17 シンの初戦
外に出て、昨日シャリィさんとコレットちゃんが入って行った大きな建物へと向かう。
うぅ、胸が苦しいぐらいドキドキワクワクしている。
建物が見えて来きたけど、入り口前の広場に人だかりができている……
昨日はあの場所に人も居なかったし、何だろう?
シンも首を伸ばし様子をうかがっている。
人の隙間から、ロープと杭のような物が見えた……
うーん、あれは何に使用しているんだ?
「シャリィさん、あの人達は?」
「あれは、拳闘の試合を観戦……」
その時、シンがシャリィさんの言葉を遮った。
「拳闘? ボクシングか!?」
シンの声は、今までとは明らかに違っていて、興奮しているようだった。
「ボクシング?」
シャリィさんはその言葉を理解できていないようだった。
上ずった声をあげたシンは、はしゃぎながら走り寄って行く。
「おおぉ、やっぱりボクシングだ!」
さっき見えてたのは、芝生に杭を打ち、ロープを何本か張っただけのリングだった。
ただ、元の世界の正方形のリングとは違い六角形だ。そしてリングの中では、ゴツい男二人が、革のグローブをつけ殴り合っている。
元の世界のボクシングと同じ様に見えるけど、ずいぶん体格差があるように感じる……
ボクシングって同じぐらいの体重で戦う競技じゃなかったっけ?
試合をしている人を見ると、一人は見覚えがある……
昨日の門番の人だ。
目の前で見るボクシングは凄い迫力で、パンチが当たった時の音の大きさで、僕の身体が無意識にビクビクと動く。
「はははは、なんだこれ。ラウンドは無いのか? もう3分以上殴り合っているぞあいつら。すげぇ体力だな!」
シンはさっきまで、はしゃいでいたけど、今は真剣な表情で試合を見ている。
ボクシング好きなのかな?
「シャリィ、試合に出る事は出来るのか?」
「あぁ、金を持っていればな」
「試合をするのに金がいるのか!? 貰えるんじゃなくて? いくらだ?」
「さぁな、あいつに聞いてみるか?」
「あいつ?」
シャリィさんの目線の先にはピカルさんが居た。
「ん? あのハゲ、どこかで見たことあるような……」
……もういいよ。
「フフッ」
あれ? シャリィさん少し笑った今。
もしかして、ピカルさんがツボなのかもしれない。
「あいつに金を払えばいいのか?」
「あぁ、そんなに出たいのか?」
「うーん……」
あれ、悩んでいる。さっきまで直ぐにでもって感じだったのに。
シャリィさんが笑みを浮かべて言った。
「試合に出たいなら私が交渉してやろう。因みにいかなる魔法も禁止だ。肉体の力のみで殴り合うのがルールだ」
あいつは頭をかきはじめる。
「どうしようかな~」
「ちょっと待っていろ、話をしてくる」
悩んでいるシンをよそに、シャリィさんはピカルさんの方に歩いて行った。
ピカルさんはシャリィさんと話をすると、シンを見てニヤリと笑った。
あっ…… これは…… もしかしたら昨日ハゲって呼ばれたのを、怒っているかもしれない。
嫌な予感がする……
シャリィさんが僕らの所に戻ってきた。
「次の次なら出れるらしい」
「ん~、じゃあせっかくだしやりますかぁー」
そういうと服を脱いで上半身だけ裸になる。
……河原で嫌と言うほどシンの裸を見たけど、改めて見ても驚くほど凄い筋肉だ。
脇腹の所とか、凄く細かく割れている……
「ユウ、悪いけど服と荷物を頼む」
「うん」
荷物を僕に預けると柔軟体操を始めた。
「シャリィさん、ピカルさんはボクシ…… えーと、拳闘の関係者ですか?」
「あぁ。ピカルは、この町の拳闘協会の会長だ」
「えぇ!?」
ただのハゲいやもとい、ただの雑貨屋のオヤジじゃなかったのか。
大きな歓声が聞こえたのでリングに目をやると、門番の人が倒れていた。
どうやら負けちゃったみたいだ。
……門番の人、完全に意識がないみたいだ。
タンカで運ばれるのではなく、数人に引きずられて退場していく。
初めてボクシングを間近で見た感想は…… 怖い……
この一言に尽きる。
ルールがあるといっても、よく殴り合いなんてできるな。
周囲の人々は興奮しているけど、僕はそんな気分になれない。
……試合をしている人達は、決して遊びでやってる訳ではなく、これも鍛錬の一つだと思う。
日本でも古い時代には、幼い頃から剣道や弓道を習い殺傷能力を磨いていた。目的は、戦いの中で生き残るためだ。
だけど、現代の日本という安全な国で生まれ育った僕達が、この世界で通用するものがあるのか…… それを考えると、さっきまでの浮かれた気分とは真逆な、不安感を強く覚えた……
「次は誰だー?」
「おおぉ、ガイストンだ!」
「ハーッハハハハ! この試合を待っていたぜー。今日もワンパンで倒せよー」
「ガイストン! ガイストン!」
観戦している人達が騒ぎ始めたので、リングを見てみると、そこには見た事も無い大きな大きな人物が立っていた。
で、でかい!! 2m以上はあるぞ! それにあの体格、普通の人間じゃなくて巨人族じゃないのか!?
