18.強敵、その2



獣の遠吠えが木魂する夜の森を、一匹の黒猫が駆ける。

口に咥えた黒剣の黄金の装飾に、月明かりが反射しキラリと輝く。


そこへ黒金の鉄塊が、弧を描きながら容赦なく飛来する。


『右から横薙ぎ!!』


ラウムの警告で鉄塊を紙一重で避ける。振るわれた先にあった岩に鉄塊が衝突し、砕けた砂塵と石塊が飛び散る。


(チッ…!!)


鎚の攻撃範囲が広すぎて、全くホブゴブリンに近寄ることができない。その上射程が変幻自在で、一発一発が一撃必殺。速度も速く、攻撃に転じる隙がほとんどない。


しかし射程が長い分攻撃は直線的でわかりやすく、割と難なく避ける事ができる。

それにヤツが鎚を伸ばす時、何故か肌がピリピリとする妙な悪寒がする。原理はさっぱりわからないが、今はとてもありがたい。


このまま追いかけっこを続けても、恐らく俺の方が先に体力が尽きるだろう。


知力に差があるといっても、ゴブリンの外見上の特徴は人間によく似ている。

人間は全哺乳類の中でもトップクラスの持久力を持つ生物だ。それによく似た外観をしているゴブリンも、それと同等もしくはそれ以上の身体能力を持っていても不思議じゃない。

できれば俺の体力が残っているうちに、さっさと片を付けたい。


(…っ!!)


途端に、悪寒がゾッと背筋を這い上がる。鎚が伸びるときのあの・・感覚だ。


(方向は!?)

『えっと…上からの振り下ろし!!』

(了…解ッッ!!)


返答する暇もなく、またしても鉄塊が迫りくる。咄嗟に身体を捻り、それをギリギリで避ける。

鉄塊は木の根を砕き、輝く金属の蹄を地面に埋める。万が一にでもあれの真下にいれば、ぐしゃりと潰され一瞬で地に落ちたトマトのようになってしまうだろう。


何とかして、アイツの懐に入らなければ…


(…そうだ!)

『え?おわぁ!?』


思いつくと同時にその場で急停止する。いきなり止まったせいで、俺の毛にしがみついていたラウムが前方に飛び出す。


『ちょっと!?急に止まらないでよ!?』

(おっと、ごめんごめん!)

『ていうか、何で止まるの!?早く逃げないと潰されるよ!?』

(いや、逃げない!)

『は、はぁ!?ちょ、ご主人!?』


ラウルの抑制を無視して来た方向と真逆、迫りくるホブゴブリンへ向かって走り出す。


「グ…!?」


先程まで逃げていた獲物が、いきなり踵を返してこちらに向かって走り出して来た事に驚いたのか、ホブゴブリンの動きが一瞬止まる。

しかし動揺したほんの一瞬で、次の瞬間には俺に向かって真っ直ぐ向かってくる。その真鍮色の目は冷静ながらも、微かに怒りと憎しみが入り混じってるようにも見える。


両者の距離はどんどん縮まり、気付けば残り3mぐらいまで接近する。

ホブゴブリンは手に持った鎚を振りかぶり、いつでも俺に当てれるよう狙いを定めている。


(『女神の盗袋ラウェルナ』‼)


走りながら“門”を開き、ホブゴブリンの顔面目掛けて昼間に倒したゴブリンの石ナイフを放つ。


「グォオ!?」


ホブゴブリンは驚いた声を上げ、咄嗟に鎚を持っていない左腕で顔を覆う。

磨製の石ナイフがホブゴブリンの腕に刃を突き立てる。

しかし、いくら磨がれているとは言っても所詮は石器、腕に傷一つつけることもできない。


だが、ぶっちゃけそれはどうでもいい。


アイツは恐らく俺が狂々茸クルクルダケの胞子をばら撒いたことを知っている。ならば俺が放ったものを過剰に警戒してしまうはずだ。

俺なら絶対警戒する。


あの石ナイフはヤツの意識を逸らすためのただの囮。

石ナイフに気が逸れている今のうちに、素早く股下をくぐって背後に回る。


ホブゴブリンは眼前か突如消えた俺を探して、辺りをキョロキョロと見まわしている。ラウルの話では感覚器官が一般的なゴブリンよりも鈍いらしく、おかげで木の葉を踏むなどの音では全く気付く様子はない。

しかしこのままではいずれ気づかれてしまう。


(もういっちょ!!)


