第3話
「なるほど。本当に何も知らないんですね」
「ほんとに人でも妖怪でも無いやつって居るのか?」
「俺は知らないけど、……もし天命なら」
「天とか神とかいねーよ。いたらこんな世界、もうとっくの昔に捨ててるだろ」
水を吸って重さの増した制服の端を絞りながら、記憶がある限りの経緯を話した。
といっても、一日ほどにも満たない記憶しか話せることは無い。
それ以外の記憶をほとんど失っていること。知らない男の人にシジュウがどうとか、国を救えとか言われたこと。
突然突き落とされて、気が付けばここにいたこと。
そんな私の話を聞きながら、オウリの怪我を不思議な光で治療したスザクは、いわゆる人間ではない側の存在らしい。ついでに私の体にも治療を施してくれた。どんな原理かは分からないが、あたたかくて眩しい光に包まれたと思うと、体中を蝕んでいた痛みが何事も無かったように消えていた。
(異世界とか、めちゃくちゃなこと言ったのに何で怪しまないんだろう)
ちらりと二人を盗み見ると、目が合ってしまった。
威嚇するような目付きと、こちらを安心させるように笑いかける目。
対照的な二人は意外にも友人らしい。
「そんなこと、言っちゃダメだよ」
「けどよー。じゃあこいつ……」
こいつ呼ばわりをされて、思わず眉が寄る。横目でそれを捉えたオウリはわざとらしく咳払いをして言いづらそうに「ミコ」と訂正した。
「ミコは天が送ってきた何かだって言いたいのか?」
「でも、本当に俺でも分からないんだ。ヨウキが無いから人だと思ったけど、人の気配でも無いし」
「人じゃ、ない?」
「うん。独特な気配で掴みにくい。そもそもシジュウって言葉を使うのは妖怪側なんだ。それも、あまり素行の良くないような……」
「
飛び交う言葉は馴染みがない。何か書き留められないか視線を
「文字は分かりますか?」
「文字……漢字とか、ちょっとだけアルファベットとかなら」
「うーん。聞いた事ない単語だなあ」
やはり、こちらの言葉は伝わらないようだ。この分だと日常生活を送ることすら危うくなってきた。
(言葉は通じるのにどうして……)
スザクのふわふわの袖から尖った爪のようなものが幾つか出てくる。それが淡い赤の光を発すると、そこには人間と同じ手のひらがあった。
浮かんだ疑問が、スザクの変化に気を取られ消えてしまう。
「えっ!?手!?」
「あー。えへへ……俺、まだ
「へんげ?」
「人間の振りをすること。いちいち教えてたらキリないぞ、こいつ」
照れくさそうに頬をかく姿は本当に愛らしい少年のようだ。上半身さえみていれば。
クリーム色の柔らかそうな髪の毛は、後頭部でざっくらばんに纏められている。それでもまとめきれなかった髪がふわふわと広がっていた。おでこがよく見える前髪の分け目も相まって、微笑むと愛らしい印象すらある。少し薄くて点々とした眉も髪と同じ色をしていた。
うっとおしいと言いたげな様子のオウリがため息を吐きながらしゃがみ込む。
いわゆるヤンキー座りというやつで。けれどスザクに見せる表情は優しかった。
「スザクは字が綺麗だからな」
「そんなに得意じゃないよ」
平坦な声でオウリが褒める。それに答えるスザクは、満更でも無さそうだった。
小石だらけの川辺から離れて、比較的草の雑草の少ない地面の辺りまで来ると、スザクが人差し指を下へと向けた。
何が起こるのだろうと夢中になっていると、指先から離れた場所に炎がともる。
「わっ」
「先に言っとくけど、これスザクは熱くねーからな」
「これは、読めますか?」
ゆっくりと、炎で焦げて描かれた文字を読み上げる。
「
「わぁっ!凄い、読めてますよ!」
「なんだ。読めるのかよ」
半信半疑に口に出した音は間違えていなかったらしい。嬉しそうにスザク───朱雀が顔を綻ばせる。それとは対照的にオウリは表情を曇らせる。
(でもこれ、漢字じゃないの?)