……シンはこの次の試合だから、この巨人の対戦相手ではない。
「ふぅ~、良かった」
僕はかなりホッとした。
だけど、そう安心したのも束の間だった。ピカルさんがガイストンに近づいて行き、なにやら耳打ちしている。
「おぃ、俺はこの次の試合に変更だ。お前が代わりに出ろ」
や、やばい!
あの巨人をシンの順番に合わせてきたぞ!
やっぱりピカルさん昨日の事を怒っているんだ……
「シャ、シャリィさん!」
「……」
シャリィさんは何も言わず、ピカルさんを鋭い目で見つめていた。
逆にピカルさんは、ニヤつきながらこちらを見ている。
くっ、どうすればいいんだ?
けど…… そう考えたところで僕は黙って見ていることしかできない……
シンは周囲を気にする事なく、淡々と身体を動かしている。
そして、本当だったらガイストンが出るはずの試合が始まった。
激しい殴り合いが数分間も続き、お互い顔中から出血している。
突然片方の人が棒の様に倒れ、起き上がる事も無く勝負はついた。
次はいよいよシンの順番だ……
ガイストンがニヤニヤしながらリングに入り、グローブを付け腕組みしながらシンを待っている。
その後ろで、ピカルさんが更にニヤついている……
その笑顔が、僕の勘に触った。
くっそぅ、あの満月ハゲ!
僕はシンのところに行き、前の試合が終わったことを伝えた。
「シン、始まるよ」
「了解、短い時間の割には良い汗かけたよ。できればもっと身体を動かす時間が欲しかったけどな」
そう言い、身体を動かし続けているシンに、観戦している奴らがせかし始める。
「おぃ、にーちゃん、お前の順番か? 早くリングに入れよ」
「もたもたしてんじゃねー、早くガイストンにやられちまえ!」
突然、ハゲが大きな声を張り上げた。
「誰かぁ、そっちのにーちゃんに賭ける奴はいないのか? このままだと賭けが成立しないぞ」
明らかにシャリィさんを見ながらそう言った。
「何言ってんだ、ガイストンの試合はいつもそうじゃねーか」
「そうだそうだ、何を今更」
観戦している人達が大笑いしていたその時!
「私が賭けよう」
シャ、シャリィさん!?
「へへへ、そうこなくっちゃ~」
くくくぅ、このゆで卵ハゲめぇ!
シャリィさんの言葉を聞き、見物人たちは一気に騒ぎ始めた。
「おい、俺はガイストンだ!」
「まてまて! 俺が先だ、先に賭けさせろ!」
「わいは全財産をガイストンに賭けるぞ」
「俺もだ!」
「何グズグズしてやがる! 俺に早く賭けさせろ!」
「あたいも賭けるよ!」
我先にガイストンの勝利に賭け始める見物人達!
数人の男達が丸い入れ物を持っており、その前に行列が出来ている。
見ていると、並んでいる人達は、その丸い物の中に掛け金を入れているようだが……
あれ? 掛け金を入れているだけで、何か券みたいな紙を貰っている訳でもない……
誰がいくら賭けたか、どうやって分かるのだろう……
「へへへへ、100万シロン以上あるみたいだぞ! 払えるのかシャリィ?」
「……問題ない」
シャリィさんの返答で、見物人達が盛り上がる!
