3 現実の壁

 

 ユウは、決定的な命の危機を逃れた事を知る由も無く、能天気にまだ出来もしない技を繰り返している。

 いくら建築現場で働いているとはいえ、ほぼ掃除しかしていないユウに鳶職人並みの体力は無く、疲れて座り込んでしまった。


「あー、喉乾いちゃった」


 ユウはここで初めて我に返る。

 

 ……そういえば、食べ物とかどうしよ?

 水は川の音が聞こえるから、とりあえず大丈夫かな。

 

 魚!?

 そうだ川があれば魚がいるよね。

 捕まえて焼いて食べればいい。


 けど……


 釣り竿も仕掛けも無いし、網も持ってない。仮に捕まえたところで、火はどうしよう?

 落ちてる枝を使って火を熾す事が出来るのか僕に……

 

 答えはわかっている、たぶん無理だ。


 異世界に転生できたからって浮かれてる場合じゃなかった。食料や飲み水も必要だし、それに危険な魔獣なんかも居るかもしれない。


 普通は主人公にチート能力があったり、異世界の大きな国に召喚されてある程度の保証があったりするけど、僕は森の中に一人っきり。

 しかも能力の使い方は今のところ分からない。

 おまけに全裸。


 やばい、これって詰んでないか!?


 お、落ち着け。思い出せ、今までに読んだ異世界ものを……




 う~ん、国に召喚されてない場合によくあるパターンって、魔獣に襲われているところを誰かに助けてもらい、この世界の人と繋がりが出来る。

 逆に誰かを助けて、そのお礼で色々お世話になるってことも多かったな。

 

 けど、魔獣に襲われるなんてやだよ僕。


 助けが来る保証はあるのかな本当に?


 逆に誰かを助けるっていっても、森の中で誰も居ないよ。


 あと、全裸だよ僕、全裸で人を助けるって、そんな事できるの?

 変態みたいじゃん。


 けど、ここにじっとしてても仕方がない。


 と、とにかく、喉が渇いたから川に水を飲みに行こう。


 僕は水の流れる音が聞こえる方向に、さっき拾った棒を持って歩きだした。

 背の高い草を掻き分け進むが、裸足で足の裏が痛く、ゆっくりと一歩一歩足を踏み出すのでスピードがでない。

 棒を杖代わりにして足の裏にかかる体重を散らしてみる。


 うん、少しはましだ。

 