「これ、私の国では漢字って呼ぶんです」
「カンジ?……聞いた事、ないです。俺たちの国では、文字は大体これが使われます。古い文字もあるけれど……使うのは限られた身分の人間や長寿の妖怪だけです」
「そう、ですか」
日本では、漢字、ひらがな、カタカナと区別も多く、外国語が加われば種類は豊富だった。それが無いとなると、言葉も同じなのだろうか。
まだ、夢の中だとか私の知らない国であるとか適当な理由をつけて思い込むことも出来ただろうに。オウリと朱雀の口からはそんな希望を打ち砕く事実しか告げられない。
(死んだから異世界にくるなんておかしい)
「どうしました?」
「……私、死んでるって言われて」
「でも生きてるだろ。オレが助けてやったんだ」
「本当にそうなんでしょうか。まだ実感がわかなくて……生きてるとか死んでるとか。急に異世界がどうとか、頭がこんがらがってきて」
「無理もありません。記憶が無いんですから。ゆっくり理解していけばいいと思います」
俯いていた私の肩にちょんと触れた人の形をした指先が、ほんのりと温かい。
朱雀の手は震えている。
人間に怯えている朱雀の事情は分からないが、こんな訳の分からないことに巻き込まれて正直なところ迷惑しているはずだ。
それでも私を慰めようとしてくれている事が伝わってきて、どうしようもなく嬉しかった。
頭を振って、気持ちを切り替える。
そうだ。記憶が無い。ならば今はこの場所に順応して情報を集めるのが得策だろう。
(本当に異世界だとしたら、まずは地理を学んでユーゴさんの言っていた場所を知らなきゃ。それからシジンていうのも……)
やらなければならない事が山積みだ。
「この世界には、幾つ国があるんですか?」
「知らねー」
「俺は、まだ未熟で勉強中だから……教えられる程では無いです。ごめんなさい」
どうやら二人とも詳しくは知らないらしい。
何か情報を集めてテンホウザンとやらに早く向かってユーゴさんに文句を言ってやりたいのに。
沈黙が落ちて、朱雀の視線が地面に落ちる。
焦げ跡を目で追うと、思い付いたままに口を開いていた。
「あ、それじゃあ。私が知ってる言葉を教えてください」
「ここに書くだけでいいの?」
「はい」
異世界で生まれ変わったからだろうか。文化も常識も知らないのに、私はこの国の言葉が理解出来ている。
会話ができているなら、もしかしたら文字も私に都合が良いように見えているのかもしれない。
覚えている限りの単語を、口にする。するとさらさらと、朱雀が先程書いた文字に連ねていく。
『
『
『
『
『
『
『
次々と並んだ言葉は、やはり読めた。
そして気になるのが、幾つか。
「四獣と四神はどう違うんですか?」
「意味としてはほとんど一緒です。それがどちら側の呼び方なのか、どういう意味を込めて呼ぶかの違いです」
「四獣は四神嫌いしか使わない呼び方だ。四神より偉いやつなんていねーからな」
どうやら私はユーゴさんに誤った言葉を教えられていたらしい。顔を顰めるオウリを見ていると、本当に嫌な呼び方だと分かった。
これから先、うっかり口にしてしまわぬように気をつけなければいけない。
「この、妖気っていうのは?」
「妖怪の気。気配みたいなものです。俺は他の子達よりも気配に敏感だから、絶対に分かります」
「単にビビりなんだよ、朱雀。だからお前に妖気が無くて人だと思って泣いたんだ」
「だって……」
またうるうると可愛い顔を歪ませる朱雀に、それとなくフォローを入れる。私は人でも妖怪でも無い立ち位置らしい。
こうして会話して息をして、痛みも感じたのに。
脳裏に、お前は死んだという言葉が浮かんでは沈む。
大丈夫、私は生きてる。
「名前って、凄く大事な意味を持つんです。人は子に長生きしますようにとか色んな願いを込めてつけるけど。妖怪は違うんです。妖怪の場合、名を知られることは命を握られるのと同じ事だから」
「名前が無いやつだっているんだぜ。その方が楽な場合もあるからな」