「ヒュ~、流石シャリィさーん! 持ってるね~」
「シャリィ様にはお世話になってるけど、賭けは別だからねー」
シャリィ様…… そういえば宿屋の人もシャリィさんを様付けで呼んでいたような……
「おっとぉ、まだ終わりじゃないぞー!」
裸電球ハゲの言葉で辺りが静まり返る……
「ふふふ、俺は店を賭けるぞ!」
な、な、何だってぇ!?
勝負に出た白玉ハゲに、大きな歓声があがる!
「うおぉぉぉ」
「本気かぁー」
「あの時以来だ、こんな勝負はよー」
「流石ピカルゥ!そこにシビれて憧れるわ~」
皆の興奮が絶頂に達している。
えーと、丸い物、丸い物…… くっそー、イライラして思いつかない!
とにかくハゲがこちらに近づいてきた……
「シャリィ、今更辞めるとは言わせないぞ。もし払えなかったら、その身体で払ってもらうからな。分かったな!」
周囲に聞こえない様な小さな声だったけど、確かに僕には聞こえた。
そして僕とシャリィさん以外にも、近くに居た変な奴にも聞こえたようだ。
「あぁ~ん、痺れちゃうわ~」
なんだこの第二ハゲ……
「好きにしろ」
シャリィさんは腕を胸の前で組み、静かに目を閉じ、そう返事をした。
く、く、くそぅ、僕は今ほど魔法を使えないのを、力が無いのを悔しいと思ったことはない。
この異世界で、右も左も分からない僕を保護してくれたシャリィさんによくも……
あのピカルハゲとさっきから痺れるって連発してる第二ハゲに攻撃魔法を喰らわせたい。
大歓声で遠巻きに見ていた人や通行人、そして室内にいた人達も集まってきて、100人ぐらいの人が見ている。
「ねぇ、まだ賭けれる?」
「おぅ、いいぜお嬢ちゃん。こんな簡単な賭けはないからな。勝敗を言ってここにシロンを入れな」
「ガイストンの負けに・・・10万シロンね」
「……はぁ? 本気かお嬢ちゃん!?」
「うふ、僕はいつだって本気だよ」
「肥溜めに捨てるのと一緒だぞ。まぁ好きにしな」
「おぃ、俺もいいか?」
「あ~? こ、これはマガリさん、失礼しました。大丈夫ですよ、いや~こんな簡単な……」
「俺もあの兄にぃちゃんにだ」
「……へっ?」
「あの兄ちゃんの勝ちに10万シロンだ」
そう言ったのは、ガイストンに引けを足らない体格の男だった。
「あいつがお前の言っていた兄ちゃんか?」
「うふふふ、そうだよ~」
「おっ、なんだなんだ、盛り上がってるな?」
シンは他人事のように笑みを浮かべている。
「シン、シャリィさんが……」
「ん?」
「なんでもない、早く行ってこい」
シャリィさん……
僕はシャリィさんを気にしながらもリング向かうシンに付いて行った。
「シャリィさんが……」
「あぁ、だいたい聞こえてたよ。大きな金額になっているみたいだな」
ハゲがシャリィさんに言った要求は聞こえてなかったみたいだ……
伝えようか悩んだけど、プレッシャーになると思い、やめた。
「……シン。か、勝てるの?」
シンはガイストンをチラ見してからゆっくりと俯うつむき、大きく深呼吸を一度した後に言葉を発した。
「……申し訳ない」
そう小さな声でぼそっと呟いた。
「えっ!?」
そ、そんなぁ……
シンがま、負けたら、負けたらシャリィさんが……
シンはロープをくぐりリングに入った。
「おぃ、にーちゃん手を出せ。グローブをつけるぞ」
フッ、バンテージも無しか……
さっきまで掛け金を入れる丸い物を持っていたハゲの取り巻きの一人が、シンにグローブを着けた。
シンは着けられたグローブの感触を確かめるように、手を握ったり開いたりしている。
そして、首を左右に振った後、軽く2、3度ジャンプする。
そのシンを見ながらニヤリと笑ったハゲが大きな声を出す!
「始めろ!」
その声が合図になり皆が騒ぎ始めた!
