12.黒い煙



正直、私は死を覚悟していた。


相手はCクラス獣魔モンスター

に対して私はDクラス、Eクラス獣魔モンスターでやっと1対1で倒せるくらい、戦って勝てる相手じゃない。


かと言って、逃げることもできないだろう。


昔、とても足が速い先輩冒険者シーカーがいた。彼は馬に乗る盗賊を素足で追いかけ、喉を掻っ切る程の瞬足だった。

その先輩は四ツ目月熊ヨツメツキグマに襲われ死んだ。逃げたものの追いつかれ、背中を切り裂かれたそうだ。


Cクラス未満の冒険者シーカー及び一般人は生息域に近寄ることすら禁止されている特定危険獣魔モンスター


仲間は全員殺され、残るは後方支援の自分のみ。

あとは死を待つだけのはずだった。



しかしそうはならなかった。


四ツ目月熊ヨツメツキグマの一撃が振り下ろされるまさにその一瞬、林の中から1つの影が飛びかかった。


それは夜闇より黒い1匹の獣。

大きさは5セルト(約50cm)程。

照らす残り火の光すら吸い込んでしまうような黒色の毛並みに、金色の双眸が爛々と輝いてる。口には、人の二の腕ほどの大きさの真っ黒の短剣を咥えていた。


よく見ると全身に傷らしき物があり、美しい毛並みは所々禿げ、乾いた血がこびりついている。

身体はやせ細りどこか小汚く、お世話にも綺麗とは言えない。


しかし私は、その1匹の黒い獣がどうしようもなく美しく思えた。


黒い獣はとんでもない速度で、まっすぐ四ツ目月熊ヨツメツキグマの顔へと黒い短剣を突き立てた。


黒い短剣はヤツの左上の目玉に深々と突き刺さり、潰れた眼球の欠片とどす黒い血の混ざった液体が零れる。


お互いが向き合う一瞬の間の後、四ツ目月熊ヨツメツキグマが飛びかかる。


雨霰と降り注ぐ、当たれば即死であろう四ツ目月熊ヨツメツキグマの猛攻。それを風に舞う羽根のように、紙一重で避ける黒い獣。

まっすぐ振り下ろされる豪腕を、まるで頭上に目があるのかと疑ってしまうほど正確に避ける。


眼前で繰り広げられる本能剥き出しの攻防に、思わず見惚れる。


しかしそれも長くは続かない。

油断したのか大振りの一撃が直撃、その後頬を爪が掠り牙が剥き出しになる。


それでも黒い獣は引かない。

口から落とした黒い短剣を再度咥え、目では追えない程の速度で斬り掛かる。


しかし決死の反撃は片手で止められる。


そして四ツ目月熊ヨツメツキグマは、手に刺さった黒い短剣ごと黒い獣を地面目掛けて叩きつける。骨の軋む音、黒い獣の短い断末魔が耳に響く。



その時だった。



チリン



小さなベルのような音が聞こえた。


同時に、背筋に冷たいものが走る。

四ツ目月熊ヨツメツキグマと対面した時、いやそれ以上の恐怖と緊張が脳裏を埋め尽くす。


森の奥に、何か・・・が立ってる。


それは一見すると黒い煙のようだが風に靡かず、ゆらゆらと揺れながらもその場から動くことは無い。煙に似たそれは夜より深く、引き込まれそうなほど黒い。

目や耳などは無く、宙に浮かぶ落書きのような歪な口が、黒い煙に不自然に張り付いている。


「…あぁ………あ……」


その姿を目に写すと同時に、浅い息と共に喉から意図せず声が漏れる。


生物としての本能が警告を鳴らす。

それが自分よりはるかに上位の存在であると。



『それは僕のおもちゃだよ?』



その言葉と共に、黒い煙は姿を消す。



チリン



隣から小さなベル音が聞こえた。


振り向くと、四ツ目月熊ヨツメツキグマだったもの・・・・・が転がっていた。


骨、肉、毛皮、脂、血、臓物がひとまとまりにされ、鉄臭い匂いを放つ赤い球体。肉の隙間から見える黒い毛が、これが元々四ツ目月熊ヨツメツキグマだったと物語っている。


「…お、おえぇっっ……!!」


