第25話 苦手な上司であれ将来のために
青年らは東寺まで歩いていき、その後は西側に点在する文化財を着々と巡ってゆく。近づいてくるハトを追いかけまわしたり、甘い汁を吸った湯豆腐を昼食でとったりした。表面を黄金のあんかけがかけられた湯豆腐は中まで熱が通って、とろとろの味わい。これはいいと二人はしゃいでもう一品同じものを食べた。
夕暮れ前の傾いた太陽から黄色い光柱が見え始めたころ、青年らは金閣寺を後にしていた。辺りの住宅街を抜けたあたりで商業街が見えた。人の行き来が激しいく、賑わいだっている。青年は5件は回った後で、さすがにこたえていた。足の裏がジーンと痛み、休める場所がないものかと商業街に立ち寄った。人形は疲れている様子もなく、一段と騒がしくなった人ごみに目を輝かせていた。
「いろいろなお店が出ておりますわ!右も左も人、人の世ですわ!」
素材が違う靴で地面を鳴らし、波長の違う声で大気中が震えていた。乱雑とした世界で、人形は引けを取らないほど騒いでいた。青年の後ろから肩を押しのけて進んでいる。
「エマちゃんあそこ、三食団子の看板があるとこで一休みしよう」
人形は顔だけ青年の背中からはみ出して覗いた。舗道に面した赤い布を敷いた横長の座席。その後ろにお店が見えた。
人形は了承したらしく、さらに力を加えて青年を店の屋台まで押し出していった。ピンク、白、緑の団子を四つと熱いお茶を一つ買い、席についた。端にあるせいか、喧騒とした雰囲気はかなり奥の方から聞こえていた。今はぽつぽつと、観光客が青年らの来た道をたどるように目の前を通り過ぎていく。
青年はポケットの震えから着信が入っていることに気が付いた。画面を見てみるとISEの上司からであった。上司といっても同僚女性の上司であり、青年とは直接的に上下関係があるわけではない。
何事だろうと、人形に一声かけてから道外れまで移動して電話に出た。
「あー、もしもし~?」
「お疲れさまです、宵越です」
「お疲れさま~宵越君。仕事中に悪いねぇ」
口調は柔らかいが、声の節々に威圧するような含みがある。
「どうかね、仕事の調子は。そろそろ一日目も終わることだ。何か人形について分かったことはあるかい」
「旅行を楽しんでもらっています。パリのレポートになかったようなこともつかめました」
「どんなことだい?」
「ご飯をたくさん食べます。人の中にいても興味津々で、子供を連れて旅行をしている気分です」
「ふん、それからは」
「人の文化というか、営みにとにかく興味を持っていまして」
「あのねぇ」
青年の言葉を雑に切ると、苛立たし気に鼻を鳴らした。
「我々が期待していることはね、人形が持つ特異な力の方なんだよ。その辺はどうなのかってのが聞きたいんだ」
挑発的に聞いてくる上司の言葉をグッとこらえた。面接のときに初めて会った時から、青年はこの上司を苦手としていた。人を食い入るように見ては、顎を上げて見下すような視線を送られもしたが、この仕事を乗りこえたら本当の上司になるかもしれない男だ。下手は打てない。
「美来さんに送ったレポートのように、瞬間移動、普通はいるだけで死ぬような環境でも自由に活動できます。人から見えなくすることもできます」
「彼女からのレポートは私も読んだよ。馬鹿にしないでくれよ、部下の仕事はキチンと目を通しているんだ。今日は何かなかったのか」
上司は嘲笑を交えて投げ返した。
「今のところは……何も起こってはいません。あまり急いでも関係が悪化することがあっては、先に支障が生じると思いまして」
「遅い」
「え?」
青年は両手で片耳に近づけたスマートフォンを握った。何かミスをしたのかと、将来の道が暗闇の中に消えてみえなくなる恐怖を抱いた。
「一応、この旅行以降も各地を回ってもらう予定だったが、君のやり方では遅すぎる。今日中に人形に関する何かしらの異能、またはその手掛かりをつかめないようなら、君は今回の旅行を最後に計画から外れてもらうよ」
「待ってください!人形の研究は計画は長期的なもので、それこそ数世紀かけてでもいいと伺っておりました。手を抜いているつもりは毛頭ありません。パリでは人形との信頼関係が気づけないがために研究が遅れていたので、まずは信用を得てそれから、人形から聞こうと思っていたところで」
青年は口早に意見した。額には脂がじわりとにじみ出て、手や背中は汗で濡れていた。
「やはり君では力不足ということだろう。私の要求に二言『はい』と言えないようではな。もういい、少し早いが人形と本部に戻りなさい。これ以上、君の旅行に時間も、金も、使いたくはない」
挑発するように煽る上司に、青年は状況を打開するため思考を巡らせた。しかし焦るばかりで、愚直な考えしか思いつかなかった。この時、もう少し落ち着いていれば、これから起こる道とは別の、ましな道を選べたかもしれない。
「……聞き出します。多少嫌われても、何か役に立つ情報を聞き出してみせます」
「ふぅん、そうはいってもねぇ、君は今まで大したことをしていないし。あぁ、これは何も旅行だけに限らないがね。まあそういうわけで何を信用したらいいのか」
上司の嫌みに青年は内心傷ついていた。まっとうな生活ではないことを自覚している分、胸の奥をえぐられるような思いだった。それでも必死に食い下がった。
「……わかった。君の熱意は伝わったよ。あとは結果だ。期待しているよ」
通話は切れた。最後にポロンと軽快な音がした。反対に青年の胸中は嵐が過ぎ去った後のような荒廃としたものがうずくまっていた。
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