第17話 こころ震わせてⅠ
人形は鼻歌をつづけながら浴室を出た。湯けむりが更衣室に流れ出し、後を追って作為的な白すぎる肌が続いた。出てすぐのところ、白いかごの中にあるバスタオルを拾い上げた。体に巻き付けて、左脇下の部分を二回巻き、ずれ落ちないように固定した。とはいえ胸のふくらみから見れば、その行為は不要のようにも思える。
もう一枚、小さいタオルで水滴をふき取りながら鏡の前へ進んだ。普段は後頭部でまとめられている後ろ髪は、肩甲骨の下あたりまで伸びていた。一度もアイロン掛けをしていない艶のあるストレート。軽快なリズムを刻みながらも、鏡の前の椅子に座る姿勢は淑女のような清廉さがある。そろえた足を斜めに曲げ、背筋はシャンと伸びていた。
アメニティのクシを髪に入れ込んでいく。慣れた手つきで根元から毛先へ、寸分の狂いもなく伸ばしていく。そろえ終わると両手をうなじから軽く一払いし、にこやかに笑いながら頭を一振り、左右に揺らした。動きに合わせて周囲の湯気がちかちかときらめき始めた。鏡に視線を戻すと、髪は熱風で乾かしたように整えられていた。
「もう少し大人の女性の方がいいかしら」
胸に手を乗せて、艶めかしく笑って見せた。湯けむりは少女に応えるようにボーっと光を帯び、体を覆っていった。毛先が徐々に変化していった。前髪はそのままに、サイドと後ろ髪が巻かれ始めた。
「助けたくなるような、振り向かせたくなるような。いい具合ですわ」
取り巻きの光はただの水蒸気に戻っていた。二回ほど巻かれた、主張が控えめなカール。立ち上がって全身を確かめるように、その場で一回、くるりと体を翻した。
『美来様には情けないところをお見せいたしたわ。少女型に寄せすぎたのがそのまま影響したのよ。見た目は人を変える、ですわ。
わたくしにはあなた方が、あなた方にはわたくしが必要でしょう?必ず、振り向かせてみせますの』
鏡の自分に手を伸ばし、手と手を合わせた。両者とも、確固たる意志を秘めた瞳をキツとむけた。
◆
「うへぇ~、ライオンにカバ、うわっ!シマウマの死骸にハゲワシが群がってるよ…動物界の縮図みたいな場所だな」
青年はンゴロンゴロ自然保護区に来ていた。360度、丈の低い草原、遠方には山がぐるりと囲んで見えた。一部、雲がかかっていた。彼はその外輪山がなぜできたのか知っていた。自身が立っている場所がクレーターの底になっているのだ。
ここは数百万年前、火山地帯だった。富士山よりも標高が山一つ分ある火山。そこから噴き出したマグマ。その重みで地下のマグマだまりの上部が崩れ落ち、巨大なクレーターが生まれた。ここより北部にその名残の火山があるが、ンゴロンゴロ(地元の言葉で『大きな穴』という意味)の表面には緑が張っている。アフリカの動物すべてを詰め込んだ動物の楽園になっていた。
空から影がおりてきた。頭上をピンク色のフラミンゴが無数の群れとなって駆け抜け、童心に帰ったように、夢中になって追いかけた。
「湖に向かうところだな!圧巻だぞこれは!」
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