仲間を皆殺しにした恐怖の象徴が、一瞬にして為す術なく肉塊と化した現実に、恐怖心からか嘔吐する。胃の内容物がびちゃびちゃと音を立てて地面に染み込む。


吐瀉物によって焼けた喉がヒリヒリと痛む。


ああ、これが夢なら


早く覚めてくれ



_ _ _ _ _ _



『あら?人族ヒュームには刺激が強すぎたかなぁー?』


泣きじゃくりながら嘔吐する女性を横目に、黒い煙は影に張り付く歪な口を吊り上げる。


『さてさて……随分楽しそうだね?盗犯中毒クレプトマニアさん?』


囁きかけると同時に、黒剣からモヤが溢れ出す。

それは集まり固まり、ひとつの形をとる。


青みがかった黒い翼、濡れたように滑らかな体毛。一見するとただの烏に見えるが足は三本あり、それぞれの爪はまるで宝石のように黒光りしている。

黒真珠のような双眸には殺意が宿っており、ギロリと黒い煙を睨みつける。

辺りに女性のような声が響く。


『貴様こそ随分嬉しそうじゃないか……│自由主義リベラリズム


黒い煙は突然笑い出す。複数人の声が継ぎ接ぎに混ざりあったような耳障りな声が森中に響き渡る。


『アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!そうだ、そうだな!!!こんなに面白いことは滅多いないからな!!アハハハハハハハハハハハハハハハ!!』

『…やはり彼は貴様の差し金か…!』


その言葉に黒い煙は笑いを辞め、のらりくらりと揺れ始める。それはまるで優雅な舞のようで、思わず見とれてしまうほどに不気味なくらい美しい。


『いいや?彼がここに来たのは全くの偶然だ!私は傍観者、彼の成り行きを見ているだけさ!』

『全く…いい趣味とは言えないな……?』

『本当に君は頭が固いねぇ〜?そんなんだから君は未だに封魔器に閉じ込められたま・ま・な・ん・だ・よ☆』

『貴様……!!』


影から人の形を模した手が現れ、三足の烏の頭を指で突く。小馬鹿にされ、三足の烏は怒りを顕にする。


『あれ?怒る??怒った???怒ってるぅ????それならほらほらー!僕を殴てみなよー???あ!ごめぇん!?今の君じゃあ僕に触れる事も出来ないんだったねぇ!!ごめんねぇー!!!』

『クソが……!!』

『ま、こんな三下烏に用はないんだ』


悪態をつく三足の烏をしり目に、目線を倒れた黒猫に向ける。顎は砕け、耳からは血が溢れている。辛うじて息はあるようだが、あと数分ほどでそれも止まってしまうだろう。


『あーら、かなりこっぴどくやられちゃったねぇ?あんなに実力差のある相手に向かっていくなんて、そーとー馬鹿なのかなー?』


先程と生やした腕で、死にかけの黒猫をつんつんとつつく。


『だか、そこが面白い!』


黒い腕が形を変え、まるで無数の触手のように変化する。1本1本が別の生物のようにうねる触手は、ぬるりと黒猫に絡みつく。触手は黒猫を中心に円状に拡がり、森の1部を黒で埋め尽くす。

途端、触手が全て液体化する。黒いヘドロのようになったそれは、黒猫にゆっくりと入り込む。


黒いヘドロが消えた後には、黒猫がすやすやと寝息をたてていた。


『これでよしっと…ちょっと傷跡残っちゃったけど、まぁいいよね。……んお?』


遠くから人の声と、金属を打ち鳴らす音が聞こえてくる。薄らとだか松明の炎のあかりも見える。

森の隙間から赤い光が漏れてくる。


『どうやらお仲間が来たみたいだね。んじゃ私はこの辺であさらばしましょーか。……あ、そうそう!』


黒い煙は蹲った女性に近づき、ボソボソと耳打ちする。

その言葉に女性は顔をあげるが、そこには熊の肉塊も黒猫も黒い短剣も、そして黒い煙も消えていた。


まるであれが夢だったかのように

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