開きっぱなしの“門”から、今度は撥牙ハツガの実を放つ。

狙うはヤツの脚部、人体の急所の一つアキレス腱だ。


パパァン!


「ウグゥウ…!?」


乾いた木片が爆ぜる軽い音が鳴る。

楔状の種が四方に飛び散り、濃緑の分厚い皮膚を抉り隠されていた赤い肉が剝き出しになる。


(よっと…!)


開きっぱなしの“門”を盾のように使い、飛んできた種と肉片を防ぐ。


ホブゴブリンはまるで糸の切れた操り人形のように、その場でガクンと膝をつく。顔には戸惑いと混乱と汗が滲んでいる。

どうやら自分に何が起きたのか理解していないらしく、鎚を杖にして立ち上がろうとしては、その場に転がるを繰り返している。


どうやらちゃんと断裂させることができたようだ。

アキレス腱は脹脛の筋肉と踵骨をつなぐ、体の中で最も大きな腱だ。万が一アキレス腱を切ってしまうと踏ん張る事が出来なくなってしまい、足首を動かしたりつま先立ちしたりといった足の動作ができなってしまうそうだ。


これでもはやアイツは、俺を追うことはできない。走れば軽々と逃げ切る事ができるだろう。


だがそれでは問題の先延ばしに過ぎない。

もしここで逃げてしまえば、昼間に逃がしたゴブリンのように大量の仲間を引き連れ、再度襲いに来るかもしれない。こいつらには高い学習能力がある。同じ手は二度と効かない。それどころか俺のお手製幻覚手榴弾グレネードを模倣してくる可能性もある。そうなれば今度こそ俺は殺されてしまうかもしれない。

俺はここで死ぬつもりはない。


だが、殺すとしてもこの咥えた黒剣ではヤツに致命傷を負わせることはできそうもない。時間をかければ可能だろうが、その間ホブゴブリンが大人しくしているとは到底思えない。

それに時間をかければ、血の匂いに惹かれた動物が襲い掛かってくるかもしれない。今の俺にそれらを相手取る気力はない。


(さーて…高さはこんなもんでいいかな?)


女神の盗袋ラウェルナ』を使い、空中に飛び出す。程よい高さで”門“を開いき、それを足場に地上を見下ろす。


空はまだ暗く、瞬く星に囲まれた三日月が我が物顔で夜空に輝いている。

ホブゴブリンは俺の動きを目で追い、恨めしそうな瞳でこちらを睨みつけている。


(『女神の盗袋ラウェルナ』、全ッッ開ッ!!)


足元の“門”を限界まで開く。異空間に繋がる黒々とした穴が、まるで作りの荒いコラ動画のようにどんどん拡大していく。


3mほどにまで広がると、光すら反射しない黒い穴から用意していた秘策・・が顔を出す。


現れたのは直径3mはあろうかという巨大な岩の塊だ。


今後また四ツ目月熊ヨツメツキグマのような黒剣の効かない敵と戦うときに備え、こっそりと用意していたとっておきだ。

この大きさなら十数トン以上はあるだろう。直撃すればさすがのホブゴブリンでもただでは済まない。


巨大な岩石を異空間で加速させ、圧倒的な質量で相手を押し潰すゴリ押しの必殺技。


名付けて、


(“巨岩ストーンフォール”!!!)


そう念じると共に、巨岩が地上にいるホブゴブリンに向けて放たれる。


ドォォォォォォオオオン!!!


大気を震わせる激しい轟音が森に轟く。大地が揺れ、砂塵が舞う。

その音に交じって微かに聞こえた骨の潰れる音が、戦いの結果を伝えていた。


《経験値が一定の基準に達しました。進化を開始します》


どこかからそんな声が聞こえた気がした。

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黒猫クエスト @gia1476

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