10.焚き火に照らされて



日はとうに沈み、空に星々が輝く。

昼間に囀っていた鳥たちは眠りにつき、代わりとばかりに鳴く虫たちの声が木々に反射する。


パチパチと焚き木が音を立てて燃える。


それを黒い大きな物体が押し潰す。

飛び散る赤い薪と宙を舞う火の粉が、黒い物体を照らし出す。

それはまるで岩のように大きく、闇との境界線がわからなくなってしまうほどに黒い熊だった。元には白い三日月のような模様があるが、返り血で所々赤く染まっている。


怒りで歪んだ四つの目玉が茶髪の女性を見る。

殺意を向けるその怪物に、ただただ声にならない浅い息を漏らす。


助けを求めようと仲間の方を見る。


「・・・」


しかし、仲間たちは何も言わない。


「メドさん……カカム……ダルニス……」


縋るように仲間の名を呼ぶ。


メドと呼ばれた耳長の青年は、鋭い爪に腹を引き裂かれ、血と肉と臓物が溢れ落ちている。


カカムと呼ばれた栗髪の青年は、熊の巨体に押し潰され、血泡を吹きながら目を開けピクリとも動かない。


ダルニスと呼ばれた大柄の男性は、黒い剛腕から女性を庇い、上顎から上部を弾き飛ばされ物言わぬ肉塊となった。


全員、とっくに息は無い。


茶髪の女性は、自らを庇ったダルニスの頭を抱える。その目は虚ろで焦点が合っておらず、抱える腕は力なく震える。


「…大丈夫だよ……?もうちょっと、もうちょっとで、ウェルちゃんが…誰か呼んで来てくれるよ…?それまで耐えようね…?みんな…?」


掠れた声で抱えた亡骸に語りかける。

もちろん答えはない。



相手はCクラス、特定危険獣魔モンスター

1頭で、小さな村なら壊滅させることのできる化け物。

勝てるなんて思っていなかった。


しかし、「もしかしたら?」という不確定な自信がなかったとは否定できない。


ここで死ぬなんて思っていなかった。

自分たちは大丈夫と勝手に思い込んでいた。


『そんな覚悟ではいつか痛い目見ることになるぞ、イリナ』


昔、父に言われた言葉を思い出す。


父は私が冒険者になることに反対していた。

ダルニスについて行く私に、時々この言葉を言っていた。私はそれを「引き止めるための脅しだ」と本気にしていなかった。


痛い目みて、やっと父の言っていた事を思い知る。


「…あはは」


思わず乾いた笑いが零れる。

父の忠告を無視していた馬鹿な自分がおかしくて、自らの実力も分からないハリボテの自信を振りかざす無能さに呆れて。


「あははははは、ははははははは!!あは、はははははははは!!はははっ…っ!!はぁ…はぁあははははははは!!!!」


可笑しくて可笑しくて可笑しくて可笑しくて笑いが止まらない。


「ははははははははははは!!!!ゲホッッ…ゴホッ!!はぁ…あは、あははははははははははは!!」


ひたすら笑い続ける。

可笑しくて可笑しくてたまらない。頭がどうにかなってしまったのかもしれない。



四ツ目月熊ヨツメツキグマが吠える。

森そのものを揺らす声は、もはや彼女には届いていない。


丸太のような剛腕が茶髪の女性に迫る。

彼女は避けようとしない。


「あはは」


圧倒的な暴力が


命を刈り取る一撃が


無慈悲に真っ直ぐ



_ _ _ _ _ _



慣れてきた四つ足で、全力で夜の森を駆け抜ける。

風景が勢いよく前から後ろへ流れていく。


(っ…!!!)


たしか、この辺りから聞こえてきたはずだ。


1度脚を止め、耳を澄ませる。

しかし、先程まで聞こえてきた声はぱったりと聞こえなくなっている。代わりに耳に入るのは虫の囁きだけ。


最悪の事態が頭を過ぎる。


すると、


「ーーーーーー!!!!」


声が聞こえてくる。

若い女性の声だ。


『こっちから聞こえてきた!』


そう言いラウムが暗闇を指差す。


(了解っ!!)