 十数分ぐらい歩いたかな? たぶん大した距離じゃないのに裸足のせいで時間がかかったけど、やっと川が見えてきた。


 川幅は5メートルぐらいで、所々はもっと狭かったり、広かったりする。そして目の前には見上げるほどの大きな岩が2つあった。


 河原には角が削れ丸くなった大小様々な色や形をした石があり、元の世界で見た川と同じ光景だと思ったが、美しさの違いに気づいた。

 考えてみれば、もし僕が想像する通りの異世界なら、公害などで空気や水が汚されることも無く、自然豊かな世界だろう。

 その証拠に今更気づいたが空気が甘く感じるし、森の匂いも強い。


 喉が渇いている僕は、水際まで行き早く水が飲みたかった。


 丸い石の多い河原は歩きやすくて幾分かスピードが上がり、水際に思っていたより早くたどり着いた。

 そして、膝をつき両手で水を掬って匂いを嗅いでみて、臭くないのを確認し、一気に飲み干した。

 しかし全然足りず、まどろっこしさから河原に手を突き、川に直接口をつけゴクゴクと音を立てて一心不乱に飲んだ。


「お、美味しい!」


 決して大げさじゃ無い、こんな美味しい水を飲んだことはなく人生で最高の水だった。


「あー、冷たくて美味しかったぁ」


 この水のお陰で、先ほどまでの不安が少しは解消された。

 最悪水さえあれば、1週間は生きていけると聞いたことがあるから、川の近くにさえいればその点はしばらく大丈夫だ。

 出来れば水筒のような物で水を持ち歩けるようにして少し遠出をしてみたいけど、道具も無いし僕には水筒を作るなんてそんなスキルもない。


「まぁ、とりあえず川に沿って移動すれば、水筒は必要ないな」


 山で遭難した時、川に沿って下れば良いと聞いた事があるし、川の近くに村を作るって良くある話だと思う。

 兎に角、平和的で協力的な第一異世界人に会わないと、このままだと遅かれ早かれ僕は死んでしまう……

 そうなると、勇者を失ったこの世界は永遠に暗黒によって支配されるだろう。


 僕は確認する様にゆっくり水面を覗いてみると、見慣れた僕の顔が映っていた。

 やっぱり思っていた通り見た目に変化はないようだ……


 今度は改めて辺りを見回してみたが、服の代わりになるような物は落ちていない。

 それどころか元の世界でいつも目に入ってきた、小さいゴミなども一つもない。

 布切れでも拾って、フランクフルトだけでも隠したいものだけど……

 とりあえず、川辺に落ちていた葉っぱが沢山付いた木の枝でも持っておくか。

 最悪これで異世界人に出会った時に前だけは隠せる。

 食料や魔獣の不安に比べれば、正直全裸はさほど問題ではない。


 仮に山賊に出ったなら全裸だから金目の物は持ってないと分かってもらえそうだし。

 ただ、普通の人と出会った時の印象には大分問題があるな……

 僕の今の装備は、木の棒と葉っぱが沢山ついた木の枝。


 こんな装備で大丈夫か?


 大丈夫じゃない、問題だらけだ……


 まぁ、いざとなれば河原に落ちてる石を投げよう。

 

 そういえば今は何時頃なんだろ。

 この世界も1日24時間なのかな?

 今は全裸でも寒くないけど、夜は大丈夫かな?


 不安しかないけど進むしかない。そう決心して僕は、川に沿って、下流に歩き出した。


 川は蛇行して曲がりくねっており、遠くまで見渡すことが出来ない。

 人や村の形跡を探すが、一つも見当たらない。

 そんな状況だが、時折乱れた心を忘れるほどの、景色に見入ってしまう。

 本当に美しいところだ。


 ……いったいどれぐらいの時間歩き続けたのだろうか。


 やっと、やっと見つけた!


「は、橋だぁ! やった、やったぁ」


 見つけたぞ、人の形跡を!


 川に橋がかかっているということは、橋の先は道になっているはずだ。

 そうなると、人に会う確率も跳ね上がるだろう。


 橋は丸太を二本重ねて縛り上げ、石で固めた台座に載せているだけのシンプルな作りだ。

 橋のたもとで座り込んだ瞬間、涙が溢れてきた。

 まさか橋を発見しただけで涙が出るなんて、元の世界では想像だにしなかった。

 この世界に僕以外に人が居るんだと、実感できて嬉しい……


 涙が自然と止まり、橋の先を見てみると、両側とも獣道が森の中へと続いている……

 こちら側の獣道と比べると、対岸側は直線的で少し遠くまで見渡すことが出来た。

 ただ、残念ながら頻繁に人が通っている道ではなさそうだ。雑草が生え、踏まれた跡がない。

 

 まずい、光がオレンジ色になってきている。

 日が暮れ始めているのだ。


 獣道の先を見てみたいけど、今日はここまでにしよう。


 ……そうだ! まだ少しでも明るいうちに川で魚を取ってみよう。

 葉っぱのついた枝を置き、棒だけを持ちゆっくりと川に入っていく。


「うゎ、かなり冷たいなぁ」


 冷たさを我慢しながら、水面をまじまじと見てみる……


「いる! 魚がいるぞ」


 水中には大小さまざまな大きさの魚がおり、僕みたいな素人でも、1、2匹なら獲れそうに思える。

 持っていた棒を、銛に見立て突いてみたが、無論カスリもしない……

 少し自棄やけになり今度は大きく振りかぶって何度も水面を叩いてみたが、魚は一匹も浮かんでこなかった。

 