「力が強い妖怪なら尚のこと、本当の名前は隠します。お互いが名前を知っていても、力が同等であれば問題はありませんが、どちらか一方が強ければ、その一方に従うしか無いのが妖怪なんです」
朱雀が書いた文字をさらに上から燃やしていく。
「俺も名前はほとんど明かしたことはありません。わざと幼名や姓のみを名乗ったり。それも持たない者は適当なあだ名や、種族の名で呼び合うのが普通です。現に、俺も朱雀と呼ばれています」
つまり、朱雀も本名では無いということらしい。ややこしいしきたりだ。
たくさんの情報に唸りながらも、地面を眺める。
最後に消えかけた文字を見て、はっとした。私に付けられた名前、どういう意味になるんだろう。
「私、勝手に名前を付けられたんですけど、それって私もその人の奴隷みたいになるってことですか?」
「奴隷……とは違うけど、あなたの場合、妖怪でもないからきっとそれは大丈夫です。だけど」
「だけど?」
「付けられた名前の方が問題なんだ」
「ミコって名前が?」
「相手が何者かも分からないのもおかしい。人なら問題ないけどよ、オレと朱雀ならそれなりに強い妖怪くらいなら、名前で分かるはずなんだ。高い場所に住むユーゴなんて妖怪聞いた事ねぇし。翼のある朱雀が知らないなんて尚のこと変だ」
記憶を頼りに地面の上に、近くに落ちていた小枝でミコ、と書く。それから続いてユーゴとも。それぞれを読むと朱雀とオウリはきょとんとした顔を浮かべた。やはり読めないらしい。
「この文字が、駄目なの?」
「うん。
「そんな大層な名前をつけたって言うその男、怪しいってことだ。伝説上の名前だからってわざわざ不利になる名前なんておかしいだろ」
「……そう、なのかな」
「はぁ!?お前を突き落とした本人だろーが。どうせ胡散臭い妖怪殺しの奴らに決まって」
「オウリ、そんなこと言っちゃダメだよ」
どんな
そこまで悪い人、だとは思えない自分がいるのも確かだ。
(いや、まあ。ユーゴさんのせいで散々な目にあったのも事実なんだけど)
神子は伝説上、それも古い名前らしい。詳しく知っている人間も妖怪もほとんどいないが、恐れ多くて名付けには使われない名前。
神がこの国をつくるときに使いにだした者の名前だという。確かに、そんな名前普通の精神なら付けたくはない。
「四獣なんて呼び方をされたのも、気になるよね」
「今ここらの国でそんな呼び方する奴は、相当妖怪を殺したくて堪らないような気が狂った連中だけだからな」
「……」
沈黙が落ちた。どうやら暗い話のようだ。
妖怪殺し───つまりこうして会話をしている優しそうな朱雀の命を狙う連中がいるということか。
どことなく重くなった空気を変えようと、話を振る。
「そう言えば、オウリの名前はどうやって書くの?」
「おい、なんかオレにだけ馴れ馴れしくないか?お前。年長者を敬えよ」
「え?同い年くらいでしょう」
フランクな態度と起き抜けに強く平手打ちされたことで、オウリに対してはどことなく気まずさというものが欠けていた。朱雀は丁寧な口調で話してくれるから私も合わせていたが、何となくオウリに対してはそれも不要な気がして取り払う。
片眉を吊り上げて不機嫌そうにされると、さすがにその形相も相まって少しだけ先程の発言を後悔した。
「お前はいくつなんだ?」
「えーと。多分、十五歳から十八歳くらい……?」
「変に幅広いな。つーか、それならオレの方が年上だ」
「えっ嘘。年下だと思ってた」
思わず出た本音に、おい!と強く突っ込まれる。
気を取り直して、ふふん。そんな効果音がつきそうな顔でオウリが鼻を擦る。朱雀は人間ではなさそうだし、年齢不詳だが、オウリは年下くらいだと思っていた。
「オレは、百越えてる」
「───はい?」
今、なんと言ったのか。
腰に手を当ててドヤ顔を決めているオウリは、この容姿で百歳を超えているとのたまう。
その後ろでは、朱雀がやってしまったと言わんばかりの苦笑いを浮かべていた。
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