第15話 人形の概念が壊れちゃう

 青年はバッグに入れておいたパソコンを開いた。


「いつまでもそうしてないで、こっちへおいで」


「承知しておりますわ。心の準備というものがありますの」


 人形はうつぶせになりながらベッドに倒れこんでいた。はっきりしないが窓から景色を眺めているようであった。手をあごの下に置き、微動だにしていない。同僚女性にオンラインでこれまでの経緯を伝える必要があるのだが、パソコンを取り出した途端にうなりだした。


「わたくしはやまとさまにサプライズをさせていただきたかったんですの。美来様ならわかってくださると存じますの」


「練習はもう十分だろ。それ何回目?続きの言葉も考えといたほうがいいよ」


「わかってますの。肝心なのは第一印象ですわ。冷静に、誠実に、ですの」


「よし、始めるぞ。映るとこにきな」


 人形は四肢をばねのように使い体を起こした。パソコンに向けた表情は迫力あるものだった。唇とほほは膨れ、真ん丸なかわいい目に勝るきつい眼光を宿していた。

 椅子に座っている青年の後方から映り込む形で回った。口の中で『冷静に、誠実に』と繰り返しつぶやく。画面の前に立つと、先生に謝りに行くときの、職員室前での心許ない目つきに変わっていた。


 画面右上のビデオボタンまでマウスを動かした。手に握っている機械が汗でショートする可能性があった。青年もまた飼い主に叱られた子犬のようにおびえていた。


 軽快なリズムで発信音が鳴り、不規則なタイミングで鳴りやんだ。


「こんにちは~。ちゃんとかけてくれたねぇ。人形ちゃんもいるのね。偉い偉い」


「それはもちろん、むしろ連絡が遅れたこと、まことに申し訳ありーー」


「大変申し訳ありませんでした!!!」


「ああっ!いっっったい!!」


 後ろの方から甲高いヒステリックを起こした女性の声が聞こえた。脳みその奥深く、意識の覚醒と不快感を伴う響きが貫いた。その叫び声でとっさに体が前のめりになった。

 人形は手に力がこもっていたのであろう。後ろにいる間、椅子の背をつかんでいたのだが、頭を下げると同時に椅子まで動かした。椅子の上にいるものは画面の映像が乱れるほどの衝撃で脳天を机のふちにぶち当てた。


「ぷっ、アハハハハハ!あなたたちなにやってるのよ」


 同僚女性は両手をたたいて笑い、画面を直視することすらためらっていた。乱れた呼吸を整えるため、笑いの波長を長めにした。青年らは彼女のおばあちゃんっぽい笑い方に一息ついた。言葉で精神をこねくり回されずに済みそうだと顔を見合わせた。


「いやぁ、めんごめんご。な~に~人形ちゃん、いやエマちゃん。私がそんなに怖かったの?」


「ハイ!それはもう!わたくしが悪いとは存じておりますが」


「うんうん、まずはいけないところを自覚することからだよね。それでどうして何も言わずにあんなことしたのかな?」


 人形の思惑通りにはいかなかった。その奇跡的な魂を一滴残らず絞り込んでいく。そして人形はついには涙を一滴、ほろりと流した。それは歯を食いしばり、盛り上がったほほを伝ってあごまで流れ着いた。青年はまさか人形が涙まで流せるとは思っておらず、また少女の涙に心打たれた。その衝撃に自分の心臓が止まったのではと、ひそかに手を胸にあてた。


「事情は分かりました。旅に支障は出ないので安心してください!」


 すべての説明が終わった頃、人形は見るも哀れな表情をしていた。肩でひくひく泣くたびに、目から勢いよく涙がこぼれていった。


「じゃ!エマちゃん!業務的な話は終わったから、お姉さん初めから怒ってないよ~」


 人形は『美来様ごめんなさい』と弱々しく返事をした。


「それじゃあ切るね!エマちゃん~切り替えていくんだよ~」


 ポロロンと終了の音を立ててオンライン通話は終了した。すぐに青年のスマホが震え『一人の時に電話ちょうだい』と通知が入った。


 青年は立ったまま涙を拭いている人形をベッドに座らせた。


「エマちゃん、しばらく一人にするけど大丈夫?」


 人形は小さくうなずいた。


「何か飲み物とかいる?」


「……なんでもいい」


 青年は背中をさすり、行ってくるねと言い残し部屋を出た。


 人のいない場所を探してホテル内をぶらぶらと歩いていた。


『人形というのはあれほど感情豊かなものなのか?もはや球体関節だけが証明だな。紅茶事件で見せた怒り。一番多く見せているのは喜と楽か。基本笑ってるし。そして、時折みせる哀と愛』


 一連の出来事を振り返ってみると気がかりな部分が多い。恐らく同僚女性も人形の喜怒哀楽が気になっているのだろうと、まっすぐに前を見つめながら考えていた。視界の隅に誰もいないテラスを見つけた。まだ明るい京都の景色を眺めながら、電話をすることにした。

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