同じ。
ゆっくりと近づく二人は射程距離に入る!
ロウズの左パンチとミラーの右パンチが交差する!
先に当たったのは、ロウズの左パンチ。
カウンターで貰ってしまったミラーは早くも身体がグラつく。
リアナは思わず目を伏せてしまう。
くっ! ミラーのタイミングは良いんだ……だけど……
シンは初めてミラーの試合を見た時、その天性の才能に気付いた。
ミラーはパンチを放つタイミングが神がかっている。
ナチュラルにカウンターを取るタイミングで、全てのパンチを放っていたのだ。
しかし、抜群のタイミングのパンチが当たらないのは、ミラー自身に問題があった。
力一杯握って打つパンチはスピードが遅く、結果良いタイミングで打っても逆に今の様にカウンターで貰ってしまっていた。
シンに教わった打ち方をすれば、簡単に勝利するであろうその才能も、当て方を知らなければ意味は無い。
「うぉー」
自らを奮い立たせるように雄たけびを上げるミラー。
駄目だ、一発貰って余計に力が入っている。
再び両者のパンチが交差するが、当たったのはまたしてもロウズのパンチ。
ミラーの膝はガクッと折れまがり、手を地面に着きそうになる寸前で、持ち直す。
嫌だ…… もう見たくない…… 早く無事に終わって、お願い……
これがボクシングなら、レフェリーストップになってもおかしくない状況だった。
そう、ここでロウズがラッシュをかければ試合は終わっていただろう。
しかし、ロウズはミラーをもてあそぶかの様に、わざと時間を与え待っていた。
そして、ミラーの頭に唾を吐いた。
こいつ……
ボクシングを、ボクシングを軽く見ていやがる……
リングに上がった二人が、誰の手も借りず、死力尽くし戦う。
命をかけて戦うボクシングに、八百長や反則、そして対戦相手を愚弄する様な行為はあってはならない。
それは命かけて戦って来た、全てのボクサーに対する侮辱だ。
激しい怒りが、シンの
ん? なんやこの感じ? イフトとはちゃうな……
ロウズは思わずシンに目を向ける。
な、なんやこいつ…… こいつから何かが、でとる……
シンの気迫に、思わず驚愕するロウズ。
ちっ、もうさっさと終わらすわ!
この時、ロウズ以外にも、離れた場所からシンを見ている者がいた。
「へっ、大したことねーな~」
ダウン寸前でギリギリまで追い込まれ後のないミラーは、身体を起こすその動作が、シンに教わった動きと重なり、身体が思い出す。
ロウズはとどめを刺そうと、左パンチを放つ。
み、右に身体を振って……
ミラーのその動きで、ロウズの左パンチは空を切る。
その勢いで身体と身体がぶつかりそうなったロウズは、少し下がって詰まった距離を空ける。
右脚で、地面蹴って……左に跳ね上がる様に……
ロウズとの距離が一気に詰まる!
なんや、このスピード!?
くそったれー!
ロウズは右パンチを放つ!
手は握らず、肩、肘、そして、こぶしぃー!
ロウズの右パンチはミラー右のこめかみをかすめる。
全ての力を乗せた、ミラーの右パンチが、ロウズの顎を捉える!
良し! 刹那のタイミング!
ロウズは一瞬で崩れ落ちたが、シンが受け止めて、地面に叩きつけられる衝撃を少なくした。
「おおあああああ! あのパンチだぁぁ」
「すげーぞー、ノック!」
見ていた者達から歓声が上がる。
あまり拳闘を知らない者でさえ、ミラーのパンチに驚いていた。
「はぁはぁはぁはぁ」
ミラーは息を切らし、立っているだけでやっとの状態だが、まだやらなけれなならない事があった。
フラフラしながらリングから出ようとすると、シンがロープに身体を入れ、広げてあげた。
ミラーは、その隙間から出て、真っ直ぐにリアナに向かって歩いて行く。
そして、リアナの前で立ち止まる。
「はぁはぁ、俺は、稼ぎの少ない、危険な門番しかできない情けない男だ。
だから、だから、拳闘で勝って、リアナに少しでも良いところを見せたかった。魔法を使わなくても、俺は強いから、大丈夫だって、安心させてあげたかった」
ミラーの瞳から、大粒の涙が溢れている
「それなのに、それなのに、負けてばかりで……
せめて一度でも勝ってから、伝えたい事があったんだ。
すっと、ずっと、心配をかけて、ごめんなさい。
もう、拳闘は辞めます。
二度と心配をかけないと誓います」
真っ直ぐにミラーを見ているリアナの瞳からも、大粒の涙が溢れていた
「だから、お願いだから、俺と、結婚して下さい」
その言葉を聞いたリアナは、声を抑え、俯いて泣いている
そして、ゆっくりと顔を上げ、ミラーの瞳を見詰めた
「……うん、結婚、しよう」
「うぅぅ、ありがとう、リアナ……」
見ていた人達ほぼ全員が、二人を祝福して、自然と拍手をしていた。
だが、二人だけ、拍手をしていない者がいる。
それは、シンとピカルだった。
その理由は……
あまりにも号泣しすぎて、二人とも激しい嗚咽をしていたからだった……
「うっ、ううぅぅぁぁ~」 「ひぃっく、ひっひっひひぃ~っく」
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