 はぁ……

 思い返せば、子供の頃から部屋に籠りゲーム三昧の日々。

  

 ユウは都会住みという立地もあり、昆虫や魚取りをした経験が殆ど無く、テレビや本などで得た知識はあっても現実との差は埋められない。

 環境は人それぞれなので責める事は出来ないが、今の状況では死活問題である。


「駄目だ、疲れとお腹が減って力が出ないや」


 軽い眩暈を感じたので、仕方なく河原に上がり横になった時には、辺りは薄暗くなっていた。


 冷たい川に入り身体が濡れていたが、幸いな事に衣服をまとって無いその姿でも寒くはない。

 もし、急激に気温が下がる環境なら、火をおこす事が出来ないユウは死んでいてもおかしくなかった。

 まだ運に恵まれている。


 丸太橋の下に潜り込んで寝ようとしたけど、流石に石の上は痛くて無理だったので、また森に入ってみる。

 しかし、森の中の寝心地は、河原以上に酷く、木の枝や小石がちくちくして、横になることすら出来なかった。

 最初に倒れていた場所にあったような、柔らかな草は見当たらない。

 

 河原で寝ると水の音で、魔獣や悪意ある者が近づいて来ても分からない可能性がある。

 森の中なら草を掻き分けたり、枝を踏んづけたりする時に音が出るので、そっちの方が分かりやすくていいかも……

 けど、森の中は不気味で怖いし、川の水の音が聞こえないぐらい、森の奥まで入るとなると尚更だ。

 

 考えた末、僕は河原で寝ることにした。そして、体育座りをして丸太橋の土台にもたれ掛かった。

 

 完全に日が暮れ辺りは真っ暗になり、元の世界では聞いた事もない不気味な生物の唸り声がそこら辺りから聞こえてくる。

 僕が進もうと思っていた獣道の方向からも聞こえる……


 こ、怖いよ。

 想像してた異世界と全然違う。

 帰りたい、帰りたいよ……


「神様、僕を元の世界に帰して下さい。お願いします、お願いします」


 震えながら夜空に向かい何度も願った。


 その時に初めて気づいた。


「月だ…… この世界にも同じような月があるんだ。しかも、今日は満月か……」


 何故だろう、月を見ると少し心が落ち着いたように感じた。

 

 元の世界では、さほど気にした事も無い月。

 それなのに、似ている月を見ただけで安堵感が生まれるなんて、よほど感じた事のない大きな不安を抱いていたのだろう。


 ……あとどれくらいしたら夜が明けるのかな?

 もし、元の世界だと、今は20時ぐらいかな……

 日本の夏のような気温だから、あと9時間ぐらいで夜明けになるはずだ。


 同じならね……


 僕はウトウトしては目が覚め、周囲をキョロキョロと見渡す動作を何度も何度も繰り返した。

 こんなに夜が長く感じるのは初めてだ。

 何事も無く朝を迎えられればいいけど……


 また、遠くの方で生き物の悲鳴が聞こえた……

 いったい何度目だろう。

 恐らく、より強い生物に捕食されたのだ。

 次はまさか、僕の番……


 お願い、このまま無事に朝になって、怖いよ。

 一晩中祈り続けた。


 時間の感覚が無くなり、不気味な唸り声や悲鳴を聞くのが嫌で川の音に集中する。

 元の世界で似た状況になれば、必ず横投ちゃんを思い出し、精神的に乗り切ったであろう。

 しかし、この世界に来てからは、数えるぐらいしか思い出しておらず、しかも決別しようとしていた。

  

 僕は馬鹿だ……

 無駄に、浮かれ過ぎていた。

 

 ……何時間たったのだろう、やっと空が明るくなってきた。

 夜が明けるにつれて、不気味な唸り声や鳴き声が、少なくなっているのに気付いた。


「はぁ~やっと、やっと朝がきた。良かったぁ」


 朝日を見ると、不眠と恐怖の疲れが不思議と気にならなくなっていた……



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る