示された方向へ走り出す。


同時にあの熊の咆哮が響く。大地に轟く怒号に、相変わらず脚がすくみそうになる。


しかし、ここで止まれば後で絶対に後悔することになる。


震える足を踏みしめて、恐怖を無理矢理押さえつける。


(……見つけた!)


暗闇を走り抜け、正面にヤツの姿を見つける。

大柄の身体に4つの赤い瞳、首元に特徴的な白い三日月。


『やっぱり四ツ目月熊ヨツメツキグマ!』


ヤツの目の前には、茶髪の女性が何かを抱えて座り込んでいる。怪我をしているのか、その場を動こうとしない。


ヤツが腕を振り上げる。


ヤツまでの距離は約20m。

このまま走っていては間に合わない。


(…ならば!!)


咄嗟に脚を止め、跳ね上がる。


「に゛ゃっっ…!!?(いだっっっ…!!?)」


赤歯狼アカバオオカミに食いつかれた右脚が悲鳴をあげる。


歯を食いしばりながら、空中で念じる。


(『女神の盗袋ラウェルナ』!!)


真下に"門"が現れる。

俺はそれに着地し、両後ろ足を沈み込ませる。



女神の盗袋ラウェルナ』の異空間内には時間の概念がなく、物が劣化することはない。

そんな空間に万が一使用者が入ってしまった場合、永久に異空間内を漂うことになってしまう。


それを防ぐため、『女神の盗袋ラウェルナ』の異空間内には通常、使用者は身体の一部しか入ることが出来ない。

しかし、それでは空間の奥にある物が取り出しにくい。


そのため異空間内にある物体は、使用者の任意の速度で「取り出す」事が出来る。


それは物体の一部だけが異空間内に入った状態でも「取り出し」の対象内となる。



つまり


もし使用者が

自らの身体の一部を『女神の盗袋ラウェルナ』の異空間内に入れていた場合


それも「取り出し」の対象内となる。


黒剣を咥えて構える。


『ね、ねえ?ほ、ほんとにやるの!?さっきめっちゃ失敗してたんだよ!?』


ラウムが止めに入る。

しかし、


(やらずに後悔より、やって後悔!!)


後ろ足へ力を込める。


『ううぅ……もう!どうなっても知らないからね!!?』


悪態をつきながらも俺の毛にしがみつく。



この一撃が外れれば、あの女性はヤツに殺されてしまうかもしれない。それどころか俺の命も危ない。

のしかかるプレッシャーが集中力を限界まで引き上げる。


異空間内に入った俺を、最高速度で「取り出す」必殺技。


名付けて、


(“自爆特攻トッカンミサイル”!!!)


心の中で叫ぶと同時に、自らを異空間内から「取り出す」。


直後、身体が加速する。


静止状態からの超加速、全身に強いGがかかる。

あまりの速さに意識が飛かける。


『わああああああああああああああああああ!!!??』


ラウムの引っ張る毛の痛みで、何とか意識を持ちこたえる。


離しそうになる黒剣を噛み締めながら、ヤツの顔目掛けて一直線に宙を貫く。


闇をぶち抜く一撃は、まっすぐ四ツ目月熊ヨツメツキグマの左上の瞳に突き刺さる。


「ブォオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!!??」


潰れた眼球の硝子体と黒々とした血が混ざった液体が、ボタリボタリと溢れ出す。


痛みに悶える四ツ目月熊ヨツメツキグマは首を大きく振るい、その勢いで刺さっていた黒剣が抜ける。


(あぶなっ!?)


何とかバランスを整え、トッと着地する。


息を整え、辺りを確認する。


女性が1人、男性が3人。うち生きてるのは多分この女性1人のみ。


(…ちっ!…間に合わなかったか…!!)


辺りに血腥い匂いが充満していて、吐き気が込み上げてくる。


女性が逃げる様子は無い。見たところ怪我はないようだが、放心状態で空を見つめている。


どうやら気が触れてしまったっぽい。



そうこうしているうちに、四ツ目月熊ヨツメツキグマがこちらを見る。


(……逃げては、くれなそうだな…)


その顔は目を潰された怒りで歪みきっており、今にでも襲いかかってきそうなほどだ。

怯える足を押さえつけ、覚悟を決める。



(…2回戦といこうじゃないか……!)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る