「わあああああああああ」
「いけーガイストン!」
「ぶっ殺せー」
「あちきを痺れさせてぇ~」
ガイストンは、ニヤつきながら肩を揺らし、まるでその巨体を見せびらかすかのように、動き出す。
強者のみ許されるオーラを発しながら、ゆっくりとシンとの距離を詰めてゆく。
その恐ろしいまでの迫力ある前進を目の当たりにしただけで、僕の脚は恐怖からガクガクと小刻みに震えだしていた。
シンは、両手をダラリと下げ、ファイティングポーズすら取っていない。
徐々に二人の距離が詰まっていく。
そして……
ガイストンは、丸太のような右腕を力いっぱい伸ばしてきた!
えっ!? は、速い!?
巨体に似合わないその鋭いパンチは、空気を切り裂く音を発しながらシンを襲う!
シンは上半身を流れる様に左前に傾け、まるで自らガイストンのパンチに近づいているかのようだった。
しかし…… 実際はガイストンの速い右ストレートを見事に避けた!
そう、避けただけだ……
それなのに……
それなのに…… ガイストンは一瞬で地面に崩れ落ちていった。
あの恐ろしいまでの巨体が地面で丸まり、まるで子供の様に小さく見えた……
辺りは静まり返り、僕を含めた誰一人声を出せず、まるで時間だけが止まっているかのようだった。
そんな中、シンが振り返り、僕を見て言った。
「申し訳ないが……楽勝だ」
うっ……
「うあぁぁぁぁー、シィーン!!」
僕の両腕は、いや腕だけじゃない全身がぶるぶると大きく震え、思わず歓喜の声を高々とあげながら、両手を空に向け力いっぱい突き出した!
ああ……ああああ…… 何だこの気持ちは!? まだ身体が震えている!
初めてだ…… 初めてこんな高揚感を感じている!
この時に抱いた感情を一生忘れない。僕は心からそう思っていた……
かっこいい。
なんてかっこいいんだ……
僕の瞳は、自然とシンだけを見つめていた。
「しょ……しょんな……」
ピカルは地面に膝をつき、空を見上げ呆然としている。
それを見た僕は、無意識にピカルさんに対して中指を立てていた!
そんな僕を見てシンは、微笑んでいた。
「シャリィさーん!」
シャリィさんを見ると少し安堵の表情を浮かべてるように見えた。
良かったぁ。本当に良かったー。
「さぁ、倍の20万シロン払ってくれ」
「僕のもちょうだい」
「……は、はい。ど、どうぞ」
20万シロンを受け取りほくほく顔の二人。
「そういえばマスター、支部長が賭け事なんてしていいの?」
「コレットォ~、いつからそんな硬い事言うようになった? 自由がないなら俺はいつでも支部長なんて辞めてやるぜ!」
静まり返っていた観客たちは、時間の経過と共に、徐々に言葉を発し始める。 そして、ざわめきに変わり一向に収まらない。
感動のあまり、自然と拍手をしている見物人もいる。
「今のどうなったんだ?」
「魔法じゃねーのか?」
「反則だろ」
「終わった、何もかも終わった。1シロンもない……」
「ふっ、今日から禁酒だな…… いいもん、ちょうどお酒辞めたかったし!」
色々な感想が聞こえてくる。
「はぁ~あぁ、痺れて憧れた~」
第二ハゲから、変な声も聞こえてきた……
シャリィさんは、呆けているピカルさんに近づき、何やら話をしている。
すると、ピカルさんは憔悴した状態でトボトボと冒険者ギルドと思われる建物に入って行った……
戻って来たシャリィさんは僕らに説明をしてくれた。
「勝ったシロンは3人で分ける。ピカルの店の権利はシンと私で分ける。それでいいか?」
僕は何もしていないのに3人で分けるって……
気まずくしているとシンが僕の肩に手を回してきた。
「あぁ、それでいいぜ。なっ!?」
僕の肩を抱き、そう言ってきたので黙って二度頷いた。
この時のシンの態度で、何か胸のつかえが取れた気がした。
「さぁ、ギルドに行こうか」
「おぅ!」 「はい! 行きましょう」
なんだろう、この感情は!?
シンの試合を見た興奮が止まらない。
それだけではない。
混ざっている、色々な感情が混ざっていて言葉で表す事ができない!
どうやって巨体のガイストンを倒したのか、シンにあとで聞いてみたい。
僕は…… 僕は初めて、他人ヤンキーをかっこいいと思った。
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